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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
298/534

セダンの戦い/シャロン軍降伏交渉

 午後6時前後になると戦場各地に銃声は止み、セダン城に白旗が揚がると今度は引き下ろされることはありませんでした。

 激しい攻防戦が行われたバランやカザールの最前線では、つい先ほどまでの死闘の印象が生々しかったため、まかり間違えば戦闘が再開されかねない緊迫した空気に満たされていましたが、要塞南部のトルシーやガレンヌの森内部では、既にすっかり降参した仏兵たちが独兵から食料やタバコなどを貰ったり、騎士道精神を遵守する貴族士官たちがお互いの健闘を讃え合ったり、まるで戦争が終わったかのような雰囲気に包まれていました。

 それも当然といえば当然で、仏側は士気が崩壊状態で厭戦気分は最高潮に達しており、戦闘が終了すればこれ以上敵意をむき出しにして戦う気力など残ってはおらず、独軍から見れば、マクマオン率いる全仏正規軍の「半分」をほぼ「生け捕り」にしたことが明らかであり、メッスで包囲されているバゼーヌの「残り半分」は完璧な包囲網の下にあることを思えば、下士卒たちから見てもこの戦争は「終わったも同然」という空気が流れたのでした。


 ナポレオン3世の命じた「和議の開始」が、しぶしぶながらヴィンファン将軍ら少数の戦闘継続を望む軍首脳から受け入れられ、独軍に「和議の申し入れ」が伝えられたのは午後6時少し前のことでした。


 フレノワの南、956高地の普大本営ではヴィルヘルム1世国王が仏軍との交渉開始を命じ、参謀本部第1課長のパウル・レオポルト・エデュアルト・ハインリヒ・アントン・ブロンサルト・フォン・シュレンドルフ中佐と、参謀のフーゴ・ハンス・カール・フォン・ヴィンターフェルト大尉*が「ヴィルヘルム1世の名の下に仏軍当地の最高司令官」に対し「軍の降伏とセダン開城」を求めるため、セダン城へ出発します。

 両参謀がトルシー外郭門に到着すると、セダン要塞司令官の出迎えを受け、中佐は国王の代理として「最高司令官」に面会を求めました。2名の参謀はセダン地方の郡役所に案内されますが、途上、セダンの街が砲撃で破壊され、火災が発生し一部では未だ消火されず、街路という街路に疲弊し負傷し気力も失って座り込んだ仏将兵が充満しているのを目撃するのでした。


 罹災せずに在った郡役所の一室で待たされること十数分、マクマオン将軍が出て来るものとばかり考えていた二人の普軍エリートは、現れた「最高司令官」に驚きの色を隠せません。

 独軍側は、ナポレオン3世はパリに「逃げ帰ったか途中でグズグズしている」ものとばかり思い込んでおり、まさかセダンにいることなど誰しもが(モルトケでさえ)予想していなかったのです。


 「何でこんな所にいるのだ、この人は」とブロンサルト中佐は信じられぬ思いでしたが、居住まいを改めて最敬礼すると、「勅命を以て貴軍とセダンの降伏を申し入れます」と正式に降伏を要求します。

 ナポレオン3世は、持病で弱り果てた姿を隠すことなく、しわがれて小さな声で「進退が窮まり、これ以上戦うことも無益だ」と絶望的な状況を語ると「これを陛下に」と一通の親書を手渡すのでした。

 状況を素早く飲み込み始めたキレ者のブロンサルトは皇帝に対し、「皇帝陛下におかれましては、全権を委任した高級士官を独軍大本営まで派遣して頂きたく」と要求します。皇帝は「軍司令官のマクマオン大将は負傷したため、今はヴィンファン将軍が全軍の指揮を執っている」と明かし、「今からレイユ伯爵を同道させるので陛下にこの旨お伝え願いたい」と答えるのでした。


 皇帝の下から退席したブロンサルト中佐は、部屋の外で待っていたナポレオン3世の側近、伯爵アンドレ・シャルル・ヴィクトル・レイユ少将らとしばし協議すると、皇帝の国王宛親書はレイユが持参し、ブロンサルトらが先に戻りレイユの到着を知らせる、という段取りで合意しました。

 こうして「世紀の降伏」は、「裏方」たちの手で後世の人々に物笑いのタネにされぬよう、お互いの威厳を保ってしっかりとした「ショー仕立て」にされて進行し始めたのです。


注*ブロンサルト中佐(当時38歳)とヴィンターフェルト大尉(当時33歳)

