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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
226/534

グラヴロットの戦い/ヴェルネヴィルの砲声

 普第9軍団(デンマーク国境とバルト海沿岸地方の第18師団とヘッセン大公国軍の第25師団による混成軍団)は、第二軍本営より正午に正式発令された「近衛軍団が敵右翼を攻撃するまで待て」という命令受領以前、10時過ぎ発令の第二軍命令に「従って」戦闘を開始しました。


 同時に、第9軍団の砲兵が放った砲撃音により、普近衛軍団とザクセン王国軍である第12軍団も、司令官による独断で午前11時30分発令の第二軍命令受領以前に動き始めるのです。

 この動きを、普参謀本部の公式戦史では「幸いにもこの独断は第二軍司令官の意図した行動と一致した」等と語っていますが、近衛とザクセン両軍団の行動は結果的にそうなっただけであり、第9軍団に至っては全く意図など反映されていない、その本質は「猪武者」のそれでした。


 この時の最左翼(西)、第12「ザクセン」軍団の動きから見てみましょう。


☆普軍第12軍団


 ジャルニーに午前10時過ぎ辺りから順次到着したザクセン軍団は、ライター(軽)騎兵第1連隊をブリエを最北にその東へ派出し、敵の発見に努めました。

 この内、第1中隊のある小隊(12騎前後)は午前11時、バチイイ(ドンクール北東4キロ)付近まで進んだところで仏軍の斥候騎兵と遭遇し、短い時間戦闘となりましたが直ぐに仏軍側が後退します。

 他の1個小隊はコアンヴィル(現オブエの南オルヌ川南岸。サント=マリー北西2.5キロ)付近で同じく敵斥候隊に遭遇しましたが、こちらは直ちに仏側が逃走しました。

 ザクセン騎兵斥候が敵を発見したのはこの2例のみで、ブリエ周辺には全く仏軍を見ることはなかったのです。


 この「ブリエからその南側に敵はいない」との確実な情報を、第12軍団長のザクセン王太子アルベルト歩兵大将が得たのは、およそ午前11時30分、同時に王子は近衛軍団より「ドンクール付近に到着したが、(大本営の命令により)短時間の休憩後前進を再開する」との通報を得たのです。

 これによりアルベルト王子は正午前、次の軍団命令を発しました。


「前衛はオルヌ川(モーゼル川支流)の両岸をヴァルロア及びその対岸モワーヌヴィルに向けて東進せよ。

第23(ザクセン第1)師団の内、前衛の第45(ザクセン第1)旅団はティシェモン(ジャルニー北北東3キロ)へ進み、ポンティ林(現ボワ・ドゥ・フルーリィとその周辺。バチイイ北西2キロ周辺)を占領せよ。第46(ザクセン第2)旅団は軍団長直轄予備となりジャルニーに残留せよ。

第24(ザクセン第2)師団はモンセル城館(ジャルニー南郊外の城館)付近を発し、ドンクールの北をジュアヴィル(ドンクール北東2.3キロ)~バチイイと進み、サント=マリー(=オー=シェンヌ)へ向かえ。

軍団砲兵隊はジローモン(ジャルニー北東3キロ)へ進出せよ」


 アルベルト王子は、仏軍がいると思われるヴァルロアの東側からサント=マリーの前面まで素早く前進し、ザクセン軍団が仏軍右翼端と対峙することを主目的とし、この命令を発したのです。

 王子の考えは、カール王子ら第二軍本営の考えとは微妙に異なっており、サント=マリーの東に敵の大軍が潜んでいるのでは、と疑っていました。

 普軍最左翼であるザクセン軍団の任務は、普軍のドクトリンである外線作戦翼端の鉄則、「包囲殲滅の片翼先端は、速やかに敵戦列の端を押さえ、敵が包囲網の外へ出ないようにする」にあるのです。この時の場合、仏軍がブリエ街道を西へ進み、普軍包囲網の大外をすり抜けてしまうことが最悪のシナリオとなり、アルベルト王子はブリエ街道をサント=マリーの西で速やかに封じ、その南側に布陣して敵右翼を攻撃(包囲)するため前進する近衛軍団の外側(北西)をしっかり守ることが目標となったのでした。

