ヴルトの戦い/バイエルン第1師団登場
普第5並びに第11軍団は、朝方8時より午後3時前まで戦い続けた結果、遂に仏マクマオン軍を高地陣地帯の中心地フロシュヴァイラー(仏語名・フレッシュウィレル)周辺まで追い詰めて最後の攻撃に向かいました。
既に仏軍には頼もしく強力な存在だったはずの胸甲騎兵部隊は、脆くも大打撃を受けて消え、後方連絡線となるフロシュヴァイラーからレッシュショフェン(独語名・ライヒスホーヘン)に至る街道は、普軍部隊が南より脅かすまでに迫っていました。
しかし、この時点までの仏軍による激しい反撃と強固な防衛戦闘により、独の両軍団共にほとんど予備兵力がなくなり、力戦の連続は部隊を疲弊させ、部隊が四散しはぐれた兵士たちの中には手近の士官に率いられて、臨時の混成部隊の一員となり戦い続ける者も多くありました。
この第5と第11軍団が独自に戦う羽目となったのは、そもそも両軍団の前衛が独断で戦闘を開始し、それを上級指揮官たちが追認して事態を拡大させ、第三軍総司令官であるフリードリヒ普国皇太子が認知した時には北のB(バイエルン王国)第2軍団第4師団を含めて統制もなく勝手に戦い進めていたのが原因です。
しかもB第4師団は、地勢が小兵力でも守りやすい戦場の北東から、敵と互角かそれ以下の兵力で、陣地に待ち受ける敵に対し戦い始めてしまい、その後も少しずつ兵力の逐次投入を行っては膠着状態となる「まずい」戦い方をしてしまいました。そのため、仏軍側の勇敢なアルジェリア植民地兵などによる奮戦もあって戦線を動かすことが出来ず、また誤った命令により一時後退するなど普軍の主攻勢を助けることが出来ませんでした。
この北東からの攻撃を、マクマオンは第1「デュクロ」師団の半数、ほぼ1個旅団程度で抑え、軍団の残りを全て北独普軍の大部隊に差し向けることが出来たのでした。
しかし激戦も5時間を超え、午後になってフリードリヒ皇太子が戦場に到着し、全独軍の統合的指揮を始めると、ちょうど仏軍の疲弊と損耗も限界を超える頃合いとなり、戦況は少しずつ独側有利へと変化していったのでした。
フリードリヒ皇太子は午後1時より、ヴルトとディーフェンバッハ間にある丘陵で観戦し続けていましたが、第11軍団が苦闘の果てにエルザスハウゼンを目指し進撃を始めると(午後1時30分頃)、ディーフェンバッハに来着しキルヒバッハ第5軍団長と会見していたB第1軍団長フォン・デア・タン大将を呼び、「直ちにソエ川を渡河し第5軍団を援助せよ」と正式に命じ、グンステットへW師団が向かうとの報告を聞くや、その師団長オーベルニッツ中将へ伝令を送り、「敵の退路を遮断するため、グンステットからレッシュショフェンへ向かう」よう命令するのでした。
実際にはW師団の前衛、W第2旅団はエルザスハウゼンの疲弊した普軍に「活力」を与える援軍として使われてしまい、レッシュショフェンには一部だけが向かいます。
この時、W師団が「全力で」レッシュショフェンに向かわなかったことは、会戦終了後に微妙な影響を与えることとなります(後述)。
さて、エルザスハウゼンが陥落し、仏軍最大の逆襲も失敗に終わった後、第11軍団の構成部隊で最終目標であるフロシュヴァイラーに向かうことが出来たのは、エルザスハウゼン部落とその周辺にいた、
第82連隊第2大隊、第83連隊第1大隊、同フュージリア大隊、第88連隊フュージリア大隊、第95連隊フュージリア大隊、
以上隊として多少は集合が出来ていた5個大隊と、中隊単位でばらばらになっていた諸連隊の残存部隊だけでした。
また、フロシュヴァイラー攻撃を間接的に支援可能だったのは、エルザスハウゼンとレッシュショフェンの間で北上していた諸部隊で、エルザスハウゼン北西高地からエバー川の間には第94連隊があり、その西には第82連隊フュージリア大隊がいました。更に最左翼には第32連隊が森の中を街道に向かって北上しています。
以上記した部隊以外は損耗と疲弊が激しく、エルザスハウゼンやその南、ニーダーヴァルト森周辺で再編成中で、その中でも闘志いまだ衰えない少数の部隊のみが前線へ急ごうとしていました。
ここまで11軍団を救い続けた砲兵部隊は、8個中隊が前線に展開しなおも支援砲撃を続けようとしており、フロシュヴァイラー攻撃の最中には後方予備となっていた軽砲第3と第4中隊も追いついて砲撃に参加します。
