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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・ロアール、ヴォージュの戦いとメッス陥落
389/534

ボーヌ=ラ=ロランドの戦い(後)

普第3軍団・仏第20軍団戦闘序列


※普第3軍団(1870年11月) 


☆軍団本営

 司令官 レイマー・コンスタンチン・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将

 参謀長 ユリウス・フォン・フォークツ=レッツ大佐

 砲兵部長 ハンス・アドルフ・ユリウス・フォン・ビューロー少将(砲兵第3旅団長)

 工兵部長 ザパルト少佐(工兵第3大隊長)

*軍団本営参謀部

 フォン・クレッチマー少佐/フォン・スティックラート大尉/フォン・トヴァルドウスキー中尉

*軍団本営副官部

 フォン・シュヴァイニッツ騎兵大尉/フォン・デア・シュレンブルク大尉/フォン・クリュスターライン大尉/フォン・デア・シュレンブルク少尉

*軍団工兵部付 ブルーン大尉


◎普第5師団

 師団長 ヴォルフ・ルイス・フェルディナント・フォン・シュテュルプナーゲル中将 (疾病入院のため) 代理 クルト・ルートヴィヒ・アーダルベルト・フォン・シュヴェリーン少将

 師団参謀 アルフレート・アウグスト・ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・フォン・レヴィンスキー少佐

 副官 ヴォットケ大尉/伯爵フォン・ベルンストッフ少尉


◇普第9旅団 カール・ベルンハルト・フォン・コンタ大佐

○擲弾兵第8「親衛/ブランデンブルク第1」連隊 

 アントン・ヴィルヘルム・カール・フォン・レストック中佐

○第48「ブランデンブルク第5」連隊 ルートヴィヒ・アム・エンデ中佐

◇普第10旅団 フォン・シュヴェリーン少将 代理 オットー・ゲオルグ・フォン・ヴルフェン大佐

○擲弾兵第12「ブランデンブルク第2/カール親王」連隊

 ヘルマン・フェリクス・エミール・スタニスラウス・フォン・カリノウスキー中佐

○第52「ブランデンブルク第6」連隊

 フォン・ヴルフェン大佐 代理 伯爵カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルマン・フォン・シュリペンバッハ少佐


○猟兵第3「ブランデンブルク」大隊

 カール・ヴィルヘルム・エデュアルド・フォン・イエナ少佐(負傷入院のため) 代理 男爵ハインリッヒ・フォン・ノルデック少佐

○竜騎兵第12「ブランデンブルク第2」連隊  ベッフェル・フォン・サロモン少佐

○野砲兵第3「ブランデンブルク」連隊・第1大隊 グラーベ少佐(未赴任のため) 代理 フォン・シュリヒト大尉

・重砲第1,2中隊

・軽砲第1,2中隊

○第3軍団野戦工兵第2中隊及び器具縦列 ブレドウ大尉

○第3軍団第1衛生隊


◎普第6師団

 師団長 男爵ロベルト・エデュアルド・エミール・フォン・ブッデンブロック中将

 師団参謀 フォン・ガイスラー少佐

 副官 ポール大尉/フォン・キュヒラー中尉


◇第11旅団 ルイス・カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・レヴィン・フォン・ロートマーラー少将

○フュージリア第35「ブランデンブルク」連隊

 ヴィルヘルム・フリードリヒ・ルイス・デュ・プレシス大佐

○第20「ブランデンブルク第3」連隊

 オットー・フェルデイナント・フリードリヒ・ヘルマン・フォン・フロトウ大佐

◇ 第12旅団 フーゴー・フォン・ビスマルク大佐

○第24「ブランデンブルク第4/大公メクレンブルク=シュヴェリーン」連隊

 伯爵ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルト・ツー・ドーナ大佐(疾病入院のため)代理 フォン・ロールシャイト中佐 

○第64「ブランデンブルク第8/王子カール・フォン・プロイセン」連隊(第6中隊欠)

 男爵ヴィルヘルム・カール・アウガスト・トロシュ・フォン・ブットラー=ブランデンフェルス大佐


○竜騎兵第2「ブランデンブルク第1」連隊

 コムネモス・ベルンハルト・アントン・フォン・ドリガルスキー大佐

○野戦砲兵第3「ブランデンブルク」連隊 ベック少佐

・重砲第5,6中隊

・軽砲第5,6中隊

○第3軍団野戦工兵第1中隊及び野戦軽架橋縦列 クンツェ大尉

○第3軍団第2衛生隊


◇第3軍団砲兵隊

 ユストゥス・エミール・フリードリヒ・フォン・ドレスキー=メルツドルフ大佐

○野戦砲兵第3連隊・騎砲兵大隊 レンツ少佐(負傷入院のため) 代理 最古参の砲兵中隊長

・騎砲兵第1,3中隊

○野戦砲兵第3連隊・第2大隊 フォン・リンカー少佐(疾病で入院のため) 代理 最古参の砲兵中隊長

・重砲第3,4中隊

・軽砲第3,4中隊

○第3軍団野戦工兵第3中隊 テールマン大尉

○第3軍団第3衛生隊


◇野戦砲兵第3「ブランデンブルク」連隊・弾薬大隊 ブルハルト大尉

・第1~第5砲兵弾薬縦列

・第1~第4歩兵弾薬縦列

・架橋縦列

◇輜重兵第3「ブランデンブルク」大隊

 フォン・パンネンベルク少佐

・衛生予備厰

・馬厰

・野戦製パン縦列

・第1~第5糧食縦列

・第1~第12野戦病院

・輜重監視中隊



※仏第20軍団戦闘序列


軍団長 ジョセフ・コンスタン・クルーザ中将

参謀長 ヴァレーニュ大佐

砲兵部長 シャティヨン大佐

工兵部長 ピコラー大佐


挿絵(By みてみん)

