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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
270/534

ボーモンの戦い/ザクセンとバイエルン軍の前進

 8月30日の「ボーモンの戦い」には奇しくも4年前の普墺戦争では敵同士となったプロシア、ザクセン、バイエルンの各王国から1個軍団が参戦する形となりました。

 既に普皇太子率いる第三軍の戦い(ヴァイセンブルク、ヴルト)やカール王子率いる第二軍の戦い(グラヴロット)により共闘し、連戦連勝することで仲間意識が高まっていたドイツ国家群でしたが、このボーモンの戦いから連鎖する「セダンの戦い」で一層協調して戦ったことにより、「ひとつのドイツ」軍としての意識が完成されるのです。


 普第4軍のG・アルヴェンスレーヴェン歩兵大将が最初の砲撃を命じた頃、その両翼ではザクセン王国(以下S)とバイエルン王国(以下B)のそれぞれ1個軍団が森林地帯を抜け出ようとしていました。


 北独第12軍団、すなわちS軍団は早朝、アンドゥヴァンヌからタイリーを経てヌアールまで前進(およそ10キロ強の行軍)する普第7師団(第4軍団)の行軍列と交錯し、バリクールから前進したS軍団砲兵隊が命令の変更によってボークレー付近で第23「S第1」師団行軍列の中間に挿入されたことも重なって、マース軍司令官アルベルト・ザクセン王太子の命じた時間割よりかなり遅れて宿・野営地を発することとなりました。特に第24「S第2」師団は、普第7師団の行軍列がヌアールからボークレー間を通過する間、じっと待っていなければならなくなり、その出発は午前11時と大幅に遅れてしまったのです。

 また第24師団は、命じられた行軍路(ベル・トゥール道)が当時非常に荒れて泥濘が深くなっていたため行軍が不可能と判定され、急遽更に東側の細い林道(ベル・トゥールの家の東南東1.2キロにあるフェルム・ド・ラ・フォンテーヌ・オー・フレーヌへ向かう道)を進むこととなり、正に泥まみれになりながら午後1時、漸くその先頭がラ・フォンテーヌ・オー・フレーヌの農場(現存)へ到着するのでした。


 師団前衛に付き添った第24師団長、フォン・ネールホッフ少将は既にその30分前から砲声を聞き及んでおり、普第4軍団がS軍団の到着を待たずに開戦の火蓋を切ったことを知って少々焦りを感じていました。将軍は部下に対し直ちに戦闘展開し、隣の第23師団を待たずに参戦することを命じます。

 しかし、彼らの前に流れているムーズの支流ワム川は連日の雨で増水し、周辺は浸水して沼沢地となっており、その通過は更なる苦難をS軍将兵に与えるのでした。


 最初に猟兵第12大隊が、続いて第104「ザクセン第5」連隊第1大隊が渡河に挑みますが、兵士たちはたちまち半身が泥に埋まり、正に力尽で泥沼をかき分けて進むしかなくなるのでした。闘志溢れる「サント=マリーとサン=プリヴァのザクセン兵」もさすがに渡り切るとしばらくは川岸に倒れ込んで泥を吐き出し、息を整えなくては動けなくなったのです。

 この間、師団本営幕僚は橋を探して奔走し、遂にベル・トゥールの家南東側に小さな木橋を発見、第47旅団の後続部隊は左折してこの橋に向かいました。また、師団に付属していた工兵第3中隊は急ぎワム川に飛び込むと、泥まみれになりながら必死で泥川に架橋し、師団本隊となっていた第48旅団はこの「工兵仮橋」を渡って対岸に展開することが出来たのです。


 こうして第24師団は順次ワム川西岸に展開し、その左翼は第4軍団右翼と連絡を確保します。師団に属したライター騎兵と砲兵はさすがに「泥の川」は渡河出来ず、右折してボーモン東街道の橋に向かい、ちょうど行軍中の第23師団の行軍列間に入れて貰うのでした(後述)。


 この第23師団は、ボークレールから一旦ビュザンシー街道を東進してラヌヴィル(=シュル=ムーズ)に至り、ここからボーモン東街道をボーモン目指して進むというマース軍本営の計画通りに行軍しました。

 途中、ラヌヴィルにおいて「敵がボーモンより撤退した」との報告を受けますが、先行させたライター騎兵斥候が帰着するとそれは「誤報」ということが判明し、師団長のフォン・モンベ少将はまず擲弾兵第100「S親衛」連隊(第12中隊は砲兵護衛)を速歩で先行させ、ジュネ森(ボーリュの家の東、ボーモン東街道とムーズ川の間に広がる森)からワムの家(フェルム・ドゥ・ワム。ボーリュの家の東北東1.1キロ。現存)の方向へ向かわせて右翼の警戒とし、師団の残りは一気にボーモン東街道を北上させるのでした。


