表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/534

ヴルトの戦い/フロシュヴァイラー陥落

 8月6日午後3時から4時過ぎにかけて、北はネーヴァイラーから南はエバーバッハまでの仏軍陣地線に対する独軍の攻勢は、その中心となるフロシュヴァイラーの町を包囲するまでとなります。

挿絵(By みてみん)

 フロシュヴァイラー(19世紀)


 この「フロシュヴァイラーの戦い」に関しては、独仏の当時の資料は個人の目から見た記録が大多数で、当事者の参謀本部戦史課等の公式記録でもはっきりした記載が見られません。独参謀本部戦史課など「諸隊が同時に市街地へ突入したので時間経過や団隊の特定など出来ず、はっきりしたことは分からない」(「普仏戦争」公式戦史・筆者意訳)とサジを投げています。


 これは当たり前と言えば当たり前で、この独仏互いに死力を尽くしたと言える「ヴルトの戦い」の最終段階では、仏軍は師団どころか連隊、大隊としての単位もほぼ消滅し、兵士は所属に関係なく入り乱れた状態でかろうじて防衛陣地にしがみつく、といった有様で、それは独側も同じく、比較的後半に参戦したB(バイエルン王国)第1軍団やW(ヴュルテンブルク王国)師団ですら大隊単位も維持出来ない部隊があり、特に朝から戦う普第5軍団や北独第11軍団では、混成した臨時の集団で戦っている者が多くあったのです。


 また、仏側にとっては敗北の記録のためか当時の軍への批判や戦術の否定に終始するものや個人の勇気を称えるだけの武勇伝が多く、公平かつ戦闘そのものを記述した戦記は少ないのです。

 普仏戦争では他の戦闘もそうですが、フランスについては直後に政変が発生し国の姿も数年で二転三転したお陰で、戦闘に従事した部隊などの記録は忘れ去られて内容は希薄で、指揮官のプロフィールも(タダで手に入るものは)多くはありません。個人の研究や日記、回想録ばかりでは全体像が見えにくくミクロに終始して、また敗れた者の記録は概略になりがち等々なかなか参考になりません。(すみません、この下り筆者のグチです)


 独側も勝者の記録で、しかも諸国連合であり手前味噌な記述も見られ、こちらも直後にドイツ帝国というひとつの「国家」にまとまったため、そちら(ビスマルクやモルトケ個人を称えたり、政治や帝国構成各国の情勢)に目が行って概要ばかりが目立ったりする資料が多くあります。

 第一、この混乱状態ではのんびり戦闘経過の記録など採っていられるはずもなく、公式戦記ですらほとんどが戦闘後の個人の記憶を参照して記述するばかりとなるのは仕方がないことです。


 しかし、それら個人記録の断片を集めた戦記などを眺めると、そこには極限に至った将兵たちが、既に勝敗が決したにも関わらず「何か」に取り付かれたかのように戦う姿や、戦友や国の名誉のために犠牲精神を発揮する姿が見え隠れするのです。


 感傷的な筆者にとってこれは、古今東西、他の時代、他の戦争のクライマックスでも現れる「兵士にとって」の戦争の「真の姿」に他ならないのではないか、と思ってしまうのです。

 既に忘れ去られようとしている140年以上も前のヨーロッパでの戦い、東洋の一国では興味すら持つ者もいない戦闘の記憶。

 そこには平和な状態で戦争も歴史の一齣としか眺めない我々には到底計り知れない、人間の深淵があるような気もするのです。


 筆者の戯言はこのくらいで〆。ご笑止頂き、これ一応、実際の戦史なんです……先を記しましょう。


挿絵(By みてみん)

フロシュヴァイラーの戦い(ヴルト会戦)


 フロシュヴァイラーに対する独軍の攻撃は、砲兵の準備から始まります。

 仏軍のエルザスハウゼンへの逆襲やフロシュヴァイラー東高地での徹底抗戦などで、独軍歩兵がこのまま攻勢を続けるには、どの部隊も「一息」入れる必要があり、この小休止と部隊の整理や補給のわずかな時間、砲兵たちは休む間もなく砲撃準備に追われました。


