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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
204/534

マルス=ラ=トゥールの戦い/デューリング少将の戦死

 普第3軍団は日付が16日となってから短い仮眠を取り、前日夕方の軍命令に従い早朝にモーゼル河畔の野営地を発ちました。


 歩兵第5師団(以降5師)は払暁時に出立した騎兵第6師団(以降騎6師)に続いてノヴェアン(=シュル=モセル)からゴルズへの街道を行き、この日の到達目標とされたヴィオンヴィルを目指します。

 5師はドルノ(ノヴェアン北2.8キロ)とコルニー(=シュル=モセル。ノヴェアン北北東1.5キロ。モーゼル東岸)に歩兵2個大隊と竜騎兵1個中隊とを後衛渡河点警備とメッス方面警戒のために残し、第9旅団を前衛としてゴルズまで進みました。

 歩兵第6師団(以降6師)の方は軍団砲兵隊を連れ、午前5時にアルナヴィル(ノヴェアン南南西2キロ)を発ちオンヴィル(アルナヴィル西5キロ)からビュシエールを通過してマルス=ラ=トゥール目指し進みました。軍団長のC・アルヴェンスレーヴェン中将は本営と共にこの6師行軍列に加わっています。


 5師の先鋒は午前9時、ゴルズ近郊に到着します。ここで前日深夜に前進した先遣隊(擲弾兵第8「親衛・ブランデンブルク第1」連隊第2大隊など)と先着集合していた騎6師より「多数の敵がルゾンヴィル方面からゴルズへ来襲しつつあり」との報告を受けた前衛を率いるデューリング将軍は、騎6師の先発出陣を見送ると第8連隊の第2大隊を半個大隊に分割し、ゴルズ部落のすぐ北にそびえる「ムッサの丘」とゴルズ西方の一軒家・サン=ティエボーの家(ゴルズ北西500m。現在もあります)を占領させ、それぞれ北と北西側を警戒させるのでした。


 更に将軍は竜騎兵第12「ブランデンブルク第2」連隊の2個(第1,2)中隊を先行させてゴルズ北西高地に向かわせますが、竜騎兵はここで騎6師のラウホ驃騎兵旅団主力と遭遇しました。

 この時、ラウホ旅団は仏軍戦列歩兵の大軍に迫られて後退中で、この5師の竜騎兵も巻き込まれて猛烈なシャスポー銃の弾雨を浴び、アンコーヌヴィルの農家(プレトル林の西にある農場。ゴルズ北西1.7キロ。こちらも現存です)へ退却することとなってしまいました。


 この竜騎兵の後方からは5師前衛の第48「ブランデンブルク第5」連隊第1,2大隊が続いており、これを直卒した連隊長エドゥアルト・フォン・ガルレルツ大佐は果敢にゴルズ北西高地へ進み、予め得ていた命令通りヴィオンヴィルの林の西端突出部に向けて突進しました。この際第1大隊は左翼(北西)、第2大隊は右翼(南東)となり、左翼後方には軽砲第1中隊が続きます。

挿絵(By みてみん)

ガルレルツ

 午前10時15分、騎兵たちがその北西側で後退しているのとは対照的にガルレルツ隊の進撃は順調で、砲兵中隊は左翼側で砲列を敷き、東側の仏軍集団へ砲撃を開始するのでした。

 5師前衛を率いるフォン・デューリング将軍はガルレルツ隊の進撃成功を知ると、先に前哨としてムッサの丘とサン=ティエボーの家に配置した擲弾兵第8連隊第2大隊と、ゴルズの守備に同連隊フュージリア(以降F)大隊を残し、残りの前衛(第9旅団)部隊をゴルズ北西高地(以降ゴルズ高地と記します)に上げます。

 第48連隊F大隊は、竜騎兵が後退して来たアンコーヌヴィルの農家に至るや、例の普軍攻撃隊型・第1,4、第2,3の2個中隊ずつ半個大隊の横列縦隊に分かれ、砲撃中の軽砲中隊の左に進んで突撃を敢行しました。

 この後方では猟兵第3大隊の第4中隊がアンコーヌヴィルを占拠し、他の3個中隊は先を急いで右手に向かい、ガルレルツ隊の後方をすり抜ける形でその右翼(東)の林内に進出するのです。