 こちらも街道行軍中に砲声を聞き付けた師団の先頭を行くフュージリア第108「シュッツェン」連隊長、フォン・ハウゼン大佐は直ちに部下に駆け足を命じ、ザクセン・フュージリア兵たちは午後1時、ボーリュの家付近のワム川橋梁に到達するのです。

 ところが、ここで連隊の先鋒第1大隊が橋梁北方の森林線から銃撃を浴び、大隊は即座にこの森林線に向かって攻撃を開始することとなりました。この攻撃は功を奏し、第108連隊第1大隊はボーモン東街道に進んだ普第4軍団右翼(第66連隊第1大隊など)を狙撃していた仏軍の小部隊を駆逐することに成功します。同時に同連隊の第2大隊はボーリュの家を占領すると、その北に隣接する林でS軍団の行軍を援護していた普第7師団第26連隊F大隊の2個(第11,12中隊)中隊と交代して林に入り、第3大隊はボーリュの家南側で予備となり待機に入りました。

 第108連隊と行動を共にしていた前衛のライター騎兵第2連隊第4中隊は北西に向かって先行し、第7師団との連絡を確保しようとしますが、ここで「騎兵は後退し始めた敵を追撃せよ」とのマース軍本営の命を受け、普第7師団騎兵の竜騎兵第7連隊と合流するのでした。


 午後1時15分、第108連隊がボーリュの家とボーモン東街道のワム川橋梁を確保した直後、ベル・トゥールの家から転進した第24師団砲兵の軽砲第4中隊が街道の北に進み出て砲列を敷き、遅れて軽砲第2中隊もその右翼に到着、この2個中隊は直ちにボーモンに向かって退却する仏軍諸隊に対し砲撃を開始しました。この後、第23、24両師団の砲兵4個中隊も前進し、先着の2個砲兵中隊の砲列を左翼側へ延伸して、ちょうど前進を図ろうとしていた普第4軍団砲列の右翼側と直接に連絡を通すことに成功するのです。


 この頃、ゲオルグ・ザクセン親王中将もボーリュの家に到着、ちょうど第4軍団本営からの砲兵による加勢要求も届いたため、ゲオルグ王子は軍団砲兵7個中隊に命じ、ボーモン東街道の東側北方の高地尾根に前進させるのでした。

 S軍団砲兵部長のケラー少将は両師団砲兵にも準備出来次第に前進を命じ、これによりS軍団はほぼ全ての砲兵中隊がレタンヌの南側高地付近に砲列を敷くこととなりました。これら砲兵中隊は、西側の普第4軍団砲兵と更に西側に進出し始めていたB軍砲兵と共に、ボーモン北方に展開する仏軍砲兵列線に対し激しい砲撃戦を行うこととなります。


 ゲオルグ王子は自ら最前線に進み、騎上からボーモン~レタンヌの高地線を観察して状況を掌握すると、普第4軍団の右翼がS軍団の戦区に予定されたボーモン東街道の東側まで進み出ていることを確認し、「普軍戦線を西へ戻すことは現状からして困難」と判断、第23師団に対し、「前衛部隊は砲兵援護のためレタンヌ南部の森林を占領し、本隊はボーモン東街道とムーズ川の間を前進せよ」と命じるのでした。


 この命令を受けて午後1時45分、第23師団長フォン・モンベ少将は第108連隊を砲兵の前進に合わせてボーモン東方の高地線(標高821mと817m高地の線)を越えて前進させます。しかし、第108連隊の行軍は農作物の育つ段丘状の斜面のため難航してしまいます。その右翼後方にいた擲弾兵第100「ザクセン第1」連隊は、密集した2列縦隊となって狭い農道を東へ進んでワムの家東側の林縁に到着しました。ところがこの行軍もレタンヌの北方に退いた仏軍砲兵から丸見えで、激しい榴弾砲撃を受けてしまいます。擲弾兵たちは駆け足で見通しの開けた耕作地を通過し、何とかワムの家まで進むのでした。その後連隊はゲオルグ王子の命令通りムーズ河畔の急斜面上の小道を北上しましたが、ここも北の高地上からは射界が開けており、度々敵の銃火を浴びる苦しい行軍となったのです。


