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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・ストラスブールとメッスの包囲、沿岸防衛
314/534

メッス包囲戦(前)/独攻囲軍8月26日~30日までの事情

 仏バゼーヌ軍の「北方突破」に直面したメッス攻囲軍司令官フリードリヒ・カール王子は、8月26日の午後早く、幕僚を引き連れてマランジュ(=シルヴァンジュ。メッス大聖堂の北北西11.2キロ)近郊まで前進し、前線から集まった報告に至急目を通します。その結果王子はモーゼル東岸での銃撃戦が殆ど収束していることを知るのでした。


 王子が報告を受けた午後2時頃には豪雨がメッス地方を襲っており、ただでさえ泥濘に沈んでいた土地は全くの沼地と化したため、独軍側では仏軍の攻撃前進は不可能であろうとの意見が大勢を占めます。そこでカール王子は午後4時頃、第3、9、10の各軍団に対して元の守備位置まで戻るよう命じ、騎兵第1師団もサン=マルセル(グラヴロットの西北西5.7キロ)まで退くよう命じるのでした。

 但し、第2軍団の守備範囲だったアマンヴィエ(同北6.5キロ)まで前進していた第8軍団の第31旅団(第16師団所属)には、そのままアマンヴィエ周辺に留まるよう命令が下りました。

 麾下軍団が命令通りに行動開始するのを見届けた後、カール王子はモーゼル東岸を守備するフォン・マントイフェル騎兵大将に対し書簡を送付すると、本営のあるドンクール(=レ=コンフラン。グラヴロットの北西8キロ)へ帰還したのです。


 カール王子がマントイフェル将軍へ送った書簡には「貴官が準備した諸陣地は敵の攻撃に対し必ず守り抜くことが可能であろう」との希望が記され、「今後モーゼル東岸で戦闘が発生した場合には必ず西岸から第10及び第9軍団が援軍として駆け付けるだろう」と将軍を安心させるのでした。


 この日夕刻になると前哨線上における銃撃戦も殆ど止みますが、普予備第3師団の守備するマルロワ(メッス大聖堂の北北東6.7キロ)の南部前哨線では散発的な銃撃が夜に至るまで続きました。このため、予備第3師団は万が一の場合に備えて一部部隊を夜間戦闘態勢で警戒させねばなりませんでした。

 マントイフェル将軍自身も兵站集結地警備に就いてクールセル=シュル=ニエにいた普第3旅団をザールブリュッケン街道(現・国道D603号線)まで呼び寄せ、これを直率してザールルイ街道(現・国道D3号線)まで前進し仏軍に対抗しようとしますが、27日早朝の斥候報告で仏軍が本陣地へ引き上げたことを知り、これを中止しました。


 27日早朝、26日の仏軍前進で一時奪還されたノワスヴィル部落(メッス大聖堂の東北東7.4キロ)も再び普第1師団の支配下に復帰しました。

 コロンベイの戦い(8月15日)後にノワスヴィルには普軍の野戦病院が設けられていましたが26日、この病院は「赤十字」の旗(1864年の第1回ジュネーヴ条約で医療関係施設に掲げるとされ、これを攻撃してはならない、と規定しています)を掲げていたにも関わらず仏軍に踏み込まれ、重症の負傷者たちに不安が広がります。この日は仏軍からの手荒な行為はなく医療行為も止められませんでしたが、精神的ショックに弱い重症者を抱える軍医たちは「再びこのような行為が行われた場合には患者の生命を保障しかねる」と訴えます。この直後、野戦病院は後方のシャトー・グラ(ノワスヴィルの北東2.6キロ)に移設され、患者も慎重に移送されました。


 こうして今後も仏軍の大部隊(仏第3軍団)と対面することとなるノワスヴィルと、その南500mにありブレ=モセル街道(現・国道D954号線)に面したビール工場(現ラミティエ部落。周辺には多くの70年戦役記念碑があります)は普第1師団の重要拠点とされ、工兵2個中隊が突貫工事で防御施設を設え、散兵壕と鹿砦線を延伸して北2キロ余りのセルヴィニーの防御施設と繋げるのでした。この拠点には以降歩兵1個大隊が交代で入り守備することとなります。


