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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
285/534

セダンの戦い/普近衛軍団前進す(前)

 独軍(ここではB第1軍団と第12「S」軍団)はバゼイユを陥落させるまで、およそ7時間以上に渡る長時間の攻防戦を展開し、そのために諸隊は分散して混交してしまい戦死傷者も多数に昇ったため、短時間でも休息しつつ再編成を行わなくては次の戦闘を行えない状況となりました。

 仏軍の戦力は撃退したとは言え未だ侮れず、逆襲の可能性は十分に考えられたので前線の指揮官たち(士官にも犠牲が大きく代理も多数存在します)は大急ぎで部隊の整理集合を行ったのです。そして何よりも切実だったのは弾薬の欠如で、両軍団本営は緊急に弾薬を前線へ運ぶため兵站部の尻を叩き最大限の努力を命じるのでした。


※ 9月1日正午におけるB第1軍団の状況


○B第2師団

 師団長のイグナス・シューマッハ少将は市街戦が下火となる頃、軍団長フォン・デア・タン大将から「バゼイユ並びにラ・モンセルを堅固に守備し、いかなる場合でも死守せよ」と命じられます。

 この結果、B第3旅団はラ・モンセル周辺に集合、この内B第12連隊第1大隊を前進させて師団最右翼(北側)としてジヴォンヌ川を越えた部落の西側に展開させ、B第4旅団の両連隊をモンヴィル庭園西縁とブールマン邸付近に展開させました。

 後退する敵を追った猟兵第7大隊は、3(第1,2,3)個中隊をバラン部落東郊外、バゼイユ街道の北東側に展開、第4中隊はその後方、バゼイユ街道の南西側で前線予備となりました。

○B第1師団

 激戦で損害を受けたB第1旅団はB第4旅団の予備に指定され、モンヴィル城館の東郊に再集合します。しかしその一部はバゼイユ市街地に留まり、B第1連隊第2大隊は市街地の北端にあって最前線にある猟兵第7大隊の後援となりました。また、B親衛連隊第3大隊は停車場周辺で警戒にあたりました。

 同じく市街戦を経たB第2旅団は、ドゥジーへ向かうバゼイユ街道と停車場の間に再集合し、長らく鉄道堤で予備となった後、残敵掃討を行っていた諸隊も再集合先としてこの地を指定され、原隊復帰しています。

○両師団騎兵と砲兵

 6ポンド第7と第8中隊はS軍団砲列の右翼(北)に展開し砲撃中です。その他の師団所属砲兵中、4ポンド砲第3中隊はバゼイユ街道と停車場の間に、残り5個中隊は2個シュヴォーレゼー(軽)騎兵連隊と共に市街地東端と停車場の間付近に集合していました。

○B第1軍団砲兵隊(B砲兵第3連隊)とB胸甲騎兵旅団

 イクール付近の舟橋を渡り、ムーズ川東(地理的には北)岸に待機していました。

○クラフト大尉の分遣隊

 バゼイユの戦い終盤で混成隊(B第3連隊第4とB第10連隊第4,8中隊)を率いることとなったクラフト大尉(既述)は、これらB第1軍団の前線より突出して前進しており、ラ・モンセル西の635高地尾根頂点部分で散兵線を敷き、暫時退却中の仏軍と銃撃戦を行っていました。


挿絵(By みてみん)

 死者の行列・バゼイユの戦い(オーギュスト・アンドレ・ランコン画)


※ 9月1日正午における第12「S」軍団の状況


○第24「S第2」師団

 ラ・モンセルと「二軒屋」で奮戦した第107連隊は、デニーへ向かった2個(第5,6)中隊を除き635高地南東側のバラン街道沿いで集合・再編成を行いました。

 第106連隊はラ・モンセルからデニーの東側高地帯で、砲列の援護に進みます。

 第104連隊と第105連隊、猟兵第12に第13大隊は、第107連隊第5,6中隊と共にデニーとその西側で持久の銃撃戦を行っています。

○第23「S第1」師団

 第102連隊はモンヴィル庭園内に残り、第103連隊はバゼイユ北端に進み、B軍と並んで郊外に集合しました。

 フュージリア第108連隊は散兵小隊を前面に出して砲兵第12連隊軽砲第1と重砲第2中隊が展開する635高地に続く尾根まで前進しました。第100連隊はモンヴィル庭園に進み、更に第101連隊もその後方(東)からモンヴィル庭園に入り集合しました。

