ソーの戦い/プティ・ビセートルの戦闘
普第5軍団長フーゴ・エヴァルト・フォン・キルヒバッハ歩兵大将は18日夜、翌19日の行動計画を以下のように定め、麾下各隊に通達しました。
「第10師団は午前6時にパレゾー(アントニーの南南西6.3キロ)を発ってジュイ(=アン=ジョザ。同西9.8キロ)経由でヴェルサイユへ行軍せよ。第9師団は午前7時にビエーブルを発ってシュブルーズ部落南にある宿屋、ロテル・デュ(ビエーブルの西南西14.1キロ。現存)を経由してヴェルサイユへ行軍せよ」
これを受けた普第9師団長カール・グスタフ・フォン・ザントラルト少将は、18日にプティ・ビセートルとルー・パンデュの林周辺で仏軍と対峙していた第47「ニーダーシュレジエン第2」連隊を右翼側警戒として残し前進することにしました。
しかし普軍が行軍に移る前、仏軍は積極的に攻勢を仕掛けて来たのです。
第47連隊の前哨たちはこの18日夜間、数百m離れた敵方から物音が度々するのを聞いており、仏軍前哨はまた、度々普軍前哨に銃撃を浴びせ、ル・プレシ・ピケ方面から数度に渡って襲撃を企てます。これを凌いだ普軍前哨は警戒を緩めずに黎明を迎えますが、この早朝、濃霧の中から仏軍の集団がプティ・ビセートル農家に突撃を敢行して来たのでした。
前夜(18日深夜)、独軍によってムードンの森に南面するビラクブレーの高地を奪われた仏軍のデュクロ将軍は、ヴェルサイユへ向かうはずの独軍を翌朝シャティオン~ムードン方面より奇襲することに決します。
将軍は夜間に麾下へ伝令を送り、これによってルイ・ブション・ドゥ・コーサード少将の第14軍団第1師団はムードンの森からビラクブレーへ、デューグ少将の同軍団第2師団はパブ・ブラン(プティ・ビセートルの北東700m付近にあったレンガ工場を含む小部落)を越えてプティ・ビセートルへ、ベルニ准将の独立騎兵旅団と第14軍団砲兵はこの両師団の間を進むよう命じられるのでした。
デュクロ将軍は更に、右翼(西)警戒のためズアーブ=マルシェ連隊(大隊規模です)をムードンから再びグランジュ・ダム・ローズの農家へ進め、バニュー付近に待機しているドゥ・モーション少将の第3師団には、そのマルシェ第26連隊をドゥ・ラ・トゥール風車場(クラマールの南東1キロ)付近にある工事中のシャティヨン小堡塁へ進むよう命じます。
このシャティヨン小堡には当時12ポンド野戦重砲8門が配置され、その南700m付近の高地台上にあった電信所の脇に設えた砲台には、同じ重砲4門が配置されていました。
コーサード
仏軍デューグ師団の戦闘縦列は午前6時45分、前述通り濃霧の中を南下して普第18旅団の前哨と衝突します。
これに先立ち仏軍は、トレヴォー農場付近からプティ・ビセートルとヴェリエールの森縁に掛けて猛烈な準備砲撃を行い、ビラクブレー付近を北上しようとしていた普騎兵第2師団の先遣、驃騎兵第1「親衛(ライブ)第1」連隊第2中隊は殺到する仏コーサード師団前衛の散兵集団により部落の南郊外まで撃退されてしまいました。
普第47連隊の各大隊は、前哨からの至急報で仏軍大部隊の接近を知ると武器を取り、砲声を聞くと同時に野営を捨てて素早く前線に駆けつけます。
第47連隊と行動を共にしていた第18旅団長のカール・フェルディナンド・ヴィリアム・フォン・フォークツ=レッツ少将は、不利に立たされたプティ・ビセートルの第1大隊を救うため、第2大隊に直接プティ・ビセートルを抜けて西側へ走るヴェルサイユ街道(現自動車道A86号線のインターチェンジ付近)まで進むよう命じました。同連隊F大隊はフォン・フロトウ連隊長が命じてマラブリを発して敵に向け突進し、周囲にあった騎兵たち(竜騎兵第4連隊の半個中隊に驃騎兵第1連隊の第2中隊)は西方から仏軍に側面を突かれぬようビラクブレーの南(現・ビラクブレー空軍基地北辺)で待機するのでした。
