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ヴルトの戦い/モルスブロンヌ攻略

 普第11軍団長ボーズ中将が「第5軍団を見捨てない」という大見得を切ったことにより午前11時過ぎ、第22師団と軍団砲兵隊はシュルブールからグンステット目指し街道を進みますが、途中ヘルシュロッホの南で輜重などの後方部隊の渋滞に巻き込まれ、第22師団の歩兵部隊はその西にある森を回避し、南側に逸れて行軍を続けました。

 

 その先頭は第43旅団(第32、95連隊主幹)で、直後に師団砲兵隊を挟んで第44旅団(第83、94連隊主幹)が後続しました。43旅団は2個フュージリア大隊を「別任務」で欠いたままでしたので戦力としては旅団3分の2個分(4個大隊)となります。

 この別任務に就いていた部隊、第32連隊フュージリア大隊は当初シュルブールの守備隊として残されていましたが、午後12時過ぎには1個中隊のみ残留させて残り3個中隊は本隊を追い、後方の44旅団と一緒に行軍しています。また第95連隊のフュージリア大隊はハーゲナウ森の偵察に驃騎兵第13連隊と共に従事していましたが、この後任務を解かれ、急ぎグンステットに向かい44旅団と合流するのでした。


 第22師団長フォン・ゲルスドルフ中将は、最初にグンステットに到着した第32連隊の2個大隊をグンステット部落の南側へ送り、第95連隊の2個大隊をその右翼としました。

 師団砲兵隊は、重砲第3中隊をグンステットの南で一旦止め、その位置から直ちに砲撃を始めさせ、西側高地にいた仏軍ミトライユーズ砲中隊の退却を誘いました。その後、師団砲兵4個中隊は先に砲列を敷いていた第21師団砲兵と合流し、グンステット部落北西の高地は砲48門の強力な砲兵陣地となったのです。

 しばらくすると、先にボーズ軍団長が前進を命じていた軍団砲兵隊は混雑する街道を抜けてグンステットに現れ、師団砲兵の陣地に加わりましたが既に砲を置く余地がなくなり、重砲2個中隊は後方での待機となりました。従ってグンステットの砲兵陣は最終的に12個中隊(重4、軽6、騎砲2)、72門となるのです。

 歩兵部隊は部落の北と南に展開し、44旅団もやがて後方に姿を現しました。


 軍団の第二陣として午前中から待機していた第21師団第42旅団の午後12時過ぎの状況は、第88連隊の2個大隊をシュパヒバッハとその南の窪地に、旅団残りの3個大隊(1個大隊はソウルツ本営護衛)はグンステットの直ぐ北に、驃騎兵第14連隊は更にその東にありました。

 また、11軍団の前衛として午前9時頃から戦い続けている第41旅団は、シュパヒバッハからグンステットにかけて大きくても大隊単位、ほとんど中隊や小隊単位でばらばらに散ってしまっていたのです。

 第41旅団長、フォン・コブリンスキー大佐は攻撃指揮中、乗馬が撃たれて倒れた時に重傷を負い、既に後送されています。


 ゲルスドルフ師団長はこの前衛の状況を見つつ、まず第32連隊にドゥルレンバッハ(グンステット南1.5キロ)を経由しモルスブロンヌ(=レ=バン)へ向かうよう命令し、第95連隊は第21師団の戦線に加入し戦線を補強し再興することを命じました。


 午後12時過ぎ、第11軍団の「第二次」ニーダーヴァルト攻撃が始まります。

 右翼(北)では砲撃に援護された第42旅団第88連隊の2個大隊が、大きく広がり縦列横隊となってシュパヒバッハ前面でソエ川を渡河し、仏軍より散々傷め付けられた第41旅団の第80連隊第2大隊と第87連隊のフュージリア大隊ほかシュパヒバッハ近郊で再編中の部隊も、順次この攻撃に参加して行きました。

