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8月7日第三軍の追撃

 独第三軍の主力がフロシュヴァイラーの高地で死力を尽くして仏マクマオン軍と戦っていた頃(1870年8月6日)。

 第三軍に遅れて参加した普第6軍団(軍管区はシュレジエン州/第11、第12師団主幹)は列車を連ねてライン河畔に至り渡河すると、徒歩行軍でプファルツに入りました。

 軍団の先頭は第12師団で、この6日朝までにランダウ市街地周辺に至りました。ここで第三軍本営よりフリードリヒ皇太子名で命令「2個大隊をヴァイセンブルクに急行させ街を警備せよ。本隊はアンヴァイラー(・アム・トリーフェルス)を経てピルマゼンスへ向かい、ビッチュ方面を警戒、敵に対し陽動を行うべし」が下ります。師団長フォン・ホフマン少将は命に従い2個大隊を抽出してヴァイセンブルクへ行軍させ、本隊は西へ進軍します。

この日午後には前衛がダーン(ピルマゼンス東南東12キロ)の部落に到着、プファルツとアルザス国境付近をひとり警戒していたB(バイエルン王国)第5猟兵大隊と連絡しました。同時に軍命令の補足「騎兵をして第二軍と連絡せよ」を竜騎兵第15連隊に任せ、騎兵連隊はプファルツを横断してヒンターヴァイデンタール(ダーンの北北東4.5キロ/ピルマゼンス東10キロ)に至り、第二軍の部隊と連絡を通すのでした。


 「ヴルトの戦い」翌日の7日は独第三軍にとって追撃の日、仏マクマオン軍にとっては再建の日となります。


 前日の会戦最終期になってようやく登場した仏第5軍団の第3師団、グイヨー・ドゥ・レスパール少将師団は、ニーデルブロン(=デ=バン)に於いて敗残兵収容任務に当たりましたが、W騎兵の襲撃は撃退したものの追って登場したB第5旅団の本格的な攻撃には、厭戦気分が蔓延しパニック状態となった敗残兵が我先に逃げ出す中、砲撃を受けるや否や共に逃走を始めてしまいました。

 師団配下2個旅団の内、フォンタン・ドゥ・クザン准将旅団は脇目も振らず第1軍団の敗残兵に連なって街を逃げ出しました。その方向は6日早朝に出立したビッチュではなく南西のサヴェルヌ(独名・ツァーベルン)方向で、急行軍で後退していったのです。その同僚アバテュクシー准将旅団はもう少し落ち着いていて、第1軍団の様々な部隊の兵士数千名を引き連れてビッチュへと退却して行きました。


 仏マクマオン軍主力で、部隊としてまとまって後退した諸隊は8月7日中にサヴェルヌの街に到達しました。また、烏合の衆と化して散ってしまった兵士たちも、戦闘の悪夢から醒めて冷静さを取り戻すと、軍の後退集合先とされたヴォージュ山脈とロレーヌ南部との入り口を成す重要な街、サヴェルヌを目指し集合して行きました。


 ところで、仏軍の将軍たちの中で8月6日、最も悩んだのはビッチュにいた仏第5軍団長ファイー中将だったのではないでしょうか?

 中将はこの6日一日中ビッチュから動きませんでした。否、動けなかったのでしょう。


 この6日は普仏戦争でも重要な一日となりました。ザールブリュッケン南方のスピシュラン高地周辺とアルザスのヴルト周辺の双方で、独仏共に数万同士の軍がほぼ同時進行で対戦し、どちらも犠牲の多い戦いとなり、どちらも仏軍が破れて後退することとなります。このちょうど中間点がビッチュの街だったのです。


 仏大本営の命令ではファイー将軍の軍団はアルザスのマクマオン軍とされていました。マクマオン将軍からも、準備出来次第ヴルト方面へ来援せよ、との命令書を持った参謀士官が6日朝にやって来ています。将軍は前日(5日)夜、レスパール師団のみレッシュショフェンへ送り、残り2個師団はビッチュに留め置こうと決心していました。これは将軍なりの判断で、もしビッチュを空にしたり弱小な部隊のみで守らせたりしたら、独軍は必ずやピルマゼンス方面から来襲してビッチュを占領、ロレーヌ北部のバゼーヌ軍の南側面を脅かし、アルザスのマクマオン軍を後方から襲うはず、と確信していたのです。

