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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・メッス周辺三会戦
193/534

コロンベイの戦い/激闘のコロンベイ集落

 ロヴァリエールに普軍が入ったことで、戦線中央部の戦いは両軍にとって正念場を迎えます。

 数の上では圧倒的に有利な仏軍は、ザールブリュッケン街道とザールルイ街道の中間点で西へ、ボルニー高地へ「クサビ」を打ち込もうとする普軍を、ドライゼに勝るシャスポーの一斉射撃で食い止めようとしました。


 これまでの戦いでも多くの普軍兵士の出血を強いたシャスポー銃は、このメッス東の戦場でも猛威を奮います。ロヴァリエール部落の西側、ヴァリエール川が作る渓谷西側斜面に連なる高地には、仏軍が何層かに渡る散兵塹壕線を構えて陣取り、有利な高地から途切れない猛射撃で普軍兵士を文字通り掃射したのです。

 従って、ロヴァリエールからヴァリエール川を越え、ザールルイ街道をメッス要塞への進撃を謀った猟兵第1「オストプロイセン」大隊と第43「オストプロイセン第6」連隊F大隊の普兵たちは多くの戦友を失い、西河岸の数少ない遮蔽物に身を寄せ、必死で踏み留まり耐えるしかありませんでした。


 こうして普第1師団の前衛フォン・ファルケンシュタイン支隊が、勝敗の付かない我慢比べのような消耗戦に突入して膠着状態となった頃。

 その右翼隣で同じく西への突破を目論む普第2師団の前衛、フォン・メメルティ支隊では、前衛本隊を成していた第44「オストプロイセン第7」連隊F大隊と擲弾兵第4「オストプロイセン第3」連隊が、密集隊形でノワスヴィルの南側高地に進み出るところでした。

 この地に建つビール醸造場へと進出した第44連隊長ヴィルヘルム・テオドール・カール・ジョブスト・フォン・ベッキング大佐は、ここまで予備として醸造場に留め置いた第4中隊をグピヨン水車場(ヌイイ南西のカラント川河畔・現メス通りD69号線と高速道路の交差ガード付近)を目標として前進させ、この中隊は第1大隊他の3個中隊が戦うメ北高地の南側に連なることとなったのです。


 午後6時。フォン・メメルティ少将は、ノワスヴィルに留めていた歩兵部隊の内、第4連隊第3大隊を右翼側予備として留めると、他の2個大隊をベルクロアの交差点(ザールルイ街道とザールブリュッケン街道が一緒になる現アン・フッス森付近)方向へ前進させます。ヴァントゥー方面から仏軍が進撃し、普第1と第2師団の隙間を突破されることを恐れての処置でした。


 これに続いて擲弾兵第4連隊長フォン・ツィーテン大佐は第1大隊を率い、ビール醸造場の西に砲列を敷く野戦砲兵第1連隊軽砲第5、6中隊の陣地を越えると縦列横隊となって街道の両側に沿って前進しました。

 街道の北を行く半個大隊(第2、3中隊)はベルクロア交差点周辺の仏軍砲兵陣地から盛んに榴弾と榴散弾砲撃を浴び、中隊長一人を始めとする戦死傷者を出しますが怯まずにロヴァリエールの北へ進み、街道の南を行く第1と第4中隊はフォン・シュロッター少佐に率いられてロヴァリエールの戦線に進出し、ファルケンシュタイン支隊の部隊と共に戦うこととなるのでした。


 この第2師団前衛の応援を得て、息を吹き返した形となったロヴァリエールの第1師団前衛は、第43連隊F大隊と猟兵第1大隊の2個中隊が高地を奪取しようと突撃を敢行したのです。

 しかし、これは仏軍の堅い守りの前に失敗に終わり、第4連隊と第43連隊それぞれ1名の中隊長を失った普軍は高地際の斜面から一斉に後退し始め、仏軍散兵線から遮蔽された河畔に待機していた第43連隊第2、3中隊が陣取る窪地まで後退したのです。


 このザールルイ街道の北でも擲弾兵第4連隊第1大隊が突撃を敢行、第2、3中隊は大損害を顧みず敵陣に迫りましたがここでも仏軍に阻止され、生き残った普兵たちは弾雨の下でわずかな遮蔽物にしがみつくしかありませんでした。