 この頃、普5師の師団長フォン・シュテュルプナーゲル中将は戦場に至り、当初は作戦計画通りヴィオンヴィルへ向かい、北東からやって来る敵の歩兵大集団に対抗しようと師団主力の北上を急がせました。これは、東側の森林地帯に潜む仏軍ならデューリング将軍の1個旅団で十分、との強気の行動でした。従って師団の残りは予定通りフラヴィニーを経過してヴィオンヴィルまで押し進ませようと画策するのです。

 ところが、この第二軍司令カール王子の親友でもある聡明な将軍は、師団本隊を率いて北上するうちに、「この自分の右翼側から攻撃を続ける敵はかなり強大で、このままではデューリングの旅団は消耗し、師団本隊も側面から襲撃されてしまうだろう」と考えを改めるのでした。


 師団長の不安は間もなく的中します。

 師団主力が前進を始めた頃、最前線で砲撃を続けていたステファジウス大尉率いる軽砲第1中隊は、猛訓練で鍛え上げられた砲撃術で速射に速射を重ねても、次から次へと現れて退却の気配もない仏軍戦列歩兵に圧迫され始め、銃撃を浴びて負傷兵も続出する中、次第に砲撃も困難となって行ったのです。

挿絵(By みてみん)

ステファジウス

 前線の砲兵がほとんど砲撃を止めてしまったことに気付いたシュテュルプナーゲル将軍は、直ちに残りの師団砲兵3個(軽砲第2,重砲第1,2)中隊をゴルズ高地へ上げようとしましたが、歩兵と違ってそれなりに整備された道を必要とする砲兵は、5師主力である第10旅団の前進を待たねばならず、特に重砲第2中隊はかなり遅れて戦闘に参加するのでした。これら先着していた軽砲第1中隊を含め、師団砲兵はこの後砲兵隊長ガルス少佐が統一指揮を行いました。


 この頃(午前10時30分から同11時)、仏第2軍団のシャルル・ニコラ・バージ少将師団はようやくゴルズ高地に現れ、普軍の攻撃に対抗し始めます。シャルル・レテラー・ヴァラゼ准将旅団は高地に進むとその右翼(フラヴィニー方面)となり、シャルル・ジャン・ジョリヴェ准将旅団はヴィオンヴィル林を通過すると林の南西端から高地に出現し、仏軍の最左翼となり普軍のガルレルツ隊と死闘を繰り広げたのでした。

 このバージ師団は奇しくも10日前の「スピシュランの戦い」で銃刃を交えたシュテュルプナーゲル将軍の普5師に対し、包囲殲滅するか高原から追い落とさんと奮闘して苦戦を強いるのでした。


 一方、普軍戦線右翼(南東)ではガルレルツ大佐の第48連隊1,2大隊と猟兵第3大隊が激戦の最中にあり、わずかですが敵を押し返し、その戦場の1mを十数分掛けて前進するような一進一退の戦いをするのでした。

 戦線はヴィオンヴィル林に進み、林内では凄惨な銃撃・白兵戦が断続的に行われますが、精悍な仏兵に対し普兵も負けずに挑んで、どちらかと言えば普軍有利で戦いが進み、戦線は数メートルずつじわじわと北へ前進して行くのでした。


 このヴィオンヴィル林の東側では、ゴルズとその郊外で待機を命じられていた擲弾兵第8連隊の第2とF大隊が、デューリング将軍の命により森林地帯に直行してルゾンヴィル目指し突進しました。

 まず、同連隊第2大隊の半個大隊、第5,8中隊がフォン・フェアシュアー少佐に率いられてムッサ丘から急進、サン=タルヌーの林へ突入すると、ここへ南下して来た仏フェルディナン・オーギュスト・ラパス准将旅団と正面から衝突するのでした。

 この仏軍部隊は頑強に抵抗し、一時的にこの戦線は膠着します。やがて同連隊第6,7中隊もサン=ティエボーより前進し、更に後方ゴルズから同連隊F大隊もやって来ますが、それでも戦闘は一進一退、サン=タルヌーの林は血で地を洗う激戦地となるのです。


