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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
251/534

グラヴロットの戦い/会戦後の夜間と翌19日の状況(後)

 独第一軍は8月19日午前中、仏軍が撤退したジュールの家東側の高地上に陣地を構築すべく行動を開始します。第一軍工兵部長のハンス・アレクシス・ビーラー少将はこの朝、工兵部隊と諸部隊に対し、急ぎ徹夜で構想した詳細な計画を示し、その実行に関する命令を発しました。


 なお、昨日会戦時に第一軍傘下となった普第2軍団は、大本営から別命あるまでそのまま第一軍の傘下でいることとなります。

 この日、仏軍はサン=カンタンの分派堡塁から前線で陣地を構築し始めた普軍兵士、そしてその後方に進出していた普第2軍団傘下の第4師団に対し、時折「嫌がらせ」程度の榴弾砲撃を行いました。

 また、ジュールの家を中心に陣を敷いていた普第3師団は、早朝にマンス/アル渓谷を越えて退却し、第2軍団砲兵隊と共にグラヴロット部落東方の荒野に野営しています。


 フォン・ゲーベン大将麾下の第8軍団とフォン・ハルトマン将軍の騎兵第1師団は、昨日会戦終了直後からグラヴロット西方とルゾンヴィルの周辺で野営しましたが、この19日も同地に留まりました。

 フォン・ツァストロウ大将麾下の第7軍団は、午前中にヴォー森周辺で夜を明かし疲弊し切っていた諸大隊をグラヴロットの南方まで退かせ、昨夜からこの地に野営していた諸隊と合流させました。但し、クーノ・フォン・デア・ゴルツ少将率いる第26旅団だけは、前日夕刻までに攻略したジュシー部落を始めとするロゼリユ南方のモーゼル河畔高地上に陣を張り続けるのです。

 ゴルツ旅団と対峙していた仏ラパス旅団の諸兵は午前6時から7時の間にサント=リュフィール部落周辺の陣地から撤退し、その後この日は、ムーラン=レ=メッスの方向より仏軍騎兵斥候が現れては消えるだけの「平穏な一日」となりました。


 グラヴロット在の独第一軍本営では、早朝の第2軍団による報告と偵察斥候から上がって来た情報とにより、仏第2軍団がジュールの家東方高地から撤退したことを知ると、「もうこれ以上、この前線で戦闘は発生しないだろう」と判断します。

 フォン・シュタインメッツ大将は早朝、大本営からの戦況通報を検討した後、午前8時に麾下諸隊に対し命令を発し、まずはモーゼル川東岸に留めていた輜重第1縦列と全ての野戦病院隊に渡河を命じ、それぞれ担当の部隊の下へ行軍させました。これにより19日一杯、諸隊は物資・弾薬補充と傷病者の処置を行ったのです。

 前線においては、早朝に騎馬斥候各隊がシャテル渓谷の東側、サン=カンタン山麓の広い裾野に広がる森林高地地帯に仏軍のテントが密集しているのを発見し、複数の行軍縦列が北方へ向かうのを確認していました。

 この光景は一日中続いて行き、仏軍はメッス要塞を「後ろ盾」にして、その西側に広く展開しようとしているかのようでした。しかし、この行動は仏軍が北方のモーゼル下流域、即ちティオンヴィル要塞方面へ脱出しようとしている前兆とも受け取れる行動だったのです。


 一方、第一軍傘下にありながらモーゼル東岸に留まり、メッス要塞を監視・牽制していたフォン・マントイフェル騎兵大将率いる普第1軍団は、仏軍が万が一東進を謀った場合を想定し、前日18日に軍団全てがそれまでの野営地を出立して左翼(南)側へ進み出ていました。


 この行動により、普第1師団はそれまでの野営地ラクネイー周辺からフロンティニーとメルクーヴ間に移動して展開し、師団の前衛はアル=ラクネイーからジュリーまで進み出ると、同地を横切る鉄道堤を利用して散兵線を構築しました。

 普第2師団の第4旅団は既述通りフォン・シュタインメッツ将軍の命令によりモーゼル河畔まで進み、西岸の敵に対して銃砲撃を加えた後、夜間にオニー付近まで退いて再集合し、師団の残り(第3旅団基幹)はクールセル(=シュル=ニエ)とラクネイー付近に野営しました。