 一方、モーゼル西岸でも早速前哨の前進と強化が図られ、普第10軍団の第20師団は26日の夕刻、ラドンシャンの城館(メッス大聖堂の北5.5キロ。現存)からラ・マックス(同北北東5.3キロ)の南郊外の線まで前哨線を前進させ、ラ・マックスの後方レ・タップ(ラ・マックスの北西1.5キロ。現在は廃墟群)には強力な陣地を設けるのでした。


 この仏軍の「北進未遂」があった26日の夜。

 カール王子はドンクールの本営で、バール=ル=デュクからクレルモン=アン=アルゴンヌへ移動直前の普大本営から発せられた重大な命令を受けるのです。


 これは独マース軍と第三軍の「右大旋回」を通知するもので、大本営はモルトケ参謀総長の名でカール王子に対し、この日正午にマース軍と第三軍に発した「右旋回前進命令」の写しを与え、「包囲中の第3、第9軍団を任から外し、ダンヴィエ(ベルダンの北20キロ)及びマンジエンヌ(同北北東24キロ)に向け行軍させ、28日中に同地へ到着させてマクマオン将軍の軍と対峙するよう」命じたのでした(「8月26日・フリードリヒ皇太子の奮起」を参照)。

 カール王子は命令に付されていたモルトケの私信にあった「モーゼル東岸のメッス包囲は一時これを中断してもよいが、仏バゼーヌ軍が西方への突破を図った場合は最大限の努力でこれを防ぐこと」との言葉に対応して、モーゼル西岸でメッス北部を第10軍団と共に抑えている第9軍団ではなく、今朝の騒動で北進準備をして出発可能となっていた第2軍団に対し、ダンヴィエへ向かう第3軍団に続き出立し、マンジエンヌに向かうよう命令するのでした。


 カール王子は第3軍団長のC・アルヴェンスレーヴェン中将と第2軍団長エデュアルト・フォン・フランセキー歩兵大将に対し、「輜重と共に27日午後西進を開始」し「万が一メッスで仏軍による解囲攻撃が始まっても一切無視して目標まで進み続ける」よう訓示します。


 更にこの2個軍団出立による(特に第一線にあった第2軍団の)「穴」を埋めるため、グラヴロットの第8軍団に対し「第2軍団の守備範囲をも管区に入れる」ように命じ、これを受けた第8軍団長のアウグスト・フォン・ゲーベン歩兵大将は第15師団を従来の包囲線(ジュールの家~シャテル森林)に、第16師団を「前」第2軍団の包囲線(プラップヴィル北西高地~ソルニー)に配置するよう采配します。

 ゲーベン将軍はまず、アマンヴィエまで進んで待機中の第31旅団を出立する第2軍団の第一線部隊と交代させ、続いて第32旅団をモンティニー(=ラ=グランジ。グラヴロットの北北東5.2キロ。城館で現存)まで前進させた後、前哨線に進んだ第31旅団と入れ替わりにアマンヴィエへ進めました。

 カール王子は更にサン=マルセルへ帰った騎兵第1師団に対しても、第16師団を後援させるためアボンヴィルへの前進を命じました。

 王子自身は「仏軍は近い内に再び北方突破を謀るに違いない」と信じ、27日、攻囲軍本営をドンクールから第9軍団の前線後方、マランクール(サン=プリヴァの北北東4キロ)へ移動するのでした。


 カール王子は前述通り、第2、3軍団の離脱で手薄となったメッス包囲網を、モーゼル東岸において一時的に中止する権限を与えられますが、26日の仏軍「北進未遂」直後にあってはとても包囲中止を可能とする状況ではなく、特にコロンベイからラ=グランジュ=オー=ボワに掛けての前線には今まで現れなかった仏軍部隊が進出しており、逆に今後を考えた王子は第7軍団に対し、「1個旅団に砲兵・騎兵を付して支隊に仕立て、モーゼル西岸からセイユ川まで進める」よう命令するのでした。

