表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
159/534

ヴルトの戦い/ズアーブとティライヤール(後)

 さて、マクマオン軍の右翼を任せられていたデュクロ少将は、エルザスハウゼンでの敵の攻撃が激しくなり、また、ほぼ同時にB軍の親衛や第11連隊の一部が、混戦の果て味方から銃撃を浴びて撤退し始め、戦線全体が弛緩するのを見ると、午前中のように北部の戦線を安定させてフロシュヴァイラー防衛を完全なものとする決心をし、ランゲンソウルツバッハの森林地帯を目指しての反撃を命じます。

 攻撃隊に選ばれたのはデュクロ自身の師団第2旅団のズアーブ歩兵第1連隊で、第2旅団長ルイ=ユール・ポスチ・ドゥ・ウルベック准将はズアーブ第1連隊の第1、2大隊を連隊長シモン・ユベル・カルトゥレ=トレクール大佐が直卒し、一部が退き始めたB軍への逆襲を命じるのでした。

 カルトゥレ大佐は部隊を先導し、森の南縁に沿い砲撃を喰わぬよう森から出ずに進み、B軍後衛と接触すると突撃を開始しました。


 この緊急事態に対しB軍第1旅団長カール・フォン・ディートル少将は、一時連隊から離れて進み、戦線の後方に展開した親衛連隊第3大隊と河畔警備任務を解かれ前進したB猟兵第2大隊を直接指揮し、森の中を押し寄せるアフリカ兵を中心とした仏軍の一大突撃を迎え撃ちました。

 ディートル隊の反撃に勇気を得た親衛連隊の退却中2個大隊と11連隊第3大隊もこれに加わり、ディートル将軍はこの5個大隊を敵の突撃に向かって進撃させ、ここに仏軍とB軍が正面から衝突したのでした。

 この時戦線の右翼(北西方)では、B第1師団の登場により第一線を任せ、迂回し北東からフロシュヴァイラーを目指していたB第2軍団第4師団の2個大隊(第5連隊第3と第11連隊第3大隊)が、普第5軍団から分派され加わっていた普第5猟兵大隊と共に仏軍の逆襲を見て、その一部が敵の側面に対して攻撃を加えたのです。


 兵力差を補う塹壕や遮蔽物の少ない森の端では、三方向から倍以上の兵力で突進するB軍側に利があり、攻守は再び逆転、ズアーブ兵は銃火にばたばたと倒れて行きました。

 この手痛いB軍の反攻で仏ズアーブ連隊は全体の3分の1に及ぶ死傷者を森林中に残し、急ぎ出発した陣地へと逃げ帰るしかなかったのです。


 こうして、フロシュヴァイラー東高地とそれを覆う森の縁で延々3時間も続いた独軍最右翼の戦いは、この午後3時30分過ぎとなってようやく動き始めたのです。これはB第1旅団長フォン・ディートル少将の働きも大でしたが、B第2旅団長カール・フォン・オルフ少将が率いた兵士たちに負うところも大でした。


 先述通りB第1軍団の前衛旅団である第2旅団は、ヨハン・バプテスト・フォン・シュテファンB第1師団長の命令により、ゲルスドルフ西とアルテ水車場でソエ川を渡河し、その後攻勢発起点へと移動、

左翼(北東)に、第2連隊第2大隊と第11連隊第1大隊、

中央に、第2連隊第3大隊と第11連隊第2大隊、

右翼(南西)に第2連隊第1大隊と猟兵第4大隊という構成で、

左翼はヴルト北方、右翼はザーゲ水車場から攻撃を発起しました。


 左翼部隊はフロシュヴァイラー東高地の攻防が膠着状態となると直ちに森を出て、ソエ川沿いのレンバッハ~フロシュヴァイラー街道の南側を「むき出し」の状態で進みました。これでは街道の西側斜面上でがんばる仏軍諸隊から銃撃を浴び続けることとなってしまいますが、東側はソエ川が作る広い「死の草原」河畔で、北西の森の中は味方が敵と激戦中でなかなか入ることが出来ません。部隊は犠牲を覚悟して進み、多くの死傷者を道路上に点々と残したまま後続に任せ、死の行軍を続けたのでした。

