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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・ロアール、ヴォージュの戦いとメッス陥落
396/534

第2次オルレアンの戦い/セルコット、ジディ、ブレの戦闘

オルレアン北西部

挿絵(By みてみん)




☆ セルコットの戦闘(12月4日)


 北独第9軍団は普第18師団を前衛に12月4日の午前8時30分、ラ・クロワ・ブリケ周辺からオルレアンを目指し前進を開始しました。

 未明に南方へ放たれた斥候たちは、仏軍の撤退したシュヴィイを通過するとセルコット(シュヴィイの南4.8キロ)に接近して偵察を行い、「セルコットは強固に守備されている」との報告を行いますが、この仏軍守備隊(仏第15軍団第2「マルティノー・デ・シェネ」師団)はセルコット北のオルレアン大森林西端付近にも強力な前哨を送っていました。

 北独第9軍団長のフォン・マンシュタイン歩兵大将は、普第36旅団と後続する軍団砲兵隊にパリ~オルレアン大街道(現・国道D2020号線)上を行軍させ、普第35旅団をパリ~オルレアン鉄道に沿って進ませると同時に東方のオルレアン大森林を警戒させつつセルコットの仏軍の右翼外側に回り込むような機動を命じます。

 この普第18師団の両行軍縦列は難なくシュヴィイ南方に張り出した大森林北端まで進みましたが、街道上で先鋒となっていた普第85「ホルシュタイン」連隊はこの森で仏軍の散兵線に衝突し、銃撃戦が始まりました。普軍は師団砲兵の軽砲第2中隊をシュヴィイ付近に留め砲列を敷かせると、大街道に沿って森林内部を走る鉄道沿線の空き地に散兵線を敷いていた仏軍を砲撃させ、少時の戦闘で仏軍前哨はセルコットへ逃げ込みます。普第85連隊は午前11時頃に大街道の西でセルコット北の大森林南縁に達しました。

 この時、普フュージリア第36「マグデブルク」連隊の第3大隊も大街道の東で森を出るとセルコットに迫り、その左翼(東)では普猟兵第9「ラウエンブルク」大隊がフュージリア連隊の援護を受けてオルレアン大森林内に侵入し、潜んでいた仏軍部隊を「あぶり出す」とこれをセルコット方面へ駆逐したのです。


 セルコットでは、昨日アルトネからシュヴィイの間で激しい戦闘を行った仏マルティノー師団が、強力な仏海軍艦載8ポンド砲を主要装備とする仏第15軍団砲兵の一部と共に部落西側の高地(セルコットの南西1.3キロ周辺にある森の北縁付近)上に築かれた肩墻と塹壕線による半恒久陣地に入って独軍を待ち受けていました。

 マンシュタイン将軍はこの様子を観察すると、まずはセオリー通り砲兵を使用することとして4個中隊をセルコット北の大森林南縁に、3個中隊を同森の西縁に進ませて砲列を敷かせました。この砲撃を安全に行うため護衛を命じられた普第85連隊は、その第3中隊によって大街道の西で森の南側にあるラ・ボルデ(セルコットの北西1.7キロ)、レピネット(同北北西1キロ。両方共に現存します)両農場を占領し、南側高地上の仏軍に対しました。

 この頃、同じく仏軍が強固に守っていると伝えられたジディ(セルコットからは西へ3.4キロ)に向かっていた諸隊(軍団砲兵隊・北独第25「H」師団の歩兵4個大隊・H砲兵2個中隊)は既に大公軍によって戦闘が有利に進んでいたために関与することが出来ず、再びセルコット北の大森林南縁を通って大街道まで戻って来ました(ジディの戦闘は後述)。


