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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
230/534

グラヴロットの戦い/普第3軍団砲兵と普近衛軍団の参戦

 普第3軍団長、コンスタンティン・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将はこの日午前5時30分、第二軍司令官フリードリヒ・カール親王騎兵大将よりヴィオンヴィルにて直接口頭で命令を受け、当初は準備出来次第(つまりは直ちに)、近衛と第9両軍団の中間をやや後方から前進するはずでした。

 ところが大本営の命令により出発は見送られ、2日前の会戦(マルス=ラ=トゥールの戦い)で大損害を受けつつも「勝利に近い引き分け」となり、疲労の滲む顔をしながらも煮え切らない想いを抱える将兵たちは、逸る気持ちを抑え、じっと出発の合図を待ったのです。


 待望の前進命令が第3軍団本営に届いたのは午前11時過ぎで、まずは「コル農場に向かえ」との命令でした。


 軍団は正午頃、勇躍ヴィオンヴィル周辺から出発し、一足先にコルからヴェルネヴィルへ向け出発した第9軍団の予備となるため、ヴェルネヴィル南西郊外へ向かいました。

 その先頭は第6師団で、続いて第5師団、軍団砲兵の順に行軍します。全般命令では両師団の間に砲兵が入ることとなっていましたが、第3軍団砲兵は2日前の16日に失った牽引用馬匹の一時しのぎとして与えられた170頭余りの馬匹を調教中で、不慣れな馬を使う行軍で歩兵を煩わせぬため、軍団最後方を行くのでした。その後方には軍団長麾下とされた騎兵第6師団も続行します。


 同じく正午頃、「ヴェルネヴィルの砲声」に慌てたカール王子はスティール参謀長ら腹心と共に、最初はヴェルネヴィルへ、次にアボンヴィルへと移動しつつ戦況を観察し、状況が見えて来るとコルを目前とした第3軍団の行軍列へ騎行しました。

 かつて軍団長として率いた軍団行軍列から歓声を浴びつつ、その横を後方へ騎行した王子は、行軍列後尾の軍団砲兵隊の下へやって来ると、「重軽砲4個中隊で第9軍団を援助、陣地はヴェルネヴィル近郊に構えよ」と命じたのです。

 カール王子は早朝、C・アルヴェンスレーヴェン中将より軍団砲兵6個中隊(野戦砲兵第3連隊第2大隊と同連隊騎砲兵大隊)の指揮権を召し上げており、この戦況では真っ当な命令と言えます。

 この命令は午後2時45分頃、軍団砲兵最後尾が通過中のサン=マルセルで下され、第3軍団砲兵部長のハンス・フォン・ビューロー少将は命令を麾下に伝達すると同時に、残る2個の騎砲兵中隊を率いるレンツ少佐にも、「軍団砲兵に続行しヴェルネヴィルへ向かう」よう命じたのでした。


 4個の砲兵(軽砲第3,4、重砲第3,4)中隊は、マルス=ラ=トゥールの激戦を戦い抜いて生き残った先任士官のシュトゥンプ大尉が率い、午後3時30分、ヴェルネヴィル部落南東でジュニヴォー森に接する高地尾根上に到着し砲列を敷きます。その後方を更に北へ進んだ2個の騎砲兵(第1,3)中隊はヴェルネヴィル郊外に到着すると待機に入りました。

 歩兵部隊の方は、一足早く午後3時過ぎに全てがヴェルネヴィル南西郊外へ到着し、騎兵第6師団は歩兵諸部隊の左翼(西)へ展開、それぞれ待機となったのでした。


 シュトゥンプ大尉は4個中隊24門の砲列を、右翼はジュニヴォー森に接して展開させ、直ちに北方に対立する高地上に見え隠れする仏軍砲列に対し砲撃を開始しました。続いて仏軍の散兵線や、その後方東側に見え隠れする野営天幕の群に対しても砲撃範囲を広げます。

