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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
224/534

グラヴロットの戦い/1870年8月18日午前(後)

 普国王ヴィルヘルム1世の甥で独第二軍総司令官、フリードリヒ・カール・ニコラウス・フォン・プロイセン親王騎兵大将は18日午前5時と午前5時30分、それぞれマルス=ラ=トゥール(近衛、第12、10)とヴィオンヴィル(第9、3)に軍団長を招き、本日の命令を直接口頭にて伝えます。


「第二軍は敵のベルダン及びシャロンへの退却行を遮断し、また敵がどこにあっても遭遇すれば直ちに攻撃するという大方針を以て、本日前進を継続することに決した。

この目的完遂のため、第12軍団は最外左翼となり直ちに出撃し、その右翼後方に近衛軍団が、またその右翼後方には第9軍団が、それぞれ等しく運動を起こし、第12軍団はジャルニー、近衛軍団はドンクール(=レ=コンフラン)をそれぞれ目指すこと。

第9軍団はヴィオンヴィル~ルゾンヴィル間を経て左翼をサン=マルセルに接しコル農場(サン=マルセル北東1.5キロにある北ルート上の農場。現存)まで前進せよ。第3軍団は第9軍団に続行し第9と近衛両軍団の中間を進むこと。

騎兵第6師団は第3軍団長の隷下となり、同軍団砲兵隊は軍の砲兵総予備として軍司令官の隷下直属となる。

第10軍団は第12軍団に続行し、第12と近衛両軍団の中間を進むこと。騎兵第5師団は第10軍団長の隷下となる。

敵は昨夜コンフラン(=アン=ジャルニジー)方向に進んだと言う。また、昨日グラヴロット周辺で確認された敵3個師団は、おそらくはこれに続いて西へ向かったものと思われる。この想定が外れた場合は(敵はグラヴロット周辺に留まっているので)シュタインメッツ将軍麾下の第一軍が出撃し敵を攻撃するであろう。この場合、第9軍団は真っ先に第一軍の戦闘に参加せよ。

第二軍は現時点において右(東)へ転回すべきか左(西)へ転回すべきかの判断が出来ない。諸官においては比較的短距離に目標を設定しこまめに前進せよ。行軍に際しては師団単位で密集し、団隊は間隔を詰め、横に広がらず縦長となる縦隊を以て進むこと。

なお、各軍団の砲兵隊は所属軍団2個師団の中間に置いて行軍せよ。」


 同時にカール王子は情報として、第8軍団は第9軍団の右翼(東側)後方を、また第7軍団は更にその遙か右翼後方をメッス方面に向かい前進すること、第2軍団が本日午後には軍の総予備としてゴルズ高地に到着すること、敵の戦力は10万から12万の間と想定すること(正確な想定です)、等を軍団長たちに話しています。


 ここで一つ問題となるのは第12軍団の行軍でした。

 西側大外を進むよう命令されたザクセン軍(=第12軍団)は17日夜、マルス=ラ=トゥールからピュキューにかけて野営していました。片や近衛軍団はイロン川の西側、アノンヴィル(=シュゼモン)方面で野営し、全軍最左翼となっていたのです。

 命令通り近衛軍団がザクセン軍の目標、ジャルニーより東側にあるドンクールへ進むと両軍団は途中で行軍列が交叉する事になります。

 近衛軍団長のアウグスト王子は、この両軍団が交叉する際に生じる混乱を憂い、行軍を入れ替えるようカール王子に上申するのでした。

 しかし第二軍本営はこれに対し、

「軍左翼は直ぐにでも臨機に機動を行う命令が下るはず(右行きか左行きかの問題)であり、また、近衛軍団は軍の根幹となる精鋭なので出来るだけ中央に置いておきたい。従って両軍団とも密集して行動すれば十分に混乱・渋滞を避けることが出来ると信じるので、命令に変更はない」

としたのです。

 17日午後1時発令の第二軍命令に従うなら、近衛軍団はザクセン軍の後方(ピュキュー付近から以南)にあったはずでした。この「入れ違い」は、近衛軍団に命令変更を伝えるのが遅れた第二軍本営の責任です。これはそれでも作戦を変更せず、あくまでも我を通そうとするカール王子ら第二軍本営の「意地っ張り」な命令にも思えるのでした。