※12月4日セルコット北森林縁の北独第9軍団砲兵

*大森林南縁

・普野戦砲兵第9「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」連隊/軽砲第2中隊

・ヘッセン大公国(H)野戦砲兵連隊/軽砲第2中隊

・同連隊/軽砲第3中隊

・同連隊/騎砲兵中隊

*大森林西縁

・普野戦砲兵第9連隊/重砲第1中隊

・同連隊/重砲第2中隊

・同連隊/軽砲第1中隊


 ところが前線の諸隊は軍団長の命じた事前砲撃を待たず、午後1時頃にセルコットへ突入してしまいます。

 これは前線にあって「セルコットの仏軍の戦意は低い」と見た普第35旅団長ハインリッヒ・フォン・ブルーメンタール少将の独断で、普フュージリア第36連隊第3大隊と普猟兵第9大隊の第2中隊は部落北東角へ、普フュージリア第36連隊の第2,3,5中隊はセルコット停車場(部落東側)を抜けて部落東口へそれぞれ向かい、ほぼ同時に突撃を敢行するのでした。

 この強襲は効果てきめんで、部落の守備隊は僅かに抵抗を示しただけで一気に撤退し、セルコット西高地の仏軍にも動揺が波及すると、こちらも陣地を棄てて南へ向けて後退して行きました。この時、オルレアン大森林内に残っていた仏軍も、普フュージリア第36連隊の第1,4中隊と普猟兵第9大隊の第4中隊による攻撃を受けますが、こちらはしばらくの間激しい抵抗を見せ、その後孤立を恐れ急速に退却して行ったのでした。

 歩兵の攻撃を見た森林南縁の砲兵4個中隊は急ぎ砲列を解いて前進し、ラ・ボルデ農家を過ぎてラ・トゥッシュ(部落。セルコットの西850m)の東まで進み、同じく森林西端からジディの東側を経て前進し、シャルトル旧道(ジディの東1キロ付近を北西から南東へ走る小街道。現「シャルトル通り」)の脇に展開していた普第18師団砲兵3個中隊と合流するのです。

 仏軍はこの独7個中隊・42門の砲列による集中砲火を浴び、サラン(セルコットの南4キロ)を越えてオルレアン北郊のブドウ園が続く地域まで一気に後退しました。ただ仏第15軍団の海軍砲兵2個中隊は闘志衰えず、迫る普軍歩兵を前に30分間ほどラ・テュイルリー(サランの北東1キロ)付近の大森林南縁に留まり、脱出可能なギリギリの時まで砲撃を繰り返したのです。


挿絵(By みてみん)

 攻撃される仏軍砲兵


 この仏海軍砲兵が退却した後、普第35旅団は普猟兵第9大隊と普フュージリア第36連隊第1、3大隊を前衛に大街道の東側を、普第36旅団は普擲弾兵第11「シュレジェン第2」連隊を前衛に大街道の西側を辿ってオルレアンに向かい南下して行きました。

 この普第18師団行軍列は途中、ラ・ヴァレー(サランの南東1.5キロ)付近で歩兵に援護された数門のミトライユーズ砲の攻撃を受け損害が発生しますが、師団砲兵の軽砲第2中隊とH砲兵の軽砲第3中隊が榴弾砲撃を始めると、これも急ぎ市内へ撤退するのでした。

 また、普軍の行軍列は疲弊し切った仏第15軍団マルティノー師団の後退行軍に迫り、普師団砲兵重砲第2とH砲兵軽砲第2、騎砲兵の3個中隊はベル・エール(オルレアン中心部から北に4.5キロ)に達すると臨機に砲列を敷き、仏軍の行軍列中に榴弾を見舞うのでした。


 しかし、この先オルレアン市街までは縦横に走る生け垣や境界壁、そして水路に排水溝などが無数に存在し、更にオレンジ、ブドウなどの果樹園や立派な農家の建物などが点在しており、独軍は砲兵や騎兵の使用が制限される状況になります。今後は歩兵が出血多く寸土を争うであろう銃撃戦を繰り返して進まざるを得なくなるのです。ここは10月の「第1次オルレアンの戦い」でB第1軍団とロアール軍の旧・第15軍団との間で大激戦となった場所でもありました。