 この突然の砲撃は仏軍を慌てさせました。

 仏第3軍団右翼(北)の砲兵陣地は被害続出で次第に沈黙し、その北に続く仏第4軍団の砲列も、1058高地尾根の砲列だけでなくこの普第3軍団砲列にも目標を分配し、対抗砲撃を行いましたが大した損害を与えることが出来ません。また、ラ・フォリ西の仏軍歩兵も、シャスポー銃で銃弾の到達距離ぎりぎりで射撃を行いましたが、微々たる損害を与えたに過ぎませんでした。


 仏軍戦線が怯んだ隙を見て、第9軍団砲兵部長のフォン・プットカマー少将は、目の上の瘤とも言えるシャンペノア農場攻撃を発令します(前述)。

 プットカマー将軍は歩兵部隊のみならずシュトゥンプ大尉の下にも騎行すると、「貴官の大砲でシャンペノア攻略を近接援護してもらえないか」と要請しました。

 大尉は直ちに2個の重砲中隊を北東へ前進させ、重砲第4中隊は更に高地下の低地を進んで農場攻撃に向かうH歩兵の後方に続行し、敵の小銃弾を浴びつつ前進しましたが、農場周辺には遮蔽物が一切なく、砲撃陣地に適する場所がないため続行を断念しました。

 この中隊、暫くはH騎砲兵中隊が奮戦するシャンペノア南東付近で待機しますが、やがて第3中隊共々元の陣地へと戻ったのでした。


 C・アルヴェンスレーヴェン将軍は軍団砲兵の成功を見ると、その騎砲兵にも前進を命じますが、その時には既にヴェルネヴィル郊外にいたレンツ少佐は、ビューロー将軍より「第18師団砲兵と並び砲撃を開始せよ」と命じられて前進を開始していました。

 しかし激戦が続くヴェルネヴィル東郊外から1058高地尾根周辺にかけては、砲撃による穴や破壊された馬車、置き捨てられた歩兵の備品・背嚢などが散乱して障害物で溢れており、騎砲兵たちはそれを一々排除しつつ苦労して進んだのです。


 ようやくアイナッテン大尉率いる第18師団砲兵の砲列を右手に見ることが出来た両中隊は、師団砲兵列の左翼(北東)に延伸して砲列を敷くこととしましたが、大隊長のレンツ少佐はこの行軍で小銃弾に当たって重傷を負ってしまいます。以降、それぞれの中隊長が独断で行動し、尾根上に砲列を敷いた両中隊は当初、攻略直前のシャンペノア農場を砲撃しました。その後、仏軍歩兵からシャスポー銃の射撃を受け、また、アマンヴィエ郊外にあるロロンセ師団のミトライユーズ砲から猛砲撃を受けた両中隊は目標を変え、これら仏軍の散兵線や砲兵と戦うのでした。


 こうして次第に有利となった普軍砲兵に、一旦下がった第9軍団砲兵の中で何とか戦えるまでに回復した中隊が前進し加わります。

 最初に馬匹全てを失った騎砲兵第2中隊が、軍団予備の馬匹をかき集めて午後4時に全6門の砲を急進させて砲列に復帰、師団砲兵と第3軍団騎砲兵との間に砲列を敷きました。

 やや遅れて午後4時15分には軽砲第4中隊が5門の砲を曳いて現れ、こちらは師団砲列の右翼に砲を敷きました。

 この後、近衛軍団砲兵隊から軽砲第5中隊が前進し、こちらは砲列の最左翼、最も仏軍に近い場所に布陣するのです。


 こうして1058高地尾根には7個中隊(1門欠)、シャンペノア農場の南東にH騎砲4門、ヴェルネヴィルの南東、シャントレンヌの西に第3軍団砲兵が4個中隊と、計69門の大砲が揃って強力な砲撃を行うことが出来るようになったのです。


 一方、1058高地から下がった残りの第9軍団砲兵にも、まだまだ苦難が待っていました。

 大損害を被った重砲第3中隊は、それでも4門の砲を稼働状態にして高地に戻ろうとしましたが、戻る途中キュセ森内で迷ってしまい、森の東端に出た瞬間、仏軍散兵線より猛銃火を浴びて再び退却してしまいました。

 軽砲第3中隊は、比較的損害が少なかった(それでも正規砲員半数を失っています)ため、6門全てを稼働状態として、こちらはH砲兵隊の増援として北上し、損害の大きかった右翼(鉄道堤南側)に加わりました。