そして第5軍団の砲兵たちもその先発の5個中隊(軽砲第4,5,6中隊・重砲5,6中隊)がヴルトからやって来て、11軍団砲兵に加入して会戦最終期に活躍するのです。
ここで、この「フロシュヴァイラーの戦い」に至るまでのB(バイエルン王国)軍と普第5軍団の動きを追ってみましょう。
普第5軍団は午後の戦闘再開によりフロシュヴァイラー東高地に取り付き、その左翼(南)部隊は11軍団の右翼(東)と接触、連絡協力し合ってエルザスハウゼンを目指し、中央と右翼(北)部隊はフロシュヴァイラーの東に陣取る強力な仏軍(第3「ラウール」師団と第1「デュクロ」師団のそれぞれ一部)と死闘を繰りひろげました。
歩兵第19旅団(第46、第6連隊)は主にヴルト~フロシュヴァイラー街道に沿って西進しましたが、それは1m刻みで仏軍と土地を奪い合う死闘の末の前進でした。旅団は第46連隊の2個中隊と第6連隊の1個中隊(集落警戒や後方砲兵援護で後置)以外その全力(およそ5個大隊)で敵と相対し、特に46連隊フュージリア大隊は軍団参謀長フォン・デア・エッシ大佐が直卒し、一旦は敵の逆襲で後退するものの再度前進し、その後は会戦最終期まで軍団最右翼(北)を突き進み、敵の北側面からの逆襲を防ぎ切るのです。また、ヴルトの橋などを補修した軍団の工兵第1中隊も旅団に追従し、歩兵として戦ったのでした。
第18旅団(第7擲弾兵、第47歩兵連隊)はヴルト南西からエルザスハウゼンに向かって戦い進み、第7連隊はその前衛として最初にエルザスハウゼンに東から接近し、11軍団諸隊と接触し共同で仏軍と戦いました。続いて第17旅団(第58、第59連隊)の各連隊第2大隊がエルザスハウゼン東高地に達し、追って第46連隊から離れた2個中隊、激戦を重ね未だ部隊としてまとまっていた第37連隊の2個中隊、そして第20旅団の第50連隊で未だ戦える残存兵は、11軍団の同様に散らばった兵士たちと混合して戦場にやって来るのでした。
ヴルトの西入口では最初に戦い始めて疲弊し後退していた第20旅団第37連隊の残存部隊(2個中隊ずつエルザスハウゼンとB軍の戦線へ前進)が集合を完了し、その西方フロシュヴァイラー高地の東端では第17旅団第58連隊第1とフュージリアの両大隊が激しい攻防戦を行っていました。
この会戦の殊勲甲、第5軍団の砲兵諸部隊は軍団長キルヒバッハ中将の命令でソエ川を渡河しようとしましたが、先述通り渡河出来たのは第10師団砲兵隊の4個中隊と軍団砲兵中の3個中隊で、その内第10師団砲兵隊と軽砲第4中隊は苦労してエルザスハウゼンの東に到着すると、師団砲兵4個中隊は部落の西側へ進み、軽砲第4中隊は東側で11軍団砲兵と合同しました。但しこれら部隊と共に渡河した軍団の重砲2個中隊は、会戦の終了までに砲列を敷くことが出来ずに終わってしまいます。
この他の砲兵部隊は結局ヴルト部落とソエ川を越えられず、ゲルスドルフとヴルト間に展開し、主にB軍の戦線後方の仏軍陣地に対して砲撃を繰り返しました。
また、竜騎兵第4連隊は砲兵護衛のためゲルスドルフへの街道沿いに展開し、竜騎兵第14連隊はザーゲ水車場方面へ騎行するのでした。
B第1軍団第1師団は午後1時、その前衛をゲルスドルフ付近まで前進させ、その後方では師団本隊の第1旅団がプロイシュドルフを通過して前進中でした。
軍団長のフォン・デア・タン大将は部隊に先行してディーフェンバッハに到着し、普第5軍団長キルヒバッハ中将と親しく会見しますが、この時フリードリヒ皇太子より「B第1軍団は第5軍団と共にフロシュヴァイラーへ向かい行軍せよ」との命令が下りました。
フォン・デア・タン将軍は直ちにB第1師団に対し「敵の左翼(北側)を包囲攻撃せよ」と命じるのです。
フォン・デア・タン大将 シュテファン将軍
B第1師団長フォン・シュテファン中将は命令を受領すると、先行するB第2旅団に対し「即刻ゲルスドルフ西側正面とアルテ水車場付近とに分かれてソエ川を渡河し、フロシュヴァイラー東高地を攻撃」し、B第1旅団に対しては「第2旅団に続行しソエ川を渡河し、アルテ水車場からレンバッハ~フロシュヴァイラー街道をフロシュヴァイラーに向けて行軍せよ」と命じました。
