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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・ストラスブールとメッスの包囲、沿岸防衛
308/534

セダン会戦までの独軍後方事情/独第三軍の後方連絡(前)

 7月16日、普王国の動員発令により活発に国境へ、前線へと装備・兵員を送り込んだ北独・南独の鉄道網は、主戦軍団の輸送後に各軍団と本国軍団管区・策源地とを結ぶ動脈として重要な役割を果たし始め、各鉄道は兵站物資や攻囲資材、補充兵・後備兵らの輸送に心血を注ぎました。

 しかし、思いのほか仏本土内への侵攻が素早かったため、普大本営(参謀本部や陸軍省)と独兵站総監本部は可能な限り大至急、仏の国内鉄道を復旧し、それが不可能な地域では主要街道を整備・警護して後方連絡線の安全確保に躍起となったのです。


 特に後方担当参謀や兵站幕僚たちの悩みの種となったのが、普皇太子フリードリヒ王子率いる独第三軍の後方連絡でした。


 独第三軍はヴァイセンブルク、ヴルトとアルザス州における諸戦の会戦で国境地域の仏軍(マクマオン軍)を駆逐し、ストラスブールを包囲下に置くと仏本土内に深く侵攻、マルヌ川に達した後、シャンパーニュ地方に入るとシャロン、ランスを通過して、北方アルデンヌの大森林を臨む仏白国境のセダンにまで至りました。

 この急進撃の後方では、折からの悪天候と大軍の通過で荒れ果てた街道と、仏軍後退時の破壊などで寸断された鉄道が残され、更にビッチュ、ファルスブール(独名ファルスブルク。以下同)、トゥールなどの要塞は未だ降伏せずに仏守備隊が籠城して交通路の障害となっており、第三軍兵站総監部はこれらの解決に腐心することとなりました。


☆ 独第三軍の後方連絡


 第三軍の後方連絡線中、独仏国境と各軍団策源地との間は、ポーゼンとシュレジエン地方・ザクセン王国・南独の各地と国境端末駅とをそれぞれに結ぶ主要幹線鉄道を利用し、マインツ要塞の南、ライン中流の主要都市であるマンハイムは、独領域内における第三軍の兵站中継基地となりました。


※8月初頭における兵站後方連絡線(独領内鉄道線)の分配


○普第5、第6軍団(ポーゼン州とシュレジエン州)

 コールフルト(現ポーランド・ベングリニエツ。ドレスデンの東北東107キロ)~ライプツィヒ~ホーフ(ライプツィヒの南南西118キロ)~ヴュルツブルク~マインツ~ランダウ(マインツの南90キロ)<以上ドイツ鉄道E本線>

○普第11軍団(ヘッセン・ナッサウ州とチューリンゲン地方諸侯)

 ベーブラ(フランクフルト=アム=マインの北東125キロ)~フルダ(同87キロ)~マインツ<以上ドイツ鉄道D本線>

○バイエルン王国(以下B)第1軍団、ヴュルテンベルク王国(以下W)師団

 ミュンヘン~ウルム(ミュンヘンの西北西122キロ)~ブルッフザール(カールスルーエの北東19キロ)<以上南バイエルン鉄道とヴュルテンベルク接続線>

○B第2軍団

 レーゲンスブルク(ミュンヘンの北北東104キロ)~ニュルンベルク~ダルムシュタット~マンハイム<以上北バイエルン鉄道とアシャッフェンブルク接続線>


 軍がヴォージュ山脈を越えることとなり(8月9日頃)、後続する第三軍兵站総監部は直ちに第三軍本営直属の普第2野戦鉄道隊と、ライン河畔で待機していた普大本営直轄の第3野戦鉄道隊に対し、仏軍が破壊した北部アルザス(バ=ラン地方)の鉄道線復旧を要請します。

 鉄道技師たちと、鉄道技術を訓練された工兵からなる彼ら鉄道隊*は悪天候下、困難な作業に取り組み、アグノー(アーゲナウ)からサヴェルヌ(ツァーベルン)までのストラスブール~パリ鉄道を開通させましたが、ファルスブール要塞に仏軍が籠城していたためその先の工事は慎重に行われ、サルブール(ザールブルク。ファルスブールの西)までの開通は少し先となりました。