 この右翼集団は例のアグノー街道までの開けた「死の草原」でニーダーヴァルト森の東端に陣取る仏軍散兵より猛烈な射撃を受け、また、砲撃を受けつつも陣地転換を繰り返しながらゲリラ的に砲撃を繰り返す少数の仏軍砲兵から榴散弾攻撃も受けますが、犠牲をものともせずに前進し街道を越えて森に達し、白兵戦の末遂に森の東端を奪取しました。仏軍もここで猛烈な逆襲を試みましたが、普軍はよく耐え、戦闘は次第に北へと寄って行き、また普軍部隊は視界の悪い森の中でバラバラとなりますが、概ねニーダーヴァルト森の北端まで進出に成功するのです。

 ニーダーヴァルトの東側を守備していたのは仏第1軍団の第4(ラルティーグ)師団でしたが、午前中から延々と続く防衛と逆襲の繰り返しは兵を損耗させ、次第に予備はなくなって後退し、遂にはニーダーヴァルトとエルザスハウゼン間の小森林・ノイガイスヴァイラー(現・ヌージャイスワイウレ)付近に集まり防衛戦闘を挑むこととなります。


 戦線の中央では第95連隊の第1から第6中隊(第1大隊と第2大隊半個)がグンステットからブルッフ水車場へ前進し、ここでソエ川を渡河すると、エバーバッハ方向へ進みます。これには第87連隊2個中隊(6、8)が左翼に連なり、同連隊の3個中隊(3、4、7)はその左翼(南)でアグノー街道に沿って展開し、その後方(東)からは第80連隊の4個中隊(3、4、10、11)が続きました。

 猟兵第11大隊は第95連隊の第2中隊を加えてグンステットからエバーバッハへ向かう街道(現・グリースバッハ道路)の北を進み、アルブレヒツホイザー・ホーフ(エバーバッハ東1,200m付近の数軒の小集落)へ向かいました。


 普軍は午前中とは比べ物にならない兵員密度で前進し、一気にアグノー街道を越え、その西に広がる丘陵地帯に入りました。しかし、ここでまたもや仏軍の頑強な抵抗に出会うのです。

 このニーダーヴァルト森の南からモルスブロンヌに至る丘陵は北側の森林に比べれば木々が少なく、斜面は緩やかですが東西南と緩やかに下る丘からは見晴らしが利くので防衛には持って来いの場所でした。特に東斜面の途中にあるアルブレヒツホイザー・ホーフには数軒の頑丈な石造りの家屋があり、ここを拠点に仏軍が頑張っていました。

 このため、アグノー街道から西への普軍の攻撃は遅々として進まず、その数m数mの前進は銃弾飛び交う中でほとんど匍匐前進の様相でした。

 それでも左翼側の部隊がモルスブロンヌ~エルザスハウゼンへ向かう林道に到着すると仏軍は北へ後退し始め、アルブレヒツホイザー・ホーフを東西南の三方向から囲むことが出来ました。

 しかし石の家屋に籠る仏軍は、砲撃を浴びて家が大破し木製部分が燃え出しても後退や降伏をせず、迫る普軍に対しシャスポー銃の正確な射撃を繰り返しました。普軍は幾多の犠牲を経ながら何とか数十mまで接近し、一斉射撃により仏兵を脅かすと、突然仏兵は北へ駆け出し、普軍の追撃を振り切って一気にニーダーヴァルトの森へ逃走するのでした。

 普軍はここで深追いせず、まずは分散してしまった部隊をまとめて再編成し、必ず起こるに違いない仏軍の逆襲に備えつつ次の段階、ニーダーヴァルト森に対する南からの進撃に備えたのでした。


 第11軍団の左翼(南)先陣は第32連隊の2個大隊(1、2)が勤めました。

 彼らはグンステットから南下しドゥルレンバッハを経て、モルスブロンヌを東から攻略する作戦です。後方から進んで来た第22師団の44旅団はグンステットの南東で進路を南に偏向し、32連隊を追って同じ進路でモルスブロンヌを目指しました。

 32連隊がモルスブロンヌの北東郊外で敵の前哨とぶつかり、続いて44旅団の前衛が同じく敵と交戦を始めた頃(午後12時30分前後)、ゲルスドルフ師団長から「44旅団はグンステットで留まり予備となるべし」との命令が届きました。困ったのは第44旅団長のフォン・シュコップ少将で「既に敵砲火を浴びている部隊を退却させることなど出来ぬ」と独断でモルスブロンヌ攻撃を続行、グンステットには旅団後衛で未だ戦闘に従事していなかった第83連隊のみを後退させ、ちょうどそこへ現れた第95連隊のフュージリア大隊もグンステットへ送られたのでした。