 奇しくも近衛のアウグスト・ヴュルテンベルク親王も第12軍団のアルベルト・ザクセン王太子も、普王国からは「ライバル」と呼べる別の国の王子様です。この普国王の甥カール王子が下した裁定は密かにライバル・功名心を抱く両者に微妙な影響を与えたのではないか、と思います。

 片やアウグスト王子は、「精鋭の近衛は、国王が臨場する戦場でこの位の困難など意に介さず処理して貰いたい」とでも言いたげな、古くからの付き合いのカール王子に対する「ならば見ておれ」という自尊心を、

 片やアルベルト王子は、「ザクセン軍は黙って命令に従い、普近衛に中央を譲って、大外で仏軍の先頭を抑えて貰えればいい」などと考えているのではないかと疑う「4年前の敵大将」カール王子に対する反骨心を、

それぞれ煽られたのではないか、と想像してしまうのです。


 本当のところは分かりませんが、この両軍団の奮戦により大会戦の結果が左右されたところを見ると、これは3名の王子様の「プライド」がぶつかり合った結末だったのでは、などと筆者は思うのです。


 話に戻りましょう。


 カール王子は命令を与え「直ちに始めよ」と行軍を開始させると、与えた命令をヴィオンヴィルから南東1.5キロ先のフラヴィニーの丘にいる大本営に報告しました。

 カール王子は、まず麾下軍団を全てエテンに通じる「北ルート」(グラヴロット~コンフラン~エテンへ通じる街道)へ進め、既にこの街道西側をザクセン騎兵(騎兵第12師団)が抑えていたため、敵が西へ進んだ場合ここで第二軍は会敵するだろう、もし敵がいない場合は第一線の第12、近衛、第9がそれぞれジャルニー、ドンクール、コル農場で街道に達した後、状況に応じてその先の命令を与えよう、と考えたのでした。

 これは正しく「遭遇戦」を望む形で、独側が仏軍の動きを読めず、偵察も不十分だった証左となるものでした。また、敵が真横近距離にいる可能性が高いのにほぼ直進するという、将兵に対して信頼と自信がなくしては行えない「強気」の作戦だったと言えるでしょう。


 かくして第二軍の第一線となる近衛、第12、第9の3個軍団は午前5時以降野営地を引き払い行軍準備を整え、直ちに出立したのでした。


挿絵(By みてみん)

ゴルズ高地を行く普軍


 アルベルト・ザクセン王子は行軍当初、マルス=ラ=トゥール郊外に野営した第23師団から前衛をジャルニーへ先発させ、追って第108「ザクセン=フュージリア」連隊を先鋒にして午前5時45分前進を開始しました。

 

☆第12「ザクセン王国」軍団ジャルニーにおける行軍列


○前衛支隊(第23師団より抽出/第45「ザクセン第1」旅団長エルンスト・アドルフ・フォン・クラウスハアー少将) 

※ジャルニーまで先行し、左翼のブランヴィルまでを捜索。


・ライター騎兵第1「王太子」連隊

・フュージリア第108「ザクセン」連隊

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊軽砲第2中隊

・工兵第12「ザクセン」大隊第2中隊

・ザクセン第1衛生隊


○第23「ザクセン第1」師団本隊(ゲオルグ・ザクセン親王中将指揮)

※旅団毎にジャルニー街道の両側を前進し、前衛より徒歩行軍で半時間の差を保ちつつ前進。


*第45「ザクセン第1」旅団

・擲弾兵第100「ザクセン第1/親衛」連隊

・擲弾兵第101「ザクセン第2/普国ヴィルヘルム国王」連隊

(注・フュージリア第108連隊は前衛)

*師団隷下諸隊

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊重砲第1,2、軽砲第1中隊

・工兵第12「ザクセン」大隊第4中隊/器具縦列

*第46「ザクセン第2」旅団(アルバン・フォン・モンベ大佐)

