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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
215/534

マルス=ラ=トゥールの戦い/大騎兵戦(後)

 お互い戦う覚悟で進んだ普仏の騎兵集団は、砲兵にも歩兵にも邪魔されず、まるで1世紀も昔のように人馬と槍・刀剣のみで至力を尽くそうとしていました。息詰まるような戦場の空気は、夕暮れが迫る中一気に張り詰めます。

 そしてそれは待つ間もなく、一気に弾け飛びました。


挿絵(By みてみん)

マルス=ラ=トゥールの戦場(20世紀初頭)


 まず仕掛けたのは仏軍騎兵で、逸るモンテギュ准将の2個驃騎兵連隊は後続諸隊を待たずに並進し、目前に横列で並ぶ普軍竜騎兵を包囲殲滅せんと突進しました。

 対するブラウヒッチュ大佐は包囲を避けるため、隊列を素早く右(東)へ動かし直後に左旋回しながら駈歩で前進しました。

 モンテギュ准将が先頭に立って突進した仏驃騎兵は、その時わずか200m前後に迫っていました。普軍騎兵は直前の運動によりその密集隊形が緩んで少々散開し、そのため、騎兵たちが衝突した時には仏軍の強力な突進に隊の間隙を抜かれ、ほぼ倍の仏騎兵集団に対し、普軍竜騎兵は集団でなく中隊毎バラバラに戦う羽目に陥ってしまったのです。


挿絵(By みてみん)

 モンテギュ


 しかし、ここに南方から突撃を敢行し、普竜騎兵の危機を救ったのがバルビー旅団右翼後方に付けていたフォン・ヴァイゼ大佐率いる普驃騎兵第10連隊だったのです。


 ヴァイゼ大佐は竜騎兵の危機を見るまでもなく、敵驃騎兵が前進するのを見るや急加速で連隊を発進させ、乱戦の中へ自ら先頭を切って飛び込み、続いて3個中隊の普驃騎兵が怒濤の如く仏驃騎兵に衝突したのです。

 一気に倍加した敵に押され始めた仏軍騎兵は、それでも数分間はがんばるものの勢いに勝る普軍騎兵は有利に戦闘を展開し、仏の驃騎兵たちはたまらずにじりじりと後退を始めたのでした。


挿絵(By みてみん)

 ヴァイゼ


 フォン・バルビー少将はこのヴァイゼ大佐の騎兵戦開始を見届けると、直ちに旅団を横一線にしたまま前進を命じ、急速に速度を上げるとヴァイゼ大佐等の戦闘を横目に、その左翼を抜け、敵の右翼西側に展開する騎兵に戦いを挑んだのです。


 少将自身は少数の幕僚と共に部隊の先頭よりかなり前方に飛び出して騎行し、旅団をヴィル=シュル=イロンの東側まで導きますが、この辺りから北は平地が少なく丘陵と林が点在しており、騎兵部隊が進撃可能な空間はかなり狭くなっていました。

 そのため騎兵の突進力を殺がぬよう、重い胸甲を纏ったアルニム大佐率いる胸甲騎兵2個中隊は、前面を槍騎兵と竜騎兵に託して後退し、小隊の縦列で進むしかなくなりました。


 やがて旅団は主力が正面の敵ドゥ・フランス旅団へ、一部が東の敵ルグラン師団へと、それぞれ対応しながら戦うこととなります。

 バルビー旅団右翼(西)後方からは、ヴァイゼ大佐の驃騎兵第10連隊に続いて発進したヴァルドウ中佐と竜騎兵第16連隊が、しっかりと後衛の形で続いて来ました。


 こうして、普仏併せて6,000騎に上る騎兵たちは午後6時45分、フェルム・グルニエールの西、ジャルニー街道からヴィル=シュル=イロン北東郊外の一軒農家、フェルム・ドゥ・ラ=グランジュ周辺まで、およそ1.5キロの狭い範囲で激突したのでした。


挿絵(By みてみん)


