グラヴロットの戦い/ヘッセン大公国師団の参戦
午後2時における普第9軍団の第18師団と軍団砲兵の位置を確認します。
〇軍団砲兵隊(野戦砲兵第9「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊(重砲第3、軽砲第3,4、騎砲兵第2中隊)と第18師団砲兵隊(野戦砲兵第9連隊重砲1,2、軽砲1,2中隊)
フォン・プットカマー少将の指揮下で、ヴェルネヴィル北東郊外からアマンヴィエ南西郊外まで続く1058高地の尾根に展開。
〇第84「シュレースヴィヒ」連隊第1中隊
アマンヴィエ西郊外キュセ森東端先の小林脇で待機(損害大)。
〇第84連隊第2中隊
砲兵列線左翼南側の高地斜面で銃撃戦闘中。
〇第84連隊第3中隊
アマンヴィエ西郊外キュセ森東端先の小林で戦闘中。
〇第84連隊第4中隊
キュセ森北東角の西側で予備として待機。
〇第84連隊F大隊
アマンヴィエ西郊外キュセ森北東角で戦闘中。
〇フュージリア第36連隊第2,3中隊
アマンヴィエ西郊外キュセ森北東角で戦闘中。
〇フュージリア第36連隊第1,4中隊
第1大隊長ゲッティング少佐指揮下ランヴィ農場周辺で戦闘中。
〇フュージリア第36連隊第2、3大隊
ブルーメンタール少将指揮下シャントレンヌ付近で戦闘中
〇猟兵第9「ラウエンブルク」大隊第1,2,4中隊
シャントレンヌ付近で戦闘中。
〇猟兵第9大隊第3中隊
ヴェルネヴィル警備
〇第84連隊第2大隊
ヴェルネヴィル近郊に到着し、戦闘準備中。
〇第85「ホルシュタイン」連隊(3個大隊)
ヴェルネヴィル近郊に到着し、戦闘準備中。
〇擲弾兵第11「シュレジエン第2」連隊第2、F大隊
ヴェルネヴィル近郊に到着し、戦闘準備中。
〇第9軍団工兵第2中隊
ヴェルネヴィル近郊に到着、部落警備に。
なお、擲弾兵第11連隊は16日、ゴルズの北で連隊長や多くの士官と共におよそ三分の一の兵力を失ったため、第2とF大隊に戦力を集中し、補充兵が来るまで極端に員数の減った状態となった第1大隊は師団車両警備として輜重と共に後置されました。
また、竜騎兵第6連隊はヴェルネヴィルの南東、シャントレンヌの西1キロ付近のグラヴロットへ続く街道脇で待機していました。
同時刻、第18師団長のフォン・ヴランゲル中将はヴェルネヴィル部落にあって師団全体の指揮に当たっており、軍団長フォン・マンシュタイン大将はヴェルネヴィルの北郊外、キュセ森の南縁付近で軍団砲兵を救うため命令を発するところでした。この任務は第85連隊のF大隊に命じられるのです(後述)。
林端から攻撃に移る普軍兵士
一方、第9軍団の「片割れ」、ヘッセン大公国軍である第25師団も午後に入って戦場に登場し、戦闘に加わる事となりました。
その歩兵部隊は第18師団がコル農場を発った後に前進を開始し、ヴェルネヴィルの西を目指しました。先行していたヘッセン騎兵旅団(普軍呼称で第25騎兵旅団)は主力をアボンヴィル南東に進めて待機に入り、旅団長フォン・シュロトハイム少将(普軍から「お目付け」で派遣された将軍です)は付属の騎砲兵中隊をヴェルネヴィルへ送ります。
この砲兵中隊は折しも砲撃を開始した第18師団と軍団の砲兵に合わせ、部落東の高台上で砲列を敷き砲撃を行いますが、ほどなく仏軍から集中砲火を浴び、大損害を受けてしまうのでした。
シュロトハイム
この砲兵たちの苦難が始まった午後12時30分前後、フォン・マンシュタイン将軍の下へ午前11時30分発令で正午頃に本営から発送された第二軍命令、「第9軍団は近衛軍団がアマンヴィエの北にある敵右翼を攻撃するまで攻撃を控えよ」が届くのです。