B第2旅団は前衛部隊の歩兵2個大隊(B第2連隊第1大隊と猟兵第4大隊)をアルテ水車場へ向かわせ、本隊の4個大隊(B第2連隊第2、3大隊とB第11連隊第1、2大隊)をゲルスドルフの西側で二列とし、第2連隊2個大隊を右翼(北)、第11連隊2個大隊を左翼(南)としてソエ川渓谷に向かって進軍したのです。
ソエ川の西岸に面した高地上からは仏軍がシャスポー銃を猛射し、B軍兵は弾雨の中川辺に向かい負けじと応射しました。アルテ水車場に向かった2個大隊は現地に元からある細い橋ばかりでなく、付近の樹木を伐採し丸太で応急の仮橋を設置し、次々に対岸へ渡って行きました。
この部隊はソウルツ川のザーゲ水車場まで前進しようと山林(現・スタルベルワル森)を越えますが、水車場に着いてB第2軍団の部隊と連絡する頃には隊伍が乱れ、兵が散ってしまったので暫くの間ザーゲ水車場で部隊を整えなくてはなりませんでした。
一方の4個大隊の本隊は、増水したソエ川を胸まで浸かって苦労して渡河した後に、敵の銃撃が続く中、駆け足で500m離れたソウルツ川まで進み、ここでも敵からの狙撃を受けつつ対岸に渡り、フロシュヴァイラー東高地の斜面に取り付いたのです。
当然ながらここまでの損害も大きかったのですが、B軍は構わず斜面を登り続け、B第2連隊の第2大隊は左翼をヴルト北西郊外に置き、大間隔による縦列横隊で展開し、その右にはB第11連隊の第1大隊が連なって、こちらは2個中隊毎に梯団となって進みました。その後方からはB第2連隊の第3大隊が続き、付近で戦い続けていたB第2軍団第4師団の兵士たちと接触しました。残ったB第11連隊第2大隊は予備隊として後続します。
こうしてB軍は第2軍団第4師団と第1軍団第1師団が合同し、疲弊していた第4師団を第1師団が助けつつ次第に高地の縁から前進しようと企てますが、仏軍は元より天然の要害と言える起伏の大きな丘陵の森の影に散兵線を築き塹壕を掘り、鹿柴(バリケード)なども置いて待ち構えており、B軍が波状攻撃を掛けても持久し、逆襲を行って一進一退となります。
ソエ川東岸からは普軍やB軍の砲兵が遠距離で砲撃を行い、仏軍の強固な拠点にいくらかは損害を与えるものの、独仏互いに退かない血生臭い膠着戦が暫くは続いたのでした。
午後1時45分になると、B第1旅団の前衛がゲルスドルフに入り、そのまま駆け足の急行軍でアルテ水車場の渡河地点からソエ川を渡った旅団は、先行し苦戦するB第2旅団の北側や東側に到着し、戦闘に参加し始めました。
B親衛歩兵連隊の第1、2大隊はB第2連隊第3大隊の右翼に入り、B親衛歩兵連隊の第3大隊は一時的に高地の縁に沿って南西へ進みました。
また、B第1連隊の第1、2大隊とB猟兵第9大隊は旅団予備隊として後続し、偵察や連絡のため方々に散っていたB「軽騎兵」第3連隊は集合してアルテ水車場で待機、B猟兵第2大隊は一時ソウルツ川渡河地点に後衛として留まった後、前進して行きました。
こうしてB第1軍団第1師団が本格的に参戦し、それまで膠着状態を続けたフロシュヴァイラー東部の高地は今まで以上に厳しい戦いとなって行きます。
午後3時前時点で、ヴルトの北西部フロシュヴァイラー東部高地での戦闘参加部隊をまとめると以下の通りです。
☆B第2軍団第4師団(午前中から戦っていた部隊)
B第9連隊の残存兵、B猟兵第6大隊の残存兵、B第1連隊第3、B第5連隊第3、B第7連隊第1の3個大隊残存兵による混成集団。
☆B第1軍団第1師団(新規)
〇B第1旅団
B第2連隊第1大隊、B猟兵第4大隊。
B第2連隊第2、3大隊、B第11連隊第1、2大隊。
〇B第2旅団
B猟兵第2大隊、B親衛歩兵連隊第1、2、3大隊。
B第1連隊第2、3大隊、B猟兵第9大隊。
☆B第2軍団第4師団(新規)
B第5連隊第1、第2大隊、B第11連隊第3大隊。
☆普第5軍団(新規)
第37連隊の2個中隊、猟兵第5大隊。
新たにフロシュヴァイラー東高地攻撃に参加した部隊は、疲弊して員数が著しく減っているはずの仏軍拠点に対し何波にも渡る銃剣突撃を敢行しますが、午前中にB第4師団兵士が経験したのと同じ、仏兵の変わらぬ猛烈な銃撃により攻撃は次々と失敗し、損害はいたずらに増えて行くばかりだったのです。