 両名共に普軍の秀英で、後年2人とも歩兵大将となり、ブロンサルトは、近衛第2師団長、陸軍大臣や第1軍団長を歴任し、ヴィンターフェルトは、三代の独皇帝附武官や第20師団長を歴任、SF作家H・G・ウェルズ作「空の戦争」の登場人物のモデルともなっています。


挿絵(By みてみん)

パウル・ブロンサルト

挿絵(By みてみん)

ヴィンターフェルト


 ブロンサルト中佐ら一行は急ぎ高地の大本営まで戻りました。

 レイユ将軍の方は、改めて「要塞にいる皇帝からの使者」という公式な立場で白旗を掲げた近衛騎兵数騎を連れ、ブロンサルトが国王ら大本営首脳に事情を説明する時間を見計らい、遅れること数十分、高地に向けて重い足取りで出発します。


挿絵(By みてみん)

 レイユ


 セダン城に白旗が掲げられたのを見たヴィルヘルム1世は、「ピオの家」高地にいた普フリードリヒ皇太子を「大本営の丘」まで呼び寄せていました。ブルーメンタール参謀長を初めとする第三軍幕僚と共に国王の下へ馳せ参じた皇太子は、国王と共にブロンサルトの報告を聞くと重々しい普段の態度をかなぐり捨てて破顔しました。ブロンサルトは冷静に、ナポレオン3世本人がセダンにいて謁見して来たこと、使者が皇帝の親書を持って間もなく到着することを告げたのです。

 国王も皇太子と同じく興奮し、周囲の高官、諸侯貴族、幕僚たちも驚きの声を上げると共に興奮の波に包まれました。

「敵の総大将を生け捕った」

 ヴィルヘルム1世は満々の笑みで皇太子と握手し、続いてモルトケ、ビスマルク、ローン(陸軍大臣)、ポドビールスキー(参謀次長)と次々に手を取って握手するのです。


 レイユ将軍が956高地に到着した時には午後7時を回っており、高地には夕闇が迫っていました。

 国王始め高官たちは、恭しく礼を尽くしながら近付くレイユを見つめていました。やがてレイユはヴィルヘルム1世の前に進み出ると、「私は皇帝陛下の親書をお預かりしただけで、何の交渉権も持ち合わせておりません。どうかお受け取りを」と前置きすると、ナポレオン3世の親書を差し出すのです。


挿絵(By みてみん)

 レイユ伯爵の訪問

挿絵(By みてみん)

 レイユの訪問を見守る大本営幕僚と首脳陣


 国王は無言で拝読すると皇太子を呼び寄せ、親書を手渡すとモルトケとビスマルク、ローンらと共にその場を離れ、しばし鳩首会談となりました。やがてヴィルヘルム1世は秘書を呼び寄せると返信を認め始めるのです。

 親書の中身を知ったモルトケは、ポドビールスキーにその内容を伝え、周りに集まった参謀本部の面々に対し、「戦いは終わったがこの後が大変だ」と気を引き締めさせると、一人ひとりの前に立ち、「御苦労」と握手を求めたのでした。


 ナポレオン3世のヴィルヘルム1世に宛てた親書は本文わずか7行という大変簡単なもので、仏語で書かれていましたが、全てを言い尽していました。


「我が兄に(拝啓と同等の意味)。私は不幸にして我が軍中で死ぬことが出来ませんでしたので、今や私は剣を陛下に捧げ降伏を請う外なくなりました。我は陛下の良き弟なり(敬具と同等の意味)。 ナポレオン スダンにて 1870年9月1日」


 これに対するヴィルヘルム1世の答書もまた仏語で簡素に認められていますが、敗者に対する労りを感じさせるものとなっています。


「我が兄弟へ。私は我々がこのような場面で相対せざるをえなかった状況を悲しみつつも、陛下の剣を受け取り、我が軍門に下ることを許すものです。陛下には部下の高級士官1名を選んで全権を与え、陛下の指揮下で勇戦した貴軍の降伏とセダンの開城について交渉願います。我が軍においてはこの任にフォン・モルトケ大将を指名しております。我は陛下の良き兄弟なり。 ヴィルヘルム スダンを前にして 1870年9月1日」


