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普軍の戦争準備~動員と出征準備


 ここでは普墺戦争における普軍の出征準備と編成状況を見てみます。


 普軍は既述通りに墺帝国とその同調諸邦との関係が悪化すると、1866年3月29日を以て「動員準備(部分動員)令」を発しました。これも既述ですが、ナイセ、グラーツ、コーゼル、トルガウ、ヴィッテンベルクの五要塞に対しても、二日前の27日に守備隊増員と警戒態勢の構築を命じるのです。


※3月29日発令の「動員準備令」


〇近衛歩兵4個連隊(この時、それぞれダンチィヒ、シュパンダウ、ブレスラウ、コブレンツに駐屯。これを機にベルリン周辺へ集合します)、歩兵第5、第7、第9師団、第6軍団(第11、第12師団の歩兵部隊)、第72連隊(トルガウ駐屯)

 以上75個歩兵大隊の平時定員534名を686名まで(約3割・1個中隊程度の)増員とする。

〇近衛砲兵連隊、野戦砲兵第3、第4、第6連隊(墺領ホルシュタイン州キール駐屯大隊も含む)、野戦砲兵第5連隊中のシュレスヴィヒ州駐屯騎砲兵大隊と歩砲兵(4ポンド)大隊

 以上諸大隊を戦時定員・砲数に充足させる。

〇野戦砲兵第3連隊付属弾薬縦列9個と同第6連隊の弾薬縦列3個を創設*

〇ナイセ、グラーツ、コーゼル、トルガウ、ヴィッテンベルクの以上五要塞の守備砲兵、守備工兵を第二充足定員(包囲を受ける可能性がある場合の戦時定員)まで高め、ナイセ、グラーツ、コーゼルの各要塞には「出撃砲兵中隊」(砲の牽引馬匹を用意し要塞外で戦う砲兵)を創設する。

〇グローガウ、シュパンダウ、マグデブルクの以上三要塞の守備砲兵、守備工兵を第一充足定員(包囲を受けない可能性が高い要塞の戦時定員)とする。

〇4月3日にキュストリン、エアフルト、ミンデンの以上三要塞の守備砲兵を第一充足定員とし、これら砲兵は野戦軍の予備弾薬縦列に引き渡す(発射火)薬包の製作を開始する。

*弾薬縦列などの後方縦列(輜重部隊の多く)は状況悪化によって編成され、平時は本部のみ存在します(平時には全く存在ない隊もあります)。


挿絵(By みてみん)

シュレジエンのグラーツ要塞(1700年代)


 この戦備増強命令は墺帝国を刺激し、こちらも伊国境や普国境に対する部隊増員を開始する口実となってしまいます。

 この時の普軍増強は4月9日までに終了し1ヶ月ほど戦備増強は止まりますが、この後も緩やかではありますが墺軍増強は止まらず、5月3日、普軍は遂に本格動員を開始するのでした。


※5月3日発令の普軍「動員令」


〇騎兵部隊は全て戦時定員に増員し、騎兵連隊は各150騎からなる「補充中隊」を編成する。

〇野戦砲兵第1、第2、第7、第8の各連隊と同第5連隊歩砲兵第2、第3大隊を戦時定員・砲数とする(3月末の増員に加えて野戦砲兵全部隊が戦時定員に充足)。

〇近衛軍団、第3、第4、第5、第6各軍団の歩兵(猟兵大隊、フュージリア兵大隊、近衛シュッツェン「散兵」大隊含む全て)、工兵を各大隊1,002名(6か7個中隊)の戦時完全定員とする。

〇第3、第4、第5、第6各軍団の補充隊は衛生兵を除き戦時定員とし、輜重縦列の職工を定員充足させ架橋縦列(浮船橋車輌を装備する重架橋部隊)と野戦軽架橋縦列(渡り板や丸太などを運搬しつつ戦場で手に入る諸材料も使用して仮橋を架ける部隊)に対する馬匹を充当する。

