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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
293/534

セダンの戦い/ガレンヌの森西側高地の激闘とカザールの陥落

 独軍公式戦史の筆者(独帝国軍参謀本部戦史課)は「セダン・チャージ」の一節を、以下のような簡単な感想で閉じています。


「勇敢なる仏軍の騎兵襲撃は以上のように成功することはなかった。その忠義と報国の誠意から行われた壮挙も、仏軍の敗勢を挽回するに至らずとはいえ、仏陸軍はセダン会戦におけるこの騎兵の輝ける名誉、そして連戦連勝の敵に果敢に挑んだフロアンとカザールの戦場を、永く誇りを持って回顧することとなった」(1870/71独仏戦記より・筆者意訳)


 この「セダン・チャージ」における普軍側の損害は、突撃の効果を認めてしまうと恐れた独首脳の思惑からか曖昧にされていて、ただ「普軍の損害は大きなものではなかったが、猟兵第5大隊においては敵騎兵との格闘戦で剣や槍による負傷が目立った」とされています。


挿絵(By みてみん)

セダン・チャージ マルグリット師団フロアンの戦闘


 敵も「天晴れ」と讃えた騎兵襲撃を凌いだ普軍歩兵たちは、従前の攻撃態勢を維持したまま、殆ど間を置かずに再度732高地尾根のリーベル師団に襲いかかりました。


 フロアンから前進した諸隊は、732高地尾根上から「クリモンの家」(ガレンヌの森林中にある農場。セダン城の北北東2.4キロ。現存)へ向かう小道の両側を進撃し、一部はそのままガレンヌの森へ、一部はカザールの北東にある林を目指し行軍します。

 その右翼(南)側では普第43旅団がカザールに接近し、左翼(北)側ではフレニューの南から進んだ第19旅団の4個大隊(擲弾兵第6「ヴェストプロイセン第1」連隊の3個と第46「ニーダーシュレジエン第1」連隊F大隊)がフロアン~イイ街道(現国道D205号線)に到達しました。

 つまりは高地上の仏リーベル師団は、西と北の二方向からその散兵線正面と側面を圧迫され、更には南側に回り込まれてセダン要塞への退却路も塞がれる可能性が高まったのでした。


 しかし、普軍側も犠牲無しでは進撃は成らず、第19旅団はフレニュー川沿いに南下する最中、東側高地尾根から「丸裸」の状態だったため、常に仏軍砲兵から砲撃を受け続けます。その損害はイイの南西で今度はフロアン川を渡るため、その北岸草原で東側高地と対面した時に最大となり、第6連隊長のエミール・フォン・ヴェーバーン中佐始め複数の高級指揮官もこの地で負傷するのでした。

 カルヴァイル・ドゥ・イイの高地は普軍が制圧したものの、その南西側からフロアンの東郊外まで伸びる丘陵尾根(812高地頂上の南東1キロに当たる標高720フィート・約220mの高地から北東に伸びる尾根。以降720高地尾根とします)には砲撃に傷付きながらも未だ仏第7軍団の一部が居残り、ここからの銃砲撃は普第19旅団将兵を倒し続けます。それでも普軍は攻撃の手を緩めず、旅団将兵は猛烈な銃撃を冒して高地麓を南西へ流れる小川を渡り、小林を抜けて走っていたイイ~フロアン街道を突っ切り、更に高地斜面の裾野部分を占拠するのでした。

 この時、普第46連隊F大隊は右翼(南西)となり、普第6連隊第2大隊はその左(中央)に、同連隊F大隊は左翼(北東)に連なり、第1大隊は予備となって街道脇に留まったのです。


挿絵(By みてみん)

セダン・パノラマ#4 732高地から720高地を見る


 この普第19旅団の戦線と、フロアンから732高地尾根へ突進する諸隊との間は、812高地尾根で砲列護衛を行っていた諸隊が埋めることとなります。


 「セダン・チャージ」前後に動き出したこれら部隊の内、普第87連隊第2中隊はいち早く行動を起こし、騎兵が去った後も仏軍歩兵の攻撃に晒されていたフロアン東郊外の墓地に向け行軍し、墓地に群がる仏軍歩兵を急襲して蹴散らしました。