 ボーモンが普第4軍団の手に落ち、市街地周辺での戦いが小休止した頃、S軍団砲兵は市街地南東にある高地尾根に展開し、歩兵2個連隊は前述通りレタンヌに向かい前進しましたが、軍団の残り部隊はワム川を越えて西側に進出し始めていました。

 S軍団の騎兵第12師団は一時ジョルネ森(ボーリュの家東方。ボーモン東街道の東に広がる森)の東側で停止して状況を判断し、その後戦闘が一段落したことでワム川の渡河と前進のため森林を越えて偵察隊を送り出すのでした。


 B第1軍団の本営はこの日の早朝午前3時30分、ソンムランスの宿営で第三軍本営のフリードリヒ皇太子から「ソモトへ向けて進軍せよ」との命令を受領し、軍団長フォン・デア・タン歩兵大将はB第2師団に対し、「イメクールからビュザンシーを経てソモトへ(約16キロの行軍)」、B第1師団と軍団砲兵に対しては、「テノールグからバール(=レ=ビュザンシー)を経てソモトへ(約14キロの行軍)」「それぞれ前進せよ」と命じるのでした。


 B第1軍団は直ちに出発準備を開始し、先発のB第2師団は命令通り午前6時に宿野営地を発ちます。その前衛は午前9時にビュザンシーに到着し、少時休憩の後、正午前後にソモト南方郊外に達しました。また、軍団に同行するB胸甲騎兵旅団は後続する師団本隊の後方から続行します。

 B第1師団はB第2師団にやや遅れて出発しましたが、ビュザンシーまでの間に走る諸街道は先行するマース軍諸軍団の輜重縦列で渋滞し始めており、その隙間を縫うように進んで、ようやく正午過ぎにビュザンシーへ達しました。

 このためフォン・デア・タン将軍は軍団砲兵を切り離して師団前方に進ませ、混雑するビュザンシー街道を西へバールまで進ませた後に胸甲旅団後衛の直後に続行させたのでした。


挿絵(By みてみん)

フォン・デア・タン大将


 このB第2師団が行軍中に仏軍の存在を感じたのは、ソモト到着の折に北西のオシュ方面から数発の砲声を聞いた時だけであり、師団が持っていた敵仏軍の情報は、早朝に軍団本営経由で受けた第三軍本営による昨日の戦況だけだったため、師団長フォン・シューマッハ少将はシュヴォーレゼー(直訳すれば「軽い馬」以下、「軽騎兵」とします。「ヴァイセンブルクの戦い/秀才参謀の訪問」の章参照)騎兵第4連隊から斥候を派出先行させ、敵情を集めさせました。するとB伝統の軽騎兵たちはソモト北方の高地尾根から遠望した後帰還して「ボーモン周辺に敵野営あり」「敵野営は全く静寂の内にある」「師団の右翼彼方に友軍の行軍縦列が前進中」と報告したのです。

 この直後の午後12時30分、北東方向で激しい砲撃音が起こり、それが断続的になるとB第2師団と共に前進していたフォン・デア・タン将軍は師団に対し、「直ちにボーモンまで前進し、友軍第4軍団の左翼と連絡、戦闘に参与せよ」と命じ、後続する胸甲旅団に対しては、「ソモト部落北方に進出し、いつでもボーモン方面へ出動出来るよう準備をせよ」と命じるのでした。


 シューマッハB第2師団長はこの際に砲兵を先行させることに決し、4ポンド砲と6ポンド砲それぞれ1個砲兵中隊*に軽騎兵連隊の護衛を付けてソモト森(ソモトの北3キロ周辺に広がる森)を抜ける街道(現国道D19号線)を走らせました。先行した4ポンド砲第4中隊は午後1時過ぎにソモト森出口の740(標高m)高地に急ぎ砲列を敷いてボーモン市街の南部に対し砲撃を開始し、30分後、追い付いた6ポンド砲第6中隊も並んで砲列を敷いて、後退する仏軍歩兵や市街北方で砲撃を繰り返す仏軍砲兵列に対する砲撃戦に参戦するのでした。砲兵護衛で同行していた軽騎兵第4連隊は砲列の前面に進み、北に向かって斜面を作る窪地に入り待機に入りました。


 この時、シューマッハ将軍が740高地に進むと、ちょうど普第4軍団本営よりの使者フォン・ヴィッチヒ少佐が騎行して来着し、第4軍団の現状を伝え、B軍団による援護を希望したのでした。参謀少佐が告げるには、「もしB軍団がラ・ティボディーヌの家(ボーモンの西北西2.7キロ、ボーモン西街道沿いにある農場。現存)付近に見える目立つポプラ並木の方向(ボーモン西街道沿いの並木)に前進して、敵の構えるボーモン北方高地尾根の西側後背側面に進出すれば効果は絶大」とのことだったのです。