〇(墺側諸侯領に囲まれた)エアフルト要塞は強襲される可能性があるために兵備を強化し、砲兵及び工兵を第二充足定員に高める。また、エアフルト、トルガウ、ヴィッテンベルクの三要塞には「出撃砲兵中隊」を創設し、ナイセ、グラーツ、コーゼル、トルガウ、ヴィッテンベルク及びエアフルト各守備隊は完全戦時定員とする。これら諸要塞は包囲に耐えうる籠城準備を完了する。

〇第5、第6軍団の両管区(ポーゼン州とシュレジエン州)では1個大隊当たり定数を502名とする後備歩兵を定員まで招集し、この後備諸隊はシュレジェン州の諸要塞守備に就くこと。


挿絵(By みてみん)

1866年のプロシア西部


挿絵(By みてみん)

1866年のプロシア東部


 以下、時系列に従い普軍の出征準備を見てみます。


 5月5日には本営主計総務諸隊を除く近衛、第3、第4、第5、第6、第8の各軍団と、第3、第4両軍団の架橋縦列、第3、第4、第6、第8各軍団の野戦架橋縦列と輜重各隊、臨時招集とする電信隊3個に出征準備命令が発せられます。同時にこれら軍団所属の工兵6個大隊の土木器具縦列に曳馬が充当されました。

 また同日、出征準備令が下った諸隊の補充兵部隊が戦時定員とされ、第4軍団管区(ザクセン州)では定数500名の後備兵大隊12個が招集され、後日割り当てられた国内の要塞に守備隊として派遣されます。ただしこの時点では後備騎兵諸隊の出征準備は見送られました。


 翌6日。ドイツ連邦諸要塞・マインツ、ルクセンブルク、ランダウ(バイエルン領プファルツ)、ウルム(ヴュルテンベルク王国)に派遣・駐屯している歩兵第19、第20、第32、第33、第34、第39、第53の7個歩兵連隊に出征準備令が発せられ、同時にこれら7個連隊にも戦時定員を満たした補充兵大隊が用意されるのでした。これは翌日に始まるマントイフェル将軍率いるシュレスヴィヒ駐屯軍の墺領ホルシュタイン州侵入により「呉越同舟」(連邦直属の四要塞守備兵は普墺始め諸侯の軍より派遣されていました)となる要塞より離脱する準備令でもあったのです。

 この日はライン州が策源地の第7軍団(野戦軽架橋縦列含む)とエルベ(ラベ)沿岸に駐屯地を持つ諸連隊にも先に出征準備が始まった諸軍団と同じく出征準備令が下ります。これはビスマルクら普政府首脳が動向を注視していたハノーファー王国が、中立ではなく墺側に立つことが次第に濃厚となったことから発せられた命令でした。


 8日になると予想される戦線より遥かに遠い第1、第2両軍団(オストプロイセン州とポンメルン州)と、ここまで準備令が出ていなかった各軍団の主計総務諸隊にも全て出征準備令が下りました。但しこの時点で第1、第2軍団管区では後備軍の歩兵や騎兵は動員されず、第1軍団の野戦軽架橋縦列以外の架橋諸縦列にも準備令は下りませんでした。

 同日、コブレンツ、ケルン、ヴェーゼル、シュテッティン、ダンチヒの五要塞に配属される要塞砲兵は第一充足定員とされ、それまで設備維持程度の要員しか配置されていなかったシュレスヴィヒ州のゾンダーブルク要塞とデュッペル堡塁群には200名からなる要塞砲兵が増員配備され、要塞工兵もまた100名が派遣されるのです。この後方諸拠点の兵備増強は墺との戦争中、デンマークやスウェーデン、ロシアが火事場泥棒的にちょっかいを出さぬよう警戒を怠らないと言う「サイン」でもありました。