クルーザ


◎軍団第1師団 カミーユ・アルマン・ジュール・マリエ・ドゥ・ポリニャック准将

(ボアッソン大佐やリゴー大佐という説もあります)


◇師団第1旅団

 ユーグ=フィルマン・ドゥ・ベルナール・ドゥ・セニュヤール大佐(独公式戦史ではボアッソン大佐)

○戦列歩兵第85連隊(補充中隊による2個大隊)

○護国軍第11「オート=ロアール県」連隊  

○護国軍第55「ジュラ県」連隊(2個大隊)

○「ロアール県」の護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊)

(マルシェ混成第50大隊が参加していた、という説もあります) 

◇師団第2旅団 ブリザック大佐

○護国軍第67「オート=ロアール県第2」連隊 

○「オート=ガロンヌ県」護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊)

○「ソーヌ=エ=ロアール県」護国軍1個大隊(多分未練成の新兵部隊) 

○「オ=ラン県」義勇兵集団

◇師団砲兵隊  パリー少佐(砲12門)

 ・砲兵第3連隊第13中隊(元・仏第15軍団の予備砲兵。4ポンド砲x6) ラ・ブール大尉

 ・砲兵第3連隊第14中隊(元・仏第15軍団の予備砲兵。12か4ポンド砲x6)パリー大尉

 ・砲兵第10連隊第14中隊(4ポンド砲x6)マネシエ大尉

○工兵1個分隊

(独公式戦史ではマルシェ槍騎兵第2連隊が附随していた、としています)


◎軍団第2師団 レオン・ソントン准将


◇師団第1旅団 オーブ海軍大佐

○護国軍第34「ドゥー=セーブル県」連隊

○マルシェ猟兵第25大隊

○「オ=ラン県」護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊) 

○「サヴォイ県」護国軍1個大隊(多分未練成の新兵部隊) 

◇師団第2旅団 ヴィヴァノー大佐

○マルシェ・ズアーブ第3連隊 ボアッソン中佐

○護国軍第68「オ=ラン県」連隊(2個大隊) 

○「サヴォイ県」護国軍1個大隊(多分未練成の新兵部隊)

◇師団砲兵隊 (砲12門)

 ・砲兵第8連隊第14中隊(元・仏第20軍団の予備砲兵。12ポンド砲x6) コルスン大尉

 ・砲兵第10連隊第19中隊(4ポンド砲x6) ブサール大尉

○工兵1個分隊

(独公式戦史では「ボルドー市」義勇兵集団が附随していた、としています)


◎軍団第3師団 セガール准将


◇師団第1旅団 デュロシャ大佐

○マルシェ第47連隊

○「コルス島」護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊)  

○「エクレール」(偵察斥侯兵)1個中隊 

◇師団第2旅団 ジラール大佐(11月26日戦死)

○戦列歩兵第78連隊(補充中隊による1個大隊)

○「ピレネー=オリアンタル県」護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊)

○「ヴォージュ県」護国軍2個大隊(多分未練成の新兵部隊)

○「ムルト県」護国軍1個大隊(多分未練成の新兵部隊)

○「ドゥー県」義勇兵中隊

○「ニース市」義勇兵中隊

◇師団砲兵隊 (砲18門)

 ・砲兵第14連隊第18中隊(元・仏第20軍団の予備砲兵。12ポンド砲x6) ラ・アイユ大尉及びデルナー大尉

 ・砲兵第13連隊第14中隊(元・仏第18軍団第1師団の砲兵。4ポンド砲x6) ジョルダン中尉

 ・「ドゥー県」護国軍砲兵山砲中隊(4ポンド山砲x6) ヴァッサ大尉及びシビラ大尉

(独公式戦史ではマルシェ胸甲騎兵1個連隊が附随していた、としています)


◎軍団砲兵隊 ドゥーヴェルニュ中佐

 ・砲兵第7連隊第21中隊(ミトライユーズx8)

 ・砲兵第2連隊第23中隊(12ポンド砲x6)

 ・砲兵第6連隊第23中隊(12ポンド砲x6)

◎軍団直属 ラ・アイユ大尉


○輜重第1連隊1第中隊


挿絵(By みてみん)

ボーヌ=ラ=ロランドを砲撃する仏軍



☆承前 


 仏第18軍団はジュランヴィルの占領後、その大多数が友軍砲兵の展開を待たず、普第10軍団の主力が集合し始めたロンクールに向けて前進を継続するためジュランヴィル部落東方に集合しました。この後に仏軍は距離を詰めた重厚な散兵線を前衛としてその後方に密集隊形を取って前進を開始します。対する普軍はロンクール周辺に砲を敷いた砲兵3個中隊の砲撃によりこれを阻止しようと計り、砲撃はたちどころに効果を示して仏軍の散兵線は前進を停止しました。

 フォークツ=レッツ将軍と共にロンクールの丘から戦況を観察していた普第10軍団の砲兵部長、男爵カール・フリードリヒ・レオポルト・フォン・デア・ベック大佐は、デ・ゾム・リーヴルの風車場付近にあってレ・コテル前面の敵を砲撃中の砲兵2個中隊にも「左翼(東)側に旋回して敵縦列の左翼(西)側面を狙え」と命じ、これは大いに効果を上げて、仏軍の攻撃は完全に頓挫し、将兵たちは動揺して急速後退するのでした。