 シューマッハ将軍はこの要請に応えることとして、まずはB猟兵第7大隊とB第13連隊第2大隊を、2個中隊ずつの縦隊横列とすると砲列の西側を抜けてラ・ティボディーヌへ向け北上させます。この内、13連隊の第5,6中隊を側面援護として森林中を行軍させました。同連隊第1大隊はこの先頭集団の後方400m付近でソモト森の縁に沿って続行し、残りのB第2師団諸部隊は更に距離を開けて続行しました。


 このB第2師団の戦場参入とほぼ同時に、師団に先行し砲兵援護となっていた軽騎兵第4連隊はアルノトリの家(ラ・ティボディーヌの家の北東1.2キロ)の南方で孤立し展開していた仏ミトライユーズ砲中隊に対する襲撃を命じられます。連隊は直ちに速歩でボーモン西街道へ進みますが、この開けた場所で馬上の鮮やかな赤と緑の制服姿は目立って格好の目標となってしまい、アルノトリの家南部の雑木林に潜んでいた仏軍散兵により銃撃され、更にラ・ティボディーヌ方面の敵からも銃撃を浴びたため、無念にも引き返すしかなくなったのでした。


挿絵(By みてみん)

バイエルン軽騎兵第4連隊の騎兵


 騎兵が攻撃を受けている間も、B軍歩兵の前進は続きます。第7猟兵大隊は午後2時15分にラ・ティボディーヌ農場の東側窪地に入り、その左翼(西)に第13連隊の第7,8中隊が進み出、この6個中隊の歩兵は一斉に農場に向け銃撃を開始しました。しかし同連隊の第5,6中隊は夏草や低木が生い茂るソモト森に続くミュレ森(ボア・ドゥ・ミュレ。740高地西に広がる森。ラ・ティボディーヌの家の南2.5キロ付近)の走破に時間が掛り、前線に出ることが適いませんでした。その後方で森の縁を行軍した同連隊第1大隊の方は順調に進み出て、ラ・ティボディーヌ農場目指し襲歩で前進し、B第2師団の本隊もその直ぐ後ろまで迫っていました。


 この頃には前進に手間取っていたB第1師団も軍団砲兵と共にソモト近郊に達し、B胸甲旅団も既にソモト郊外で待機の姿勢にありました。


 こうして午後2時過ぎには、独軍は中央に普軍(第4軍団)右にS軍団(第12軍団)左にB軍(B第1軍団)と一線状なり、その砲兵は共同して長い砲兵列線を形作り始めています。

 この砲兵たちによって戦いの第二段階の幕が開かれるのでした。


 ボーモン周辺の戦いが一段落した午後2時過ぎ、S軍団の砲兵12個中隊と普第4軍団の砲兵4個中隊はボーモン市街地南東の高地尾根上に順次展開して砲列を敷き、その最左翼となった砲兵中隊はほとんどボーモン東市街に接するのでした。

 市街の西側には普第4軍団砲兵6個中隊が砲列を敷き砲撃を続行し、その左翼側に少し間を開けてB軍の前衛に属する2個砲兵中隊と、後方行軍縦列より離脱して急行して来た4ポンド砲第2中隊が布陣するのでした。


※午後2時過ぎにボーモン付近に展開した独軍砲兵(野戦砲兵第12「ザクセン」連隊、野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊、バイエルン砲兵)

右翼(東)から左翼(西)へ。()内は所属


○ムーズ河岸段丘上から821高地尾根まで展開

・騎砲兵第2中隊(12軍団)

・重砲第6中隊(12軍団)

・重砲第5中隊(12軍団)

・重砲第8中隊(12軍団)

・重砲第7中隊(12軍団)

・軽砲第6中隊(12軍団)

・軽砲第2中隊(23師)

○780高地尾根からボーモン市街まで展開

・重砲第2中隊(23師)

・軽砲第5中隊(4軍団)

・重砲第3中隊(24師)

・軽砲第2中隊(7師)

・重砲第4中隊(24師)

・軽砲第4中隊(24師)

・軽砲第1中隊(23師)

・重砲第1中隊(7師)

・重砲第2中隊(7師)

○ボーモン市街南西郊外にて砲撃続行中

・重砲第4中隊(8師)

・騎砲兵第3中隊(4軍団)

・重砲第3中隊(8師)

