表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/534

ヴルトの戦い/軍団長の命令無視

 独第三軍第5軍団の参謀長、フォン・デア・エッシュ大佐は8月6日午前7時過ぎ、ヴルト方面から砲撃音が連続すると本営で軍団長キルヒバッハ中将と相談した後で原因を確かめるため本営を発ち、8時30分過ぎ、ディーフェンバッハの第20旅団本営までやって来ました。


 既に旅団長ヴァルター少将は威力偵察を中止しており、本営でエッシュ大佐を迎えましたが、その頃には北のランゲンソウルツバッハ方面から銃砲撃音が連続して聞こえ、南のグンステットからは同じ20旅団所属の第50連隊第2大隊から「敵との交戦が拡大傾向にある」との報告が来ました。

 エッシュ参謀長は、このままでは戦線の北端と南端に攻撃の比重がかかり、戦線が崩壊の危機に瀕してしまう、として「ヴルト正面でも攻撃を再開し戦線の端に掛かった圧力を分散する」としてヴァルター少将に攻撃再開を「要請」するのです。元来血の気の多い少将も望むところとばかりに「承った」として、まずは軽砲兵第6中隊を再度前進させ、先ほどヴルトを砲撃した時に占めていた陣地より更に敵陣近くまで進ませると、午前9時頃、仏軍歩兵が潜むヴルト西方高地へ向けて砲撃を開始したのです。


 更にエッシュは前線へ駆けつけたヴァルターの上司、第10師団長フリードリヒ・ヨハン・フォン・シュミット中将にも敵陣地攻撃を「要請」し、シュミットも賛同するや第10師団残りの師団砲兵を前進させ、また伝令を走らせ第5軍団砲兵隊にもヴルト東方高地へ前進し敵を砲撃せよ、と命じたのです。

 歩兵たちに対しては、第10師団の第19旅団を中心とする本隊にはディーフェンバッハ東郊外に集合し、第9師団は第10師団後方に集合せよ、との命令が下りました。

 第5軍団長キルヒバッハ中将はエッシュ参謀長からの伝令により事態を知ると参謀長の処置を追認し、ヴァイセンブルクの戦いで負傷し安静が必要なはずの身体で前線まで繰り出すと、その後はこの一日、会戦終了まで前線で陣頭指揮を執り続けたのでした。


 午前9時30分。急ぎ集合した第5軍団砲兵はヴルトに面した高地にヴルト=ソウルツ街道を挟んで砲列を敷き終わり砲撃を開始します。

 街道の北では、既に大活躍を続ける軽砲兵第6連隊を左翼(南)としてその北へ軍団騎砲兵2個中隊、軍団重砲兵2個中隊が、街道の南では、軍団軽砲兵2個中隊を右翼(北)として第10師団砲兵隊の残り3個中隊(重2個、軽1個)が続き、第9師団砲兵4個中隊(重2個、軽2個)の順で並びました。これだけの大砲(砲兵第5連隊の全84門)が砲列を一直線に作ると、左翼端では既に空き地が尽きてディーフェンバッハ森(現ル・フッシェルベル森)に達してしまい、一列に砲を設置出来る場所がないので最左翼の軽砲第2中隊(第9師団所属)は森の前に出、大胆にも他の砲より敵に近い場所で砲撃を開始したのでした。

 この84門の統一指揮は第5軍団砲兵部長のグーデ大佐が執り、近いところで1,500m、離れたところでも2,800mの距離で仏軍砲兵と砲撃戦を繰り広げたのです。

 

 午前10時には南側グンステット周辺に第11軍団前衛部隊の砲24門が到着、砲列を敷き終わると直ちに第5軍団砲兵と連携して実に正確な砲撃を開始しました。

 この合計108門に及ぶクルップ砲の威力は凄まじく、10時過ぎに仏軍はミトライユーズ砲兵を後退させ、他の砲兵も応戦はするものの、正確に着弾し確実に破裂するクルップ砲の榴弾の威力により次第に圧倒され、遂に仏軍左翼(北)の1個中隊(最も普軍砲兵から離れていました)だけが応射する事態となってしまうのです。

 これにより普軍砲兵は妨害されずに自由に敵を選んで砲撃することが可能となり、エルザスハウゼンでは農家数軒が炎上していました。この後の会戦の間中、仏軍歩・騎兵は常に普軍砲兵からの砲撃に悩まされ続けることとなるのでした。


 砲兵の活躍により、普第5軍団は攻撃準備を敵砲兵から邪魔されずに完了することが出来ました。その陣容は、


○第10師団第20旅団(軍団前衛)

 ・第37フュージリア連隊 第1大隊は軍団最右翼のゲルスドルフ防衛に2個中隊、砲兵援護に2個中隊、他2個大隊(第2と第3大隊)は砲兵線の後方600mで攻撃第一線として待機。

