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スピシュランの戦い/普ヴォイナ旅団、仏バタイユ師団の参戦

 ローターベルク「紅山」。スピシュラン高地の北北西に突出して、まるでザールブリュッケンの街を指さす人差し指のように延びていて、その尾根の長さはおよそ1,500m、標高は海抜300m前後でその直下北西にあるドラツークの池付近からは90mほど高い標高、北、東、西の斜面はどれも急斜面、この辺りでは珍しく植栽はまばらで、岩が目立つ斜面は細長い頂上から死角がなく、頂上のどこからでも斜面を見通すことが出来ました。

 その岩肌は赤褐色で遠方からでもよく目立つ突出部、スピシュラン高地を「要塞」に見立てるなら正に「稜角堡」と呼べる難攻な場所でした。


挿絵(By みてみん)


 普軍側から見れば不幸なことに、この稜角はフォルバック方面へ抜ける街道と鉄道のある谷の真横にあり、ここに陣取る仏軍によって掃射されるため、普軍はこの拠点を何としても取らねばならなくなったのでした。

 この「紅山」はどう見積もっても正面攻撃が自殺行為と言えるので、普軍の前衛で「紅山」の敵駆逐を命じられたフランソア少将は、左右からの合撃を考えたのでした。

 そのため、前衛部隊(実質普第27旅団)を三分割し、第74連隊第2大隊と第39連隊第3大隊を右(西)翼、第39連隊第1と第2大隊を左(東)翼として午後12時過ぎに攻撃開始、第39連隊長フォン・エスケンス大佐が指揮する左翼隊はスピシュラン高地の東端からスピシュラン部落の北に至り、東から「紅山」に迫りますが、右翼はステック林で強力な敵と遭遇し、その先のスティラン=ウェンデルに強力な仏軍がいることを知り、そちらに戦力を奪われて苦戦し「紅山」西斜面からの攻撃は頓挫したのでした。


 午後1時過ぎ、改めてカメケ師団長から「紅山」攻略を厳命されたフランソア少将は、予備としてザールブリュッケンの練兵場付近に留め置いた第74連隊第1とフュージリア大隊を直卒して前進を開始し、第13師団との連絡用として後方に残置していた第9中隊を呼び寄せるよう命じます。但し第9中隊は到着が遅れ、この戦いの後半に参加することとなります。従ってフランソア少将は7個中隊を直卒して前進したのでした。

 この時フランソアの上司、第14師団長フォン・カメケ中将は師団砲兵隊にも前進を命じて、ヴィンター丘の3個砲兵中隊は南西に進んでガルゲン丘に進み、ここは「紅山」のすぐ北となるため、仏兵から銃火を浴びますが普砲兵は怯まずに砲列を敷き、「紅山」とその後方のスピシュラン高地の仏軍に向けて砲撃を開始するのでした。


 第74連隊フュージリア大隊は第9中隊を欠いた3個中隊のまま各中隊間隔を200mとして横隊となり、中隊の縦列は長さ300m程度で「紅山」とガルゲン丘との間を進みました。しかしここは開けた低地で「紅山」からは「丸見え」の状態、仏兵は盛んに銃撃を浴びせ、また「紅山」から追い出されてスピシュラン高地の西に退いた仏砲兵も再び砲撃を開始し、普軍の行軍は見る見る死傷者続出で落伍者が増大して行きました。

 しかし大隊の兵士は努めて冷静に行動し、欠けた人員の間隔を詰めて隊列を維持しながら前進を続け、遂に「紅山」の北斜面真下に到着したのでした。

 フュージリア大隊長のフォン・デア・ミュルベ少佐は、元より正面攻撃が非常に困難なことを悟っており、同僚部隊による左右両翼からの助攻がない限り山を登ることは自殺行為だと信じていました。そこで「すぐさま突撃を」と逸り立つ部下を宥めて部隊を山際に集中させ、両側の友軍が攻撃を始めるまで「頭上」の仏軍猟兵部隊に対し、その場で銃撃戦を挑むだけに留めたのでした。

 しかし「紅山」の仏猟兵第10大隊は斜面直上ぎりぎりまで塹壕を掘り進め、危険を省みずに身を乗り出して射撃を繰り返し、よって死角の無くなったミュルベ隊はいたずらに死傷者を増やすばかりとなってしまったのでした。


