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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・運命のセダン
261/534

8月26日・フリードリヒ皇太子の奮起(付・仏シャロン軍戦闘序列)

☆26日の独マース軍と第三軍(承前)


*マース軍


 ビュザンシーとグランプレでザクセン騎兵が仏第7軍団と接触した頃、マース軍は先行した騎兵の後方において右への旋回を開始しています。


○第12軍団


・第23「ザクセン第1」師団

 ヴァレンヌ(=アン=アルゴンヌ)に午後到着します。

・第24「ザクセン第2」師団

 ボルニー(ヴァレンヌの北北西4キロ)とアプルモン(ヴァレンヌの北西5.5キロ)に達します。師団のライター騎兵1個中隊がエピノンヴィル(ヴァレンヌの北東6キロ)に派出されデュン方面を警戒しました。


 ※この日、軍団のベルダン攻撃の際に残留していたシュルツ支隊(第48旅団・ライター騎兵第2連隊・軽砲第3中隊)は、ベルダン地方警戒のため騎兵1個中隊を要塞北のムーズ川湾曲部に残した後にムーズ川を越え、モンフォコン=ダルゴンヌ(ヴァレンヌの北東9キロ)に到着しました。

 フュージリア第108連隊の斥候隊は、馬車に乗って軍団の左翼側となったアルゴンヌ山中の林道を抜け、山地西側を巡回した後帰投すると、「騎兵第5師団はオートリー付近に野営中で、未だグランプレに到達していない」と報告したのです。


○近衛軍団

 

 大雨のため道路が泥濘となり、行軍が大幅に遅れてしまいます。夕刻近くにドンバル=アン=アルゴンヌ(ベルダンの西14キロ)周辺に到着しました。


・近衛第1師団 ドンバルにて宿営します。

・近衛第2師団 ジュイ(ドンバルの東2キロ)付近で野営します。

・軍団砲兵隊 ブロクール(=アン=アルゴンヌ。ドンバルの南西3キロ)で野営しました。


 軍団長のアウグスト・ヴュルテンベルク王子は右翼(東)に支隊を張り出してベルダン方面を警戒させます。同じく左翼側には近衛騎兵師団がレシクール(ドンバルの西2.5キロ)に進み周囲を固めました。


○第4軍団


 軍団本営が早朝命じた通り午後2時から進軍し、近衛軍団同様、大雨と泥濘に悩まされながらも夜半までにイペクール(ドンバルの南11.5キロ)及びその西南西4キロのフルーリー(=シュル=エール)まで到達し野営に入りました。


*独第三軍


 第三軍はこの26日、普大本営が25日午前11時に命じた通りに進軍しました。


○騎兵第4師団


 本隊はシャロン市街へ進軍します。師団本営は前日ライン竜騎兵が発見し、仏軍からの思わぬプレゼントとなっていた糧秣を確保しようと、騎兵1個中隊をシャロン演習場のムールムロン地区へ送りました。

 師団は右翼側のクルティゾルでW騎兵旅団と、その北側シュイップでマース軍の騎兵第6師団とそれぞれ連絡を取り合い、師団の境界を仏軍に抜かれぬようにしています。

 ランス郊外まで進んでいたフォン・クロッケ少佐の竜騎兵2個中隊はこの日市街を周辺から観察し、「市街地には敵が駐在している」(これは先述通り仏第13軍団の前衛です)ことを報告するのでした。


 一方、師団長の王弟アルブレヒト王子は槍騎兵第10連隊から小隊規模の40騎を抽出し、これをフォン・ヴィーゼ・カイゼルス=ヴァルダウ中尉に預けるとランスの南、エペルネー(シャロンの西北西31キロ)の市街地まで送り、「市内を抜けるマルヌ鉄道を破壊し、仏軍に関連する郵便物や金庫を押収せよ」と命じたのでした。

 ヴィーゼ中尉は順調にエペルネー郊外に達すると、市街の城門を抵抗なく占領した後、市内の市場に進みましたが、ここで護国軍兵士と市民が渾然一体となった民兵により襲撃されてしまうのです。

 ヴィーゼ中尉は短くも激しい抵抗をした後、自身は銃創を負うものの部下と共に敵の罠から逃れ、シャロンへ帰還しました。この時、士官1名と下士官兵5名が負傷し仏護国軍の捕虜となってしまいました。