 こうして、犠牲を覚悟したマンシュタイン将軍麾下の歩兵部隊将兵はオルレアン市街を目指し進みました。仏軍は迎撃拠点に都合のよい民家や隔壁に構えて迎え撃ちますが、どうやら戦意に乏しく抵抗は薄いもので、当初普軍は迅速に南下することが出来ました。そしてオルレアン北方のレゾブレ停車場(オルレアンの北2.9キロ)付近に至って初めて強力な仏軍と衝突したのです。


 この停車場には仏第15軍団で北方から引き上げて来た諸隊が混交して展開し、街道脇の深い排水溝や塹壕、厚い隔壁やバリケード等に頼って銃撃を繰り返し、ここでも数門の海軍艦載砲が的確な場所に陣を構え、近付く独軍に向けて有効な射撃を行ったのでした。

 戦闘はたちまち壮絶なものに変化し、歩兵だけでは無理と判断した普第18師団長のカール・フォン・ウランゲル中将は師団砲兵の重砲第2中隊を投入し、障害物の多い狭い射界に苦労しながらも砲兵は停車場周辺に砲撃を行いました。

 しかし、間もなく辺りは夕闇に閉ざされたため仏軍は午後5時30分、先に銃砲撃を中止し一部は南方に下がります。最前線で戦っていた普フュージリア第36連隊の第1中隊と普猟兵第9大隊の第4中隊は揃って仏兵の消えた停車場を占領しました。仏軍はその南方の鉄道分岐点周辺を固めており、普擲弾兵第11連隊の一部がこれに向かって突進しますが、強固に守られた厚いバリケードに構える仏兵に阻まれ、攻撃は失敗に終わるのでした。


 こうして暗闇に沈んだ戦場を見たマンシュタイン将軍は午後7時に戦闘中止を発し、オルレアン郊外において「必死の抵抗をする決心をしているに違いない」仏軍を前に将軍は「無駄な犠牲が発生する夜間戦闘はしない」と断じるのです。

 これにより北独第9軍団はセルコットの南から停車場北までの大街道沿いの民家に集中して宿営を求め、最前線にある普第18師団の各歩兵大隊はこれら宿営が夜襲を受けぬよう不寝番に入ったのでした。

 案の定この4日午後10時、普フュージリア第36連隊の第4中隊はレゾブレ停車場付近で警戒任務中、仏軍の夜襲を受けますが落ち着いて対処し攻撃隊を撃退するのです。


 さて、北独第9軍団にあってヌーヴィロー=ボワの北で3日夜を明かしたフォン・ヴィンクラー大佐の部隊(「アルトネの再占領」/ラ・トゥール農場の戦闘を参照)でしたが、夜が明けてみると敵はすっかり消えており、大佐はヴィルロー(ヌーヴィロー=ボワの西4.8キロ)を経由して本隊(H師団)合流のためオルレアン大森林内を南下しました。しかし道中至る所で道路を塞ぐ障害物に出会い、これを排除しつつ進んだため夜になってようやく本隊復帰を果たしました。

 また、シヤール=オー=ボワとヌーヴィロー=ボワの東にあった普第10軍団は午後4時までに先頭がセルコットに達し、軍団諸隊はセルコットとアルトネ間の大街道沿いに宿営し、アルトネ市街には普騎兵第6師団が入って宿営をなしたのです。


挿絵(By みてみん)

 集合する普軍歩兵


☆ ジディの陥落(12月4日)


 同4日。独第二軍の右翼(西)ではメクレンブルク=シュヴェリーン大公軍が南下を続けます。


 普軍歩兵大将・大公フリードリヒ・フランツ2世は、前日カール王子が下した命令に従って普第17、第22、騎兵第2の各師団をジディに、B第1軍団をジャンヴリー(2軒の農場。ジディの西2.2キロ。現存します)にそれぞれ指向させ、オルレアン市街を目指しました。また、西方警戒として普騎兵第4師団をユエートルからブレ(=レ=バール。同西南西4.1キロ)に進ませ、シャトーダン街道(現・国道D955号線)で西及び南西方を警戒させるのです。

