ヴルトの戦い/11軍団ニーダーヴァルトへ
仏ミシェル騎兵旅団等による「死の騎行」で攻撃の出鼻を挫かれたモルスブロンヌの普軍は、捕虜の処置や部隊の整理を急ぎ、午後1時30分過ぎ、モルスブロンヌ周辺から改めて北上を開始しました。
その中心戦力は第43旅団の第32連隊で、東から追い付いて来た同連隊のフュージリア大隊を迎え、部隊集合のなった連隊は中隊毎の縦列となって中央先陣を切り、右翼(東)には第94連隊第2大隊が続行、左翼(西)には軍11軍団工兵第3中隊が連なりました。
第二線右翼は第80連隊の2個中隊で、付近で本隊からはぐれて「迷子」になっていた兵士たちを吸収しつつ縦隊で進み、左翼では第94連隊フュージリア大隊が本隊から次第に離れ北西のエバー川渓谷沿いに進んで行きました。
この94連隊フュージリア大隊は2個中隊毎に分かれ、第9、10中隊はエバー川東岸の森林を通過してエバーバッハ部落の南東まで進み、同第11、12中隊は川の西岸を進みつつ、河畔付近に潜んでいた仏コンセイル師団の小部隊と交戦、これを撃退しながらエバーバッハに向かいます。
94連隊の第2大隊はフロシュヴァイラーへ向かう林道を進んで高地に上がり、ドゥルレンバッハから仏ミシェル旅団の残党を「狩った」後に前進して来た同連隊第1大隊が後方に続行しました。
エバーバッハに向かった部隊以外は抵抗を受けることなく全てがフロシュヴァイラーの高地に登り前進し、右翼部隊は直ぐにアルブレヒツホイザー・ホーフの友軍に連絡しました。
ここで少し時間を巻き戻し、仏軍ミシェル騎兵旅団が南進を開始した頃からのニーダーヴァルト森南側の様子を記しましょう。
午後1時前、アルブレヒツホイザー・ホーフでは普猟兵11大隊と第95連隊の第2中隊が、攻撃でばらばらになっていた兵士に集合をかけて収容し、点呼整理している最中に左翼で仏騎兵の突撃があり、しばらくの間射撃を行いますが仏騎兵は全て南へ進んで消えました。
そのうちに東よりニーダーヴァルト攻撃の第二線がやって来ます。これは第87連隊第1大隊の半個(第3、4中隊)と第2大隊、第95連隊の第1大隊3個(1、3、4)中隊と第2大隊の半個(第5、6中隊)、そして第80連隊の4個(3、4、10、11)中隊と、合計15個中隊(およそ5個大隊)という強力な部隊でしたが、80と87連隊は午前中から戦う第41旅団の部隊で、死傷者を後送し疲弊し始めていますので、戦力は通常の3分の2程度と割引いて考えた方が良さそうです。
また、グンステットにやって来て予備隊となっていた第44旅団の第83連隊と95連隊フュージリア大隊は、ボーズ軍団長の命令で一線部隊に後続し、ブルッフ水車場でソエ川を渡河するとアルブレヒツホイザー・ホーフへ前進して行きました。
この午後1時30分付近での第11軍団諸部隊の位置を以下に整理します。
〇軍団右翼(シュパヒバッハの西、ニーダーヴァルト北辺)
(西側より東へ)88連隊第2大隊、同第1大隊、80連隊第1,2中隊、80連隊第2大隊、87連隊第1,2中隊、87連隊フュージリア大隊。
〇軍団中央(アルブレヒツホイザー・ホーフ周辺)
(北・第一線西側より東へ)95連隊第1大隊、猟兵11大隊。
(中・第二線西側より東へ)87連隊第2大隊、同3,4中隊。
(南・第三線西側より東へ)80連隊10,11中隊、95連隊5,6中隊、80連隊3,4中隊。
(東より接近中)95連隊フュージリア大隊、83連隊第1、第2、フュージリア大隊。
〇軍団左翼(モルスブロンヌから北上する直前)
(部落北西側より東へ)94連隊11,12中隊、94連隊9,10中隊、32連隊第2大隊、32連隊第1大隊、94連隊第2大隊。
(部落北東)94連隊第1大隊。
(部落西側より東へ)工兵第3中隊、32連隊フュージリア大隊(1個中隊欠)、80連隊9,12中隊。
(部落周辺)驃騎兵13連隊(1個中隊欠)。
〇砲兵(グンステット北西高地)第21師団砲兵隊、第22師団砲兵隊、軍団砲兵隊。14個中隊(重砲6ポンド砲兵6、軽砲4ポンド砲兵6、騎砲4ポンド砲兵2)
〇軍団予備(グンステット北郊外)
(北より南へ)88連隊フュージリア大隊、82連隊第2大隊、82連隊フュージリア大隊。
(ブルッフ水車場横)驃騎兵14連隊。
(部落守備)95連隊7,8中隊。
〇その他
(ソウルツ本営護衛)82連隊第1大隊。