 一方、デューリング将軍旅団の左翼(北西)側戦線では、次第に普軍不利の状況が明らかとなって行きます。

 右翼側と違い樹木がまばらで目立つ遮蔽の少ないゴルズ高地上では、集中攻撃された軽砲第1中隊を救うため第48連隊F大隊が砲兵中隊の前に進出しました。直ちに大隊長ゼレ少佐は第10中隊を率いて敵の猛砲火を冒し突進し、連隊長レストック中佐は残り3個(9,11,12)中隊を率いてゼレ隊左翼へ回ります。これで砲兵中隊に向かって急進する仏軍歩兵の側面に出て攻撃しようと目論見ましたが、ドライゼ銃を乱射しながら果敢に突撃する普軍フュージリア兵に対し、数と小銃の優位を活かす仏軍戦列歩兵は逆にレストック隊の包囲に掛かり、北側から後方へ回り込もうと進んで来るのです。

 この攻撃によりレストック中佐の3個中隊は損害甚だしく、隊は潰走状態となって高地南端のゴーモン林まで退却するのでした。

 このばらばらになってしまった兵士たちは、この後に一部は所属の48連隊に帰還しますが、残りは第52連隊に吸収され戦い続けたのです。


 砲兵中隊はこの後方から高地に駆け付けた第10旅団の第52連隊第1大隊によって救われます。

 この大隊は前述通り第10旅団のヴィオンヴィルを目指す行軍の先頭に立っていたもので、その行軍中、前線で指揮を執るデューリング将軍から援助を切望され、大隊長の伯爵フォン・シュリッペンバッハ少佐は連隊本隊を待たずに独断で進路を右に変え、第9旅団の危機に対し助太刀するのでした。


 少佐は大隊を大きく間隔を空けた横隊縦列にして、後退する第48連隊F大隊と砲兵中隊に迫る仏軍に対し突撃を敢行、逆襲を考えていなかったのか動揺した仏軍の先鋒は撃退されてしまいます。これで大隊の背後に回った砲兵は救われたのですが、大隊は更に押し寄せて来た仏軍により散々銃撃を加えられ、同行していた連隊付き士官で副指揮官格のフォン・ショルレマー少佐は戦死、連隊旗手も戦死し、連隊旗は旗手が倒れては保持、また倒れては保持と繰り返し、幾人もの臨時旗手の手を経て傷だらけになって行くのでした。

 この第52連隊第1大隊は、攻撃開始からわずか30分ほどで士官全員が戦死か戦傷で倒されてしまい、勇敢な大隊長シュリッペンバッハ少佐も重傷を負って後送され、この大隊もまた後退を余儀なくされるのでした。


 そして。普軍に更なる悲劇が訪れます。

 この旅団左翼の危機に際し、陣頭で指揮を執ろうと騎行し駆け付けたフォン・デューリング少将は、第52連隊第1大隊の攻撃を督戦中、仏軍銃火を浴びて瀕死の重傷を負い、馬から転げた将軍は程なく、副官ら必死の手当も空しく戦死を遂げたのです。


 少将は10日前の「スピシュランの戦い」でも第3軍団の先陣を務めて早期に戦場へ至り、大胆にも最前線を自ら偵察した結果、フランソア将軍が危地へ飛び込んで行くのを見て、軍を越えて独断で部隊を招聘し攻撃に参加しました。勇敢な将軍は同じく優将シュテュルプナーゲル中将の下で存分な働きを見せていましたが、この凄惨な戦場でフランソア将軍の待つ「ヴァルハラ」へと去って行ったのでした。

 この普仏戦争で普軍2人目の将官戦死が発生したのは、午前11時を少々過ぎた頃のことでした。

挿絵(By みてみん)

デューリング少将

 午前11時の時点で、仏軍はおよそ1個軍団に近い兵力を普軍の1個師団程度の兵力に向けて展開し、特に普軍左翼に向かっての阻止攻撃は効を奏して、シュテュルプナーゲル将軍の普5師は左翼から崩壊する危機に直面したのです。


 この時、このゴルズ高地の南から第10旅団の第52連隊本隊である第2とF大隊が高地上に参上するのでした。

 連隊長ゲオルグ・オットー・フォン・ヴルフェン大佐は戦場に至ると第2大隊を左翼、F大隊を右翼として駆け足で高地の縁を登らせ、先に戦い破れた第1大隊の敵討ち、とばかりにドライゼ銃を乱射しつつ仏軍歩兵隊列へ銃剣突撃を敢行したのでした。