 第11軍団の砲兵で、フロシュヴァイラー攻略に活躍したのは騎砲第3中隊と軽砲第5中隊で、仏軍逆襲時でも活躍したこの2個砲兵中隊は、敵が去った直後にエルザスハウゼン部落の西側を通過して北上します。歩騎兵の護衛も付けない進軍は大変危険でしたが、彼らは構わず進んで行き、仏軍砲兵が慌ててフロシュヴァイラー市街へ逃げ込んだため、前線に遺棄された4ポンド砲4門を鹵獲し、この前後に騎砲兵中隊は仏騎兵の小部隊から襲撃されますが、これを歩兵の護衛なしで砲撃と小銃射撃で撃退するという勇戦振りでした。


 この12門の勇気ある砲兵部隊は、フロシュヴァイラー市街目前ほぼ1キロ近郊まで前進し、市街地からシャスポー銃の変わらぬ正確な猛射撃を浴びて曳馬は全滅しますが構わずに砲列を敷き、市街地とレッシュショフェンへ至る市街西側の街道を狙って、間断のない砲撃を開始したのです。

 この砲撃は非常に有効で、シャスポーの射撃はたちまち減少し、ようやく前進を始めた独軍各部隊の進撃を大いに助けたのでした。


 今となってはどの部隊がフロシュヴァイラーに一番乗りしたのか確定的ではありませんが、詳しく記録に残っているのはW師団の動きで、W第3猟兵大隊が部隊の先鋒となり市街に接近しています。

 この猟兵大隊長、フォン・リンク中佐は副官とフォン・グライフ大尉指揮の三十数名の猟兵と共に大地の畝の陰や溝を辿って発見されずに部落至近まで迫り、敵が街道を西に向かって退却しているのを発見するのでした。

 中佐は直ちに「突撃!」と叫び、猟兵たちは街道めがけ駆け出しました。それを見た後続の本隊も突撃を敢行し、中佐は途中撃たれて負傷するものの構わず部隊の先頭で突進し市街の西口へ飛び込んだのでした。


 その南側、エルザスハウゼンの北郊では第11軍団長ボーズ中将が、自ら集合し進軍準備中の諸部隊を監督し、準備の成った部隊の先頭に立って指揮を執り行軍しましたが、フロシュヴァイラー部落至近となると敵の銃撃も凄まじく、余り遮蔽物のない高原では再び負傷者戦死者が続発し始めました。

 この時、グンステットで既に負傷し、応急の手当てを受けただけで指揮を続けていたボーズ将軍にまたもや銃弾が当たり、中将は重傷を負って馬からすべり落ち、遂に人事不詳に陥ります。ほぼ同時に周囲にいた副官たちも撃たれて倒れ、本営の参謀中尉と伝令2名が将軍のすぐ横で戦死しました。11軍団参謀長のシュタイン・フォン・カミンスキー少将も乗馬が撃たれて倒れますが彼自身は無事で、直ちに軍団の指揮を代わると、程なく近辺にいた第44旅団長オットー・ベルンハルト・フォン・シュコップ少将に指揮権を渡すのでした。

挿絵(By みてみん)

フロシュヴァイラーへ突進するW猟兵第3大隊と督戦するボーズ将軍


 指揮を代わったシュコップ少将は、ボーズ軍団長が集めた諸隊を中核に、自ら付近の諸隊を吸収し統括指揮をして、一気にフロシュヴァイラーへ迫るのです。シュコップ将軍の部下、第83連隊長アルトゥール・マルシャル・フォン・ビーバーシュタイン大佐は急ぎ疲弊してばらばらとなっていたエルザスハウゼン付近の数個連隊の兵を集合させ、攻撃の第二陣とし、シュコップ隊の後方から続いて市街地へ突入したのでした。


 フロシュヴァイラーの市街地は石造りの家屋が並び、同じく拠点となりそうな尖塔のある教会もありましたが、既にそれを守る兵員は少なく、部落のあちこちでは火災が発生し、唯一脱出出来る北西方向と、未だ普軍の進出が少ないと思われるレッシュショフェンへの街道へと脱出する兵士の集団が列を成しており、町は騒然としていました。

