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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
205/534

マルス=ラ=トゥールの戦い/普6師のヴィオンヴィル攻防戦

 普歩兵第6師団(以下「6師」)は第3軍団の砲兵部隊を引き連れて軍団の第二陣となりますが、前日の回り道をしたモーゼル渡河を含む移動行軍のお陰で、野営出来た時には日付が今日に変わり、その短い仮眠の後に将兵みな寝不足のまま、払暁時に行軍を開始したのです。そして行軍の最後尾がアルナヴィル部落を出るかどうかという頃合いの午前6時30分、早くもこの日が只ならぬ日になるであろう予感を与える出来事が起きるのです。


 6師行軍列の先頭がバイオンヴィル(=シュル=マド。アルナヴィル西)に達した時、先行していた師団所属の竜騎兵第2「ブランデンブルク第1」連隊の斥候士官が駆け付け、「敵の前哨はトロンヴィルからルゾンヴィルにあり」と報告しました。これにより師団は警戒を密にしながら先を急ぎ、午前8時にオー・ボア(森。ビュシエール南東3キロ付近)を抜けると、開けた視界の果てにヴィオンヴィルからトロンヴィルが望見され、そこには思わず息を呑む光景が広がっていたのです。それは数万とも見える仏軍の一大野営でした。奮い立った6師団長、男爵ロベルト・エデュアルド・エミール・フォン・ブッデンブロック中将は第12旅団を先行、第11旅団を後方に置き、午前9時少し前にビュシエールを通過し北上を続けました。


 ブッデンブロック将軍はこの時60歳。17歳で士官候補生として入隊し、48年革命の際、ポーゼン州の軍管区本営で副官をしていたブッデンブロックは鎮圧に活躍し注目され43歳で参謀本部入り、46歳で少佐に昇進、第13連隊の大隊長となります。64年の第二次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争では大佐として第53連隊を率い、ドゥッペル堡塁攻撃で活躍しプール・ル・メリットを受勲しました。直後のアルス島攻略戦では第28旅団を率い、上陸を成功させました。66年の普墺戦争では第4旅団を率い、戦中に少将へ昇進、トラテナウやケーニヒグレーツの戦いに参加します。67年に中将となり第6師団長となって、この普仏戦争に参戦となるのです。

挿絵(By みてみん)

ブッデンブロック


 さて、6師の行軍に同行していた軍団長C・アルヴェンスレーヴェン中将は、6師が先行し過ぎぬようブッデンブロック師団長に訓令し「騎6師がゴルズ高地に進出するまで決して開戦してはならない」と釘を差します。その後軍団長は、自ら戦場を確かめるべく竜騎兵2個中隊を直卒すると師団に先行し将校偵察を行うのでした。

 この軍団長偵察中に5師から伝令が到着し、「敵は正に北方へ退却中」とのことで、午前9時30分、C・アルヴェンスレーヴェン中将は6師に対し「マルス=ラ=トゥールを経て北方ジャルニーへ前進し、敵の西方への退路を遮断せよ」と命じるのでした。同時に将軍はポンタ=ムッソンの第二軍本営へ敵の情勢と自ら発した命令を伝えるため伝令を送りました。


 精力的な軍団長に劣らず、第3軍団砲兵部長のアドルフ・フォン・ビューロー少将も自ら騎5師の戦場(ヴィオンヴィルの西側)を視察し、6師の行軍に戻るや師団砲兵隊に対し「前線に急行し砲撃を直ちに開始せよ」と発破を掛けるのでした。砲兵隊は行軍列から抜け出すと竜騎兵第2連隊の護衛を伴ってトロンヴィル南方の目標に向かいました。


 この砲兵隊の内、最初に戦線へ達したのは野戦砲兵第3「ブランデンブルク」連隊の軽砲第6中隊(6師配属)で、トロンヴィル部落の南で騎5師砲兵の野砲兵第10連隊の騎砲第2中隊)の右翼に付けて砲列を敷き、少し後で6師配属の軽砲第5中隊が到着すると、この3個中隊砲兵は申し合わせて更に東へと前進するのです。

