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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
273/534

ボーモンの戦い/ブロンヌ山攻略と仏第5胸甲騎兵連隊の悲劇

 フォン・グロス=シュヴァルツホッフ中将率いる普第7師団の左翼(西)側を担った、フランツ・フリードリヒ・スゼリガ・ツィヒリン・フォン・ツィヒリンスキー少将率いる第14旅団は、先述通り午後4時頃にムーゾン街道を右翼端として左へ転向し、ジヴォドー森の南西でムーゾン街道に向けて突き出す形に存在する標高905m高地(ヨンクの東1.5キロ付近のムーゾン街道上)へ進み出ました。この地は本街道からヨンク部落へ向かう小道の分岐点に当たります。


 旅団の第一線部隊は第93「アンハルト」連隊で、普軍の基本攻勢陣形である横列縦隊、即ちそれぞれの大隊が両翼(第1と第4)中隊を前列に並列させ、その後方に中央2個(第2,3)中隊を詰めて並列させて進みます。

 この時は右翼側から第1、2、F大隊の順で並び、先述通りの理由で7個(第5,6,7,9から12)中隊となっていた第27「マグデブルク第2」連隊は同じく横列縦隊を作って第一線左翼後方に続行しました。

 第93連隊の第1大隊はムーゾン街道とその右側を進み、左隣の第2大隊は、敵が盛んに銃砲撃を行っている正面の918高地に向かいます。左翼のF大隊は第2大隊の助攻を行うため、ヨンクの東500m余りの場所を通過すると、918高地の西側斜面から敵散兵線の側面を狙いました。後続した約半個連隊となっている第27連隊は、第93連隊F大隊が918高地に向かうと、既に敵影が失せたヨンク方面を目指します。


 G・アルヴェンスレーヴェン大将率いる第4軍団の左翼となっていたテオドール・フォン・シェーラー中将率いる第8師団は、ボーモン西郊外からアルノトリの家へと進み、先鋒の第86連隊第3大隊がB軍猟兵を助けてこれを占領すると、その南部で全部隊集合をかけ、午後4時に北進を開始しました。


 しかし、右翼隣で並進する第7師団第14旅団長のツィヒリンスキー将軍が大きく左旋回をして918高地を狙ったため、元よりこの高地とヨンクの間に進もうとしていた第8師団は進路を阻まれてしまい、前衛部隊はツィヒリンスキー旅団左翼と交錯しそうになりました。

 前衛近くでこれを知ったシェーラー師団長は、直ちに師団本隊を左側へ寄せる形でヨンク川の深い渓谷に向かわせます。

 これによって第8師団は大小に分裂し、前衛と師団右翼で進んでいた部隊は、ムーゾン街道上をツィヒリンスキー旅団の右翼(第1大隊)に続行し進む形となりました。また師団本隊はシェーラー師団長が直率し、ヨンク渓谷方面へ進むのです。


 ※午後4時30分における普第8師団の行軍隊形


☆右翼支隊(ムーゾン街道で縦列となり第14旅団右翼に続行)

 先頭より 

・フュージリア第86「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊第3大隊

・第71「チューリンゲン第3」連隊第1、2、F大隊

・第4軍団工兵(野戦工兵第4大隊)第2中隊 

☆左翼本隊(ヨンク川渓谷へ前進)

 先頭より

・第96「チューリンゲン第7」連隊第2、F大隊(縦列横隊)

・軍団工兵第1中隊

・第86連隊第2大隊、第4中隊

・第31「チューリンゲン第1」連隊第1、2、F大隊

・猟兵第4「マグデブルク」大隊

 ※当時、第96連隊第1大隊は第4軍団砲兵の護衛任務に、第86連隊第1,2,3中隊はボーモン北西の仏軍野営地跡で警備に、それぞれ就いています。


 この二分裂した師団後方からは師団砲兵隊が前進しました。

 また、左翼側本隊にはB第3旅団長シェーフ大佐が指揮するB第1軍団からの応援部隊、シェーフ支隊が続行しています(既述参照)。


 第8師団左翼本隊の前進は、918高地からの仏軍砲火に狙われたことで次第に右翼側へと曲がって行きました。これによって第8師団は再びツィヒリンスキー旅団の戦線に入り込んでしまうのです。結果、一時的に本隊先頭から3個(第96連隊2個、第86連隊第2)大隊は、第14旅団の第一線(第93連隊)と第二線(第27連隊)との中間に入り、第31連隊は第27連隊の後方に続くこととなるのです。


