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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
289/534

セダンの戦い/セダン包囲と西部戦線砲列の完成

 有名な「セダン・チャージ」、仏軍騎兵の集団突撃は午後1時30分頃に始まりますが、午前中の早い時間、サン=ムニュ陥落直後にも仏軍騎兵は突撃を行っています。


 午前8時過ぎ、サン=ムニュが普軍によって占領されたことを知った仏軍予備騎兵第1師団長のジャン・オーギュスト・マルグリット少将はイイ南郊外(南へ700m)のカルヴァイル・ドゥ・イイの高地から、その敵がイイに面して布陣すると同時にフレニューの占領をも確実とし、更にイイを目指している様子を観察していました。

 普軍砲兵数個中隊は812高地尾根へ展開し、カルヴァイル・ドゥ・イイからフロアンにかけて布陣する、フェリクス・ドゥエー将軍の仏第7軍団散兵線より1,000から1,500m隔てて対面するこの高地尾根から仏軍陣地を叩き始めていました。

 しかし、その右翼側となるイイの北西高地(853高地尾根)には僅かな歩兵しか見えず、今ならここを襲って左に旋回すれば普軍の砲列を蹂躙することが出来るのではないか、と思われました。


 将軍は望遠鏡を畳むと、麾下の第1旅団(アフリカ猟騎兵第1、3、4の3個連隊。およそ1,500騎)に対し「直ちに突撃せよ」と命じます。


挿絵(By みてみん)

 マルグリット将軍


 仏第7軍団の陣地線右翼後方となるイイの南郊外で待機していたアフリカ猟騎兵第3連隊は、2日前までは同連隊長で現第1旅団長、ガストン・アレクサンドル・オーギュスト・ドゥ・ガリッフェ准将が直率し、イイの南方へ前進する普軍に向け突進しました。

 この獰猛と噂される仏植民地騎兵から最初に狙われたのは、ちょうどカルヴァイル・ドゥ・イイの高地へ向かおうとしていた普第87連隊F大隊の両翼(第9,12)中隊でした。

 2個中隊の先頭を進む散兵たちは、敵騎兵が自分たちの方向へ殺到するのを目撃すると、落ち着いて銃を構え、外れるはずのない50mを切るところまで引きつけると所属長たちの号令で一斉に銃撃を行い、その後は各自通り過ぎる仏騎兵に対し手当たり次第に乱射するのでした。


挿絵(By みてみん)

 ガリッフェ旅団の突撃


 仏軍騎兵の先頭を行くガリッフェ准将は、ドライゼの銃弾が唸りを上げて掠め去り、同時に准将と並んで疾駆していた十数騎が撃ち倒されるのを見ると、ここで合図をして隊を左右二手に分け、敵の歩兵2個中隊を迂回させます。そして300mほど西方の高地尾根(853高地の南西側)上に進んだ普軍散兵線に向かって斜面を駆け上がると、これを圧倒し突破しようとするのです。

 しかし、アフリカ猟騎兵たちは近距離から統制された一斉射撃で迎えられ、勢いを殺がれた連隊は自然と散開分裂し、斜面の窪地や倒木、灌木に隠れた普軍散兵は、十数騎のグループの寄せ集めにまで分散した仏軍騎兵を狙撃し始めました。

 仏軍騎兵はこの恐ろしい射線から逃れ、またこれを突破しようと激しく機動しましたが、集団の持つ衝撃力を失い、最早単騎の寄せ集めとなった仏軍騎兵に対し、逆に普軍側は812高地尾根の森林や853高地上から見事に統一された十字砲火を浴びせ掛け、時間経過と共に後方から増援も駆け付けたことで、植民地猟騎兵の前線突破は非常に困難となりました。


挿絵(By みてみん)