 しかし、一時はヴィオンヴィル南郊外にある墓地の高台付近に砲列を敷いたこの砲兵たちですが、ヴィオンヴィルとフラヴィニーは未だ仏軍歩兵が死守しており、仏軍の銃砲火は間断なく砲兵に浴びせられ、たちまち砲兵3個中隊は西側へ後退するしかなくなるのでした。

 

 この後、6師砲兵隊長のベック中佐は師団砲兵の野戦砲兵第3連隊重砲第5,6中隊を率いて再度ヴィオンヴィルの墓地まで前進し、午前10時ヴィオンヴィルとフラヴィニーに集合する仏軍に対し砲撃を開始しました。続いて第3軍団砲兵(全て野戦砲兵第3連隊)の騎砲第1,3中隊を率いてレンツ少佐が現れます。彼らは重砲隊の右翼やや後方に砲列を敷き砲撃を開始しました。

 これに勇気を得た騎5師の砲兵中隊も一旦退いたトロンヴィル東郊外から前進し、墓地の南側で再び砲撃を始め、更に南側ゴルズ高地で砲撃を開始していた5師の砲兵と連絡を付けるのでした。


 この後、5師の死闘により仏軍がゴルズ高地北まで押し上げられると、この普軍砲兵の一大砲列は、しばらく前に普騎兵が去ったトロンヴィルの東郊外からトロンヴィル林の南突端まで前進して再度砲列を敷き直し、5師や6師普軍歩兵の攻撃に十分な援助を与えることとなるのです。


 砲兵隊が活躍を始めた頃、6師の歩兵部隊もトロンヴィルに至ります。しかし、砲兵の活動を見るまでもなく軍団長命令通りにジャルニーへ北進することは、仏軍が東側から攻勢を強めている現状では妥当とは呼べなくなって来ました。

 そこでC・アルヴェンスレーヴェン中将は6師師団長ブッデンブロック中将に「東側から圧力を掛けている仏軍に対し反撃せよ」と命令を出し直すのです。


 この命令を実行するため、ブッデンブロック将軍は自ら騎行し、ヴィオンヴィルからフラヴィニーの前線を一巡りした後、敵は強大につき、6師全ての部隊が一致して敵と交戦するしかない、と決心するのでした。


 ブッデンブロック師団長は午前10時30分、傘下の2個旅団を右翼(東)側へ転回させ、第12旅団はベルダン街道沿いに、第11旅団はトロンヴィルから、それぞれ東に向いて進撃し始めたのでした。


 ルイス・カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・レヴィン・フォン・ロートマーラー少将の第11旅団の先鋒は第35連隊で、トロンヴィル東の901高地を越えると第1大隊はヴィオンヴィル部落を、第2大隊は部落南の墓地とその東にある林を、第3大隊はフラヴィニー部落を、それぞれ目標と定め前進しました。

 ヘルマン・フォン・ビスマルク大佐の第12旅団は第11旅団の左翼(北)側に続き、第64連隊は西と北からヴィオンヴィル攻撃、第24連隊はその左翼後方に続行し、北側に不気味に広がるトロンヴィルの森を警戒しつつ進撃するのでした。


 この普軍西側からの攻撃に対する仏軍主力は、仏第2軍団のアンリ・バタイユ少将師団と仏第6軍団のラフォン・ドゥ・ヴィリエ少将師団となります。

 前線であるヴィオンヴィル部落にはドゥ・ヴィリエ師団の第2旅団・コリン准将旅団から戦列歩兵93連隊が前進しており、フラヴィニー部落にはバタイユ師団の第1旅団・プジェ准将旅団の猟兵第12大隊と戦列歩兵第23連隊が、そしてフラヴィニーの北、ベルダン街道との間にある林にはプジェ旅団の戦列歩兵第8連隊がいました。

挿絵(By みてみん)

プジェ

 プジェ旅団の南東にはバタイユ師団の第2旅団・ファヴァー・バストゥル准将旅団が第二線として控えており、南側ゴルズ高地東側縁の森林のラインで普5師と戦うバージ師団右翼(ヴァラゼ准将旅団)と連絡していました。また、コリン旅団残りの戦列歩兵第94連隊はヴィオンヴィルの北東、ベルダン街道の北側に展開しています。