 この頃、ツィヒリンスキー旅団の第一線部隊である第93連隊諸隊は918高地に接近しますが、その後方、905高地には第8師団砲兵隊に属するディークマン大尉率いる重砲第3中隊がアルノトリの家から前進して砲列を敷き、918高地に向けて砲撃を開始しました。


 第93連隊長エルンスト・フォン・クロージク大佐は中央を進む第2大隊の先頭へ進み出ると、これを直率して918高地の斜面を一気に駆け上がらせたのです。

 これに対し仏第5軍団後衛部隊は必死で銃砲火を浴びせますが、クロージク大佐の無謀かつ大胆とも思える突進は仏兵の意表を突くもので、銃撃を浴びせつつ急速接近する普軍兵士の姿に慌てた仏兵たちは次々に陣地を捨て、高地北斜面を滑り降りるようにして退却して行きました。

 この急激な戦況の変化に付いて行けずに高地上に取り残された砲2門は、最後まで残った勇敢な仏砲兵によってゼロ距離で砲撃を続けましたが、同じく居残って戦った護衛兵士と普軍との間の激しい銃撃戦の果て、遂に普軍に鹵獲されてしまいます。

 この第2大隊の突撃の間、高地の東西斜面からは連隊残りの2個大隊も登って来ました。

 第1大隊はムーゾン街道を起点に高地東側から、中隊ごとに間隔を開いた横列で高地上の仏軍散兵線を切り裂くように頂上まで突撃し、F大隊は西側より斜面を一気に駆け登ったのです。


 砲2門の鹵獲後、高地を確保したと見たクロージク大佐は直ちに追撃に入りました。

 連隊は怒濤の進撃を続けて高地北側に広がるジヴォドー森のムーゾン街道西側森林を進みます。

 連隊は途中、余りに急激な後退によって取り残されたライット砲6門と貴重なミトライユーズ砲4門を、一部は居残っていた仏砲兵との白兵戦の果てに鹵獲して戦果を加えるのでした。

挿絵(By みてみん)

 クロージク


 こうして第93連隊は勢いを維持したままジヴォドー森を走破して森縁北端に達し、ヨンク渓谷の西岸にあるグレジィ鉄工所(ムーラン・ドゥ・グレジィ。ヨンク部落の北2キロにあり、現国道D4号西沿い。ペンションとして現存)や、モン・ド・ブロンヌ(以下ブロンヌ山)へ向かって敗走する仏軍の背後に猛烈なドライゼ銃の射撃を加えるのでした。


 このクロージク連隊の成功を見たツィヒリンスキー旅団長は、騎乗したまま大佐に駆け寄ると「追撃の手を緩めず突き進め」と命じ、更に副官には「後続しているはずの砲兵諸隊を918高地に誘導し、旅団の進撃を援助させるよう」伝えると、自らは後続するはずの第27連隊を探し駆け去ったのでした。


 旅団長から「発破」を掛けられたクロージク大佐は、第1大隊を予備としてジヴォドー森北西縁に留めると、残り2個大隊に命じ森を出て追撃を続行させます。

 この内、第2大隊の半個、第5,6の2個中隊(散兵小隊欠・後述)は北に向けて遁走する仏軍を追い、途中射撃を繰り返しながら目立つ集団を蹴散らし、砲撃中の仏軍砲兵を脅かして砲列を退却させるのでした。勢い付いた両中隊はブロンヌ山麓に広がる牧場に進み出て散兵線を敷きます。この山上にはボーモン北方高地から後退した後に砲列を敷いた仏第5軍団砲兵が構えていました。


 同大隊残りの第7,8中隊は、第6中隊の散兵小隊を加えてジヴォドー森北西端から、同じく同連隊F大隊の4個中隊は更にその西側から、それぞれ森を飛び出すとグレジィ鉄工所へ逃げて行く仏軍を追撃しました。これに続いて第8師団の先頭もヨンク渓谷へと降りて行き、第93連隊左翼と並ぶのです。

 この第8師団の先頭、第96連隊のF大隊は駆け足で鉄工所目指し突進し、追って第2大隊も並んで銃撃戦に加わりました。この第8師団の戦線最左翼は工兵第1中隊の2個小隊で、歩兵と並んで散開し鉄工所の敵と対決するのです。