 アフリカ猟騎兵


 このアフリカ猟騎兵第3連隊の100m後方からは、同僚のアフリカ猟騎兵第1連隊が続行し突進します。

 しかし、部隊の先頭を行く連隊長のアンリ・ルイ・クリコ大佐は、ガリッフェ准将の連隊が敵歩兵の銃撃で勢いを殺がれ、戦線突破が阻止されるのを目の当たりにします。そして812高地尾根から砲撃を受け始めると、大佐は部隊に旋回を命じて難を避け、その後は無理をせずに反転し、出発地点のカルヴァイル・ドゥ・イイの後方まで下がるのでした。


 突撃の最後尾はアフリカ猟騎兵第4連隊と、味方が襲撃を敢行するのを見るや突発的に参加したアメル少将率いる仏第7軍団騎兵師団所属の槍騎兵2個中隊(更にその後方を騎砲兵小隊が付いて行きました)でしたが、ガリッフェ准将の連隊が812高地に砲列を敷いた普軍の目前で転回し退却に移ると、彼らもまた反転するのでした。


 こうしてマルグリット騎兵師団による「朝の突撃」は失敗に帰します。

 攻撃による仏軍の戦死傷者は士官15名(内7名が戦死)、下士官兵136名に上り、その殆どがアフリカ猟騎兵第3連隊のもので、同連隊は定員の3分の1を失った計算となります。この時、普軍側は各隊合わせて30名前後の損害を報告しています。


挿絵(By みてみん)

 ガリッフェ


 この後、マルグリット騎兵師団は812高地や853高地の普軍散兵線や砲列から激しい銃砲撃を受け、このままでは一方的に損害が増えるだけと考えた将軍は、師団を一旦ガレンヌの森へ退避させました。

 しかし、深い森の遮蔽であっても普軍の恐ろしいクルップ砲にとっては何の障害にもならず、仏軍は森の奥深くに潜んでもなお損害が増え続けたのです。

 情け容赦のない榴弾砲撃は、木々を撃ち倒して恐ろしい弾片や木片を巻き散らし、外れれば大地を掘り起こして石礫を跳ね飛ばし、運の悪い兵士たちを撃ち吹き飛ばします。

 その凄まじい威力は、豪勇で鳴る仏軍騎兵たちを以てしてもパニックを呼び、一時的に秩序が崩壊寸前まで行った師団は、高級士官たち必死の叱咤激励によりぎりぎりのところで踏み止まるのでした。


 元来は第6軍団騎兵師団の第1旅団で、軍団がメッスへ前進する際にシャロン演習場にて残留を命じられた結果、シャロン軍結成時にマルグリット師団の第2旅団となったアドルフ・ジュール・ティラード准将率いる旅団(猟騎兵第6と驃騎兵第1の2個連隊)もまたパニックに襲われ右往左往しますが、准将始め士官たちの叱責で下士官兵は次第に落ち着きを取り戻しました。


 実はティラード准将はイイでの待機中、命拾いをしています。


 准将がカルヴァイル・ドゥ・イイの高地で敵の動向を観察していた時、部下で猟騎兵第6連隊長のボンヴォー大佐と話し合うためその高台を離れた瞬間、812高地尾根から放たれた榴弾が数十秒前まで准将が立っていた位置に着弾し炸裂したのです。

 これを見た准将は突然笑い出し、呆然とした猟騎兵第6連隊長とその副官に対し、喜びを爆発させるのです。

「なんて事だ!私は戦史に残るところだったじゃないか。でも命は拾ったぞ。素晴らしい!今日の日も恐れずに足らずだ。私は死なないぞ!」

 しかし部下の前では気丈に振舞っていた准将は、幕僚で親友のドゥ・ガンテ中佐の前では真顔となり、こう呟いたのです。

「友よ。あの砲弾は私を狙ったものだったのだろうか」


挿絵(By みてみん)