 この気迫漲る攻撃により仏軍歩兵はフラヴィニー方面(北)へ押しやられ、一時的にゴルズ高地南端における普軍の危機が去ります。

 しかし、この突撃もまた高いものとなり、F大隊長フェルヴァルト・フォン・ビッテンフェルト少佐は敵を追撃中に戦死、もう一人の大隊長ルドルフ・フォン・ビューナウ少佐も重傷を負って後送されてしまいました。

 このビューナウ少佐に代わって第2大隊の指揮を執ったのはヒルデブランド大尉で、直ちに第6と第7中隊を直卒すると、第一線に出ていた第5,8中隊と入れ替わり、退却する仏軍をフラヴィニーの南まで追撃するのでした。

 大隊長が戦死したF大隊の方は大損害を受けて兵員が激減、小銃を乱射したため銃弾も不足し始めましたが、これらの兵士たちは他の部隊に入り交じり、この後、押し寄せる仏軍からフラヴィニー以南のゴルズ高地を死守するのでした。


 また、このフラヴィニーへの進撃が行われた頃、第3軍団の本隊から離脱しトロンヴィルを通過して前進した軍団砲兵の一部(野戦砲兵第3連隊騎砲第1,2,3、軽砲第6、重砲第3の各中隊)30門は、ゴーモン林の北の高地上で急ぎ砲列を敷き、第52連隊の攻撃を援助しました。この砲撃は仏軍の進撃を粉砕し、かなりの効果を及ぼしたと思われます。


 フラヴィニー部落の南方まで第52連隊第2大隊が迫った頃、時刻は正午となりました。


 第9旅団と第10旅団前衛の大きな犠牲の上に獲得したゴルズ高地には、第10旅団の残り部隊がやって来ます。

 第12連隊F大隊は第52連隊第2大隊に続いてフラヴィニー方面に向かい、ゴルズ高地の北部を固めます。この間、第10旅団長のフォン・シュヴェリーン少将は第12連隊第2大隊を中核として、激戦で散り散りになってしまった兵士たちを、隊を越えて集め始め、この臨時の集団をルゾンヴィルに対面させ、ビュシエール~ルゾンヴィル街道の両側に展開させました。


 この集団には第64連隊の第6中隊も加わります。

 この中隊は第3軍団司令部の警護中隊として後方に残置されていましたが、C・アルヴェンスレーヴェン中将が第6師団と共に急遽先へ進んでしまったため、後を追って前進しましたが親部隊(第6師団)からは遠く離れてしまい、途中第52連隊F大隊の攻撃に遭遇し、自然とその攻撃に参加、そのままシュヴェリーン将軍に誘われて混成部隊の一員となったのでした。


 一方、普軍5師右翼側、ガルレルツ大佐率いる第48連隊と猟兵第3大隊が占拠するヴィオンヴィル林の西突角では激しい攻防戦が行われ、午後11時前、即ち旅団長戦死の前に連隊長フォン・ガルレルツ大佐は戦死を遂げ、大隊長の一人シュール少佐も戦死してしまうのです。

 この更に北では擲弾兵第8連隊の2個(1,2)大隊が、サン=タルヌーの林間において、林の北縁まで進出すべく戦い続けていたのです。


 この壮絶な戦いとなったゴルズ高地とその東側の森林を、騎乗し行き来するのは5師師団長のフォン・シュテュルプナーゲル中将でした。将軍は部下の旅団長少将ですら戦死する、銃弾飛び交う危険な戦場で身の危険を省みず、砲兵列線の右翼側で戦闘を直接指揮し続け、更に指揮官を失って停滞する団隊に駆け付けると士気を鼓舞し、幾度も右翼の森と左翼の高地を行き来するのでした。


 この頃、奮戦するシュテュルプナーゲル将軍の下に思わぬ増援が届きます。


 この朝、ノヴェアン付近に進んでいた第10軍団の前衛、フォン・リッカー大佐率いる支隊は、5師がモーゼル河畔を発った頃にフォークツ=レッツ将軍からの命令を受領、「シャンブレーへ向かい親部隊の第37旅団と合流せよ」とのことでしたが、先に街道を5師が進んだため到着は遅れ、ようやくゴルズまで来て見ると砲声が響き渡り、5師や騎6師の後方将兵が緊張で顔をこわばらせ行き交っており、リッカー大佐は直ちに戦場へ参入することを決意し、歩兵を半個大隊ずつの戦闘陣形にして前進、シュテュルプナーゲル将軍に邂逅すると「我らを傘下でお使い下さい」と申し述べるのでした。