 フレノワの南で湧きあがった独軍歓喜の声は、まるで電光石火の如くで要塞を包囲する独軍陣営に伝播して行きました。


 将兵たちは誰もが大声で歓呼と「国王万歳」を幾度もあげるとお互いを賞賛し、そこにプロシアやザクセン、バイエルンにヴュルテンベルクなど諸王国・諸侯の違いはありませんでした。しかし、比類なき歴史的大勝利を前に、兵士たちはやがて正気に戻ると静かに祈り始め、多くの者たちは「これで和平交渉が開始され、早い内に帰国することが出来るだろう」と喜び始めるのでした。


 レイユ将軍はヴィルヘルム1世によるナポレオン3世への答書を押し頂くとセダンへ帰って行きました。

 同じ午後7時15分過ぎ、大本営はモルトケ名義で以下の全軍命令を発しています。


「既に和議が開始された。このため、我が軍から夜間において攻撃を仕掛けてはならない。しかし敵が我が前線を突破しようと試みた場合においては、命令を待たずして武力でこれを撃退排除せよ。和議が決裂した場合にはこれを各部隊に通報するので、敵対行動を再開せよ。この場合、フレノワ東方高地上から砲撃を開始するので、これを合図とせよ。 フォン・モルトケ」


 この命令を受けるや、独第三軍とマース軍はほぼ同時に命令を発し、これは両方共に「戦闘終了時の最終進出地点より少々後方に野営して、前衛はセダン要塞と対峙せよ」と要約出来ます。


※9月1日午後8時におけるセダン包囲の独軍野営地

バゼイユ付近から左周りに


〇B第1軍団 バゼイユとラ・モンセル周辺

〇B第3師団 バゼイユ~バラン間の街道西側

〇普第4軍団 バゼイユ~ドゥジー間の街道沿い

〇第24「S第2」師団 デニー南東

〇第23「S第1」師団 ジヴォンヌ東方

〇普騎兵第4師団 ジヴォンヌの北東

〇近衛第1師団 ジヴォンヌ北西

〇近衛第2師団 ジヴォンヌ北~北東

〇近衛軍団砲兵隊と近衛騎兵師団 イイの南方~カルヴァイル・ドゥ・イイ

〇普第10師団 イイ周辺

〇普第9師団 サン=ムニュ周辺

〇普第11軍団 フロアン周辺

〇W師団と普騎兵第2師団 ドンシュリー周辺

〇B第4師団 フレノワとワダランクール周辺

〇普騎兵第6師団 ポア=テロン及びフリーズで宿営


 普第5軍団長のフォン・キルヒバッハ大将は第三軍占領地域の最上級士官として第5、11軍団の野営地を指揮し、第11軍団はゲルスドルフ将軍の重傷により会戦中指揮を代わったハンス・フォン・シャハトマイヤー中将がそのまま指揮を執ることとなります(正式任命は13日)。空いた第21師団長は、第22師団長のオットー・ベルンハルト・フォン・シュコップ少将が横滑りをして一時両師団の指揮を取り、後日(22日)第22師団長には第49旅団長(第25「ヘッセン大公国」師団)だったルートヴィヒ・フォン・ヴィッチヒ将軍が中将に昇進し正式赴任しました。


 夜が更ける前、後はモルトケとビスマルクに任せた、とばかりに国王一行は未だ大本営の宿営地となっているヴァンドウレスへ帰り、フリードリヒ皇太子も宿営が残るシメリー(=シュル=バール)へ、ザクセン皇太子アルベルト王子も軍本営の待つムーゾンへと帰ったのでした。


 独軍と仏シャロン軍との「休戦・降伏交渉」はこの夜、午後10時からフレノワの北1キロ、ベルビューの城館で始まります。


挿絵(By みてみん)

ベルビュー城館(19世紀絵葉書)


 独側の交渉は国王から全権を委任されたモルトケと、ポドビールスキーに3名の参謀本部課長ほか課員、そして「同席するよう」勅命を受けてビスマルク宰相が参加し、仏軍の交渉は最後まで渋ったヴィンファン将軍が結局全権となり、数名の幕僚、将軍たちを引き連れてやって来ました。この仏軍の交渉団の中にはマクマオンから後継とされたデュクロ将軍や参謀長のフォール将軍、そして皇帝副官のアンリ=ピエール・ジャン・アブドン・カステルノー将軍が参加しており、特にカステルノーは皇帝の意向を代弁してその利害を代表しているのか、ヴィンファンが余計な譲歩をしないように見張っている様子で、ヴィンファンはほとんど軍事に関することのみ口を出せるかのようでした。


挿絵(By みてみん)