 第1師団前衛が前線に進んだ後、入れ替わる形で第4連隊の1個大隊と竜騎兵1個中隊の小支隊がアル=ラクネイーに駐留し、騎兵第3師団はコワン=レ=キュヴリー付近に野営して、その前哨をセイユ、モーゼル両河川間に配して要塞からの仏軍突破を警戒したのです。


挿絵(By みてみん)


 会戦後の19日も第1軍団と騎兵第3師団は前日の位置に留まります。

 この19日にはザールより前進したルドルフ・フェルディナント・フォン・クンマー中将率いる予備第3師団もメッスの東側に現れ、正式に第一軍傘下となったのでした。


 この「予備」第3師団は、既述(普仏戦争/8月16日・独第一、二軍の状況を参照)通り、8月初頭にバルト沿岸から独第二軍の兵站線守備のためにライン西岸へ移動した「後備」第3師団を中核として、マインツ大要塞守備隊の一部(歩兵2個連隊と要塞工兵隊)と予備砲兵5個中隊、それに予備騎兵第3旅団を加えた混成部隊です。

 「後備」の部隊が主力とは言え、歩兵18個大隊・騎兵4個連隊・砲兵6個中隊という通常師団編成(歩兵12個大隊・騎兵1個連隊・砲兵4個中隊)の5割増しとなる軍団規模の大型部隊で、メッス要塞監視任務を第1軍団より引き継ぐために編成され、前進して来たものでした。


 予備第3師団は8月13日から15日に掛け、各駐在地よりサルグミーヌ周辺に集合して結成されます。フォン・クンマー将軍は着任後、当時サン=タヴォルにあった普大本営のモルトケ参謀総長より命令書簡を受け取りました。この書簡の要旨は次の通りで、当師団の任務を明確に示すものでした。


「予備第3師団は、メッス大要塞への交通・通信を遮断し、ある程度の期間これを包囲し、モーゼル下流のティオンヴィル要塞の監視も同時に行う。つまりは、モーゼル川を越えて前進した独全軍の後背連絡線を、メッス及びティオンヴィルの仏軍から防御するということである」


 この命令を受けて予備第3師団は17日にザール川を越えて仏領に入り、18日にはその前衛支隊(歩兵2個連隊、予備竜騎兵2個中隊、予備重砲1個中隊)がレ・ゼタンに、本隊がブレ(=モゼル)近郊に達しました。

 8月19日の夜が明けると、クンマー将軍はクールセル=シュル=ニエまで騎行して第1軍団本営と接触し、その間、師団本隊はルトンフェ付近まで前進し待機します。この本隊から前哨が西方へ派出され、第1軍団の南下により普軍が去っていたセルヴィニー(=レ=サント=バルブ)、ノワスヴィル、(モントワ=)フランヴィルの各部落を再占領したのでした。


 この日午前中、師団の前衛支隊は本隊のいるルトンフェの更に北方にあるファイイまで前進し、この地より前哨をヴァニーとヴィレ・ロルム(ヴァニー南東近郊)の間を抜けて更に西へ進めましたが、この地南西側のグリモン林(ボア・ドゥ・グリモン)には仏軍の守備隊がおり、林の東側で銃撃戦となりました。

 この時、仏軍はメッス要塞から1個大隊を出撃させ、この大隊はブゾンヴィルに至る街道(現・国道D3号線)を突進しましたが、これは威嚇の「はったり」で、普軍小部隊とグリモン林付近でにらみ合いとなりました。しかし普軍前哨は、至近のサン=ジュリアン分派堡塁からの要塞砲による榴弾砲撃が始まると、損害を受ける前に前衛本隊まで後退したのでした。


 クンマー師団はこの日、更に北でも活発に行動し、予備竜騎兵第1連隊第1中隊はグリモン林の北を迂回して、大胆にもサン=ジュリアン分派堡塁の西側直下、ラ=ドニュ付近に斥候を潜入させ、この斥候はモーゼル川東岸を北上して仏軍を探しましたが、敵影を見ることはありませんでした。


