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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
233/534

グラヴロットの戦い/北部戦線の静寂

 ザクセン(S)王国軍司令官アルベルト王太子はサント=マリー陥落後、本営幕僚を引き連れてヌ川渓谷西側高地上から戦場を観察します。

 この時王子はロンクール部落の北にも敵砲兵の姿を発見し、仏軍の陣地帯はロンクールの北にまで延伸されているのではないだろうか、との疑いを持ったのです。

 アルベルト王子はオブエ経由でロンクールに向かった弟君、ゲオルグ王子が率いる第23師団が、マンシュタイン将軍の第9軍団のように仏軍の右翼端ではなく右翼側正面に突進してしまうのではないか、と心配になったのでした。


 王太子は午後4時前、激戦中のサント=マリー攻防戦を観戦しつつ、弟ゲオルグ王子に対し、「敵に対する包囲攻撃は予定より更に北方において行う」よう命令を発し、また、予備としてバチイイ近郊に後置していた第48旅団を前進させ、ゲオルグ王子の指揮下に入るよう命令するのでした。


 一方、S軍団の騎兵である第12騎兵師団(半数のライター騎兵2個連隊と騎砲兵1個中隊のみ。槍騎兵2個連隊はピュクス西方で警戒中)は午後3時頃にポンティ森に到着し、ここからコアンヴィル(オブエ南)へ進む途中、アルベルト王子より「第23師団に続行し、オブエ経由でロンクールの北を大きく迂回して敵右翼の背後へ進出せよ」との命令を受けます。またその際、「2個騎兵中隊でモーゼル河畔の渓谷に進み、メジエール(=レ=メッス。メッス北10キロ)付近でティオンヴィル要塞都市へ向かう鉄道と電信線を破壊せよ」との別命も受けたのでした。


 遡ること午後2時。

 第23「ザクセン第1」師団は軍団命令を受領後、直ちにオブエに向かって行軍路を変更します。行軍途中、前衛に派遣されていたフォン・クラウスハアー少将は再び第45「ザクセン第1」旅団全体の指揮に戻されました。

 その少将が第108連隊(第1,2大隊のみ。第3大隊は命令が間に合わずサント=マリー戦に参加中)を率いてオブエに到着した頃、先に到着して待っていたゲオルグ師団長の下に軍団本営より「オブエ~ロンクール間の林を守備せよ」との追加命令が届きました。これはサント=マリー攻防の余波で、仏軍の一部が北に広がり始めたことで、ロンクール北への迂回が更に困難になるのでは、と危惧したアルベルト王子の緊急命令だったのです。

 ゲオルグ王子は到着したばかりのクラウスハアー少将に命じ、一個大隊でオブエ東林(オブエ東南東2キロ付近)を守るよう手配させました。クラウスハアー将軍は直ちに第108連隊第1大隊を駆け足で東進させ、林に突入させました。その後師団本隊が接近したことで第2大隊にも命令が下り、こちらも林に進みます。


 第108連隊第2大隊がオブエ東林に前進した頃には第23師団本隊(第45旅団中心)もオブエに到着し始め、午後4時過ぎには集合が終わります。ただし、当初軍団長予備に指定され追って師団合流を命令された第46旅団と付属の砲兵中隊は、ジャルニー北郊外からオブエに向かいポンティ森の北を急進中でした。


 オブエ東林はこの方面にある森林と同じく下草が生い茂る通過困難な場所で、林の中心には南北に深い渓谷(ロビネ川)がありました。

 第108連隊(2個大隊のみ)は林の西側をくまなく捜索しましたが敵を発見しませんでした。しかし渓谷を挟んだ林の東側に動きがあり、仏軍の散兵が見え隠れするのを発見したのです。

 連隊は直ちに攻撃準備をしますがその前に東側の林で銃撃戦が始まり、敵の相手は第108連隊の第3大隊と第105連隊から逸れてしまい合流していた兵士だったのです。彼らはサント=マリー東郊外の激戦を勝ち残り、退却する仏軍を追って北上して来たものでした。

 第108連隊長フォン・ハウゼン大佐は直ちに第3大隊を吸収し、再び完全な連隊となった部隊は午後4時30分、仏軍散兵を林から追い出して更にモントワ(=ラ=モンターニュ。ロンクール北北西2キロ)南にある小林(オブエ東林の東方1キロ強)を目標に前進しました。しかし、この時第3大隊は続く激戦で極端に員数を減らしており、ハウゼン大佐は労をねぎらい予備第二線として2個大隊の後方を進ませたのでした。