既にこの時マンシュタイン将軍は、攻撃中の仏軍は「右翼端」ではなく中央主力の一部と理解していましたが、文字通り「後の祭」でした。仏軍戦線はアマンヴィエの北方、サン=プリヴァー方面まで延伸しており、この時点でマンシュタイン将軍に出来ることは、「本物」の右翼端を攻撃する近衛軍団に協力するため、現在地を守りつつ北へ転進することでした。
そこでマンシュタイン将軍は、正午過ぎに前衛を引き連れてヴェルネヴィル西郊外へ現れたヘッセン(以下Hとします)師団長ルートヴィヒ公太子に対し、師団をヴェルネヴィル北方のキュセ森で集合させ、そこで近衛軍団が接近するまで待機せよと命じたのです。
これを受けルートヴィヒ王子は師団前衛支隊(H猟兵第2「親衛」大隊、H第4「カール王子」連隊、H砲兵大隊軽砲第1、重砲第1中隊)を率いる第50旅団長フォン・リッカー大佐に命じ、キュセ森北西端にある小部落アヌー=ラ=グランジ(ヴェルネヴィル北西1.8キロ)へ前進させるのでした。
リッカー大佐(ヘッセン)
フォン・リッカー大佐は急ぎ支隊を率いてキュセ森とゾイヨン森との間を通過し、右翼(東側)警戒のためキュセ森西部へ第4連隊第1大隊を送り込み、先頭は猟兵大隊に任せました。大佐はアボンヴィル南東のキュセ森北西端で部隊を留め、2個砲兵中隊はアヌー=ラ=グランジ南の高台緩斜面へ布陣させました。
ところが午後1時、H砲兵はここから遙かサン=プリヴァーとアマンヴィエの間に見えた仏軍砲列に対し砲撃を開始してしまうのです。これが大佐の命令か独断かは分かりませんが、明らかに「近衛軍団が来るまで待て」と命じたマンシュタイン将軍の意図とは違うところにありました。
遠距離の砲戦(3キロ前後)は仏軍を怒らせたものか、かなり激しいものとなり、結果H軽砲中隊の砲1門が破壊されてしまいます。
この少し前、H野戦砲兵部長のフォン・シュトゥムプフ普軍中佐は、H軍人の砲兵大隊長フォン・ヘルゲト少佐と共にアボンヴィルまで騎行して将校偵察を行っていましたが、その結果シュトゥムプフ中佐は前衛の後方から前進中だった師団砲兵の残り3個中隊も前衛砲兵の陣地へ誘導して集合させ、そのまま前進させようとします。するとここへマンシュタイン将軍が現れ、将軍も既に砲戦が始まったことで腹を括ったのか、効果的な陣地と思われるアボンヴィル東側のキュセ森林内で鉄道線が緩やかにカーブを描く部分の高台へ進むよう命じたのです。
この高台に進んだH砲兵は鉄道線の南に重砲第1、鉄道を挟んで北に軽砲第2中隊の1個小隊(2門)、重砲第2、軽砲第2中隊の2個小隊(4門)、軽砲第1、軽砲第3の各中隊が並び砲撃を開始したのでした。
このH砲兵の砲列から東へ2キロ足らずの場所には仏第4軍団のシッセ師団がおり、またその北サン=プリヴァーの南には仏第6軍団ル=ヴァッソール・ソルヴァル師団が散兵線を敷いていました。
これら仏軍部隊は、アボンヴィルの東側に独軍砲兵が進出したと気付くや、それまでヴェルネヴィル北東1058高地の普軍砲兵に傾注していた砲撃を止め、この新たな脅威に対抗し始めたのです。
シッセ師団砲兵は直ちにH砲兵と砲撃戦を開始し、サン=プリヴァーの南に砲列を敷く仏第6軍団砲兵も、ほぼ同じ頃サン=アイル(ヴェルネヴィルの北3.8キロ)東方に現れた普近衛軍団砲兵へ砲撃の重点を変更するのでした。
砲撃戦はたちまち激しいものとなり、当初その硝煙が低く立ち込めたため照準が困難で、ほとんど無照準の砲戦となってしまいます。それでも互いに砲撃は効果を与え続け、仏軍にも損害が相次ぎますがH砲兵もまた犠牲が増大し始めました。また最右翼(南)のH重砲第1中隊では南側キュセ森に進出していた仏軍前衛からシャスポー銃の猛射を浴び、苦境に陥ってしまいました。