一方、普第9師団砲兵の軽砲第1中隊はプティ・ビセートルの西側高地斜面に砲列を敷きますが、先手を取った仏軍砲兵により猛烈な榴弾砲撃を受け、砲撃戦で半数(3門)の4ポンド砲が使用出来なくなるという大きな損害を受けてしまいました。
前線からの激しい砲声を聞き及んだ第9師団長フォン・ザントラルト少将は、直ちに軽砲第2中隊をプティ・ビセートルへ送ります。この砲兵中隊はちょうどプティ・ビセートルの攻防が最高潮に達した頃に前線へ突入し、猛烈な銃砲撃を加えられながらも襲い来る仏軍歩兵に榴散弾や榴弾砲撃を繰り返し、軽砲第1中隊が後退する機会を与えるのでした。
午前7時になると仏コーサード師団左翼はトレヴォー農場から一気に南下してラ・ガレンヌの林に達しますが、この南面に陣取った普第47連隊第2大隊は頑強に抵抗して銃撃戦を行い、やがて仏軍はラ・ガレンヌの林確保を諦め後退しました。ところが、その東側のパブ・ブランからプティ・ビセートルに迫る仏デューグ師団は、農家の東側に展開した普第47連隊第3中隊(第1大隊部隊)からの猛銃撃を冒してプティ・ビセートルの東側を通過し、ヴァリエールの森へ突入しました。
これにより包囲の危険に陥った第1大隊各隊は、既に仏軍砲撃により炎上していたプティ・ビセートルから後退して行きます。
第3中隊はこの仏軍部隊を、東側から攻撃する同連隊F大隊と挟み撃ちにして一時進撃を止めさせますが、この時はヴァルサイユに至る街道や農家を奪還する事は出来ませんでした。
こうしてプティ・ビセートルは陥落しますが、普軍第3中隊のみは中隊長フォン・トレスコウ少尉と共に一軒農家の東側に走る下水溝を散兵壕代わりとして孤立しつつも銃撃戦を続行し、一歩も後退することはなかったのです。
B第2軍団長、男爵ヤコブ・フォン・ハルトマン歩兵大将は18日夜、麾下に翌19日の行軍命令を発し、それによればB第3師団のB第6旅団(シャロン市防衛のB第15連隊第3大隊が欠)はB軽(シュヴォーレゼー)騎兵第5連隊に砲兵2個中隊を加えて前衛支隊となり、宿営したロンジュモーからビエーブルを経由してプティ・ビセートルまで前進し、B第5旅団を中心とする師団の残りは、同じくヴィスーからポン=ダントリー(アントニーの東側、街道沿いの衛星部落)を経由してソーへ達すると共に北方の分派堡塁近辺まで前哨を派遣することとされ、また、B第4師団とB槍騎兵旅団はその後方、ポン=ダントリーとフレンヌ周辺で待機するよう命令されました。
明けて19日早朝、セダン会戦のバラン攻防で活躍したB第3師団はそれぞれの宿営を発し、午前7時、左(南)翼を行くB第6旅団がイニーに達しようかという頃合いで、マッシーからモン・クラン(ビエーブルの北西1.8キロ。現在は乗馬クラブとなっています)に向かって行軍する普第17旅団と邂逅しました。この地で北方より猛烈な銃砲撃音が聞こえ始め、旅団長ボリス・フォン・ヴィッセル大佐の病気により代わってB第6旅団の指揮を執るB第14連隊長フーゴ・フォン・ディール大佐は、前線から援軍要請でやって来た普軍の連絡士官を掴まえて前線の状況を知ると、独断により「前衛支隊はアベイ=オー=ボワ教会(ビエーブルの北東1.5キロ。現存せず空き地になっています)周辺に集合後、直ちにプティ・ビセートルへ突進する」と決したのでした。