○騎兵第2師団


 本軍の遥か左翼(南)を進むこの騎兵師団は、前日野営地のシャヴァンジュからイスル=オービニー(トロアの北北東29キロ)へ進み、前衛は更にトロア北西近郊12キロのセーヌ河畔ペインに進んで、パリに達する幹線のセーヌ鉄道に対し破壊工作を行いました。


○第5軍団


・本隊 前日と同じエイツ地方(ヴィトリーの東北東15キロ周辺)で宿営し待機します。

・前衛(第9師団)ヴァノー=レ=ダム(ヴィトリーの北東19キロ)及びヴァノー=ル=シャテル(レ=ダムの北西4キロ)で野営しました。


○W師団


 この日一日、前日と同じセルメーズ=レ=バンで休息・待機しています。


○第11軍団


・本隊 エイツ=レヴック(ヴィトリーの東北東13キロ)にて宿営しています。

・前衛 サン=リュミエ(=アン=シャンパーニュ。ヴィトリーの北北東8キロ)及びバシュエ(サン=リュミエの東3キロ)で野営しました。


○第6軍団


 サン=ディジエ~ヴィトリー(=ル=フランソワ)間のティエブルモン=ファレモン付近で待機し、ファルスブール要塞とトゥール要塞にそれぞれ残していた部隊が後備部隊と交代後に行軍し、この日この地で追い付き合流しました。


 テュンプリング将軍は第62連隊第1大隊・竜騎兵1個小隊・工兵若干を支隊としてヴィトリーに進ませ、占領軍として市街と城塞に残留していた第11軍団の1個大隊と交代させました。


○B(バイエルン王国)軍


 この日、大本営の命令により25日夜からバール=ル=デュク(B第1軍団)とシャルモン(B第2軍団)で宿営したまま北進命令を待っていました。


 マース軍と第三軍の一部であるB軍2個軍団の北進決定後、第三軍司令フリードリヒ皇太子は、大本営が随時送って来る情報や、独自に騎兵たちから得た情報とによって、「今や軍の一部だけでなく第三軍全体も北進に転換するのは確実となった」として26日早朝、B第2軍団のフォン・ハルトマン大将に対し、「軍団は命令が下り次第、即座に出立出来るよう怠りなく準備を進め、ル・フレンヌに駐留するB槍騎兵旅団は(北進する際の左翼側援護のため)即時シュイップまで先行前進せよ」と命じました。

 同じく騎兵第4師団に対しては、「シャロンよりヴージエに向けて前進する用意をせよ」とし、騎兵第2師団には、「騎兵第4師団と入れ替わりにシャロンへ入城し、追って後命を待て」と命じたのでした。

 しかし、この2個騎兵師団は活発に行動中で、途中電信の故障もあって命令が中々伝達されず、両師団とも26日深夜に命令を受領したため、その行動は翌27日朝まで延期されたのでした。


 この26日、第三軍は正午の時点でサン=ディジエの北方/ヴィトリーの東方という狭い地域に集中し、これによってその左翼側(第6軍団や第11軍団)を使用しランス方面へ前進継続する、または全軍でマース軍に追従して北方へ転進する、いずれの作戦にも即座に対処可能となっていたのです。


 この状況から、内心アルベルト・ザクセン王太子にライバル心(それとも、その秀でた軍事能力に対する羨望なのかも知れません)を抱いていたと思われるフリードリヒ皇太子と、余りにも皇太子の後ろに「べったり」なため、逆に「実は皇太子と仲が悪いのでは?(仮面夫婦のように)」と意地悪な勘繰りすらあった第三軍参謀長フォン・ブルーメンタール中将は揃って26日の午前中、リニ=アン=バロワから本営ごとバール=ル=デュクへ向かい、出発直前の普大本営を捕まえて「直談判」に及んだのです。


 皇太子は父王の前に立つと「ザクセン王子に遅れをとってはならじ」とばかり「我が第三軍もまた速やかに北進する準備が成りました」と熱意を込めて訴えました。ブルーメンタール将軍もまた、「この北進命令を下すことにより、万が一仏軍がパリに向かっており、追って第三軍がパリに進軍する場合、迂回した事によって時間の浪費となるやも知れませんが、予測通りマクマオンが北東へ進んでいた場合、北方においてこれと決戦を交えるため、使える全戦力を集中することとなれば、迂回の不利益などものの数ではありません」等、理路整然と訴えます。

