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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
287/534

セダンの戦い/バイエルン第2軍団のバラン攻略

9月1日12:00のフレノワ/バラン周辺


挿絵(By みてみん)

☆ 独大本営と第三軍本営


 独マース軍(近衛・第12・第4の各軍団主幹)とバイエルン王国(B)軍第1軍団がバゼイユからジヴォンヌにかけての戦線で、仏第12軍団と同第1軍団に対しほぼ互角の攻防を繰り広げていた頃。


 普国王ヴィルヘルム1世は普大本営の面々(王弟や北独諸侯なども含みます)を引き連れ、午前7時30分にフレノワ(セダン城の西南西4キロ。ムーズ川南)の南南西2キロにある標高956フィート(約291m)の高地に進出し、麾下諸軍団の攻撃を観戦し始めました。

 この高地は、一国の主というより軍の総帥として立つ方が好み(幼少時から軍に奉職、若き王子時代には騎兵旅団を率いてナポレオン1世軍と戦っています)の国王たっての希望で、参謀本部が前日より「諸軍団の行動が展望出来、セダン要塞よりも安全な地点」を探し、その一つとして1日早朝に進言された場所でした。


 一方。独第三軍司令官にしてヴィルヘルム1世の長男、フリードリヒ皇太子は午前4時、軍本営幕僚を引き連れてシメリー=シュル=バールを発して前線へ進み、午前6時にピオの家(ラ・クロア・ピオ。高地上林間にある農場。ドンシュリーの南1.5キロ。現存)北東の斜面(国王の在所より北北西へ1.5キロほど離れます)に至り、ここを本会戦の本営と定めます。

 しかし、既述通りセダン周辺はこの日早朝から濃霧で覆われ一寸先も見えない状態。皇太子はバゼイユ方向から歪に轟く砲声を聞き取るものの、それが仏軍のものか独軍のものなのか、一切判断することが出来ません。

 午前7時となってようやく霧が晴れ始め、以降皇太子はセダン要塞の西側と北方を観察することが可能となります。しかし、この地からは谷地となっているバセイユなど要塞の東方面は手前の高地(フレノワとワダランクール間にある高地)のために観察することが出来ず、いよいよ激しくなる砲声はB第1軍団が激しい戦いを強いられていることを予測させるものの、詳細な情報は各所に放った斥候や連絡士官の到着を待つしかありませんでした。


挿絵(By みてみん)

ピオの家高地の独第三軍本営(中央にフリードリヒ皇太子)


 皇太子は前日本営を置いたシメリー出発時には、既にマース軍本日の命令(午前1時45分発令)を通告されており、「B第1軍団を救援し、ザクセン王太子の行動を左翼から援護するためにも、現在2個縦列に分かれて北進中のB第2軍団をバゼイユ方面へ向かわせよう」と考えます。

 同時に、当初B第2軍団への命令にあった「フレノワとワダランクール間にある高地(以降フレノワ東高地。標高731フィート。約222m)を占領し、砲列を敷いてセダン要塞に対抗する」任務は、「万が一セダンより強大な仏軍が出撃しても、1個師団程度の護衛と軍団総力の砲列により死守可能」と断じます。

 皇太子はB第2軍団長の男爵フォン・ハルトマン歩兵大将に対し、「原命令によりドンシュリー南方高地へ進む予定だった砲兵を含む縦列を、フレノワ東高地へ振り向けて新たにこの地に砲列を敷き、他方の縦列(B第3師団中心)はバゼイユに向かえ」と命令を変更するのでした。


☆ 独第三軍


 セダン攻撃の左翼(西半分)を担った独第三軍は、既に1日に日付が変わった頃より行動を開始、午前6時過ぎには軍第一線となった普第5と同第11の両軍団は、命令通りセダン~シャルルヴィル=メジエール間の連絡を絶つためムーズを渡河、前衛はドンシュリーを越えて北上していました。


 また、メジエールにいると思われる仏第13軍団の東進を阻止する任務を受けていたヴュルテンベルク王国(W)師団は、ドン=ル=メニル(ドンシュリーの西5キロ)の北方において既にムーズ川を渡っていました。