 この戦闘の最中、フォン・クラウスハアー少将はオブエに到着した第100「ザクセン・ライブ・グレナディーア(親衛擲弾兵)」連隊をもオブエ東林に前進させ、連隊は第108連隊が南東へ進むのを確認するとその右翼(北)側へ進み、そのまま渓谷を渡るとモントワ部落南西側に進出したのでした。

 

 こうしてS軍団第45旅団がロンクールの北西方へ進み出たことを知ったS軍団諸砲兵中隊は、更なる前進を図るのです。


 アルベルト王子は、仏軍の陣地帯に対する歩兵の本格的な攻撃には事前の砲撃が欠かせないと考え、そのためには砲列を集中させ、更に東へ前進し敵の陣地を全て有効射程内に収めて砲撃させる必要がある、と判断します。そこで、S軍団砲兵部長のケーラー少将に対し「指揮下の砲兵(野戦砲兵第12旅団・即ちS軍団全砲兵)を全てサント=マリーからオブエ東林までの高台に集合させ砲列を展開せよ」と命じたのでした。

 これを受けてケーラー将軍は予備として後置したS軍団野戦砲兵第4大隊を前進させ、軍団砲兵7個の中隊を午後4時30分までにサント=マリー部落北西端400m付近から北へ、オメクール(オブエの北北東1.8キロ)へ通じる小街道沿いに砲列を敷かせます。直後に第24師団砲兵も前進し軍団砲兵隊の右翼(南)を埋め、これにより最右翼となった軽砲第4中隊から北へ順番に、重砲第4、軽砲第3、重砲第3(ここまで24師団砲兵)、重砲第6、重砲第5、軽砲第5、騎砲兵第2、軽砲第6、重砲第7、重砲第8(ここまで軍団砲兵)の各中隊が並んだのです。更に第23師団砲兵隊から重砲第2中隊が到着、最左翼でオブエ東林南端に接して砲列を敷き、ここに合計12個中隊72門の強力な砲兵陣地帯が出来上るのでした。


 この第23師団砲兵隊から離れて軍団砲列に加わった重砲第2中隊は、布陣直後の午後6時過ぎ、ロンクールの部落から仏軍騎兵が出撃するのを発見、直ちに砲撃を開始しました。

 この砲撃を見た砲列中央の騎砲兵第2中隊長ミュラー大尉は、軽快な騎砲6門を前車に繋ぐと直ちに急進し、前方(東)の小河川ロビネ川を渡ると砲列を展開、仏軍騎兵に対し速射を行います。この砲撃は敵の不意を打って大変効果的で、仏軍騎兵は直ちに踵を返し退却するのでした。


 S軍団本営が構えるヌ川渓谷西高地上からもこの敵騎兵出現は望見されました。アルベルト王子は直ちにサント=マリー南西郊外で待機中のライター(軽)騎兵第2連隊(第24師団所属)に対し、「オブエ東林を迂回し、敵騎兵がもしモントワ周辺にいた場合はこれを襲撃し駆逐せよ」と命じたのです。

 ライター騎兵第2連隊長ゲンセ少佐は軍団砲兵列線に1個中隊を予備と砲兵警護兼用で残置すると、残り3個中隊を率いてオブエ東林の南東側を進みましたがここで銃撃を受け、これを避けて左に旋回し、ちょうど開始された歩兵部隊のモントワ攻略に併せ、歩兵部隊に続行するのでした。


 クラウスハアー将軍の第45旅団がロンクールの東側へ進出した午後4時30分。アルベルト王子の発した軍団命令がゲオルグ王子の下に届きます。これは前述の「ロンクール攻撃は更に北上迂回して行う」ことと「第48旅団の指揮権を与える」という主旨の命令で、受領したゲオルグ王子は以下の命令を麾下部隊に発したのです。

「フォン・シュルツ大佐はライター騎兵第1連隊と砲兵2個(軽砲第1,2)中隊を付加された第48旅団によりオルヌ河畔のジュッフ(モントワ北西1.8キロ)からモントワにかけて行軍し、モントワからロンクールに向かい前進せよ。

フォン・クラウスハアー少将は第45旅団によりロンクール西の林から敵を駆逐した後、シュルツ大佐が北方より戦闘に参加してから後、西からロンクールへ前進せよ。

第46旅団については追って命令する」


 この発令後間もなく第48旅団がオブエ付近に到着し、午後5時過ぎには命令を実行する事が出来ました。

 この午後5時におけるS軍団諸隊の位置は以下の通りです。


○第47「ザクセン第3」旅団(フォン・エルターライン大佐)