○砲兵

 先述の2個砲兵中隊以外は全て、第106連隊の護衛によってラ・モンセルの東からデニーの東側高地に展開し砲撃を続けています。

○騎兵

 Sライター騎兵第1連隊はモンヴィル庭園付近に、同第2連隊は砲列後方、第106連隊の傍らに集合しています。

 騎兵第12「S」師団は未だドゥジー付近で待機を続けました。これはB軍の胸甲騎兵旅団と同じく、この戦況では使いようがなかったためでした。


挿絵(By みてみん)

ラ・モンセルの戦場(手前左に二軒屋。後方で画面を横切る「黒い線」がジヴォンヌ川)


※ 9月1日正午における普第8師団の状況


 一時はバゼイユ市街へ進もうとしたこの師団は、火災により展開が阻まれ、残敵掃討もB第1軍団予備が行ったため一時待機となります。前衛として撤退した仏海軍歩兵を追って行った第71連隊第2大隊のみラ・モンセル西方のバラン街道脇まで進み、残りはバゼイユ市街地東方で後命を待ちました。


☆ 独マース軍


 マース軍司令官でザクセン王国王太子の歩兵大将アルベルト・ザクセン王子は、9月1日未明に本営を置いたメリー部落南東方の高地に登りますが、間もなく銃砲声が西側バゼイユ方面から響き始めます。ところがこの日も黎明時には霧が出て視界は優れず、王子は戦況報告をじっと我慢して待つこととなります。その深かった霧も午前6時頃には薄れ始め、王子はようやく激戦続くバゼイユからデニーの西側高地尾根を望むことが出来ました。


 午前8時となり、ようやく戦況報告の第一報がアルベルト王子の下に届きます。それによると、「普近衛軍団の前衛はヴィレ=セルネ郊外まで進むものの敵影を見ず、第12軍団はラ・モンセル付近で敵に遭遇、戦闘を開始した」とのことでした。

 王子自身もこの頃には霧がすっかり晴れた高地よりバゼイユ付近の戦闘を望見出来るようになっており、「戦況はB軍を含めた我が軍有利に経過しているよう」であり、「仏軍は西方に退却する様子も窺え、セダンの東方戦線では仏軍は後衛のみで戦闘を行っているのであろう」と想像するのです。

 結果、アルベルト王子は「仏軍の攻撃軸はセダン西側戦線の独第三軍に向かうであろう」と判断、「我がマース軍は右翼(北)を以て速やかに第三軍と連絡し、必要に応じて第三軍を援助、仏軍が北上してベルギー国境突破を謀る場合はこれを阻止することが主任務となる」と決断するのでした。


 同じ頃、普皇太子率いる独第三軍本営からも通報が届き、「第三軍左翼(北)はヴリーニュ=オー=ボワ(ドンシュリーの北5キロ)付近まで進みつつあり」とのことでした。

 このことからアルベルト王子は午前8時過ぎ、「ジヴォンヌ周辺を占領した後、中央の第12(S)軍団はイイ(ジヴォンヌの北西2.5キロ)を経てサン=ムニュ(イイの西2.5キロ)東側の高地尾根に向かい、右翼の近衛軍団はジヴォンヌ渓谷を遡ってフレニュー(イイの北西1.5キロ)に向かい前進せよ」と命じるのでした。

 また、B第1軍団に連絡士官を派遣し、フォン・デア・タン大将に対し「マース軍はイイ方面に向かうためやや右側へ旋回するので、セダン城方面(南)からの攻撃に備え援護して欲しい。そのためにガレンヌの森(ボワ・ド・ラ・ガレンヌ。ジヴォンヌの西側に広がる森林地帯)の占領を希望する」との要請をするのでした。


 その後、バゼイユ市街やジヴォンヌ河畔の戦闘がマース軍本営の予想に反して長引くことが確実となり、仏軍も(ヴィンファン将軍の命令により)なかなか後退せずセダン周辺に集中したままであることが判明しますが、アルベルト王子は「第三軍との連絡を通すことが先決」として命令を変更せず、断固として軍の前進を図るのでした。