 しかし、一端敵普軍に背中を見せた鉄工所の仏兵は、長くは耐えることが出来ませんでした。彼らは混成1個旅団クラスの普軍が迫るのを知ると、重荷となった砲1門を遺棄し、早々に北西側へ退却して行ったのでした。

 この後、グレジィ鉄工所周辺には第8師団の後続部隊と第27連隊も到着し、この地で一時の休息と部隊の再編整理を図ったのです。


 ※午後5時過ぎにグレジィ鉄工所付近で集合した諸隊


○第一線(右翼北東側から左翼へ)

☆第14旅団

・第93連隊第7,8中隊

・同連隊F大隊

☆第8師団

・第96連隊第2大隊

・同連隊F大隊

・軍団工兵第1中隊の2個小隊

○第二線

☆第8師団

・第86連隊第4中隊

・同連隊第2大隊

☆第14旅団

・第27連隊第5,6,7中隊

・同連隊F大隊

・軍団工兵第1中隊の2個小隊


 歩兵が突進する後方では砲兵も追撃戦に参戦しました。


 ムーゾン街道とヨンクからの小道が分岐する905高地で砲撃を繰り返していた重砲第3中隊長ディークマン大尉は、918高地がクロージク大佐に奪取されたと見るや独断で前進し、ジヴォドー森林内の街道から僅かに覗く北方の仏軍を狙って砲撃を繰り返しました。

 しかし、この時には第4軍団砲兵隊と第7師団砲兵はジヴォドー森南方において前進中で、ヨンク北東側で戦線が動いたことを森の遮蔽のために知り得ませんでした。


 この軍団砲兵行軍列にツィヒリンスキー将軍の意を受けた副官が駆け寄り、将軍の砲兵前進要請を伝えたのです。


 軍団砲兵隊で騎砲兵大隊を率いるフォルスト中佐はこの要求を聞き及ぶと、直ちに騎砲兵2個中隊を直率し、砲卒たちは牽引馬に鞭を振るって街道を驀進しました。そして街道上で砲撃を繰り返しつつ更なる前進を行っていた重砲第3中隊に駆け寄ると、共にヨンク北東の高地尾根に達して砲列を敷き、ブロンヌ山やムーゾン南郊外に対し砲撃を開始しました。


 これを追って来た第8師団砲兵隊の重砲第4中隊と軽砲第3中隊もまたこの砲列に加わり、これら5個の砲兵中隊は午後5時過ぎ、まずは潰走する仏軍歩兵部隊に対し砲撃を集中、敗走兵が散り散りに逃走し目立つ目標が無くなると、ブロンヌ山上の仏軍砲兵に目標を切り替えて砲撃を行うのでした。しかし歩兵と違い、ブロンヌ山の仏軍はこの砲列から2.5キロ程度離れており、余り効果のある砲撃とは言い難いものがありました。

 第4軍団砲兵では重砲第6中隊の2個小隊(4門)もまた、苦労しつつ918高地に登り、この高地上から砲撃を行いましたが、残りの諸砲兵は展開余地のある場所を見つけ出すことが出来ず、一時918高地の麓に待機となったのでした。


 午後5時30分。フォン・ツィヒリンスキー将軍はグレジィ鉄工所の東、ムーゾン街道の西側で待機する第27連隊(前述通りの7個中隊のみ)に駆け寄り、「敵の右翼を殲滅する」としてブロンヌ山への攻撃を命じます。ツィヒリンスキー将軍は普墺戦争時の第27連隊長で、フランセキー師団長の下、あのシュウィープの森で死闘を繰り広げてプール・ル・メリット勲功章を受けており、第27連隊は苦楽を共に歩んだ、正に「子飼い」の部下たちだったのです。

挿絵(By みてみん)

 ツィヒリンスキー


 これを受けた第27連隊長のアウグスト・フォン・プレッセンティン大佐は、4個中隊のF大隊を真っ直ぐに山へ進ませ、また3個中隊の第2大隊を山の東麓へ向けて進ませて敵を包囲挟撃しようとしました。

 ところが、ツィヒリンスキー将軍自らが山麓まで遮蔽伝いに進んで偵察した結果、山の東側斜面では山頂からの銃撃が凄まじいものの、西側斜面は全く守備がいない状態であることを見切るのです。ツィヒリンスキー将軍は前進中のF大隊に追い付くと、これを直率して山の西側斜面へ進路を変更するのでした。