 5月10から12日にかけて、これまで召集令が出ていなかった地区の後備諸隊にも徴集命令が下ります。


※5月10日、12日に召集令が下った後備歩兵大隊


〇定員数802名の大隊

・近衛後備第1~第12大隊(12個)

・後備第9、後備第21連隊(第2軍団「ポンメルン州」所属・6個)

・後備第13、後備第15連隊(第7軍団「ヴェストファーレン州」・6個)

・後備第16、後備第17連隊(第7軍団「ヴェストファーレン州」・6個)

・第5軍団「ポーゼン州」と第6軍団「シュレジエン州」所属の後備大隊(25個)

〇定員数500名の大隊

・第3軍団「ブランデンブルク州」所属の後備大隊(13個)

・第1軍団「オストプロイセン州」と第8軍団「ライン州」所属の後備大隊(26個)

・後備第2、後備第14連隊(第2軍団「ポンメルン州」所属・6個)

・後備第36、後備第37、後備第39、後備第40連隊の各1個大隊(全てフュージリア連隊・4個)


 5月17日には、各騎兵連隊の補充中隊が全て200騎に完全充足するよう命じられ、出征準備令が発令された各団隊に属する野戦弾薬廠と弾薬縦列16個は出征準備を命じられました。


 5月19日。普軍は先の後備兵だけで1個軍団を編成することを決定しました。

 この軍団は正規野戦軍の攻勢が成功し戦線が前進して占領地が増えた場合、占領地域の治安維持と正規軍に続く後方予備としての役割を担うもので、後備歩兵2個師団・後備騎兵1個師団から構成されるものとします。

 予備歩兵師団の兵員は近衛後備大隊6個とポンメルン州の後備大隊12個(後うち3個がオストプロイセン州の後備大隊に変更)、そしてヴェストファーレン州の後備大隊6個により充足させ、兵士たちには普軍の正式小銃M-41・ドライゼ「針銃」が渡されます。残余召集の後備大隊は所定の要塞や堡塁に配置し、こちらは旧式で保管状態にあったミニエー小銃で武装することとしました。

 予備軍団には野戦砲兵1個連隊、工兵2個中隊を新設して加えることも決定され、編成が急がれます。

 同時に平時は本部小隊だけが置かれていた後備騎兵12個連隊にも召集が掛り、先に6個連隊が指定され、これは後備騎兵師団となって予備軍団に加わりました。


※5月下旬に召集令が掛り、「混成後備騎兵師団」を編成した連隊

・後備驃騎兵第1「Live/親衛第1」連隊

・後備驃騎兵第5「ポンメルン」連隊

・後備竜騎兵第2「ブランデンブルク」連隊

・後備槍騎兵第3「ブランデンブルク」連隊

・後備槍騎兵第4「ポンメルン」連隊

・後備槍騎兵第8「オストプロイセン第2」連隊


 この頃、予定された野戦軍(後の第一、第二、エルベ、マイン各軍)に配属される騎兵部隊も決まり、平時に騎兵第5旅団を構成していた驃騎兵第2「Live/親衛第2」連隊と槍騎兵第1「ヴェストプロイセン」連隊は第二軍に、騎兵第6旅団(シュレジエン州・驃騎兵第6、槍騎兵第2)はシュレジエン州で本隊(第二軍)とは別働する予定のヴィルヘルム・ツー・ストルベルク=ヴェルニゲローデ少将率いる旅団級の支隊に加わることが決まりました。


 5月22日。先の3個電信隊に続く第4電信隊が創設され出征準備に掛かります。

 同月24日にはグローガウ要塞が強襲攻撃に耐えられるよう守備を改め、守備隊の要塞砲兵、要塞工兵も第2充足定員に改められました。

 同時に第一軍と第二軍に隷属する後方部隊に給養を取り仕切る野戦糧食本部を設けるよう命令が下りました。


 同時期にはモルトケ参謀総長が対墺軍の右翼「エルベ軍」に配属を望んでいたヴェストファーレン州を管轄区とする第7軍団のうち、竜騎兵第7「ヴェストファーレン」連隊と第16、第17の歩兵2個連隊は望み通りエルベ軍配属となって東部へ移送を開始しますが、残部はヴェストファーレン州に留まるよう決定されました(後述します)。