 戦いは激しく、双方ともほぼ互角の戦力だったため、ある箇所では普軍が突破し、その隣では仏軍が突破し、互いに譲らぬ戦いになりました。


 このヴィル=シュル=イロン東側の平地は、騎兵には戦い易い耕作地と草地が続く土地だったため、近年の戦争では珍しい、純粋な騎兵のみによるこの戦いは、思う存分互いの実力を出し尽くすプライドを賭けた戦いにもなったのです。


 ドゥ・フランス准将が先頭に立った仏近衛騎兵は普バルビー旅団の突進を落ち着いて待ち受けました。そして相手の馬の鼻面まではっきり見える120mを切った地点で、まずは仏近衛槍騎兵連隊が急発進し普竜騎兵第19連隊に突進しました。しかし続くはずの仏近衛竜騎兵連隊は、一部が西を向いていた布陣だったために南へ向き直るのが一瞬遅れ、その隙にバルビー旅団最左翼の槍騎兵第13連隊が、素早く敵右翼に回り込んで片翼包囲の態勢を作り出したのでした。


 戦いは瞬時にして乱戦となり、旅団や連隊という戦術単位はたちまちにして崩れ去りました。

 敵味方双方、中隊毎に分裂して戦い、そして小隊毎に分かれ、しまいには単騎同士の戦いに陥って行くのです。

 騎兵たちはお互いの側面を突かんと激しく走り回ったため、砂塵が舞い上がって空が霞むほどとなり、傍目には勝敗の判別が付かなくなりました。


 するとここにエルンスト・ミハエル・フォン・トロータ大尉(2日前に遙か南のトゥール要塞で一騒ぎ起こした人物です)率いる普近衛竜騎兵第2連隊第5(資料では第1とも)中隊が時機を得て登場するのでした。


 トロータ大尉は「北ルート」の偵察を命じられ、ジャルニー付近を偵察し敵が見えなかったため引き返して来る途中この戦いを望見、大尉はラ・ヴィル・オー・ブレの北でイロン川を渡河すると中隊を急かして疾走し、大地の壕を越え、生け垣を飛び越えて仏軍の「同業者」、近衛竜騎兵連隊へ後方から突撃したのでした。


 これによりドゥ・フランス近衛騎兵旅団も浮き足立ちます。普軍槍騎兵と竜騎兵は正面と西側面、そして後方から激しく波状攻撃を掛け、仏軍近衛騎兵は次第に後退し始めたのです。

 この時、後方に下がっていた仏アフリカ猟騎兵連隊の内、集合の終わった中隊が幾つか近衛騎兵を救おうと前進しましたが、この動きは南から突進して来たアルニム大佐率いる普胸甲騎兵2個中隊の攻撃で阻止され、更に南から普竜騎兵第16連隊が突進するに及んで、遂に均衡は崩れ、普軍の勝利が確実となりました。


挿絵(By みてみん)


 こうして、仏騎兵集団の右翼(西)を受け持ったドゥ・フランス近衛騎兵旅団は砂塵を巻き上げながら急速に後退し、ブリュヴィルへ抜ける渓谷の渡河点へ急ぎ逃げるこの敵に対し、普竜騎兵第16連隊がしばらく追撃を行うのでした。


 一方、仏騎兵の左翼東側では。


 仏第4軍団騎兵師団長フレデリック・ルグラン少将は、普驃騎兵の猛襲で苦戦中の配下モンテギュ旅団を救うため、自ら竜騎兵第3連隊を率いて突進しましたが、西側から奇襲的にバルビー旅団の胸甲騎兵と槍騎兵の一部中隊による攻撃を受けて囲まれ、短くも激しい乱戦となります。

 ルグラン将軍は最初に槍を胸に受け貫通されて重傷を負い、続けてサーベルで切り付けられ瀕死状態となります。部下たちに救われた将軍は師団と共に撤退しましたが、間もなく息を引き取りました。

 大家族の優しい父でもあった彼は、愛妻と11人の子供たちを後に残したといいます。

 またルグラン将軍の部下、驃騎兵旅団長のモンテギュ准将は乱戦中に重傷を負って馬から落ち、普軍の捕虜となっています。

 師団の指揮はもう一人の旅団長、ドゥ・ゴンドルクール准将が引き継ぎました。


挿絵(By みてみん)