・歩兵第102「ザクセン第3/王太子」連隊

・歩兵第103「ザクセン第4」連隊

○軍団砲兵隊( ベルンハルト・オスカー・フォン・フンケ大佐)※第46旅団に合流し前進。

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊重砲第5,6、軽砲第5中隊

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊重砲第7,8、軽砲第6、騎砲兵第2中隊

・ザクセン第3衛生隊


○第24師団(エルウィン・ネールホッフ・フォン・ホルダーベルク少将)

※ピュキューの野営を直ちに払って前進を開始、マルス=ラ=トゥールを経て先行する第23師団と同じく旅団毎に街道両側に分かれて前進。


*第47「ザクセン第3」旅団(フォン・レーオンハルディ少将)

・歩兵第104「ザクセン第5/フリードリヒ・アウグスト王子」連隊

・歩兵第105「ザクセン第6」連隊

・猟兵第12「ザクセン第1/王太子」大隊

*第48「ザクセン第4」旅団(フォン・シュルツ大佐)

・歩兵第106「ザクセン第7/ゲオルグ王子」連隊

・歩兵第107「ザクセン第8」連隊

・猟兵第13「ザクセン第2」大隊

*師団隷下諸隊

・ライター騎兵第2連隊

・野戦砲兵第12「ザクセン」連隊重砲第3,4、軽砲第3,4中隊

・工兵第12「ザクセン」大隊第3中隊/野戦軽架橋縦列

・ザクセン第2衛生隊


○騎兵第12「ザクセン」師団(伯爵フランツ・ウント・エドラー・ヘル・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト少将)

※パルフォンドリュプトを発して東へ進み、ピュクス(ジャルニー西6.5キロ)へ前進。1個連隊をピュクス西方に残留させ、エテン及びブリエに通じる街道を絶えず監視下に置く。


*騎兵第23「ザクセン騎兵第1」旅団(カール・ハインリッヒ・タシーロ・クルーク・フォン・ニッダ少将)

・ザクセン近衛ライター騎兵連隊

・槍騎兵第17「ザクセン第1」連隊

*騎兵第24「ザクセン騎兵第2」旅団(フリードリヒ・モーリッツ・アドルフ・ゼンフ・フォン・ピルサッハ少将)

・ライター騎兵第3連隊

・槍騎兵第18「ザクセン第2」連隊

*野戦砲兵第12「ザクセン」連隊騎砲兵第1中隊


 第23「ザクセン第1」師団は命令に従って各旅団を2個の梯団にまとめると前哨を収納して午前7時、ジャルニーに向け出立しました。

 これに先立って軍団砲兵隊は第46旅団の野営地に集合し、歩兵の行軍列に加わって前進を開始、ピュキューの第24師団はかなり密集した行軍列を成して午前9時にはマルス=ラ=トゥールを通過するのでした。


 この時には既に前衛のクラウスハアー支隊はジャルニーに到着し、市街地北を流れるオルヌ川に沿って前進を継続、ヴァルロア方面まで北上を計るのでした。これは独断ではなくアルベルト王子が直接支隊長に命じたもので、ブリエの南側を抑えることで、その北4キロにある要衝ブリエから、南東サント=マリーへ向かう街道と、南西ジャルニーに向かう街道両方を前衛が管制出来ることを狙った王子の深謀でした。

 この時、前衛に同行しライター騎兵第1連隊の1個中隊と共に先行した、ザクセン王国参謀のハインリッヒ・レオ・フォン・トライチュケ大尉は午前8時45分、ラブリー(ジャルニー北郊外)から報告し、「敵の歩兵と砲兵はヴァルロア西に、他の目立つ歩兵縦隊はドンクールの北に在り」と告げたのです。

 本隊は午前9時からジャルニー周辺に到着し始め、ザクセンの精鋭たちは近衛軍団が進む手筈のドンクール方面に対し、その到着まで部落の西側を警戒し援護する余裕まで見せたのでした。


 トライチュケ大尉は斥候を率いて前衛から先行し、ヴァルロアまで進みます。ここではちょうど退去する仏軍斥候隊に遭遇しますが逃げられてしまいました。既にブリエの南側には敵は消え失せており、大尉はさっそく訂正報告を発するのでした。