・軽砲第3中隊(8師)

・騎砲兵第2中隊(4軍団)

・軽砲第1中隊(7師)


・6ポンド第6中隊(B2師)

・4ポンド第4中隊(B2師)

・4ポンド第2中隊(B2師)


○ボーモン市街南方高地(667高地)上

・重砲第1中隊(23師)

○ボーモン市街北で歩兵と共に前進中

・軽砲第6中隊(4軍団)

・重砲第5中隊(4軍団)

・重砲第6中隊(4軍団)

○戦力を消耗し後退

・軽砲第4中隊(8師)

○展開余地なく予備後置

・軽砲第5中隊(12軍団)

○第24師団後衛と共に前進中

・軽砲第3中隊(24師)


 このボーモン市街左右翼に並んだ25個の砲兵中隊は、ラ・フェイの森(ボーモンの北北東1.5キロ付近)からアルノトリの家北方まで再展開し砲撃を開始した仏軍砲兵と激しい砲撃戦を始めます。

 仏軍砲兵は自軍の砲が威力も射程も独軍に劣ることを承知しており、幾度も陣地を転換し集中砲火を避けることで対抗しようとしました。

 しかし程なくして、対砲兵戦では威力の弱いミトライユーズ砲中隊から後退を始め、残りの砲兵も1時間足らずの間に陣地を転換しつつ北方へ退き、仏第5軍団の歩兵がヨンク(ボーモンの北西4キロ)からサルテルの家(ラ・サルテル・フェルム。ボーモンの北4.3キロ)との間に新たな散兵線を築くと、午後3時までには北方の新たな陣地帯まで退いたのでした。

 これによって独軍砲兵列から仏軍砲兵は大きく離れ、特に右翼側のS軍団砲兵からは射程外となったため、野戦砲兵第12「ザクセン」連隊長、フンケ大佐は威力の弱い軽砲2個中隊と騎砲兵1個中隊を後退させて、重砲4個中隊をボーモン東郊外に砲列を敷く9個中隊の右翼端に寄せて連ねるよう前進させるのでした。

 この移動の際、重砲第2中隊所属のフォン・ラーヴェンフォルスト中尉は、ラ・フェイの森縁の南方にぽつんと遺棄されていた1門の仏軍ライット野砲を見つけ、砲兵護衛に付いていたライター騎兵第1連隊の1個小隊を率いると、仏軍の猛銃砲火を冒して突進し砲を奪い取るのでした。


挿絵(By みてみん)

 ライット砲と仏軍砲兵


 この砲兵砲戦の間、普第4軍団はボーモン占領戦での損害によって生じた部隊の欠落を調整して埋め、わずかな時間ですが休憩を取ったのでした。そして午後3時30分、第4軍団の諸部隊は再び前進を開始し、その右翼側ではS軍団がその援助に回ろうとしていました。しかし、普第4軍団の展開が、当初の計画よりやや東側に寄っていたため、S軍団の展開余地は少なく、その前進方向はムーズ川とボーモン東街道の東側に広がる森林高地に狭められ、その前進は苦難の連続となるのです。


 ところが第4軍団の左翼においてB第2師団がラ・ティボディーヌ農場の攻撃に取りかかった直後(午後2時20分前後)、突然農場の南西側の森で覆われた高地上にまとまった数の仏軍部隊が登場するのです。

 これはドゥエー将軍率いる仏第7軍団の前衛、コンセーユ=デュームニル少将の(軍団第1)師団の先鋒部隊でした。この師団は戦闘中のボーモンを避けロクールへ進もうとしていた軍団長の転進命令が間に合わずにボーモン西街道を進んで来たもので、仏軍は遭遇戦の形でB第2師団に対し銃撃を開始するのでした。


*注

 普仏開戦時には既に普軍に取り込まれていたザクセン軍は、普軍とほぼ同じ武器・装備で戦いましたが、戦争直前まで北ドイツ連邦とは一線を画していたバイエルン軍は違いました。

 バイエルン軍の野砲は当時クルップ砲ではなく、クルップ砲に影響されて製造された自国製の後装旋条砲です。クルップ野砲と同じく「軽」4ポンド砲と「重」6ポンド砲がありました。

 また、バイエルン軍の主要小銃もドライゼ「針銃」ではなく、ドライゼ銃に影響され前装銃を後装銃に発展させた自国製のM1858/67ポデヴィルス小銃や、一部の猟兵大隊ではドライゼより進歩した新式のM1869ヴェルダー小銃が使用されています。従って銃砲弾については普軍との互換性はなかったものと思われます(調査中)。