 この普軍騎兵の勝利は巻き上がる大きな砂塵に霞んで、ブリュヴィルからは確認出来ませんでした。


 戦いが始まった頃、フェルム・グルニエール付近の渓谷対岸まで馬を走らせた仏第3軍団騎兵師団長ドゥ・クレランボー少将は、激しい砂塵が巻き上がるや麾下のドゥ・ブリュシャル准将驃騎兵旅団に対し、「渓谷を越えて砂塵の向こうにある戦場へ突進せよ」と命じましたが、これは結果的に時機を逸した命令で、ブリュシャル旅団の3個驃騎兵連隊は、潰走し渓谷を渡ろうとするモンテギュ准将旅団に正面から衝突してしまいました。

 大変な混乱が発生し、更にまずいことにドゥ・フランス准将が部下を後退集合させるため吹かせたラッパ音が鳴り響いたため、誤解を呼んで「突撃か」「いや後退だ」と騎兵たちは右往左往する羽目となってしまいます。


挿絵(By みてみん)

 クレランボー


 こうしてせっかく投入された新鋭の騎兵旅団も、味方騎兵の一斉後退に動揺し釣られて一緒に後退してしまったのです。

 クレランボー師団の第二陣、モブランシュス准将の竜騎兵旅団もこの混乱の中、なんとか渓谷を越えて西へ進みましたが、味方の後退をかき分けて進むことは出来ず、これ以上敵に対し突撃することは叶いませんでした。


 それでも諦めなかったのは仏アフリカ猟騎兵第2連隊で、戦場後方で隊伍を整えたこの騎兵たちは、混乱に乗じてヴィル=シュル=イロン付近の林を占拠すると、ドゥ・フランス旅団を追撃しようとしたバルビー旅団を西側から騎銃で銃撃し、追撃を妨害しました。

 また、フェルム・グルニエール周辺や渓谷沿いで散開し、騎兵の襲撃を避けていた仏軍歩兵や12ポンド野砲諸中隊も、敵味方の騎兵が離れて同士討ちの可能性が減ったために銃砲撃を再開し、自軍右翼が破られるのを防ごうとするのでした。


 この銃砲撃は以前と変わらぬ激しいもので、普軍騎兵は渓谷の手前で旋回してこれを避け、やがて、これ以上の前進は犠牲が増すのみで利はない、として南に引き返し始めたのです。


 これら普軍騎兵はヴィル=シュル=イロンの東で隊毎に集合し隊列を整えると、未だにジャルニー街道の西で梯陣を組んで警戒する普竜騎兵第13連隊が後衛となって、徐々にマルス=ラ=トゥールへと退却して行ったのです。

 普軍が退くのを見た仏軍からは、クレランボー師団のモブランシュス竜騎兵旅団からの1個中隊が、距離を置いて慎重に追跡を行い、敵の動向を偵察するのでした。


 こうして普仏戦争でも有名な「マルス=ラ=トゥールの騎兵戦」は終了します。


 騎兵戦は激しく短いものが多いものですが、この戦いも正味は30分もなく、双方の犠牲もまた様々な説がありますが、仏軍は多くてもおよそ五分の一、600騎の人員と馬匹を失い、普軍は九分の一程度、350騎程度の損害だったと考えて良さそうです。


 しかし、仏軍に将軍の戦死者が出たように、普軍もまた高級指揮官に犠牲者が出ています。


 近衛竜騎兵第2連隊長の伯爵フォン・フィンケンシュタイン大佐は仏モンタギュ旅団との戦闘中に戦死、驃騎兵第10連隊の中隊長フォン・ヘルテル少佐もまた仏驃騎兵との戦いで戦死しています。

 槍騎兵第13連隊長のフォン・シャック大佐は、フェルム・ドゥ・ラ=グランジュ周辺の戦いで瀕死の重傷を負ったところで乱戦中に行方不明となり、数日後にこの地をしっかり確保した普軍は、付近を懸命に捜索しましたが遺体は発見されず、更に数ヶ月後、大佐は地元住民の手で付近の墓地に手厚く埋葬されていたことが確認されたのでした。


挿絵(By みてみん)