 これは師団長が、師団前衛をヴィヴィエ=オー=クール(ドン=ル=メニルの北5キロ)へ差し向け、仏軍が予想通りメジエールへ向かっている場合にその前進路を遮断しようと考えたからでした。

 また、普軍騎兵として最初に最前線まで進んだ普騎兵第4師団はフレノワ近郊に集合、いつでも前線に繰り出せるよう備えます。


 これらの行動は全て第三軍本営によって統括されており、セダンの北西には盛んに斥候が放たれましたが、セダン~メジエール街道(現国道D5号線)に進出した各斥候の第一報は、並べて「未だ敵を見ず」「銃声を聞くことなき」というものでした。

 フリードリヒ皇太子自身も先述の高地から望見した結果、「セダン~メジエール街道には敵が進出していない」と判断します。これによって第三軍本営は「仏軍は未だセダン周辺の陣地にあるか、または、東方に活路を開くために進んだのか、いずれかにある」と結論するのでした。


 戦況がこのように変化する(仏軍のセダン籠城又は東進)と、第三軍の任務としては「セダン~メジエール間の遮断(仏軍の西進阻止)」よりも「東方のマース軍と速やかに連絡する(セダン包囲又は東方への移転)」方が理に適い、緊急の課題とされます。

 フリードリヒ皇太子は午前7時30分少し前、第三軍の第5、第11両軍団に対し、「ムーズの大湾曲部(セダンの西側)を西から北へと迂回し、砲声の方向(東部)へ前進、敵の背後を突く」よう命令します。

 これによって普第11軍団はサン=ムニュ(セダン城の北北西4.5キロ)を目指し行軍し、普第5軍団は第11軍団の左翼(北側)後方から続くよう行軍路を変更するのでした。


☆ B第2軍団


 ルートヴィヒ・フォン・デア・タン歩兵大将と並ぶB軍一方の雄、男爵ヤコブ・フォン・ハルトマン歩兵大将は31日夜半発の第三軍命令に従い、1日午前4時、ロクール(=エ=フラバ。ボーモン北西10キロ)付近の野営地を発ちます。

 この時、「二縦列による進撃」との第三軍命令により、「右翼(東)縦列」としてB第3師団と槍騎兵旅団を、アンジュクール(ルミリー=イクールの南南西2キロ)から山間を越えてノワイェ(=ポン=モジ。アンジュクールの北西4.3キロ)を経過し、ワダランクール(バゼイユの西北西2.5キロ)西のフレノワ東高地へ向かわせ、B第4師団と砲兵隊とを「左翼(西)縦列」として、シェエリー(ロクールの北西7.5キロ)を経由してフレノワの西側、ドンシュリー南の高地(正に普皇太子のいる「ピオの家」高地)へ向かわせます。


 ハルトマン大将自身は「左翼縦列」にありましたが、北上中にジヴォンヌ渓谷からの砲撃音を聞き及び、行軍列先頭にいた砲兵予備隊(B砲兵第2連隊)にBシュヴォーレゼー(軽)騎兵第2連隊を護衛として付け、これを直率すると、部下に速歩を命じて軍団に先行しフレノワへ急ぎます。


 ハルトマン将軍は午前8時頃フレノワに到着すると、ここで前述の普皇太子による変更命令を受領しました。これにより将軍は新たな命令に順応するため矢継ぎ早に発令します。


 前衛となったのはB第5旅団で、この旅団は砲兵2個中隊とB軽騎兵第1連隊とを加えられて支隊となり、バゼイユへ先行しました。

 B第3師団の残りは、B第4師団が到着するまでワダランクールとマルフェの森(ボワ・ドゥ・ラ・マルフェ。シュヴージュとノワイェ間に現在もある大きな高地森林)との間に残留することとなります。砲兵予備隊は直接フレノワ東高地へ進出し、砲列を敷くこととなりました。