 アルベルト王子はこの軍団の方針をカール王子に通告するため伝令を送ると、前線で指揮を執るためジュアヴィルへ向け第24師団と共に前進しようとしました。


 ところが、正にこの時(正午過ぎ)、「ヴェルネヴィルの砲声」がジャルニーでも聞こえ、ほぼ同時に第二軍本営からも伝令が午前11時30分発令の命令「サント=マリーへ向かえ」を持って到着するのです。

 アルベルト王子は命令を受領すると、自ら発した命令と大きな違いはない、と判断し、若干の「手直し」(軍団予備とした第46旅団も第45旅団に続行して前進)のみ行うと戦いの場へ赴いて行ったのです。


 第12「ザクセン」騎兵師団に対してはこれより先、アルベルト王子から「第45旅団の進むポンティ林付近まで前進し、前衛はヴァルロアへ進め」との命令が送られます。

 しかし、この命令が届く以前に「ヴェルネヴィルの砲声」はピュクスでも聞き取られ、騎兵師団長のツール=リッペ将軍は直ちに行動を起こしていました。

 この時、槍騎兵第17連隊はピュクス西方で北ルートの封鎖任務を続行するため残留、槍騎兵第18連隊は偵察任務のため既にブリエに向かっていました。


 第12軍団は午後1時頃、以下のような状況となっています。

 

〇前衛支隊 オルヌ河畔のヴァルロアとモワーヌヴィル付近に到着。

〇第45旅団 ドンクールの北西をポンティ林に向け前進中。

〇第46旅団 第45旅団に続行し前進中。

〇第24師団(第47、48旅団) サント=マリーに向けジローモンの北を行軍中。

〇軍団砲兵隊 第24師団の後方をジローモンに向けて前進中。

〇騎兵師団前衛(2個連隊と騎砲兵中隊) ポンティ林に向けてジャルニー付近を前進中。

〇槍騎兵2個連隊(ニッダ少将指揮) ブリエ付近とピュクスの西で北ルートとブリエ街道を監視中


☆普軍近衛軍団


 午前中一杯ドンクール(=レ=コンフラン)への前進行軍に費やした近衛軍団は、ドンクールの町で普仏両軍の負傷者数百名を発見、収容します。これは16日の会戦で負傷し収容された将兵で、仏軍が退却に際し足手まといとなったため置き去りにされたものでした。


 午前11時頃、近衛第1師団(以下『近1師』とします)はドンクールの街地に到着し、軍団の他の部隊はブリュヴィル付近を通過中でしたが、この時午前10時発令の第二軍命令「近衛軍団はヴェルネヴィルへ前進継続せよ」が届くのです。


 しかし、軍団長のアウグスト・ヴュルテンベルク王子は同じ頃、自らの命令でバチイイ付近からその先を偵察させた近衛驃騎兵連隊の1個中隊からの報告、「サント=マリーに仏歩兵あり。またサン=プリヴァー付近には多くの軍勢が集合している」を受けており、これによって敵仏軍の陣地線は「アマンヴィエの更に北、サン=プリヴァー付近まで延伸している」と確信したのです。

 アウグスト王子は軍命令に従いながらも新たな情報に則して軍団を動かす決心をし、まずはブリュヴィルに達していた近衛第2師団(以下『近2師』とします)の行軍列をサン=マルセル方向へ曲げ、ヴェルネヴィルへ目的地を変更させました。続いて残りの部隊(近1師・近衛軍団砲兵・近衛騎兵師団)をドンクールからジュアヴィルを通過しアボンヴィル(ヴェルネヴィル北2.3キロ)まで前進するよう命じたのです。


 アウグスト王子がこの命令を第二軍本営へ報告した後、再びバチイイ付近から近衛驃騎兵中隊長の伯爵フォン・デア・グリューベン大尉から報告が届き、「敵歩兵並びに騎兵がサン=プリヴァーからサント=マリーに向かい前進した」、続けて「敵歩兵中隊と騎兵の数個中隊は、小部隊に分かれてサン=プリヴァーからサント=マリー、サン=アイル、アボンヴィルにそれぞれ向かい、サン=プリヴァー~サント=マリー間にあった野営は撤去されたようだ」とのことでした。

 また、近1師団長フォン・パーペ少将は残った近衛驃騎兵3個中隊もアボンヴィル及びサン=アイルに向け出立させましたが、目的地に敵の出現を知った午前11時30分、前衛支隊の歩兵(フュージリア連隊と猟兵大隊)もこれを追って進み始めたのでした。