 普第88連隊第1,4中隊と普第94連隊第1大隊と第2大隊の3個中隊(第5中隊は732高地で砲兵援護)合計9個中隊は、フォン・ゲルスドルフ中将の負傷後送で第11軍団の指揮を代わった第21師団長、ハンス・フォン・シャハトマイヤー中将の命令によって812高地の林を出発します。

 この集団は第94連隊長ユリウス・アントン・カール・フォン・ベッセル大佐が率い、そのまま開けた高地東斜面を下りましたが、対面する720高地尾根から猛銃砲火を受けて少なくない犠牲を出してしまいました。その際に乱れた隊列を整えると、部隊はフロアン東郊外へ進み、ここでフロアン川を渡りましたが、前進中にベッセル大佐は両足に銃弾を受け、重傷を負って後送されてしまいました。


 普第19旅団が対する720高地尾根には、未だ侮れない数の仏軍歩兵が潜んでいました。彼らは仏第7軍団第3(デュモン少将)師団の残兵と、同第1(コンセイユ=デュームニル少将)師団の一部と思われますが、昨日から掘り続けた散兵壕二列を頂上尾根と北西側斜面に設え、これは砲撃にもよく耐えて手強い銃撃拠点となっていたのです。

 普軍側は集中射撃で仏軍の頭を下げさせると、一気に斜面を登り始めますが、仏軍もまた激しい銃撃でお返しをしました。正に弾雨の中を這うように前進することとなった普軍側は短時間で多くの兵士が負傷脱落し、少数の者が指揮官と各大隊旗の下に集合して、少ない遮蔽物を伝ってじわじわと頂上目指し登るのでした。


 この前線左翼(北東)側では、普第6連隊第2大隊長パウエル少佐が率いる集団が、逆襲に転じて高地上から突撃して来た仏軍歩兵を迎え撃ち、必死の銃撃で辛うじて敵を退けます。その後、幾度かの攻防戦の後、少佐と隊は尾根の散兵壕へ突入し、この間に同連隊第1大隊は少佐の側面を援護するため最左翼へ進むのでした。

 この攻防戦では、フレニューの南に陣を敷く普第5軍団の軽砲第6と重砲第6の両砲兵中隊が放つ榴弾砲撃が、大きな効果を上げて歩兵の攻撃を援助し、普第6連隊が確保した高地上の散兵壕は激しい銃撃戦によっても奪回されず維持されました。しかし、早朝から遠距離の行軍に続く激戦で疲れ果てた連隊は、後方に多くの負傷兵や落伍兵を置いたまま前線の兵員数は全く不足し、そのため銃撃に勢いを欠いた前線では損害が相乗的に増えてしまい、パウエル少佐もまた負傷して後送されてしまうのでした。

 この第2大隊ばかりでなく、擲弾兵連隊他の2個大隊でも損害は大きく、特に先頭で指揮する士官は次々に倒れてしまい、今や各大隊は中尉や少尉が指揮を執っていました。それでもこの高地尾根では第6連隊の軍旗が翩翻とひるがえり続けたのです。


 ヴェストプロイセン擲弾兵の右翼(南西)側では、カンペ少佐が指揮する第46連隊F大隊もまた激戦場に身を置いていました。

 少佐は攻撃前進後間もなく乗馬を銃弾に倒され、少佐自身も1本の指を銃弾に吹き飛ばされますが、掠り傷と言い捨てて後送を拒み、前線で指揮を執り続けました。カンペ少佐は事前に第19旅団長のヘンニング・アウフ・シェーンホッフ大佐から目標と指示された「灰白色の壁を持つ一軒家」(位置不明)を目指し大隊を前進させます。