 この間、ブロンヌ山にはグレジィ鉄工所から第93連隊第1大隊も接近し、同大隊長フォン・ヴェンツェル大尉は隊をヨンク渓谷の遮蔽に留めると、まずは斥候を放って山の周囲を偵察させました。すると斥候が帰って報告するには、「敵は山頂付近に数個大隊の歩兵と騎兵1個中隊、野砲1個中隊とミトライユーズ砲2個中隊を、東方を正面として配置している」とのことだったのです。

 「敵はジヴォドー森から出てムーゾン街道を北進するであろう味方の左翼側面を狙っている」

 そう確信したヴェンツェル大尉は、直ちに大隊の前衛(第3,4中隊)をブロンヌ山の仏軍散兵線右翼(南)に向けて突進させたのでした。


 こうして南と南西側から期せずして同時に普軍のブロンヌ山攻撃が始まります。


 この時、ラウベ大尉が指揮する重砲第4中隊が先ほどの砲列より前進して来ると山上を狙って砲撃を開始し、大いに歩兵の攻撃を援助するのでした。ラウベ大尉はヨンク北東側の高原から、石礫がゴロゴロと転がる足場の非常に悪い西側の急斜面を強引に下り、そのままグレジィ鉄工所の東側に到達すると砲列を敷いたものでした。


 歩兵の攻撃隊の内、最も危険な東斜面に向かった第27連隊第2大隊は、山の南麓を回る時に山頂から猛烈な銃砲火を浴び、大隊長のフォン・ヴェデラー大尉は大隊を駆け足で山麓へ進ませ、頂上から死角となる南麓斜面で隊列を整えます。

 更にヴェンツェル大尉の第93連隊第1大隊が南から進んで来たことを発見した山上の仏軍は、東から南に散兵線を敷き直しましたが、これに気を取られたのか南西側から突進する第27連隊F大隊を発見することが出来ませんでした。

 このツィヒリンスキー将軍自らが先頭に立つF大隊は、第10中隊を横一線に展開させて急斜面を登らせ、その後方から3個中隊が横列縦隊の突撃陣形となって続行し、急速に斜面を駆け上がったのです。

 その右翼(東)では先ほど仏軍に発見された第93連隊第1大隊の散兵2、3個小隊が突進し、その右側やや遅れて同大隊の第3,4中隊が続行しました。


 急速に迫る普軍に焦った山上の仏軍砲兵は、ライット4ポンド砲兵中隊が敵の隊列を狙って散弾を直射しますが、距離が近過ぎて隊の頭上を飛び越してしまい効果は薄く、直後にツィヒリンスキー将軍の隊が南西から、フォン・マダイ少尉率いる第93連隊第1大隊の散兵が南から、ほぼ同時に山頂に達し、仏軍砲兵に銃剣突撃を敢行したのです。


 仏軍砲兵もその周辺の歩兵も勇敢にこれに抵抗しましたが、勢いに勝る普軍に圧倒され、間もなく鎮圧されてしまい、この砲兵中隊のライット4ポンド砲は6門全てが普軍に鹵獲されたのでした。


 この直後、山上で待機していた仏軍騎兵中隊は、ツィヒリンスキー旅団長と共に山上に駆け上がった第10中隊の左翼(西)側に対し襲撃を行います。しかし、第10中隊は落ち着いて素早く左に旋回し騎兵の正面から銃撃を浴びせ、同時に第11,12の2個中隊も臨機にF大隊長のヒルデブランド中佐が直率し騎兵に一斉射撃を浴びせたため、この仏軍騎兵中隊は山の北斜面を駆け下りて去って行ったのです。


 この騎兵攻撃の後、山上の仏軍は戦意を喪失し、一気に北に向け退却するのでした。

 この逃げる仏軍歩兵と砲兵に対し、ツィヒリンスキー将軍は直ちに追撃を命じます。第27連隊F大隊と第93連隊第1大隊の一部はそのまま山を駆け下り、ムーゾンに向かって一直線に走る旧ローマ街道(細い農道として現存)に沿って追撃するのでした。


 この山上の戦いとほぼ同時進行で、南東側斜面では第27連隊第2大隊が斜面を北に横切って前進し、北方へ逃げて行く仏軍砲兵が運べずに遺棄した完全装備のミトライユーズ砲2門とライット砲2門を鹵獲したのです。第2大隊はそのまま山麓を北に進んでムーゾン方面へ向かい、その後方からは第93連隊第1大隊の残り2個(第1,2)中隊が同じく敵を求めて前進するのでした。