 この騎兵第4師団から早朝、大公の本営に報告があり、それによれば「強力な仏軍は黎明時ランコルム(スニーの西南西2.3キロ)から撤退して南へ向かい、ユエートルに居残っていた仏軍も夜間撤退した模様だが、ジディには未だ強力な仏軍が存在する」とのことでした。


 午前7時30分。普第17師団は昨夜シュヴィイ城館を占拠して周囲で野営したルドルフ・フォン・マントイフェル大佐率いる前衛*をジディへ向かわせ、シャムル農場周辺で野営した本隊も追ってジディを目指しました。

 師団前衛は途上、その砲兵が榴弾を数発発射しただけでキュニー(農家。ジディの北2.2キロ)の仏前哨を後退させますが、先行した騎兵斥候は「ジディの仏軍は強固に部落を守備しており、数門の要塞重砲がシャルトル旧道の脇にある土塁に存在する」と報告します。

 師団長ヘルマン・フォン・トレスコウ将軍は「半恒久陣地を正面から攻撃するのはいたずらに犠牲を増やすのみ」と考え、「まずはキュニー北方に待機陣地を設け北独第9軍団とB第1軍団の前進を待つ」こととして、普竜騎兵第17「メクレンブルク第1」連隊をB第1軍団との連絡に進ませたのでした。


※12月3日から4日の普第17師団前衛


○普擲弾兵第89「メクレンブルク」連隊・第1大隊

○普フュージリア第90「メクレンブルク」連隊・第1、3大隊

○普猟兵第14「メクレンブルク」大隊

○普竜騎兵第18「メクレンブルク第2」連隊・第3中隊

○普槍騎兵第11「ブランデンブルク第2」連隊・第2中隊

○普野戦砲兵第9「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」連隊・軽砲第5、重砲第5中隊

○北独第9軍団工兵・第1中隊

*普騎兵第2師団より

○普驃騎兵第6「シュレジエン第2」連隊


 ところが午前11時、ジディの仏軍(仏第15軍団第3「ペタヴァン」師団)は突然陣地を棄てて後退を開始し、オルレアンに向かったのです。これは全軍ロアール渡河を命じたドーレル将軍の命令が届いたからでした。

 これを見た普猟兵第14大隊は直ちにジディへ突入して部落を占領し、普驃騎兵第6連隊は下馬して騎銃を手に部落外の砲兵陣地に侵入し、要塞砲を含む遺棄された8門の大砲を鹵獲するのでした。

 後方からジディの占領を見届けたフリードリヒ・フランツ2世大公はトレスコウ将軍に「そのままジャンヴリーへ進撃せよ」と命じ、前進を継続させます。大公は普第17師団を、その先南方に横たわる森林を迂回させてオルレアンの西側へ回り込ませるつもりでした。そしてジディの占領とほぼ同時にシュヴィイ城館に到着した普第22師団と普騎兵第2師団を、軍の予備として普第17師団の後方へ進ませようとしたのです。


☆ ブレの戦闘(12月4日)


 普第17師団の前衛、マントイフェル支隊は午前11時30分にジャンヴリーへ到着しますが、同じ頃、B第1軍団と普騎兵第4師団はブレ近郊に達し、ここでブレ周辺に構えた仏軍と衝突しました。


 B第1軍団はこの日午前8時、ラ・プロヴァンシェールからジャンヴリー目指して出立し、普騎兵第4師団は第9と第10両旅団がトロニーからユエートルへ進み始めます。ところが、普軍騎兵がユエートルからブレへ進み始めた時、ブリシー(ユエートルの南南西2.5キロ)から激しい銃撃を浴びたのでした。

 これにより、並列してジャンヴリーの北に進んでいたB第1師団の砲兵3個(B砲兵第1連隊4ポンド砲第3、B砲兵第3連隊6ポンド砲第3,4)中隊が普騎兵第4師団の騎砲兵2個(普野戦砲兵第5連隊騎砲兵第1、普野戦砲兵第11連隊騎砲兵第2)中隊と共にユエートル南方の高地(部落から800m程度南)上へ進んで砲列を作り、少時後にB第2師団砲兵3個(B砲兵第1連隊4ポンド砲第4、B砲兵第3連隊6ポンド砲第6,8)中隊も加わって猛烈な砲撃を開始しました。