それでもこのH砲兵の前進により1058高地の普軍砲兵は、敵の砲撃が減ったことで一息吐くことが出来、またH歩兵部隊も砲撃を被ることなく前進することが出来たのです。
H第4連隊は鉄道線の南、砲兵の後方まで進みました。キュセ森を進むH猟兵第2大隊は第18師団の諸隊(第36連隊第1大隊や第84連隊F大隊など)と連絡し協力して仏軍と戦い始めるのでした。
H師団が戦線に参加しても、仏軍砲兵は変わらず途切れぬ砲撃を続け、仏軍歩兵もドライゼ銃の射程圏外よりシャスポー銃の射撃を続けました。
アボンヴィル方面では独軍は次第にドライゼの射撃を止め、遮蔽物の陰でじっと待機を続けるようになって行きます。ドライゼでは敵に届かず撃っても無駄となるからで、砲兵のみが敵に対抗することが出来る唯一の手段だったのです。歩兵はひたすら敵が突撃して、ドライゼの射程内に入ることを祈っていたのでした。
それでもH猟兵の一部はサン=アイル南方から東へ延びる窪地が仏軍散兵線から遮蔽となっていることに気付くと、ここを通って東へ進み高台へ出、ドライゼ銃でも届く場所を得て攻撃を再開しました。
キュセ森北東角ではH第2猟兵大隊第3中隊が前進し、鉄道堤と東側の林端を守ります。H第4連隊で側面援護のため部隊の南側を進んでいた中隊もこの北東角に達し、砲兵部隊救助のため南下した普軍に代わってこの地を守るのでした。
この間、前衛を出した残りの第49旅団もH第4連隊の後方に進みましたが、この地帯はサン=プリヴァーやアマンヴィエから見通しが効き、砲撃やシャスポーの狙撃が集中してしまいます。一緒に進んでいた師団長ルートヴィヒ王子の副官も戦死してしまいました。この敵からの銃砲火の下、H猟兵第1「近衛」大隊は右翼(南)側東にある小林へ向かい、その先キュセ森北東角で戦闘中の普第84連隊F大隊の第二線に就きました。
第50旅団に属しながらも師団長直轄に指定され、第49旅団の先頭を進んだH第3「親衛」連隊も、敵の銃火を避けつつ右翼に展開する第18師団援護のためキュセ森に入りました。ここでマンシュタイン将軍の意を受けた軍団副官が到着し、軍団砲兵の危機を知らせたのです。
H軍人の連隊長シュトゥンム中佐は普軍砲兵を救うため、直ちに第1大隊に命じ砲列左翼先頭に向け1058高地の際を前進させました。
開けた森縁の窪地では絶え間なく仏軍の銃火が浴びせられたため、大隊はキュセ森の中を進みましたが、やはり夏草に足を取られる行軍は困難を極め、焦りに反してその行軍速度は遅いものとなります。ようやく午後1時30分過ぎ、大隊の先鋒両翼(第1,4)中隊は軍団砲兵の左翼後方に到着します。この時は正に重砲第4中隊が全滅し、2門の砲が森の縁で立ち往生した時であり、H軍兵士は傷付いた普軍砲兵を介抱し、大砲を森の奥の安全な場所まで引いて行くのでした。
この後、H第4連隊第1大隊は普軍砲列直下のキュセ森東南端で集合するのです。
H第3連隊第2大隊(注・既述ですがH軍連隊は普軍と違い2個大隊制です)は第1大隊に続行してアマンヴィエを臨むキュセ森東端に達し、前哨として第6,7中隊を森の縁に展開させました。
午後2時。第9軍団は輜重行李の警備に残った第11連隊第1大隊と、ゴルズ高地周辺で「マルス=ラ=トゥールの戦い」戦死者の埋葬に駆り出されたヘッセン工兵中隊(盛夏の候、その作業は察するに余りあります)以外、ほぼ全力がアボンヴィルからジュニヴォー森の間に展開していました。