 この前衛11個(第27連隊7個、第93連隊4個)中隊の急進により、ツィヒリンスキー(第14)旅団の残り部隊もまた前進を再開しますが、急進する前衛との間隔は大きく開いており、直ぐには合流することが出来ません。このため、仏軍が逆襲を始めると前衛部隊は一時窮地に陥ります。


 ブロンヌ山が陥落し、仏第5軍団右翼(西)後衛が後退を始めると、ムーゾンの南郊外まで退いていた仏第5軍団本隊の一部が前進を開始、ツィヒリンスキー将軍のおよそ1個連隊の前衛に襲いかかりました。

 この攻撃を最初に感知した第27連隊第9中隊は、直ちに停止して銃撃戦を開始、続く第10中隊はその左翼(西)に連なって一部をローマ街道に向け、後続の第11,12中隊は第10中隊左翼後方で散兵線を敷き、それぞれ仏軍の突撃を待ち構えます。また第93連隊の諸中隊は、第27連隊の両翼に別れ、戦線を補強する形で延伸するのでした。

 「ツィヒリンスキー隊」はこの守勢で仏軍の攻撃隊と衝突し、普の戦線右翼(第27連隊第9中隊)を中心として短くも激しい銃撃戦が展開されました。しかし、普軍の将兵は終始冷静で統制された射撃を行い、迫り来る仏兵を狙撃して確実にその脚を止めるのでした。仏軍歩兵は犠牲が出始めると順次転回して後退し、「ツィヒリンスキー隊」最初の危機は回避されたのです。


 この3時間前の午後2時頃のこと。

 ボーモンを捨てて後退する仏第5軍団の援助と収容を開始した、仏第12軍団長のバルテルミー・ルイ・ジョセフ・ルブラン将軍は、既述の展開(前節「ジヴォドー森の激戦」参照)を命じた後、イッポリト・アルベール・カンブリエ准将の軍団第1師団第1旅団をも前進させる決定を下しました。

 ところが午後2時30分頃、ムーゾンに仏シャロン軍司令官の伯爵マクマオン大将が戦況視察に訪れ、ルブラン将軍に対し「第12軍団は援軍をムーズ西岸へ送り込むより、直ちにムーズ河畔を離れる方が現状での理に適う」と説き、「これ以上のムーズ渡河は許可出来ない」としてカンブリエ旅団の前進を取り消し、更にムーゾンの南西郊外に進出し始めていた仏第12軍団のプレヴィル胸甲騎兵旅団から、胸甲騎兵第6連隊を逆戻りさせてムーゾンの東へ退却させたのでした。

 マクマオン将軍はムーズ川を渡ってムーゾン南西郊外に至ると、プレヴィル准将とムーズ西岸に残った胸甲騎兵第5連隊長のドビュッシー・ドゥ・クタンソン大佐に対し、「この地に留まって頑強に抵抗せよ」と命じたのでした。 


 午後5時を過ぎ、ブロンヌ山が抜かれ仏第5軍団右翼も敗れて、普軍のドライゼ銃弾が待機する仏軍胸甲騎兵まで届き始める(ドライゼ銃の有効射程は550m程度です)と、一部では馬匹に被害が出始めました。戦況を前線で観察していた仏第12軍団騎兵師団(兼旧第6軍団騎兵師団)長のドゥ・サリーニャック=フェヌロン少将は、直ちに迫り来る敵に対する襲撃を胸甲連隊に命令します。

 連隊長のクタンソン大佐は抜刀すると連隊の先頭に立ち、「我に続け」と叫ぶと「シャージュ(突撃)!」と一声、連隊は密集梯団となったまま一斉に、前進する普第27連隊の左翼側を狙って突進したのでした。


挿絵(By みてみん)

 仏第5胸甲騎兵連隊の突撃


 クタンソン胸甲連隊の突撃は最初、普第27連隊左翼(第11,12中隊)に向かいますが、仏騎兵は次第に左へ旋回し、戦線中央の第10中隊に向かいました。

 旧ローマ街道の小道に沿って進んでいた第10中隊は、仏騎兵の突撃を発見すると、先行していた散兵小隊は敵騎兵に正対するよう転向し、中隊長のヘルムート大尉は部下に対して「集まるな!その場に留まれ!」と警告を発すると、「各人その場で一斉射撃を行う。号令あるまで一切銃を撃つな!」と命じたのです。