B軍前衛の先鋒となったB猟兵第3大隊がいち早くアベイ=オー=ボワに達すると、大隊長の男爵マクシミリアン・フォン・ホルン中佐は第1中隊を後方予備としてこの地に留め、第4中隊を西側のループ・パンデュの林に進ませて西方を警戒させるや直率する残り2個(第2,3)中隊でヴァリエールの森に進入し北上、午前9時過ぎ、森の北辺で戦闘する普第47連隊の2個(第1、F)大隊と協力して仏デューグ師団と猛烈な銃撃戦を展開しました。
この時、B猟兵たちはホルン中佐を先頭に鬨の声を上げて仏軍前線へ突撃し、突然現れたこの敵に動揺した仏軍は雪崩を打って後退を始め、独軍はこれをパブ・ブランまで退却させることに成功するのです。
パブ・ブランにはデューグ師団の後衛がおり、仏軍はここで踏み留まりました。ロイス大尉が率いるB第8・6ポンド砲中隊*は、燃え盛るプティ・ビセートルを抜けて後退する仏軍を追い、大胆にもパブ・ブランから450mまで接近すると砲列を敷きます。同じくB第3・4ポンド砲中隊も普軍の2個(軽砲第1,2)中隊の右(東)翼前方に出て砲列を敷き、直ちに砲撃を開始しました。
※クドいようですが、バイエルン王国軍は普軍砲兵の編成に合わせて野戦砲兵を重砲(6ポンド砲装備)と軽砲(4ポンド砲装備)とに分けて中隊を編成していますが、呼び方は重砲中隊が「6ポンド砲中隊」軽砲中隊が「4ポンド砲中隊」となります。
ホルン中佐の猟兵を追ってB第6旅団歩兵も続々と前線へ到着し、B第14連隊第1大隊はマラブリ~プティ・ビセートル間のヴァリエールの森北縁を占領し、同連隊の第2大隊は、ほとんど焼け落ちた一軒農家、プティ・ビセートルを再占領します。B第14連隊の後方からはB第15連隊の2個(第1、2)大隊も到着し、軽騎兵第5連隊は前線が落ち着くまでアベイ=オー=ボワ教会周辺で待機となりました。
普第9師団のフォン・ザントラルト将軍も第18旅団残部に前進を命じ、擲弾兵第7連隊と猟兵第5大隊、竜騎兵2個中隊、第9師団砲兵の重砲2個(第1,2)中隊はモン・クランを経てビラクブレーに進みます。重砲2個中隊はビラクブレー小部落の東西に砲列を敷き、第7連隊の前哨は広大なムードンの森西部にまで散兵線を敷くのでした。
昨日からの激しい攻防で弾薬を撃ち尽くした普第47連隊の第1大隊とF大隊は、B軍旅団が進出したことで前線を離脱することが出来、プティ・ビセートル周辺に2個中隊を残すと残りは全てビラクブレー郊外へ向かいました。同時刻、師団の後衛となった普第17旅団もモン・クランへ進出するのです。
この独軍の前線進出直前(午前8時半頃)、仏軍はラ・ガレンヌの林からヴァリエールの森に掛けて一斉攻撃を企て、前述の通りB第6旅団や普第47連隊と衝突しました。
この時、トラヴォー農場の南側に進んだ仏軍野砲は50門となり、この援護射撃により後方からはデューグ師団のマルシェ第19連隊がパブ・ブランを越えてヴァリエールの森へ進みます。
その右翼(西)側ではコーサード師団の第2(クロード=マルタン・ルコント准将)旅団がムードンの森から進出、その後方にマルシェ第16連隊(師団第1旅団)を留めて予備とすると、ルコント准将旅団のマルシェ第17、同第18連隊はラ・ガレンヌの林に突撃を敢行しました。
しかし、ヴァリエールの森へ向かったマルシェ第19連隊は一時森の縁を確保するものの、前線に到着したばかりのB猟兵第3大隊の第2,3中隊から突然に猛銃撃を浴び、マラブリから進んだ普第47連隊F大隊から受ける「圧力」も次第に強まって、マルシェ第19連隊はパブ・ブランへ退却せざるを得ませんでした。
ラ・ガレンヌの林に進んだルコント旅団も、林に散兵線を敷く普第47連隊第2大隊とブラクブレー方面に到着した普擲弾兵第7連隊から激しい十字砲火を浴びて損害が続出、直ぐ背後の仏軍砲列で督戦するデュクロ将軍の望み空しく攻撃は頓挫するのでした。