 中央部隊はその北の森(現・ダッシュロシェワール森)の中を進み、前述通り追って参加したB第1旅団やB第2軍団第5連隊、普軍第37連隊のフュージリア兵2個中隊らと肩を並べて強固な陣地に籠もる仏軍と戦うのでした。

 一番西側で最右翼を行く部隊はザーゲ水車場からソウルツ川を渡河し、ランゲンソウルツバッハ~フロシュヴァイラーへ続く林道の西側と森(現・マテルマンブロンヌ森)の間を行き、その東側林道に沿ってB第1旅団の右翼(猟兵2、9大隊)が進みました。この右翼には更に普猟兵第5大隊が追い付いて加わります。

 更にその西側にB第2軍団右翼の第5連隊第3と第11連隊第3大隊が続行しました。前述通りこの右翼部隊は仏ズアーブ第1連隊の逆襲時、北西側面から効果的な銃撃を加え敵に大損害を与えています。


 一方、このフロシュヴァイラー東高地の戦いにB軍左翼で連なる普第5軍団第59連隊の2個大隊も、B軍が同士討ちで後退するなど芳しくない戦況に陥ると、駐止していたゲルスドルフ部落を出てソエ川を渡り始め、攻撃に参加しました。

 これは59連隊長アイル大佐の独断で、午前中からここゲルスドルフで待機を強いられ、味方が苦戦するのを眺めるしかなかった大佐は颯爽と愛馬に跨がると、それまでの鬱憤を晴らすかのように2個大隊を直卒し、第1大隊を第一線、フュージリア大隊を第二線としてレンバッハ~フロシュヴァイラー街道を越え高地東の斜面に取り付きました。


 これら部隊の着実な前進で、既に兵員が危険な域まで減っていた防衛陣地の仏軍は次第に圧倒されて行き、遂に退却若しくは降伏する部隊も出始めたのです。

 しかし、ズアーブやティライヤール兵たちは簡単に退却や降伏を受け入れず、仏本国出身の正規士官が全て倒され、アルジェリア出身のベルベル人士官が倒れてもなお戦い続ける部隊がありました。


 既にエルザスハウゼンでの仏軍大逆襲に参加したことにより、アルジェリア=ティライヤール第1連隊は部隊としての機能停止状態となっていました。


 2日前にヴァイセンブルクの停車場で普第5軍団と死闘を演じたこの部隊は、マクマオン将軍のエルザスハウゼンに対する逆襲の先頭に立ち、突撃して行ったのです。

 ヴァイセンブルクで損耗した部隊はほぼ半減し、補充は為されていませんでしたが、その闘志は一向に衰えることがなく、逆にガイスベルクで戦死したドゥエー師団長の敵討ちとばかりに逸っていました。

 彼らは素晴らしい突進力で疲弊した普軍の戦列を切り裂き、エルザスハウゼンの部落の前を通過して、凄まじい闘争心を発揮して敵を恐慌に陥れ、遂には潰走させたのです。その勢いのまま南のヌージャイスワイウレの小森林を突破し、一揆果敢にニーダーヴァルト森の北辺まで到達したのでした。


 しかしその時、彼らの後方では普軍の逆襲が始まり、彼らはあっという間に敵中に取り残されてしまうのです。

 既に佐官は全て戦死か負傷し、連隊を率いていたのはカンタン大尉でした。大尉は馬上からケピ帽が傾げるほど大きな身振りと良く通る大きな声で部下を激励します。

「さあ行こうじゃないか!こんなのはまだ戦争じゃない!お前たちの耳元を掠める音の正体は銃弾なんかじゃない。ミツバチのざわめきに過ぎない」

 その瞬間、大尉は銃弾に斃れました。


 その後の僅か数分間で、連隊はおよそ800名を失います。

 部隊は崩壊し、捕虜とならずに生き延びた兵士はフロシュヴァイラー目指して潰走して行きました。

 しかしこの部隊の犠牲は、エルザスハウゼンからフロシュヴァイラーへ退却する仏軍に貴重な時間を与えることとなったのでした。


 ヴルトの西に居座り続けたズアーブ歩兵第2連隊は、普第5軍団やB軍兵との絶望的な攻防戦を、部隊として機能しなくなる瞬間まで続けました。

 この部隊で、6日朝に点呼された65名の士官と1,924名のズアーブ下士官兵のうち、生きて戦場から離脱出来たのは18名の士官と836名の下士官兵だけで、残りは全て戦死か行方不明、そして捕虜となったのです。捕虜の中には重傷を負って倒れた連隊長、ポール・アレクサンダー・デトリ大佐の姿もありました。