 シュテュルプナーゲル将軍は有り難いとばかりリッカー大佐に命じ、ルゾンヴィル林の西にある5師の砲兵列線を援護させます。この24門の砲列に、後から駆けつけたリッカー支隊の砲兵1個(野戦砲兵第10連隊軽砲第1)中隊も参加し砲列左翼に付け、ここは合計30門の強力な砲兵陣地となりました。


 この砲兵たち(野戦砲兵第3連隊の重砲1,2、軽砲1,2中隊)は当初ガルレルツ隊の左翼に展開し、ガルレルツ大佐がルゾンヴィル林に突入すると共に前進、右翼をルゾンヴィル林の西突角に、左翼をフラヴィニーに向かう街道とルゾンヴィルに向かう街道との交差点付近に置き、仏軍シャスポー銃の十分な射程圏内で砲撃を繰り返していました。彼らは仏軍の銃撃に損害を出しつつも頑なに北東から北に掛けて砲撃を続行したのです。

 勇戦する砲兵は砲列右翼を第48連隊と猟兵第3大隊、左翼を第10旅団に護られており、更にここへリッカー隊3個の半個大隊(F大隊は左翼、6,7中隊は右翼)が参加して部隊間の隙間を埋めました。

 リッカー隊の残る半個大隊(第78連隊第5,8中隊)は砲列護衛には回らず、バルテンヴェルファー大尉が率いて、ガルレルツ隊が奮戦するルゾンヴィル林に参戦するのでした。

挿絵(By みてみん)

ヴィオンヴィルの南 8.16

普第5師団の8月16日行軍序列


☆第5師団

師団長 ヴォルフ・ルイス・フェルディナント・フォン・シュテュルプナーゲル中将


○ゴルズ先遣隊(15日深夜より現地)

・擲弾兵第8(親衛・ブランデンブルク第1)連隊第2大隊

・竜騎兵第12連隊『ブランデンブルク第2』第4中隊

○前衛/第9旅団 カール・グスタフ・アルフレッド・ヴィルヘルム・フォン・デューリング少将

*先鋒(第48連隊長フォン・ガルレルツ大佐)

・竜騎兵第12連隊第1,2中隊

・歩兵第48連隊(ブランデンブルク第5)第1,2大隊

*本隊(第8連隊長アントン・ヴィルヘルム・カール・フォン・レストック中佐)

・歩兵第48連隊フュージリア(銃兵。以降F)大隊

・野戦砲兵第3『ブランデンブルク』連隊軽砲第1中隊(4ポンド砲6門)

・猟兵第3『ブランデンブルク』大隊

・擲弾兵第8連隊F大隊

○本隊/第10旅団(クルト・ルートヴィヒ・アーダルベルト・フォン・シュヴェリーン少将)

・歩兵第52連隊第1大隊

・野戦砲兵第3連隊軽砲第2中隊(4ポンド砲6門)

・野戦砲兵第3連隊重砲第1,2中隊(6ポンド砲12門)

・歩兵第52(ブランデンブルク第6)連隊第2,F大隊

・擲弾兵第12(ブランデンブルク第2)連隊第2,F大隊

○モーゼル川渡河点守備隊

*ドルノー守備

・擲弾兵第8連隊第1大隊

・竜騎兵第12連隊第3中隊

*コルニー守備

・歩兵第12連隊第1大隊


リッカー支隊の戦闘行軍序列

支隊長 男爵フリードリヒ・ヴィルヘルム・ロタール・フォン・リッカー大佐

○竜騎兵第9(ハノーファー第1)連隊第1,2中隊

○第78(オストフリートラント)連隊

・F大隊9,12中隊

・F大隊10,11中隊

・第2大隊6,7中隊

・第2大隊5,8中隊

○野戦砲兵第10『ハノーファー』連隊軽砲第1中隊(4ポンド砲6門)


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