 B第6旅団を中核としたB第3師団の本隊は、前日の「バゼイユ橋梁の戦い」においてフォン・デア・タン軍団へ「貸し出した」師団砲兵の4個中隊を、ノワイェに至るまでの道中で復帰させ、変更命令によりマルフェの森高地の北麓森林縁で停止しました。

 このB第3師団砲兵(B砲兵第2連隊第2大隊)中、6ポンド砲第3中隊は既にワダランクール南方1キロの797高地(標高フィート。約243m)に砲列を敷き、B軍(バゼイユ方面のB第1軍団を含む)に対する要塞方面からの砲撃に対抗し榴弾を発射するのでした。


 B軽騎兵第1連隊は、ハルトマン将軍から「バゼイユへ急行せよ」と命じられると午前9時頃、ポン=モジの部落を経てバゼイユ鉄橋を目標に速歩で前進を始め、この騎兵たちを追ってB第5旅団とB砲兵第4連隊の4ポンド砲第4中隊に同6ポンド砲第7中隊がノワイェの西まで前進しました。

 午前10時にはB槍騎兵旅団もマルフェの森北麓、フレノワ部落の南東、砲列の南側に到着しています。


 一方、フレノワ東高地では、B第2軍団砲兵予備隊が軍団砲兵部長のハインリッヒ・ルッツ少将の指揮下、午前9時に砲列を敷いて仏軍の陣地帯と支配下の街道に対し試射を開始しました。

 対する仏軍は、セダン要塞南部の要塞砲がおよそ2キロの射程で応射しますが、B軍は釣られずにもっと効果のある目標に砲撃を注ぐのでした。

 このフレノワからワダランクールにかけてのB軍砲兵の目標となったのは、射程内に時折現れる仏軍の行軍列や、セダン要塞の北西側出口付近に砲列を敷いていた仏砲兵でした。


 ルッツ将軍の砲列右翼(東。ワダランクールの南西)端には軍団前衛に属していたB砲兵第4連隊6ポンド砲第8中隊が一時前進して加わり、その傍らに砲兵援護としてB第6連隊の第11,12中隊が控えました。

 反対側左翼(西。フレノワ部落の南東郊外)にはBシュヴォーレゼー(以下「軽」)騎兵第2連隊が同じく警戒護衛として対岸のセダン要塞を睨んでいました。

 この砲列の内、砲兵予備第3大隊(B砲兵第2連隊6ポンド砲第7,8中隊)は「ピオの家」高地にいる普皇太子の直接命令で午前10時、軽騎兵第2連隊第3中隊の護衛の下、フレノワからヴィレット(フレノワの北2.3キロ。ムーズ河畔)に続く尾根(最高地点標高574フィート)を前進、ベルビュー城館(フレノワの北900m)の園庭北方、アルデンヌ鉄道の南側に砲列を敷きました。彼らは距離があったものの、フロアン~イイにかけての仏軍セダン西「防衛線」にある砲列を、側面及び背面から脅かし続けたのでした。


 軍団前衛にあったB砲兵第4連隊6ポンド砲第6中隊は午前9時30分、ワダランクールの南797高地に砲列を敷いていたB砲兵第2連隊6ポンド砲第3中隊の砲列に到着し、ラ・モンセルのS軍団とB第1軍団諸隊を悩ませていた、バラン北方の仏軍砲兵2個中隊の砲列に有効弾を浴びせ、これを後退させる手柄を上げました。この後6ポンド砲第6中隊は砲兵予備隊砲列左翼端に進み加わります。


 エルンスト・フォン・ボートマー中将率いるB第4師団は、普皇太子による「フレノワ~ワダランクールの確保と砲兵護衛」との主旨の命令変更を受け取ると、新たな行軍目標をフレノワ並びにワダランクールと定めます。

 ワダランクールを目標に示されたB第7旅団は午前9時にシュヴージュで街道を外れ、マルフェ森の北縁を回り込む形で前進しワダランクールへ向かいました。後続するB第8旅団はフレノワを指定され、まずは第7旅団の左翼(北西)に進むと、国王在所の956高地を迂回しフレノワへ進みました。