 これを受けた普第7軍団長アドルフ・フォン・ツァストロウ歩兵大将は、モーゼル両岸に跨る自軍団の配置を大幅に変更します。

 新たにモーゼルを渡河し元来のモーゼル東岸部隊・第27旅団の東側に連なったのは、アンシー(=シュル=モセル。アルの南南西2.5キロ)に宿営していた第28旅団で、騎兵1個中隊に砲兵2個中隊を付された旅団は27日の朝、宿営地を発して行軍しこの日は前哨部隊がセイユ川東岸まで進みました。

 これと同時進行でヴォー(アル=シュル=モセルの北2キロ)の最前線付近にいた第25旅団が第27旅団と入れ替わってアンシーまで下がり、前哨がジュシー(同北北東2.8キロ)まで進出していた第26旅団本隊は逆にアルからヴォーへ前進して前哨を強化するのでした。


 このメッス要塞南部には26日夕刻に仏第2軍団が進出し、これと対峙するのは第7軍団麾下の第14師団(第27、28旅団)と騎兵第3師団となります。

 新たに進出した第28旅団はオニー(アルの東南東3.8キロ)付近で未完のサン=プリヴァ堡塁北側に陣取る仏軍要塞重砲兵の射程圏内に入り嫌がらせの榴弾砲撃を受けたたため翌28日、仏軍重砲射程圏外のプイイ(オニーの東5キロ)周辺へ主力を移して陣地を構築し始めました。同旅団の前哨はプイイ北郊外500mにあったサン=ティボ農場(現存せず)を拠点にナンシー街道(現国道D913号線)を跨いで、西はマルリー(オニーの東2.5キロ)北方のセイユ河畔から東はペルトル(プイイの北東4キロ)南西郊外までに展開します。


 この第28旅団の両側には騎兵第3師団(騎兵第6、7旅団)が展開しました。

 騎兵第6旅団は第28旅団左翼(西側)と連絡し、コアン=レ=キュヴリー(プイイの南西2.8キロ)に胸甲騎兵第8「ライン」連隊が、その北西2.3キロのプライエル農場(現存します)に槍騎兵第7「ライン」連隊半数がそれぞれ常駐し、西側オニーの南で槍騎兵連隊半数が第27旅団右翼(東側)と連絡します。

 騎兵第7旅団は第28旅団右翼(東側)と連絡し、ポントワ(プイイの南東8キロ)に本隊が、前哨となった諸中隊がそれぞれオニー郊外、オート=リヴ農場(プライエル農場の東1キロ付近。現存)、シニー(プイイの東4キロ)に展開しています。


 こうして、フォン・マントイフェル大将率いる普第1軍団(第1、2師団)と予備第3師団、フォン・シュタインメッツ大将が指揮する第7軍団の一部(第14師団)と騎兵第3師団がメッスのモーゼル東岸部隊の全てとなりましたが、仏は続く敗戦で大分数を減らしたとはいえ主力の第3軍団と第2軍団(計7個師団)、更に騎兵集団(2個師団程度)とメッス要塞守備隊がモーゼル東岸部隊に面しており、このおよそ8万強の敵と対峙し包囲網を維持するためには、メッス東の独軍は寡少に過ぎました。


 このモーゼル東岸包囲網を強化するため、独本国では新たな軍団が編成されつつありました。

 これがメクレンブルク=シュヴェリーン大公にして普軍歩兵大将、フリードリヒ・フランツ2世が率いる「北独第13軍団」で、この軍団はメクレンブルク=シュヴェリーン大公国とブレーメン、ハンブルク両「自由ハンザ市」を策源地とする平時編成のままの「大型師団」、普第17師団とブランデンブルク州周辺の後備部隊からなる普後備第2師団を中核としていました。

 両師団には8月25日、普大本営より前進命令が届き、それまで北方に睨みを利かせるために駐屯していたハンブルクとブレーメンから出発、鉄道によりライン=プファルツ地方のノインキルヒェンとホンブルクへ輸送され、この地で独第一軍に編入命令が下ってメッス東の包囲網に参加するため行軍を開始するのです。