 結果的にファイーは最悪の判断をしてしまいました。思い切ってどちらか一方に素早く助太刀する、ではなく、どちらにも1個師団程度を送りお茶を濁す、でもなく、6日まるまる一日ビッチュに居座ったままだったのです。


 ファイーは6日朝、レスパール少将の師団を南へ送り出すとほぼ同時に、南北両方向から砲声を聞きました。バゼーヌ、マクマオン両大将が会戦を始めたことが分かりましたが、ファイーは動かず、ただ北部国境方面を警戒し、その先ピルマゼンス方面と、ツヴァイブリュッケンからこのビッチュへ至る街道を監視するに留めたのです。

 レスパール師団が6日早朝にビッチュを出立し、ニーデルブロンに到着したのが夕方4時30分過ぎ。ビッチュ~ニーデルブロン間は直線で17キロ程度。山間部の行軍であり、道程をプラス10キロとして10時間で27キロは普通かやや頑張った、とも言えますが、この調子ですとファイー将軍が6日朝、素早く決断し全力出撃したとしてもスピシュラン、ヴルト両会戦共に本格参戦はならず、間に合わなかったことでしょう。そう言う「合理的な」判断で6日は動かなかった、とも思えます。

 しかし、もしファイー軍団がどちらかに素早く全力で出撃することが出来ていたのならば、独軍が疲弊した最終段階で参戦出来た(もちろんファイー軍団も長駆行軍で疲れていたでしょうが)可能性も捨て切れず、会戦の結末は違ったものになったのかも知れません。


 ですが、この判断を以てファイー将軍のみを責めるわけにも行きません。

 実はファイー将軍とマクマオン将軍の本営間には直通で電信が走っており、間接的ではありますが、ザールに面した仏第2軍団フロッサール中将とも連絡が可能でした。特にマクマオン将軍とは「ヴルトの戦い」最中にも直接間断なくほぼリアルタイムで電信の遣り取りをしていたというのですから驚きます。

 結局この6日、頻繁に連絡し合ったのに、マクマオン将軍はファイー将軍に対し何も命令せず援軍も要請しないままだったのです。「今更何を頼んでも手遅れ」と達観していたのか、ファイー将軍の「性格」を読んで命じても無駄と考えたのか、それともプライドから「援軍無用」としたのか。どんな理由にせよマクマオン将軍は6日、ファイーを使おうとしなかったのでした。

 結局6日夜にファイーが得たのは「スピシュランで仏第2軍団が、ヴルトでマクマオンが敗れ後退した」という情報だけで、命令や要請など一切受けていなかったのです。


 ファイーは両側軍団の敗戦を受け、指揮官会議を開きます。結果「このままでは第5軍団のみ敵中に突出してしまう」として午後9時、ビッチュの2個師団を南方ラ・プティット・ピエール(独名・リッツェルシュタイン/サヴェルヌ北北西13キロ)を目標に一気に退却してしまうのでした。

 あんなに固執したビッチュには正規歩兵1個大隊だけを残し、周辺の税関監視兵を集めて臨時に防衛部隊とし、砲兵若干と文官数名が残留、動きが鈍い輜重も残置するといった慌て振りだったのです。


 さて、独第三軍の方ですが、このマクマオン軍の「逃走」方向がサヴェルヌ(南西)だと当初は気付きませんでした。これは夜になり騎兵が全て追撃を中止し、歩兵部隊が野営をしてしまったからで、後日追撃すべきだったとの批判もありますが、戦場はその逃走方向がヴォージュの山間部で、夜間は大変危険な(地形だけでなく、伏兵も考えられます)場所でしたから、疲弊し始めた部隊では無理との判断もあったものと思われます。

 また、混乱の原因は第5軍団のレスパール師団の逃走方向で、ほぼ半分が西へ、もう片割れが北へと逃走したので、推測が難しくなったのでしょう。第三軍参謀部はビッチュへ逃げたアバテュクシー准将旅団の動きを重視して、マクマオンはロレーヌのメッス方面にいると思われるナポレオン3世とその配下のバゼーヌ軍と合同するつもりであろう、と考えました。