 本隊が壊乱し退却する中、仏軍の左翼は大地に刻まれた畝を遮蔽に前進を継続し、レ・コテルの南150mほどまでに前進して来ます。この時、レ・コテルを守っていたのは第79連隊F大隊で、大隊長の男爵カール・ハインリッヒ・ルートヴィヒ・アウグスト・フォン・シュタイナッカー少佐は統制射撃で仏軍の動きを封じました。これに対して仏軍は午後2時に突撃を敢行しましたが、これもF大隊の落ち着いた銃撃によって失敗に帰します。

 シュタイナッカー少佐は、再度仏軍が攻撃して来るに違いないと読んで砲兵の援護を要請し、後方からはこれに応えて重砲第3中隊の1個小隊が送られ、そのクルップ6ポンド野砲2門は急ぎレ・コテルの部落に曳き入れられました。

 ここに仏軍は前回に倍する兵力を以て攻撃前進を開始し、砲兵はこれを迎え撃つため部落の前面に出ます。ところがこの砲兵小隊は、砲前車を外す作業中に急進した仏散兵に狙われて損害を被り、危険を感じた小隊長が後退を命じますが砲1門が泥濘に深く砲架の車輪を沈めてしまい、少なくない砲卒と馬匹を失った小隊(下士官兵7名・馬匹4頭を失います)では残り1門を後退させるのが精一杯となり、残る大砲は仏軍の手に渡ってしまうのでした。


 この仏軍の攻撃は強烈で、その砲兵の援護射撃も次第に強まって行きます。

 攻撃の重心はヴヌイユ方向(西)に移り、レ・コテルは完全に包囲されてしまいました。この小部落を3時間に渡って守って来たシュタイナッカー少佐も全滅する前に後退するしかなく、少佐は午後3時、F大隊と共に北側へ突撃して退路を開くとロンクール方向へ脱出しました。この際に後衛となって部落北郊に残留した数個小隊は、部落を通過して追撃に出た仏のマルシェ槍騎兵の襲撃を受けて壊乱状態となり、普兵の多くは捕虜となります。仏軍槍騎兵たちはなおも後退する普軍を追撃しますが、ヴヌイユにいた普軍部隊(第56連隊第1、第91連隊Fの両大隊)から猛烈な銃撃を受けて転回し、それでも約50名の普軍捕虜を手放すことなく連れ去って行きました。


挿絵(By みてみん)

レ・コテルの陥落


 こうして仏軍はレ・コテルを占領しますが、これ以上前進することはなく、ただ砲兵のみが日没時までロンクールとヴヌイユに向けて散発的で効果の薄い砲撃を繰り返したのでした。

 普軍は軍団長命令によってヴヌイユを捨て、第39と37両旅団の主力はヴヌイユの東側、デ・ゾム・リーヴルの風車場高地にボーモン街道を挟んで集中展開し、ラヴォ川の北岸では主力砲兵が砲列を敷いて仏軍と対峙したのです。


※午後4時30分のヴヌイユ~ロンクール付近における普軍の展開


○デ・ゾム・リーヴル風車場周辺

*街道の西

・第91連隊F大隊

・第56連隊第1、2大隊

*街道の東

・第91連隊第1、2大隊

・第79連隊第1、F大隊

○ロンクール南郊外

*街道の西

・野戦砲兵第10連隊重砲第3中隊

・軽砲第3中隊

*街道の東

・重砲第2中隊

・軽砲第5中隊

・軽砲第6中隊

・第78連隊第1,2中隊

○ロンクール北郊外

*街道の西

・第78連隊第2大隊

・猟兵第10大隊

*街道の東

・竜騎兵第9連隊第1,2,3中隊

・竜騎兵第16連隊第1,4中隊

○停車場

*街道の東前方

・第78連隊第3,4中隊

・第10軍団野戦工兵第3中隊

*街道の西後方

・重砲第5中隊

・重砲第6中隊

○ボルドー

・竜騎兵第9連隊第4中隊

・第78連隊F大隊

・軽砲第2中隊


☆ボーヌ=ラ=ロランドの攻防戦


 この日のボーヌ攻撃で普軍右翼(西側)を担った仏第20軍団は早朝、モンバロワとボワコマンからボーヌとバチイイ(=アン=ガティネ)を目標に前進を開始、午前9時頃、その前衛が普第38旅団の前哨線と衝突します。

 この日早朝、普第38旅団の前哨線はバチイイからオルムを経てフォンセリーヴまで、およそ6キロに渡って延び、第57連隊とヘッセン(H)ライター騎兵2個中隊が展開していました。ボーヌの市街地には普第16連隊が宿営し、市街東西両翼の高地には砲兵4個中隊とH騎兵残りの2個中隊、そして工兵中隊が配置に着いています。


※ボーヌとその周辺の普軍

 *第16「ヴェストファーレン第3」連隊(第7中隊欠)