 更にコリン旅団の後方、ヴィオンヴィル北東側の高地上にはドゥ・ヴィリエ師団のベッケ・ドゥ・ソネ准将旅団が待機し、ビッソン師団唯一の戦力である戦列歩兵第9連隊はその右翼(北)でローマ街道に至るまでの間に展開していました。


 普6師の攻勢は、ちょうど騎5師の砲兵がヴィオンヴィルの西側から後退した直後に当たります。これらケルベル少佐が率いる砲兵たちは友軍の前進を見ると、再び前進すべくこの普6師に合流するのでした。

 このうち野戦砲兵第10「ハノーファー」連隊騎砲第1中隊は、仲間より遅れて後退しベルダン街道の南側で再度砲列を敷いていた、野戦砲兵第4連隊騎砲第1中隊に加わって、北にあるローマ街道の傍らに進出し砲撃を開始していた仏軍砲列線に向け砲撃を加えたのです。

 この地には程なく野戦砲兵第10連隊重砲第1中隊もやって来て騎砲中隊の間に砲列を敷き砲撃に加わります。この重砲中隊は第37旅団長レーマン大佐の支隊に加わっていたもので、竜騎兵第9連隊の2個中隊に護衛され先行し馳せ参じたのでした。


 また、野戦砲兵10連隊騎砲第2,3中隊は近衛竜騎兵中隊の援護下、第10軍団の砲兵部長で砲兵第10旅団長の男爵フォン・デア・ベッケ大佐が直卒し、ヴィオンヴィル南の高台にある墓地まで前進、ここに砲列を敷いてヴィオンヴィルとフラヴィニーを砲撃するのでした。

 更にゴルツ高地の南西端では、第3軍団の砲兵隊長(砲兵第3連隊長)フォン・ドレスキー大佐自らが野戦砲兵第3連隊軽砲第6中隊を指揮してフラヴィニー川岸の採石場に砲を敷かせ、フラヴィニーを狙って砲撃を開始させました。


 こうして軍団の枠を越えた砲兵の援護を得て、普6師の攻勢軸はヴィオンヴィルに向くのです。


 フュージリア第35連隊第3大隊は6師攻撃列線の右翼となって、第11中隊をヴィオンヴィル部落に向け、他の3個中隊は大隊長メルヒオール少佐が率いてフラヴィニーに向かいました。

 このメルヒオール少佐の行軍は順調に進み、フラヴィニーの南西300mまで前進した後農園の生け垣に隠れて散兵線を敷き、ここから突撃の機会を窺うのでした。

 第35連隊第2大隊はヴィオンヴィルの墓地をフォン・デア・ベッケ大佐の砲兵に明け渡すと前進を開始し、フラヴィニーとベルダン街道間にある林の線に到達しようとしますが、ここでは激しい銃撃戦となり、2個の第一線(第6,7)中隊のみ僅かに進んだだけで、残りの2個(第5,8)中隊は大損害を受け、墓地の高台の陰へ戻るしかありませんでした。


 先に進んだ第6中隊はこの危機に対し、大地の畝を遮蔽に這うようにしてフラヴィニーへ進み続け、また第7中隊は逆のヴィオンヴィル方向へじわじわと前進し、両中隊はこの林を包囲しようとするのでした。

 この第7中隊は更に北を進む第35連隊第1大隊と連絡します。

 この大隊はヴィオンヴィルの南側を目指し前進しますが、この内第3中隊は例の林から猛射撃を浴びてしまい、折からフラヴィニー方面へ前進中の第6中隊に合流し、共に林の南側を回り込もうと進みました。

 第4中隊は墓地の南から進むと第11と第7両中隊の行軍の間に入りました。


 第20連隊は攻撃当初、間隔を開いた行軍列で第35連隊の後方に付けましたが、仏軍の砲兵がこれを狙って榴弾砲撃を始めると後方より伝令が駆け付け、第1及び第2大隊は師団予備として残留せよ、と命じられて、前衛として既に攻撃列線にありフラヴィニー北の林を攻撃中の第3中隊除き、その他の中隊は全てトロンヴィル東の窪地に一時集合するのでした。