 カステルノー


 この会談までの僅かな時間でモルトケとビスマルクは話合い、それはフレノワの高地からベルビューに至る短い道中でも続きました。

 主な内容は「今宵、ヴィンファンがどのような態度と要求を出して来るか、そして対応をどうするか」というもので、特に「勇敢に戦った敵に対しどの程度情状を酌量するのか」について両者の見解を一致させようとしたのです。

 モルトケもビスマルクも「仏人とは昔から他人の成功に対しても横槍を入れて異議を唱える」人種(この四半世紀後に当の独や露と行った三国干渉を思い出して下さい)なので、自らが負けたとなると、この「屈辱」は長く残り、敵から温情などを受けるとなるとこれは激しく拒否するだろう、と考えます。つまりは敗北を認めず、休戦以外の条件を容易に認めないだろう、と言うことでした。

 そこでモルトケは、どうせ受け入れないのなら強気に出て、「仏軍は武器を全て引き渡し、全員が例外なく捕虜となる」よう厳しく要求を出そうと考え、これに対しビスマルクも重々しい態度で同意するのです。


 ベルビュー城館には仏側が先に到着して待っていました。

 独側が交渉用に用意された食堂に入ると、仏側が歩み寄り、互いにぎこちない自己紹介となりました。その後、記録は独軍参謀本部参謀で近衛竜騎兵第1連隊所属のフォン・ノスティッツ大尉が取ることに決まります。


挿絵(By みてみん)

 セダン降伏交渉


 この後モルトケとヴィンファンが向かい合って着席し、交渉が始まりました。

 ところが双方一言も口を開かず、重苦しい対峙が数分に渡って続きました。手帳を手に鉛筆を構えるノスティッツ大尉も微動だにせず、席に着いたビスマルクもポドビールスキーもゆったりと構えたまま動かず、その後ろに立つ参謀たちも心得て全く動かなかったのです。

 これは仏側も一緒で、難しい外交交渉ではお決まりの、お互い相手に先に話をさせることで「得点」を稼ぎたかったのでした。モルトケは普段から寡黙で知られ、こうした状況でも表情は一切動かず沈黙が続きました。

 しかし短気で勇猛果敢、お喋りな仏人のヴィンファンは、「負けた側」でもあって沈黙に耐えられず、遂に口を開きました。


「そちらの条件を伺いたい」

 モルトケは即座に応えます。

「武器を直ちに投じ、士官を含め全員が捕虜となって頂きたい」

 ヴィンファンは呻くと即座に「それは過酷に過ぎるではないか」として、「仏国の名誉を棄損するかのような条件を呑んで降伏するなどと言うことは許されていない」と断言しました。

 そして声を改めると、「我々としては、セダン城を明け渡し、シャロン軍全員がこの戦争期間中再び独に対し敵対行動や兵役に服することをしないと約束し、全員郷里に帰還することを提案したい」とするのです。


「そのような約束は確実に守られるとは思わない」

 モルトケの反論に対しヴィンファンは、「少なくとも士官は全員それに従う」と言いますが、モルトケは首を横に振りました。

 モルトケは、「貴軍の名誉を尊重する誠意はこちらも十分に持っている」と答えながらも、心中、仏人は単に道義上の義務を尽くして約束を守るより激情に駆られて戦う方を選ぶだろう、と考えて、ヴィンファンに対し、「あくまでも無条件に降伏することを要求する」と断じるのでした。

 未だ眼光鋭いヴィンファンに対しモルトケは更に「もし貴軍が従わないのであれば、明朝武力によって従って貰うしかなくなるだろう」と不気味で冷酷な予言をするのです。そしてセダン包囲網の全容を軽く説明すると、改めて「抵抗は無駄な犠牲を増やすのみ」とするのです。


 モルトケが一切「無条件降伏」以外の選択肢を出さないつもりだ、と知ったヴィンファンは「泣き落とし」に掛ります。

 自分はボーモン会戦後に戦場に駆け付け、今朝も不利な状況から全軍の指揮を受けた云々から始まり、このような僅か「1日天下」での敗戦責任を負わねばならないのか、と同情を訴え、更に、独の温情はきっと戦後温厚な独仏関係を築くだろう、と政治的影響にまで口を出して来るのでした。