 シャック


 この戦闘自体は案外小さかったものの、その影響は大きなものでした。

 騎兵のみの戦いとしては普仏戦争中最大のものとなり、参加した騎兵にとっては(仏軍側にとっても)誇らしい「歴史」となりました。

 またこの戦いによりこの時普第10軍団が迎えていた危機は去ったのでした。


 戦闘を眺めてみれば、普軍側が持てる戦力をバルビー将軍を中心に部隊を越えて集中運用したのに対し、仏軍側は最初にルグラン師が、続いてドゥ・フランス旅が、最後にクレランボー師が結果的に「逐次投入」の形で参入してしまい、勝機を逸したと言っても過言ではないでしょう。

 これは逸ったルグラン将軍がドゥ・フランス旅団やクレランボー師団の展開を待たず、先に仕掛けてしまったからだ、と一般には言われているようです。

 しかし、待ったとしても「見敵必戦」の普軍騎兵は「待たずに」突っ込んで来たはずなので、その場合普軍の犠牲は大きくなったことでしょうが、結果はそう大きく変わらなかったのでは、と筆者は考えるのです。

 仏軍騎兵は部隊毎に渓谷を渡らず、一旦東岸で6,000騎が集合してから一斉に渓谷を越え、一同に普軍騎兵に対抗したとすれば(後からクレランボー師3,000騎も来ます)、また違った結果となったのかも知れません。


 仏軍側もこの騎兵戦を「勝った」と強弁しますが、これは普軍騎兵が去った後で再び第4軍団の歩兵がヴィル=シュル=イロンの東側高地に進出したから、つまり仏軍とすれば「土地は守ったし敵も後退した」とのことで「勝利」としたのです。

 しかし、実際は普軍が仏軍の西への突破を防ぎ(もっとも仏軍にその気はありませんでしたが)、南下も阻止して戦線を安定させたことは事実であり、戦術「戦線の安定」的にも戦略「敵の前進・逃亡阻止」的にも成功した普軍の勝利は揺るぎないものでしょう。


 事実、さすがのラドミロー将軍も夕暮れが迫る中、これ以上西(ヴィル=シュル=イロン)や南(トロンヴィルやマルス=ラ=トゥール)へ「前進」することは不可能でした。

 

 午後7時過ぎ。ラドミロー将軍はフェルム・グルニエール周辺まで主力を進ませると、この日はここで野営の準備をするしかなかったのでした。


☆マルス=ラ=トゥール騎兵戦に参加しようとしたクレランボー師団


○仏第3軍団騎兵師団(ドゥ・クレランボー少将)

*第1旅団(ドゥ・ブリュシャル准将)

・第2驃騎兵連隊(ペルティエ大佐)

・第3驃騎兵連隊(サンソン・ドゥ・サンサル大佐)

・第10驃騎兵連隊(不詳)

*第2旅団(ゲロー・ドゥ・モブランシュス准将)

・第2竜騎兵連隊(ド・パティ・ドゥ・クラム大佐)

・第4竜騎兵連隊(オウガスティン・ビクトール・カシオドロ・コルナ大佐)

 ※第3旅団(ジニアック准将)は参加出来ず。


 一方、普第10軍団長フォン・フォークツ=レッツ大将は夕暮れの中、最早敵に攻撃の気迫無し、と断定しますが、防御に有利となるトロンヴィルとマルス=ラ=トゥール部落、そしてその周辺の丘陵地帯を、夜間も確実に確保したいと望みます。


 このため、ベルダン街道の北に沿って砲列を敷いていた、フォン・デア・ゴルツ大佐らの軍団所属諸砲兵6個中隊を街道の南へ退却させました。これは、トロンヴィル森の直前に砲兵を置いておくと、夜襲を掛けられた場合に不利との判断と思われます。

 このベルダン街道の線については、マルス=ラ=トゥール方面は、戦史に残る騎兵戦から帰還したばかりのバルビー旅団始めとする騎兵部隊と、ラインバーベン将軍の騎5師が担当し、トロンヴィルの北は20師が担当することとなりました。