 *第57「ヴェストファーレン第8」連隊

 *H騎兵ライター第2「親衛シュヴォーレゼー」連隊・第2,3,4中隊

 *H騎兵ライター第1「近衛シュヴォーレゼー」連隊・第3中隊

 *野戦砲兵第10「ハノーファー」連隊・重砲第1中隊、軽砲第1中隊

 *野戦砲兵第10連隊・騎砲兵第1,3中隊

 *第10軍団工兵大隊・第1中隊



 普軍前哨は数倍する仏軍の攻撃を受けるや、無理をせずに後退戦闘を行いつつ砲兵や騎兵の待つボーヌ東西の本陣地へ撤退しました。この際に仏第20軍団長のクルーザ将軍はレオン・トーントン准将率いる軍団第2師団をヴェルゴンヴィル(ボーヌの東南東2.1キロ)からオルムに掛けて広く展開させ、ボーヌの南郊外全域を包囲するように機動させます。同時にドゥ・ポリニャック准将率いる軍団第1師団に対し、ボーヌ市街の西郊を北に向かって前進し普軍右翼(西)を包囲するように命じましたが、この師団はバチイイからセザール街道(現・国道D29号線。セザールはカエサル。ローマ時代ガリアの街道の一つ)沿道のル・ボワ・ドゥ・ラ・ル(小部落と小林。ボーヌの西北西2.3キロ)に達して、その東側の小林から出た途端、ボーヌ西の高地上に砲を敷いていた普軍の重砲第1中隊から激しい砲撃を受け、慌ててラ・ル部落へ待避しました。後続した仏軍師団砲兵はしばらくの間、ラ・ル部落付近に砲を敷いて普軍砲兵と対決しますが、やがて劣勢を悟って被害が大きくなる前に後退して行きました。


挿絵(By みてみん)

トーントン


 このままでは攻撃が頓挫すると考えたクルーザ将軍は午前11時前後、思い切り良くサン=ルー(=デ=ヴィーニュ。ボーヌの南3.2キロ)に留めていた予備の軍団第3師団(セガール准将指揮)に前進を命じ、この師団は南からオルムの西側を抜けて第1師団の前線へ急行すると、第1師団と共に再びラ・ルの小林を抜け、その東の本陣地第一線に構えていた普第57連隊の第1大隊に猛銃撃を浴びせました。このため、前線を支え切れなくなった普軍大隊は正午頃、ボーヌの北西十字路(現・国道D29号線とD950号線の交差点)まで下がりました。

 この十字路には普軽砲第1中隊の一部がHライター騎兵の援護で前進して来ており、歩兵共々迫る仏軍に急射撃で応じますが、仏の散兵群は正に弾雨の中を突進し、十字路まで100mを切ったところまで接近しました。同時に仏軍左翼(西側)が片面包囲を狙って北東方向へ進んだため、午後12時半、十字路の普軍部隊は直線で東西に延びるセザール街道を東に向かう総退却を実施します。それまでに多くの砲手や馬匹を失っていた普軽砲第1中隊は、全ての砲を脱出させることが出来ず、普軍の去った十字路にはポツンと1門の4ポンド砲が残されていたのでした。

 それまでバチイイ方面を砲撃していたボーヌ西高地の普重砲第1中隊もまた銃弾を浴び始め、これは仏軍左翼が高地北方のラ・ピエール・ペルセ(ボーヌの北北西2キロ)に至ったからで、重砲中隊は軽砲中隊の二の舞を避けるためボーヌ市街の北へ退却するのです。


挿絵(By みてみん)

ボーヌ=ラ=ロランド 急ぎバリケードを作る普第16連隊将兵


 ボーヌの東側ではほぼ同時刻、仏軍右翼がボーヌ東高地上のレ・ロシュ(中心街から500m)に迫っていました。

 このため、第19師団長代理のE・ヴォイナ少将は東高地を守っていた第57連隊の2個(第2とF)大隊に対し、「レ・ロシュの陣地を放棄しラ・リュ・ブッシエ(ボーヌの北北東2.3キロ)まで後退せよ」と命じます。これは西側から北に回り込み始めてボーヌの完全包囲を狙う仏軍を威嚇する意味もありました。この後退を援護するためマルシリの西郊にいた普騎砲兵2個中隊は、ボーヌ北郊に留まっていた工兵第1中隊の援護を受けると、大隊長のケルバー少佐に率いられ敵との距離600mまで接近し、仏軍散兵群の脚を止める砲撃を行いました。やがてケルバー少佐らも第57連隊最後尾の小隊と共にラ・リュ・ブッシエへと去っていったのです。


 その頃、ボーヌ西高地では、仏軍がラ・ピエール・ペルセ付近で前進を中止し、防御に転換していました。

 これは突然、普騎兵第1師団が仏軍左翼側に現れたからで、この師団はボーヌで戦闘が開始されたことを知るとボワーヌ(ボーヌの北西7.8キロ)に緊急集合し、ここに第10軍団の伝令がフォークツ=レッツ将軍の救援要請を持って到着したために前進を開始、正午頃に仏第20軍団の右翼を視認することになる高台、ビュット・ドゥ・ロルムトー(「ロルムトーの小丘」。今も当時も耕作地。ル・ボワ・ドゥ・ラ・ルの北3キロ)に至ったものでした。