 この時、第2中隊は先行して敵が陣取る高地斜面中腹まで登っていました。第4連隊長フォン・ツィーテン大佐は戦況不利と見ると第2大隊を前進させ、第5、8中隊による半個大隊を先頭、第6、7中隊の半個大隊を後続にして戦線右翼(北)を援護、更に斜面の戦線を北へ延伸して中央に掛かる敵の「圧力」を弱めようとするのでした。


 第43連隊の第2大隊と第1、4中隊は南側ラ=プランシェットの戦線で第13師団前衛を援護していましたが、ここに来て本隊が苦戦するのを見ると直ちにザールルイ街道まで北上し、街道に出ると左旋回、ロヴァリエールの戦線に登場します。

 この内第5、8中隊を率いるシュヴェンケ少佐はロヴァリエール部落の南側からヴァリエール川を渡河、第2、3中隊が後退した猟兵や43連隊F大隊に代わって戦う戦線に加わり、第6、7中隊は守備隊不在となったロヴァリエール部落を再占領するのでした。

 更に予備として行動していた第1、4中隊もロヴァリエール部落北西に出て、擲弾兵第4連隊が伸ばした北部戦線に加わります。この半個大隊を指揮していたフォン・ケーニヒセック大尉はラ=プランシェットからの移動中、敵弾を浴びて重傷を負いますが後送を拒否、気丈にも指揮を続けますがロヴァリエールからの北上中に力尽き、戦死を遂げました。


 こうして午後6時までに、普第1、第2、第13各師団の前衛支隊は全力でコロンベイからヌイイに至る戦線で激戦を展開しますが、仏軍は明らかに戦力が上であり、しばらくは膠着状態となるのでした。


 ここに起死回生を目指し登場するのが普軍の「ホープ」、砲兵部隊です。


 普第1師団からは既に、野戦砲兵第1「オストプロイセン」連隊軽砲第1中隊が前線に進出して(モントワ南西で第13師団前衛ゴルツ支隊を援護中)いましたが、午後5時になると残りの3個中隊も前線歩兵部隊の苦戦を救うため、ポン・ア・ショシーの野営から出立し、シリー=シュル=ニエに先行していた第1師団所属砲兵隊(砲兵第1連隊第1大隊)長ムンク少佐は前進を急がせ、引馬に速歩をとらせて重砲第1、2中隊を先行させるのでした。

 この重砲2個中隊はモントワに到着すると既に砲撃奮戦中の同僚、軽砲第1中隊の脇を抜けてザールブリュッケン街道の南側に展開します。遅れて軽砲第2中隊もモントワに到着し、重砲隊の左翼後方に砲列を敷くのです。


 砲兵第1大隊はこうしてモントワ部落周辺に展開し、コロンベイ部落周辺の仏軍へ向け砲撃を繰り返すのですが、敵シャスポー銃の射程内(1キロ以内)に砲列を敷いた南側の新参3個中隊は、砲撃のお返しとばかりに敵からも銃砲撃を浴びながらの激戦となるのです。これにより砲兵大隊長ムンク少佐は負傷し後送されてしまいました。

 ムンク少佐に代わったフォン・ホルン大尉は、大隊長を負傷させたコロンベイ庭園周辺の仏兵散兵線に対し猛砲撃を繰り返し、遂に午後6時頃、コロンベイの領主庭園や「南」ヴァリエール川西岸に居座っていた仏軍を打ちのめし、西へと後退させることに成功するのです。これによりコロンベイで釘付けとなっていた普第15連隊や第55連隊の兵士たちは、遮蔽物の陰から出て西へと進撃することが可能となったのでした。


 普第13師団砲兵も、ゴルツ支隊の苦戦を知った師団長フォン・グリュマー中将の命令により、パンジュ付近の野営地から前進を開始、同時に前進を命じられた第25旅団歩兵部隊より先行してコワンシーを目指し進みます。

 最初にコワンシー近郊に達したのは野戦砲兵第7「ヴェストファーレン」連隊第3大隊の重砲第5中隊で、それまで前衛の砲兵2個中隊の他に第1軍団所属の砲兵に「助太刀」して貰っていたフォン・デア・ゴルツ少将はこの重砲兵中隊に対し、直ちにコロンベイ東郊外まで前進し、コロンベイの領主館周辺と庭園に張り付いたまま離れない仏軍に対し苦戦する26旅団歩兵を近接援護するよう命令しました。