「先の報告を改める。既にブリエに至るまでの地域に敵影なし」


 トライチュケ大尉はザクセン軍団が直ちにブリエまで前進し、敵が東より行軍する筈の街道を押さえてしまうべきだろう、と考えるのでした。


 しかしザクセン軍団長のアルベルト王子は、カール王子の性格から察して、「カール王子からは、ただ第一線の3個軍団で北ルートに達することとの命令を受けただけであり、多分ザクセン軍の独断によるブリエ街道までの前進は許すまい」と考えていたのです。

 アルベルト王子はカール王子宛に伝令を走らせ、自身の行動に対しては意見を添えず「第12軍団はジャルニーに到着した。ここで待機する」とだけ報告し、フォン・トライチュケ大尉の報告(既に最初の報告「敵はヴァルロアの西とドンクールの北にあり」は第二軍本営に送付された後でした)は誤認であり、実際はブリエまで敵影なし、と報告したのでした。


 近衛軍団は午前5時30分、アノンヴィル周辺の野営を撤去し、まずはベルダン街道をマルス=ラ=トゥールまで進みました。この地の西側で停止し、ザクセン軍の後衛、第24師団が北上して行くのを見守ったのです。

 この辺りがアウグスト王子の冷静なところで、ザクセン軍団と張り合わず、東進して実際にザクセン軍団の動きを見ることで混乱を避けようとしたのです。

 もし、アウグスト王子がプライドから、イロン川を北上してザクセン軍と並進競争したり、ザクセン軍の鼻先を横切ったりしていたら、この日は更に悲惨なことになるところでした。

 アウグスト王子はザクセン軍の最後の行軍列がベルダン街道を横断し、ジャルニー街道を北上して行くのを見届けた後、ようやくドンクールへ向けて行軍を開始したのでした。

 これに続行する第10軍団も午前10時、トロンヴィル周辺から出発したのです。


☆近衛軍団・ドンクールまでの行軍列


○前衛支隊(近衛第1師団より抽出)

・近衛驃騎兵連隊

・近衛フュージリア連隊

・近衛野戦砲兵軽砲第1中隊

・近衛猟兵大隊


○近衛第1師団主力(アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ少将)

*近衛第1旅団(ベルンハルト・ハインリッヒ・アレクサンダー・フォン・ケッセル少将)

・近衛歩兵第1連隊

・近衛歩兵第3連隊

*近衛第2旅団(男爵アレクサンダー・フリードリヒ・ハインリッヒ・エーベルハルト・フォン・メーデム少将)

・近衛歩兵第2連隊

・近衛歩兵第4連隊

(注・フュージリア連隊は前衛)

*師団隷下諸隊

・近衛野戦砲兵重砲第1,2、軽砲第2中隊

・近衛工兵第1中隊/野戦軽架橋縦列

・近衛第1衛生隊


○軍団砲兵隊(フォン・シャーベニング大佐)

・近衛野戦砲兵騎砲兵第1,2,3中隊

・近衛野戦砲兵重砲第3,4、軽砲第3,4中隊

・近衛第3衛生隊


○近衛第2師団(ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将)

*近衛第3旅団(オットー・アウグスト・クナッペ・フォン・クナップシュタット大佐)

・近衛擲弾兵第1「露国アレクサンドル皇帝」連隊

・近衛擲弾兵第3「英国エリザベス女王」連隊

*近衛第4旅団(エミール・アレクサンダー・アウグスト・フォン・ベルガー少将)

・近衛擲弾兵第2「墺国フランツ皇帝」連隊

・近衛擲弾兵第4「アウグスタ王妃」連隊

*師団隷下諸隊

・近衛歩兵シュッツェン(散兵)大隊*

・近衛槍騎兵第2連隊

・近衛野戦砲兵重砲第5,6、軽砲第5,6中隊

・近衛工兵第2中隊/器具縦列

・近衛工兵第3中隊

・近衛第2衛生隊


○近衛騎兵第1「重/胸甲」旅団(伯爵フリードリヒ・ヴィクトール・グスタフ・フォン・ブランデンブルク少将)