 ヴィルヘルム1世国王は頼もしい皇太子の言葉に対し「朕も全く同意する」と述べ、同席したモルトケもまた皇太子の「やる気」に対し同意したのでした。


 マース軍がアルベルト王子の独断によって既に北進を始めていることは、この時点では大本営も把握していません。マース軍本営は早朝の「全軍見切り発車」の独断を既に大本営へ宛て送信していましたが、この重要な電信は途中、電信中継所での電信機の故障により大幅に遅れていました。

 これを知らず、皇太子に第三軍も北進することを許可したモルトケは、26日正午、マース軍に対し「近衛・第4の両軍団は事前計画通りドンバス及びフルーリーに向け出立せよ」との命令を発信します。同じくB軍に対しても「B第1軍団はエリーズ=ラ=プティット(バール=ル=デュクの北北東17キロ)、B第2軍団はトリオークールに向けて出立せよ」と命じました。また、進軍する諸軍団は「食事を取った後に出立し、糧食は3日分を各自携行し、直ぐには必要としない輜重・行李は全て現野営・宿営地に残留せよ」とも命じたのでした。

 同時にモルトケはフリードリヒ皇太子に対し、「軍の残部についてはB軍に準じて行軍することを許します」とその後の行動を一任し、皇太子のプライドをも守る心憎い配慮をするのでした。


 自ら行動の自由を勝ち取ったフリードリヒ皇太子は、ブルーメンタール将軍ら軍の秀才たちと短時間で行軍計画を策定し、午後4時、到着したばかりの新しい本営所在地ルヴィニー=シュル=オルネン(バール=ル=デュクの北西14キロ)から次の主旨の命令を発したのです。

「第5、第6、第11の3軍団は明27日、ヴァヴレ(=ル=グラン。ヴィトリーの北東12キロ)とサント=ムヌー間(直線距離で35キロ)に前進せよ。騎兵諸師団は事前命令通り行動せよ」


 B軍の両軍団は26日午後、B第1軍団所属B第3連隊第2大隊を残置するB軍全体の輜重警護のためバール=ル=デュクに残留させると、残りは全て命令に従って北進を開始しました。

 この行軍も第4や近衛軍団と同じく大雨のために遅延し、ほとんどの部隊が夜間行軍を強いられました。結局両軍団共に、相当な苦心の末夜半から翌27日早朝に掛けて指定地エリーズ=ラ=プティットとトリオークールに到着したのでした。


 26日午後。普大本営はバール=ル=デュクから北上を始め、夕刻にはクレルモン=アン=アルゴンヌへ到着し、予定を変更してこの地に大本営を置きました。

 既にマース軍本営もこの地へ到着しており、同じ夕刻に相次いで到着したザクセン騎兵と騎兵第5師団の報告を両本営が同時に受け取ったのでした。

 この騎兵の報告では、未だヴージエとビュザンシー方面の確実な情報が得られず(この方面の情報が入ったのは深夜から翌日)、もの足りなさはあったものの、「グランプレに諸兵科連合の兵団あり」との報告は複数あり、マクマオン軍がメッスに向かって行動していることはほぼ確実と信じられるに至るのです。同時に諸斥候の報告で、仏軍が未だデュン(=シュル=ムーズ)付近に到達しておらず、従って仏マクマオン軍はまだムーズ川の西岸にあることもまた確実となったのでした。


 26日午後11時。モルトケは大本営を訪れたマース軍参謀長フォン・シュロトハイム中将に対し、「マース軍は明27日、ダンヴィエを目標に行軍を継続し、デュン及びストゥネ(デュンの北12キロ)の重要なムーズ川渡河点を占領、騎兵を使用し敵の右翼(東)を偵察せよ」との命令を下します。

 また、B両軍団に対しては「明日はニキエヴィル=ブレルクール及びドンバル(=アン=アルゴンヌ)に到達し、マース軍の直後に付くよう」直接に伝令士官が送られたのでした。