 これについてはビスマルクが口を開きます。

 北独宰相はまず、「参謀総長の要求に全く同意」し、「貴軍の提案は一切拒否する」と断じます。そして独仏の歴史を紐解くと、滔々と語り出すのでした。

「貴国は敗戦続く本戦争によって国情が安定せず、多分帝政は潰えて、この直後に新政府が我ら独の前に立つであろう。その時、果たして今話し合う帝政下における協定を無視して兵を上げるに違いない。それは1792年の先例(いわゆるフランス革命)からも明らかで、全国民を招集して武器を取ることも考えられる。第一、仏国はこの数百年、正当な理由の有無に関わらず独に宣戦したこと20回に及び、故に本戦争の敗退に対し復讐を企てる者も少なくないはず。この交渉は独が今後平和を享受するために確実な保証を得るための第一歩に他ならない。ならば貴官らは新政府に使役されぬためにも武器を投じて全員捕虜となって貰うしかない」 


 ヴィンファンは不快感を露わにすると、「過酷な降伏条件を受け入れる訳にはいかない。我が軍を見くびってはならない。我々が不名誉な降伏をするくらいなら、本官は全シャロン軍に対し今一度武器を取るよう訴える」と強気に出るのでした。


 モルトケは一切表情を変えず、話し始めました。

 抵抗は全く無駄であることを証明すべく、モルトケは机上にセダン周辺の地図を広げさせ、ひとつひとつ独軍の布陣を、周りの自軍参謀が驚くほど「敵に対し正確かつ詳細」に説明し、独軍20万が仏軍7~8万に対し総攻撃を掛けることも可能で、それ以前に糧食・弾薬とも不足である仏軍は長くは抵抗出来ず、しかも既に厭戦気分は高まって疲弊度が高い軍が抗し切れるだろうか、と尋ねます。そして答えも待たず、要塞地区を臨む全ての高地は独軍が確保し、そこには400門を越える大砲が射程内に要塞を捉えており、仏軍は少しでもおかしな動きを見せたなら集中砲火で粉砕されるだろう、と再び恐ろしい予言で締め括るのでした。

 しかしヴィンファンが表情を変えないため、モルトケは更に「貴軍から誰か士官を1名観察に寄越せばいい。全てを見せよう」と驚くべき提案まで行うのでした。


挿絵(By みてみん)

 ベルビューの会談(無条件降伏を迫るモルトケ)


 それでもヴィンファンは負けを認める訳には行かなかったのです。

 既に独軍の包囲は完全で、その恐ろしい砲兵により更に数万の犠牲が生み出されるであろうことは、あのバランの教会で味方の阿鼻叫喚を目の当りにしているヴィンファンにとって自明の理でした。しかし、それでも「たった1日」で敗戦の全責任を被る、しかも皇帝を道連れに、などという歴史に確実に残る不名誉な状況へ、プライドの高いヴィンファンとしてはどうしても踏み込めなかったのでした。


 その状況すらモルトケにはお見通しだったのかも知れません。

 ヴィンファンが苦し紛れに「24時間の休戦を願いたい。それまでに我が軍内で会議を催し最終決定したい」と言うと即座に拒絶し、返す言葉はやはり冷たいものでした。

「休戦は明日の明け方まで。貴軍が無条件降伏を承諾しない場合、我が軍は砲撃を再開する」

 思わずヴィンファンが反論しようとすると、ビスマルクが割って入り、「参謀総長。時間は午前9時でもよろしいのではないだろうか」と口を挟みました。あまりにも急激に追い込んでヴィンファンが自害しても困る、そうとでも思ったのかモルトケはビスマルクの助言を入れ多少の譲歩を許し、「午前9時に結果を待ちましょう」と結ぶのでした。


 時間は日付が変わり9月2日午前1時目前となっていました。最早これ以上の進展は望めず、会談は散会となります。

 モルトケやビスマルクはドンシュリーに設けた宿舎に入り、モルトケは部屋を閉ざすと降伏文書の草案を一気に書き上げ、やがて長い1日の終わりに数時間でも就寝を、とベッドに横になりました。


 一方のヴィンファンは急ぎセダン城まで戻ると、まんじりともせずに待っていた皇帝や将軍たちに一部始終を伝えます。皇帝は憔悴し切っていましたが、やがて、「朝には私がヴィルヘルムの本営に赴いて、直に交渉をしよう。多少は有利な条件を取り付けて来る」と言い切ったのでした。


ヴィルヘルム1世にナポレオン3世の親書を渡すレイユ

挿絵(By みてみん)


ヴィルヘルム1世とレイユ(部分拡大)

挿絵(By みてみん)


ナポレオン3世セダン降伏の親書

挿絵(By みてみん)


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