 ・第50連隊 軍団最左翼グンステット防衛に第2大隊(竜騎兵第14連隊の1個中隊が付属)、他2個大隊(第1とフュージリア大隊)はディーフェンバッハ森の西縁からオーバードルフにかけて布陣。

○第10師団第19旅団と竜騎兵第14連隊の3個中隊

 第20旅団の攻撃第一線後方、ヴルト街道に沿って前進待機。

○第9師団第17旅団と猟兵第5大隊

 ・第59連隊の2個大隊(第1とフュージリア大隊)はゲルスドルフへの増援として行軍中。

 他は全てディーフェンバッハの北、ゲルスドルフへの街道沿いに待機

○第9師団第18旅団

ヴルト=ソウレツ街道とディッフェンバッハ森の間に展開。

○竜騎兵第4連隊

 シュパヒバッハの東街道沿いに待機。


 ところがこの配置が完了する直前の午前10時少し前、第5軍団長キルヒバッハ中将は届けられた書面により第三軍本営から「戦闘中止」を命令されてしまうのです。


「なんとこのタイミングで攻撃を中止しなければならないとは!」

 キルヒバッハはこの命令を前に苦悩します。


 既にキルヒバッハは皇太子の「6日は戦闘しない」という考えを知っている上で軍団参謀長の「敵の両翼突破を許さないために中央でも攻撃する」という決断を追認し、結果的に既に軍命令に背いています。

 「委任命令」というルールが存在する以上、キルヒバッハの攻撃拡大命令は他国ではあり得なくとも普軍では許容される範囲だと言えました。


 ところがこれが書面による「軍命令」となると話は違います。


 この時、軍団左翼(南)のグンステットで奮戦する第50連隊第2大隊に第11軍団の第21師団前衛が接触し、共に肩を並べて仏軍と戦い始めた、との守備隊長カンプツ大尉からの報告が届きます。これを聞いたキルヒバッハは腹を括りました。

 それは上司である第三軍司令官名で出された「戦闘中止」命令に対し、明確に「従わず」攻撃を決行する、という決心でした。


 何故軍命令に「逆らった」のか。そこにはキルヒバッハの考える明確な「プロシア軍かくあるべき」という姿と、実際に現場で血と汗と硝煙の臭いを嗅いでいる者でしか分からない判断があったのです。


 ここで戦闘中止となってしまうと、形式上とはいえ敵マクマオン軍に「戦勝」という名誉を与えることとなります。これは名誉という問題以上に、ヴァイセンブルクで敗れた敵が士気の上でも復活するきっかけを与えてしまうというということになりかねません。

 しかも昨夜来、敵が夜間も走らせる汽車の音が南西方向から響いていました。仏軍陣地には着々と増援が到着しているに違いありません。

 マクマオン軍は第5軍団の撤退による勝利で意気上がり、増援で強化されて、あのマクマオンのこと、必ずやあちら側から攻撃してくるに違いない……


 キルヒバッハ将軍はグンステット方面での第11軍団前衛の攻撃参加を聞くと、その本隊も順次戦場へ到着するだろうと考え、また砲兵戦での圧倒的有利を考えて「ここが戦機」とばかりに午前10時直前、攻撃第一線に対し「ヴルト及びその西方高地を占領せよ」と命令するのです。

 同時にキルヒバッハは両翼に連なる右翼B(バイエルン)第2軍団のハルトマン大将と左翼第11軍団ボーズ中将に対し、キルヒバッハ自身の「攻撃する」という軍命令とは「違う」決心を伝え、共同で仏軍を攻撃する希望を告げるよう伝令士官を送るのでした。


挿絵(By みてみん)

キルヒバッハ将軍


 このキルヒバッハの命令により、遂に第5軍団が動き出します。その第一線は右翼(北)が第37連隊の2個大隊、左翼(南)は第50連隊の2個大隊でした。


 右翼はヴルト付近で、左翼はシュパヒバッハ付近でそれぞれソエ川を渡河し、右翼の第37連隊本隊には砲兵部隊の護衛任務に就いていた第1大隊第4中隊が命令を無視して合流しますが、誰も文句は言いませんでした。

 この第20旅団の攻撃は第一目標をエルザスハウゼンとして始められ、37連隊の第2大隊は再びヴルト部落に入るとやはり敵兵がいないことを確認、部落から厚木板とホップ栽培用の支柱を調達し落とされた橋を応急修理、ソエ川を渡河して行きました。この仮橋は通過する部隊が次々に手を加え強化したお陰で、30分ほど後には騎兵も楽に渡れる強度を得るのです。