 残りの重砲第2と第4中隊はこの日、遂に戦列へ戻ることが出来ませんでした。


 こうしてH軍砲列も6個中隊36門となり、ヴェルネヴィル~アマンヴィエの砲列は午後4時から5時過ぎまで、およそ100門以上で仏軍陣地帯を叩き始めたのです。

 仏軍砲兵はこれにより徐々に後退すると沈黙し、その散兵線で優位に戦って来た歩兵も損害を受けて疲弊し、師団砲兵と一部歩兵以外、軍団予備としてアマンヴィエで控えていたロロンセ師団歩兵も、シッセ、グルニエ両師団援助のため前進するしかなくなるのでした。


 しかし優位に立ったとはいえ、第9軍団歩兵はこれ以上東へ進むことが適いませんでした。

 これは先述通り大本営と第二軍本営の意向により、「第9軍団は、サント=マリーからサン=プリヴァー方面で仏軍右翼を片翼包囲しようとする近衛と第12「ザクセン王国」軍団の攻勢を待って東進を行う」、とされたからでした。

 これにより歩兵の銃撃戦も仏軍が次第に衰えるに従い散発的となって行き、独軍砲兵も仏軍砲兵が沈黙し散兵線でも活動が弱まると次第に砲撃を止め、午後5時以降は確かな目標が現れた時以外、静まりかえるのでした。


ヴェルネヴィル戦線17時


挿絵(By みてみん)


 さて、この第9軍団の左翼(北)側、バチイイからアボンヴィル、そしてサント=マリーを目標に進んで来た近衛軍団と第12軍団の動きに目を転じます。


 フリードリヒ・カール親王は第二軍全体をして、アマンヴィエを目標に右旋回を行うことを命令した後、正午頃サン=マルセルを経てヴェルネヴィルまで騎行しました。

 「ヴェルネヴィルの砲声」が自らの作戦を大きく損なうのではないか、と案じた王子は、急ぎ部落へ駆けつけましたが、ヴェルネヴィルからではキュセ森が邪魔となって戦場全体を見渡せず、カール王子は幕僚と共にアボンヴィルまで進むのでした。

 到着するや王子は、H砲兵が直前まで砲撃戦を行っていたキュセ森の北西側高地で敵情を観察します。その最中の午後1時45分、カール王子は大本営から次の命令を受け取るのでした。


「第9軍団はゾニヨン森東側において既に砲撃を行っているようであるが、全軍の総攻撃は、主となる兵力がアマンヴィエまで一斉に前進するまで実行してはならない」


 この命令は、大本営は仏軍右翼がモンティニー城館付近にあると想定して出したものであることは確実でした。

 しかしカール王子の目には、仏軍がサン=プリヴァー付近で陣地を構築している姿が映っていたのです。


 カール王子は伯父でもあるヴィルヘルム1世国王の威厳と目の前の「真実」との正に板挟みとなったのでした。今から大本営に伝令を送り、敵右翼がサン=プリヴァーまで延伸していることを告げても、全ては手遅れとなります。第9軍団の戦闘をここで留めることは、損害をいたずらに増やすことにもつながります。

 カール王子は現状を踏まえつつも国王の威令にも従うこととし、一時的に第9軍団には持久戦を行わせ、近衛と第12軍団には急ぎアボンヴィル周辺まで行軍させることに決したのでした。


 カール王子は既に第3軍団を第9軍団の予備として呼び寄せています。これで万が一仏軍が前進し、第9軍団の防衛線を突破しても第3軍団が対処出来ることとなりました。これはカール王子が何もしなくても軍団長同士が直接話し合い部署を決め、既に砲兵が戦闘に参加し始めていることが王子にも伝わっていました。


 こうして兵力が激減しつつある第9軍団は救済され、近衛軍団は仏軍右翼に対して包囲攻撃を開始するのです。しかし、攻撃は仏軍右翼端がサン=プリヴァーにあるものとして始まりましたが、やがて敵右翼がサン=プリヴァーより更に先、ロンクールにあることが分かり混乱する運命にあったのです。