 仏軍は砲撃を受けた直後にブリシーから撤退しますが、これを普驃騎兵第2「親衛(Leib/ライヴ)第2」連隊の第3中隊が追撃して敗残・落伍兵160名の捕虜を獲るのでした。

 この日B軍団の前衛となったB第2旅団は午前9時30分、ジャンヴリーに対する攻撃を始め、周辺の仏軍を駆逐すると2軒の農場と西側の林(一部現存し残りはオルレアン=ブリシー仏空軍基地の関連施設となっています)を占拠してブレへの攻撃拠点としました。

 この時、先鋒のB歩兵2個中隊がブレ北東~北方に点在する砂利採取場に入り、砲兵3個中隊は仏軍の堡塁内にある砲兵と砲撃戦を始め、B第2旅団の歩兵諸大隊はブレに対する攻撃前進を図ったのです。B第1旅団はリュイリー(農場。ジャンヴリーの北1.1キロ。現存します)付近に進んでいつでも第2旅団の攻撃に参戦出来るよう待機となりました。


挿絵(By みてみん)

オルレアンの戦い~突進するバイエルン軍


※12月4日・ブレ攻撃のB第2旅団

*ジャンヴリー南東高地上

○B猟兵第9大隊

*ジャンヴリー南側と西方森林内

○B第2連隊・第7~12中隊

○B第11連隊・第1大隊

○B砲兵第3連隊6ポンド砲第3,4中隊

○B砲兵第1連隊4ポンド砲第3中隊

*ジャンヴリー西方森林南

○B猟兵第4大隊

○B第2連隊・第1大隊

*ブレ北東~北方砂利採取場

○B第2連隊・第5,6中隊

*ジャンヴリー北方で予備

○B第11連隊・第2大隊

○B軽騎兵第3連隊


 B第1師団がジャンヴリーを目指し行軍すると同時にB第2師団は仏軍の左翼(西側)を狙って進み、その前衛はブリシーの西側を抜けてシャトーダン街道を目指しました。するとブリシーの西郊外でシャトーダン街道に続く小道横にあった堡塁から猛銃撃を浴び、B猟兵第7大隊はこの堡塁を攻撃し、B第10連隊の5個中隊はブレの仏軍陣地に対抗するためラ・クドライ(農場。ブレの北500m付近にありましたが取り壊され、現在は空軍基地の一部となっています)へ突入し、続行した砲兵5個中隊はブリシー南やジャンヴリー西方森林の西に砲列を敷きました。


※12月4日・ブレ攻撃のB第4旅団

*ブリシー西郊外

○B猟兵第7大隊

*ラ・クドライ農場

○B第10連隊・第1,5,7,9,12中隊

*ラ・クドライの西、ジャンヴリー西方森林西縁、ブリシーの南郊外

○B砲兵第1連隊6ポンド砲第6,8中隊

○B砲兵第1連隊4ポンド砲第4中隊

○普野戦砲兵第5連隊・4ポンド騎砲兵第1中隊

○普野戦砲兵第11連隊・4ポンド騎砲兵第2中隊

*ブリシー北方で予備

○B第13連隊

○B軽騎兵第4連隊


 ブレ付近に砲列を敷いていた仏軍砲兵はB軍砲兵の猛砲撃で程なく砲撃中止に追い込まれ、応射がなくなったことに気付いたフォン・デア・タン大将は正午、B第2とB第4旅団に対し総攻撃を命じ、両旅団最前線の散兵は一斉に前進を開始します。対する仏軍は急ぎ南方へ退却し、砲兵は動かせなかった重砲を堡塁の中に遺棄して退却して行きました。