 第12「S」軍団長、中将ゲオルグ・ザクセン王子は軍団砲兵の前進と共にその砲列(ラ・モンセルからデニーにかけてのジヴォンヌ渓谷東側高地)まで前進しました。王子が立つ高地斜面には時折シャスポー銃やミトライユーズ砲の銃砲弾が着弾し、砲兵や馬匹が戦死傷しますが、王子は副官たちが「退きましょう」と促しても一切後退せずに前線で指揮を執り続けます。

 そして遂に「二軒屋」から始まった味方の一斉前進を見ると第23「S第1」師団に伝令を送り、「バランへ向かわず、イイ方面へ前進せよ」と命じるのでした。

 これは兄であるアルベルト王太子から「イイ方面へ進め」との先述の命令を受けていたからでした。しかし、この命令実行のためには、未だ強大な仏軍が控えるフォン・ドゥ・ジヴォンヌの高地を押さえる必要があります。これを実行するのは、この後北西へ突出するS軍団の側面と背面の援護をお願いしてあるB第1軍団でしたが、彼らB軍将兵は長時間の戦闘で疲弊し、弾薬も欠乏していたのでその補充にもまだまだ時間が必要でした。このため、第23師団長のフォン・モンベ少将はゲオルグ王子に現状を説明して懇願し、師団を今しばらく現在地に留める許可を得るのでした。


 同じ頃。アルベルト王子からマース軍の側面及び背面を護るよう要請されたB第1軍団長のフォン・デア・タン大将は、自軍団の現況から直ちにその任を受けるのは不可能と断じ、一時その指揮下に預かった普第8師団にその重責を「肩代わり」して貰おうと考えます。

 大将は第8師団長のフォン・シェーラー中将に対し、「直ちに師団を635高地へ前進させ、イイへ向かうと言うS軍団に代わってフォン・ドゥ・ジヴォンヌ高地に面する戦線を維持」するよう要請を出すのでした。


☆ 普近衛軍団


 9月1日午前4時30分。当時カリニャン在の普近衛軍団本営は、同日午前1時45分に発せられたマース軍命令に従い、まずは普近衛歩兵第1師団(近1師)をプル=オー=ボワ(ドゥジーの北東5.5キロ)を経由してヴィレ=セルネ(プル=オー=ボワの西4.5キロ)へ、次いで軍団の残りをフランシュヴァル(ヴィレ=セルネの南南東2キロ)へ向けそれぞれの宿・野営地から出発させました。この命令実行のため諸隊が緊急集合令を掛けた頃、既に砲声がバゼイユ方面より殷々と響いており、各指揮官たちは部下を急き立て、行軍速度を上げて目標に突き進んだのです。

 ところが、連日の悪天候はこの地でも猛威を振るい、街道筋や林道では泥濘、土砂崩れ、倒木などが発生、更に一昨日から昨日に掛けて仏軍が後退したために地面は掘り返されて泥沼状となり、身軽だった前衛以外は遅れて午前8時頃、ようやくそれぞれの目標地に到着するのでした。


 軍団長の騎兵大将、アウグスト・ヴュルテンベルク王子は本隊に先行し午前7時30分にフランシュヴァル西方の高地(部落西方1キロ。部落西を流れるマニエ川と、ヴィレ=セルネを流れるルレ川に挟まれた標高およそ230mの丘陵)に到着します。ここで王子が観察すると、前面に流れるルレ川は深い渓谷となって流れており、雨のため水嵩も増して流れも速く、橋無しでは渡河が困難と見えました。また、その先のシュヴァリエ森にも西へ抜ける林道などが見えず、地図にもはっきりとした道が皆無だったため、「袋小路」のフランシュヴァルに向かっている諸隊の行く先をヴィレ=セルネに変更させるため伝令を走らせるのでした。


 この少々前。アウグスト王子は自軍団左翼を進むゲオルグ・ザクセン王子よりの通告により、ザクセン軍団が戦闘に突入したラ・モンセルとバゼイユの状況を知ります。

 王子はゲオルグ王子の情報と自身の観察結果から午前7時45分、「近1師と軍団砲兵をヴィレ=セルネからジヴォンヌ(ヴィレ=セルネの西3キロ)へ、騎兵師団は砲兵の右翼(北)を西へ、近2師はヴィレ=セルネへ、それぞれ進めるよう」に命令します。同時にマース軍本営に伝令を送り、「軍団前衛はヴィレ=セルネに到着し、現在ブイヨン街道(現国道D4号線。ベルギー国境を越えブイヨンに至る)を封鎖し参戦しつつあり」との主旨の報告をするのでした。