 この重砲第5中隊が前進してコロンベイ庭園の東端に砲列を敷こうとすると、仏軍歩兵がこれを包囲しようと前進し猛射撃を繰り返します。同時に、ミトライユーズ砲中隊に4ポンド野戦砲兵中隊もこの重砲中隊を狙って散弾や榴散弾砲撃を繰り返し、普砲兵は中隊長のシュナッケンベルク大尉ほか新任少尉以外全員が戦死か重傷、下士官兵、馬匹も多くが倒れるという大損害を受けてしまいます。それでも名門貴族の新任少尉リューレ・フォン・リリエンシュタインは自身の怪我を押して中隊の指揮を執り、雨霰と降り注ぐ銃砲弾の中で28発の榴弾を発射した後、付近の歩兵が援護射撃をする中、農家の陰へ中隊を後退させて全滅を免れるのです。

 この中隊はこの後激戦中に砲の修理を行い、コワンシー南の街道脇で砲撃を繰り返していた同僚の軽砲2個(5、6)中隊の隣に砲列を敷き直すのでした。

 同僚の野戦砲兵第7連隊重砲第6中隊は、オジー付近で第5中隊と別れてザールブリュッケン街道を越え、モントワ部落の南西角に砲列を敷くと、砲撃中の第1師団砲兵の右翼と連なってコロンベイの西に砲弾を送り続けたのです。


 これで午後6時の時点で10個中隊60門の砲兵が戦闘に参加していたこととなりました。

 俯瞰すると、左翼(南)側よりコワンシーの南に第7軍団所属の2個(野戦砲兵第7連隊軽砲第5,6)中隊があり、この部落とモントワの間に第1軍団所属の4個(野戦砲兵第1連隊軽砲第1,2と重砲第1,2)中隊と第7軍団所属の2個(野戦砲兵第7連隊軽砲第1と重砲第6)中隊が主にコロンベイ周辺への砲撃を繰り返しました。右翼(北)側ではビール醸造場付近に第1軍団所属の2個(野戦砲兵第1連隊軽砲第5,6)中隊があり、ロヴァリエールからラ=プランシェットにかけて西側の仏軍散兵線に砲撃を行っていました。


 主に第1師団前衛フォン・ファルケンシュタイン支隊と第13師団前衛フォン・デア・ゴルツ少将支隊の一部が戦うロヴァリエール~ラ=プランシェットの戦線では、わずか2個中隊の砲兵が行う支援砲撃が次第に効を奏し始め、歩兵部隊(第43連隊、猟兵第1大隊、第15連隊、第55連隊の各一部)はヴァリエール川渓谷の西側斜面をじわじわと登り切り、高地上の仏軍散兵と対等に戦うことが出来る(仏兵が斜面上から見下ろしながら有利に戦えなくなる)ようになるのです。

 しかし、ここに至っても未だ兵力差が大きいため、メの北高地やベルクロアの交差点、そしてコロンベイ西の高地にはしっかりと揺るぎない仏軍歩兵の散兵線が築かれて、普軍はその「壁」を破れずにいるのでした。


 そしてこの膠着状態に最初の変化が訪れたのは、左翼側コロンベイの戦線だったのです。


 普第7軍団長、老獪なフォン・ツァストロウ大将は遡ること午後4時、「アル=ラクネイーより、フォン・デア・ゴルツ少将支隊が退却する敵を追撃開始」との第一報を受け、続けて4時15分、「前衛は敵と接触し本格的な戦闘に及んだ模様」との第二報を受けるのでした。同時に第13師団長フォン・グリュマー中将から報告と誓願が届き、「第25旅団(フォン・デア・ゴルツ支隊)は既に前進し敵と相対したので、第26旅団(オステン=ザッケン支隊)を援軍として後続させたいが如何」とのことでした。


 ツァストロウ大将も第一軍司令フォン・シュタインメッツ大将の「メッス要塞とその周辺の敵に対し本格的な戦闘を行ってはならない」という趣旨を了解し、また同意していました。しかし、前線で発生した「事態」について手をこまねいていては戦線崩壊の危機に至ると感じ、直ちに状況に応じた対策を発令しなくてはならない、と決心します。

