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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
268/534

ボーモンの戦い/普第4軍団の前進

 独仏の開戦以来、普常備軍の正規軍中、目立つ会戦に参加していない軍団として第6軍団と並ぶ存在となった第4軍団は、30日黎明時にアンドゥヴァンヌとバイヨンヴィルの野営地を出立して、午前10時、当初命令通りにヌアール(第7師団)並びにフォセ(第8師団)に到着、小休止した後にボーモン目指し北上を始めました。

 軍団砲兵隊については、既述通り軍団行軍列が劣悪な状態の街道を進んだことにより渋滞し始め、そこに他の前線に追従する必要のある車両(弾薬や工兵資材、医療関係など)も同じ道を通行したため、一時フォレの林(ヌアールの西に広がる森)付近で停滞する羽目となりますが、何とか大幅な遅れを出さずにフォセを過ぎて先行する第8師団後尾に付くことが出来ました。この師団本営と共に軍団長のグスタフ・フォン・アルヴェンスレーヴェン歩兵大将も前進するのです。


 午前11時少し前に第8師団がシャトー・ベルヴァルに到着すると、午前5時にこの周辺を偵察した後、この城館と付属する部落を確保していたS軍団の槍騎兵第17連隊(偶然にも同方面を偵察していたライター近衛騎兵連隊第2中隊もいました)に出会います。S騎兵たちは普軍に、仏第5軍団の後衛が夜明け前に同地を立ち去り、その後周辺の森林地帯で後衛兵から威嚇の銃撃を受けたことを知らせました。

 また、槍騎兵第17連隊長のセントゥイス・ヴィルヘルム・アウグスト・ベルンハルト・フォン・ミルティッツ大佐は日の出時、東方のボワ=ドゥ=ダム部落から北の森林高地に登り、ボーモン周辺に仏軍が野営しているのを確認し、これに偵察隊を送っていました。

 この偵察隊はフォン・ノスティッツ大尉率いるS槍騎兵の1個中隊で、プティト・デュレの森を通過して、隠密行動に徹して仏軍に発見されずに森林地帯の北縁まで進み、近距離から仏軍野営を観察した後、無事に引き返したのです。大尉は、「仏軍は野営地周辺に歩哨を置かず、付近で捕まえた農夫を尋問すれば、仏軍は全く警戒することなく休憩しているとのこと」と幾分呆れながら報告したのです。

 この情報は直ちに第8師団長に伝えられました。

 直後、槍騎兵第17連隊はマース軍本営より新たな任務を受け、第12軍団に合流するためラヌヴィル(=シュル=ムーズ)に向かい去っています。


 第8師団長、テオドール・アレクサンダー・ヴィクトール・エルンスト・フォン・シェーラー中将は「仏軍が油断している」との情報を受けるや直ちに行軍を再会させ、師団行軍列はベルヴァル森西部から細い林道を進み、山間ラ・フォルジュの小部落(ヌアールの北北西6キロ)を経てプティト・デュレの森の北、ベル・ヴォレの家(ベル・ヴォレ・フェルム。ボーモンの南南西2.4キロ、森の北縁から街道沿い300mにあった農場。現在取付小路のみ残り建物は跡形もありませんが普第96連隊の記念碑が建っています)目指して前進しました。

 しかし、この林道(現国道D4号線)は当時荒廃していて馬車往来の街道としては機能せず、まるで獣道の様相を呈していたため、先行していた軍団参謀のフォン・ステックラート中尉は、行軍列を現地住民が往来に使用していた比較的楽に歩ける山道へ誘導し、師団は苦心惨憺深い森を抜けていったのです。


 こうして森を抜けた師団前衛は、先鋒となっていた驃騎兵第12「チューリンゲン」連隊第2中隊を密かに森縁に待機させ、猟兵第4「マグデブルク」大隊の第1中隊は先行して仏軍の目を盗みつつ隠密に前進し、「ベル・ヴォレの家」の脇を過ぎて、その街道沿い(急な登り坂となっています)北東方400mにある「プティト・フォレの家」(フェルム・ドゥ・プティト・フォレ。ボーモンの南南西1.9キロ。現存します)に接近するのです。

 この農場がある高地からはボーモン市街方面を見渡すことが出来、その市街の南側、高地から僅か600m先に歩兵1個旅団と騎兵1個連隊と見積もられる仏軍の一大野営が広がっており、更に市街地の北西にも大きな別の野営が発見されるのでした。