・近衛騎兵ガルド・ドゥ・コール(教導)連隊

・近衛胸甲連隊


※第10軍団に隷属していた近衛第3「竜騎兵」旅団はこの行軍中に軍団行軍列最後方に追い付き、軍団に復帰しました。また、前述通り近衛騎兵第2「槍騎兵」旅団はムーズ川方面にいます。

※近衛歩兵シュッツェン大隊とは、スイスのプロシア飛び地だったヌーシャテルの傭兵隊を起源とする、近衛猟兵大隊と同格の精鋭軽歩兵大隊(制服は猟兵に似ています)。「シュッツェン」とは「守る」の意。(詳細はケーニヒグレーツの戦い普軍の戦闘序列の章を御覧ください)


 第9軍団の前哨は18日早朝、ルゾンヴィル北方の林間で仏軍斥候隊を発見し、この敵が逃走した方向から、「敵は北西方向へ向かい行軍するようだ」と報告しました。

 この他には特別気になる報告はなく、第9軍団は早朝から予定通りサン=マルセル~コルに向かって前進を始めましたが、これに追従する筈だった第3軍団は、大本営から「状況に応じて第一軍を援助するため」ヴィオンヴィルにて待機となりました。


 普大本営は早朝に放った騎兵斥候から入った報告から、「敵の主力はメッス方面へ退却し、右翼はアマンヴィエ付近にいる」と確信します。

 敵仏軍が西進しないとなれば、ブリエ街道まで前進する必要はなくなります。

 普参謀本部は午前8時、フリードリヒ皇太子に信頼され参謀本部随一の秀才と詠われた「モルトケの懐刀」、ユリウス・フォン・ファルディ中佐をヴィオンヴィルの第二軍本営に送り込み、カール王子に対し大本営の目論見を詳細に伝えたのでした。

 この後、第一線の3個軍団が進むに連れ、仏軍がドンクール~ヴァルロア~ブリエの線より西にいないことがはっきりすると、大本営は「第一軍により敵の正面左翼を、また第9軍団により敵右翼を攻撃し、近衛軍団は予備として待機、その他の軍団はその場で一時停止する」との作戦を考えるのでした。


 この大本営の考えをファルディ参謀より聞かされたカール王子は、その準備として第二軍の第一線3個軍団に「北ルートに到達したらその街道脇で停止せよ」との命令を送付します。

 これとは別に、攻撃の先陣となる第9軍団長フォン・マンシュタイン大将に対して、「ライプツィヒ農場並びにサン=プリヴァー方面へ騎兵部隊を送って敵の有無を確認し、同時に近衛軍団と連絡を取って連携せよ。騎兵の斥候報告は、残らず直接第二軍本営と参謀本部のモルトケ大将に送付すること」と命じました。


 マンシュタイン将軍はこの命令を、軍団前衛がちょうどコル農場へ達した時に受け取ります。将軍は第18師団を「北ルート」街道の北側沿道に、第25「ヘッセン大公国」師団を街道の南側沿道に展開させると、第18師団に対し、「ゾイヨンの林(現コルの東1.5キロのボア・デ・ゾイヨン。当時は現在より広くコルの北まで広がっていました)とバニューの家(コルから街道に沿って東2.5キロ。現存)北方の間に前哨を出しヴェルネヴィル方面を警戒せよ」と命じるのでした。


挿絵(By みてみん)

普軍の行進(グラヴロット)


 第9軍団の右翼(東)後方からはフォン・ゲーベン大将の第8軍団が進みます。

 午前6時にゴルズを発った軍団は、ルゾンヴィルまで比較的ゆっくりと前進し、前衛支隊はルゾンヴィルを越えてヴィレ=オー=ボア目指し進みました。側面警戒と連絡のために先行した驃騎兵第7連隊の第1,2中隊は、北西と北東それぞれに斥候を放ち左翼(西)で第9軍団のヘッセン大公国騎兵と、右翼(東)で第7軍団の驃騎兵とそれぞれ連絡を取り合うことに成功しました。