 この日、メッス近郊の農民や周辺部落の住民は、荷車や馬車に家財道具を満載すると街道筋に繰り出し、難民となってモーゼル川流域両岸の諸街道を埋め尽くします。彼らは包囲されようとしているメッス要塞周辺や恐ろしい独軍から逃れようと、北へ西へと遁走して行ったのでした。


挿絵(By みてみん)


 会戦終了直後の8月18日午後8時過ぎに戻ります。


 普国王ヴィルヘルム1世は第一軍が仏軍の逆襲を防ぎ切るのを見届けると、大本営従事者やモルトケら参謀本部属員と共にルゾンヴィル部落へ戻りました。

 そして側近と大本営従事者でも親しい数名を引き連れ、飾り気のない一軒の平凡な空き家に入り、一夜の宿とするのです。既にルゾンヴィルの家屋という家屋は、16日の会戦以来の傷病兵で溢れていたからでした。

 血生臭い前線を垣間見た直後の国王は、この家屋の前にどっかりと腰を下ろすと、近所の住民(敵国フランス人ですが地域柄ドイツ系の住民でしょう)が恐る恐る差し出す一杯のワイン(モーゼル川流域はワインの名産地です)を受け取り、毒味もさせず一気に飲み干すのでした。


挿絵(By みてみん)

グラヴロット会戦でのヴィルヘルム1世の一コマ


 その近所では、モルトケ大将率いる参謀本部と大本営諸官が、第二軍方面からの戦況報告を首を長くして待っていました。

 モルトケ参謀総長はサン=テュベールからジュールの家方面における独第一軍の戦い振りを直に見て来たばかりでしたが、カール王子の第二軍がアマンヴィエやサン=プリヴァをどうしたのか、気になっていたのです。

 この宵は独軍の「頭脳集団」にとって、陸続と到着する情報報告を積み重ねて検討し、明日以降の大作戦を練る、慌ただしくも歴史的な夜となったのでした。


 午後10時頃となると、この18日の会戦による結果、おびただしい犠牲の上に仏バゼーヌ大将率いる「ライン軍」をメッス要塞方面へ追い返すこととなったことが、普大本営と参謀本部の諸官にも朧気ですが見えて来ました。

 モルトケはこれを国王に奏上報告し、国王は参謀本部の考える今後取り得る作戦の数々を聞き、宿舎前の焚き火を囲んで諸官と検討し、その模様を宰相ビスマルクが書き留めるのでした。


挿絵(By みてみん)

グラヴロット会戦後の大本営


 翌朝までに到着した各種報告と、カール王子が麾下軍団に告げた今後の作戦を聞き及ぶと、モルトケ大将は最終的に独軍全体の行動を大きく変更する一大決心をするのでした。


 モルトケはグラヴロットの戦いが発生するまで、バゼーヌ率いる仏「本軍」をモーゼル川とムーズ川の間(ロレーヌの高原地帯)で包囲粉砕するか、ベルギー国境方面へ追い詰めて決戦するつもりでおり、一方逃げ続けるマクマオン率いる「第二の軍」をシャロンにて粉砕するため、フリードリヒ皇太子率いる独第三軍に追跡させていました。この両軍を叩きのめしてしまえば、仏に残るのは遙か彼方にいる植民地軍と少数の正規軍人に率いられた「素人に鉄砲を持たせただけ」の「護国軍」だけであり、「戦い慣れした」首都パリの攻略は多少困難であっても、この戦争の勝利は目前となる、と考えたのです。


 しかし、信じられないことに敵将バゼーヌは「何故か」首都とは逆のメッス要塞に固執し、およそ12、3万と思われる軍をこの大要塞周辺に留めたのです。


 これまで普軍を主力とする独軍は、国境を越えた後は常に攻勢で押し通して来ました。今後バゼーヌの軍と、今は小さいとは言え、次第に後備により増強されるであろうマクマオンの軍を相手とする両面作戦は必至となり、それは各個撃破を図る作戦ではなく、完全別個の作戦となるのは必然でした。