 ツァストロウは軍団後衛の第14師団に命じてラクネイーからコリニー間の高地(オジー方面)へ前進させ、また軍団砲兵隊にも師団に続行せよと命じ、自らは状況確認のため騎乗すると、副官・参謀が追いかける羽目になるほど急ぎ前線へと騎行し、ゴルツ少将と対面するのでした。


 午後5時過ぎ、コロンベイの戦線では前述通り第1師団の救援部隊が戦闘に加入、第25旅団の前衛もまた少時の差で戦線に加わりました。

 このオステン=ザッケン少将旅団はフォン・グリュマー師団長の緊急前進命令を受けるや、コリニー付近で野営していた旅団先鋒の第13「ヴェストファーレン第1」連隊第1大隊が先発し、オジーを抜けコワンシーまで前進しました。 男爵アルベルト・レオ・オットナー・フォン・デア・オステン=ザッケン少将はこの先鋒を追って、パンジュ付近から旅団を進発させます。パンジュには予備としてフュージリア第73「ハノーファー」連隊第3大隊を置き、少将は残りの歩兵4個大隊を直卒してコワンシーを目指したのでした。


 一方、この午後5時頃にゴルツ将軍と一緒にコワンシーの高台から戦況を一瞥したツァストロウ第7軍団長は、「戦闘は既に本格的となり、中止するには遅きに逸した」として独断で戦闘続行を決し、自ら戦線左翼(南)側の指揮を執ることを宣言、まずは第25旅団オステン=ザッケン将軍に命令を送り、「コロンベイ付近で戦う第26旅団に協力し戦闘に参加せよ」とし、続けて第14師団長ゲオルグ・アーノルド・カール・フォン・カメケ中将には「第27旅団を予備としてコワンシーとオービニーの間まで行軍させ、軍団長直接の命令下に行動することとして待機せよ」と命じ、続けて「第28旅団をアル=ラクネイーの西へ進ませ、フォン・デア・ゴルツ少将の戦線左翼を強化し援護せよ」と命じたのでした。


 これらの素早い処置は後々効果を発揮しますが、この命令に応え最初に戦場に登場したのが前述の第13連隊第1大隊でした。大隊長クリッペル少佐率いる大隊は、コワンシーのダム・ジャネット川小渓谷とザールブリュッケン街道の中間を走破して、コロンベイ東のヴァリエール川付近の高地に至りますが、正に激戦中に加入した大隊は堅い散兵線に構える仏兵から正確で激しい銃撃をまともに受けてしまい、大隊長始め4人の中隊長全員が瞬く間に戦死か重傷を負ってしまうという危機に陥ったのです。

 しかし、士官全員が倒れても戦い続けると言われた普軍魂はこの大隊でも生きており、弾雨にも怯まず左右を友軍に委ねた第1大隊は果敢に突撃し、コロンベイを抜ける街道の北側高地で仏散兵を圧迫しながら少しずつ前進を続けるのでした。

挿絵(By みてみん)

 これに続いたのは第73連隊第1大隊でした。この大隊は例によって第1、4中隊と第2、3中隊とに分けた半個大隊2個となり並列して前進し、林間の樹木や庭園の遮蔽物に頼って銃撃を繰り返す普第13と第15連隊兵の援護射撃に助けられて突撃を敢行、仏軍散兵をコロンベイの西からベルクロアの交差点へ続くポプラ並木の小道(現在も当時そのままに存在します)へと撃退するのです。ここで空かさずオステン=ザッケン少将は、73連隊第1大隊長フォン・ドイッツェ中佐に命じ、撃退した仏散兵を援護する敵が潜むポプラ並木道とその道が始まるコロンベイ集落北西のモミの樹林へ突撃を敢行させました。

 この林に潜んだ仏軍散兵はコロンベイ庭園周辺で激闘を続ける普軍諸中隊に大きな犠牲を与え、例えば第15連隊第4中隊の士官全員を戦死か負傷後送させ、この連隊の第1大隊長フォン・ベルギウス少佐にも重傷を負わせ、第55連隊第2大隊長フォン・シュタインヴェーア大尉を戦死させていた存在でした。

 この憎き敵に対し73連隊の第1大隊は果敢に攻撃を加え、その散兵壕に突入し敵を蹴散らしましたが、直後に三方から圧倒的な数の仏軍兵による射撃を食らい、ドイッツェ大隊長と中隊長のフォン・ペテルスドルフ大尉とフォン・バルデレーベン大尉が負傷するなど大損害を受けてしまうのです。