同じく反撃に転じた普軍砲兵の放つ榴弾砲撃を受けた、トレヴォー農場付近に進んでいたズアーブ=マルシェ連隊の一部隊も潰走してしまい、その多くがパリ市内へ逃げ込むと言う体たらくでした。
プティ・ビセートルの戦い
これで「半月前の屈辱」を晴らしたかったデュクロ将軍(しかも相手は「セダン」だけでなく「ヴァイセンヌ」や「ヴルト」でも苦杯を嘗めさせられた普第5軍団にB第2軍団です)も諦め、前線の部隊(マルシェ第17、18、19連隊)を攻撃前の線にまで引き上げさせました。
この一斉後退の援護はトレヴォー農場南面の砲兵列と付近で待機していた騎兵が行い、同時に戦線左(東)翼で頑張るマルシェ第15連隊には、戦線を突破されぬよう「ル・プレシ・ピケを死守せよ」と命じます。
後退命令を受けたコーサード、デューグ両師団主力と軍団砲兵たちはパブ・ブランとトレヴォー農場に僅かばかりの後衛を残置すると、一気にクラマールやフォントネー=オー=ローズへ敗走したのでした。
仏軍の後退を見た独軍砲兵(B第6旅団支隊のB第8・6ポンド砲、B第3・4ポンド砲両中隊に普第18旅団支隊の重砲第2、軽砲第1,2の3個中隊)はプティ・ビセートルからラ・ガレンヌの林との間に砲を並べ盛んに仏軍を砲撃し、ここにビラクブレーから普第9師団の重砲第1中隊が加入して、追撃を始めた独軍歩兵を援護するのです。
反撃に転じた独軍の右翼(東側)は仏軍後衛が必死で弾幕を張るパブ・ブランのレンガ工場に突撃しました。
この時、B第15連隊の両翼(第1,4)中隊は第一線となっていたB第14連隊の戦線を通過して最前線に躍り出、この強力な突撃でレンガ工場に籠もっていた仏軍後衛は大損害を被り、一気に東側のル・プレシ・ピケまで後退します。
ル・プレシ・ピケには当時地主貴族の城館があり、この樹木が多く隔壁に囲まれた広い庭園に仏マルシェ第15連隊主力が布陣していました。このため、パブ・ブランから後退する仏軍を追撃したB軍部隊(B猟兵第3大隊第2中隊、B第14連隊第2中隊)は城園の間近で停止し、散兵線を築きました。
ル・プレシ・ピケの城館
午前10時になると、ル・プレシの仏軍はミトライユーズ砲中隊による準備射撃の後、パブ・ブランを奪還するべく出撃しました。しかしこの攻撃はパブ・ブランのレンガ工場を中心に構えたB第14連隊第1大隊(第2中隊除く)とB6ポンド砲第8中隊の猛烈な銃砲撃で挫折、仏軍はたまらずル・プレシの城園へ引き返したのでした。
こうして午前10時過ぎには仏軍はムードンの森南縁のトレヴォー農場以北とル・プレシ・ピケを最前線として独軍と対峙し、独軍は焼け落ちてくすぶるプティ・ビセートルとラ・ガレンヌの林、その東側のパブ・ブランを最前線とします。
B第6旅団長代理のフォン・ディール大佐は、「ル・プレシ・ピケの敵が前線右翼側に突出し脅威を与えている」と認識し、部下諸隊を北東~東方向に転向させ、ル・プレシと正対させました。これによりB第15連隊(第1、2大隊のみ)はヴァリエールの森北東端となるマラブリ付近に布陣し、B第14連隊第2大隊と第1,4中隊はパブ・ブランのレンガ工場とその南に、同連隊残余(3個中隊)と軽騎兵2個中隊はマラブリ~プティ・ビセートル間のヴェルサイユ街道(現国道D986線)に沿って展開しました。同じくB猟兵第3大隊(第2,3中隊のみ)はプティ・ビセートルに集合し、激しい戦いの疲労を少しでも癒そうとしていました。
この独軍戦線左翼(プティ・ビセートル以西)では、普第47連隊第2大隊の2個中隊とループ・パンデュの林に進んでいたB猟兵第3大隊の第4中隊が後退する仏コーサード師団を追ってポルト・ドゥ・ヴァリエール農場(ムードンの森南端、ダム・ローズとトレヴォー農場の中間付近)付近に到達していました。