その中心となるヴェルネヴィル部落周辺には、軍団予備として第84連隊第2大隊、第85連隊第1、2大隊、第11連隊第2、F大隊、猟兵第9大隊第3中隊、軍団工兵第2中隊が待機しています。この部隊は仏軍が前進に転じるのを待っている前線部隊と同じく、仏軍が「同じ土俵の上」、即ちドライゼ銃の射程内(500m)へ攻め入るか、または仏軍砲兵が手を出せない(4ポンド砲の射程外)3,400m以上に離れるかを待っていたのです。
しかし、仏軍も既に戦い方を学んでおり、シャスポー銃とミトライユーズ砲の優位性を活かした戦い方を始めていました。
普第9軍団は今までとはひと味違う敵の姿を見ていたのです。
仏第4軍団長ラドミロー将軍
この優勢な仏軍により、普軍砲兵8個中隊とヘッセン騎砲兵中隊が一線に並ぶ1058高地尾根は銃砲撃の「嵐」に晒され、その戦闘力は削がれて砲撃もままならず、普軍砲兵たちは意志の力だけで遮蔽物のない高地上に留まっていました。
それを援護すべき普軍の歩兵たちも、小銃弾の届かぬ遠方より銃砲撃を喰らって自らを守るのに精一杯となっていました。
しかし仏軍は敵弾の届かぬ絶対優位な場所からの銃撃と、互角に戦える距離からの砲撃で満足したようで、一部(普軍重砲第4中隊に対する攻撃や、キュセ森東端における再三の突撃など)を除き、全体としては一向に攻めて来なかったのです。
そうとは言え、独軍側も攻撃に転じる余裕などなく、ただ防戦に追いまくられ、前線部隊はひたすら耐えて敵が前進するのを待つだけとなっていました。
こうして普軍が手詰まりに近い状態となる中、仏軍は独第9軍団の砲兵列線をシャスポー銃の射程内に収めるほど近くの低地や、1058高地南のシャンペノア農場(ヴェルネヴィル東北東1.8キロ。現存)付近で隠蔽された陣地線に籠もり、砲兵に損害を与え続けたのでした。
しかし、誰かがこの不利な状況を打開しなくてはならず、その動きも始まりました。
第85連隊F大隊の大隊長、ヴィルヘルム・カール・ヘルマン・ヴォルフ・フォン・ゴッデントーヴ少佐は、ヴェルネヴィルに至ると軍団長から、普軍砲兵線へ向かい砲兵を救援するよう命令されました。
少佐はこの自軍団不利の状況を知るや、部下に背嚢を降ろさせて身軽にさせると、駆け足で北東の砲兵列線に進みます。その先頭は第9,12中隊で少佐自ら先頭に立ち、第10,11中隊も間を空けずに続行しました。
4個の中隊は砲列左翼の後方に2個中隊ずつ集合すると、1058高地に登り、重砲第4中隊が全滅した跡、砲車や荷車が散乱する場所に到着します。更に東進し東を見やれば、前面の低地から北に掛けて仏軍歩兵が集合するのが見え、仏軍は今にも砲兵陣地に突撃するものと信じられました。
F大隊は既に激しい銃砲火を受け、特にアマンヴィエ方面からのロロンセ師団のミトライユーズ砲による損害が大きく出始めていましたが、ゴッデントーヴ少佐は構わず両翼中隊に突撃を命じるのでした。
大隊は密集して弾雨の中を猛進し、一部仏軍歩兵も受けて立ち突進して来ました。少佐は仏軍を引きつけるとドライゼ銃の一斉射撃を加え、これを撃退するのです。この隙に後方に控えた第二線(第10,11中隊)を呼び寄せた少佐は更に200mほど東へ突進し、ここで散兵線を展開して正面の敵に一斉射撃を加えるのでした。
しかし、これは余りにも無謀な行動でした。遮蔽物も少ない荒れ野で仏軍の十字砲火を浴びた大隊は、およそ20分間の戦闘後、見る影もない惨い状態となります。ゴッデントーヴ少佐は馬上で指揮中に榴散弾に直撃されて即死、その副官も戦死して大隊の士官・下士官は死傷する者がほとんどとなってしまいます。即席の陣地では死体や重傷者が累々と横たわり、夥しい血が大地を染めたのでした。