 アルジェリア=ティライヤール第2連隊にも最期の時が迫っていました。

 既にシャスポー銃の弾薬はなくなり、陣地はB軍兵に囲まれ、猛烈な銃撃の後で数波に及ぶ銃剣突撃を受けますが、ティライヤール兵は銃剣で戦い、銃を失った者はサーベルや短剣で戦い、それも失った者は素手と歯で戦いました。

 彼らは最期まで籠っていた小屋の四周で防戦し、そして四方から一斉に突撃されると陣地を棄て、最期の突撃を敢行するのでした。


 数分後に死闘は終わり、積み重なる重傷者と死者、そしてほんのわずかな軽傷者だけが残され、立てる者は両手を上げ降伏するのでした。小屋の前には、全身10箇所を銃剣で突き刺されて絶命したアングラード中尉(死後昇進し大尉)の無残な遺体が、多くの戦死した部下と共に転がっていました。時間は午後4時を過ぎていました。


 前述通りこのティライヤール第2連隊には朝の点呼時、76名の士官に率いられた2,200名の下士官兵がいました。

 翌日にマクマオン軍の退却先とされたサヴェルヌの街でヴェノー大尉に率いられ点呼を受けたのは士官3名下士官兵241名、ストラスブールへ逃走したのが士官3名下士官兵175名、ビッチュまで落ち延びたのが士官2名下士官兵25名、合計士官8名下士官兵441名だけが部隊の残りで、6日午後遅くに独側の捕虜となったのは士官28名を含む170名、その殆どが何がしかの負傷をしており、連隊長大佐と二人の大隊指揮官中佐を含め、残りの士官40名下士官兵1,600名余りは全て戦場の露と消えたのでした。


 南のニーダーヴァルトからエルザスハウゼンで戦い、北独11軍団に押され続けてフロシュヴァイラーの東側防衛陣地帯に入ったラルティーグ師団のズアーブ歩兵第3連隊の残存兵は、アイル連隊長に直卒された普第5軍団第59連隊の部隊と衝突します。

 この普第59連隊の2個大隊はソウルツ川を越えてヴルトの西側に達し、最も仏軍の抵抗が頑強なフロシュヴァイラー~ヴルト街道の南側で一進一退の戦闘を繰り広げました。

 ズアーブ兵だけでなく本土召集の兵も一歩も退かない戦い振りを見せますが、仏軍側の衰退は挽回しようのない限界を超えており、陣地を追われ防御遮蔽物を破壊され、遂に主要陣地の塹壕線に乗り込まれて白兵戦となり、59連隊は多大な犠牲を払ってヴルトの西、フロシュヴァイラー東高地の陣地線を占領するのです。

 アイル大佐は乗馬を2頭も銃撃で失い、自身も負傷していましたが後送を拒否、指揮を執り続けました。

 頑強に抵抗していたズアーブ歩兵第3連隊は壊滅状態でフロシュヴァイラー方向へ逃走し、陣地には死んだ旗手と、彼が手離さなかった連隊旗が残されていました。


 この59連隊の奮戦で戦況は一気に終盤へと向かいます。

 59連隊の右翼(北)はティライヤール兵を降伏させ森を突破して来たB軍と連絡します。また左翼(南)は、ヴルトの西正面で苦闘の末仏軍陣地を突破して登って来た、同僚の第58連隊第1とフュージリアの2個大隊とがっちり連絡を取ります。

 これによりフロシュヴァイラー部落の東側に独軍の障害はなくなったのでした。


挿絵(By みてみん)

バイエルン軍と戦うズアーブ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