 他方、ライン川に到達していないヴュルテンベルク接続鉄道線の端末駅ブルッフザールからゲルマースハイム(マンハイムの南30キロにあるバイエルン領の要塞都市。ライン西岸)までに新たな連絡鉄道(路線距離25キロ余り)を敷設する作業は、B軍の野戦鉄道隊が地元住民の協力を得て急ピッチで進められ、8月14日に全面開通しました。

 ※当時の普軍鉄道隊は、敵地における鉄道線の復旧・維持・運行管理を主任務とする工兵部隊として、普王国商務省鉄道局の技官20名と普軍工兵士官4名、下士官兵200名前後(工兵中隊規模)からなる部隊(合計5個)で、他にバイエルン王国軍とバーデン大公国軍にそれぞれ1個ありました。


 この頃、第三軍は北部アルザスから第三軍の先鋒が到達していたマールト川(ムルト川。ヴォージュ山脈を水源にリュネヴィルを経てナンシーの北でモーゼルに注ぐ支流)までに二本の後方連絡線(道路)を確保しています。

 「第一号兵站線」はアグノーからブクスヴィレール(ブーヴァイラー。サヴェルヌの北東13キロ)、フェネトランジュ(サルブールの北13キロ。ザール河畔)を経てサルブールに到達するもので、これは普第5、第6、第11軍団にW師団が利用しました。

 「第二号兵站線」はヴァイセンブルクからニーデルブロン(=レ=バン。レッシュショフェン北西方)、ピュベル(ピューベルク。ビッチュの南南西17キロ)を経てマルサル(ナンシーの東北東33キロ)に至るもので、B軍が利用しました。

 B軍が当初プファルツ地方から利用予定だった更に北方の街道(ツヴァイブリュッケンからビッチュ、ロアバッハを経てサール=ユニオンへ至る)は、ビッチュ要塞に仏軍が籠城していたため本格活用出来ませんでした。


 ストラスブール攻囲に進んだバーデン大公国(以下Ba)師団の後方連絡には、ヴァイセンブルク~アグノーを経てストラスブールの北西ファンデンハイム(ストラスブール大聖堂の北10キロ)に至る鉄道を復旧させて利用し、ヴェルダー将軍率いる攻囲軍が発足した後には、Ba国内に多数設けられた倉庫群に貯蔵された物資が、カールスルーエ北西ライン河畔のマックスアウの橋やプリッタースドルフ(ラシュタット北西4.5キロ)近郊の橋からラインを渡河して輸送され、ファンデンハイムは攻囲軍の兵站集積基地となりました。


 この長大な第三軍の後方連絡・兵站線を守備するため、実質の開戦(8月当初)と同時に普軍後備兵8個大隊と、B軍後備兵4個大隊、Ba軍後備兵2個大隊が仏国内へ派遣さることとなり、他にW歩兵1個大隊*に普予備騎兵1個連隊、B軍工兵1個中隊が第三軍兵站総監部に従属します。

(*注・当時W軍には後備兵制度がありませんでした)


 兵站後方任務に就く普軍後備兵大隊は開戦当初、4個中隊編成の定員800名とされ、普予備騎兵連隊は4個中隊・総計400騎に定められました。この後戦線がパリに近付く(即ち独仏国境から遠ざかる)と普ヴィルヘルム1世国王は「兵站線守備兵大隊に各200名からなる2個中隊を加増(大隊は6個中隊1,200名に)、各軍兵站総監部(基本予備騎兵1個連隊が配属)には各150騎からなる騎兵2個中隊を加増せよ」(8月28日と9月4日の大本営令)と命じています。


 第三軍前線がマールト川からモーゼル河畔に到達した頃、第三軍兵站総監部に属した兵站部隊はライン川からヴォージュ山脈北部の兵站線を防衛していましたが、未だ独国内にあるものもありました。


※8月15日における独第三軍兵站総監部従属部隊の所在地


○普後備歩兵第31「チューリンゲン第1」連隊

・ザンガーハウゼン後備大隊

 シュヴァイクハウゼン(コブレンツの南東14.5キロ。独領)

・ミュールハウゼン後備大隊

 ヴァルブルク(カッセルの南東24キロ。独領)