 これでこの73連隊第1大隊も後退せざるを得なく、続いて前進して来た同連隊第2大隊も進撃を大いに妨害されてしまうのでした。

 これを見たオステン=ザッケン少将は、この73連隊2個大隊をコロンベイ集落の東、ヴァリエール川の岸まで後退させ態勢を整えさせます。ここに第13連隊F大隊がコワンシーより前進して登場し、オステン=ザッケン将軍はこの新参部隊を核として再度の進撃を命じたのでした。


 第73連隊第2大隊長のフォン・ランゲン中佐は仏軍の猛砲火の中、部隊をコロンベイ北西のモミ林北端から例のポプラ並木道へ突進させました。オステン=ザッケン将軍は後退した73連隊第1と新参第13連隊F大隊を第2大隊の両翼に1個大隊ずつ連ねて前進させます。第1大隊長ドイッツェ中佐は負傷後も後送を拒絶し部隊を指揮し続けていましたが、この前進で力尽き倒れ、それでも従兵にすがって尚も前進を続けました。


 第13連隊第9中隊(F大隊所属)はヴァリエール川の鬱蒼と茂る樹林で後衛となって留まり、大隊残りの3個中隊は先任中隊長のベーマー少佐が率いて73連隊第2大隊が攻撃中のモミ林に突撃しました。

 この時、大隊長フォン・デア・ブッセ中佐率いる第13連隊の第2大隊も戦場に到着し、こちらはザールブリュッケン街道からコロンベイ戦線の中央部に参戦するのでした。

 この他にも第1師団から第1猟兵大隊の第3、4中隊がモントワの北から南下してラ=プランシェットの東側を通ると、この部落の南で仏軍砲火を顧みずにダム・ジャネット川を渡り、第13師団第25旅団の最右翼と連絡してラ=プランシェットとコロンベイ北部の隙間を埋めるのでした。


 こうしてオステン=ザッケン少将が企画した攻撃は膠着した戦線に風穴を開けるような効果を及ぼします。


 午後6時45分。コロンベイ集落(領主の館と付属した家屋、そして数軒の農家と旅荘、庭園、サント=ナボル教会)は完全に普軍が占領、ボルニーに至るポプラとカシワの樹が並ぶ窪地状となった街道に設えた陣地から仏軍散兵を追い出すことに成功するのでした。

 ここにいた仏軍(第3軍団第2「カスタニー」師団本隊)はボルニー部落方面へ撤退しましたが、その街道陣地の北、コロンベイ北西に続くポプラ並木道と北西のモミ林周辺に散兵線を敷いた仏軍(「カスタニー」師団の一部と第3軍団第3「メトマン」師団)は退かず、この並木道と林に進出した73連隊と13連隊の兵士たちは膠着状態のまま銃撃戦を繰り返し、新たな占領地を固守するのでした。

挿絵(By みてみん)

コロンベイの普第55連隊


 この後、普第7軍団はロヴァリエールの第1軍団最左翼部隊(第1師団の第1猟兵大隊と第43連隊)の協力を得て更に戦線をボルニー方面へ押し進めようとしますが、ベルクロア交差点付近に陣取る仏第3軍団第3師団(メトマン将軍指揮)はこれ以上先には進ませないとの必死の覚悟で普軍が繰り出す突撃を次々と阻止し、これ以上損害が増えると逆襲に耐えられなくなるとして、オステン=ザッケンとフォン・デア・ゴルツ両将軍は順次攻撃を中止します。すると仏軍は、独軍の力が弱まったと見て逆襲を開始し、予備騎兵師団の胸甲騎兵まで繰り出して普軍散兵線を激しく襲いましたが、こちらも頑強な抵抗に遭って失敗してしまうのでした。


 この仏軍逆襲はこの14日夜更けまで断続的に続きますが、その最後の襲撃は最大規模で行われ、この夜戦では普第13連隊第2大隊がコロンベイの西正面で奮戦し、徹底的に仏軍兵を阻止し撃退するのでした。


 こうして「コロンベイの戦い」南側戦線ではグリュマー将軍の第13師団が全力で仏軍を阻止し、コロンベイ集落とボルニー高地東側の線を確保したのでした。



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