 近1師団長アウグスト・フォン・パーペ少将は師団前衛を直率して軍団の遥か前方に突出して前進し、午前7時頃ヴィレ=セルネ部落に突入します。

 近衛軍団前衛の先鋒となった近衛猟兵大隊3個中隊(第1中隊は近1師団砲兵援護で後続)はヴィレ=セルネより仏の守備隊を駆逐すると、仏軍が増援としてジヴォンヌから送り出した2個中隊をも部落西郊で撃退し、これら仏軍敗残兵はジヴォンヌ方面へ逃走して行きました。

 猟兵に接して前進した近衛フュージリア連隊の内、第2大隊は仏軍後衛と短時間の銃撃戦を行った後、敵の撤退と共に部落西郊外で南北に広がる林(以下ヴィレ=セルネ西林)に入り、第1大隊は猟兵大隊と共にデニーに向かう林道とアイブ(デニーの北1キロの小部落)方向へ突き出している森林の中間を通過し、仏第1軍団のシャルル・ジョセフ・フランシス・ウォルフ少将率いる軍団第1師団が護るジヴォンヌ目指し進むのでした。


 これら近衛軍団前衛は途中、シュヴァリエ森北部で仏ラルティーグ師団のズアーブ兵集団を攻撃して四散させると、S軍団の最右翼と接触し連絡を付けました(既述)。

 近衛フュージリア連隊の左翼端となったフォン・リーヴェンクロー大尉率いる第4中隊は、ズアーブ兵に護られつつS軍団に対し砲撃中のライット4ポンド砲2門を襲ってその鹵獲に成功します。大尉は更に前進し、中隊はアイブとデニー間にある谷底の小道まで進むのでした。

 近衛フュージリア連隊第1大隊の残り(第1,2,3中隊)は、アイブ方面へ突き出した森の西へ出て、森の西先端と南縁に散兵線を敷き、近衛猟兵3個(第2,3,4)中隊はその右翼(北)へ進んで、アイブと相対する高地縁に展開したのでした。


 この間、近衛フュージリア連隊第2大隊は、ジヴォンヌ部落の東森に展開していた仏軍前哨部隊を攻撃してこれを退却させると、森から出て部落攻撃に前進しますが、この部落東郊の空き地で仏軍から猛銃砲火を浴びてしまい、進撃を止められてしまいます。

 大隊長のフォン・ブッデンブローク少佐は、大隊の方向を変えて部落北東側の雑木林とその前にある生け垣に突入し、ここを足場に部落に潜む仏軍に銃撃戦を挑みました。

 銃撃戦が小1時間ほど経過した午前10時、敵の銃撃に衰えが見えることを悟った第5中隊長のフォン・ヴィッツレーベン大尉は、中隊から2個小隊を選ぶと独断で部落への突撃を敢行します。部隊を直率した大尉は部落前面の散兵線を破ると部落の北部に侵入し、数軒の家屋を占拠することに成功しました。これを見たブッデンブローク少佐は直ちに第7,8中隊に命じて突撃を行わせ、この2個中隊が部落北部を確実に占領したことで均衡は崩れ、部落南部の仏兵も退却に転じます。

 結局、ジヴォンヌ部落を護っていた仏ウォルフ師団の一部は部落西に広がるガレンヌ森へと逃走したのでした。

 しかし、部落周辺には未だ仏軍の強力な散兵線が残っており、連隊が部落を完全に掌握するのは、まだまだ先となるのです。


 この頃、軍団の最右翼を警戒しつつ進む近衛驃騎兵連隊から派出された斥候は、ジヴォンヌの北、ラ・ヴィレの一軒農家(ヴィレ=セルネの北北西2.5キロ付近。現存)を占領しますが突然、その北500mほどのラ・シャペル部落から銃撃を受け、これを知った近衛フュージリア連隊最右翼の第6中隊は独断で北上すると、驃騎兵斥候と合流し部落の仏兵と銃撃戦となったのです(後述します)。

 この直後、ヴィレ=セルネの西林には近衛フュージリア連隊第3大隊も進み出て、第10、11中隊は林の西端に、師団本営護衛となっていたため遅れて到着した第9中隊は予備として林の中に、それぞれ展開し、ジヴォンヌ部落に正対したのです。(第12中隊はカリニャンで鹵獲した輜重を警備していましたが午前中に任を解かれ、正午頃に戦場へ到着しています)