○普後備歩兵第71「チューリンゲン第3」連隊

・エルフルト後備大隊

 ブクスヴィレール(サヴェルヌ北東)

・ゾンダースハウゼン後備大隊

 レンバッハ(ヴァイセンブルクの西11キロ)

○普後備歩兵第27「マグデブルク第2」連隊

・アッシャースレーベン後備大隊

 アグノー(ハーゲナウ)

・ハレ後備大隊

 アグノー

○普後備歩兵第67「マグデブルク第4」連隊

・ビッターフェルト後備大隊

 アグノー

・トルガウ後備大隊

 アグノー

○普予備竜騎兵第3連隊 

 オーバーオッターバッハ(ヴァイセンブルクの北4キロ。バイエルン領)

○B後備歩兵第13大隊

 デューズ(ナンシーの東北東41キロ)

○B工兵1個中隊

 フェネトランジュ(サルブール北)

○B後備歩兵第3大隊

 ニーデルブロン(=レ=バン)

○B後備歩兵第5大隊

 ヴァイセンブルク

○B後備歩兵第27大隊

 ヴァイセンブルク

○Ba後備歩兵第1大隊

 ゾウルツ(=レ=バン。ストラスブール大聖堂の西19.5キロ)

○Ba後備歩兵第2大隊

 カールスルーエ、マックスアウ、マンハイムに分駐


※8月16日にW歩兵第4連隊第1大隊の第1,4中隊がアグノーへ到着。

※8月下旬にBa後備歩兵第4大隊がマックスアウに、同第6大隊の1個中隊がセルツにそれぞれ到着。

※8月下旬にB後備歩兵第29大隊、B兵站騎兵1個中隊、普「機動」要塞工兵第3中隊が第三軍兵站総監部に配属。


 第三軍兵站総監部は軍本営の前進に伴い、8月14日にサルブール、18日にナンシーへ到達します。ナンシーでは今後この地を兵站の一大集積拠点とするため、常設倉庫群の建築が開始されました。

 この間、サルブール付近の鉄道線も開通し、リュネビルを経てナンシーへ至る鉄道も運行を再開したため、8月19日正式に兵站集積地をナンシーへ設定しています。これで仏国内はヴァイセンブルクからナンシーへ至る間、鉄道を利用する兵站輸送が可能となりますが、更に西へと後方連絡線を延ばすとなると難問が待ち構えていました。

 何故ならば、ナンシーから西への既設鉄道線は全てトゥール要塞の至近を通過するからで、仏軍が頑強に立て籠もるトゥール要塞を迂回して鉄道を敷設するため始まっていた鉄道工事は、最初から技術的な問題により躓くのでした。


 このため第三軍兵站総監部はナンシー以西の後方連絡を、鉄道に代えて馬匹によるものと定めて、ナンシー~コロンベ=レ=ベル(ナンシーの南西28キロ)~ヴォア(同西41.5キロ)を経てバール=ル=デュクへと至る街道連絡線を設定します。

 更に距離の短いナンシー~ゴンドルヴィル(ナンシーの南西16キロ)~エクルーヴ(同西25キロ)を経て西へ向かう、トゥール要塞を北に迂回するルートも使用されますが、こちらは悪天候で泥濘となったマルヌ=ライン運河沿いの街道を使用したため、使用数日で荒れ果てて満載した馬車が通行不可能となり、その後は前線から戻る空荷の車輌のみが通行を許されるのでした。


 第三軍の戦闘部隊がモルトケの許可による「北向き90度の転進」を始める直前(8月25日頃)、前線直後の後方連絡線は変わらず2ルートが確保され、「第一号兵站線」はヴォア~サン=ミエルまで、「第二号兵站線」はバール=ル=デュク~クレルモン(=アン=アルゴンヌ)まで、それぞれ既存街道を占有して指定されていました。

 この「補給端末」となるサン=ミエルとクレルモンからは、新設されたアルベルト・ザクセン王太子率いる「マース軍」の後方連絡線と合流してムーズ川の両岸を北上し、戦闘の推移に従って前線後方を順次セダン方面まで延伸して行きました。