 B第7旅団は午前10時、B猟兵第6と同第10大隊でワダランクールの部落及びその西側高地を占領します。


 両大隊はセダン要塞を目前とするこの部落の「危うさ」から急ぎ防御態勢を整え、セダンへ続く道にはバリケードを築きました。また、ムーズ対岸の水没氾濫地帯周辺に控えていた仏軍と銃撃戦を始め、これはだらだらと午後まで続くのです。B猟兵第10大隊の一中隊はこの間、要塞に対し威力偵察を強行しますが、これはたちまち猛銃砲火を浴びて撃退されてしまいました。

 なお、旅団残りのB第5連隊2個(第1,2)大隊とB砲兵第4連隊4ポンド砲第1中隊は予備としてワダランクール南西の高地斜面に進んでいます(旅団のもう1つの連隊、B第9連隊は騎兵と砲兵1個中隊とともにナンシー西方の要衝、トゥール要塞から本隊復帰を目指し行軍中です)。


 B第8旅団はフレノワ付近に到着後、B猟兵第5大隊とB第5連隊第3大隊を第一線とし、更に要塞方面へ前進させました。


 この内、猟兵大隊は仏軍の去ったトルシー(セダンの外郭部落で現セダン駅の北側市街地)にある「セダン」停車場(現在の駅より700mほどドンシュリー寄り、現D8043A道の北にありました)を占領します。その西側1キロの街道脇で警戒する第3大隊の右翼(東)南方には、B砲兵第4連隊4ポンド砲第2中隊が急進してフレノワ東高地斜面に砲列を敷き、これはセダン南口からの街道(前述の現D8043A道)を完全に射界に収め、要塞から出て停車場やフレノワへ逆襲を企てる仏軍を妨害するのでした。

 その間に旅団の残り3個大隊、B第11・第1・第14各連隊の第3大隊はフレノワ部落とその城館、部落北部の街道交差点、ベルビュー城館をそれぞれ占領します。彼らは要塞より仏軍が逆襲に出た場合に備え、セダンへ続く道路にバリケードや銃撃拠点を設けたのでした。

 この時、グレール(フレノワの北2.5キロ。ムーズ河畔)とヴィレットの小部落では仏軍落伍兵が独軍斥候隊の捕虜となり、猟兵第5大隊の大胆不敵なある斥候は要塞の塁壁まで近付くと、砲門から霞弾を放つ要塞砲の砲手を狙撃するのです。


 これら諸隊もワダランクールの猟兵たちと同じく、要塞の仏軍と銃撃戦を展開しますが、どちらも攻勢には至らず、不毛な銃撃は断続的に午後にまで至るのでした。


 B第4師団が変更命令通りワダランクールとフレノワへ到着すると、午前10時30分、B第3師団でマルフェ森付近に待機していた部隊もムーズ渡河目指して北上を始めます。


 この本隊北上以前に渡河したのは前衛を担ったB第5旅団で、午前11時前にバゼイユ鉄橋を渡り市街地南郊外に達しました。すると旅団に同行していたB第3師団長のヴァルター・フォン・ヴァルターシュテッテン中将は、バゼイユ市街戦の「後始末」を始めていたフォン・デア・タン大将より「バランとその近郊高地に進む」よう命令されるのです。


 フォン・デア・タン大将はこの時、仏「ブルー」師団との激しい攻防で大損害を被り、回復に暫し時間の欲しいB第1軍団に代わって、B第3師団がバランへの進撃を行い、マース軍のアルベルト・ザクセン王太子から要求された「マース軍がイイへ進撃するにあたっての側面と背面護衛」をも間接的に行うことを望んだのでした。

 ヴァルターシュテッテン将軍はこの意を受けて、B第5旅団長ヴィルヘルム・フォン・シュライヒ少将に対し「直ちに旅団を前進させ、バゼイユ市街地の西を迂回してバランに向かえ」と命じるのです。