 この第20連隊ではF大隊のみ前進を続け、第9,10中隊はヴィオンヴィル墓地に達すると一旦この高台陰に留まり隊を整え、第12中隊は墓地を越えるとヴィオンヴィルへ攻撃を仕掛けるのでした。

 この攻撃には9,10中隊も遅れて加わります。第11中隊は第3中隊が先行する林への攻撃に加わって、ヴィオンヴィルとフラヴィニーの攻防戦は最高潮に達するのです。


 このヴィオンヴィル~フラヴィニー攻撃時点での6師第11旅団の攻撃列線を以下に整理します。


○ヴィオンヴィル攻撃

*第一線(北から)フュージリア第35連隊・第1,2,4,11,7中隊

*第二線(同)第20連隊・第9,10,12中隊

○フラヴィニー攻撃

*(北から)フュージリア第35連隊・第6,3,9,10,12中隊

○フラヴィニー北の林に対する攻撃

*(北から)第20連隊・第3,11中隊

○ヴィオンヴィル南の墓地に集合するもの

*フュージリア第35連隊・第5,8中隊

○トロンヴィル東で予備

*第20連隊・第1,2,4,5~8中隊


挿絵(By みてみん)

ロートマーラー


 普第12旅団の第64連隊は、ブッデンブロック6師団長の命により攻勢第二線としてベルダン街道をヴィオンヴィルへ向かいました。

 

 この連隊のF大隊は当初連隊後衛として前進しましたが、やがて北方よりヴィオンヴィルを包囲するため街道を北に外れて、第一線で戦う第11旅団の左翼に連なります。

 第11,12中隊はトロンヴィル森南部の捜索に向かいましたが、ここには敵の気配はありませんでした。北から背後に回り込まれる心配のなくなった第9,10中隊は、大隊長のフォン・ヴィンス中佐が率いて北からヴィオンヴィルを目指し、森の捜索を終えた第11中隊もこの2個中隊に後続しました。

 オットー・フリードリヒ・フェルディナント・フォン・ゲルシェン少佐(第二次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争で大活躍し勲章を6種得た英雄です)率いる同連隊第2大隊は、第5,7中隊を前に、第8中隊を後ろにしてヴィオンヴィル西郊外に向かい、同じく第1大隊はFと第2の中間で散兵線を敷き、両大隊の進軍を援護するのでした。


 こうして北、西、そして第35連隊が南から包囲攻撃を開始したヴィオンヴィル部落は午前11時30分、三方から波状攻撃を受けて陥落し、仏軍守備隊は多くの負傷者と捕虜を省みる暇なく東へ急速に撤退して行くのでした。

 攻撃側の普軍にも大きな損害が出て、重傷者の中には第12旅団長のヘルマン・フォン・ビスマルク大佐(宰相の親戚ではありません)も含まれていたのでした。


 6師最後の連隊、第24連隊は、第64連隊の攻撃中、トロンヴィル森へ警戒部隊として第2大隊を送り、第1とF大隊はこの森最南端の傍らにヴィオンヴィル攻撃隊が引き上げる時のため援護陣地を設けるのです。

 トロンヴィル森へ向かった第2大隊長フォン・レヒターン少佐は第8中隊を予備に指定して森の中に残し、残り3個中隊を率いてヴィオンヴィルの北からローマ街道へ延びる谷に沿って北上しましたが、ここで東の高地上に仏軍戦列歩兵と砲兵の一大陣地が構築されているのを発見、これに対し果敢に銃撃戦を仕掛けたのです。

 この新たに北方から響く銃撃音に、トロンヴィル森南端にいた第24連隊残りの2個大隊も反応し、急遽北上すると第2大隊が戦う散兵線の右翼(南)に連なって長い戦線を作り出すのでした。

 

 この普第24連隊と戦ったのは仏カンロベル大将率いる第6軍団で、ドゥ・ヴィリエ師団とビッソン師団(実質第9連隊のみ)、そして普軍攻撃に対しサン=マルセルより南下し援軍となったティクシエ師団というおよそ2万5千に上る大軍です。