 この内、第10中隊はマリア・アルヴィーン・フォン・ラリシュ中尉が指揮を執り、この家屋を中心に散兵線を敷いていた仏軍部隊を左翼側から襲い、たちまち士官3名、下士官兵40名の捕虜を獲ました。ラリッシュ中尉はそのまま家屋内へ突撃し、仏兵を駆逐すると灰白色の家と隣接した目立つ築山を占拠するのでした。


 ラリシュ中隊の成功により戦況は一気に普側へ傾きます。

 普第6連隊と第46連隊は720高地尾根一帯の仏散兵線へ総攻撃を開始し、これに右翼(南西)側から前進して来た「元・砲列護衛隊」の普第94連隊第1、2大隊、第88連隊の第1,4中隊、そして第87連隊の第2中隊が加わり、一気に倍加した普軍の攻撃に対処し切れなくなった仏軍は、尾根の散兵線から退却を始め、各所で散兵壕に突入した普軍諸中隊は遂に高地尾根全体を占領するのでした。


 敗退した仏軍残兵は一気に東側斜面を駆け下りると、南東側のガレンヌの森へ逃走します。

 普第80連隊第1大隊の一部は、フロアンの東で北東側高地上から仏軍が後退し始めるのを発見すると駆け足でこれを追い始め、これに同調した普第94連隊第7,8中隊も追撃を始めるのでした。

 この右翼側では、お手柄のラリシュ中尉が第10中隊を率い、占領した尾根の南にある谷を越え、フロアンから東進する諸隊左翼側と連絡して尾根の前線を一本に結ぶのでした。


 普第19旅団長ヘンニング・アウフ・シェーンホッフ大佐は、720高地尾根占領後、まずはフロアンから前進中の部隊が南側の732高地尾根へ到達するのが先決と考え、一旦部隊の前進を止め、高地尾根の散兵線に待機させました。

 720高地尾根の南側、732高地尾根の麓と斜面にはやがて第11軍団の諸中隊の他、普第83連隊第4中隊の一部と同第3中隊もやって来て加わったのです。


挿絵(By みてみん)

セダン・パノラマ#1 732高地からフロアンを見る


※午後2時過ぎ、732高地尾根の北麓に進んだ諸隊

○第88連隊・第1,4中隊

○第94連隊・第1大隊

○同連隊・第6中隊

○第84連隊・第3中隊と第4中隊の一部


 一方、カザール方面の普第43旅団の戦線では、「セダン・チャージ」の間に仏軍歩兵の一部が採石場の南部よりカザールへ後退しますが、732高地尾根上のリーベル師団本隊の歩兵は陣地を死守すると共に幾度も逆襲を試み、理由は不明ながらフロアン東の墓地(732高地頂点・現アフリカ猟騎兵記念碑の真北300m。現存)に対しては激しい闘志を示して数知れない攻撃を仕掛けるのでした。

 このフロアン墓地は既述通り普第83連隊第9中隊に同第46連隊第8中隊が加わって固守しており、襲い来る仏軍をその都度退け続けます。


 墓地から東側尾根伝いに続くクリモンの家へ向かう小道(現ジヴォンヌ道路と呼ばれる無舗装の小農道)を、フロアンから前進した諸隊と共に進む猟兵第5大隊の第2中隊は、高地斜面において仏軍の強力な前哨線に遭遇し銃火を浴びます。中隊は急ぎ敵の視界外まで後退すると、同僚第3中隊が右翼(南東)側に前進するまで待った後、この仏軍部隊の正面と側面を同時に襲撃しました。

 この戦闘発生を知らされた同大隊予備の第4中隊は、フロアン部落から駆け付けると直ちに銃撃戦に加わります。この付近の最上級士官として前線部隊と行動を共にしていた第80連隊第1大隊長のゲオルグ・フォン・シュトランツ大尉は、予備が加わったことで敵に勝ったと判断、臨時に指揮する次第となった猟兵3個中隊を統括すると広く散開させ、号令一下、小道に陣を敷いた仏軍前哨部隊に対し突撃を敢行しました。