 マース軍本営の命令では、「近隣師団の到着を待って」攻勢に移る事とされていましたが、前衛先鋒隊を率いていた驃騎兵第12連隊本営附のフォン・ラウフ少佐と、最前線へ騎行し士官偵察に出た師団参謀長フォン・クレッチマー少佐とが、ほぼ同時に本営へ帰還して全く同じ報告、「仏軍は現在、全く警戒を解いて歩哨すら配置せず、油断し切って野営休息を取っており、我々の接近にも気付いていない」と告げたことにより、シェーラー師団長は「結果の責任は本官が負うので、この好機を無駄にせず敵を攻撃する」と命令するのです。


 この時、テオドール・フォン・シェーラー中将は現役師団長でも高齢の63歳という大ベテランでした。4年前の普墺戦争では第31旅団を率い、ビッテンフェルト大将の信任を受け、エルベ軍先鋒としてボヘミア地方に真っ先に侵入、墺軍との初戦「ヒューナーヴァッサーの戦い」からケーニヒグレーツ会戦まで数々の武勲を上げ、戦後ヴィルヘルム1世自らがプール・ル・メリットを授けた積極果敢な将軍でした(普墺編では「セーレル少将」と表記しています。後日訂正予定)。当時第8師団長だったアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホルン将軍のザクセン占領軍司令への昇進異動により、シェーラー将軍はまだ普墺戦中の66年7月21日に中将に昇進し、第8師団長となります。それからこの普仏開戦まで4年間、じっくりと師団を鍛え上げた将軍は、準備万端この日を迎えたのでした。


挿絵(By みてみん)

 シェーラー


 普第8師団はこの時、前衛のみが使用可能で敵の1個師団以上と戦うには全く不足と言えましたが、シェーラー将軍は部下を信頼し、「前衛の攻撃後幾ばくもなく本隊も到着し攻撃列線に加わるであろう。更に第8師団の攻撃により、今正に困難な行軍を行っているであろう他師団の攻撃参加を容易にするはず」、と断じたのでした。

 こうして将軍は正午を過ぎた頃、攻撃を期して前衛に対し前進を命じます。

 まず、猟兵第4大隊の2個(第2,3)中隊に、先行して待機する第1中隊に合流するよう命じ、その後方に第16旅団の2個連隊を展開させます。

 師団砲兵指揮官のフォン・ギルザ少佐には、前衛砲兵の2個(軽砲第4、重砲第3)中隊に対し、ボーセジュールの家(ボーモンの南西2.5キロ)東側に砲列を敷き、師団本隊に属して前進中の残2個中隊も、出来る限り素早く砲列に加わるよう命じるのでした。

 シェーラー将軍は、軍本営が命じた通り奇襲的な砲撃から攻撃を開始したいと考え、砲兵の尻を叩いたのです。当初は役目のない驃騎兵連隊には後方の森林で待機するよう命じるのでした。


 この敵前僅か2キロに満たない距離で行われた普軍師団の行動も、最初は疲弊し切って油断していた仏軍に気付かれることはありませんでした。


 師団前衛砲兵はプティト・フォレの家とメゾン・ブランシェ(ボーセジュールの家北東側にあった隣家。現存しません)間に砲列を敷き、猟兵大隊はプティト・フォレの家に接近します。するとここで突如前面の仏軍野営の一つに急激な反応が起こり、兵士が慌ててテントから飛び出し、銃を取って配置に就くのが見えたのです。

 これにより、最前線まで駆け付けて見守っていた普第4軍団長、G・アルヴェンスレーヴェン大将は「最早旅団の展開を待っている時間はなくなった」としてシェーラー中将に「早速砲撃を始めたまえ」と命じました。


 時に午後12時30分。こうして「ボーモンの戦い」の火蓋は普軍側から切られたのです。


 しかし、僅か軽重2個中隊12門の野砲と1,000名に満たない歩兵(猟兵)では、いくら疲弊し油断していたとはいえ数キロ先に展開する仏正規軍の1個軍団2万名を攻撃するのは無茶に過ぎました。