 攻囲軍司令官カール王子と独第一軍司令官のフォン・シュタインメッツ将軍は8月29日に第13軍団の編入を通告され、カール王子は同軍団に対して、まずは第1軍団の後方となるレ・ゼタン(メッス大聖堂の東15キロ)を目標に行軍するよう命じるのでした。


挿絵(By みてみん)

メクレンブルク=シュヴェリーン大公

フリードリヒ・フランツ2世


 しかし、この独攻囲軍の兵力不足問題は僅か2日で解決します。

 モルトケ参謀総長は「仏シャロン軍の状況を見るに、メッス攻囲軍からの援軍は必要で無くなった」として27日午後7時(カール王子の本営に到着したのは日付の変わった28日)、「前進を命じた2個軍団の行軍を止めよ」と命じた後、28日中に「2個軍団を再び攻囲軍配下に戻す」と通告するのでした。

 既に2個軍団を要さずに西岸の包囲網を構築し直していたカール王子は、戻って来る第2、3軍団に対し、「包囲第一線より後方若干の距離を置いて」宿・野営し、「諸方面への援軍として何時でも動けるように」準備することを命じたのです。

 29日、カール王子の命令に従い、本隊がブリエ(メッスの北西22キロ)まで到達していた普第2軍団はオブエ~ヴァルロワのオルヌ川北岸からブリエに至るまでに、エテン(ベルダンの東北東19キロ)まで進んでいた普第3軍団は街道(現国道D603号線)を逆戻りしてオルヌ川南岸のコンフラン(=アン=ジャルニジー)~ドンクール(=レ=コンフラン)の間にそれぞれ宿・野営を設けて待機に入りました。


 この29日には、北海に面したヴィルヘルムスハーフェン周辺を領地とし、ライン地方にも飛び地(ビルケンフェルト領)のあるオルデンブルク大公ペーター2世が攻囲軍本営を訪れて参戦を申し入れ、オルデンブルク大公国軍の歩兵部隊「北独」第91連隊の任地に近いノロワ近郊のブロンヴォー(サン=プリヴァの東北東3.7キロ)に宿舎を設けます。

 ペーター2世は父の死で国主となった直後に、普に対してヤーデ湾岸の一部を軍港用地として金銭譲渡し、これがヴィルヘルムスハーフェンとなり、大公は普領となった後にも軍港の防備工事を気にかけていました。普墺戦争でも普側で参戦し、ロシア王室とも遠い親戚で、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン両公国の権利保有者でしたが、普王国のために小さい領土(リューベックの北郊外周辺地域)を見返りに権利放棄するという普にとっては重要な友好国でした。いずれにしても国主が前線に赴けば将兵の士気も高揚すると言うものです。

 翌30日、第91連隊も所属する第10軍団・第19師団の前哨任務に就いていた大隊は南下してノロワからソルニーまでの陣地線に入り、第8軍団の前哨大隊から任地を引き継ぎました。これは過負荷となっていた第8軍団の前哨線を短縮するための行動でした。


挿絵(By みてみん)

オルデンブルク大公ペーター2世


 一方、独軍のティオンビルに対する警戒も着々と進んでいましたが、更に攻囲軍はその西側、ルクセンブルクやベルギーと仏との国境付近に対する警戒も行います。

 24日頃から仏・ルクセンブルク国境付近で活動する普驃騎兵第10連隊第1中隊は27日、ルクセンブルク~ティオンビル鉄道を再度破壊し、その後ルクセンブルク国境の要衝エッシュ(=シュル=アルゼット。ティオンビルの北西20キロ)とベルダンとを結ぶ街道(現国道D16号線)を警戒するため国境の町オーダン=ル=ティッシュ(エッシュの南南西3.5キロ)に入り、民家を接収して宿営していたところ、30日、仏の国境税関守備隊200名以上に奇襲されてしまいます。中隊長ハインリッヒ・フォン・クライスト大尉は、人馬に損害を受けたため一時オメッツ(ル=ティッシュの南6キロ)まで下がりましたが、税関部隊が引き上げたことを知ると強気な大尉は同日中にオーダン=ル=ティッシュへ舞い戻ったのでした。