 ティラード


 ガレンヌの森で旅団の秩序を取り戻したティラード准将は、部隊の右手で黒毛のアラブ馬に騎乗し指揮を執っていましたが、午前11時30分頃、ガレンヌ森の縁から60mほど内側の溝状となった林道を前進中、サン=ムニュ方面から飛来した榴弾の一発が、准将の左側で騎乗していた驃騎兵第1連隊の小隊長プルースト大尉の脇で炸裂し、准将も腹部に弾片を受けて倒れます。

 副官たちは駆け寄って准将を助け起こしますが、准将は既に血塗れで腹を断ち切られており、手を施す間もなく死亡してしまいました。副官は静かにその剣を外し、准将の体をコートで包み、哀悼の意を示すと戦場へ進んで行くのでした。

 2時間後、遺体を回収するために部下たちが現場に戻ると、ティラード准将の遺体は制服を切り裂かれた状態でうち捨てられており、コートはおろか貴重品の全て、勲章から指輪に至るまで根こそぎ持ち去られていました(普軍はまだ森まで進んでおらず、おそらくは仏の敗残兵か心無い住民の仕業と思われます)。


 普軍砲兵の恐ろしい砲撃により、この森では准将や騎兵ばかりでなく多くの仏軍将兵が犠牲となったのです。


 騎兵の襲撃が失敗した後、報復とばかりに仏軍はカルヴァイル・ドゥ・イイからフロアンに至る陣地線より高地際まで戦列歩兵を前進させ、第87連隊の2個中隊は猛銃砲火を浴びて斜面を駆け戻るしか手が無くなり、フレニューへ前進した第82連隊に合流するのでした。

 このフレニューへ集合した普軍部隊は第88連隊第7中隊と第87連隊第1中隊をも加えて合計10個中隊*となります。第21師団長フォン・シャハトマイヤー中将はこの集団を、ちょうど護衛も少なくフレニューの南郊外に到着した第5軍団の砲兵援護に任命しました。フレニュー部落自体は第82連隊第2大隊が守備隊となります。


※フレニューに集合した諸隊

〇第82連隊第2大隊

〇同第10,12中隊

〇第87連隊第1,9,12中隊

〇第88連隊第7中隊


 普第5軍団に先を越されて常設橋を使われ、ドンシュリー周辺の街道も渋滞していたため、部落の南でムーズ渡河出来ずに待機していた普第11軍団の歩兵部隊(猟兵第11「ヘッセン=カッセル」大隊の第3,4中隊とフュージリア第80「ヘッセン=カッセル」連隊)は、渋滞が緩和されると前進を始め、午前6時15分に渡河を完了、ファリゼットの隘路まで急行します。ここで第21師団の後衛(第42旅団)に追い付いた部隊は、街道を外れて森の東側高地斜面をフレニューとフロアンに分かれて進むこととなりました。


 猟兵第11大隊の第3,4中隊と第80連隊第1大隊主力は、812高地尾根の林に向かい、第87連隊第11中隊や第88連隊第2大隊の散兵線を強化します。この林南端にあった境界壁は猟兵たち絶好の遮蔽物となり、ここは狙撃ポイントとして活用され、狙撃兵が東側高地に展開する仏軍散兵を狙撃し続けるのでした。

 なお、先行していた猟兵第11大隊の残部(第1,2中隊)は軍団砲兵隊を護衛しつつサン=ムニュに到着しましたが、第3,4中隊が到着したことで合同すべく行動し、第1中隊は林中に、第2中隊は高地西側斜面にあった農家へとそれぞれ進みました。

 第80連隊の主力(第1大隊の一部と第2、3大隊)はシャハトマイヤー将軍の命令でフレニュー方面へ進み、午前10時頃にサン=ムニュの北に達します。


 戦場に先着し、サン=ムニュ東方で待機を続けた普第87連隊主力(第1と第2大隊)は、仏軍砲兵から格好の目標として榴弾砲撃を受け続け、遮蔽物の陰でひたすらに忍耐を強いられていました。