 このことにより、ヴュルテンベルク王国の親王でありながら普王国の近衛を長く指揮するという波乱の人生を送っていたアウグスト王子は、その長い軍人人生で最も過酷な半日を過ごすこととなりました。


 アウグスト王子は近衛軍団左翼の行軍列に先行し、午後1時頃アボンヴィル近郊にやって来ました。

 王子は第9軍団長のフォン・マンシュタイン大将宛に「全力を挙げ助太刀する」との主旨の伝言を送ると高地へ登り、敵情を観察し始めました。すると、サン=プリヴァーから前進する敵歩兵の姿や砲兵の展開を目撃し、王子は状況を把握すると矢継ぎ早に指令を発するのです。

 その最中、マンシュタイン将軍から「早くサン=プリヴァーを攻撃してもらいたい」との主旨の返答が届き、王子はまずは砲兵を急がせ、前衛の進撃を準備させるのでした。

 また、間を置かずやって来たカール王子と会い、直接に命令を受けます。

 カール王子の命令を要約すれば、「近衛軍団は、現在サント=マリー及びモアーヌヴィル(サント=マリー西北西4.5キロ)へ向かっている第12軍団が、仏軍陣地帯に対し攻勢準備を完了するまで待ち、そこで初めて前進を開始せよ」とのことでした。


 そのカール王子は午後3時、バチイイに達した第12軍団から報告を受けます。ザクセン王国軍のアルベルト王子は、

「第12軍団は第24師団によりサント=マリーへ向かい、第23師団によりコアンヴィル部落と、コアンヴィル~ロンクール間にある林を抜けて仏軍戦線の右翼を迂回することとする」と伝えて来たのです。

 カール王子は午後3時45分、アルベルト王子に宛て以下の訓令を発したのでした。

「ザクセン軍団はなるべく敵本軍とその本国との連絡を遮断するため、今後モーゼル川下流の渓谷を占領することが重要となる」


 高級指揮官たちが今後の策を巡らせている間も、普近衛軍団とザクセン軍は前進を継続していました。


 近衛第1師団(以下「近1師」とします)長アレクサンダー・アウグスト・フォン・パーペ少将は、師団前衛の先頭に立ち行軍を導き、午後12時45分、アボンヴィルの南郊外へ到着しました。

 少将はここでしばらくの間戦況を観察した後、師団砲兵4個中隊をアボンヴィル南方に進ませて砲列を敷かせ、この砲撃援護を以てサント=マリーへ進撃することを決するのです。

 これは命令通りアマンヴィエに進むのは、敵の強力な部分に正面から突進することに他ならない、とパーペ将軍は考えたからで、更に北上し拠点を得た後に攻撃を行うべきと信じたからでした。


 パーペ将軍の命により、まずは近衛野戦砲兵軽砲第1中隊がアボンヴィル南西の緩斜面を登り、その高地際で午後1時、仏軍砲列に第1弾を発射しました。続いて3個(軽砲第2、重砲第1,2)中隊もビッヘルベルク中佐に率いられて速歩で高地へ登り、砲列を左翼(北側)鉄道線路まで延伸したのでした。

 しかし、ここは仏軍砲兵が狙いやすい不利な場所で、近衛砲兵は更に北方へ進むため、北側の中隊から順次転回し、仏軍の猛銃砲火の下、馬匹も人も駆け足で砲を引き、鉄条網を設置した鉄道堤斜面を越え、両岸とも急な斜面となった渓谷も越えて、サン=アイル南西の新陣地へと進んだのです。この陣地では軽砲2個中隊が右翼に、重砲2個中隊は左翼にそれぞれ砲列を敷いたのでした。


 アウグスト王子はパーペ将軍から砲兵区処の報告を受けるとそれを追認し、更に軍団砲兵隊もその砲列に加えることを決します。

 しかしその時には既に、近衛軍団砲兵隊長フォン・シャーベニング大佐は近1師の砲兵が前進するのに併せ、砲兵5個中隊(近衛野戦砲兵第2大隊の軽砲3,4、重砲3,4と騎砲兵第2中隊。残り騎砲兵第1,3中隊は近衛騎兵師団所属です)を直率して鉄道堤の脇に進み、ここで重砲3,4中隊を近1師砲兵と合流させ、残り3個中隊を率いてその後を進みました。