 この仏軍前哨の後方では、仏リーベル師団の本隊が高地尾根上の山道に面して建つ一軒家屋の農家(フロアン墓地西角から東南東へ750m。現存)に強力な銃座を構え、これに接した小道に散兵線を敷いており、この732高地尾根中最も強固な拠点を造っていました。普第5軍団の猟兵は正に仏リーベル師団の防衛中心に突進した訳ですが、猟兵たちは、斜面の前進拠点から後退し本陣地へ至ろうとした仏軍前哨が驚くほどの速さでこの農家に迫り、仏軍前哨が農家に至るとほぼ同時に装剣したドライゼ騎銃を構え、一斉にときの声を上げて農家へ突入するのです。

 農家の仏軍は勢いに押され短時間で降伏し、この仏防衛線では士官3名、下士官兵200名余りが捕虜となったのでした。

 この猟兵第5大隊本隊の突撃とほぼ同時に、同大隊第1中隊は農家に隣接していた散兵壕に突撃しこれを占領、後続する第46連隊第1、2大隊もこの攻撃を援護しながら高地尾根に達します。この時、第46連隊の第4中隊は散兵壕に残された仏軍の軍旗一旒とライット砲2門を鹵獲しました。


 こうして防衛重点を奪われ、732高地尾根南部を失った仏リーベル師団は遂に後退を始め、防戦しつつ徐々にガレンヌの森へ退くのでした。


挿絵(By みてみん)

セダン・パノラマ#3 732高地尾根の農家


 この農家周辺には後続する諸中隊*もその両側に現れ、急ぎ散兵線を敷くと東側カザール方面へ後退中の仏軍に対し銃撃を浴びせました。

 また、フロアン占領から「セダン・チャージ」に掛けて分散してしまった諸隊は、前線に無傷で残った士官たちの指導で隊を整えるのです。


※732高地尾根に集合した諸隊

○猟兵第5大隊

○第46連隊・第1、2大隊

○第87連隊・第8,10中隊

○第83連隊の大部分

○第82連隊・第1大隊

○猟兵第11大隊


 この732高地尾根を普軍が確保したことにより、セダン西部戦線は一時の自然戦闘休止を見ます。

 720、732両高地尾根の普軍各部隊はこの貴重な時間を利用して部隊を整理し、残り少なくなった弾薬を融通し合い、仏軍が後退し集中するガレンヌの森への総攻撃を準備したのでした。


 このガレンヌの森西側高地尾根が普軍に確保されたことで、812高地尾根からサン=ムニュ南東に掛けての砲列護衛として、最後まで残留していた普第11軍団諸隊もフロアンに向けて前進を開始します。


※812高地尾根からサン=ムニュ南東側に掛けての砲列付近から前進した諸隊

○第87連隊・第11中隊

○第80連隊・第2,3中隊と第4中隊の一部

○第88連隊・第2,3,5,6,8中隊


 一方、午前7時半過ぎの普皇太子による「サン=ムニュへの目標変更」の影響でボスヴァル(=エ=ブリアンクール。ヴリーニュ=オー=ボワの北東2.5キロ)に「取り残されてしまった」第88連隊のF大隊(西部戦線・サン=ムニュ攻略の項参照)は、遅れた目標変更命令を受領すると急ぎ方向転換し、普第5軍団の諸部隊で充満するファリゼットの「隘路」を最後に通過すると午後2時過ぎ、ようやくサン=ムニュ郊外に到着しました。この大隊は南下し前線に加入する命令を受けると、720高地尾根の西側麓を通過してフロアンの東側から前線に加わりました。


 午後3時になると、第11軍団の砲列から数個中隊が前進を始め、732高地尾根を登坂します。


 第11軍団の重砲第1と第4中隊は812高地尾根南西側からフロアンの北を抜けて前進し、732高地尾根の拠点となった農家付近まで進みました。ここで「クリモンの家」へ続く小道沿いに砲を並べ、ガレンヌの森縁やカザール付近に居座る仏軍に対し激しい砲撃を繰り返し、これらの部隊を森の奥深くまで追いやります。