 普軍はそんな断末魔に喘ぐ町に三方から、ほぼ同時に突入したのです。


 第5軍団に属する擲弾兵の第7連隊2個大隊と、第59、47の各第2大隊、そして一参謀が率いるW第2連隊第1大隊の一部はヴルト~フロシュヴァイラー街道を直進して東口から町へ突入します。

 W第2連隊第1大隊の主力は連隊長フォン・リングラー大佐直卒で市街地の南西側にある田園を占領、そこに砲列を敷いていたミトライユーズ砲中隊を撃破しました。

 第19旅団長フォン・ヘンニング・アウフ・シェーンホッフ大佐はヴルト街道の南側にいた兵士を、第5、第11の「軍団違い」も構わず「おれについてこい」式にかき集め、街道の南を進んで南東から市街地へ突進、W第2連隊の残りも同じく南東側から市街地へ向かいました。

 W第5連隊第2大隊はヴルト街道を越えて北側に出、そのまま北東から市街地へ入りました。ほぼ同時にB軍の諸隊もその後を追うように町に殺到しています。

挿絵(By みてみん)

 シェーンホッフ

 そのB軍の第4師団と第1師団、そして普第5軍団の第17旅団などランゲンソウルツバッハからフロシュヴァイラー東高地にかけて仏軍と死闘を繰り広げた諸隊は、陣地線から逃走した仏軍を追って午後4時過ぎにフロシュヴァイラーの北東から北側に到着し、市街地へ突入しました。なお、一部の部隊はそのまま市街地を北へ迂回して西側に至り、レッシュショフェンへの街道に出、撤退する仏軍を追いました。

 こうして四方から市街地に突入した独軍は、短くも激しい最後の市街戦を行ったのです。


 仏軍は市街地でなおも激しく抵抗します。しかし既に部隊は崩壊し、戦う将兵の数は少なく、生き残った多くの兵士は闘争心を失って早々と西へ、更に南西へと逃亡を始めていました。

 最後まで戦い抜く決心をした一部の仏兵たちは、この終末の時点では全く意味のない家一軒ずつを奪い合う市街戦へ独軍を引き摺り込みましたが、この抵抗もわずかな間でした。


 普第94連隊はこの午後4時には市街地の西口とその周辺を占領し、この時点で街は完全に包囲され、市街地の中にいる仏軍の逃げ場がなくなります。


 主にフロシュヴァイラー東側の防衛を担って来た仏第1軍団第3師団長ノエル・ラウール少将は、1810年12月26日パリの東マルヌ河畔の町、モーでパン屋の息子として生まれます。サンシールを卒業後、この普仏戦争で戦った他の将官たちと同じくクリミアで戦い2度負傷、レジオン・ド・ヌールを獲得し、同盟したイギリスは彼をバス勲爵士にしました。その後、アフリカ、イタリア(マジェンタにソルフェリーノ)と転戦し、1867年に少将となります。

 ここまで皆さんと見て来た通り、マクマオン傘下となったラウールは名将の師団長として恥じぬ戦いをしますが、この戦いの最後にフロシュヴァイラーで負傷し、B第5連隊第1大隊の捕虜となります。将軍は重傷で遂に回復せず、捕虜のまま9月3日還らぬ人となりました。独軍は名誉礼を以て丁重に彼を埋葬しました。現在、彼は故郷モーに再埋葬されています。

挿絵(By みてみん)

捕虜となるラウール将軍

 ラウール少将やここまでに記載した士官だけでなく、この「ヴルトの戦い」では多くの高級指揮官が戦死したり、重傷を負ってそれが原因で死去したりしています。

 デュクロ師団第1旅団所属の第96連隊長エルネスト・ドゥ・フランシー大佐は、B軍や普第5軍団とヴルトの西高地やフロシュヴァイラー東高地で戦いますが、反撃の先頭に立つ度に銃弾を受けて負傷すること3度、それでもフルニエ伍長の肩を借りて立ち、激しい痛みに失神しそうになりながらも意志の力で指揮を続け、最期はフロシュヴァイラーの市街地で4度目の銃弾を受け、教会に運ばれた大佐はそこで絶命しました。「ヴルトの戦い」では、彼の他に6人大佐が戦死しています。