 この師団に属する野戦砲兵第1連隊・騎砲兵第1中隊は、普槍騎兵第4連隊の2個中隊に援護されてこの丘陵に先行し砲を敷いており、午後1時過ぎ、バチイイとアルコンヴィル(バチイイの北1.5キロ)の間で射程内に入って来た仏軍の縦隊を狙って砲撃を行いました。暫く後にこの騎砲兵中隊は南側へ陣地転換を行い、セザール街道上を東進する仏軍縦隊をも砲撃します。この小うるさい砲兵を排除するため、仏軍も歩兵の一隊が平坦な大地に小谷を刻むフォセ・デ・プレセ川(現・ルノワー川。バチイイから北東方向へ流れる小川)を辿って接近し、猛烈な射撃を浴びせて来ます。これに対して普軍胸甲騎兵2個(第2と第3)連隊が、泥濘深く馬が脚を取られる耕作地を横切って小川の歩兵に襲撃を掛けましたが、結局小川に散兵線を敷いた仏軍を駆逐することは出来ずに後退し、銃撃を浴びて危険となった普騎砲兵中隊もまたビュット・ドゥ・ロルムトーまで後退するのでした。


挿絵(By みてみん)

ボーヌ=ラ=ロランドの戦い 突撃する仏軍


※11月28日における普騎兵第1師団(当日師団本隊は騎兵14個中隊)

師団長 ユリウス・ハルトヴィッヒ・フリードリヒ・フォン・ハルトマン中将 

師団参謀 フォン・ザルダーン少佐

副官 男爵フォン・アイヒシュテット=ペータースヴァルト騎兵大尉/伯爵ツー・オイレンブルク少尉

◇騎兵第1旅団

 ヘルマン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・アレクサンダー・フォン・リューデリッツ少将

○胸甲騎兵第2「ポンメルン/国王」連隊

 エミール・カール・フリードリヒ・フォン・プフール大佐

○槍騎兵第4「ポンメルン第1」連隊(1個中隊欠) ヘルマン・ルドルフ・アガトン・フォン・ラデッケ中佐

(○槍騎兵第9連隊)

◇騎兵第2旅団 カール・アウグスト・フォン・バウムガルト少将

○胸甲騎兵第3「オストプロイセン/男爵ヴランゲル」連隊

 ヴィルヘルム・ジギスムント・デトレフ・フォン・ヴィンターフェルト大佐

○槍騎兵第8「オストプロイセン」連隊(1個中隊欠)

 カール・テオドール・フォン・ベロウ大佐

(○槍騎兵第12連隊)


○野戦砲兵第1「オストプロイセン」連隊・騎砲兵第1中隊 ゼーレ大尉

○第1軍団第3衛生隊1個分隊

○第2軍団糧食1個縦列の一部


*普第3軍団・第5師団に配属

○槍騎兵第12「リッタウエン」連隊 オットー・フォン・ローゼンベルク中佐

*普第3軍団・第6師団に配属

○槍騎兵第9「ポンメルン第2」連隊

 ゲオルグ・デメトリウス・フォン・クライスト中佐(疾病のため)代理 伯爵ゲオルグ・トマス・エマニュエル・フーゴ・フォン・ヴェンガースキー少佐

*ヌムール在

・槍騎兵第8連隊の1個中隊

*前哨任務に従事(ピティヴィエ付近に残留)

・槍騎兵第4連隊の1個中隊

 

 こうして朝から4時間以上に渡る激戦によって、仏第20軍団はボーヌの東西高地から普軍を駆逐し、準備のなった砲兵は全力でボーヌ市街を叩き始めます。

 この時、市街地では前述の通り普第16連隊が防御陣地に就いていました。

 マルス=ラ=トゥールやベルヴューの戦いで勇戦したヴェストファーレン州の兵士たちはハインリッヒ・ザンノウ中佐に率いられ、その第1,2中隊は市街北西面、第3中隊は市街西側隔壁の外にある墓地(現存)、第4中隊は南西面に、F大隊は市街南面一帯に、第2大隊は市街東面と市内に、それぞれ展開しています。

 この連隊の他に第57連隊の内、市街南西郊を護っていた2個(第5,7)中隊は本隊の去ったラ・リュ・ブッシエへ向かわずに部落内で暫く待機となっていましたが、市街の北西側、ラ・ピエール・ペルセ付近まで仏軍が進むと、普第38旅団長フォン・ヴェーデル少将はこの2個中隊を増援として墓地に送り、第16連隊の第6,12中隊に第11中隊の一部も西側前線に移動して戦い始めるのでした。


挿絵(By みてみん)

クルーザ軍団の砲兵たち


 午後1時になると、ボーヌ市街は北面と東面の一部を除いて仏第20軍団による半包囲状態となります。

 仏第20軍団の第1師団は間隔を詰めた散兵群を市街西の墓地とオルムへの道路を塞ぐバリケードに向け急進させますが、ここに構えた普第16連隊第1大隊は落ち着いて銃撃を繰り返して波状攻撃を凌ぎました。仏軍は次第に強引な突撃を繰り返すようになりますが、これも同様に粉砕されたためこの戦線では銃撃戦を行うだけになって行きます。しかし仏軍の砲撃は激しく、墓地の隔壁は諸処で破壊されて崩れ、市街地では数ヶ所に火災が発生しました。

 この砲撃が止むと仏軍は再び突撃を敢行し、これは激しい銃剣突撃を含むもので、数回に渡って反復されますが普軍将兵は冷静で前線を崩されることなく、十分に引きつけて放たれるドライゼ銃の銃弾は護国軍新兵を中心とする仏軍兵士を薙倒して行くのでした。

 しかし、普第16連隊の将兵はこの時、予備の弾薬を手元に持たず、携行する100発未満の銃弾だけで戦っていた(各中隊の弾薬補充車輌は午前中、戦闘が激しくなって来ると他の馬車と共に北方へ待避していました)ため、やがて各所で「弾切れ」が発生し始めました。