 当初こそ榴弾の破裂で右往左往し、慌てて銃を取った仏軍も次第に態勢を整え、野営からは次々と隊列が前進し始め、散兵が展開すると猛烈なシャスポー銃弾が普猟兵と砲兵に注がれ始めます。ボーモン市街の南と西の郊外からは仏軍砲兵が応射を開始し、新たな砲兵も市街の北方高地に展開して、普第8師団の前線はたちまち土煙に覆われ、前衛は大損害を被るのでした。

 特に砲兵の損害は大きく、仏軍の砲撃直後半数近くが倒れ、一時砲撃が困難となったのです。

 仏軍の砲撃は南側の森林地帯にも及び、前線に駆けつけようと奮闘する師団本隊にも被害が出始めます。

 しかし、被害続出の砲兵始め最前線の猟兵やG・アルヴェンスレーヴェン将軍以下指揮官の戦意は些かも衰えず、普軍は砲撃に耐えつつ対抗して銃砲火を絶やさず仏軍野営に送り続けるのでした。


挿絵(By みてみん)

奇襲を受け混乱する仏第4軍団野営


 長い15分間の後の午後12時45分、第8師団本隊より残りの師団砲兵2個中隊が到着し、直ちに傷だらけの前衛砲列を延伸すると猛射を開始しました。同時に第96連隊F大隊も前進して迫る仏散兵から砲兵を護り、第16旅団の3個(フュージリア第86「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊の第1,2、第96「チューリンゲン第7」連隊の第2)大隊はチュイルリーの煉瓦製造小屋(プティト・フォレの家南南西300m。現在は廃屋となっています)まで前進し銃撃を開始するのです。

 旅団の残り、第86連隊第3大隊は軍団長の差配でベル・ヴォレの家付近で停止し、貴重な予備戦力となりました(この時、第96連隊第1大隊は軍団砲兵の護衛として後続していました)。


 普軍が前線を強化した直後の午後1時、仏軍はプティト・フォレの家に対し一斉に突撃を開始し、その後方からは突撃第2陣となる密集した歩兵集団も急速前進して来ました。

 対する普軍前線で指揮を執る猟兵第4大隊長フォン・レットウ=フォルベック少佐は、落ち着いて後方から予備の第4中隊を前進させて迎え撃ち、敵を引き付けてドライゼ銃でも絶対に外れない近距離の一斉射撃で仏軍散兵の突撃第一線をなぎ払いました。この強烈な一撃で後続の仏散兵は遮蔽の陰に隠れ臥し、後方の攻撃集団は退却するのでした。


 これを見ていた第16旅団長で前衛支隊を率いるフォン・シェフラー大佐はチュイルリー煉瓦製造所付近の3個大隊を率いて一斉に前進し、猟兵の散兵線横を越えると、前(北)方のボーモン南高地南縁を占領しました。レットウ少佐の猟兵中2個中隊も敵の退却を見て前進し、この散兵線に加わります。猟兵の残2個中隊はプティト・フォレの家を強力な拠点とすべくバリケードや防御物を重ね並べ始めるのでした。

 シェーラー師団長は、シェフラー大佐の部下が直前の仏軍散兵線と激しい銃撃戦となったと見るや、直ちに予備となっていた第96連隊F大隊を投入し、更に戦場に到着し始めていた第15旅団の前衛、第31「チューリンゲン第1」連隊に対し、「速やかに参戦せよ」と命じて戦線を強化、その後ろから戦場に到着した第71「チューリンゲン第3」連隊をプティト・デュレ森の北縁に留めて予備として後置するのです。

 逆に苦労して森を抜けてやって来た軍団砲兵隊の展開を急かし、砲兵と共に前進した軍団砲兵部長のフォン・シャーベニング少将と砲兵第4「マグデブルク」連隊長クルジウス大佐に命じて、急ぎ砲撃準備に取り掛からせたのでした。


 この砲兵の展開を待つことなく、最前線の歩兵たちは更なる前進を謀ります。これは時を同じくして軍団片割れの第7師団が戦場に到着し始めていたからでもありました。


 普墺戦争において勇将フランセキーが率い、「ケーニヒグレーツの戦い」でも高名となった「シュウィープ森の死闘」において倍する墺軍と互角に戦い歴史を作った普第7師団は、早朝より果敢にデュレの森に挑みます。

 その先頭を行くフォン・グシュテット少尉率いる竜騎兵第7「ヴェストファーレン」連隊第3中隊の1個小隊は正午直前、ベル・トゥールの家(ボーモンの南南東3キロ)の南で森を出て農家周辺に敵がいないことを確認し、更に北側の高地尾根に向かいました。