 仏軍騎兵襲撃の後、後方から続々と部隊がやって来るとともに、北のフレニューも確実に普軍の手に入った事を知った同連隊の第2大隊長フォン・グローテ少佐は、フレニューの東を目指して進むことを決意、5個(第3~7)中隊を選んで直率し、フレニューの南側を過ぎてジヴォンヌ渓谷を目指し進撃を開始します。この進撃には第41旅団長のフリードリヒ・フォン・グローマン大佐も同行しました。


 この行軍開始直後に少佐は、仏軍の車両縦列と砲車が騎兵の護衛下でイイから北方に脱出しようとしているところを発見します。


 少佐は部隊に駆け足を命じ、フレニュー東方の高地上で敵車両の護衛騎兵隊と交戦、その隙に仏軍の馬車30輌を馬匹ごと奪取するのでした。

 この縦列からは8門の砲車が騎兵と共にオリー(イイの北東1.5キロ)方面へ逃走します。これを知った一隊は高地東に広がる森林を通過する者、迂回する者様々に急追し迫ったため、仏軍の砲兵はジヴォンヌ川を越え、オリー東側の林間に急遽砲列を敷き対抗しようとしました。ところが同行した騎兵たちは馬を捨て、徒歩で森林に逃走した模様で、主を失った百数十頭の馬匹が辺りを走り回るという状況となります。

 仏軍砲兵は普軍の先頭が森の縁に現れると霞弾を2発発射し出迎えましたが、3発目を発射する前にフォン・ヴォーベゼル中尉が第6中隊と第5中隊の一部を率いて砲列に殺到し、仏軍砲兵は捕虜となり騎砲8門は鹵獲されるのでした。

 しかしこの戦闘中、第41旅団長のフォン・グローマン大佐は負傷してしまうのです。


 ここで、戦場の遥か北西側で発生した椿事を記しておきましょう。


 普第5軍団の前衛がヴィヴィエ=オー=クールに到着する時(午前7時30分頃)、北方の偵察を命じられ前衛本隊から離れて更に北へ向かった騎兵部隊がありました。

 これは第10師団の騎兵部隊、フォン・シェーン大佐率いる竜騎兵第14「クールマルク」連隊です。ベルリン周辺の地域名である「クールマルク」を名乗るものの、実態は優秀なポーランド騎兵の伝統を持つポーゼン州の竜騎兵たちは、ヴィヴィエ=オー=クールを通過して北上し、イッサンクール(ヴィヴィエの北2.5キロ)に到着すると、この地から仏白国境に向けて中隊単位で偵察行に出撃しました。この内の第1中隊はフォン・マッソー大尉に率いられて国境に至りますが、ここでまとまった数の仏軍騎兵と遭遇するのです。


 このきらびやかな制服をまとった一行は、なんと仏第5軍団騎兵師団の本営で、師団長のブラオー少将とその副官、幕僚の一部は戦わずして捕虜となってしまうのでした。


 お手柄のマッソー中隊は更に進んでボスヴァル(=エ=ブリアンクール。ヴリーニュ=オー=ボワの北北東2.5キロ)の北、ベルギーはシュニーの南側辺境の森林中を越境しないよう気を付けながら捜索しました。そして、ラ・クレール(ボスヴァルの東1.2キロ。ファリゼットの森北部)から川沿いに北上して来た同連隊第4中隊に第2中隊の1個小隊と共同で、仏軍の疲弊し切った「彷徨える」騎兵たちを捕虜とし、主のない馬匹や進退窮まった車両など多数を鹵獲するのです。その数は士官16名、下士官兵89名、馬匹150頭、弾薬車両と荷馬車40輌に上りました(これ以外の師団騎兵や車両はベルギーへ逃走するもの、更に西へ、メジエールをも越えて逃走するもの多数に及びました)。