 ジュール・エドゥワール・コルスン准将はマクマオン大将の参謀長で、サンシール(陸軍士官学校)を優秀な成績で卒業するとクリミア、アルジェリア、イタリアとフランス第2帝政の主な戦争に参加し、マクマオンの懐刀となった陸軍でも将来を嘱望されていた逸材でした。

 コルスン准将は常にマクマオン将軍の傍らにいましたが、エルザスハウゼンが抜かれ、フロシュヴァイラーが危機に陥ると、降り注ぐ砲弾の下、踏み止まるマクマオンを促してレッシュショフェンへと後退させると准将は本営の指揮を代わってフロシュヴァイラーに残ります。

 しかし、街が包囲され四方から攻撃されると前線に出て督戦し、そこで銃弾を浴びて戦死してしまいました。マクマオン本営の副官シャルル・ロベール・ドゥ・ヴォーグ大尉も同時刻に戦死を遂げています。

 コルスン以外にも、コンセイル・ドゥメスニル師団の旅団長、エミール・メレ准将も砲車の弾薬が誘爆したことで戦死しています。

挿絵(By みてみん)

 コルスン准将


 また、B第2連隊第3大隊はこのフロシュヴァイラー進撃の途中、東郊外の林間で、銃砲撃で旗竿が粉砕されて落ちていたナポレオン1世を模して3世皇帝が制定した鷲章旗を捕獲するのでした。


 こうしてフロシュヴァイラーは陥落し、市街地で捕虜とならなかった仏将兵は西へ遁走し、レッシュショフェンからニーデルブロン(=レ=バン)方面へ散っていったのです。


 この撤退する仏敗残兵に対しては独軍各砲兵隊と、フロシュヴァイラーの西側へ進撃した第11軍団の諸兵が射撃や砲撃を浴びせ、被害を拡大させました。

 しかし、このフロシュヴァイラー~レッシュショフェンへ至る街道の北側には仏軍最後の予備隊が控えていたのです。この仏軍後衛はおよそ1個旅団程度の兵力で侮れぬものがありましたが、11軍団諸隊が迫ると随時撤退を始め、そのほとんどがレッシュショフェンへの退却を成功させました。

 この時、砲兵が1個中隊踏み止まり、街道に迫った普第94連隊の一部と82連隊のフュージリア大隊に対し猛烈な砲撃を加えたのです。

 これに対して普軍も逆襲し、第82連隊第11、12中隊がこの砲列に突撃すると、仏軍砲兵は6門の砲を遺棄して曳馬を連れ西の森へ逃げ込んだのです。

 この後、82連隊と94連隊は森から猛烈な射撃を受けますが怯まず前進し、敵の後衛部隊を西へと撃退しました。

 また、グロッサーヴァルト森を前進し、この森を貫くフロシュヴァイラー~レッシュショフェン街道に達した第32連隊はこの街道を西へ向かい退却する仏兵を待ち伏せし、多数を捕虜としたのでした。


 午後5時。フロシュヴァイラーでは銃声が消え、独軍の掃討戦が終了しました。

 B軍の諸隊は街の西口で、W第2旅団は南西方で集合します。B第1軍団長フォン・デア・タン大将は、この時にゲルスドルフに到着・集合したB第2師団に対しフロシュヴァイラーへ前進するよう命じるのです。また、B第2軍団の第5連隊、B軽騎兵第3連隊、そしてB第2師団から先行した4ポンド野砲中隊はひとつの支隊となり、急ぎレッシュショフェンとニーデルブロンへ向け追撃の先鋒として出発し、W第2旅団はその南側、ガンデルショフェンへの進撃を休むことなく開始するのでした。


挿絵(By みてみん)

軍旗を護って-フロシュヴァイラーの仏96連隊(第1軍団)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