 この直後に近衛兵たちも「ヴェルネヴィルの砲声」を聞くことになりましたが、この時には近衛軍団は戦闘準備が整って行軍を再開しており、アウグスト王子はただ両師団長に対し、「行軍は迅速に行う」よう訓示するだけでした。


近1師(軍団砲兵の一部)ドンクールからの行軍序列


〇前衛支隊(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトール・フォン・エルッケルト大佐)

・近衛驃騎兵連隊(1個中隊欠/先行)

・近衛フュージリア連隊

・近衛野戦砲兵軽砲第1中隊

・近衛猟兵大隊

〇本隊(アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ少将)

・近衛野戦砲兵重砲第1,2、軽砲第2中隊

*近衛第2旅団(男爵アレクサンダー・フリードリヒ・ハインリッヒ・エーベルハルト・フォン・メーデム少将)

・近衛歩兵第2連隊

・近衛歩兵第4連隊

*近衛第1旅団(ベルンハルト・ハインリッヒ・アレクサンダー・フォン・ケッセル少将)

・近衛歩兵第1連隊

・近衛歩兵第3連隊

・近衛工兵第1中隊

・近衛野戦砲兵重砲第3,4、軽砲第3,4中隊

・近衛野戦砲兵騎砲兵第2中隊

 

 近2師がヴェルネヴィルへ向かって前進した際、師団所属の近衛槍騎兵第2連隊は先行してコル農場の北東側、ゾイヨンの林へ向かうよう師団長のルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将から命令されました。また、歩兵行軍の先頭を進んでいた近衛擲弾兵第4「アウグスタ王妃」連隊から1個大隊が抽出され、槍騎兵に続行しました。

 また、師団砲兵(4個砲兵中隊)は歩兵行軍列の後尾に接して集合し、師団はちょうど南東からブリュヴィルに接近していたフォークツ=レッツ大将の第10軍団の目前を急ぎ横切る形となり、ギリギリで混乱を回避することとなります。


 正午を廻り、「ヴェルネヴィルの砲声」が激しくなる中でアウグスト王子は午前11時30分発令の第二軍命令を受領しました。この命令は前述通り「ヴェルネヴィルからアボンヴィル(ヴェルネヴィル北2.3キロ)へ向かい、更にアマンヴィエ付近で仏軍を攻撃せよ」という主旨でしたが、この時点では王子の発した命令は変更する必要もなく第二軍の目的に沿ったものとなっていたのです。


☆第二軍本営


 「まとまった数の仏軍部隊がサン=プリヴァーにあり、サント=マリーやアボンヴィルへ進んでいる」との近衛驃騎兵の報告は、午後1時頃、ヴェルネヴィルへ急ぐカール王子ら第二軍本営の下へ届きました。

 この情報はさぞや第二軍首脳陣の背筋を凍えさせる衝撃を与えたことでしょう。

 カール王子は直ちに自軍左翼へ増援を送ることを決し、第二軍参謀長のフォン・スティール少将は、ちょうどサン=マルセルに到着した近2師に対し、第二軍本営の権威により軍団長命令の変更を行い、アボンヴィルへ進むよう命令するのでした。師団は命令に従ってコル農場へ向かうと、そのまま北上しアボンヴィルへ進むのでした。

 これにより、近衛軍団は主力全てがアボンヴィルへ向かうということになったのです。


 この後カール王子とスティール参謀長らは、次第に激しくなる砲声に急かされ、「フォン・マンシュタイン将軍は仏軍中央の陣地を右翼端と見誤って攻撃を始めたのではないか」という暗い予感の下、第9軍団の戦場へ至るのでした。


☆第9軍団


 独軍でも特殊な混成軍団となったフォン・マンシュタイン歩兵大将の第9軍団は、第二軍が定めた北ルート上の目標である「コル農場」に到着すると、係争の地シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の師団である第18師団を北ルートの北側、南北に分断された大公国ヘッセンの合同師団である「普軍末尾番号」第25師団を街道南側に、それぞれ待機させました。

挿絵(By みてみん)

マンシュタイン大将

 既にマンシュタイン将軍はヘッセン騎兵旅団に命じ、北方の仏軍戦線がどこまで延びているのか偵察させていましたが、この頃に届いた斥候の第一報は「ヴェルネヴィルの北に敵を見ず」というもので、マンシュタイン将軍はこれを大本営へ転送すると、「しばらく時間があるはず」と踏んで、長い一日になりそうな予感から「兵士に飯を食わせておこう」とばかり、炊事と給水を命じたのです。