 こうして8月30日の「ボーモンの戦い」の後、セダンに向けて後退したつもりが夜間に道を誤り、遙かアルデンヌの森林地帯に迷い込んで2日間彷徨い続けた仏第5軍団騎兵師団は、同僚騎兵たちが死を賭して華々しい栄光(勝利ではなく栄誉でしたが)を手に入れた頃、捕縛されてラ・クレールへと護送されるのでした。


 普第11軍団の歩兵がイイの北オリーまで進んで「セダン包囲」をほぼ確実とした頃。

 普第5軍団の砲兵隊も続々と戦場に来着し、812高地尾根の第11軍団砲列右翼に展開を始めます。


 普第5軍団長フーゴー・フォン・キルヒバッハ大将は午前9時30分、ファリゼットの「隘路」から街道を外れて北東の斜面へ進んだ軍団前衛と共に、シャン・ド・ラ・グランジュ(サン=ムニュの北北西1キロにある家屋群。現存)に到着しました。将軍はこの地で、まずは第10師団砲兵と軍団砲兵とを第11軍団砲兵の左翼側に展開させるべく差配しました。

 砲兵指揮官たちは先行してサン=ムニュからフレニューの東側高地尾根(853高地)に向かい、砲兵陣地適地を定めると各中隊を誘導し、午前10時過ぎにはサン=ムニュの東側で砲列を敷いた前衛の砲兵中隊がイイの南西高地上に砲列を敷く仏軍砲兵に対して砲撃を開始するのです。


挿絵(By みてみん)

 キルヒバッハ大将


 第5軍団砲兵はシャン・ド・ラ・グランジュから二手に分かれ、片方はフレニューから、もう片方はその北郊外を迂回して部落の南及び南東郊外に砲列を敷きました。この砲列は午前10時45分に砲撃を開始し、追ってその右翼側に前衛砲兵の2個中隊が進み出て砲列に加わります。

 午前11時となると第10師団本隊と行動を共にしていた師団砲兵隊残りの2個中隊も到着して、軍団砲兵砲列の両翼に分かれて展開するのでした。

 こうして第5軍団の砲兵10個中隊は、第11軍団の14個中隊と共にフロアン前面からアルデンヌ森林縁に至るまで長大な砲列を形成し、折から激しい砲撃を開始したジヴォンヌ部落東側の近衛軍団砲列と呼応して、猛烈な榴弾砲撃をイイの高地からガレンヌの森に対して行ったのでした。


※午前11時30分頃の普第11軍団と普第5軍団砲兵中隊砲列(南から北へ)


☆第11軍団砲列(野戦砲兵第11「ヘッセン=カッセル」連隊)各中隊


〇812高地西斜面(最右翼)

・重砲第3(22師砲兵)

・重砲第1(21師砲兵)

・重砲第4(22師砲兵)

〇812高地北尾根上

・軽砲第4(22師砲兵)

・騎砲兵第3(軍団砲兵)

・重砲第6(軍団砲兵)

・重砲第5(軍団砲兵)

・騎砲兵第1(軍団砲兵)

・軽砲第2(21師砲兵)

・軽砲第6(軍団砲兵)

・軽砲第5(軍団砲兵)

・軽砲第3(22師砲兵)

・重砲第2(21師砲兵)

・軽砲第1(21師砲兵)

※最左翼はサン=ムニュの東800m付近


☆第5軍団砲列(野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊)各中隊


〇853高地尾根西端(サン=ムニュの東1.2キロ)から北東へ

※第11軍団砲列左翼端から400m東側より

・軽砲第6(10師砲兵)

・重砲第6(10師砲兵)

・軽砲第5(10師砲兵)

・軽砲第4(軍団砲兵)

・軽砲第3(軍団砲兵)

・重砲第3(軍団砲兵)

・重砲第4(軍団砲兵)

〇フレニューの南東350m付近から東へ

・騎砲兵第2(軍団砲兵)

・騎砲兵第3(軍団砲兵)

・重砲第5(10師砲兵)