 ところが、ここで仏軍の歩兵部隊と遭遇してしまいます。激しい銃撃を覚悟したグシュテット少尉でしたが、相手側はびっくりしたのかすぐさま退却してしまい、竜騎兵小隊も無事前衛まで下がったのです。


 直後、この前衛を構成する第66「マグデブルク第3」連隊F大隊に続いて連隊残りの2個(第1,2)大隊も森から続々と出て来ました。

 F大隊はベル・トゥールの家からボーモンへ続く「ベル・トゥール道」に跨がる高地尾根の南斜面に展開し、第1大隊は道の東、第2大隊は道の西にそれぞれ占位します。続行していた砲兵4個(前衛の軽砲第2と本隊の軽砲第1、重砲第1,2)中隊と竜騎兵第7連隊は一時的に森林の縁に留められました。

 普第7師団長のカール・ユリウス・フォン・グロス=シュヴァルツホッフ中将は、軍の命令「近隣師団の森林線進出後、共同し並んで攻勢」との主旨に従い、まずは自らの師団全体が森を出て同僚第8師団の情報を待とうと考えます。この命令遵守の姿勢は、このベル・トゥールの家付近が完全な山の中で周囲の見通しが悪く、目標のボーモン市街も左隣を進む第8師団の行軍も見えないからでもありました。

 ところが将軍が森から出てみると、第8師団の行軍方向(西)から砲声が聞こえ始め、いよいよ本格的な戦闘参加と張り切っていた中将は「状況の変化に鑑み、既に開始されている会戦に即時参加する」と宣言し部下を急き立てたのでした。


 フォン・グロス=シュヴァルツホッフ中将はこの時57歳。普墺戦争でこの第7師団所属第13旅団を率い、当時の上司(師団長)は前述通り1870年現在の第2軍団長、「猛将」フランセキー将軍でした。シュヴァルツホッフ将軍自身も66年の戦争では「ミュンヘングレーツの戦い」から「ケーニヒグレーツ会戦」での死闘を経て終戦時の「ブルーメナウの戦い」まで戦い抜き、プール・ル・メリットを襟元に飾る将軍です。戦間期には新たに普領となったハノーファーにおいて、後備軍の育成に力を注いでいます。この功績もあって普仏戦争の動員開始と同時に中将昇進と、軍団長大将に昇進したフランセキー将軍の後を託され、晴れて古巣の師団長となったのでした。


 さて、シュヴァルツホッフ中将の意を受けて、前衛に付いていた軽砲第2中隊は森縁より第66連隊F大隊が展開する散兵線左翼へ急行し、歩兵と並んで砲列を敷きますが、およそ600m北の高地上には仏軍の散兵線があり、普軍の動きを発見したこの仏軍は盛んに銃撃を行うのでした。これによって砲兵のみならず歩兵も大きな損害を受けてしまいます。第66連隊はドライゼ銃の射程ぎりぎりで撃ち掛ける仏軍散兵に対し猛射撃で応えますが、森を背にして遮蔽物から射撃をする仏軍には大した効果を得ることが出来ませんでした。

 ここへ師団砲兵隊長のフォン・フライホルト中佐が残りの砲兵3個(軽砲第1、重砲第1,2)中隊を率いて到着し、砲兵隊は仏軍の猛銃撃下を進んで、満身創痍で砲撃を続ける軽砲第2中隊に並んで砲列を敷きました。その後方からは第26「マグデブルク第1」連隊も進んで来たのです。


 この厳しい緒戦の最中、隣の第8師団からは伝令が到着し、「プティ・フォレの家北方高地で敵の頑強な抵抗に遭っている」と報告します。シュヴァルツホッフ将軍は何とか第8師団を助けようと、第7師団全体を更に北上させる決心をするのでした。

 将軍は前衛の第66連隊に前進を命じ、連隊長の伯爵フィンク・フォン・フィンケンシュタイン中佐は直ちに麾下3個大隊に対し着剣を命じると、自らその先頭に立って高地上の仏軍散兵線へ突撃を敢行したのでした。

 この果敢な行動は高地上の仏軍を動揺させ、散兵たちは北の市街地へ追いやられてしまいます。第66連隊は機を見て同時に前進した第8師団の第一線と左翼を連絡し一線となることが出来たのです。この時、師団最右翼(東側)となった66連隊の第1大隊主力は、やや東に前進しボーモン東街道を確保するのでした。