 その位置関係も微妙で、痛めつけたとは言え、2万規模の予備第3師団に任せるだけで10万を越える敵を背後に正面の軍と戦うのは危険極まり、今後、首都へ引き籠もる可能性が高いマクマオン軍と戦うには、皇太子の第三軍だけでは心許なく、現在ロレーヌの高原にいる30万の普軍から一部を割いて回さなくてはならないのは確実でした。


 しかし、バゼーヌ軍がメッスで「大人しく」しているかどうかなど、誰にも(当のバゼーヌにも)分かりません。

 フランスという国は、王国や帝国であろうが共和国であろうが、この1世紀程は「世論」に突き動かされ易い国であり、革命と出血に慣れた熱し易い国民性は、バゼーヌをしてシャロンに向いた独第一、第二の両軍を背後から襲わせる、または(この可能性が高いのですが)独軍の前線を突破してマクマオン軍と合同するよう「命令」する可能性も排除出来ないのです。


 ここにおいてモルトケは、この戦争で初めて「防御的な」作戦をも考慮しなくてはならなくなったのです。


 今後独軍が取るべき作戦は明らかで、まずはメッス要塞を包囲しバゼーヌ軍が西へ向かわぬよう阻止することが第一となり、要塞を陥落させる等という「無駄なこと」は二の次となります。これは今までの「攻勢一本槍」ではなく、敵が白旗を揚げるまで要塞地帯から一歩も外へ出さない「防御姿勢」でいることとなるのです。

 次に「メッス包囲軍」と同等の戦力を西進させ、皇太子の軍と合同でマクマオン軍を追求し、どこかの要塞に逃げ込む(普軍が最も恐れるべきはパリへ逃げ込む)前に野戦により完膚無きまでに叩くことが重要となるのでした。


 メッス要塞の包囲は、既に実証済みの普軍砲兵力を前面に出して、メッス要塞の庇護下からバゼーヌ軍が安易に出撃出来ないようにし、その先では要塞砲の射程外に構えた強固な拠点に散兵線を敷いて、16、18日の会戦の「逆」、即ち出撃した仏軍が、待ち構えた独軍兵士のドライゼ銃射程内で十字砲火を浴びるように差配することで完成します。

 モルトケは、この任務はメッス要塞庇護下に入ったバゼーヌ軍より少ない戦力で事が足りる、と決断します。

 逆に、次第に未知数となるマクマオン軍(仏は「シャロン軍」と呼びます)に対しては絶対にそれよりも「多い」戦力で当たらねばならない、とモルトケは考えるのです。


 これにより、独の第一軍と第二軍は解体されて、新たに二つの軍が誕生するのでした。

 一つはメッス要塞の包囲を担当し、今一つは西進して皇太子第三軍と共闘することとなるのです。


 ほぼ徹夜で作業を進めたモルトケら普軍参謀本部は、19日早朝に国王の裁可を得た後の午前11時、この戦争でも重要なターニングポイントとなる「新軍編成」命令を発することになったのでした。


挿絵(By みてみん)

国王に報告するモルトケ(グラヴロット)


☆独軍8月19日午前11時発令の戦闘序列(概略)


○メッス攻囲軍(戦闘員約15万)

 司令官 フリードリヒ・カール親王騎兵大将


・第一軍(フォン・シュタインメッツ歩兵大将)

*第1軍団(フォン・マントイフェル騎兵大将)

*第7軍団(フォン・ツァストロウ歩兵大将)

*第8軍団(フォン・ゲーベン歩兵大将)

*予備第3師団(フォン・クンマー中将)


・第二軍(カール親王兼任)

*第2軍団(フォン・フランセキー歩兵大将)

*第3軍団(C・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将)

*第9軍団(フォン・マンシュタイン歩兵大将)

*第10軍団(フォン・フォークツ=レッツ歩兵大将)


*騎兵第1師団(フォン・ハルトマン中将)

*騎兵第3師団(フォン・デア・グレーベン中将)


○マース(第四)軍(戦闘員約14万)

 司令官 アルベルト・ザクセン王太子歩兵大将


*普近衛軍団(アウグスト・ヴュルテンベルク騎兵大将)