挿絵(By みてみん)

ボーヌ=ラ= ロランドを攻撃する仏マルシェ・ズアーブ第3連隊


 この危機に際し、ラ・リュ・ブッシエへ退き態勢を整えていた第57連隊諸中隊と、同地で砲弾と弾薬を補充した第38旅団と行動を共にしていた4個砲兵中隊は、同地に至ったE・ヴォイナ師団長によって集合させられ反撃に出ます。


 この時、普軍右翼(西)北側ではボーヌ西高地からロマンビル(ボーヌの北1.6キロ。ラ・ピエール・ペルセの東800m強)へ退いていた普第57連隊の3個(第1,4,6)中隊が、普騎兵第1師団の後退後、再び東進し始めた仏軍と激しい銃撃戦を行っていました。この状況を変えようと、ロマンビルの南で戦っていた同連隊の第3中隊がラ・ピエール・ペルセ付近の雑木林に向かいますが、仏軍から猛烈な銃撃を受けてしまい、攻撃は頓挫して中隊は付近の狭い塹壕に入ると銃撃により前進も後退も出来ず釘付け状態になってしまいました。


 ラ・リュ・ブッシエでは普第57連隊長「怖れを知らぬ」フォン・クラナッハ大佐(銃弾飛び交うマルス=ラ=トゥール北方で連隊の危機を救いました。「ヴェーデル旅団・死の谷」参照)はE・ヴォイナ将軍が集合させた部下6個(第2,8,9~12)中隊と工兵第1中隊を直率し、東西両側から十字砲火を浴びつつも突進して午後3時頃、遂に市街東高地南面と市街地東縁に辿り着きます。

 砲弾や弾薬の補充を終えた砲兵4個(重・軽砲第1と騎砲兵第1,3)中隊もセザール街道を越えてボーヌ北東郊外で急遽砲列を敷き、市街を包囲する仏軍に榴弾砲撃を開始しました。この内騎砲兵第3中隊は、オルムトル(マルシリの南720m)とモンターニュ風車場(ムーラン・ドゥ・ラ・モンターニュ。ボーヌの南東500m。フォンセリーヴの北西1キロ。現存しません)を拠点にレ・ロシュの高地に向けて再三突撃を敢行していた仏第20軍団第2師団右翼に対し砲撃を繰り返してその意図を挫き、他の3個砲兵中隊は西へ砲口を向けてバチイイからオルムへ向けて同様に突撃を繰り返す仏第20軍団左翼の動きを止めました。


 普第57連隊の第3中隊は前述通りラ・ピエール・ペルセ付近の雑木林直前で「釘付け」になっていましたが、中隊長のゾースト大尉はこの砲撃で仏軍の銃撃が弱まり、墓地から同連隊第5と第7中隊の各1個小隊が応援に駆け付けると、合計5個小隊(この頃の普軍野戦中隊は定数3個小隊です)で再びラ・ピエール・ペルセの雑木林へ突撃し、今度は林の北角に取り付くことに成功します。しかし、林の中には数倍する仏護国軍兵がいて激しい白兵戦に発展し、ゾースト隊はあわや殲滅されるか、と思われました。ところがここで突然進軍ラッパと太鼓の連打が鳴り響き、普軍の新たな部隊が「北から」現れたのです。


挿絵(By みてみん)

ボーヌ=ラ= ロランド戦場図


☆ 普第3軍団の参戦


 普第38旅団が予備もなく戦い続け、普第10軍団残りの2個旅団もロンクールの南面で身動き出来ずにいる中、軍団長フォン・フォークツ=レッツ将軍が午前中に発していた救援要請はようやく効果を著すことになります。


 普第5師団は独第二軍司令カール王子の命令により「普第10軍団に万一のことがあった場合」介入するため、28日早朝ダドンヴィル(ピティヴィエの南南東2キロ)周辺に集合を終え、普第6師団は第3軍団砲兵隊と共にピティヴィエ周辺に集合しました。

 この時、在ピティヴィエの普第3軍団本営は「ボーヌ付近で戦闘が始まった」(ボーヌとピティヴィエ間は直線距離で17キロ強)との情報を得ていましたが、「フォークツ=レッツ将軍の軍勢だけで対応可能なはずで憂慮することはない」(第3軍団と第10軍団はマルス=ラ=トゥール戦でも一緒に戦っています)と信じ、行軍準備を始めていた軍団砲兵隊も装備を解き、再び宿営を始めるのでした。

 ところが、正午になるとコンスタンティン・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将(以降C・アルヴェンスレーヴェン将軍)の下に第10軍団苦戦の報告が届き始め、同時に南東方向から聞こえていた砲声も一段と激しさを増して来たため、「仏軍は本格的に第10軍団を攻撃しているに違いない」と判断を改めます。

 これでC・アルヴェンスレーヴェン将軍は麾下に「まずはボワーヌ(ピティヴィエの南東9.7キロ)へ行軍せよ」と命じますが、この頃、既に普第5師団長代理、クルト・ルートヴィヒ・アーダルベルト・フォン・シュヴェリーン少将は独断でボーヌへの街道(現・国道D950号線)を部下と共に行軍中で、その途上、軍団長命令を受領し「事後承諾」としています。