 軍団予備としてサント=マリー北西郊外に集合(この後オブエ東林の南端まで前進)。

○軍団砲兵と第24師団砲兵、重砲第2中隊(ケーラー少将)

 サント=マリー北端からオブエ東林までオメクール街道沿いに展開。

○第45「ザクセン第1」旅団(エルンスト・アドルフ・フォン・クラウスハアー少将)

 仏軍と銃撃戦を行いつつロンクール西の林付近まで前進。

○第46「ザクセン第2」旅団、重砲第1中隊(アルバン・フォン・モンベ大佐)

 モワーヌヴィルを越え、コアンヴィル西郊外をオブエに向かい行軍中。

○第48「ザクセン第4」旅団、軽砲第1,2中隊(フォン・シュルツ大佐)

 オブエ近郊からジュッフ及びモントワに向けオルヌ河畔を行軍中。

○ライター騎兵第1,2連隊(フォン・ザール中佐/ゲンセ少佐)

 第48旅団の前衛としてモントワ方面へ前進中。

○ザクセン近衛ライター騎兵連隊、ライター騎兵第3連隊、騎砲兵第1中隊(伯爵フランツ・ウント・エドラー・ヘル・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト少将)

 騎兵第12師団に属する両連隊のうち、本隊は第48旅団を追ってコアンヴィル付近を前進中。ただし、S近衛ライター騎兵第1中隊はリシュモン(メッス北)へ、ライター騎兵第3連隊第2中隊はウッカンジュ(メッス北)へ、それぞれモーゼル河畔での破壊工作のために派遣。

○槍騎兵第17連隊、槍騎兵第18連隊(カール・ハインリッヒ・タシーロ・クルーク・フォン・ニッダ少将)

 オルヌ川上流(西方)でエテン~ブリエ間の街道筋を監視中

○第106連隊第2大隊(第48旅団所属)

 17日にポンタ=ムッソン在の普大本営護衛任務のため残置されたこの大隊は、18日午後遅くにヴェルネヴィル付近まで行軍し、一時的に普第3軍団に合流。


 こうしてアルベルト王子の作戦により、S軍団はサント=マリーの北を大きく迂回してロンクールを西と北から包囲することとなります。

 この作戦は一にオルヌ川に沿って迂回前進する第48旅団の行動如何にかかっていました。この旅団がもたつけば、仏軍は戦線をロンクールの北へ延伸し、包囲を避けてしまうかも知れなかったのです。


 次に、普近衛軍団の「片割れ」普近衛第2師団(以降近2師)の行動を午後2時に遡って見てみましょう。


 普近衛軍団がアボンヴィルを目標に進んだ時、近2師もコル農場付近で「北ルート」街道を越えると午後2時30分、ジュアヴィル(バチイイ南東1.6キロ)とアヌー=ラ=グランジ(ヴェルネヴィル北西1.8キロ)の中間で軍団本営より命令が届き、一時同地域の森林地帯で停止待機します。

 この停止中に前線ではサント=マリー攻撃が始まり、近衛砲兵の援護任務を行っていた近F連隊第1大隊がサント=マリーまで前進して行きました。手薄となった砲兵の護衛任務は近2師に命じられ、近衛擲弾兵第4連隊第1大隊が選ばれて午後3時15分、砲兵列線まで前進して行きました。


 この待機中再び前線から第二軍本営カール王子の直接命令が届き、近衛歩兵第3旅団を中核とする「クナップシュタット支隊」(近衛擲弾兵第1連隊、同第3連隊、近衛シュッツェン(散兵)大隊、近衛軽砲第5中隊、近衛工兵第2,3中隊)は苦戦する第9軍団を援助するため、午後4時過ぎ、アボンヴィルまで前進します。

 支隊を指揮するオットー・アウグスト・クナッペ・フォン・クナップシュタット大佐は部落に到着するなり第9軍団長フォン・マンシュタイン将軍から「ヘッセン(第25)師団の左翼(北)後方で攻勢準備をして待機」するよう命じられました。

 この時、近衛擲弾兵(以降近G)第1連隊第1大隊は2個中隊を出してアボンヴィル北の近衛砲兵援護のため部落東端を守備し、残り2個中隊は予備としてその後方部落内にありました。