 同じく第三軍本営に対しては、大本営がこの夕刻手に入れた諸情報を通告し「明日はサント=ムヌーに対し行軍を継続するよう」命令が発信されるのでした。


 この数時間前にモルトケは、メッス攻囲軍を指揮するフリードリヒ・カール王子の本営に対し、この26日にマース・第三両軍に与えた命令の写しを送付し、「メッス包囲中の2個(第3、第9)軍団を任から外し、ダンヴィエ及びマンジエンヌに向け行軍させ、28日中に同地へ到着させるよう」要求を出します。同時にカール王子宛の書簡を添え、「要すればモーゼル東岸のメッス包囲陣は一時これを中断しても宜しい」とし、「但し仏バゼーヌ軍が西方への突破を図った場合は最大限の努力でこれを防ぐこと」と訓令したのです。


 この命令は、ちょうど26日夕刻に開通したカール王子の本営(在ドンクール=レ=コンフラン)からエリーズ=ラ=プティットに至る軍用電信線を使用して、直ちに送信されたのでした。


挿絵(By みてみん)

 ヴァイセンブルクの戦い1870・8・4(クリスチャン・セル画)


 仏シャロン軍戦闘序列(1970年8月25日付)


軍司令官 マクマオン伯爵並びにマジェンタ公爵・マリー・エドム・パトリス・モーリス・ドゥ・マクマオン大将

参謀長 フォール少将

砲兵部長 ユリウス・エティエンヌ・マリエ・フォルジョ少将 

工兵部長 子爵デジャン准将

経理部長 ヴィーゴ=ルシヨン主計准将


※本営警護隊

・近衛擲弾兵第3連隊第3大隊(エティエンヌ・アンリ・フランシス・ギリエ・ドゥ・スアンス大佐)

・近衛教導騎兵連隊から1個中隊

※皇帝の護衛としてアフリカ猟騎兵旅団(マルグリット旅団)と共にメッスよりシャロンへ至り残留しました。


☆第1軍団(歩兵26,000名 騎兵2,500騎 砲84門 ミトライユーズ砲22門)※数字はルセ中佐著のHistoire générale de la guerre franco allemande - 1870-1871によります。砲数等に違いがあります。(以下同)

司令官 オーギュスト・アレクサンドル・デュクロ中将

参謀長 ロベール大佐

砲兵部長 ジョリ・フリゴラ准将


〇第1師団 師団長 シャルル・ジョセフ・フランシス・ウォルフ少将

*第1旅団 モレノ准将

・戦列歩兵第18連隊(ブレガ大佐)

・戦列歩兵第96連隊(ブルム大佐)

・猟兵第13大隊(ポワエ少佐)

*第2旅団 ルイ・ジュール・デ・ポスティ・ドゥ・ウルベック准将

・戦列歩兵第45連隊(ジェルマン中佐)

・ズアーブ歩兵第1連隊(バロス大佐)

*砲兵第9連隊の3個中隊(ルコーブル中佐)

・第6、7中隊(砲12門)

・第8中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第1連隊第3中隊


〇第2師団 師団長 ジャン・ペレ少将

*第1旅団 ペルティエ・ドゥ・モンマリー准将

・戦列歩兵第50連隊(アルドワン大佐)

・戦列歩兵第74連隊(トゥーヴェ大佐)

・猟兵第16大隊(ユーグ少佐)

*第2旅団 ゴディル准将

・戦列歩兵第78連隊(ペレンク大佐)

・アルジェリア=ティライヤール第1連隊(ドゥ・モランディ大佐)

・マルシェ歩兵第1連隊(ドゥ・ルコント大佐)

*砲兵第9連隊の3個中隊(コーベ中佐)

・第9、12中隊(砲12門)

・第10中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第1連隊第8中隊


〇第3師団 師団長 レリティエ少将

*第1旅団 カルトゥレ=トルクール准将

・戦列歩兵第36連隊(ボードワン大佐)

・ズアーブ歩兵第2連隊(デトリエ大佐)

・猟兵第8大隊(ベノ少佐)

*第2旅団 ルフェーブル准将

・戦列歩兵第48連隊(ロヒール大佐)

・アルジェリア=ティライヤール第2連隊(カナレ少佐)

・パリ義勇兵大隊(ロバン少佐)8/27より参加

*砲兵第12連隊の3個中隊(シュギヨーム中佐)

・第5、6中隊(砲12門)

・第9中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第1連隊第9中隊


〇第4師団 師団長 マリエ・イポリット・ドゥ・ラルティーグ少将

*第1旅団 ジョセフ・フラブール・ドゥ・ケルデアデック准将

・戦列歩兵第56連隊(ビロー中佐)

・ズアーブ歩兵第3連隊(メリク中佐)