 余談ですが普仏戦中、パウルとヴィルヘルムのマウザー兄弟(年輩の方には「モーゼル」と発音する方が通じるかもしれません。1872年有名な銃器会社マウザー社設立)がM1869ヴェルダー小銃の対抗馬としてM1871マウザー小銃(インファンティリー・ゲーヴェル71/Gew71)を開発し、戦後M41ドライゼ小銃の後継、ドイツ帝国軍の初代正式小銃に選ばれます。これが後の第一次大戦時の小銃Gew98や第二次大戦時の小銃Kar98kへと続くマウザー小銃系譜の端緒となりました。


※独軍砲兵中隊の定員数について

第一次大戦開戦直前のドイツ帝国軍編制では、

・士官5名/中隊長(少佐または大尉)。ほか中隊附士官や小隊長として大尉または中尉2から3名、少尉2から3名。

・下士官兵148名 馬匹139頭 車両(牽引)17輌 砲6門

となっています。1970年当時は馬匹の数が多かった(200頭前後)以外は余り変わらないものと思われます。


1870年8月30日 ボーモン方面へ向かう行軍序列


☆普第12軍団 ゲオルグ・ザクセン親王中将


◯ 第23師団 アルバン・フォン・モンベ少将

*前衛 クレメンス・ハインリッヒ・ロタール・フォン・ハウゼン大佐(第108連隊長)

・ライター騎兵第2連隊第4中隊(シュブート大尉)

・フュージリア第108「ザクセン・シュッツェン」連隊(連隊長ハウゼン大佐直率)

 第1大隊(フォン・レーオンハルディ中佐)

 第2大隊(フォン・ディームヴォウスキー少佐)

 第3大隊(フォン・ロッソウ大尉)

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊軽砲第2中隊(ヴェストマン大尉)

・第12軍団野戦工兵第3中隊(シューベルト大尉)

*本隊 ガルテン大佐(第45「ザクセン第1」旅団長)

・擲弾兵第100「ザクセン第1/親衛」連隊第12中隊(ユリウス・オズワルト・フォン・ティシュルシュニッツ大尉)

・野戦砲兵第12連隊砲兵第1大隊(フォン・ヴァッツドルフ中佐)

 軽砲第1中隊(レングニック大尉)

 重砲第1中隊(ロートマーラー大尉)

 重砲第2中隊(フォン・レーオンハルディ少佐)

*野戦砲兵第12連隊 ベルンハルト・オスカー・フォン・フンケ大佐

・野戦砲兵第12連隊砲兵第4大隊(イェルター中佐)

 軽砲第6中隊(フェルマー大尉)

 重砲第7中隊(ブッヘル大尉・兄)

 重砲第8中隊(ボルティウス大尉)

 騎砲兵第2中隊(ミュラー大尉・弟)

・野戦砲兵第12連隊砲兵第3大隊(フォン・デア・ボルテ少佐)

 重砲第5中隊(ピオルコウスキー中尉)

 重砲第6中隊(フェルヴォルネラー大尉)

 軽砲第5中隊(フォン・チェシャウ大尉)

・擲弾兵第101「ザクセン第2/プロシア王ヴィルヘルム」連隊 フォン・シンプ中佐

 第1大隊(男爵フォン・ベルンプシュ大尉)

 第2大隊(ハーゲル大尉)

 第3大隊(フォン・クリュックス少佐)

*後衛 フォン・ザイドリッツ=ゲルステンベルク大佐(第46「ザクセン第2」旅団長)

・第102「ザクセン第3/王太子」連隊 ルドルフ大佐

 第1大隊(フォン・レンツ少佐)

 第2大隊(男爵フォン・オービラー少佐)

 第3大隊(クルト・ハウボルト・フォン・アインジーダー少佐)

・第103「ザクセン第4」連隊 ディートリヒ中佐

 第1大隊(フォン・アウエンミュラー大尉)

 第2大隊(フォン・シェーンベルク=ビッティング少佐)

・ライター騎兵第2連隊(1個中隊は前衛に/連隊長フォン・ゲンセ少佐)


◯ 騎兵第12「ザクセン」師団 伯爵フランツ・ヒラー・フォン・トゥール・リッペ=ビースターフェルト=ヴァイセンフェルト少将

*騎兵第23「ザクセン第1」旅団 カール・ハインリッヒ・タシーロ・クルーク・フォン・ニッダ少将

・近衛ライター騎兵連隊(フォン・フンケ少佐)

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊騎砲兵第1中隊(チェンカー大尉)