 ヴルトの北と南でも同時に37連隊の両翼が渡河を終了し、これでヴルト部落は西の郊外まで普軍の手に入りました。

 その間、仏軍も手を拱いていた訳でなく、砲兵こそ苦戦中で砲撃を加えることがまれにしか出来ませんでしたが、高地に陣取る歩兵たちはシャスポー銃を撃ち続け、その威力により次第に普軍の動きは鈍くなって行きます。

 この射撃を冒して37連隊第2大隊と第3大隊はヴルト西側の斜面を登り始めますが、仏兵はしっかりした塹壕や土嚢の後ろから射撃を繰り返し、遮蔽物に乏しく、ブドウやホップに邪魔されながらも苦労して登る普軍兵士は、仏軍陣地から丸見えの斜面で次々と倒されて行きました。

挿絵(By みてみん)

 ヴルト西部で戦う第37連隊


 この高地上のフロシュヴァイラー部落には、仏第1軍団長にしてアルザス在の3個軍団を束ねるマクマオン大将がいました。


 マクマオン将軍はクリミア戦争での大活躍からイタリア独立戦争、アルジェリア植民地における反乱鎮圧など、その勇猛果敢な敢闘精神と優れた戦術眼により世界中にその名が轟く名将でした。

 大将は敵の鬼将軍キルヒバッハ中将と同じく陣頭で指揮を続け、会戦最後に至るまでフロシュヴァイラーから離れず、普軍の砲撃で村が炎上し総攻撃が開始された直後にようやく前線を離れ、レッシュショフェンへ逃れています。それまで陣頭指揮を執り続けたとは、やはり名将の名に恥じなかったと言えるでしょう。

 そのマクマオンは、緒戦から一気に畳みかけて来た普軍の攻撃に対し冷静に部隊を区処、思い切り良く予備歩兵をヴルト正面へ派遣し小銃列線を補強します。そして普軍の攻撃が鈍り、一部で「穴」が開き始めると一斉に銃剣突撃を命じたのでした。


 坂の上から転げ落ちるかのような仏軍歩兵お得意の銃剣突撃は、坂の下で受け身となり防戦一方となった普軍歩兵にとっては壊滅的打撃となります。退却の号令など必要もなく、普第37連隊は雪崩を打って後退し、第2大隊はヴルト西郊外まで、第3大隊の大半は左翼へ逃れて第50連隊に合流し、第一次攻撃は散々な失敗に帰したのでした。


 退却する友軍を助けるために、犠牲的な防衛戦も各所で相次ぎます。旗手とその護衛を失い、危うく敵に奪われそうになった2旒の大隊旗は勇敢な第2大隊の少尉が危険を顧みずに2旒共に保護し、部落まで戻りました。普軍は仏軍の逆襲を部落正面で受け止め、激戦の後、仏軍を追い返しヴルトを死守したのです。


 一方、ほぼ同時に始まった第50連隊の攻撃も第37連隊と同様の経過を辿ることとなります。

 彼らはソエ川を橋に頼らず濡れながら渡河すると、高地の東端をヴルト西郊外へ続くアグノー街道に到達します。ここで第1大隊は4個の各中隊を縦隊のまま並列させ、教科書通りの突撃態勢となって正面のニーダーヴァルト森へ、その先のエルザスハウゼンへと突進しました。フュージリア大隊はその左翼から路肩の側溝を上手く利用して森へ向かい、その第12中隊は更に左へ転進して森の南端を占拠し、折から前進して来た第11軍団の前衛斥候と連絡し、軍団境界を結び付け敵が入りこむ隙を無くしました。


 ここまでは順調に推移した攻撃でしたが、このニーダーヴァルト森から斜面を登り、エルザスハウゼンの南に広がるブドウ園に到達した瞬間、部落周辺からは猛烈な射撃が開始され、また森の到るところから射撃を受けて普軍はたちまち死傷者続出、苦境に陥ったのです。勇猛な植民地兵を先頭に仏軍部隊の逆襲突撃が始まり、その波状攻撃は圧倒的で、普軍はあっという間に斜面を転げ落ちるかのような退却へと移ってしまいました。

 それでも普軍50連隊各部隊はアグノー街道の側溝で踏み留まり、ここを即席の塹壕代わりとしてドライゼを乱射し、勇敢な仏軍の銃剣突撃を撃退したのでした。

 

 この第20旅団の攻撃中、前述通り普軍の砲兵は敵の陣地線に対し集中砲撃を繰り返し、仏軍砲兵は沈黙せざるを得なくなり、猛将マクマオン大将の檄で突撃を敢行した歩兵たちも各所で粉砕されてしまったのでした。もし、この砲撃が無かったのなら仏軍はソエ川を逆に東へ渡り、グンステットからシュパヒバッハ、そしてディーフェンバッハまで席巻されていたに違いなかったことでしょう。