※最左翼はイイの北1キロ付近

※第11軍団騎砲兵第2中隊と第5軍団騎砲兵第1中隊は騎兵第4師団に所属


 この普第5軍団の砲列は、第11軍団の砲列より対峙する仏軍に近く、絶えずシャスポー銃の銃弾やライット砲弾が飛んで来ると共に、歩騎兵からも脅威を受けます。特に砲列左翼(フレニューの南側)では、北西方向へ退却しようとジヴォンヌ渓谷を西へ登って進む仏軍部隊があったため幾度か攻撃される運命にあったのでした。

 第5軍団砲兵の騎砲兵大隊(2個中隊)は前進中、ラ・シエリ(フレニューの東900mにあった家屋群。現存しません)付近に現れた仏軍騎兵によって攻撃を受けますが、すぐに普驃騎兵第14連隊の2個(第2,3)中隊が派出していた斥候隊が駆け付け、これを撃退します。この情報はすぐに伝わり、驃騎兵第14連隊の2個中隊だけでなく、同第13連隊の2個(第1,2)中隊も騎砲兵を援護して砲列を護衛し、やがて驃騎兵第14連隊から残りの2個中隊も駆け付けると第5軍団本隊から竜騎兵第4「シュレジエン第1」連隊もやって来て、合計10個中隊の騎兵は砲列左翼側に集合して護衛となりました。同じ頃、仏白国境で仏軍騎兵を捜索していた竜騎兵第14連隊の第2,3中隊は、後を第1,4中隊に任せて斥候を回収すると第20旅団に復帰・合流しています。


 この砲列後方、フレニューに集合した第11軍団歩兵諸中隊(前述)は、第82連隊長代理のヴィルヘルム・フォン・シュリーフェン少佐が掌握して指揮を執り、第82、88両連隊の第7中隊がイイ北方の林に入ってこれを守備し、残りの諸中隊はフレニュー南方の高地尾根に展開しました。


 オリーでの戦闘に勝利した第87連隊の5個(第3~7)中隊は、フレニューに到着したフュージリア第80連隊(第2,3中隊欠)と連携することとなります。

 これら第80連隊の部隊は第87連隊部隊の後方に進んで援護を行い、第87連隊諸隊はオリーを占領すると付近のジヴォンヌ渓谷を捜索し、隠れていた多くの仏軍落伍兵を捕虜にしました。

 この時、東の森から伯爵フォン・ヴァルテンスレーベン大尉率いる普近衛驃騎兵連隊第5中隊が現れ(既述。「普近衛軍団前進す(後)」参照)、これによりマース軍と第三軍両翼の連絡が成り、セダンの独軍による包囲は決定的となったのです。


☆ 第5・第11軍団の砲列12:00

挿絵(By みてみん)

※9月1日早朝の普第5軍団行軍序列


◎普第5軍団

 軍団長 フーゴー・フォン・キルヒバッハ歩兵大将


◇第10師団 フリードリヒ・ヨハン・フォン・シュミット中将


☆前衛支隊

 フーゴー・ヘルマン・オットマール・ルドルフ・ヴァルター・フォン・モンバリー少将(第20旅団長)


*竜騎兵第14「クールマルク」連隊 フォン・シェーン大佐

*フュージリア第37「ヴェストプロイセン」連隊・第1大隊 リュトゲン少佐

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊重砲第6中隊 シュメーデス大尉

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊軽砲第6中隊 カスバリー大尉


〇第20旅団

*フュージリア第37「ヴェストプロイセン」連隊

 ゲオルグ・フリードリヒ・アレクサンダー・カール・フォン・ハイネマン大佐

・第2大隊 男爵フォン・デア・ブッシュ=ハッデンハウゼン少佐

・第3大隊 フォン・シドウ少佐

*第50「ニーダーシュレジエン第3」連隊

 オットー・フェルディナント・フォン・スペルリング中佐

・第1大隊 フォン・リェッシング少佐

・第2大隊 クリューガー少佐

・F大隊 ディークホッフ大尉

*第5軍団第2衛生隊第1分隊


☆本隊

 フォン・シュミット中将(第10師団長)