 この前線後方には第26連隊第1,2大隊が半大隊(2個中隊)ずつ4個の梯団となって続行し、同連隊F大隊の半大隊(第9,10中隊)は師団砲兵と付属車両の援護に回り、残りの半大隊(第11,12中隊)は東側に進んでボーリュの家(ボーモンの南東2.7キロ)付近の林を占領して拠点と成し、ちょうど森林線から出ようとしていたS軍団を援護するのでした。

 また、師団残りの第14旅団中、第93「アンハルト公国」連隊は砲兵列線の後方で北方に突き出した森縁に進み、第27「マグデブルク第2」連隊は師団総予備となってベル・トゥールの家南方の森縁で待機となりました。


 この緒戦において、前衛を督戦していた第13旅団長アウグスト・ヨハン・カール・フォン・ボリス少将が負傷して後送され、直ちに第26連隊長のルーイ・キルス・オイゲン・アレクサンダー・フォン・シュメリング大佐が旅団の指揮を代わるのでした。


 こうして午後1時頃には普第4軍団の前線がはっきりと姿を現します。


 これを西側から東側に見てみると、西側の第8師団は3個大隊半、東側の普第7師団は3個大隊が横一線となり、左翼から右翼へ、第86連隊第2大隊、猟兵第4大隊第2中隊、第96連隊第2大隊、猟兵第4大隊第3中隊、第86連隊第1大隊、第66連隊第2大隊、同F大隊、同第1大隊の並びとなりました。

 この後方直ぐ近くに砲兵8個中隊が並び、展開当初こそ被害が続出するものの、強力なクルップ鋼鉄砲40門強の砲列は次第に仏軍を圧倒するのでした。


 後方からは順次両師団残部が森を出て展開し始めており、軍団長のG・アルヴェンスレーヴェン大将はベル・トゥールの家に本営を前進させた第7師団長フォン・グロス・ゲナント・フォン・シュヴァルツホッフ中将と共に前線指揮を執っていました。

 軍団参謀長のルドルフ・ベルンハルト・アレクサンダー・フォン・ティーレ大佐はベル・トゥールから副官参謀数名ずつを軍団右翼側の第12(S)軍団並びに左翼側のB第1軍団へ派遣し、第4軍団の戦闘状況を知らせ、また「適宜に戦闘に参加して貰えるならば幸いである」との要望を伝えさせるのでした。


挿絵(By みてみん)

G・アルヴェンスレーヴェン


1870年8月30日 ボーモン方面へ向かう普第4軍団の行軍序列


☆第4軍団 グスタフ・フォン・アルヴェンスレーヴェン歩兵大将


◯ 第7師団 カール・ユリウス・フォン・グロス・ゲナント・フォン・シュヴァルツホッフ中将


*前衛 アウグスト・ルートヴィヒ・アルフォンス・フォン・トムゾン少佐

・竜騎兵第7「ヴェストファーレン」連隊第3中隊の1個小隊(フォン・グシュテット少尉)

・第66「マグデブルク第3」連隊フュージリア(以下F)大隊(大隊長トムゾン少佐直率)

・第4軍団野戦工兵第3中隊(フォン・ワッセルシュレーベン大尉)

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊第1大隊軽砲第2中隊(ゼンガー大尉)


*第13旅団 アウグスト・ヨハン・カール・フォン・ボリス少将

・第66「マグデブルク第3」連隊 伯爵アルブレヒト・フィンク・フォン・フィンケンシュタイン中佐

 第1大隊(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ローデリッヒ・フォン・ラウフ少佐)

 第2大隊(ラーベ大尉)

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊第1大隊 フォン・フライホルト中佐

 軽砲第1中隊(フェッシヒ大尉)

 重砲第1中隊(リェーヴェ大尉)

 重砲第2中隊(ライヘル大尉)

・第26「マグデブルク第1」連隊 ルーイ・キルス・オイゲン・アレクサンダー・フォン・シュメリング大佐

 第1大隊(マクシミリアン・エミール・ハインリッヒ・ヘルマン・フリッチュ少佐)

 第2大隊(フォン・ロストケン少佐)

 F大隊(フォン・ルカドウ大尉)