・猟兵第1大隊(2個中隊欠・ブリアテ大尉)※

*第2旅団 アドリアン・アレクサンドル・アドルフ・ドゥ・カレイ・ドゥ・ベルマール准将

・マルシェ歩兵第2連隊(レンシュ中佐)※8/28から参加

・アルジェリア=ティライヤール第3連隊(バリュ大佐)

*砲兵第12連隊の3個中隊(ラマンデ中佐)

・第7、11中隊(砲12門)

・第10中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第1連隊第13中隊


※猟兵第1大隊の2個中隊はヴルト戦後ストラスブールへ退却し、同地で包囲されています。

※第2旅団所属の戦列歩兵第87連隊(ブロ大佐)もストラスブールで包囲されています。


〇第1軍団騎兵師団 師団長 アレクサンドル・エルネスト・ミシェル准将(8/25にデュエスム少将から交替)

*第1旅団 ドゥ・セプテイユ准将

・驃騎兵第3連隊(マリエ・ルイ・アントニー・ドゥ・ヴィエル・ドゥ・リュナス・デスプイユ大佐)

・猟騎兵第11連隊(ダステュグ大佐)

*第2旅団 シャルル・マリエ・エティエンヌ・シャンピオン・デュボワ・ドゥ・ナンステイ准将

・槍騎兵第2連隊(ドゥ・ランドゥルヴィル大佐)

・槍騎兵第6連隊(トリパー大佐)

・竜騎兵第10連隊(ペロー大佐)

*第3旅団 ミシェル准将直率

・胸甲騎兵第8連隊(ギオ・ドゥ・ラ・ロシェール大佐)※


※胸甲騎兵第8連隊は同第9連隊の残存兵を含む。


〇第1軍団予備砲兵隊 グルーヴェル大佐

・砲兵第6連隊第11、12中隊(砲12門)

・砲兵第9連隊第5、11中隊(砲12門)

・砲兵第20連隊第1、2、3、4中隊(騎砲24門)

〇第1軍団工兵予備隊

・工兵第1連隊坑道第2中隊

・工兵第1連隊対壕中隊の半個



☆第5軍団(歩兵18,000名 騎兵1,496騎 砲61門 ミトライユーズ砲18門)※

司令官 ピエール・ルイ・シャルル・アシル・ドゥ・ファイー中将

参謀長 ベッソン准将

砲兵部長 アンソニー・ルイ・リェド准将


〇第1師団 師団長 フランシス・オーギュスト・ゴゼ少将

*第1旅団 クリエーション・ドゥ・アレクシス・デニス・ソーラン准将

・戦列歩兵第11連隊(ジャン・ピエール・フェルディナン・ドゥ・ベアグル大佐)※8/30戦死・後任はバセリエ中佐

・戦列歩兵第46連隊(ミシェル・アンリ・アルフレッド・ピション大佐)

・猟兵第4大隊(ギヨーム・イアサント・フォンセグリーヴ少佐)

*第2旅団 男爵ジャン・ニコラ・シャルル・ヴァリク・ニコラ准将

・戦列歩兵第61連隊(ルイ・ギュスターヴ・アルフォンス・ヴィシー中佐)

・戦列歩兵第86連隊(オーギュスト・フロリモン・ディ・アレクシス・ベルトー大佐)

*砲兵第6連隊の3個中隊(ローラン中佐)

・第5、6中隊(砲12門)

・第7中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊第6中隊


〇第2師団 師団長 ルイ・ドゥ・ラバディ・ディドレン少将

※第1旅団はメッスでバゼーヌ軍に参加

*第2旅団 エルネスト・ルイ・マリエ・ドゥ・モーソン准将 ※8/28少将昇進・後任カンプ准将

・戦列歩兵第49連隊(レオポルド・ウジェーヌ・カンプ大佐)※8/28准将昇進・旅団長

・戦列歩兵第88連隊(アンリ・ジャン・クーティ大佐)※8/27少将昇進・後任ドマンジュ中佐

*砲兵第2連隊の2個中隊(ブーゴール中佐)

・第8中隊(砲6門)

・第5中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊第8中隊



※メッスでバゼーヌ軍に参加

*第1旅団 フェルディナン・ラパセ准将

・戦列歩兵第84連隊(クラウド・ジョセフ・ポール・ベノワ大佐)

・戦列歩兵第97連隊(ルイ・アンリ・ウジェーヌ・カマルタン大佐)