 この近1師前衛の後方からは、軍団砲兵連隊の第1大隊が先発して進んで来ました。しかし、街道筋が全て悪路と化して通行困難であることが判明すると、歩兵の行軍を優先させるため近衛第2旅団に道を譲り、近1師の後方を進むこととなってしまいます。

 砲兵大隊長フォン・ビッヘルベルク中佐は午前8時前、ようやくにしてヴィレ=セルネに到着しますが、戦場へ急行したくとも部落は近1師の部隊行軍列で閉塞してしまい、街道から林道までの全ての道が渋滞に見舞われていたのです。


 中佐は部落を迂回して進むことを決心し、部落を流れるルレ川の渓谷(現在リュベクール渓流と呼ばれる谷川)に砲兵縦列を降ろし、深い谷となり雨で増水した川を苦労して越えると、その西側に広がるヴィレ=セルネ西林に入るのです。中佐はこの林中で辛うじて通行可能な空き地を見つけながら前進し、午前8時45分、砲兵3個中隊をこの林の西縁に進めることに成功します。この時に遅れた重砲第1中隊は独りその左翼(南)後方、ラ・モンセルからラ・シャペルに至る小街道の傍らに砲列を敷きました。これら24門の砲は午前9時頃からアイブとジヴォンヌ西方高地上に砲列を敷く仏軍砲兵に対し砲撃を開始するのです。


 こうして午前9時過ぎには前衛に続いて近1師本隊もヴィレ=セルネ西森まで前進を開始、パーペ師団長は近衛第2旅団を第一線として、後続を含めて師団を更に西進させるべく奔走するのでした。


 昨日から近衛軍団の左翼となったのは、ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将率いる近衛第2師団(近2師)でした。

 師団は早朝未だ夜が明ける前から宿・野営地のサシー(カリニャンの北北西5キロ)周辺で集合し、ブドリツキー将軍は擲弾兵1個連隊と騎兵2個中隊に軽砲2個中隊を前衛として、これを若く血気盛んなヘッセン大公国の親王(第25師団長の弟君)ハインリッヒ・ヘッセン・ウント・ベイライン大佐(師団騎兵の近衛槍騎兵第2連隊長)に預け「可及的速やかにフランシュヴァルに至れ」と命じて送り出しました。

 ブドリツキー師団長は指揮官たちを急かして部隊を次々に出立させ、師団本隊を急進させ、フランシュヴァルを経て(ヴィレ=セルネへの目標変更命令を受けて)午前8時30分にはヴィレ=セルネの東方に進み出たのです。


 一方、近衛軍団砲兵隊は遙かカリニャン付近にありましたが、急進命令を受けると牽引馬匹に速歩を取らせて悪路をものともせずに猛進し、なんとプル=サン=レミ付近でこちらも速歩を取る近2師前衛に追い付くのです。軍団砲兵は近2師前衛の近衛擲弾兵第4連隊行軍列の前に割り込み、前衛の同僚砲兵たちと一緒に行軍するのでした。


 同じくカリニャン近郊で夜を明かした近衛騎兵師団は、その第1「重・胸甲」騎兵旅団を先行して出立させ、彼らは騎砲兵第1中隊と共に近2師本隊の到着とほぼ同時にフランシュヴァル近郊に到着します。

 近衛騎兵第2「槍騎兵」旅団と同第3「竜騎兵」旅団は、騎砲兵第2,3中隊と共にオヌ(カリニャンの北2.5キロ)の西郊に集合した後、速歩で近2師行軍列後方に付けたのです。


 近衛軍団砲兵隊はフランシュヴァル近郊でアウグスト王子の命令、「急ぎヴィレ=セルネを経て前進せよ」を受領し、休むことなく再び悪路に果敢に挑んで速歩で前進します。そして、近1師の本隊が到着するより先に部落へ到着すると、部落西郊へ進んでその先のヴィレ=セルネ西林の北方突出部分へ向かい、この林後方(東)で砲列を敷きます。

 この林の西縁には既に近1師砲兵が進んで砲列を敷き始めており、彼らはまるで競争するかのように砲撃準備を急ぐのでした。軍団砲兵が砲列を敷いた開墾地は非常に狭い場所で、軍団砲兵の内、重砲第3中隊は結局砲列を敷くことが出来ず、予備として林の外に待機することとなります。