(シュルブール守備)32連隊12中隊。
(ハーゲナウ森ほか戦線南方警戒)驃騎兵13連隊1個中隊。
この北独第11軍団にミシェル騎兵旅団を潰された仏第4師団長にして仏軍右翼指揮官ラルティーグ将軍は、モルスブロンヌから普軍増援が登ってくる前にニーダーヴァルトの南面に対し先制攻撃を掛けるのです。
午後2時少し前、アルブレヒツホイザー・ホーフの北、ニーダーヴァルトの南縁から突然仏軍の歩兵が湧き出すように溢れ出し、一斉に突撃を始めました。
仏軍は縦隊となって続々と森から飛び出し、あっと言う間にアルブレヒツホイザー・ホーフに押し寄せました。この小部落には普第11猟兵大隊が未だ攻撃後の部隊整理が終わらないまま散らばった兵士が集合中で、不意を突かれた猟兵たちは防戦の間もなく仏軍に突破され、這々の体で逃げ出すのが精一杯でした。
その南に点在して攻撃準備をしていた中隊単位の諸部隊も、怒濤のごとくに押し寄せる仏軍歩兵に圧倒され、防戦することも出来ずに潰走を始めてしまいます。
仏軍兵は十数分前に起きた騎兵の悲劇を知っていたのでしょう、その敵討ちとばかりの猛攻撃で、それはそのまま指揮官ラルティーグの怒りを具現する攻撃と言えました。
仏軍はアルブレヒツホイザー・ホーフを奪い返すことに成功すると、開けた高地の南と東に広がり始め、一目散に逃走する普軍歩兵を追って急速に展開して行きました。
こうしてラルティーグはミシェル騎兵旅団の無念を晴らしたかに見えました。しかし既に普軍は、こうした危機的状況に対処出来る状態にあったのです。
それまで自軍の歩兵が敵に接近していたため、同士討ちを避けるために砲撃を止めていたグンステットの普11軍団諸砲兵は、味方が高地から降り始めて敵と味方の間が開いたため、「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに押し寄せる仏軍歩兵の隊列に対し砲撃を再開しました。
見晴らしのよい斜面に次々に榴散弾が破裂し、高地を駆け下りようとした仏軍兵士がばたばたと倒れて行きます。この草原には身を隠す場所が少なく、仏兵が命を長らえるためには、せいぜい大地の窪みや排水路に身を横たえるだけ、というありさまで、仏軍の強力な逆襲は普軍の72門に及ぶ各種大砲の全力砲撃であっけなく粉砕されてしまったのでした。
普軍兵士たちも友軍の砲撃が始まり、敵が開けた高地上に釘付けになると退却を止め、一斉に反転し反撃を開始するのでした。
この砲撃に後押しされて、グンステットから急ぎ高地へ登って来たのは増援の普第95連隊フュージリア大隊と第83連隊でした。
まず、95連隊フュージリア大隊は瓦解状態の第11猟兵大隊の後方をすり抜けると、縦列横隊となってニーダーヴァルト森の南東縁に突進し、その前衛は森に入るなり敵の狙撃兵を蹴散らし、続いて本隊が続々と森に入りました。
これを見た83連隊も、遅れをとっては恥とばかりに一斉に突進し、フュージリア大隊はアグノー街道を北へ進み、第1、2大隊は一体となって95連隊の左翼側を進みます。既に粉砕され退却し始めた仏軍兵を追って部隊は前進し、わずかな銃撃戦の後、再度アルブレヒツホイザー・ホーフは普軍の手に陥ちました。
それでも仏軍は勇気を振り絞って再度突撃を敢行し、一時は83連隊第1大隊が防戦一方に追い込まれましたが、直ちに隣の同連隊第2大隊が救援に駆けつけ、仏軍決死の突撃は阻止されたのです。
直後、83連隊第1、2大隊は敵が反転して逃げ込んだニーダーヴァルト森の南端に向かって突撃を敢行します。鼓手がドラムを連打し、勇壮な突撃となりましたが、仏軍もまだ負けてはいません。森の奥に隠れていた仏砲兵中隊がライット4ポンド砲で榴弾を発射し、またミトライユーズ砲兵も前進して発射を始めたのでした。
これで一旦普軍の攻撃はくい止められてしまいます。しかし、それでも勢いの差は埋まらず、83連隊の兵士たちは地面を這うような前進を続け、仏軍砲兵たちも普軍との距離が数百mにまで縮まると森の奥へ引き上げたのでした。
これで流れは完全に普軍へと向かいます。
95連隊フュージリア大隊と83連隊の果敢な攻撃に勇気付けられた諸隊は追随し、ちょうどモルスブロンヌからやって来た32連隊の右翼(東)側を進みました。