こうしてホルシュタインのフュージリア大隊は力尽き、残った兵士は砲撃を続行する自軍砲列の脇を過ぎ、1058高地を越えて撤退して行きました。急ぎ前線に騎行した第85連隊長、アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン大佐は離散したF大隊の兵士を集合させ、高地の西で待機させるのでした。
この戦闘でF大隊は士官12名・下士官兵約400名を失います。およそ半数を失ったこととなり、大隊としての戦闘力を消失したのでした。
しかし、大隊の犠牲により普軍砲列への仏軍の突撃は阻止され、一時の貴重な時間を普軍に与えたのでした。
負傷しても下がらずに第9軍団砲列を指揮するダラプスキー中佐はこの貴重な時間を利用し、少なくなった弾薬と戦力を回復するため、キュセ森の西へ後退することを決意します。
午後2時30分、後退命令は実行され、各砲兵中隊は中隊長(多くは既に倒れており、小隊長や先任砲長などの代理でした)の指揮で左翼(北)側から徐々に後退を実行するのでした。
仏軍に最も近い最左翼で戦った騎砲兵第2中隊は特に人馬共に損害が大きく、1門につき定数6頭の馬匹を全て失った砲もありました。これらは他の砲車に繋いで人馬併せての力で斜面を下り、その間も無慈悲な銃砲弾は降り注ぎ、砲兵や馬匹を傷付けるのでした。
続く軽砲第3と第4中隊も危険を冒して後退し、重砲第3中隊の番となりましたが、彼らが砲車を大砲に繋いでいる時に、後退に乗じようと遂に仏軍が突撃を敢行したのでした。
中隊長リェールダンス大尉は即座に「霰弾装填」を命じ、目前に迫る敵歩兵に対し砲撃を繰り返して敵を食い止めますが、大尉は銃弾を受けて戦死、他2名の士官も負傷してしまいます。
しかしこの犠牲により仏軍の攻撃は撃退され、逃走する敵に最後の霰弾を投じた後、中隊は仲間を追って整然と高地を降りたのでした。
軍団砲列に続く第18師団砲列でも、その左翼の重砲第2中隊が軍団砲兵を追って後退しました。この中隊も損害が大きく、中隊長は負傷後送され弾薬も欠乏し馬匹もほとんどが傷付き倒れていました。
後退を許された中隊は、後方から送られた馬匹を利用して高地尾根から下りましたが、車輌全部を下げることは出来ず、空荷に近いとはいえ重い5輌の弾薬車と、予備の部品を積んだ馬車は遺棄するしかありませんでした。
その後退した道筋にも当座必要のない物品が捨てられ、キュセ森の中には3輌の砲車が残されたのでした。
こうして午後3時にはヴェルネヴィル北東の砲列はわずか3個(軽砲第1,2、重砲第1)中隊となります。これを指揮するアイナッテン大尉は、元来大尉の中隊である軽砲第2中隊をおよそ150m前進させ、左へ砲を向けて窪地や高地の散兵線に潜む仏軍と対決するのです。これが有効と分かると軽砲第1中隊もその左翼に進みました。
この少し前、損害を受けて一時ヴェルネヴィルへ避難していたヘッセン騎砲兵中隊は弾薬を補充し壊れた砲車等を出来る限り修理すると、動けなくなった1門を除き5門で元の陣地、ヴェルネヴィル東の高台へ復帰しました。アイナッテン大尉が砲兵を前進させた後、この中隊は普軍砲兵の右翼側に並ぶよう命令され、陣地転換しました。新しい陣地は仏軍の前進拠点として残っているシャンペノア農場の南西1キロ足らずの位置で、これは1058高地の普軍砲兵を悩ませ続けたシャンペノア農場を、本格的に攻略する決心を第9軍団本営がしたことによる配置でした。
第9軍団砲兵部長のプットカマー将軍はこの攻撃の「地ならし」をするため、これら残った4個砲兵中隊にシャンペノア砲撃を命じました。
前進したばかりのヘッセン騎砲兵中隊は配置に着くなり砲撃を開始しましたが、目立つ位置にいたため激しい銃砲火を受け、中隊長のフォン・セッフェル大尉はシャスポー銃の銃撃を受けて戦死し、1門の砲は破壊されてしまいました。