 近衛砲兵軽砲第5中隊は既述通り第9軍団と第3軍団騎砲兵の1058高地尾根砲列まで進み出て、その最左翼に付きました。


 近2師の残り部隊は第3旅団がアボンヴィルへ向かった後、近衛軍団本営当初の命令通りサン=アイルへ進みます。師団騎兵の近衛槍騎兵第2連隊は先行し、サント=マリー南西まで進出すると待機に入りました。

 この近2師の前進では歩兵が大隊ごとの縦隊で行軍し、先頭は近G第4連隊第2,3大隊(第1大隊欠)で、大隊の中間に師団砲兵3個(軽砲6、重砲5,6)中隊を挟んだ行軍となっていました。

 この長い行軍列はヌ川の細長い渓谷内を進み、サン=アイルの西で渓谷を登り目的地に達するのでした。


 近2師団長ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将はサン=アイルで部隊展開する際に砲兵3個中隊をサント=マリーの南側へ向かわせ、付近の高地に砲列を敷かせます。この位置は、近衛軍団砲兵の陣地より距離が離れていましたが、部落の東正面も有効射程内に収めており、軍団砲兵左翼からはほとんど延長線上にありました。


 この午後5時における近衛軍団諸隊の位置は以下の通りです。


○近衛第1師団(アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ少将)

 サント=マリー部落に7個(近衛F連隊第1,2,3、近衛4連隊第1,2,F、近衛猟兵)大隊を入れて守備隊とし、残り部隊(近衛第1旅団、近衛第2連隊、近衛工兵第1中隊)は部落の西及び南西郊外に布陣。

○近衛第2師団(ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将)

 近衛第3旅団を第9軍団へ送り、残り部隊(近衛第4旅団、近衛歩兵シュッツェン大隊、近衛工兵第23中隊)はサン=アイル付近に展開、近G第4連隊第1大隊を軍団砲兵援護として派遣。

○近衛軍団砲兵隊(フォン・シャーベニング大佐)

 アボンヴィルからサン=アイルとの間に8個(軽砲第1,2,3、重砲第1,2,3,4、騎砲兵第2)中隊が展開し、その北方にやや離れて4個(軽砲第4,6、重砲5,6)中隊が砲列を敷く。

○近衛槍騎兵第2連隊(近2師所属/ヘッセン大公国親王ハインリッヒ大佐)

 サント=マリー南西郊外。

○近衛驃騎兵連隊(近1師所属/フォン・ヒメン中佐)

 サント=マリー南西郊外で槍騎兵第2の西。

○近衛騎兵師団(クーノ・フォン・デア・ゴルツ中将)

 近衛第2「槍騎兵」旅団は分派されムーズ川方面に展開。第1「胸甲騎兵」旅団と第3「竜騎兵」旅団は近衛騎砲兵第1,3中隊と共にバチイイ西郊外に。

○近衛軍団本営

 アボンヴィル北方高地上。


 この近衛軍団(12個中隊)とS軍団(12個中隊)、そして1058高地尾根の大砲(6個中隊)は合計180門となり、この5時の時点では仏軍第4と第6両軍団の砲兵を完全に沈黙させるのです。

 独側首脳陣はこの時、自軍の砲兵力を信じてその有効な砲撃が敵を「沈黙」させた、と信じましたが、実状は少し違いました。確かに独側の優秀なクルップ砲は仏軍の旧弊な砲力を圧倒していましたが、この時の「沈黙」は損害ばかりでなく、仏軍指揮官たちが独軍の突撃を予期し、一時後退し戦力を温存したための「沈黙」だったのです。


 しかし、独仏共に待っていた独軍の総攻撃は中々始まりませんでした。

 これは一途にカール王子による「総攻撃はS軍団の迂回とロンクール攻撃を待って行い、それまでは砲兵による持久戦闘により継戦せよ」という命令が前線指揮官たちを強く抑制していたからに他なりません。

 既に独側はロンクールまでを見渡せるサント=マリーを押さえたため、敵味方の行動はパノラマのように俯瞰することが出来、従って午後5時を過ぎると独第二軍の前線では砲撃を除いて一斉に戦闘行動が中止されるに至ったのです。


 前線で普近衛とザクセン軍団、そしてバルト海に面した辺境師団とヘッセン大公国による第9軍団が総攻撃を前に一旦戦闘を休止し、仏第6と第4軍団も独軍の総攻勢を予測し戦力を温存し始めた頃。独側前線後方では第二線となった部隊が着々と集合し戦闘準備を成していました。