 独第二軍司令カール王子が20師に発した命令、「数個大隊でベルダン街道を越え19師攻撃を援助せよ」がトロンヴィルに達した時、その命令を実行すべき20師団長クラーツ=コシュラウ少将は、トロンヴィル森へ分け入って偵察を終えて帰着した直後で、19師ヴェーデル旅団が激戦を行ったことも知りませんでした。

 クラーツ=コシュラウ将軍は連絡士官を第10軍団本営に送り、20師の現況を知らせ、戦線左翼(西)の状況を確認させました。この士官が本営に到着した時は、ちょうどヴェーデル旅団のトロンヴィルへの後退を命じている時に当たり、この士官は「トロンヴィル付近に集合し部落を守備せよ」との命令を持って20師本営に戻って来るのでした。


 この時には既に20師は、トロンヴィル森の中央部まで占領し終えた後であり、この「後退命令」を受け取ったクラーツ=コシュラウ将軍は一瞬信じられない思いでベルダン街道脇の高地に上ると、ここから状況を確認するのでした。すると左翼前方で、トロンヴィルに向かって退却する歩兵の行軍大隊数列(ヴェーデル旅団)と、これを追撃する敵の歩兵部隊(仏第4軍団)が確認出来、これで将軍も「四周が俯瞰出来るトロンヴィルの高地は重要」としてこれを防衛するのは必然、と与えられた命令に納得するのです。

 クラーツ=コシュラウ将軍は、森に入った部隊には現状維持を命じ、ベルダン街道の北の森林外に展開していたその他の大隊に対し、一斉にトロンヴィルまでの後退を命じたのでした。


 こうしてベルダン街道沿いにいた20師の諸大隊は、隊伍を整えると北側から再び始まった榴弾砲撃を受けたものの損害少なく街道を越え、整然とトロンヴィル郊外へ退却したのでした。


 しかし、この命令は誤解が生んだものでした。

 ちょうど戦況が逼迫し慌ただしくなった軍団本営で、「ご命令を」と訪ねた20師の連絡士官に対し、軍団参謀の一人がヴェーデル旅団の士官の一人と勘違いし、後退命令を発してしまったのです。


 間違った命令は危険な状況を生みます。トロンヴィル森に残った部隊は後続なく夕闇迫る中、敵中に突出したまま夜間に孤立する危険が増していたのです。

 たまたま、この20師の後退を第3軍団長C・アルヴェンスレーヴェン中将が目撃していました。自軍団の左翼側が後退するのですから、将軍も気が気ではなくなるというものです。将軍は自軍団参謀長でお隣第10軍団長の弟、ユリウス・フォン・フォークツ=レッツ大佐を20師本営に送り込み、状況を確認させることとするのでした。

 また、カール王子もこの後退に気付き、直ちに本営の士官数名を走らせて後退した諸大隊へ送り、再び前進するよう促せようとしました。


 しかし、これは杞憂に終わります。

 クラーツ=コシュラウ将軍は、部隊の後退命令を出した後でトロンヴィルへ急行しました。すると、既にトロンヴィルの部落及び周辺にはかなり多くの兵士が集合しているのを見て、「トロンヴィルは手を貸さなくとも確実に維持出来る」とし、また、「左翼の戦況は騎兵の活躍もあり、我が軍有利へと変化しつつある」と判断、独断で2個大隊を再度前進させたのです。


 将軍は第56「ヴェストファーレン第7」連隊F大隊をトロンヴィル森の西側へ、猟兵第10「ハノーファー」大隊を森の東側へと送り出しました。

 両大隊は共に仏軍に遭うことなく、順調に森の北端へ達します。ただ、猟兵大隊第4中隊の数個小隊のみが森の北東端で、かなり長い間銃撃戦を行っています。しかしこの銃撃戦も仏軍が北へ引き上げると共に止み、トロンヴィル森の長い一日が終わったのでした。


 20師他の部隊は、トロンヴィルの部落内で第92「ブラウンシュヴァイク」連隊第1大隊が守備に就き、残りの諸大隊はトロンヴィル森の南小林の南西に集合し待機する事になります。

 師団砲兵2個中隊は、この陣地の直ぐ東側に寄り添うよう砲列を敷いたのでした。


マルス=ラ=トゥール騎兵戦図


挿絵(By みてみん)

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