挿絵(By みてみん)

シュレジエンの州都ブレスラウの風景(1850年)


 これで6月第一週までに出征準備が発令された全ての部隊(近衛軍団は当初大本営直轄予備となります)は各々配属先が決定され、正規野戦軍で最後まで配属先が決まっていなかった近衛歩兵第4連隊は首都ベルリンの警護として、歩兵第63「オーバーシュレジエン第4」連隊はナイセ要塞に残留となりました。しかし近衛歩兵第4連隊は開戦後の6月23日にアイゼナハへ行軍し、やがて編成された予備第2軍団の中核となります。

 この頃までにはマグデブルクとシュパンダウの両要塞でも強襲攻撃に耐えられるよう守備を改め、守備隊の要塞砲兵、要塞工兵も第2充足定員に改められました。また、近衛、第2、第5の各軍団所属架橋縦列にも出征準備が命じられます。


 戦争が直前に迫った6月14日にはコブレンツ要塞が強襲攻撃に耐えられるよう守備を改め、守備隊の要塞砲兵、要塞工兵も第2充足定員に改められ、出撃砲兵隊にも牽引用馬匹が準備され、周辺警戒のための騎兵支隊も編成するよう命令されました。

 宣戦布告後の18日には仏国境のザールルイ要塞にもコブレンツ要塞同様の命令が下り、同日、ライン流域のケルンとヴェーゼル両要塞にも周辺警戒のための騎兵支隊編成が命じられ、第3、第4、第8軍団管区の後備歩兵37個大隊も定員を500から802名へ増員し戦時体制とするよう命じられました。

 同じく近衛、第1、第2、第4、第8軍団所属の歩兵とフュージリア連隊及びフュージリア第36、第37、第39連隊の各補充大隊は定員を戦時体制の1,002名へ増員するよう命じられます(総計48個大隊)。このうち各大隊200名を抽出して後日新兵招集によって編成する次期補充大隊の根幹と成すよう各駐屯地に留め、残り802名で所属各連隊の「第4大隊」とし出征準備を整えるよう追加命令が下りました。第6軍団管区では先述のストルベルク=ヴェルニゲローデ支隊所属の6個補充大隊を所属各連隊の「第4大隊」として1,002名の増員とし、同じく200名を割いた後に改めてストルベルク支隊所属とされました。

 野戦軍の「尖兵」・猟兵大隊では、近衛軍団所属の近衛猟兵、近衛「シュッツェン」(散兵)両大隊と猟兵第1、第2、第3、第4、第7、第8の各大隊所属補充中隊が300名定員に増員され、各補充中隊から数十名が抽出されて第9猟兵大隊が新設されると、その「穴」は直ちに新規徴兵により埋められ定員は維持されました。


※6月開戦時に新規編成された後備騎兵中隊

〇第1軍団管区 槍騎兵4個中隊

〇第2軍団管区 驃騎兵4個中隊

〇第3と第4軍団管区 竜騎兵2個中隊

〇第7と第8軍団管区 胸甲騎兵4個中隊・驃騎兵4個中隊・槍騎兵2個中隊

(コブレンツ、ザールルイ、ケルン、ヴェーゼル各要塞守備騎兵支隊除く)

※これら諸中隊により編成された後備騎兵連隊

〇予備(後備)槍騎兵第1連隊(4個中隊/540騎・第1軍団管区)

〇予備(後備)槍騎兵第2連隊(2個中隊/300騎・第7、8軍団管区)

〇予備(後備)驃騎兵第1連隊(4個中隊/603騎・第7、8軍団管区)

〇予備(後備)驃騎兵第2連隊(4個中隊/400騎・第2軍団管区)