 普第3軍団は普騎兵第6師団を付属して第9軍団の援護・予備としてヴェルネヴィル西郊外に集合していました。既述通りその軍団砲兵6個中隊は前線に展開し、第9軍団砲兵と共に仏軍砲列線を沈黙させる活躍を見せていたのです。


 普第10軍団とその付属とされた普騎兵第5師団は、当初トロンヴィル付近で待機し、その後近衛軍団を援助するため前進を始めますが、途中サン=マルセル付近でこれも命令変更により行軍方向を変えた近衛軍団と交錯しそうになりました。ここで一旦停止して近衛軍団を先に通した後、軍団と騎兵師団はバチイイに向かい、「北ルート」を越えた先の森林地帯では道路を砲兵と騎兵そして運搬車輌が、通行困難な森林を歩兵がそれぞれ行軍し、午後2時30分、バチイイ近郊に到着し、近衛軍団の後方を固め出番を待つのでした。


 さて、普軍正規軍団中、最も遅れて前線に向かった第2軍団(普領ポンメルン州管区)は、普墺戦争で普第7師団を率い、戦争の帰趨を決した一大会戦「ケーニヒグレーツの戦い」の激戦地「シュウィープの森」にて殊勲を挙げたエデュアルド・フリードリヒ・カール・フォン・フランセキー歩兵大将が率いていました。

 この時のフランセキー将軍は、多くの同僚将軍(即ちライバル)たちが8月初旬の数ある戦いで勝利を得て、戦争が落ち着いた暁には昇進や受勲を約束されたも同然となっていることに内心焦りと妬みを抱えていたのでは、と言う戦史家もいる心理状態だったのです。

「ひょっとするとこの戦争の帰趨を決するやも知れぬ今度の会戦にも間に合わないかも知れない」そう焦りを感じたであろう将軍は、戦況がどうなろうと機会を逸することなく速やかに戦場に到着し、仏軍と堂々戦いたいと考え、大胆な行動に出たのです。


 フランセキー将軍は「グラヴロットの戦い」前日の8月17日夜、ちょうど戦場からポンタ=ムッソンの市庁舎に構えた大本営に帰って来たヴィルヘルム国王に対し、「ぜひ第2軍団も前線で戦わせて欲しい」と直訴に及ぶのでした。

 自らも大国の王と言う立場より軍人であることを優先するヴィルヘルム国王は、この手の熱意には弱く、軍司令官のカール王子を飛び越えたフランセキーの軍人にあるまじき行動を咎めることも出来ず、逆に「猛将」で名高いフランセキーの心情にほだされ、「本来の命令を2時間早く実行してもよい」と答えてしまうのです。

 喜び勇んだフランセキー将軍はポンタ=ムッソン周辺に前進していた軍団に対し、「午前2時、ビュシエール(マルス=ラ=トゥール南南東6キロ)に向かい前進を開始せよ」と命令したのでした。これを受けた軍団は連日の長行軍の疲労もものともせず、戦意は満ちあふれており、目的地から最も遠いポンタ=ムッソンの南方に宿営していた第4師団は17日午後11時頃に宿営地を出発し始めたのでした。


 こうして戦場に向かって猛進した第2軍団は、軍団長自ら先頭に立って進む第3師団を先陣として18日午前11時、ビュシエールに到着するのです。

 さすがに疲れ切った行軍列は、ここビュシエールからオンヴィル(ビュシエール南南東5キロ)の間でしばらく休憩となりますが、このビュシエール付近ではこれだけ多くの人馬に対する飲用水を得ることが難しく、食事を取ることもままなりませんでした。

 午後1時、フラヴィニーに前進していた大本営より「第2軍団は第一軍の予備となる」との命令を受け、フランセキー将軍は直ちに軍団に対しゴルズ高地への前進を命じました。

この大本営の命令は正午前に発せられたもので、「ヴェルネヴィルの砲声」以前であったため大本営としては急ぐ必要を認めていませんでしたが、この午後1時時点ではビュシエールでも小一時間前から北東方より殷々と砲声が聞こえており、フランセキー将軍は「後れを取ってはならぬ」とばかり前進を命じたのです。

 午後2時。ビュシエールより第3師団が再び先発し、その後方、ビュシエールとオンヴィル間で休憩していた軍団砲兵と、オンヴィル付近で停止していた第4師団もこれを追い、鬼将軍「シュウィープ森のフランセキー」率いる第2軍団はゲッペン将軍の第8軍団の後方、ルゾンヴィルを目指し前進を開始するのでした。


挿絵(By みてみん)

仏軍の前哨兵


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