・猟兵第14大隊(プランク少佐)


〇第3師団 師団長 ジョセフ・フローレン・エルネスト・ギュイヨ・ドゥ・レスパルト少将

*第1旅団 アンソニー・ドミニク・アバテュシ准将

・戦列歩兵第17連隊(ヴァランタン・ヴァイセンブルガー大佐)

・戦列歩兵第27連隊(エルネスト・エゼキエル・マリク=ボン・ドゥ・バロレ大佐)

・猟兵第19大隊(レオン・ミシェル・マリエ=ルイ・ドゥ・マルケ少佐)

*第2旅団 ルイ・ドゥ・フォンタンジュ・ドゥ・クーザン准将

・戦列歩兵第30連隊(ジャン・アンリ・ウリベル大佐)

・戦列歩兵第68連隊(パリエ中佐)

*砲兵第2連隊の3個中隊(モンテール中佐)

・第11、12中隊(砲12門)

・第9中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊第14中隊


〇第5軍団騎兵師団 師団長 ブラオー少将

*第1旅団 子爵フランシス・ジュリアン・レイモン・ドゥ・ピレー・ドゥ・ベルニス准将

・驃騎兵第5連隊(ヴィクトル・フロニー大佐)

・猟騎兵第12連隊(ルイ・アドリアン・ドゥ・テュセ大佐)

*第2旅団 シャルル・フランシス・アンリ・シモン・ドゥ・ラ・モレティエール准将

・槍騎兵第5連隊(マリエ・ポール・オスカー・ドゥ・ボエリオ大佐)

・槍騎兵第3連隊(ジル・ジョセフ・トレル大佐)※資料によっては除籍とある。


〇第5軍団予備砲兵隊 アドルフ・ルイ・エミール・フレデリック・ドゥ・サリーニャック=フェネロン大佐

・砲兵第2連隊第6、10中隊(砲12門)

・砲兵第10連隊第11中隊(砲6門)

・砲兵第14連隊第11中隊(砲6門)

・砲兵第20連隊第5、6中隊(騎砲12門)

〇第1軍団工兵予備隊

・工兵第2連隊第5中隊

・工兵第2連隊対壕中隊の半個


☆第7軍団(歩兵25,000名 騎兵2,400騎 砲78門 ミトライユーズ砲18門)※

司令官 フェリクス・シャルル・ドゥエー中将

参謀長 レンソン准将

砲兵部長 男爵ドゥ・リエジャール准将


〇第1師団 師団長 コンセーユ=デュームニル少将

*第1旅団 ルイス・シャルル・オーギュスト・モラン准将 ※8/30戦死・後任はル=ブレット・ヴァルロア大佐

・戦列歩兵第3連隊(シャンピオン大佐)

・戦列歩兵第21連隊(モラン大佐)※8/25准将昇進・旅団長

・猟兵第17大隊(メルシエ少佐)

*第2旅団 シャリン・ドゥ・サン=ティレール准将

・戦列歩兵第47連隊(ドゥ・グラモン大佐)

・戦列歩兵第99連隊(フランシス・グジル大佐)

*砲兵第7連隊の3個中隊(ギユメール中佐)

・第5、6中隊(砲12門)

・第11中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊対壕第2中隊


〇第2師団 師団長 リーベル少将

*第1旅団 ギョマール准将

・戦列歩兵第5連隊(ボワイエ大佐)

・戦列歩兵第37連隊(ドゥ・フォミー・ドゥ・ラ・ブランシュト大佐)

・猟兵第6大隊(ドゥ・ボーフォール少佐)

*第2旅団 ドゥ・ラ・バスティッド准将

・戦列歩兵第53連隊(ジャピー大佐)

・戦列歩兵第89連隊(ムニエール大佐)

*砲兵第7連隊の3個中隊(クルーゼ中佐)

・第8、9中隊(砲12門)

・第12中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊第3中隊


〇第3師団 師団長 ジョセフ・ウジェーヌ・デュモン少将

*第1旅団 アントワーヌ・エマニュエル・エルネスト・ボルダ准将

・戦列歩兵第52連隊(アヴリーヌ大佐)

・戦列歩兵第72連隊(不詳)

*第2旅団 ビタルト・デ・ポルト准将

・戦列歩兵第82連隊(ギー大佐)

・戦列歩兵第83連隊(セーテル大佐)