 フランソア将軍は、このミュルベ隊の右側やや後方から第1大隊を率いて前進していました。そしてガルゲン丘を過ぎた辺りで前衛右翼隊がステック林内で苦戦中と聞き及び、ためらわずに第1,2中隊を向かわせ、彼らは途中ドラツーク池付近で先行していた第3中隊の一部を加え、ステック林で善戦したのは前節通りです。

 残った第4中隊は「紅山」の北西側から高地に迫り、仏軍の猛銃火の中損害を被りながらギッフェル・ヴァルド森の北西端に到達し、その高地下の遮蔽地で乱れた隊伍を整えました。この時、その西側でステック林と街道との間で奮戦する第39連隊の第6中隊と連絡を保ち、これでフランソア支隊は辛うじて右翼隊と左翼隊が手を結ぶ形となりました。

挿絵(By みてみん)

普74連隊の紅山攻撃

 この2時過ぎの時点で、第74連隊長フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フォン・パンヴィッツ大佐はそれまで付いていたフュージリア大隊をミュルベ少佐に任せて離れ、他の自部隊を督戦しようと移動しましたが、途中フランソア将軍と出会い、将軍は大佐に「右翼隊が苦戦に付き部隊を増強したのでステック林方面の前衛右翼隊の指揮をお願いする」と命じたのでした。パンヴィッツ大佐は直ちにステック林に向かい、フランソアは自ら「紅山」攻略の指揮を採るため、馬首を巡らすのでした。


 しかし「紅山」を攻囲する普軍部隊はどれも前進出来ない状態に陥っており、普軍はしばらく砲撃のみで戦う羽目となります。

 普軍砲兵部隊はこの時点で第14師団所属砲兵隊(砲兵第7連隊軽砲第1,2重砲第1,2中隊)の計4個中隊24門で、対する仏軍は第2軍団ラヴォークペ師団の4ポンド砲12門、ミトライユーズ6門(砲兵第15連隊7,8,11中隊)とバージ師団の4ポンド砲6門、ミトライユーズ6門(砲兵第5連隊12,6中隊/後に12ポンド重砲中隊が増援で参加)です。

 普軍砲兵は2時の時点で軽砲第1中隊のみドラツーク池付近まで前進し、他の3個中隊はガルゲン丘で砲撃を行い、仏軍砲兵はラヴォークペ師団砲兵が「紅山」の南東側、バージ師団砲兵はステック林と街道の間に布陣していました。

 しかし仏バージ師団砲兵はステック林が普軍に占領される前に圧迫されて後退し、スティラン=ウェンデルの東で砲列を敷き直しました。

 普軍砲兵は終始有利に砲撃戦を行い、午後3時にはガルゲン丘の3個中隊はドラツーク池の北まで前進し、一旦ここで4個中隊が集合して「紅山」と仏軍砲兵への砲撃を続行しました。これにより仏バージ師団砲兵は弾薬車1台を爆破されて砲撃中止に追い込まれ、更に後退することとなってしまいました。

 ここで師団砲兵隊長フォン・アイナッテン少佐は仏砲兵に対する砲撃の効果を高めるため、重砲第2中隊を街道の西へ移動させますが、仏バージ師団砲兵が退却してしまったため方針転換、この重砲中隊は更に南西側のドラツーク池の北端、フォルシュター丘陵の西端へ移動して砲列を敷くと、スピシュラン高地に移動中の仏ドエン旅団の歩兵隊列に対し有効な射撃を行い始めたのでした。


 この午後3時になると普軍には北方から増援が到着し始めます。第14師団の第28旅団(1個大隊欠の5個大隊)は師団長命令で正午にザールブリュッケン西郊外のザール川に架かる鉄道橋を渡って南下を始めましたが、この後もこの国際鉄道の両側に沿ってドイツェ・ミューレ地区を進みました。その先頭は第53「ヴェストファーレン第5」連隊の第1,4中隊で、同連隊の残り6個(第2,3,9~12/第2大隊は軍団砲兵護衛として後置)中隊は先頭同様2個中隊ずつの梯団となって続き、その後方には第77「ハノーファー第2」連隊が続行しました。