普擲弾兵第7連隊第1大隊は仏後衛を撃退しつつその北側のムードンの森「突出部」を占領し、仏軍後衛が撤退したトレヴォー農場には同大隊の第3中隊が先遣され農場を占領しました。
同連隊F大隊は更に北上してムードンの森に入り、広い公園道路で戦意喪失し佇んでいた多くのズアーブ兵を捕虜とします。同大隊はそのまま整備された森の公園道路を北へ進み、ムードン部落に正対し布陣します。
同連隊第2,4中隊は森を東へ進んで捜索を続け、第7連隊残りの部隊は普第47連隊第2大隊や普猟兵第5大隊と共にトレヴォー農場とムードンの森との間に集合しました。
ビラクブレー周辺では前線から引き上げた第47連隊の6個中隊が集合し、普第17旅団もモン・クランからこの地へ前進して来ました。
パレゾーからヴェルサイユ目指し行軍中だった普第10師団は、途中キルヒバッハ軍団長の命令で北向し、同じくビラクブレーの南と西へ進みました。
精力的なキルヒバッハ大将は第10師団と共に行軍中だった軍団砲兵6個中隊を直率すると師団に先行して戦場へ急行し、午前9時にはブラクブレーに到着していました。将軍はここで軍団砲兵に対し、パブ・ブラン~トレヴォー農場間に形成されつつあった砲列に加わるよう命じ、敗走する仏軍を砲撃中の砲列に暫時加わったのでした。
この砲列援護のため、敵に近い右翼(南)側に普竜騎兵第4連隊主力、普驃騎兵第1連隊第2中隊、B軽騎兵第5連隊残りの2個中隊が控えていました。
※午前10時におけるパブ・ブラン~トレヴォー農場間の独軍砲列
左翼(北側)から順に
・騎砲兵第2中隊(第5軍団砲兵)
・軽砲第3中隊(第5軍団砲兵)
・重砲第1中隊(第9師団砲兵)
・騎砲兵第3中隊(第5軍団砲兵)
・重砲第2中隊(第9師団砲兵)
・軽砲第2中隊(第9師団砲兵)
・軽砲第1中隊(第9師団砲兵)
・B6ポンド砲第8中隊(B砲兵第4連隊)
・B4ポンド砲第3中隊(B砲兵第4連隊)
なお、第5軍団砲兵残りの3個(重砲第3,4、軽砲第4)中隊は追撃の砲撃が収まるまで混乱を避け砲列後(西)方に待機しています。
このように、午前11時となると、プティ・ビセートル周辺で独軍と戦うのはシャティヨン小堡の12ポンド重砲のみとなり、この地方は元よりこの日の目標としていたB軍に任せることとなります。
キルヒバッハ将軍は麾下第5軍団の諸隊を率いて正午頃ムードンの森~ビラクブレー周辺から出立し、再度西方ヴェルサイユを目指しました。
この際にル・プレシ・ピケの仏軍と対峙するB第6旅団のフォン・ディール大佐は、キルヒバッハ将軍に「お願い」をし、将軍は第18旅団(擲弾兵第7連隊、第47連隊)と竜騎兵第4連隊の2個中隊、砲兵2個中隊をビラクブレーに残置するのです。
19日正午直前の時点で、仏軍がシャティヨン南方の高地に確保する拠点はル・プレシ・ピケの小部落と城館庭園、そして未完のシャティヨン小堡だけになりました。そして仏軍がここを喪失してしまうと、ビエーブル川以西のパリ南方分派堡塁群が独軍により指呼に見下ろされる形となってしまい、デュクロ将軍としても高地を完全に独軍支配下へ明け渡したくはないところでした。
この19日正午の時点でル・プレシ・ピケには仏マルシェ第15連隊が、シャティヨン小堡には同第26連隊が籠もり、これを援護する砲兵は、ライット砲の野戦砲兵3個中隊と騎砲兵2個中隊、そしてミトライユーズ砲1個中隊が小堡塁の斜堤上や右翼側の胸郭に砲を並べ、仏第14軍団残りの砲兵6個中隊は小堡の700m南方、電信所のある高地突端に集中して砲列を敷いていました。