 ブルーメンタール参謀長は6日夜も更けてから普第12師団のホフマン少将に電信を送り、「陽動ではなくビッチュ方面に前進し、本格的に仏軍敗残兵を攻撃せよ」と事前の命令を変更したのでした。


 7日早朝になっても第三軍本営は、マクマオン軍主力は北へ逃走したと信じていました。

 これは夜の明ける前から動き出した普第4騎兵師団第2驃騎兵連隊の各斥候からの報告の検討からで、驃騎兵たちは早朝西へ騎行し、モルスブロンヌの南ウグネの部落で住民を聴取し「夜間に軍隊の行軍はなかった」との情報を得、ミーテスハイム(ガンデルショフェン3キロ)やファファノフェン(ガンデルショフェン7キロ)でも軍隊の通過を確認していない、などの情報を集めて来たのです。


 この情報から、騎兵第4師団は第2驃騎兵連隊のみを西へ進め、残りを全て北へ進めることに決したのでした。

 しかし師団がニーデルブロンの北、ヴォージュ山脈に差し掛かる山道の入り口に差し掛かると、そこには強力な仏軍の後衛が山間にがんばっていて猛射撃を行い、普騎兵はどうしても突破出来ません。

 やはり第三軍命令によりビッチュ方面へ進もうとニーデルブロンにやって来たB胸甲騎兵旅団もここを通過出来ず、これ以上進むことが適いませんでした。これを見たアルブレヒト親王は決断し、いたずらにここで戦って時間を潰すより、少なくとも数千の敗残兵が去ったと思われる西方、イングヴァイラー方面に進んだ敵を追撃することに決したのでした。B胸甲騎兵旅団も普国王の末弟に従い、ここに強力な騎兵集団が西へ、つまりは敵が去った「正解」の方角へと進むことになったのでした。


 このツィンスヴィラー~ロートバッハ~イングヴィラーと続くヴォージュの山麓を行く街道には、おびただしい数の仏軍兵が捨てた銃器や背嚢、壊れた砲車に馬車などが散乱していて、敵の大軍が退却して行ったことは明白でした。同時にうずくまって動けない落伍兵があちらこちらにいて、動けなくなっても抵抗し射撃をする兵士もいて、この街道は危険に満ちていたのでした。


 午前10時、師団主力はイングヴァイラー市街へ突入しこの街を支配下に起きました。アルブレヒト親王は抵抗がなかったことから、敵の主力はやはりビッチュに去ったものと信じて、「敵の主力はニーデルブロンよりビッチュへ退却し、目立つ一団がイングヴァイラーを通過して更に西へ進んでいるようだ」との報告を行うのでした。

 午前11時に騎兵師団前衛はブーウィラー(独名・ブックスヴァイラー/サヴェルヌ北東12キロ)に到着し、ここで昨日よりの強行軍で疲労が激しい馬匹や兵士たちを休めるため、アルブレヒト親王は大休止を命じたのでした。


 この部落周辺で英気を養った普第4騎兵師団とB軍胸甲騎兵旅団の騎兵たち合わせて30中隊は、砲兵3個中隊と共にこの先ヴォージュ山脈麓の有数都市サヴェルヌへ前進して行きました。

 ところが街道を進む内に仏軍の落伍兵を多く見ることとなり、また、前衛がサヴェルヌ北東5キロのステンブールに近付くと周囲から一斉射撃を受けたのです。また、別の一隊はストラスブールに至る鉄道を走る軍用列車を望見しました。

 「敵の少ない方」へ進んだはずが、実は大きな方だった。目前の敵はマクマオン軍本隊だ。アルブレヒト親王始め師団の首脳はそう確信したのでした。


 まずはステンブール近郊の敵を付属砲兵による集中砲撃で四散させると、日も沈んだ午後8時、普第4騎兵師団とB胸甲師団はステンブール近郊で野営を始めたのでした。長駆敵を追求した騎兵は疲れた体に鞭打って周辺を警戒し、斥候を送り出しました。ところが偵察斥候が戻る前に、ストラスブールに繋がる鉄道線路を破壊しようとした騎兵小隊が敵の哨兵部隊から猛射撃を受けて敗退し、驃騎兵の斥候もことごとく銃火を受けて撤退してしまいます。サヴェルヌ北東郊外のモンスヴィラーを偵察した斥候は、サヴェルヌより歩兵の数個大隊がこちらに向けて進撃を始めた、と警告したのでした。