 第三軍兵站総監部は8月26日、北上した第三軍本営と入れ替わりにバール=ル=デュクへ前進し、ナンシー同様この地に常設の大倉庫群建造を開始しました。

 また、倉庫の建造と平行して、ナンシー、リュネビル、バール=ル=デュクには常設の陸軍病院を設置しています。


※独第三軍兵站総監部(8月1日付)

・兵站総監 フリードリヒ・アドルフ・フォン・ゲッツェ中将(高齢・70歳のため休職中召集)

・参謀長 男爵フォン・デア・ゴルツ少佐

・副官3名

・砲兵部長 エルドマン予備役中佐

・工兵部長 バッハフェルト予備役少佐

・経理部長 シューマン主計官

・野戦憲兵隊長 ハーケ少佐

◯バイエルン王国兵站総監部(※本軍が第三軍麾下のため総監部に附属しました)

・兵站総監 フォン・マイヤー少将

・参謀 伯爵フォン・ヴェリー・ドゥ・ラ・ボーシア中佐

・副官2名

・砲兵部長 男爵フォン・ハルスドルフ少佐

・工兵部長 クレーマン少佐

・経理部長 バッケルト主計官

・野戦憲兵隊長 ハイス大尉


挿絵(By みてみん)

 ゲッツェ


 仏シャロン軍と独第三軍前線部隊が接触を始めた頃、Ba軍とW軍の兵站関連部隊は主としてアルザス州にあり、普軍とB軍の兵站関連部隊はヴォージュ山脈を越え、ロレーヌからシャンパーニュの地を踏んでいました。

 しかし若干のB軍部隊は同国から追加で召集された部隊と共にヴォージュ山脈北部に集合し、普軍兵站部門に属する多くの部隊もまた本来の後方連絡線警護の任を外され、後方連絡線上で「問題」となっていた2ヶ所に張り付きます。

 これらの動きは前述通り「ビッチュ」「ファルスブール」「トゥール」の各要塞を警戒・攻撃するためでした。


☆ ビッチュ要塞の包囲(9月3日まで)


挿絵(By みてみん)

 山の上要塞と麓のビッチュ市街地


 B歩兵第7連隊第1大隊は8月11日、B第2軍団の支隊(歩兵1個大隊と軽騎兵1個中隊)が本隊へ復帰するのと入れ替わりに、仏軍が立て籠もるビッチュ要塞南方の地方に入りました。


 同大隊はレッシュショフェンとニーデルブロンとに半数(2個中隊)ずつ分かれて宿営し、この地に設置された軍病院(主にヴルト会戦での両軍負傷者を収容し、後に前線よりの負傷者を受け入れました)を警護しつつ要塞周辺にも警戒哨兵を送って、要塞守備隊が外に出て来るのを防ぐ努力をしました。


 ビッチュ要塞には当時、各種要塞砲53門、4,662丁の小銃、140万発の銃弾、26,000発以上の砲弾と120トンの火薬が備蓄されていました(1870年1月時点の集計)。

 籠城時のビッチュ要塞司令官は、戦列歩兵第78連隊所属のルイ=カジミール・テイシエール少佐です。

 要塞では戦列歩兵第86連隊の第4大隊800名と要塞砲兵250名が守備隊の中核となり、税関国境警備兵200名、ビッチュ在の護国軍兵や義勇兵250名、憲兵30名のほか、ヴルト会戦で西方に脱出出来なかった敗残兵1,200名余り*を受け入れ、約3,000名の規模となっていました。


 ※注・敗残兵たちの所属は様々で、仏の記録では戦列歩兵第17、27、30、46、68、84、88、96の各連隊、猟兵第9と第16大隊、アルジェリア=テュライヤール第1連隊、ズアーブ第2連隊、第1工兵連隊、第3と第5驃騎兵連隊のそれぞれ数名から百名程度が要塞内にいました。


挿絵(By みてみん)

 テイシエール


 このようにB軍の1個大隊では防ぎ切れない兵力に膨れ上がった要塞守備隊ですが、8月22日になると、「仏兵数千がエギュエルシェアールト(ビッチュの南東5.5キロ)に集合し、兵力不足の独兵站線を襲う」との風評がビッチュ周辺に流れ、B第7連隊第1大隊は「敵の攻撃を漠然と待つよりは」とビッチュに対する「先制攻撃」の準備に入ります。同時に大隊長のクルチウス少佐は要塞のテイシエール少佐に対し使者を送り、開城の勧告をしますが、少佐は拒絶の回答を返すのでした。