 こうしてエルザスハウゼンへの第一次攻撃は頓挫します。午前11時30分には全ての部隊が攻勢を止め、以下の地点で防御の態勢に転じていました。


○第37連隊 主力はヴルト部落。2個中隊は部落南方の草原にあり、後に普軍砲兵のラインへ後退。

○第50連隊第1大隊 敗退した第37連隊フュージリア大隊の半分を収容し、シュパヒバッハ北西500m付近のアグノー街道沿いに展開

○第50連隊フュージリア大隊 第1大隊の南でアグノー街道に沿い、ニーダーヴァルト森に対面。


 これに対し仏軍はスズメバチがその巣を突かれた直後のような猛烈な反応を示し、斜面を逆に下って、ブドウ畑の僅かな生垣や石垣、ホップの茂みを巧みに利用して普軍へ急接近し、波状的な銃剣突撃を行い続けたのです。

 これを全力で防ぎ撃退させ続けた第20旅団でしたが、遂に一部部隊が士気喪失状態となり、防戦一方で最早攻撃どころではなくなりつつあったのです。


 第37連隊第3大隊のフォン・シドー少佐は部下の大部分と離れてしまい(南へ逃れて第50連隊と合同)、また敵が押す一方的展開に嫌気が差し、ヴルトで手近な兵士を集めると突撃を敢行し、数百m進んだものの結局は追い落とされてしまいました。

 この直後(午後11時30分過ぎ)、第19旅団も戦場に進んで第20旅団に代わって攻撃を開始しました。その先鋒第6擲弾兵連隊がヴルトを越えて突撃を敢行するのです。

 しかしこの部隊もたちまちにして第37連隊と同じ運命を辿り、斜面を追い落とされてヴルト西郊外で防戦一方となってしまいました。

 仏軍の突撃が砲兵の列線に近付いたのを見た第19旅団長グスタフ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘニング・アウフ・シェーンホフ大佐は、攻撃から防御に転じた第6連隊の第2大隊を後退させ、砲兵列線を護らせます。

 仏軍も後方から部隊を補充し更に激しく迫りますが、第19旅団は元よりいた第20旅団と共同し、頑としてヴルト部落から退きません。

 やがて午後12時30分頃には仏軍の攻撃は最高潮に達し、普軍も予備の第46連隊第2大隊を既に銃撃戦と砲撃で酷い有様になったヴルトへと投入するのでした。


 ここでキルヒバッハはこの日二つ目の重大な決心をするのです。後退はあり得ない。何とか攻撃を続行しようと。


 将軍は明確な理由で絶対王権の王国皇太子であり軍司令官でもあるフリードリヒ親王の命令を拒絶し攻撃に入りました。

 しかし事態はエスカレートし、エルザスハウゼン攻撃は失敗に帰します。自軍団は強力な仏軍に食い止められ、各所で撃破され敵の逆襲も始まっていました。

 仮にここで戦闘中止を命じ、引き上げることが出来ても、これまでの損害は多大なものとなるであろうし、全くの無駄となってしまいます。なおも敵マクマオン軍に「戦勝」という名誉を与えることに違いはありません。これは単に数千人の犠牲と僅かな土地の争奪に終わらない一大事となります。


 ヴァイセンブルクでの勝利で、しかもそれがバイエルンとプロシアという数年前までは敵同士で殺し合った軍隊が共同して勝利を為し得た、という事実が今、独第三軍という「寄り合い所帯」に良い結果を与えつつあります。先ほどもまたキルヒバッハは「バイエルン」=B第2軍団と「チューリンゲンの小邦&旧ザクセンの臣下」=第11軍団に対し「援助」を申し出たのです。

 未だ回答はありませんが、「戦場の音楽」は両翼から途切れることなく続いていました。そんな中、死地へ共にと言い出した「プロシア」が戦闘を中断したらどうなるか?

 キルヒバッハは自らの責任において全力で攻撃を維持し、何としてでも勝たねばならない状況に追い込まれていたのでした。


 そして正午、B第2軍団ハルトマン将軍の回答を持って副官が戻って来ました。

「我が軍団は軍命令により戦闘を中止せんとすれども、貴官の要請を聞き及び、再び成るべく速やかに攻撃前進を行うべく努力する」


 第11軍団からは共同攻撃の回答代わりに既に砲兵が前進し砲撃を開始、軍団前衛がグンステット付近で第5軍団左翼と連絡しその南で戦い始めていました。

 しかしこの午後12時頃、ソエ川を渡河した第11軍団の部隊はことごとく激戦の後に後退した、との報告がグンステットからもたらされたのです。

 


ヴルトの戦い戦場地図10:30


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