 止めはサヴェルヌへ送った斥候騎兵で、逃げるようにして戻って来ると、サヴェルヌ周辺には敵の大軍がおり、その数はとても3千騎ほどの騎兵では適わない規模、と報告したのです。

 このままでは夜襲される恐れもあるとして、アルブレヒト親王は後退を決意し、騎兵たちは夜半に急ぎ野営を撤収しブーウィラーへ移動するのでした。


 独第三軍が放った追撃の騎兵はこれだけでなく、W(ヴュルテンブルク王国)騎兵や他のB騎兵連隊が放った斥候もありました。これらの偵察隊も全てが、レッシュショフェンの西及び北西方向に敵の大軍を予感させる報告をしています。

 W騎兵はアルブレヒト親王の「騎兵集団」の後方からその後を進んだため、ツィンスヴィラー付近に仏の落伍兵を、ブーヴィラー付近で敵の歩兵大隊を目撃し報告しただけに終わりますが、B槍騎兵旅団はフロシュヴァイラーの北、ヤエーガータールからビッチュ方面に向けて斥候を送り出し、リエッシュバッハ(ニーデルブロン北西7キロ)、その南東フィリップスブール(同5キロ)、そして国境地帯の要衝ステュルゼルブロンヌ(ビッチュ東10キロ)を目標に進みました。しかし、どこにも敵の姿を見ませんでした。またスチュルゼルブロンヌへ向かった斥候は途中ダンバッハ(ヤエーガータール北西5キロ)で普第6軍団(多分12師団の騎兵)の斥候と遭遇したため、北部国境の偵察を任せて引き返したのでした。


 普第12師団はビッチュへ向かうようブルーメンタール将軍より命令されましたが、この命令が届く前にホフマン師団長は独断で既にビッチュへ向けて進発していました。

 7日朝には独仏国境を越えて本隊がスチュルゼルブロンヌに入り、前衛は北西方向へ進んでハスペルシュト(ビッチュ北東5キロ)で第二軍の竜騎兵第5連隊と連絡を通じました。

 ホフマン中将は追って届いた参謀長命令により独断が軍命令へと「昇格」すると、ニーデルブロンへの山道とビッチュへの街道に斥候を送り、斥候は幾多の情報を持って帰りました。すなわち、6日夜には数多くの敗残兵が南より押し寄せ、エキュエルシュアールト(ビッチュ南東5キロ)を通ってビッチュに至り、深夜には元々駐留していた大部隊が南方へ向けて出立した、とのことでした。斥候は大胆にもビッチュの要塞にも近付き銃撃を浴びて撤退しましたが、途中妨害はなく、敵の姿を見ませんでした。


 この7日サヴェルヌにいた仏軍マクマオン大将は、ステンブールにまで普騎兵がやって来たことを憂慮していました。これは未だ会戦の傷が癒えない諸隊の状況を見るに、このサヴェルヌで再び戦うことは危険と感じたからでした。マクマオンは7日夜、落ち着きつつある本隊を更に西20キロのサルブール(独名・ザールブルク)へ退却させました。これでブーウィラーへ後退したアルブレヒト親王の騎兵とは30キロ以上離れ安全を確保しました。

 また、6日深夜にビッチュを発したファイー軍団は目的地のラ・プティット=ピエールから更に南下を続け、この7日深夜、サルブールでマクマオン軍と合流に成功するのです。

 マクマオン将軍はファイー将軍と共に更に強行軍を続ける決心をして、8日早朝にリュネヴィル(ナンシー東南東20キロでサルブールから40キロ以上)に向け出発するのでした。


 この様に皇太子の独第三軍は7日夕方、接触に成功した仏マクマオン軍を再び見失うこととなってしまいます。


 8日早朝、第三軍の本隊はフロシュヴァイラー=レッシュショフェン方面から前進し、サヴェルヌまで至りますが既に敵は去っていました。皇太子は敵が去った方向と思われたヴォージュ山脈を見やると、モルトケ参謀総長の作戦通りヴォージュ越えをし、ロレーヌの中心地ナンシーへ向けて進撃を決するのでした。


挿絵(By みてみん)

ヴルト会戦後、ヴォージュ地方を後退する仏第1軍団

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