 他の3個(軽砲第3,4、重砲第4)中隊は、ヴィレ=セルネ西林の西縁で砲撃を始めた近1師砲兵と申し合わせたかのように同じ午前9時、仏軍陣地帯に対して砲撃を開始する事が出来たのでした。


 しかしこの砲撃準備中、仏軍砲列から放たれた1発の榴弾が、偶然にも騎乗して各中隊に砲撃指示を出していた近衛砲兵連隊長ルドルフ・カール・アウグスト・フォン・シャーベニング大佐を直撃し、大佐は壮絶な戦死を遂げたのです。

 騎兵師団と共に行動していた近衛騎砲兵大隊長、フォン・ブッデンブローク少佐(注・近衛フュージリア連隊第2大隊長とは親戚筋の別人です)は大佐の戦死を知ると急ぎヴィレ=セルネ西林に駆け付け、午前10時45分、軍団砲兵隊の指揮を引き継いだのでした。


挿絵(By みてみん)

アウグスト・フォン・シャーベニング


※9月1日早朝の近1師行軍序列


☆近衛歩兵第1師団

 師団長

 アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ少将

 参謀

 ルートヴィヒ・アルベルト・ヘルマン・フォン・ホルレーヴェン大尉

〇前衛支隊

 オットー・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・パープシュタイン中佐(近衛フュージリア連隊長)

*近衛驃騎兵連隊 フォン・ヒンメン中佐

*近衛猟兵大隊

 グスタフ・カール・ハインリッヒ・フェルディナント・エミール・フォン・アルニム少佐

*近衛フュージリア連隊 フォン・パープシュタイン中佐

・第1大隊 フェルドマン少佐

・第2大隊 男爵フォン・ブッデンブローク少佐(Ⅱ)

・第3大隊 アルブレヒト・フォン・ザニッツ少佐


〇近衛歩兵第2旅団

 男爵アレクサンダー・フリードリヒ・ハインリッヒ・エーベルハルト・フォン・メーデム少将

*近衛歩兵第4連隊 フォン・ツィーツィン=ヘンニヒ少佐

・第2大隊 フォン・クラウゼヴィッツ大尉

・第1大隊 フォン・ジーハルト少佐

・フュージリア大隊 フォン・シュルテン(弟)大尉

*近衛歩兵第2連隊

 ハンス・カール・ヴィルヘルム・パッソー少佐

・フュージリア大隊

 パウル・カール・ヴィルヘルム・ハインリッヒ・フォン・クロップ大尉

・第2大隊 フォン・ゲルネ少佐

・第1大隊 フォン・フランケンベルク大尉


〇近衛野戦砲兵連隊第1大隊 ビッヘルベルク中佐

・軽砲第1中隊 エドラー・フォン・デア・プラニッツ(弟)大尉

・軽砲第2中隊 クールマン大尉

・重砲第2中隊

 エルンスト・カール・フェルディナント・フォン・プリットヴィッツ=ガフロン大尉

・重砲第1中隊 フォン・ザメッツキー大尉


〇近衛歩兵第1旅団

 ベルンハルト・ハインリッヒ・アレクサンダー・フォン・ケッセル少将

*近衛歩兵第1連隊

 アウグスト・ユリウス・ハインリッヒ・フォン・オッペル中佐

・第1大隊 伯爵フォン・ヴァルダーゼー大尉

・第2大隊 フォン・プリットヴィッツ・ウント・ガフロン(Ⅱ)大尉

・フュージリア大隊 フォン・アルニム大尉

*近衛歩兵第3連隊 フォン・ゼーゲンベルク少佐

・第1大隊 フォン・ゼーア大尉

・第2大隊 フォン・ローベンタール大尉

・フュージリア大隊 フォン・アルトロック大尉


※9月1日早朝の近2師・同軍団砲兵・同騎兵師団の行軍序列


☆近衛歩兵第2師団

 師団長 ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将

 参謀 フォン・ヴァイヘル大尉

〇前衛支隊

 ヘッセン大公国親王ハインリッヒ・ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルト・ヴァルデマー・アレクサンダー大佐(近衛槍騎兵第2連隊長)