 両側の軍団、右翼の第8、左翼の近衛軍団とは騎兵部隊を放つことで連絡を付けます。また、敵がいる気配濃厚なヴェルネヴィルに面しては第18師団から前衛支隊(竜騎兵第6「マグデブルク」連隊、フュージリア第36「マグデブルク」連隊、猟兵第9「ラウエンブルク」大隊、野戦砲兵第9「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」連隊重砲第1中隊)を出し、これを第35旅団長のフォン・ブルーメンタール少将に任せるのでした。

挿絵(By みてみん)

ハインリッヒ・フォン・ブルーメンタール

 この「ブルーメンタール支隊」がゾイヨンの森を通過して前進すると、所々で仏軍斥候騎兵が逃げ去るのを目にし、ヴェルネヴィルの部落では慌てふためいて村外へ脱出する仏兵を見ることとなり、部落の遥か東側には仏軍歩兵と騎兵部隊が待機しているのを望見するのです。

 しかし仏軍は普軍に攻撃を仕掛けず、ブルーメンタール将軍は午前10時過ぎ、前哨をゾイヨン森とジュニヴォー森との間に送って南東側の敵を警戒し、仏兵の去ったヴェルネヴィル部落を占領すると、報告を第9軍団本営へ送ったのでした。するとマンシュタイン軍団長から返信があり、「前衛は現在位置に留まり敵を監視するに留め、戦闘は避けるように」との主旨を命令されたのです。


 前衛がこのまま敵と対峙すること45分、マンシュタイン将軍の下に午前10時発令の第二軍命令、「ヴェルネヴィルからラ・フォリの家(東へ3.5キロ)を目標に前進し『仏軍右翼がそこにあれば』まず砲兵を集中展開し砲撃から攻撃を開始せよ」が届くのでした。

 命令には付属して「同地にある森林、家屋を占領するが次の命令が届くまでは占領した地点より前進してはならない」ともありました。


 この命令を受け取ったマンシュタイン将軍は、直ちに第9軍団の本隊に前進を命じます。同時にヴェルネヴィルのブルーメンタール将軍にも、躊躇いなくラ・フォリの家への前進を命じたのでした。


 第9軍団は午前11時過ぎにコル農場及びサン=マルセルの北側から行軍を開始、第18師団の残部(第36旅団主幹)を先頭に、軍団砲兵隊、第25「ヘッセン」師団の順となり、部隊は密接して北東へ4キロほどのヴェルネヴィル目指して前進しました。

 軍団長フォン・マンシュタイン将軍は幕僚と共にこの行軍列に先行し、前衛のいるヴェルネヴィル付近に達します。将軍は付近の高地に登ると、北のアマンヴィエ付近から前方のラ・フォリの家、そしてライプツィヒ農場付近までを見晴るかし、自ら敵の様子を観察するのでした。


 マンシュタイン将軍の見たところ、仏軍は実に「のんびりとした」もので、アマンヴィエ付近の野営は既にヘッセン騎兵により監視されており、その報告から推察する状態も、将軍の観察通り「警戒少なく休憩中のよう」でした。

 更に北の地はキュセ森(ボア・ドゥ・キュセ。当時ヴェルネヴィルの北からアマンヴィエの北に広がっていた森林地帯)が邪魔となり見通すことは出来ません。そのため、マンシュタイン将軍の目にはサン=プリヴァーで展開する1個師団以上の仏軍野営が見えなかったのでした。


 この運命の時間(午前11時30分頃)、既に北へ放ったヘッセン騎兵からは「サン=プリヴァーに仏軍野営あり」「サント=マリーに敵が進みつつあり」と言った報告が入りつつありました。また、軍の命令では、『仏軍右翼がそこにあれば攻撃』と言って来ていました。

 しかし、マンシュタイン将軍は、「現状を見るに、おそらくは目前の敵が右翼(の主力)であり、また、敵には休息を取るかのような気の緩みが見られる。状況の如何を問わず、今は敵の不意を突いて攻撃する好機であり、決してこれを逃してはならない」と決心するのでした。折しも前進した前衛が戦闘を始めた証拠に、激しい銃声が東側から響いたのです。