 この頃、カール王子は幕僚と共にボワーヌ南郊外の風車場(ラ・ミ=ヴォワ)高地に騎行して南方の戦場(バチイイまで4.5キロほど)を観察していましたが、午後2時となると「第5師団と騎兵第1師団は更に南方まで前進せよ」との命令を発しました。同時に普第6師団と第3軍団砲兵の騎砲兵2個中隊もボワーヌに向けて出立します。

 この第6師団の内、普第24連隊第2大隊は第5師団がダドンヴィルに進む前に前哨として同地に進んでいましたが、軍団長命令でクールセル(ボワーヌの南西4キロ)に向けて前進し、ここに進んでいた仏カトリノー大佐の義勇兵集団(仏第15軍団のエクレール1個中隊も同行していました)を監視しましたが、大佐の義勇兵は部落から動くことはなく、監視の普軍大隊も攻撃されることはありませんでした。


挿絵(By みてみん)

カトリノー


 南進命令を受けた普第5師団は、騎兵師団の控えるバルヴィル(=アン=ガティネ。ボワーヌの東南東3.5キロ)の南郊外からビュット・ドゥ・ロルムトーの丘北側まで進むと、前衛の普第52連隊は丘の南側へ、普猟兵第3大隊はアルコンヴィル方向へ更に前進して仏軍と相対し、師団砲兵の3個砲兵中隊は第12連隊と一緒に続行しました。


※11月28日午後の普第5師団戦闘序列


○ 師団前衛 オットー・ゲオルグ・フォン・ヴルフェン大佐

・第52連隊(2個中隊欠)

・猟兵第3大隊

・竜騎兵第12連隊

・野戦砲兵第3連隊軽砲第1中隊

○ 師団本隊 フォン・シュヴェリーン少将

・擲弾兵第12連隊(1個中隊欠)

・擲弾兵第8連隊(1個中隊欠)

・第48連隊(2個中隊欠)

・槍騎兵第12連隊(2個中隊欠)

・野戦歩兵第3連隊軽砲第2、重砲第1,2中隊

・第3軍団工兵第2中隊


*前哨任務に従事(ピティヴィエ付近に残留)

・第48連隊第6,8中隊

・第52連隊第1,2中隊

・槍騎兵第12連隊の2個中隊

*ピティヴィエ守備

・擲弾兵第8連隊第8中隊

*ヌムール守備

・擲弾兵第12連隊第8中隊


 この時、普第5師団前衛の猟兵第3大隊は、仏第20軍団の第1師団が構えるアルコンヴィルの北東郊外にあった低木の茂る小丘に向かって突進し、この丘にいた仏軍前哨を駆逐するとアルコンヴィルやバチイイの仏軍相手に銃撃戦を開始しました。午後4時30分になると普野戦砲兵第3連隊の重砲第2中隊と騎砲兵第1,3中隊も普第48連隊第5,7中隊の護衛で猟兵大隊の後方ビュット・ドゥ・ロルムトーの南縁に進み、この砲兵と歩兵たちは焦る仏軍が繰り出す場当たり的な突撃を近距離からの正確な銃砲撃により次々と撃退するのでした。

 この間、普野戦砲兵第3連隊の軽砲第1中隊と騎兵第1師団の騎砲兵第1中隊はビュット・ドゥ・ロルムトー東側のボーヌへの街道(現・D950号線)脇で砲を敷き、ボーヌの西側で墓地やオルムのバリケードを攻撃する仏軍を砲撃、その後方から第5師団本隊の砲兵残り2個(重砲第1、軽砲第2)中隊が同地に到着すると、マルス=ラ=トゥール戦のゴルズ高地でも奮戦した軽砲第1中隊長ステファジウス大尉は部下と共に友軍の散兵線を越え、フォセ・デ・プレセ(ルノワー)川に架かる橋の北詰に進みます。すると他の中隊も同調して橋まで進み砲列を敷いたのです。

 ステファジウス大尉らが砲撃を開始する中、ラ・ピエール・ペルセ部落とその東の小林に対しては、第52連隊のF大隊が砲兵に負けじと川を越えて突進し、これに小林で戦うゾースト大尉ら第57連隊の諸隊が同期して小林と部落から仏兵を駆逐したのでした。

 仏兵の去った部落には、4時間前に部落の南800mにある十字路付近で鹵獲されていた第10軍団のクルップ4ポンド野砲が遺棄されていたのです。


 この街道の西では、フォン・ヴルフェン大佐が率いる第52連隊の残部6個(第3~8)中隊がル・ボワ・ドゥ・ラ・ル目指して進撃を開始し、この小部落にはラ・ピエール・ペルセから撤退した仏第20軍団第1師団の諸隊が収容されていましたが、形ばかりの抵抗をした後、バチイイへ引き上げて行きました。

 前衛への増援として進んだ普擲弾兵第12連隊は、ボーヌの南西側を包囲していた仏第20軍団第2師団の退却を護る後衛を攻撃し、これを駆逐しました。仏第20軍団を率いるクルーザ将軍は、戦意を失って引き上げに掛かる部下たちを引き留め、今一度ボーヌ南西側への突撃を敢行させます。しかしこれも第16連隊と墓地の傍らに進んだ第10軍団の騎砲兵第1中隊の銃砲火によって失敗に終わったのでした。


挿絵(By みてみん)

後退する仏軍


 フォン・シュヴェリーン将軍率いる普第5師団本隊、第10旅団の両F大隊(擲弾兵第8、第48連隊)は、完全に後退局面となった仏軍を追撃してモンバロワとジャリゾワ(ボーヌの南1キロ)まで進み、ボーヌの東西に砲を敷く8個中隊*は退却する仏軍各縦列に対し榴弾を放ちました。しかし、騎兵については地形が追撃に不向きだったことと、既に曇天の夜に入ったため闇の中で進むことが適わず、歩兵共々追撃を諦めたのでした。