 フォン・シュライヒ将軍はこの進撃にあたって、まずはB猟兵第8大隊をB第6連隊第1と第2大隊の間に進ませ、この1個連隊の兵力を前線としてバランへの斜面を進ませました。この直後を第二線としてB第7連隊(第2,3の2個大隊のみ)が進みます。

 この前線は左翼(南西)を行くB第6連隊第1大隊がバラン部落に、右翼(北東)を行く同連隊第2大隊が部落東の開けた高地斜面に向かい、その中央(猟兵大隊)は部落の東縁に沿って、その北東側に突出してあった庭園を持つ城址に向かいました。

 このB第5旅団が仏軍を引き付けている間に、B第1軍団の諸隊は、「バゼイユの戦い」で散ってしまった部隊を集合させ、部隊の整理をほぼ完了させました。バランの仏軍と戦っていたB猟兵第7大隊の3個中隊(第4中隊欠)とフォン・ドゥ・ジヴォンヌの仏軍散兵線と対決しているB第3連隊、そしてB第10連隊の一部はそのまま銃撃戦を続けました。


 バランへ向かうB第5旅団の前線3個大隊は、バゼイユ西郊外の開けた草原斜面を、まずはバゼイユ街道に向かう形で前進しますが、バランとその後方、セダン要塞とフォン・ドゥ・ジヴォンヌとの間に展開する仏第12軍団と同第5軍団諸隊から激しい銃砲撃を受け、これに要塞からの砲撃も加わって被害が増大しました。損害はバゼイユ街道を横切る時に最大となり、正に屍を越えての前進は「サン=プリヴァ」の再現か、と思われました。

 しかし、損害をものともせずに突進するB軍に対し、バランの守備隊は未だ敵が郊外に達する前に退却を始め、部落での抵抗は、撤退を拒否したのかそれとも命令で残ったものか家屋に潜んだ狙撃兵が、進むB軍将兵に散発的な銃撃を繰り返すのみでした。

 B第6連隊の第1大隊は狙撃兵を掃討しつつバラン部落を通り過ぎ、その先頭を行く第4中隊は、部落北西端から目前の要塞東門付近の塁壁真下に出ると、守備隊と激しい銃撃戦を始めるのでした。


挿絵(By みてみん)

バイエルン第6、第7連隊の攻撃(バラン、1870.9.1)


 これに反し、部落北東部にあった城址付近の仏軍は頑強な抵抗を見せます。


 部落に接近したB猟兵第8大隊は、1個中隊を部落内の小路へ前進させると、残り3個中隊は部落北東縁に沿って城址へ向かいます。同時に部落東郊外に至ったB第6連隊の第2大隊は、猟兵の右翼(北東)を同じく城址に向かうのでした。

 ところが、この2個大隊の諸兵は城址を目前に激しい銃撃戦に巻き込まれ、前進を阻まれるのです。


 この「バラン城址の戦闘」最初期において、猟兵大隊長フリードリヒ・コーラーマン中佐と第2大隊長ダンピュール少佐は共に負傷し、コーラーマン中佐は後にこの傷のため絶命します。

 指揮官を失った将兵は、それでも果敢に城址へ突撃し多くの犠牲を生みますが、セダン要塞北部近郊で控えていた仏第5軍団と、バゼイユやラ・モンセルから撤退した仏第12軍団将兵からなる守備隊を相手に、一時激しい銃撃戦を行いました。

 攻防数十分後、第二線として進み来たB第7連隊が参戦すると、午後12時30分、城址の仏軍守備隊は撤退を開始し、バラン郊外の656高地(標高フィート。約215m)を越え北西の果樹園まで退却しました。


 バラン城址はB猟兵第8大隊とB第7連隊第3大隊、そしてB第6連隊第3中隊の一部が占領して、城と庭園に展開してその先500mほどの要塞塁壁に対面し、B第5旅団の残りは城址周辺の地形を利用して、北方のフォン・ドゥ・ジヴォンヌに対して散兵線を作るのでした。


挿絵(By みてみん)

 バラン城址(戦後)