ビラブクレーからシャティヨンまでの高地を巡る攻防の焦点は、午後に入ってル・プレシ・ピケとシャティヨン小堡の攻防に移るのです。
街角を行く仏軍歩兵
◎仏第14軍団
軍団長 男爵ピエール・イッポリート・プブリウス・ルノー中将
参謀長 アペール准将
砲兵部長 アンドレ・デニス・アルフレッド・ボアッソネ少将
工兵部長 コルバン大佐
☆第1師団 ジャン・ジェラール・ルイ・ブション・ドゥ・コーサード少将
〇第1旅団 ジュール=マリエ・ラドリ・ドゥ・ラ・シャリエール准将
・マルシェ第15連隊 ベネデッテイ中佐
・マルシェ第16連隊 ガドゥエル中佐
・猟兵2個中隊(猟兵第3及び第4大隊の補充中隊)
〇第2旅団 クロード=マルタン・ルコント准将
・マルシェ第17連隊 セルマンサン中佐
・マルシェ第18連隊 ボーフォール中佐
〇師団砲兵隊
・砲兵第6連隊第17中隊(砲6門)
・砲兵第7連隊第17中隊(砲6門)
〇工兵第2連隊第16中隊第1分隊
☆第2師団 デューグ少将
〇第1旅団 ボッシャー准将
・マルシェ第19連隊 コラッソウ中佐
・マルシェ第20連隊 ニール中佐
・猟兵2個中隊(猟兵第6及び第9大隊の補充中隊)
〇第2旅団 フランソワ・ジュスタン・パテュレル准将
・マルシェ第21連隊 ドゥ・ヴァンダイユ中佐
・マルシェ第22連隊 バルベ中佐
〇師団砲兵隊
・砲兵第8連隊第17中隊(砲6門)
・砲兵第13連隊第17中隊(砲6門)
〇工兵第2連隊第16中隊第2分隊
☆第3師団 エルンスト・ルイ・マリエ・ドゥ・モーション少将
〇第1旅団 ブノワ准将
・マルシェ第23連隊 ドゥピィ・ドゥ・ポディオ中佐
・マルシェ第24連隊 サンギネッティ中佐
・猟兵2個中隊(猟兵第12及び第14大隊の補充中隊)
〇第2旅団 アンリ・クルティ准将
・マルシェ第25連隊 ジョルダン中佐
・マルシェ第26連隊 ルセルフ中佐
〇師団砲兵隊
・砲兵第9連隊第17中隊(砲6門)
・砲兵第12連隊第17中隊(砲6門)
〇工兵第3連隊第16中隊第1分隊
☆軍団砲兵隊 ヴィリエ中佐
・砲兵第4連隊第17中隊(砲6門)
・砲兵第11連隊第17中隊(砲6門)
・砲兵第3連隊第17,混成第8中隊(砲12門)
・砲兵第18連隊混成第13中隊(砲6門)
・砲兵第19連隊混成第13中隊(砲6門)
☆集成騎兵師団 伯爵クリエイション・ドゥ・ギュスタフ・コスト・ドゥ・シャンペロン少将
〇第1旅団 シャルル・ムシュトン・ドゥ・ゼルブロワ准将
・マルシェ竜騎兵第1連隊
・マルシェ竜騎兵第2連隊
〇第2旅団 アベル・クーゼン准将
・マルシェ猟騎兵第1連隊
・マルシェ猟騎兵第9連隊
※各マルシェ連隊の編組
戦列歩兵連隊の(国内要所警備などで)後置していたマルシェ(「市場」/第4)大隊を集めて編成しています。
・マルシェ第15連隊/戦列歩兵第10,14,26連隊マルシェ大隊
・マルシェ第16連隊/戦列歩兵第35,38,39連隊マルシェ大隊
・マルシェ第17連隊/戦列歩兵第42,46,68連隊マルシェ大隊
・マルシェ第18連隊/戦列歩兵第82,88,97連隊マルシェ大隊
・マルシェ第19連隊/戦列歩兵第16,27,58連隊マルシェ大隊
・マルシェ第20連隊/戦列歩兵第73,83,87連隊マルシェ大隊
・マルシェ第21連隊/戦列歩兵第5,37,56連隊マルシェ大隊
・マルシェ第22連隊/戦列歩兵第72,76,99連隊マルシェ大隊
・マルシェ第23連隊/不詳
・マルシェ第24連隊/不詳
・マルシェ第25連隊/戦列歩兵第47,48,近衛第1連隊マルシェ大隊
・マルシェ第26連隊/戦列歩兵第6,89,98連隊マルシェ大隊