*騎兵第24「ザクセン第2」旅団 ゼンフト・フォン・ピルザッハ少将

・ライター騎兵第3連隊(フォン・スタンドフェスト大佐)

・槍騎兵第18「ザクセン第2」連隊(フォン・トロスキー中佐)


◯ 右翼支隊 シューマン中佐(第100連隊長)

・擲弾兵第100「ザクセン第1/親衛」連隊 シューマン中佐直率

 第1大隊(フォン・ラープ大尉)

 第2大隊(男爵フォン・ケラー大尉)

 第3大隊(第12中隊は本隊先鋒中隊に/デーリング大尉)


※8月30日の会戦のため、騎兵師団よりライター騎兵第2連隊は第23師団へ、同第1連隊は第24師団へそれぞれ配属。第103連隊の第3大隊はストゥネ部落防衛のため残留。


◯ 第24師団 エルウィン・ネールホッフ・フォン・ホルダーベルク少将

*前衛 クルト・アレクサンダー・フォン・エルターライン大佐(第47「ザクセン第3」旅団長)

・ライター騎兵第1「王太子」連隊(フォン・ザール中佐)

・猟兵第12「ザクセン第1/王太子」大隊(伯爵フォン・ホルツェンドルフ少佐)

・第104「ザクセン第5/フリードリヒ・アウグスト王子」連隊第1大隊(連隊長バルトキー少佐・大隊長アルマー少佐)

・野戦砲兵第12連隊軽砲第4中隊(フォン・クレッカー=ドロストマー中尉)

・第104連隊第3大隊(男爵フォン・ハウゼン大尉)

*本隊 ユリウス・カール・アドルフ・フォン・シュルツ少将(第48「ザクセン第4」旅団長)

・第104連隊第2大隊(フォン・ミュラー大尉・兄)

・野戦砲兵第12連隊砲兵第2大隊(リヒター少佐)

 重砲第4中隊(グロー中尉)

 重砲第3中隊(エックスネル少尉)

・第105「ザクセン第6」連隊 ハンス・ベルンハルト・フォン・テッタウ大佐

 第1大隊(フォン・ケッシンガー少佐)

 第2大隊(フォン・テッテンボルン少佐)

 第3大隊(バウムガルテン大尉)

・第106「ザクセン第7/ゲオルグ王子」連隊 フォン・マンデルスロー少佐

 第1大隊(ロイスマン大尉)

 第2大隊(ナウンドルフ大尉)

 第3大隊(ブリンクマン少佐)

・野戦砲兵第12連隊軽砲第3中隊(ブッヘル大尉・弟)

・第107「ザクセン第8」連隊 男爵フォン・リンデマン少佐

 第1大隊(フォン・ヘルマン大尉)

 第2大隊(フォン・ゲルスドルフ大尉)

 第3大隊(キャストネラー大尉)

・猟兵第13「ザクセン第2」大隊(フォン・ゴッツ少佐)


※ザクセン軍団の工兵大隊は、架橋縦列を含め第3中隊以外全てがカール王子の「メッス攻囲軍」に残留し、主に第10軍団に従属してモーゼル川の架橋工事に活躍しています。


☆バイエルン第1軍団

 男爵ルートヴィヒ・ザムゾン・ハインリヒ・アルトゥール・フォン・ウント・ツー・デア・タン=ラートザームハウゼン歩兵大将


◯ バイエルン(以下B)第2師団 代理師団長(第2旅団長)イグナス・シューマッハ少将(師団長の伯爵カール・ツー・パッペンハイム中将が病気のため開戦時より)

*前衛 男爵フーゴ・カール・ルートヴィヒ・フォン・ウント・ツー・デア・タン=ラートザームハウゼン少将(B第4旅団長)

・シュヴォーレゼー(軽)騎兵第4「国王」連隊第1,2中隊(連隊長男爵アウグスト・フォン・レオンロード大佐)

・B猟兵第7大隊(フリードリヒ・シュールタイス中佐)

・B砲兵第1「親王ルイトポルド」連隊4ポンド砲第4中隊(バウミュラー大尉)

・B第13「皇帝フランツ・ヨーゼフ・フォン・オーストリア」連隊 伯爵ルートヴィヒ・フォン・イーゼンブルク=フィリップスアイヒ大佐

 第2大隊(男爵フォン・シェーンヒューブ少佐)

 第1大隊(エンドラス少佐)

・シュヴォーレゼー騎兵第4連隊第3,4中隊

・B砲兵第1連隊6ポンド砲第6中隊(ジギスムント大尉)