 この付近では名門のユサール部隊、近衛のユサールと同じ赤い制服(違いはパイピングの色/近衛は金、第3は白)を誇る驃騎兵第3「ブランデンブルク/ツィーテン」連隊も多くの斥候隊に分かれて活動し、偵察報告をカール王子へ送り続けていました。25日、ムーズ河畔に達するまでの広大な範囲の偵察を命じられた連隊は28日、本隊がムーズ河畔のストゥネ(セダンの南東29キロ)に到達し、更に渡河してマース軍のザクセン・ライター騎兵第2連隊と連絡、一緒にボーモン付近を偵察した後、30日にロンギュヨン(ベルダンの北北東35キロ)の東側地域まで引き上げています。


挿絵(By みてみん)

驃騎兵第3連隊の軍曹


 ここまでの偵察報告は30日の夜、マランクールの攻囲軍本営に届けられ、仏軍の大軍が28日現在ムーズ川東岸のイノール(セダンの南東23キロ)付近に滞留していること、セダン~モンメディ(同南東36キロ)間のアルデンヌ鉄道は未だ仏軍が抑えて使用されており、仏軍部隊の「東進」も見られること等重要な報告が成されたのでした。

 カール王子はこの報告を受け、「仏シャロン軍がモンメディを経由してティオンビル方面への東進を企てる可能性も否定出来ない」として「後れを取る前に行動すべき」と、普第2軍団に対して「1個歩兵連隊と砲・騎兵1個中隊による一支隊を編成し明日(31日)オメッツまで前進させよ」と命じました。

 普第2軍団長のフランセキー大将は第21「ポンメルン第4」連隊に竜騎兵第11「ポンメルン」連隊第1中隊と野戦砲兵第2連隊軽砲第5中隊を付して、31日早朝オメッツ(ティオンビルからは西北西に17.5キロ)に向けて出発させます。

 この支隊は31日午後にオメッツへ到着し、西方へ斥候を放ちますが、夜にはその騎兵がヴィレ=ラ=モンターニュ(オメッツの北西10.5キロ)付近で普驃騎兵第3連隊と連絡を付けました。

 

 この30日には普第9軍団からも普猟兵第9「ラウテンブルク」大隊が北上し、アヤンジュ(ティオンビルの西南西8キロ)に達すると、ティオンビルからセダンへ続くアルデンヌ鉄道の停車場を占領しました。


 8月30日までにはメッス攻囲軍包囲線の防御工事が一部を除いて完成し、カール王子が望んだ12ポンド重砲50門もこの30日にノヴェアン(=シュル=モセル。アルの南6.3キロ)に到着、これらの砲を操作する要塞砲兵5個中隊に砲1門につき榴弾500発・榴散弾50発も同時に到着し、直ちにカール王子の隷下に入ると用意された5個の砲台へ向かいました。

 この重砲台は第10軍団の守備地区に1個(フェーヴ東郊の高地上)、第8軍団の守備地区に2個(シャテル渓谷両側の高地上)、第7軍団の守備位置に2個(モーゼル東岸、オニー北西高地とジュイ=オー=アルシュ北の高地)、それぞれ準備されていたのです。


挿絵(By みてみん)

当時のカノン砲(写真は口径15cm)


 また、26日の「仏軍北進未遂」以来、独軍前哨は警戒を厳重にし、偵察も欠かさず行いました。各前哨大隊は黎明時に斥候部隊を送り出すのを恒例として、28日には普第1師団の第41「オストプロイセン第5」連隊所属の斥候が、全く妨害を受けることなくサン=ジュリアン分派堡塁の斜堤にまで到達し無事に帰還しています。


 カール王子の予想通り、仏軍が再度解囲を謀って北進する兆候はこうした偵察活動によって明らかにされ、29日から30日に掛けては仏軍側にも積極的な偵察活動が見られ、特に普第1軍団の前哨たちは仏軍の前哨が活発に活動しているのを多数目撃します。夜になると普予備第3師団前哨線の正面となるサン=ジュリアン分派堡塁下に無数の野営焚火が見られ、仏軍がいよいよ本気でメッスを飛び出すことが独軍側一介の兵士に至るまで知られることとなるのでした。


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