 このB第5旅団の苦闘は城址を占領しても終わらず、彼我の距離が700m未満となったことで激しい銃撃戦が起こり、このためバラン城址周辺で戦う将兵はたちまち弾薬の不足に悩み始めるのです。このため、B第6連隊の第2大隊は第5,6中隊を後退させ、比較的弾丸に余裕があった第7,8中隊のみで戦線を維持することとなります。


 B第5旅団と共にバランを目指したB軽騎兵第1連隊は、旅団のバラン攻略中部落南方に待機となります。午後1時になると騎兵連隊の右翼側、バゼイユ市街地北西郊外にB第6旅団が現れ、バラン郊外まで進みました。これでB第3師団は全てがムーズを渡河したこととなります。


 このバラン攻略がバゼイユの戦いほど悲惨な状況とならなかった理由の一つが、前線のB第5旅団を援助した普第8師団の行動にありました。


 フォン・デア・タン大将の要求(既述)により、普第8師団長フォン・シェーラー中将は普第8師団のほぼ全部隊をバゼイユ北方においてジヴォンヌ川を越えて前進させ、イクールのムーズ川に架かる舟橋付近に留まっていたのは、ボーモンの戦いで損害を受けた後、捕虜を護送する任務を行った第31連隊と、当座は使いようの無い驃騎兵第12連隊のみでした。


 第8師団砲兵の4個中隊はラ・モンセル西郊外からバラン街道の北にある635高地尾根上に達し、フォン・ドゥ・ジヴォンヌやバランの仏軍に対し猛砲撃を加えます。この最前線に進み出た砲列右翼(北)には猟兵第4大隊、第71連隊F大隊、同連隊の第2,3中隊が、砲列左翼(南)には第71連隊第4中隊がそれぞれ護衛としてフォン・ドゥ・ジヴォンヌの仏軍散兵線と銃撃戦を行いました。

 第71連隊第1中隊は、前衛としてフォン・ドゥ・ジヴォンヌ方面へ進んだ同連隊第2大隊の後方で、ジヴォンヌ川流域に残ってS軍団砲兵に銃撃を浴びせていた仏軍残兵と戦い、これを駆逐します。

 仏軍は諦めず、独軍砲兵が635高地尾根へ進んだ折に攻撃を開始しますが、第71連隊を中心とする砲兵護衛がこれに応戦し、仏軍はライット砲1門を残して撤退するのでした。


 B第5旅団と行動を共にしていた砲兵2個中隊は、普第8師団砲列の左翼(南)、バラン街道の南側に砲列を敷き、フォン・デア・タン大将の命令で前進したB第1軍団の砲兵4個中隊は、1個中隊が普第8師団砲列右翼に、3個中隊がB第3師団砲兵の左翼(西)に、それぞれ砲列を敷きました。


 こうしてジヴォンヌ川西岸へ渡った60門の砲はバランの北からフォン・ドゥ・ジヴォンヌに掛けて点在する仏軍砲兵と砲撃戦を行うのでした。

 また、普第8師団がラ・モンセルから西へ進んだことで、ラ・モンセルとその周辺にいたS軍団諸隊は第23「S第1」師団に復帰して、イイへの進撃のため右へ旋回するのでした。


挿絵(By みてみん)

 バラン街道沿いの砲列12:00頃


※9月1日早朝のB第2軍団行軍序列


◎バイエルン王国第2軍団

 軍団長 男爵ヤコブ・フォン・ハルトマン歩兵大将

挿絵(By みてみん)

 ハルトマン大将


☆アンジュクール(ルミリーの南2キロ)とノワイェ(=ポン=モジ。シュヴージュの東4キロ)を経過して前進する右翼縦列


◇バイエルン第3師団

 男爵ヨハン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴァルター・フォン・ヴァルターシュテッテン中将

挿絵(By みてみん)