*近衛槍騎兵第2連隊第1,5中隊

 ヴィルヘルム・フォン・ヴィンターフェルド大尉

*近衛野戦砲兵連隊軽砲第5中隊 フォン・ウンルー大尉

*近衛野戦砲兵連隊軽砲第6中隊 ヴィルラウメ中尉

※行軍中この後に軍団砲兵が入り込みます。

〇軍団砲兵隊

 ルドルフ・カール・アウグスト・フォン・シャーベニング大佐

*近衛野戦砲兵連隊第2大隊 フォン・クリューガー少佐

・軽砲第3中隊 フォン・コーデル大尉

・軽砲第4中隊 フォン・リュール中尉

・重砲第4中隊 ゼーガー大尉

・重砲第3中隊 フォン・プリットヴィッツ=ガフロン中尉


*近衛擲弾兵第4「アウグスタ王妃」連隊 フォン・ベーア少佐

・フュージリア大隊 フォン・トロータ大尉

・第2大隊

 男爵フォン・キュルス・フォン・デア・ブリュッケン大尉

・第1大隊

 マクシミリアン・エデュアルト・アウグスト・ハンニバル・クンツ・シギスムント・フォーゲル・フォン・ファルケンシュタイン大尉


〇近衛歩兵第4旅団

 エミール・アレクサンダー・アウグスト・フォン・ベルガー少将

*近衛擲弾兵第2「墺国フランツ皇帝」連隊

 フォン・デーレンタール少佐

・第1大隊 フォン・シャブリース大尉

・第2大隊 フォン・ケルン大尉

・フュージリア大隊 ジーフェルト大尉


〇近衛歩兵第3旅団

ハンス・ヘルムート・フェルディナント・フォン・リンジンゲン大佐

*近衛擲弾兵第1「露国アレクサンドル皇帝」連隊

 カール・ルートヴィヒ・バルニム・フォン・ツォイナー大佐

・第1大隊 フォン・ヘンニングス大尉

・第2大隊 フォン・シュメーリング少佐

・フュージリア大隊 フォン・レッシング大尉

*近衛擲弾兵第3「英国エリザベス女王」連隊

 コンラート・フォン・ツァルスコウスキー大佐

・第1大隊 フォン・ツェッペルスキルヒ大尉

・第2大隊 フォン・ベルンハルディ中佐

・フュージリア大隊 フォン・レンテーフィンク大尉

*近衛歩兵シュッツェン大隊 フォン・ヴィッテヒ少佐

*近衛槍騎兵第2連隊第3,4中隊 フォン・カフェングスト中佐

〇近衛野戦砲兵連隊第3大隊 フォン・ラインバーベン中佐

・重砲第5中隊 フォン・ローン大尉

・重砲第6中隊 フォン・オッペル大尉

〇近衛第2衛生隊


☆近衛騎兵師団

 師団長 伯爵カール・フリードリヒ・フォン・デア・ゴルツ中将

〇近衛騎兵第1旅団

 伯爵フリードリヒ・ヴィクトール・グスタフ・フォン・ブランデンブルク少将

*近衛教導騎兵「ガルド・ドゥ・コール」連隊

 ブコ・フォン・クロージク大佐

*近衛胸甲騎兵連隊

 男爵ハンス・フリードリヒ・フォン・ブランデンシュタイン大佐

*近衛野戦砲兵連隊騎砲兵第1中隊

 エドラー・フォン・デア・プラニッツ(兄)大尉

〇近衛騎兵第2旅団

 親王フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラス・アルブレヒト・フォン・プロイセン中将

*近衛槍騎兵第1連隊

 フォン・ロッホー中佐

*近衛槍騎兵第3連隊

 公爵フリードリヒ・ヴィルヘルム・ツー・ホーヘンローエ=インゲルフェンゲン大佐

〇近衛騎兵第3旅団

 伯爵ヴィルヘルム・アレクサンダー・フェルディナント・フォン・ブランデンブルク少将

*近衛竜騎兵第1連隊

 男爵フォン・ハインチェ少佐

*近衛竜騎兵第2連隊

 男爵アドルフ・フェルディナント・フォン・ツェドリッツ=ライプ少佐

〇近衛野戦砲兵連隊騎砲兵大隊

 男爵フォン・ブッデンブローク少佐(Ⅰ)

・騎砲兵第2中隊 フォン・グレヴェニッツ大尉

・騎砲兵第3中隊 フォン・アンカー大尉


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