 これに対し、3千名以下の第24連隊は、ローマ街道脇の左翼(北)から第5,6,7,3,12,4,11,12,9,10中隊の順でベルダン街道の北まで戦線を維持し、連隊長は予備となっていた第8中隊を呼び寄せ、戦線にまんべんなく展開させたのです。


 この戦線左翼(北)の危機(一時戦力差が1対8の大劣勢)に対し、ブッデンブロック将軍はトロンヴィルの東に後置していた予備から第20連隊第2大隊を第24連隊の戦線へ急行させ、少しでも散兵線を厚くさせようとしたのでした。更に砲兵隊に対し、占領したばかりのヴィオンヴィル郊外まで前進し、左翼の仏軍に砲撃を加えるよう命じるのです。


 この命令に対し最初に行動したのは、一時ヴィオンヴィルの南で砲撃をしていたものの仏軍攻勢で後退し、トロンヴィルの東側に砲列を敷いていた軽砲第5中隊で、再びヴィオンヴィルの西まで前進すると部落北西側のベルダン街道北脇に砲列を敷き、ここへベック中佐率いる第3連隊の重砲2個(第5,6)中隊も前進して砲撃に加わりました。

 この南側にはケルベル少佐の軽砲2個中隊が砲列を敷いており、これら5個中隊30門の砲撃は全滅必死の覚悟で戦うローマ街道南の普歩兵に対する力強い援護となったのです。


 こうして普軍6師と第3軍団の砲兵は、ヴィオンヴィル攻略後にその周辺に集中しました。

 フラヴィニーの南西側では第3連隊重砲第3中隊が、陣地転換するため移動中のベック中佐率いる重砲2個中隊と入れ替わり、東側の仏軍に対し砲撃を続け、重砲第4中隊と軽砲第4中隊はその北側、ヴィオンヴィル墓地との間に展開、軽砲第3中隊は独り墓地とヴィオンヴィルとの間に、その墓地の高台にはフォン・デア・ベッケ大佐率いる第10連隊騎砲第2,3中隊がフラヴィニーからその北に掛けて砲撃を繰り返していました。


 対する仏軍の砲兵は2個軍団のほぼ全力と見えますが実際は、第6軍団は2個師団分の砲兵しかシャロンから連れて来れなかったため、野砲(4と12ポンド)とミトライユーズ砲併せて130門程度の砲兵力で、普軍第3軍団他の総砲兵力(各種砲130門程度)とこの時点では互角でした。

 しかし、仏軍は普軍より有利な標高の高い高地上で砲列を敷いたのに対し、普軍は頻繁に前進を繰返し、勇敢に敵へ肉薄して砲撃を繰り返したことにより、普軍砲兵は銃砲火に常に晒され、無視出来ない大きな損害を被ることとなるのでした。

 

挿絵(By みてみん)

普軍砲兵の受難



普第6師団8月6日行軍序列


☆第6師団

師団長 男爵グスタフ・フォン・ブッデンブロック中将

○第12旅団 ヘルマン・フォン・ビスマルク大佐

・第64「ブランデンブルク第8/王子カール・フォン・プロイセン」連隊(第6中隊欠) 男爵ヴィルヘルム・カール・アウガスト・トロシュ・フォン・ブットラー=ブランデンフェルス大佐

・第24「ブランデンブルク第4/大公メクレンブルク=シュヴェリーン」連隊 伯爵ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルト・ツー・ドーナ大佐

○第11旅団 ルイス・カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・レヴィン・フォン・ロートマーラー少将

・フュージリア第35「ブランデンブルク」連隊 デュプレシス大佐

・第20「ブランデンブルク第3」連隊 フォン・フロトウ大佐


*竜騎兵第2『ブランデンブルク第1』連隊 フォン・ドリガースキー大佐

*野戦砲兵第3『ブランデンブルク』連隊

・重砲第5,6、軽砲第5,6中隊(4ポンド砲12、6ポンド砲12門) ベック少佐


☆第3軍団砲兵隊 フォン・ドレスキー大佐

*野戦砲兵第3『ブランデンブルク』連隊

・騎砲第1,3中隊(4ポンド騎砲12門) レンツ少佐

・重砲第3,4、軽砲第3,4中隊(4ポンド砲12、6ポンド砲12門) フォン・リンケル少佐



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