 ヴァルター将軍


○バイエルン歩兵第6旅団 ボリス・フォン・ヴィセル大佐

*バイエルン歩兵第14連隊 フーゴ・フォン・ディール大佐

・第1大隊 フォン・ミッヘルス少佐

・第2大隊 男爵フォン・ライツェンシュタイン少佐

*バイエルン砲兵第4連隊4ポンド砲第3中隊 リッター・フォン・リェスル大尉

*バイエルン歩兵第15連隊 男爵フリードリヒ・フォン・トロイベルク大佐

・第1大隊 スティーゲル少佐

・第2大隊 フォン・シントリング少佐

・第3大隊 シーダー少佐

*バイエルン猟兵第3大隊 男爵マクシミリアン・フォン・ホルン中佐


○バイエルン歩兵第5旅団 ヴィルヘルム・フォン・シュライヒ少将

*バイエルン猟兵第8大隊 フリードリヒ・コーラーマン中佐

*バイエルン砲兵第4連隊4ポンド砲第4中隊 パウル大尉

*バイエルン歩兵第6連隊 ビェスミュラー大佐

・第1大隊 ケック少佐

・第2大隊 ダンピュール少佐

*バイエルン歩兵第7連隊 エドムンド・ヒューフラー大佐

・第2大隊 ガンブス少佐

・第3大隊 ライヒステンシュルテン少佐


○バイエルン槍騎兵旅団 男爵フォン・ムルツァー少将

*バイエルン・シュヴォーレゼー(軽)騎兵第5連隊 カール・アントン・フォン・ヴィンリッヒ大佐

*バイエルン槍騎兵第1連隊 伯爵モーリッツ・フォン・イーゼンブルク=フィリップスアイヒ大佐

*バイエルン槍騎兵第2連隊 男爵フォン・ブルンメルン大佐

*バイエルン砲兵第2連隊騎砲兵第2中隊 男爵フォン・マッセンバッハ大尉


☆前衛支隊(イクールとルミリー間で待機した後、ノワイェで右翼縦列に合流)


*バイエルン・シュヴォーレゼー(軽)騎兵第1連隊 フォン・グルンドヘラー大佐

*バイエルン砲兵第4連隊・第3大隊 メーラー少佐

・6ポンド砲第7中隊 ホーフマイスター大尉

・6ポンド砲第8中隊 ロイス大尉

・6ポンド砲第6中隊 グスネラー中尉

*バイエルン砲兵予備隊より

・バイエルン砲兵第2連隊6ポンド砲第3中隊 スペック大尉


☆ビュルソン(ノワイェの南南西4キロ)とシェエリー(ノワイェの南西5キロ)を経過して前進する左翼縦列


○バイエルン砲兵予備隊(バイエルン砲兵第2連隊) ヨハン・フォン・ピルメント大佐

*バイエルン歩兵第6連隊第11,12中隊  バル少佐

 ※第9,10中隊は軍団弾薬縦列の護衛で後続

*砲兵予備第1大隊 エッカート中佐

・騎砲兵第1中隊 男爵フォン・ラ・ロッヘ大尉

・6ポンド砲第4中隊 男爵フォン・ツー・ライン大尉

*砲兵予備第2大隊 プランク少佐

・6ポンド砲第5中隊 ヴァイガンド大尉

・6ポンド砲第6中隊 ブルーメ大尉

*砲兵予備第3大隊 ホルレンバッハ少佐

・6ポンド砲第7中隊 シュマウス大尉

・6ポンド砲第8中隊 ハウスマン大尉


◇バイエルン第4師団 伯爵フリードリヒ・ルートヴィヒ・カール・エルンスト・フォン・ボートマー中将

挿絵(By みてみん)

 ボートマー将軍


*バイエルン軽騎兵第2連隊第1中隊の1個小隊


○バイエルン歩兵第7旅団 ハインリッヒ・リッター・フォン・ティールエック少将

*バイエルン猟兵第6大隊 ヴィルヘルム・カリス少佐

*バイエルン猟兵第10大隊 マクシミリアン・フォン・ヘッケル中佐

*バイエルン歩兵第5連隊 ゴエス少佐(第2大隊長代理指揮)