 最終的に大佐は近衛砲兵砲列の左翼に付き、サン=アイル部落南側450mまで砲列を延伸し、右翼側はアボンヴィル北西の渓谷縁まで延ばしたのです。


 この時、彼ら近衛砲兵の敵は仏第6軍団砲兵だけでなく、およそ750m東の高地に散兵線を敷いた強力な仏軍歩兵部隊で、シャスポー銃の射撃は間断なく普軍の砲列を襲うのでした。更に新たな普軍が現れたことにより、サン=アイルの近郊とサント=マリーへも仏軍歩兵の前進が見られたのです。

 これにより近衛砲兵はこの先、東へ進むことが阻止されてしまいました。

 それでも近衛砲兵は、サン=プリヴァーとアマンヴィエの間に砲列を敷いた仏第6軍団砲兵を目標に猛烈な砲撃を開始し、この仏軍砲兵線はそれまでの独第9軍団諸砲兵部隊に対する砲撃を中止し、近衛砲兵に対抗する砲撃を始めるのでした。


 こうして近衛砲兵の援護を得て、近衛軍団は仏第6軍団の待ち受ける散兵線に向かい前進を始めるのです。


 この先、普近衛とザクセン王国(第12)軍団が歴史に残る死闘を繰り広げた戦場を俯瞰して見ましょう。


 サン=プリヴァー(=ラ=モンターニュ)の部落付近を頂点とする、ロンクール付近からアマンヴィエ北西郊外まで南北4キロに及ぶ高地は、仏第6軍団の格好の散兵線となり、普近衛と第12軍団の前に立ちはだかっています。その西側は広く視界が開けた荒野と開墾地で、緩やかな斜面となって西側及び南側へ広がっており、その終端はアボンヴィルとサン=アイル間を流れて急角度で北へ続くヌ川(オブエ付近でオルヌ川に注ぐ小河川)の深い渓谷となっています。

 ヌ川の渓谷はアボンヴィル付近では比較的浅い谷となっていますが、北に流れるに連れ深い谷を形成し、その両岸は険しく聳えていますが、サント=マリー西側では幾分幅が大きくなり、軍隊にとって格好の遮蔽となる窪地を形成していました。

 しかし、サント=マリー西の渓谷にはほとんど樹木がなく、サント=マリー付近の兵士に対し開けた射界を与え、攻撃側の遮蔽としては、所々にある生け垣と畑の境界をなす石垣だけという危険な場所でした。


 サン=プリヴァーの北、ロンクールに向かって高地は緩斜面となってゆったりと下り、斜面はロンクール部落を経てジョモンの森(ボア・ドゥ・ジョモン)へ至り、そのまま東方モーゼル川の大きな渓谷に向けて下る緩斜面が続くのでした。

 この森と高地尾根の間には、サン=プリヴァーから北へ目立つ窪地が細長く延び、ここは南や西側から全く遮蔽されて、防衛側が予備部隊を隠すには持って来いの場所だったのです。


 サン=プリヴァー部落は先述通り石造りの堅固な家屋がほとんどで、その家屋の境界は高い石垣で囲われ、これはそのまま強固な防衛拠点となります。

 しかし、この防衛線右翼(北側)は樹木のない視界が広く開けた緩斜面で、この目立つ弱点であるロンクール部落周辺で、カンロベル将軍率いる仏第6軍団は、先述通りほとんど防御工事らしきものを一切行っていなかったのです。


 とは言え、仏軍の誇るシャスポー小銃と、性能では普軍に劣るとは言え善戦している大砲は、高地尾根の陣地帯から西へおよそ3キロに渡って障害物のほとんどない緩斜面を見下ろしており、ここを進む独軍部隊は、サン=アイルとサント=マリー部落内で若干の遮蔽物を得ることが出来るだけであり、その部落に至る平原とその先、サン=プリヴァー部落に至る何も遮るものがない緩斜面において、多大の犠牲を既に約束されてしまった様なものだったのです。



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