 ザールブリュッケン南市街の鉄道線路西に広がるコムナル・ヴァルド森は、既に前衛右翼の第74連隊第2大隊が通過してスティラン=ウェンデルの北、露天掘り炭田まで進撃していたので、第28旅団長のフォン・ヴォイナ少将はその先、敵の左翼側(この場合スティラン=ウェンデルから北を向いて左なので西側・フォルバック方面)に向かうことに決し、第53連隊第1大隊を直卒して鉄道の右へ進み、南から撃ち掛ける仏軍の銃火の中、スティラン森の南側斜面を西へ行軍しました。

 第53連隊フュージリア大隊の2つの梯団はこの第1大隊に続いて森へ入りますが、この森の中も夏草が茂り、行軍は困難で大隊は遅れ始め、先を行く第1大隊を見失ってしまうのです。


 第53連隊に後続した第77連隊第1大隊は、旅団長が先行すると2個中隊ごとの梯団で行軍し、それぞれスティラン=ウェンデル方面の戦線に参加して行きます。

 第2と第3中隊はドイチュ・ミューレ地区からコムナル・ヴァルド森に入って迂回しつつ西へ進み、夏草に苦労しながらも森を踏破してヴォイナ旅団長を追って命令通り仏軍の左翼へ向かいました。第1,4中隊は鉄道沿いに進み午後3時過ぎ、第1中隊はステック林の南で第39連隊第3大隊の兵士たちに合流し、第4中隊はその北側を走る鉄道沿線を占領しました。

 第77連隊の第2とフュージリアの2個大隊は途中まで第1大隊に続きますが、午後2時前後にドイチュ・ミューレの南方でステック林とスピシュラン高地で苦戦するフランソア支隊から伝令が到着し「ステック林から敵を駆逐した後にスピシュラン高地へ転戦して欲しい」との第74連隊長フォン・パンヴィッツ大佐の要望を伝えました。

 これにより、第2大隊は午後3時前にステック林へ入りスティラン=ウェンデル方面の戦いに加わり、フュージリア大隊はドラツーク池付近に達すると鉄道線から離れ、ステック林の南縁から既に人員が去った街道の仏税関(現・独側メッツァー通り/仏側ナシオナル通りの独仏国境付近)を突破すると「紅山」の南西に尾根伝いで続くフォルバッハー(ベルク)山(税関から南へ1キロ付近の丘)の北斜面下に向かいました(午後3時頃)。

 第14師団所属の騎兵部隊である驃騎兵第15連隊はザールブリュッケンの練兵場の南、ガルゲン丘北西に流れる小川が作るエーレンタール谷に待機し、次第に東西へ広がって行く戦線両翼の連絡任務に就きました。


 この午後3時までの戦況を見ると、普軍は「紅山」を攻略するためフランソア支隊を分割して左右から「同時に」攻めようと考えますが、フォン・カメケ第14師団長の目論見と違って仏軍「後衛」の兵力は予想より遥かに大きく、攻撃後直ぐにフランソア少将率いる2個連隊では明らかに兵力不足と判明します。

 そこでフォン・ヴォイナ少将旅団が増援に送り込まれますが、この兵力は計画的ではなく「成り行きで」投入されたため、各部隊が各地でほぼ指揮官の「独断」にて戦闘に参加してしまい、2個の旅団は統一指揮が困難な状態に陥り、下級指揮官の判断で各自戦う羽目となってしまうのです。

 特に、スティラン森からステック林を経てザールブリュッケン~フォルバック街道までの普側戦線右翼は、増援に次ぐ増援で諸隊が入り乱れてしまいました。


 次に午後1時頃から3時までの仏軍の状況を見てみましょう。


 仏軍左翼となるスティラン=ウェンデル方面では、仏軍先鋒の猟兵第3大隊と、シャルル・ジャン・ジョリヴェ准将の旅団(歩兵第76と第77連隊)が順次全てステック林を中心とする東郊外で戦いますが、戦闘は熾烈を極めて形成は次第に仏軍不利となり、遂に林より撤退することとなります。

 これを知った仏第2軍団長シャルル・オウガスタ・フロッサール中将は、シャルル・レテラー・ヴァラゼ准将の旅団から歩兵第32連隊を配置に就いていたカニンヘン山(フォルバックの西)から引き抜いて前進させ、スティラン=ウェンデル市街の護りを補強しました。ジョリヴェ准将はこの増援が到着するとその第1と第2大隊を製鉄所に配置、第3大隊を予備として市街地南西に留めたのです。