*砲兵第6連隊の3個中隊(ポンネン中佐)

・第8、9中隊(砲12門)

・第10中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第2連隊第4中隊


〇第7軍団騎兵師団 師団長 男爵アルフレッド・フレデリック・フィリップ・オーギュスト・ナポレオン・アメル少将

*第1旅団 カンブリエ准将

・驃騎兵第4連隊(コリー・デ・ラ・ヴィジュリ大佐)

・槍騎兵第4連隊(フェリーヌ大佐)

・槍騎兵第8連隊(モーリス・アンリ・ド・ヴァル・コンテ・デ・ダンピエール大佐)

*第2旅団 ジャン・ジョセフ・ジョリフ=ドゥクロンビエ准将

・驃騎兵第6連隊(ギヨン大佐)

・竜騎兵第6連隊(ティヨン大佐)


〇第7軍団予備砲兵隊 オバック大佐

・砲兵第7連隊第7、10中隊(砲12門)

・砲兵第1連隊第8、12中隊(砲12門)

・砲兵第19連隊第3、4中隊(騎砲12門)

〇第1軍団工兵予備隊

・工兵第2連隊第12中隊

・工兵第1連隊対壕中隊の半個



☆第12軍団(歩兵36,000名 騎兵4,200騎 砲150門 ミトライユーズ砲18門)※

司令官 バルテルミー・ルイ・ジョセフ・ルブラン中将

参謀長 アンリ・フランシス・グザヴィエ・グレスレー准将

砲兵部長(第6軍団砲兵部長) ラバステー少将

砲兵部長(第12軍団砲兵部長) 子爵ズーヴリュー・ドゥ・ビレグリー・ドゥ・ブリニッケル少将


〇第1師団 師団長 グランシャン少将 ※開戦時(7月)はスペイン国境警戒師団としてトゥールーズ在。

*第1旅団 イッポリト・アルベール・カンブリエ准将

・戦列歩兵第22連隊(ドゥ・モロイ中佐)

・戦列歩兵第34連隊(エルヴ大佐)

・マルシェ猟兵半大隊(2個中隊/ファイ大尉)

*第2旅団 ドゥ・ヴィルヌーヴ准将

・戦列歩兵第58連隊(ドリヨン・ドゥ・ロシュフォール大佐)

・戦列歩兵第79連隊(ブレッソル大佐)

*砲兵隊(ドゥ・ロールポー中佐)

・砲兵第15連隊の2個中隊(砲12門)

・砲兵第4連隊第4中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第3連隊の1個中隊


〇第2師団 師団長 シャルル・ニコラス・ラクレテル少将

*第1旅団 マルキザン准将

・マルシェ歩兵第3連隊(ベルニエ中佐)

・マルシェ歩兵第4連隊(シャシャル少佐)

・マルシェ猟兵半大隊(2個中隊/指揮官不詳)

*第2旅団 ルヴァン准将 ※旧第6軍団所属。編成遅れでメッスに達せず。

・戦列歩兵第14連隊(ドゥソ大佐)

・戦列歩兵第20連隊(ドゥ・ラ・ギニュレイ大佐)

・戦列歩兵第31連隊(ソトロー大佐)

*砲兵隊(ジャニッソン少佐)

・砲兵第7連隊の2個中隊(砲12門)

・砲兵第11連隊の1個中隊(砲6門)

*第6軍団所属砲兵隊(コルコン中佐)

・砲兵第8連隊第10中隊(砲6門)

・砲兵第8連隊第11中隊(ミトライユーズ砲6門)

*工兵第3連隊の1個中隊


〇第3師団 師団長 エリー・ジャン・ドゥ・ヴァソイーニュ少将 ※開戦時は「海兵師団(Division Bleue)」

*第1旅団 フランシス・ルブル准将

・海軍歩兵第1連隊(ツーロン/ルイ・ブリエール・ドゥ・イスル大佐)

・海軍歩兵第3連隊(ロッシュフォール/エドゥアール・オーギュスト・ル・カミュ大佐)

*第2旅団 シャルル・マルタン・デ・パリエール准将

・海軍歩兵第2連隊(ブレスト/ルイ・ウジェーヌ・アレイロン大佐)

・海軍歩兵第4連隊(ツーロン/ダルボー大佐)

*砲兵隊(ドゥ・ヴィレルミー少佐)