〇予備(後備)竜騎兵半連隊(2個中隊/250騎・第3、4軍団管区)

〇予備(後備)重騎兵連隊(胸甲騎兵4個中隊/430騎・第7、8軍団管区)


 6月24日にはドイツ地区要塞(ケルン市のライン右岸地区)が強襲攻撃に耐えられるよう守備を改め、ケーニヒベルク、ピラウ(現ロシア・カリーニングラード州のバルチースク)、シュトラールズント、シュヴィネミュンデ、コルベルク、ポーゼン、トルン、グラウデンツの各要塞・堡塁群の守備工兵が第一充足定員に改められ、ダンチヒ、キュストリン、ヴェーゼル、シュテッティン、ミンデン、ケルンの各要塞所属出撃砲兵中隊に牽引馬匹が用意されました。


 7月3日。後述のケーニヒグレーツ会戦当日には、先の予備騎兵諸連隊の配属先が決定され、これら後備兵からなる騎兵はメクレンブルク=シュヴェリーン大公国軍の歩兵若干に普軍1個師団と統合して普軍歩兵大将の階級を持つメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の指揮下で「第2予備軍団」を編成します(後述します)。


 これにより出征した普軍将兵の総計は以下のようになりました。


※1867年度にまとめられた普軍の1966年戦役出征軍総計


◎野戦軍

〇歩兵

・正規歩兵(歩兵・擲弾兵・フュージリア) 81個連隊(各連隊3個大隊) 256,450名

・猟兵、散兵 11個大隊と1個中隊 11,728名

・第4大隊(補充大隊より昇格した大隊) 48個大隊 40,512名

・後備兵(野戦出征分) 8個連隊(各連隊3個大隊) 20,324名

〇騎兵

・正規騎兵(槍・胸甲・竜・驃) 200個中隊 33,234名

・後備騎兵(槍・胸甲・竜・驃) 72個中隊 8,004名

・予備(後備)騎兵 20個中隊 2,843名

〇砲兵

・正規砲兵 9個連隊(各連隊15個中隊と9個弾薬縦列) 36,842名

・同3個中隊欠連隊1個 2,544名

・同7個中隊欠連隊1個 1,672名

・ハノーファー軍より鹵獲した砲と機材で編成 3個中隊 624名

・予備弾薬縦列 16個 2,784名

・予備弾薬廠 2個 112名

〇工兵

・正規工兵 9個大隊 7,596名

・予備工兵 2個中隊 328名

・船橋架橋縦列 6個隊 888名

・野戦軽架橋縦列 6個隊 300名

・土木作業器具縦列 9個隊 162名

・野戦電信隊 4個隊 508名

〇その他

・高級司令部(本営) 2,946名

◆野戦軍総計 442,462名


◎補充兵

〇歩兵

・補充兵 81個大隊 82,701名

・補充猟兵 10個中隊 2,050名

〇騎兵

・補充騎兵 48個中隊 9,696名

・後備補充騎兵 12個中隊 2,424名

〇砲兵

・補充砲兵 9個大隊 5,094名

〇工兵

・補充工兵 9個隊 1,854名

〇後方職工(特技兵)

・歩兵連隊付 81個隊 13,041名

・猟兵・散兵大隊付 10個隊 510名

・騎兵連隊付 48個隊 1,920名

・砲兵連隊付 9個隊 1,836名

・輜重縦列付 9個隊 459名

〇本営・司令部付補充員 1,941名

◆補充兵総計 129,025名


◎要塞・堡塁・要地要港守備隊

〇歩兵

・802名定員隊 62個大隊 51,115名

・500名定員隊 30個大隊 15,480名

〇騎兵 14個中隊 2,260名

〇要塞砲兵 120個中隊 24,840名

〇要塞工兵 26個支隊 3,193名

〇本部要員 700名

◆守備隊総計 97,588名


◇全軍総計 669,076名


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