 更に右翼側に進んだ騎兵斥候は、グラヴロットを越えてベルダン街道を東へ進み、サン=チュベールの農家を目標に進みましたが、途中街道北のジュニヴォー林(グラヴロットの北に広がっていた森林。現在は伐採されてない)から銃撃を受けるのです。この斥候隊には驃騎兵連隊長の男爵フリードリヒ・カール・ヴァルター・デゲンハルト・フォン・ロー大佐が加わっており、大佐は銃弾飛び交う中、街道が坂となった場所で冷静にマンス川の東方に延びる仏軍の陣地を観察し、「敵は1個軍団半から2個軍団」と見切ったのです(正確で鋭い観察です)。


 急ぎゲーベン将軍の本営まで引き返したロー大佐は偵察結果を報告し、ゲーベン将軍は前衛から右翼警戒のため第28連隊を先行させ、バニューの家まで前進させ、第9軍団の邪魔をしないように「北ルート」の南側の森林で留めて、万が一仏軍が西へ動いた場合の「保険」としたのでした。


第8軍団・ルゾンヴィル付近までの行軍列


○前衛支隊(第15師団より抽出/第30旅団長オットー・ユリウス・ヴィルヘルム・マクシミリアン・フォン・シュトルプベルク少将)

・驃騎兵第7「ライン第1/国王」連隊第1,2中隊

・歩兵第67「マグデブルク第4」連隊

・猟兵第8「ライン」大隊

・第8軍団野戦工兵第2中隊

・野戦砲兵第8「ライン」連隊軽砲第2中隊

・歩兵第28「ライン第2」連隊


○第15師団主力(ペーター・フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴェルツィエン中将)

*第29旅団(カール・フリードリヒ・フォン・ヴェーデル少将)主幹

・驃騎兵第7連隊第3,4中隊

・フュージリア第33「オストプロイセン」連隊

・野戦砲兵第8連隊重砲第1,2、軽砲第1中隊

・歩兵第60「ブランデンブルク第7」連隊


○軍団砲兵隊(フォン・ブルッカー大佐)

・砲兵第8連隊騎砲兵第1,2,3中隊

・砲兵第8連隊重砲第3,4、軽砲第3,4中隊


○第16師団主力(アルベルト・クリストフ・ゴットリープ・フォン・バルネコウ中将)

*第32旅団(ルドルフ・フランツ・クルト・フォン・レックス大佐)主幹

・驃騎兵第9「ライン第2」連隊(第1中隊欠)

・第72「チューリンゲン第4」連隊

・野戦砲兵第8「ライン」連隊軽砲第5、重砲第5,6中隊

・フュージリア第40「ホーヘンツォレルン」連隊


※第31旅団(第16師団)を中心とする「グナイゼナウ支隊」(第31旅団、騎兵1個中隊、軽砲兵1個中隊)は、既述通り17日夜、アリーに至り、18日早朝、モーゼルを渡河して師団に追いつこうとゴルズ方面へ前進中でした。


 第28連隊はヴィオンヴィルから前進し、F大隊を先にジュリー林(ボア・ドゥ・ァ・ジュリー。当時グラヴロットの北西に広がっていた林。現在は伐採されて消滅)へ向かわせます。大隊は行軍中、東側のジュニヴォー林から銃撃を受けますが損害は軽微でした。同時に猟兵第8大隊も第28連隊を追ってバニューの家へ前進し、前衛の残りはヴィレ=オー=ボアに進みました。

 この時、ゲーベン大将はルゾンヴィルに本隊を留める決心をし、北東のグラヴロットに対して散兵線を敷き、状況がはっきりとするまで行動を待ったのです。既述のゲーベン将軍がシュタインメッツ将軍に現況を書き記し送ったのはこの時(午前8時過ぎ)のことでした。


 前衛がヴィレ=オー=ボアを固めると、第15師団の本隊行軍列もその南で北東を向いて停止しました。軍団砲兵はルゾンヴィルの東、ベルダン街道を挟んで一旦グラヴロット方面に向け砲列を敷きます。この砲兵の西側には、一昨日に大損害を受けたレックス大佐率いる第32旅団が到着次第、東側の仏軍から見通せない窪地に集合し始めていたのでした。


挿絵(By みてみん)

 普軍の救護所



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