・海軍砲兵連隊「ロリアン」の2個中隊(砲12門)

・海軍砲兵連隊「ロリアン」の1個中隊(ミトライユーズ砲6門)

*第6軍団所属砲兵隊(ヌーリー中佐)

・砲兵第10連隊第7、8、9中隊(砲18門)

*工兵第3連隊の1個中隊


〇第12軍団騎兵師団

師団長  ドゥ・サリーニャック=フェヌロン少将(第6軍団騎兵師団長・8/20から統合師団長)

師団附将官 ヴァランタン・オーギュスト・リシトラン少将(8/20まで第12軍団騎兵師団長)

*第1旅団 伯爵レイモン・レ・フォレスタ・ヴォンドゥーヴル准将 ※開戦時はスペイン国境警備騎兵旅団。

・猟騎兵第7連隊(ソントン大佐)

・猟騎兵第8連隊(ジャミ・ド・フレネイ大佐)8/30重傷・グリエ中佐と交代

*第2旅団 シャルル・イブリン・ドゥ・ブレヴィル准将

・胸甲騎兵第5連隊(ドゥ・クタンソン大佐)8/30戦死・ブイーヌ中佐と交代

・胸甲騎兵第6連隊(マルタン大佐)

〇第6軍団騎兵師団

※*第1旅団(ティラード准将)は8/20マルグリット騎兵旅団へ編入

*第2旅団 サヴァリッス准将

・槍騎兵第1連隊(ウディノ・ドゥ・レッジョ大佐)

・槍騎兵第7連隊(ペリエ大佐)

*砲兵隊

・砲兵第19連隊第1中隊(騎砲6門)


◯統合予備砲兵隊 ベルトラン准将

〇第12軍団予備砲兵隊 ブリラック中佐

・砲兵第8連隊第3、4中隊(砲12門)

・砲兵第14連隊第10、12中隊(砲12門)

・海軍砲兵連隊「ロリアン」の3個中隊(砲18門)

〇第6軍団予備砲兵隊 デブレル大佐

・砲兵第10連隊第5、6、10、12中隊(砲24門) シヤップ中佐

・砲兵第14連隊第8、9中隊(砲12門) マルダン中佐


〇第12軍団工兵予備隊

・工兵第3連隊の2個中隊


☆予備騎兵団(騎兵4,113騎 砲14門)※


〇予備騎兵第1師団 ※旧・バライユ将軍麾下のマルグリット旅団。8/20~師団

 師団長  ジャン・オーギュスト・マルグリット少将(8/19まで旅団長・8/20から師団長)

*第1旅団 ガリッフェ准将(8/30から)

・アフリカ猟騎兵第1連隊(アンリ・ルイ・クリコ大佐)

・アフリカ猟騎兵第3連隊(ガストン・アレクサンドル・オーギュスト・ドゥ・ガリッフェ大佐 ※8/30に准将昇進・旅団長)

・アフリカ猟騎兵第4連隊(ドゥ・ケラン大佐)※旧バライユ師団第2旅団所属

*第2旅団 アドルフ・ジュール・ティラード准将 ※旧・第6軍団騎兵師団第1旅団(~8/19)

・猟騎兵第6連隊(ボンヴォー大佐)

・驃騎兵第1連隊(ポール・アンソニー・ジャン・シャルル・ドゥ・ブフェモン大佐)


※アフリカ猟騎兵第2連隊のみドゥ・バライユ少将とドゥ・ラジャイユ准将と共にマルス=ラ=トゥールで戦いメッスに籠城しています。


〇予備騎兵第2師団 

 師団長  子爵シャルル・フレデリック・ドゥ・ボヌマン少将

*第1旅団 レオポルト・スタン・マクシミリアン・ジラール准将

・胸甲騎兵第1連隊(ピカード少佐)

・胸甲騎兵第4連隊(クルトゥワ大佐)

*第2旅団 ジョセフ・ドゥ・ブラウ准将

・胸甲騎兵第2連隊(ボレヴァリエ大佐)

・胸甲騎兵第3連隊(デスプィット・ドゥ・ラサール大佐)


*砲兵隊

・砲兵第19連隊第7中隊(騎砲6門)

・砲兵第19連隊第8中隊(ミトライユーズ砲6門)


※戦闘序列は史料が集まり次第修正します。


挿絵(By みてみん)

 散兵線の仏戦列歩兵たち


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