 同軍団騎砲兵第1中隊は軽砲第5と第6中隊と共にフロアンを通過して採石場付近に進みますが、先行した騎砲兵がセダン市街地を射程に収めて砲撃を開始しようとしたその時、セダン要塞の大口径要塞砲が一斉に火を噴き、この砲撃によって危険に晒された砲兵は一旦後退の止むなきに至るのでした。


 普第5軍団長フォン・キルヒバッハ歩兵大将は、奮戦しつつ東進する普第11軍団の諸隊が抜けた「穴」を塞ぐため、「セダン・チャージ」終了直後の午後2時過ぎ、普第17旅団を前進させて812高地尾根の林に進ませます。しかし、東側で死闘を繰り広げる同僚第19旅団の姿に吊られ前進することは堅く禁じました。ただ、第59連隊F大隊のみ第19旅団が「増援要請」を出した時の備えとして前進を許し、この大隊は720高地下の小川を越えた地点まで前進したのでした。


挿絵(By みてみん)

セダン・パノラマ#2 732高地


 720高地と732高地の激戦中、ヘルマン・フォン・コンツキー大佐率いる第43旅団はフロアン採石場を越え、南東方向に進撃を続けます。

 旅団主力は仏リーベル師団最左翼がセダン要塞方面へ後退したことで午後3時、採石場南部を通過しながらゴリエの南東にある小丘を越え、カザールへ向け進みます。その最右翼部隊はムーズ河畔に到達し、戦線南側を突破されぬよう固めるのでした。

 カザール部落へ突進したのは第32連隊第2大隊、同第9,11中隊を一線に、第95連隊F大隊を第二線とした集団で、必死で銃撃を行って防戦する仏リーベル師団のおよそ1個大隊と対決し、一気に部落内へ突入すると、観念したのか守備隊は短時間で手を上げるのでした。この時の仏軍捕虜は士官12名下士官兵500名を越えますが、この戦闘中にF大隊と行動を共にしていた第95連隊長アルベルト・カール・フォン・バッセヴィッツ中佐は腹部に銃弾を受けて後送され、翌日亡くなっています。

 その後諸隊は、未だ仏兵が隠棲する部落南端東側にある広大なカザール墓地(現存)に対面して、南北に細長い部落の東縁に散兵線を敷きました。


 732高地尾根からガレンヌの森に向かった第11軍団の諸隊、第46連隊、猟兵第5大隊以外の諸隊は、フロアンの攻防戦や「セダン・チャージ」によって分散し部隊としては統制不能となり、主として第43旅団に吸収されています。とは言え、第43旅団の第32と第95連隊も諸隊がことごとく混合し分散してしまっており、コンツキー大佐がカザール掌握後に掛けた集合に応じることが出来たのは、両連隊に別部隊の諸兵合わせた混成1個大隊程度の兵力だけであったと言います。その他の部隊はカザールの東沿いに自然と散兵線を形成しましたが、この右翼側部隊はカザール墓地に突入し、銃撃戦の後、仏軍残兵はセダン要塞へ逃走、残された150名の仏兵は捕虜となったのでした。


 カザール部落と墓地を占領した普第43旅団は、短時間で部隊集合を掛けてなんとか各中隊を整理すると、第95連隊第5,6中隊は最左翼(北)として部落北の林を守備、同連隊第1大隊と7,8中隊は右翼としてフロアン採石場とムーズ川の間にあるゴリエ南東の小丘に布陣しました。

 フロアンの採石場には第32連隊第1大隊と第10,12中隊が守備隊として残留し、第二線として前線を後援しましたが、第43旅団の中央部にあった残りの部隊(第32連隊第2大隊と第9,11中隊、第95連隊F大隊)は墓地から僅か250m程度しか離れていないセダン要塞外郭の斜堤から盛んに銃撃を行う仏守備隊によって釘付けとなってしまい、やがては墓地の前進拠点から部落内の家屋まで引き上げざるを得なくなったのでした。