・第1大隊 ゲプハルト少佐

・第2大隊 ゴエス少佐

*バイエルン砲兵第4連隊4ポンド砲第1中隊 キルヒフォッフェル大尉

○バイエルン歩兵第8旅団 ヨセフ・フォン・マイリンガー少将

 ※第5連隊長グスタフ・フランツ・クサヴィアー・リッター・フォン・ミュールバウアー大佐同道

*バイエルン猟兵第5大隊 ハインリッヒ・ヘス少佐

*バイエルン歩兵第1連隊・第3大隊 男爵フォン・デルシュ少佐

 ※第9中隊は輜重縦列の護衛で後続

*バイエルン歩兵第5連隊・第3大隊 男爵フォン・クライルスハイム少佐

*バイエルン歩兵第11連隊・第3大隊 カール・フォン・グロッパー少佐

*バイエルン歩兵第14連隊・第3大隊 フォン・レーミッヒ少佐

○バイエルン砲兵第4連隊・第4大隊 男爵フォン・クライルスハイム中佐

・4ポンド砲第2中隊 ウルム大尉


*バイエルン軽騎兵第2連隊 フリードリヒ・ホラダム大佐

※第4中隊と第1中隊の1個小隊欠


☆トゥール要塞攻囲後、軍団と合流するため行軍中


○バイエルン歩兵第9連隊 バプティスト・フォン・ヘーグ大佐

・第1大隊 ヴァイスマン上級大尉

・第2大隊 男爵エミール・フォン・ヴルフェン上級大尉

・第3大隊 男爵フォン・エプネル少佐

*バイエルン軽騎兵第2連隊第4中隊

*バイエルン砲兵第4連隊6ポンド砲第5中隊 ヘロルド大尉


☆ニーデルブロンより軍団と合流するため行軍中


○バイエルン歩兵第7連隊第1大隊 クルジュース少佐



※9月1日早朝の普第8師団行軍序列


☆第8師団 


 師団長 テオドール・アレクサンダー・ヴィクトール・エルンスト・フォン・シェーラー中将

 

○前衛支隊 フリードリヒ・ヴィルヘルム・アレクサンダー・フランツ・フォン・ケスラー少将(第15旅団長)

 先鋒隊

*第71「チューリンゲン第3」連隊・第2大隊 フォン・ボイスト少佐

 前衛本隊

*野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊第2大隊 フォン・ギルザ少佐

・軽砲第4中隊 バルケ中尉

・重砲第4中隊 ラウベ大尉

・軽砲第3中隊 リヒター大尉

・重砲第3中隊 ディークマン大尉

*驃騎兵第12「チューリンゲン」連隊 ブード・フォン・ズッコー中佐

*第71「チューリンゲン第3」連隊 フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ・フォン・クレーデン中佐

・第1大隊 ベルヒマン大尉

・猟兵第4「マグデブルク」大隊 男爵フォン・ライプニッツ大尉

・F大隊 アルトゥール・フォン・ヴォルフェルスドルフ少佐

*軍団第2衛生隊


○本隊 カール・アウグスト・フォン・シェフラー大佐(第16旅団長)

*第96「チューリンゲン第7」連隊 カール・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フーゴ・フォン・レーデルン中佐

・第2大隊 ヘルマン・エデュアルド・フォン・ニッチェ中佐

・F大隊 フォン・バンセルス中佐

*フュージリア第86「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊 フォン・ノルマン中佐

・第1大隊 男爵フォン・ボイネブルク少佐

・第2大隊 ブラウン大尉

・第3大隊 ゲーベル大尉

*第4軍団野戦工兵第2中隊 テッツラッフ大尉


※第96連隊第1大隊(フォン・ブリッツ少佐)は軍団砲兵隊護衛のため後続。野戦工兵第2中隊(シュルツ大尉)は野戦軽架橋縦列を率いて後刻本隊に追従。


○予備隊 

*第31「チューリンゲン第1」連隊

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・ヒュルヒテゴット・フォン・ボニン大佐

・F大隊  フォン・ヴィンドハイム大尉

・第2大隊 ムッセット少佐

・第1大隊 フォン・ペテリー少佐



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