 このスティラン=ウェンデルを守るバージ少将師団の砲兵は、軍団砲兵隊より12ポンド重砲1個中隊の増援を受け、午後1時過ぎから砲撃を繰り返しましたが前述通り普軍の進撃で圧迫されて後退、更に砲撃により弾薬車1台を爆破され退却に移り、その際に引き馬を殺されて動かせなくなった大砲5門をスピシュラン高地に向かう街道沿いに遺棄して行くのでした。

 こうしてスティラン=ウェンデル方面が突破される恐れが出てくると、フロッサール将軍は更に騎砲兵1個中隊と猟騎兵第4連隊から騎兵2個中隊を前進させて市街地の南方に展開させ、ここにスピシュラン高地から竜騎兵2個中隊を呼び寄せて布陣させるのです。


 スピシュラン高地では午後3時頃となると、ラヴォークペ少将が悩み始めていました。何故なら部隊の中には小銃を撃ち続けて弾薬を使い果たす者が出始めていたからで、このままでは攻撃力が減衰し普軍に押し切られると考えた将軍は、高地を北東から攻め続ける普軍を追い落とそうと、午後3時にドエン准将に命じ、その旅団で敵を包囲殲滅しようと企てるのです。

 ドエン旅団の仏歩兵第2連隊は普軍左翼(東)へ、第63連隊は普軍右翼の「紅山」へ向かいます。しかし前述通り仏歩兵第63連隊の行軍列は、フォルシュター丘陵に陣取った普軍の6ポンド重砲中隊により手痛い打撃を受けてしまうのでした。


 フォルバックの南東、オッチン高地で軍団予備となっていた第2軍団第2師団長、アンリ・ジュール・バタイユ少将は午前10時過ぎには早くもスピシュラン高地からの砲声を聞き、しばらく後で普軍がザールブリュッケンから南下し始めたことを聞き及ぶと、ファヴァー=バストゥル准将の旅団(第66、67連隊)にプジェ准将旅団から第23連隊の1個大隊と師団砲兵隊から4ポンド砲兵1個中隊を加え、スピシュラン高地のラヴォークペ将軍に援軍として差し向けたのです。

 バストゥル旅団の第67連隊はスピシュラン高地西側斜面に進み、第66連隊の内1個大隊は「紅山」に、1個大隊は第23連隊の1個大隊と共にギッフェル・ヴァルド森で激戦中のミシュレ旅団の援軍として前進し、66連隊第3大隊はスピシュラン部落付近に布陣しました。

 なお旅団と共に前進した4ポンド砲1個中隊は、弾薬が欠乏し始めたラヴォークペ師団砲兵のタイムリーな援軍となりました。


 午後になるとスティラン森方面でも苦戦が伝えられ、オッチン高地のバタイユ将軍は師団の残り(プジェ旅団の第23連隊2個大隊と第8連隊)をスティラン=ウェンデルへ向かわせる決心をして、最後の予備として猟兵第12大隊と工兵1個中隊をオッチン高地に留めた後、自身はこの師団残余を率いて前進します。

 第23連隊の2個大隊は一部をスティラン=ウェンデルの市街地に置き、一部は普軍のヴォイナ少将旅団が包囲を狙っている最左翼(スティラン森方面)に配置されました。

 第8連隊の1個大隊は市街地の南東で予備となり、残り2個大隊はバタイユ少将が直卒して激戦続くスピシュラン高地へ向かいます。

 師団砲兵の4ポンド砲1個中隊とミトライユーズ砲中隊もスティラン=ウェンデルへと前進し市街地南郊で砲列を敷きました。


 こうして午後3時には仏第2軍団の第1師団(バージ少将指揮)はフォルバックに残した第55連隊以外はスティラン=ウェンデルで戦い、第2師団(バタイユ少将指揮)は半数がスティラン=ウェンデル、半数がスピシュランに向かい、第3師団(ラヴォークペ少将指揮)はスピシュラン高地と「紅山」で戦っていたのです。

挿絵(By みてみん)

 仏63連隊の散兵線

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