 「セダン・チャージ」直前に先行してムーズ河畔まで進んでいてカザールの占領に参加しなかった第95連隊第3中隊の前哨散兵小隊は、河畔の段丘に潜んでいた仏落伍兵300名を捕虜にして意気揚々、旅団右翼に加入しました。

 

 ゴリエ付近で「セダン・チャージ」を受けた第11軍団工兵第2中隊は第43旅団右翼へ進み、合流します。

 「セダン・チャージ」で唯一の騎兵対騎兵戦を行い、仏胸甲騎兵と対決した普驃騎兵第13連隊の第3,4中隊は、ゴリエの北で待機を続けました。


 これでセダン西部戦線は大きな戦闘をほぼ終え、その後包囲された仏軍は再三連携の無い突発的な突進を行い、北方または北西方への脱出を謀りますが、全てがっちりと包囲を固めた普軍諸隊に阻止され、いたずらに損害を増やすのみとなるのです。



※ 普第5軍団、普第11軍団の戦闘部隊 9月1日午後4時における位置


◯ 普軍戦線右翼(南部・カザール周辺)


◇カザール部落南部近郊

*第32連隊・第10,12中隊

*同連隊・第1大隊

*第95連隊・第1大隊

*同連隊・第7,8中隊

◇フロアン東(カザール)採石場からムーズ川岸の間(ゴリエ東丘陵)

*第11軍団工兵・第2中隊

◇カザール部落内

*第95連隊・F大隊

*第32連隊・第2大隊

*同連隊・第9,11中隊

◇カザール部落北部小林

*第95連隊・第5,6中隊

※この第43旅団の戦線には第46連隊と猟兵第5大隊の一部も合流。


◯ 普軍戦線中央部(フロアン東部732高地周辺)


◇732高地南部尾根

*猟兵第5大隊

*第46連隊・第1、2大隊

*第87連隊・第8,10中隊

*第82連隊・第9,11中隊

*猟兵第11大隊

◇尾根上農家とその散兵壕でガレンヌの森縁に対し銃撃中

*第83連隊の一部

◇尾根上農家周辺に集合中

*第83連隊の大部分

*第82連隊・第1大隊

◇尾根上農家の西側斜面を行軍中

*第88連隊・第2,3,5,6,8中隊

*同連隊・F大隊

*第80連隊・第2,3中隊

*第87連隊・第11中隊

*第59連隊・F大隊

◇尾根上農家の西側斜面に展開

*野戦砲兵第11連隊・重砲第1,4中隊

*第83連隊・第6中隊

◇尾根上農家の西側斜面下で待機

*野戦砲兵第11連隊・重砲第3中隊

*第94連隊・第5中隊

*野戦砲兵第11連隊・騎砲兵第1中隊

*野戦砲兵第11連隊・軽砲第5,6中隊


◯ 普軍戦線北部(フロアン北東部720高地周辺)


*第6連隊・F大隊

*第46連隊・F大隊

*第94連隊・第1大隊

*同連隊・第6,7,8中隊

*第88連隊・第1,4中隊

*第83連隊・第3中隊

*同連隊・第4中隊の三分の一

*第87連隊・第2中隊


◯ 普軍戦線左翼(北部・イイ周辺)


*第80連隊・第1,4中隊

*同連隊・第2、F大隊

*第82連隊・第10,12中隊

*同連隊・第2大隊

*第87連隊・第1,3,4,5,6,7,9,12中隊

*第88連隊・第7中隊

*同連隊・F大隊


※ 残りの砲兵及び普第5軍団残余(以下)は後方待機か進撃準備中


*第58連隊・第1、2大隊(第17旅団)

*第59連隊(第17旅団)

*第7連隊・第1、2大隊(第18旅団)

*第47連隊(第18旅団)

*第37連隊(第20旅団)

*第50連隊(第20旅団)


挿絵(By みてみん)

高地尾根の戦闘



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