 B猟兵第7大隊と後方から駆け付けたB第13連隊第1大隊は例のシャトーダン街道に続く小道横にあった堡塁を攻略し、B第10連隊にB猟兵第9大隊、そしてB第11連隊第1大隊にB第2連隊の第2、第3大隊は一斉にブレ部落と周辺陣地に侵入しこれらを占領するのでした。


 フリードリヒ・フランツ2世大公はジディやブレから仏軍が撤退するのを見ると、後続の普騎兵第2師団を追撃のため前方に放つことに決め、師団はジディの西を通過しモンテギュ(農場。ジディの南2.8キロ)を経由してオルム(ブレの南南東4.6キロ)方面へ向かいました。


 真っ先に飛び出した普驃騎兵第4「シュレジェン第1」連隊はモンテギュ農場を過ぎて付近の森林地帯から開けた耕作地へ出ると、その前方のシャトーダン街道沿いで前車を外して正に砲を並べようとしている仏軍砲兵中隊を望見します。シュレジェンの驃騎兵は第5中隊がその援護に当たっていた仏軍歩兵部隊に向けて突進し、第1中隊が仏砲兵の周りを旋回しつつ襲撃を行います。結果仏軍砲兵と歩兵はオルムに向けて逃走し、騎兵たちはこの野砲をそっくり鹵獲することに成功するのでした。

 この襲撃に気付いたオルムの街道西にある仏軍陣地が砲火を開くと、驃騎兵たちは襲撃の間に急ぎボワ・ジラール(農場。オルムの北北西1キロ。現存します)付近に進んで砲列を敷いた師団騎砲兵2個(普野戦砲兵第2連隊騎砲兵第1、普野戦砲兵第6連隊騎砲兵第3)中隊のため、一斉に転回して射界を開きました。結果、普軍砲兵の直射を受け、仏軍はオルム西の陣地を棄てて南へ撤退して行ったのです。


挿絵(By みてみん)

 普軍驃騎兵の前進


 普騎兵第2師団長伯爵ヴィルヘルム・ツー・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ中将は、麾下普騎兵第3旅団をアルディ(ブレの南東1.2キロ)に向けてそのまま南下させ、普騎兵第4旅団をボワ・ジラール農場へ進め、先行した普驃騎兵第4連隊に騎砲兵2個中隊と合流させました。この旅団が午後1時過ぎシャトーダン街道を越えるとオルム方面からやって来た仏第15軍団のダステュグ准将率いる猟騎兵集団に左翼(東側)を襲撃されるのです。

 この仏軍騎兵の先頭を行く猟騎兵2個中隊は疾駆してオルムの北へ進み、独軍驃騎兵と対決します。普軍の左翼先頭、驃騎兵第5「ポンメルン/ブリッヒャー・ユサール」連隊の第5中隊は襲撃と同時に左急旋回を行い、これに続いた第1,2中隊と共にオルムと街道間にあったブドウ園の農道とその北側からオルムへ突進し、騎馬に襲歩を取らせて仏猟騎兵集団の只中を突破して短くも激しい騎兵戦に持ち込み、遂にはこの騎兵をアングル(オルムの南南東2.8キロ)まで追い払うのでした。しかしアングルには仏軍歩兵がおり、ここで猛銃火を浴びた普軍騎兵たちはこれ以上の追撃を諦めたのでした。


 独大公軍の最右翼(西)では、ブレの戦闘を見届けた後、シャトーダン方面警戒のため西へ動いた普騎兵第4師団がコアンス(ブレの北西4.6キロ)付近に集合する仏軍(仏第17軍団の一部)を発見し、更にその南2.5キロ程を走るシャトーダン街道を進む仏軍の輜重馬車隊を望見しました。師団の驃騎兵第2連隊は2個中隊をこの車輌縦列襲撃に向かわせ、縦列の護衛を蹴散らした普親衛驃騎兵たちは主が逃走した馬車11輌と輜重兵250名を捕虜として連行するのでした。


挿絵(By みてみん)

オルレアンの戦い~オルム騎兵戦


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