・B第10「親王ルイトポルド」連隊 男爵アルベルト・フォン・グッテンベルク大佐

 第3大隊(フォン・ラッヘル少佐)

 第2大隊(ライタウザー少佐)

 第1大隊(フォン・ヘーグ少佐)

*本隊 シューフ大佐(B第3旅団長)

・B猟兵第1大隊(オットー・シュミット中佐)

・B砲兵第1連隊4ポンド砲第2中隊(シュロップ大尉)

・B第3「親王カール・フォン・バイエルン」連隊 ヴィルヘルム・コーラーマン少佐

 第1大隊(ハインリッヒ・ビルクマン上級大尉)

 第3大隊(フリードリヒ・ムック少佐)

・B第12「国王アマリエ・フォン・グリーヘンラント(ギリシャ)」連隊 男爵ヨセフ・クレス・フォン・クレッセンシュタイン少佐

 第1大隊(ランゲンゼー上級大尉)

 第2大隊(ハルラッハ少佐)

・B砲兵第1連隊6ポンド砲第8中隊(ゼヴァルダー大尉)

*B胸甲騎兵旅団 ヨハン・バプティスト・フォン・タウシュ少将

・シュヴォーレゼー騎兵第6「親王アルブレヒト・フォン・プロイセン」連隊(男爵フリードリヒ・フォン・クラウス大佐)

・B砲兵第3連隊騎砲兵第1中隊(男爵フォン・レーベル大尉)

・B胸甲騎兵第1「親王カール・フォン・バイエルン」連隊(ファイヒトマイル大佐)

・B胸甲騎兵第2「親王アルベルト」連隊(アドルフ・フランツ・フィリップ・バウミュラー大佐)


※B第3連隊の第2大隊はバール=ル=デュク部落防衛のため残留。


◯ バイエルン(以下B)第1師団 バプティスト・リッター・フォン・シュテファン中将

・シュヴォーレゼー騎兵第3「カール・テオドール大公」連隊(連隊長男爵アウグスト・フォン・レオンロード大佐)

*B第2旅団 カール・フォン・オルフ少将

・B猟兵第4大隊(レシュライター少佐)

・B猟兵第9大隊(男爵フリードリヒ・マリア・ゲミンゲン・フォン・マイセンバッハ中佐)

・B砲兵第1連隊4ポンド砲第3中隊(フォン・グルンドヘラー大尉)

・B第2連隊 男爵ルドルフ・フォン・ウント・ツー・デア・タン=ラートザームハウゼン大佐

 第1大隊(フォン・ザウアー少佐)

 第2大隊(メーン少佐)

 第3大隊(ストイラー少佐)

・B第11連隊 伯爵マクシミリアン・フォン・ロイブルフィング大佐

 第1大隊(ボイメン少佐)

 第2大隊(ビェーヘ少佐)

・B砲兵第1連隊第1大隊 リッター・フォン・フォルマー中佐

 6ポンド砲第5中隊(男爵フォン・フッテン大尉)

 6ポンド砲第6中隊(フォン・シュライヒ大尉)

*B砲兵第3連隊(予備砲兵隊) ハインリヒ・ブロンジッチ大佐

・B砲兵第3連隊第1大隊(ヴィクトール・グラミッヒ少佐)

 騎砲兵第2中隊(フォン・ヘルリングラート大尉)

 6ポンド砲第3中隊(ジェルドネラー大尉)

 6ポンド砲第4中隊(親王レオポルト大尉)

・B砲兵第3連隊第2大隊(ダッフネラー少佐)

 6ポンド砲第5中隊(ノイ大尉)

 6ポンド砲第6中隊(メーン大尉)

・B砲兵第3連隊第3大隊(ヴィル少佐)

 6ポンド砲第7中隊(ベリンゲラー大尉)

 6ポンド砲第8中隊(レーダー大尉)

*B第1旅団 カール・リッター・フォン・ディートル少将

・B猟兵第2大隊(フォン・ファルラーデ少佐)

・B砲兵第1連隊4ポンド砲第1中隊(グルイトフイゼン大尉)

・B親衛連隊 アントン・リッター・フォン・トイフェンバッハ大佐

 第1大隊(エッカルト少佐)

 第2大隊(フォン・ザウアー少佐)

 第3大隊(伯爵ヨセフ・フォン・ヨーネル=テッテンヴァイス少佐)

・B第1連隊 アルベルト・フォン・ロート大佐

 第1大隊(フォン・リューネシュロス少佐)

 第2大隊(ダッフェンライター少佐)


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