※ボーヌの戦闘終局におけるボーヌ市街近郊の普軍砲兵

○ボーヌ東側(野戦砲兵第10連隊)

・軽砲第1中隊

・重砲第1中隊

・騎砲兵第1中隊

・騎砲兵第3中隊

○ボーヌ西側(野戦砲兵第3連隊)

・軽砲第2中隊

・重砲第1中隊

・野戦砲兵第1連隊騎砲兵第1中隊(騎兵第1師団砲兵)

・軽砲第1中隊

※この他にビュット・ドゥ・ロルムトーの南に、野戦砲兵第3連隊の騎砲兵第3、同第1、同重砲第2中隊が砲列を敷き、アルコンヴィルやバチイイ方面を砲撃しています。


 戦闘がすべて終了した後、普第10軍団はボーヌとその周辺に第38旅団諸隊が、ロンクール周辺に第37と39旅団がそれぞれ宿・野営し、普第5師団はラ・ピエール・ペルセとマルシリ周辺に、普第6師団はボワーヌの周辺にそれぞれ野営、普騎兵第1師団はボワーヌ市街に宿営し、普第10軍団右翼(西)側の前哨線はバチイイやアルコンヴィルからムソー(ボワーヌの南西2キロ)まで延伸するのでした。


 28日早朝。普第3軍団が東進したため守備範囲を東へ延長した独第9軍団は、第50「H第2」旅団と普騎兵第4旅団(普騎兵第2師団)をバゾッシュ=レ=ガルランド(トゥーリーの東南東8.7キロ)へ進ませました。そのオルレアン大森林に対面する前哨線は、オワゾンからフラピュイ(それぞれバゾッシュ=レ=ガルランドの南西6.1キロ、東南東9.5キロ)までおよそ14キロに渡って展開されますが、普第3軍団がボーヌ方面へ進撃したため、更に東、ボワーヌに近いリマルド川(ボーヌの南西11キロ付近を源泉に北へ流れピティヴィエの東9キロ付近でルフ川と合流しエソンヌ川となる河川)の河畔まで延長されました。


 仏軍はボーヌでの戦闘終了後の夜間、仏第18軍団がヴヌイユ、ジュランヴィル、メジエール(=アン=ガティネ)付近の前線にそれぞれ野営し、仏第20軍団はベルガルド、ボワコマン付近にあった元の野営陣地に戻りました。

 カトリノー大佐の義勇兵集団は結局この28日に行動することはなく、夕刻クールセルを撤退して南側のオルレアン大森林に消えて行ったのです。


 「ボーヌ=ラ=ロランドの戦い」では28日午前から午後2時まで独側が戦闘要員11,000名・砲70門で戦い、仏側は戦闘要員およそ60,000名・砲138門で終始戦いました。

 仏側の損害は死傷がおよそ1,300名と言われていますが、無傷な者に限っても捕虜をおよそ1,800名出しました。

 この戦いにおける独側は損害およそ900名。以下、詳細となります。


○第3軍団

戦死・士官1名/下士官兵20名/馬匹11頭 負傷・士官2名(内軍医1名)/下士官兵96名/馬匹1頭 

○第9軍団(第10軍団に配属されたHライター騎兵)

戦死・馬匹4頭 負傷・下士官兵3名/馬匹6頭 

○第10軍団

戦死・士官6名/下士官兵151名/馬匹75頭 負傷・士官24名/下士官兵470名/馬匹67頭 行方不明(捕虜)・士官4名(内軍医1名)/下士官兵93名/馬匹1頭

○騎兵第1師団

戦死・下士官兵1名/馬匹5頭 負傷・士官3名/下士官兵14名/馬匹29頭 

○総計 戦死・士官7名/下士官兵172名/馬匹95頭 負傷・士官28名(内軍医1名)/下士官兵593名/馬匹103頭 行方不明(捕虜)・士官4名(内軍医1名)/下士官兵93名/馬匹1頭


挿絵(By みてみん)

マルシェ・ズアーブの散兵線


 さて、仏側戦死者にはマルシェ・ズアーブ第3連隊に所属し、ボーヌに向かって散兵展開中に2発のドライゼ銃弾を受け戦死した南仏モンペリエ出身の志願兵が含まれています。彼の名はフレデリック・バジール。西洋美術に詳しい方ならお察しの通り印象派初期の画家で当時28歳。バジールは普仏開戦当時帰省中で、愛国心に駆られた彼は政府の志願兵募集に応じたのです。

 バジールはこの70年当時、既にパリのサロンでも入選し知名度も上昇中の注目される画家の一人で、モネやマネ、セザンヌとも親交があり、マネの代表作「草上の昼食」ではモデルになっています。その生涯作品数は70点余りと少なく、戦争さえなければ更に傑作を生み出しもっと高名な画家になっていたと思われます。

 12月。彼の父フランソワ・ガストンは積雪の戦地を訪れ、独軍の占領下戦場をくまなく探し回り、遂に息子の遺体を発見すると故郷に連れ帰っています。


挿絵(By みてみん)

フレデリック・バジール(と言われている写真。出征時の姿)


挿絵(By みてみん)

フレデリック・バジール「家族の集い」1867-68年

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