しかし普軍3個中隊の18門と、ヘッセン砲兵に残った4門の重軽様々な大砲は至近から激しい銃撃を浴びつつもシャンペノア農場への砲撃を止めず、遂に農場は炎上し始めるのです。
仏軍士官たち
独第9軍団戦闘序列(1870年8月1日時点)
軍団長 アルベルト・エーレンライク・グスタフ・フォン・マンシュタイン歩兵大将
参謀長 ワルター・フランツ・ゲオルグ・ブロンサルト・フォン・シェレンドルフ少佐
砲兵部長 男爵ゲオルグ・ハインリッヒ・カール・フォン・プットカマー少将(砲兵第9旅団長)
工兵部長 スティール少佐(工兵第9大隊長)
☆第18師団
師団長 男爵カール・フォン・ヴランゲル中将
参謀長 ルスト少佐
〇第35旅団 フォン・ブルーメンタール少将
*フュージリア第36「マグデブルク」連隊 フォン・ブランデンシュタイン大佐
*第84「シュレースヴィヒ」連隊 フォン・ウィンクラー大佐
〇第36旅団 フェルディナント・アドルフ・エドゥアルド・フォン・ベロウ少将
*擲弾兵第11「シュレジエン第2」連隊 カール・ハインリッヒ・アウグスト・ゲオルグ・ヘルムート・フリードリヒ・フォン・シェーニング大佐(8/14戦死)
*第85「ホルシュタイン」連隊 男爵フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・ハインリッヒ・エドゥアルド・アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン大佐
〇猟兵第9「ラウエンブルク」大隊 フォン・ミンクヴィッツ少佐
〇竜騎兵第6「マグデブルク」連隊 男爵フォン・ホファヴァルト大佐
〇野戦砲兵第9「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」連隊第1大隊 フォン・ガイル少佐
*重砲第1,2中隊、軽砲第1,2中隊
〇第9軍団野戦工兵第2中隊/器具縦列 フィードラー大尉
〇第9軍団野戦工兵第3中隊 シュルツ大尉
〇第9軍団第1衛生隊
☆第25「ヘッセン大公国」師団
師団長 ヘッセン大公国公子フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・カール・フォン・ヘッセン・ウント・ベイ・ライン中将
参謀長 フォン・ヘッセ少佐/普軍フォン・ハッケヴィッツ大尉
砲兵部長 普軍カール・アウグスト・フォン・シュトゥムプフ中佐
〇第49「ヘッセン第1」旅団 普軍男爵フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フォン・ヴィッティヒ少将
*歩兵第1「近衛/親衛」連隊 コールマン中佐
*歩兵第2「大公」連隊 クラウス大佐
*猟兵第1「近衛」大隊 ラウテンベルガー少佐
〇第50「ヘッセン第2」旅団 ルートヴィヒ・アレクサンダー・フォン・リッカー大佐
*歩兵第3「親衛」連隊 シュトゥンム中佐
*歩兵第4「カール王子」連隊 普軍ツヴェンガー大佐
*猟兵第2「親衛」大隊 ヴィンター少佐
〇騎兵第25「ヘッセン大公国」旅団 普軍男爵カール・ルートヴィヒ・フォン・シュロトハイム少将
*ライター(軽)騎兵第1「近衛シュフォーレゼー」連隊 フォン・グロルマン中佐
*ライター(軽)騎兵第2「親衛シュフォーレゼー」連隊 男爵フォン・ブゼック少佐
*騎砲兵中隊 男爵フォン・セッフェル=ベルンシュタイン大尉
〇野戦砲兵大隊 フォン・ヘルゲト少佐
*重砲第1,2中隊、軽砲第1,2,3中隊
〇ヘッセン工兵第中隊/野戦軽架橋縦列 ブレンタノ大尉
〇ヘッセン衛生隊