〇師団前衛

*擲弾兵第6「ヴェストプロイセン第1」連隊・F大隊 フォン・ゲスニッツ大尉

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊・第3大隊 リェール中佐

・重砲第5中隊 キルシュ大尉

・軽砲第5中隊 シュミット大尉


〇第5軍団砲兵隊 ケーラー中佐

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊第2大隊 フォン・ボリス中佐

・重砲第3中隊 メッツケ(兄)大尉

・重砲第4中隊 フォン・リリーンホッフ=ツヴォヴィッツキー大尉

・軽砲第3中隊 クナーク大尉

・軽砲第4中隊 ハーベルマン大尉

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊騎砲兵大隊 ピルグリム少佐

・騎砲兵第2中隊 ヴェント大尉

・騎砲兵第3中隊 フォン・コルフィサール=モントマリン大尉

*第5軍団第3衛生隊


〇第19旅団

 グスタフ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘンニング・アウフ・シェーンホッフ大佐

*擲弾兵第6「ヴェストプロイセン第1」連隊 エミール・フォン・ヴェーバーン中佐

・第1大隊 フォン・タッデン大尉

・第2大隊 パウエル少佐

*第46「ニーダーシュレジエン第1」連隊

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・マグヌス・ハインリッヒ・フォン・エーベルハルト大佐

・第1大隊 フォン・ガルヴィッツ=ドライリング少佐

・第2大隊 フォン・マリステュプスキー少佐

・F大隊 カンペ少佐

*第5軍団野戦工兵第2中隊 フンメル大尉

*第5軍団野戦工兵第3中隊 ギュンツェル大尉


◇第9師団 カール・グスタフ・フォン・ザントラルト少将


*竜騎兵第4「シュレジエン第1」連隊(第1,2中隊) ヘルマン・オットー・フォン・シェンク中佐(連隊長)

*猟兵第5「シュレジエン第1」大隊 ベデッカー大尉

*野戦砲兵第5「ニーダーシュレジエン」連隊・第1大隊 ミッヘリス大尉

・重砲第1中隊 マテュケ大尉

・重砲第2中隊 アンデルス大尉

・軽砲第1中隊 マイエル中尉

・軽砲第2中隊 ハウプト中尉


〇第17旅団 フリッケル大佐

*第59「ポーゼン第4」連隊 フォン・シュトッシュ少佐

・第1大隊 フォン・デア・ヴェンゼ大尉

・第2大隊 エールハルト少佐

・F大隊 クンメ少佐

*第58「ポーゼン第3」連隊

 グスタフ・クレメンス・ヘルマン・フォン・レックス大佐

・第1大隊 ヴェルネッケ大尉

・第2大隊 ビットヘラー少佐

※F大隊(フォン・クラリス少佐)はシメリー=シュル=バール(第三軍本営)守備で残留

*竜騎兵第4「シュレジエン第1」連隊(第3,4中隊) フォン・レットベルク少佐


〇歩兵第18旅団

 カール・フェルディナンド・ヴィリアム・フォン・フォークツ=レッツ少将

*第47「ニーダーシュレジエン第2」連隊 グスタフ・フリードリヒ・フォン・フロトー大佐

・第1大隊 マズッフ大尉

・第2大隊 フォン・ジドーヴ大尉

・F大隊 男爵フォン・フィーティングホッフ=セール大尉

*擲弾兵第7「ヴェストプロイセン第2/国王」連隊 フォン・ケーテン大佐

・第1大隊 フォン・クラハト大尉

・第2大隊 ラーケ大尉

※F大隊(フォン・デア・ミュルベ大尉)はヴァンドゥレス(大本営)守備で残留

*第5軍団第1衛生隊


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