 第三軍に属するB軍兵站総監部は、ビッチュを包囲しニーデルブロンからランベルク(レンベルク。ビッチュの南南西6.5キロ)に通じるヴォージュ山脈北部の街道(現・国道D662~D36号線)の安全を確保するため、ライン河畔にあって既に危機の去ったゲルマースハイム要塞の司令官に対し「要塞守備隊から抽出可能な兵力をビッチュに送る」よう要請を出します。

 8月20日頃、ゲルマースハイム要塞からはB歩兵第4連隊第2大隊、B後備歩兵第29大隊、12ポンド施条(カノン)砲4門とその砲兵(2個小隊規模)、そして若干の軽騎兵がヴィルヘルム・コーラーマン大佐に率いられて出発し、8月22日にニーデルブロンへ到着しました。

 クルチウス少佐からビッチュ要塞の様子を聞いたコーラーマン大佐は、「要塞の不意を突いて強烈な砲撃を加えたならば、きっと開城出来るに違いない」と強気な感想を抱き、この22日日没時、砲兵に対しビッチュ北のグロッサー=オッタービル高地(要塞の北北東1.2キロにある山)へ布陣するよう命じます。同時にクルチウス少佐の大隊にはビッチュ北東郊外で攻撃態勢を執るよう命じたのでした。


 B軍12ポンド砲兵は泥濘と暗闇の中、苦心惨憺高地の斜面を踏覇して砲を敷き、明けて23日午前5時、要塞に対し砲撃を開始します。

 ところが要塞は直ちに応射して、その照準は驚くほど正確だったため狭い高地上のB軍砲兵にはたちまち損害が続出しました。砲撃開始と同時に送り出された使者は、要塞防衛司令テイシエール少佐に開城を拒否されて引き上げ、山城である要塞への砲撃も大した効果が認められず、砲撃は午前7時に中止されてしまいました。北東郊外で突入の機会を窺っていたクルチウス少佐も諦め、大隊は元の駐屯地であるレッシュショフェンとニーデルブロンに帰ったのです。


挿絵(By みてみん)

1867年のビッチュ要塞


 翌8月24日、第三軍兵站総監部より命令が届き、B後備歩兵第29大隊は兵站護衛のためヴァイセンブルクに向け出発しました。他の部隊も一旦は攻囲を諦めてB領ツヴァイブリュッケンへ向け出発しますが、同地に到着後再び命令が変更され、コーラーマン大佐らはビッチュ周辺へとんぼ返りすることとなりました。


 B第4連隊第2大隊は8月27日、ビッチュ要塞西で監視任務を開始し、僅か1個大隊(千名以下)で三千名と対峙するために員数を膨らませる偽装を施し、昼間においては長く延伸された散兵線を設けて兵を頻繁に移動させ、夜間はそれを縮小して監視を続けるのでした。

 「コーラーマン支隊」は9月1日、B領プファルツ(ライン西岸)との間、ツヴァイブリュッケンからの街道をも防衛するよう命令され、ビッチュ北西方向に再展開します。これによりランベルクへの街道防衛と東側からの要塞監視が手薄となり、これに対処するためB軍兵站総監部から6個中隊(B後備歩兵第27大隊とB後備歩兵第5大隊の2個中隊)が派遣されました。


 9月3日にはゲルマースハイム要塞からB第8連隊第1大隊が増派されて到着し、半個大隊(2個中隊)ずつとなってショルバッハ(要塞の北北西3.5キロ)とレイエヴィレ(同西南西3.2キロ)に駐屯し、旧来のB第4連隊第2大隊はその間のジマー=ホフ(同北西4.3キロにあった農場。現存しません)とレーゲン=ホフ(同西北西3.7キロにある農場。現存)に駐屯しました。砲兵と要塞攻撃のため追加でやって来たB工兵1個中隊はジマー=ホフの北400m、オットヴァイラー煉瓦製造所(現存します)周辺に宿営したのです。


ビッチュ要塞周辺(1870)

挿絵(By みてみん)


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