95連隊の第1中隊はニーダーヴァルト森に入ると仏ラルティーグ師団の第3アルジェリア・ティライヤール歩兵連隊の軍旗守備隊を発見し交戦、戦死した「トルコ兵」の旗手から軍旗を奪取する殊勲を立てています。
普軍は高地に残っていたミシェル騎兵旅団の敗残兵を排除しながら、遂に仏軍が一線を退いたニーダーヴァルト森の南部へ侵入し、これを占領するのでした。既にニーダーヴァルト森の北東部はシュパヒバッハから森へ取り付いた部隊が占領に成功しており、これで森の北にある要衝、エルザスハウゼンの小部落を二方面から合撃することが可能となったのでした。
一方、モルスブロンヌからエバー川上流へ向かった普軍左翼で最西端部隊、第94連隊フュージリア大隊も今やエバーバッハ部落の郊外に達しています。
この大隊の第11中隊は部落の南側窪地で川沿いの街道を押さえ、第12中隊は南から、第9、10の2個中隊はエバー川の東からそれぞれ村を攻撃しました。村には少数の守備隊が残っていましたが、本格的戦闘となる前に北西側の高地に逃れて防衛線を敷き、普94連隊フュージリア大隊は労せずエバーバッハを陥落させたのです。
大隊はしばらく北西高地上の仏軍と銃撃戦を行いますが、やがて東側のニーダーヴァルト森を普軍が北上していることを知った仏軍は、孤立する前に更に北へと撤退して行きました。
フュージリア大隊は第9中隊をエバーバッハに残して3個中隊でニーダーヴァルト森の西端に至り、ここで森を進んで来た32連隊第1、2大隊の左翼と連絡することが出来たのです。
第11軍団はこれでフロシュヴァイラーの陣地線南端を攻略し、北へ攻め上る態勢が固められました。
第11軍団長ボーズ中将の下にはこの2時頃に皇太子の命令「速やかに第5軍団の正面攻撃と連携しエルザスハウゼンとフロシュヴァイラーを攻略せよ」が届きます。ボーズは命令を受領すると既にニーダーヴァルト森に入った歩兵の進撃を確実に成功させるため、軍団の全兵力を森へ進ませることに決します。
そこでグンステットに陣を構えた砲兵部隊を前進させ、軍団予備としてグンステットに残留していた3個大隊を前進させる命令を下したのでした。
第11軍団砲兵部長のハウスマン少将は、命令を受領後直ちに機動力のある騎砲兵第1中隊に対し、先行してソエ川を渡って西岸に入り、機会があれば高地を登って砲撃を開始せよ、と命じ送り出します。
驃騎兵第14連隊はこの砲兵に続行して渡河すると西岸の空き地に進出、騎砲兵中隊は前進する83連隊のフュージリア大隊に追従してアグノー街道をヴルト方面へと進みました。
ハウスマン将軍はこれを見ると残りの全砲兵部隊に対し、ソエ川を渡河して前進する歩兵に追従し北方に前進せよ、と命令するのでした。
これにより、騎砲第2中隊、軽砲第2~6中隊、重砲第1、2、4、5中隊が第一陣として前進しソエ川を順次渡河して行きました。
渋滞を避けるため一旦グンステット北西高地に残った軽砲第1中隊、重砲第3、6中隊も、ヴュルテンブルク師団がグンステットに到着するとの連絡を受けると西へ前進を始め、これで砲兵が全てグンステットを去ることとなったため、砲兵護衛として最後まで残っていた第95連隊の2個(7、8)中隊もニーダーヴァルトの総攻撃に参加するため川を渡るのでした。
軍団予備として最後まで残っていた88連隊フュージリア大隊、82連隊第2大隊、同フュージリア大隊はグンステットの北からシュパヒバッハの南郊まで進み、この地でソエ川渡河を図りますが連日の雨で増水しているソエ川は、この辺りで流れが速くなっており、渡河に随分と時間を費やしてしまいました。それでも何とか西岸に渡った諸部隊は、88連隊フュージリア大隊が二列の縦隊となりエルザスハウゼン方向に進み、82連隊第2大隊はその後方を2個中隊毎の集団となって進んで行くのでした。
ところで、エバーバッハに残った94連隊フュージリア大隊第9中隊ではこの頃、部隊の歴史に残る椿事が発生していました。
彼らは占領したばかりの部落に対し、隠れた敗残兵や狙撃手、武器を隠し持った敵性住民などがいないかどうか捜索を行いますが、その過程で部落の東郊外に敵の物資が集積されているのを発見しました。これは逃走した仏第1軍団の輜重部隊が運び切れず残していった軍用行李の山でしたが、その中からなんと仏軍マクマオン大将の私物が入った行李を見つけたのです。
第9中隊は総大将の行李を鹵獲するという珍しい手柄を挙げたのでした。
ブドウ畑の戦闘