 この少し前の午前11時15分頃。

 名門軍人の家系で、皇太子の片腕として高名な5歳年長の従兄弟を持つフォン・ブルーメンタール少将は、マンシュタイン将軍からの伝令が差し出す「ラ・フォリの家まで前進せよ」との命令を受け取るや、直ちに第36連隊の2個大隊と第9猟兵大隊から3個中隊を抽出し、これを自ら率いるとヴェルネヴィル南郊から出発、まずはシャントレンヌの農場(ヴェルネヴィル東南東1.5キロ。宿泊施設として現存)まで前進しようとしました。ところが、ここで仏軍から猛烈な抵抗を受けるのです。


 このシャントレンヌ周辺は仏軍の強力な拠点と化していて、旅団クラスの仏軍が展開しており、進み来る普軍に対し銃弾が雨霰と降り注いだのです。

 シャントレンヌ一帯は見通しの良い耕作地ですが、生垣や並木が耕作地を遮って天然の散兵線となっており、仏兵はここを上手く利用してシャスポー銃で猛烈な銃撃を行ったのでした。およそ1個連隊の兵を率いていたブルーメンタール将軍も、この激しい銃撃では先に進むのは無理と判断、後方に応援を乞う伝令を送ると、遮蔽物に頼って我慢の銃撃戦を開始したのでした。

 しかし、もうその時には攻撃の重点が更に北へと移動し、前衛の残りは軍団長に使われていたのです。


 フォン・マンシュタイン将軍は攻撃を決すると、前衛でシャントレンヌへ向かった部隊以外をヴェルネヴィルに留め、軍団砲兵部長の男爵ゲオルグ・ハインリッヒ・カール・フォン・プットカマー少将に対し、「第18師団砲兵と軍団砲兵を率いてアマンヴィエからモンティニー城館にかけて布陣する仏軍右翼に対し砲撃を開始せよ」と命じたのでした。

 

 この命令に対し直ちに反応可能だったのは前衛支隊に付いて来た野戦砲兵第9連隊重砲第1中隊でした。

 この中隊は午前11時45分、ヴェルネヴィルの東高地上に登ると砲列を敷き、仏軍の野営と陣地線に対し砲撃を開始します。しかし直ぐにこの距離では敵に届かないと察して砲撃を中止、もっと敵に接近するため陣地転換を始めるのです。


 普軍の砲兵隊は軍団がコル農場に達した時、軍団長から「給水と炊事」を命じられたため、砲兵は薪や水を求めて付近の林や井戸を探し、馬卒たちは曳き馬に水を飲ませるため、近くの川や泉に散っていました。そこへ突如集合が掛けられ、前進を急かされたため行軍は混乱の内に行われ、落ち着く間もなく戦闘準備を命じられていました。彼らは、この静と動の切り替えが儘成らない精神状態のまま、最前線に送り出されたのです。

挿絵(By みてみん)

プロシア砲兵(旧式砲を扱っています)

 マンシュタイン将軍は、前衛の砲兵中隊が射程距離外の遠距離から砲撃を始めた失敗に焦ったのか、到着しつつある第18師団砲兵隊(野戦砲兵第9「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」連隊軽砲第1,2中隊、重砲第2中隊)に対して、「直ちにアマンヴィエからヴェルネヴィルに向かって緩やかに下る高地線の南側(標高1058フィート、約323mの高地)に前進し砲列を敷く」ように命令したのです。

 これを率いるプットカマー将軍は1058高地際で砲兵を待ち、到着した中隊から各個に右へ転回させ、その最右翼(南西)には前衛の重砲第1中隊が砲列を揃えるのでした。

 軍団砲兵隊(野戦砲兵第9連隊軽砲第3,4中隊、重砲第3,4中隊、騎砲兵第2中隊)はこれに続いて到着し、直ちに師団砲兵の左翼側(北東)に砲列を延伸したのでした。


 この砲兵陣地は地形に適応して高地に沿って砲が並べられ、敵に対し撃ち下ろす形の理想的な陣地と見えました。

 ところが、この地はたちまち普軍砲兵にとっての地獄と化す運命にあったのです。


挿絵(By みてみん)

クルップ・C64 6ポンド重砲


ヴェルネヴィル・第9軍団の戦場(両軍配置は午後5時時点)


挿絵(By みてみん)

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