*第14旅団 フランツ・フリードリヒ・スゼリガ・ツィヒリン・フォン・ツィヒリンスキー少将

・第93「アンハルト」連隊 フリードリヒ・エルンスト・フォン・クロージク大佐

 第1大隊(フォン・ヴェンツェル大尉)

 第2大隊(フォン・ヴァイゼ大尉)

 F大隊(フォン・フックス少佐)

・第27「マグデブルク第2」連隊 カール・クリスティアン・アウグスト・フォン・プレッセンティン大佐

 第1大隊(シュラム少佐)

 第2大隊(フォン・ヴェデラー大尉)

 F大隊(ヒルデブランド中佐)

・竜騎兵第7「ヴェストファーレン」連隊(1個小隊欠) 連隊長男爵フォン・シュヴァイニッツ中佐

・軍団第1衛生隊


◯ 第8師団 テオドール・アレクサンダー・ヴィクトール・エルンスト・フォン・シェーラー中将


*前衛 カール・アウグスト・フォン・シェフラー大佐(第16旅団長)

+先鋒支隊 シェフラー大佐直率

・ラウフ支隊 ギード・アルベルト・グスタフ・フォン・ラウフ少佐

 驃騎兵第12「チューリンゲン」連隊第2中隊(フォン・パルリー少佐)

 猟兵第4「マグデブルク」大隊第1中隊(男爵フォン・ライプニッツ大尉)

・驃騎兵第12「チューリンゲン」連隊第3,4,5中隊 連隊長ブード・フォン・ズッコー中佐

・猟兵第4「マグデブルク」大隊第2,3,4中隊 大隊長男爵フォン・レットウ=フォルベック少佐

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊第2大隊(フォン・ギルザ少佐)

 軽砲第4中隊(ヴェルメルスキルヒェ大尉)

 重砲第3中隊(ディークマン大尉)

+前衛本隊 アドルフ・フォン・ホルン大佐(第86連隊長)

・フュージリア第86「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊 

 第1大隊(男爵フォン・ボイネブルク少佐)

 第2大隊(ヴィルヘルム・ハッセ中佐)

 第3大隊(フォン・ノルマン中佐)

・第96「チューリンゲン第7」連隊 カール・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フーゴ・フォン・レーデルン中佐

 第2大隊(ヘルマン・エデュアルド・フォン・ニッチェ中佐)

 F大隊(フォン・バンセルス中佐)

・第4軍団野戦工兵第1中隊(附属・野戦軽架橋縦列)(シュルツ大尉)

・軍団第2衛生隊第2分隊


*本隊 フリードリヒ・ヴィルヘルム・アレクサンダー・フランツ・フォン・ケスラー少将(第15旅団長)

・第31「チューリンゲン第1」連隊F大隊(グスタフ・アドルフ・フォン・ベチュヴァルツォウスキー少佐)

・第4軍団野戦工兵第2中隊(テッツラッフ大尉)

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊軽砲第3中隊(リヒター大尉)

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊重砲第4中隊(ラウベ大尉)

・第31「チューリンゲン第1」連隊 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・ヒュルヒテゴット・フォン・ボニン大佐

 第1大隊(フォン・ペテリー少佐)

 第2大隊(ムッセット少佐)

・第71「チューリンゲン第3」連隊 フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ・フォン・クレーデン中佐

 第1大隊(ベルヒマン大尉)

 第2大隊(フォン・ボイスト少佐)

 F大隊(アルトゥール・フォン・ヴォルフェルスドルフ少佐)

・軍団第2衛生隊第1分隊


*第4軍団砲兵隊 カール・グスタフ・エミール・アルベルト・クルジウス大佐

・第96「チューリンゲン第7」連隊第1,2中隊 大隊長フォン・ブリッツ少佐

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊騎砲兵大隊(フォルスト中佐)

 騎砲兵第2中隊(マン大尉)

 騎砲兵第3中隊(カンツ大尉)

・野戦砲兵第4「マグデブルク」連隊砲兵第3大隊(シュテアー少佐)

 重砲第5中隊(フォン・ゼーバッハ大尉)

 重砲第6中隊(ボーデ大尉)

 軽砲第5中隊(オットー・ヨーゼフ・フォン・シュッツェンドルフ大尉)

 軽砲第6中隊(ツェッシング大尉)

・第96「チューリンゲン第7」連隊第3,4中隊(バウムバッハ大尉)

・軍団第3衛生隊



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