 ブロンヌ山上でも仏軍騎兵に襲撃された第10中隊でしたが、引き続く危機においても兵士たちは動揺せず冷静に命令に従いました。

 第10中隊はこの時、北側が開いたV字型に布陣しており、ヘルムート中隊長の目論見通り、仏胸甲騎兵連隊およそ500騎はこの「死のV字」に全速で突入して行ったのです。

 ヘルムート大尉は騎兵の華やかな羽根飾りや磨き立てられた胸甲と兜が目前に迫るまで引き付け、そこで「フォイヤ(撃て)!」と一声、中隊は外れるはずのない必殺の銃弾を僅か十数メートル先の敵騎兵集団に放ったのでした。


挿絵(By みてみん)

 仏胸甲騎兵と戦う普第27連隊兵


 結果は仏胸甲騎兵にとって悲惨の極致でした。


 一斉射撃は胸甲騎兵連隊に壊滅的打撃を与え、先頭を走っていたクタンソン大佐は普軍歩兵の10m手前で複数の銃弾に撃ち抜かれ、愛馬と共に斃れました。

 続く士官達も次々と死傷し、一斉射撃に生き残った数百騎がそのまま普軍散兵線を突き抜けますが、普軍兵士を倒すことなく過ぎ去るだけでした。普軍中隊長ヘルムート大尉はこの時、一人の仏胸甲騎兵と騎乗格闘戦となり、お互い火花散らせて剣を振るう中、仏騎兵は普軍兵士から銃撃を浴び、馬上から転げ落ちて戦死したのでした。

 結局、百数十名余りの第10中隊はこの対騎兵戦において、ほとんど犠牲を出すことはありませんでした。僅か数名が騎兵の通過時に馬に跳ねられ軽傷を負った位で、兵士で逃げた者は一人もなく、V字型の隊列もほとんど乱れることはなかったのです。


挿絵(By みてみん)

 第27連隊の戦闘(19世紀絵葉書)


 逆に仏クタンソン胸甲連隊の損害は甚大で、士官11名・下士官兵96名が倒れ、馬匹も相当数が倒されて、残った半数余りの騎兵達はばらばらになってムーズ河畔へと逃走するのでした。


 逃げ帰った騎兵達の苦難はこれだけで終わりません。


 ムーズの河畔には逃走を図った仏第5軍団や一部第7軍団の将兵達が打ち捨てた荷車や砲の付属車、馬車が倒れて武器や野営資材が散乱し、橋はバリケードの意味もあってか塞がれていました。

 川の浅瀬も様々な障害物で溢れており、とても渡河出来る状態ではありません。後方からは普軍が盛んに銃撃を浴びせており、騎兵達は仕方が無く川の本流に飛び込みます。しかし、8月上旬に続いた悪天候で川は増水しており、馬ごと倒れ流される者、馬から落ちて溺れる者が相次ぎ、連隊はここでも多数の騎兵と馬匹を失ったのでした。


 この「クタンソン連隊の悲劇」が発生した直後、普第27連隊第2大隊と第93連隊第1大隊は、連隊の戦史に残る活躍をした第27連隊F大隊の右翼後方に進みました。これを率いていたツィヒリンスキー少将はこれで戦線に再び1個連隊余り(11個中隊)を確保することが出来ます。

 これでムーゾン南郊外を臨むこととなった将軍は、騎兵と砲兵を前線に呼びつつ更に増援(第8師団)の前進を督促するため、再び副官を後方へ送ったのでした。


 ツィヒリンスキー将軍はこの時、ムーゾン南西郊外からムーズ川西岸には未だ仏軍の侮れない数の部隊が残っており、その散兵線はムーゾン南郊外の雑木林から北西側のルフィーの渡し場(オートルクール=エ=プロンの北)に続く街道まで続いていることを観察したのでした。


 将軍はこの数時間の目覚ましい活躍で疲弊した部下を少しでも休ませようと努めます。そして後続が到着したならば、これら増援と協力してムーゾン市街へ進撃し、本日中にムーズ東岸へ渡り橋頭堡を築こうと決心するのでした。


挿絵(By みてみん)

「突撃!」(エドゥアール・デタイユ画)

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