*第4軍団(G・フォン・アルヴェンスレーヴェン歩兵大将)

*第12「ザクセン」軍団(ゲオルグ・ザクセン親王中将)

*騎兵第5師団(フォン・ラインバーベン中将)

*騎兵第6師団(メクレンブルク=シュヴェリーン親王中将)


○第三軍(戦闘員約24万)

 司令官 フリードリヒ・プロイセン皇太子騎兵大将


*第5軍団(フォン・キルヒバッハ歩兵大将)

*第6軍団(フォン・テュンプリング騎兵大将)

*第11軍団(フォン・ゲルスドルフ中将)

*バイエルン第1軍団(フォン・デア・タン歩兵大将)

*バイエルン第2軍団(フォン・ハルトマン歩兵大将)

*ヴュルテンベルク師団(フォン・オーベルニッツ中将)

*騎兵第2師団(ツー・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ中将)

*騎兵第4師団(アルブレヒト・プロイセン親王騎兵大将)


※他にストラスブール包囲の「バーデン師団」や後備各師団など


☆予備第3師団戦闘序列(8月13日編成)


師団長 ルドルフ・フェルディナント・フォン・クンマー中将

参謀長 男爵パウル・カール・フォン・レットウ=フォルベック少佐


◯混成歩兵旅団(元・マインツ要塞駐屯)

 旅団長 ヴィルヘルム・フィリップ・エルドマン・アドルフ・フォン・ブランケンゼー少将

*第19「ポーゼン第2」連隊 ハインリッヒ・ゲオルグ・エドゥアルド・ヴィルヘルム・フォン・ゲッペン大佐

*第81「ヘッセン第1」連隊 男爵カール・フリードリヒ・テオドール・フォン・ゼル大佐


◯後備第3師団

 師団長 男爵エルンスト・ヴィルヘルム・モーリッツ・オットー・シュラー・フォン・ゼンデン少将

 参謀長 フォン・ライン大尉

※後備第5旅団

 旅団長 フォン・ルフィルン少将

*ヴェストプロイセン後備混成歩兵(後備第6連隊及び後備第18連隊の一部)連隊

 フォン・ブランデンシュタイン中佐

*ニーダーシュレジエン後備混成歩兵(後備第46連隊及び後備第18連隊の一部)連隊 

 フォン・コーゼル休職中佐

※後備第6旅団

 旅団長 男爵カール・レヴィン・レオポルト・フォン・ウント・ツー・ギザ大佐

*ポーゼン後備混成歩兵第1(後備第19連隊及び後備第59連隊の一部)連隊

 男爵フォン・ポエニック中佐

*ポーゼン後備混成歩兵第2(後備第58連隊及び後備第59連隊の一部)連隊

 フォン・ヴィトゲンシュタイン休職中佐

※予備竜騎兵第1連隊 フォン・ケルトシュ少佐

※第5軍団混成砲兵大隊 フォン・シュヴァィニッヘン少佐

 ・予備重砲第1,2中隊

 ・予備軽砲中隊


◯予備騎兵第3旅団

 旅団長 カール・テオドール・フォン・ストランツ少将

*予備驃騎兵第3連隊 フォン・グラーゼナップ休職大佐

*予備重騎兵ライター第2連隊 フォン・ムーティウス中佐

*予備槍騎兵第5連隊 フォン・ボーデ休職中佐

◯第11軍団混成砲兵大隊 フォン・フリードリッヒス休職少佐

 ・予備軽砲第1,2,3中隊

◯第9軍団要塞工兵第3中隊 グラーフフンダー大尉


※「休職」士官とは本来、文字通り軍に籍を置いたまま「傷病」や「一身上」により休職中、開戦により召集され一時復職した士官のことです。「予備役」と同等の扱いと思われますが、「予備役」は一度「退役」した者が現場復帰するケースを言う事が多く、個々人のケースを調べ切れませんでしたので、ここでは「現場復帰」した士官を全て「休職XX」と表記します。


挿絵(By みてみん)

会戦中グラヴロット近郊の普大本営

(左よりローン、ヴィルヘルム1世、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公、王弟カール親王、ビスマルク)


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