 

 これで独軍最左翼最南端となるモルスブロンヌ攻略が開始されます。

 第32連隊の第1、第2大隊はその8個の中隊単位で縦列横隊の攻撃隊型となると第一線として東方から部落に迫ります。第94連隊の第2、フュージリア大隊がその後方に続き、左側に指向し梯形隊列で南側を警戒しました。その後方が第32連隊フュージリア大隊(1個中隊欠)で、この部隊が後衛となります。

 第一線の右翼(北)後方には第80連隊の2個中隊(9、12)がブルッフ水車場から進んで参戦し、94連隊第1大隊はビーブリスハイム(グンステット南東2.4キロ)付近を流れるソエ川やビーベル(バッハ)川渡河点を守り、驃騎兵第13連隊の3個中隊は攻撃正面の左翼側(軍の最南)を進みました。


 攻撃隊は北西側から砲撃と銃火を浴びますが、モルスブロンヌ東側の斜面に取り付き、32連隊第1大隊は部落に突入、わずかの時間で少数だった仏軍守備隊を駆逐し部落全部を占領します。32連隊の第2大隊は部落南西の丘陵まで進出しました。


 これで第11軍団は軍命令による「モルスブロンヌ~ニーダーヴァルト~エルザスハウゼンを経て最終目標のフロシュヴァイラーまで北上」する際の出発点となるモルスブロンヌと、ニーダーヴァルトを南から攻める際の拠点アルブレヒツホイザー・ホーフを獲得しました。

 軍団は軍命令に沿うため、この時点でモルスブロンヌを左翼端としシュパヒバッハの南を軸として右へ旋回する必要があります。

 ボーズ軍団長はモルスブロンヌ占領の報を受けると直ちに新たな戦闘隊形に移行せよと命じ、軍団は南からフロシュヴァイラー高地へ攻め上がる隊形を取るために動き始めたのです。


 因みに、ボーズ中将はグンステット部落の西高台上で指揮を執っていましたが、この普軍午後の戦闘中に一発の銃弾を右腰に受け負傷してしまいます。しかしボーズは包帯所への後送を拒否しその場で応急手当を受けると何事もなかったかのように指揮を続けていたのでした。


 この同時刻(午後12時45分前後)、仏軍側では第1軍団の左翼を任せられた第4師団長ラルティーグ少将が各所で後退する散兵線に苦り切った表情を浮かべていました。


 午前中は敵の普軍も小部隊単位の攻撃で、応急とは言え理想的な防衛適地で応戦し逆襲する仏軍もがんばることが出来ましたが、昼前後から普軍の砲撃が激しさを増すと共に、砲兵はもちろん歩兵も各所で損害を受け、次第に戦線を維持することが難しくなって行きました。

ラルティーグは短時間で驚くほど減ってしまった部隊を区処して、敵の目標となりやすい高地際や森の端に散兵線を敷くのは止め、部隊の主力をニーダーヴァルトの北やエルザスハウゼン南の森に集め、ここで迎え撃つこととします。


 その時、敵がアルブレヒツホイザー・ホーフとモルスブロンヌを占領した、との報告が入ったのです。


 ラルティーグは、敵が今までの一方(東)からの単調な攻撃から、南と東からの分進合撃に変えたことで、フロシュヴァイラーの防衛線が大きな危機に直面することを感じました。 

 特に、このまま敵が南側から攻め上がって来ると、この陣地線の比較的弱い側面から攻撃を受けることとなり、グンステットからシュパヒバッハを正面とする東側の防衛線が崩壊しかねません。

 少ない兵力を苦心しながら使うラルティーグ将軍は、まずはこの自軍右翼(南)からの脅威を排除せねばならない、と決心し、この敵の圧力を一時的にせよ弱めるため、自身の「虎の子」を使うこととしたのでした。



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