北独第二軍・8月1日から5日(後)
しかし、これだけの大軍となると前進するだけで大変な労力が必要です。しかも8月という真夏の最中、炎暑は各部隊を苦しめ、連日の行軍と野営は兵士の体力を確実に奪っていました。
今や部隊は山地に入ろうとしています。行軍する街道は細く本数は限られており、そこに来てこの先の山地には第一軍がおり、ただでさえ限られた宿営地や野営するための空き地を探すのも困難となって行くのです。そんな困難を分かっているはずの参謀本部すら、後続のため宿営地を確保しながら進め、などと言って来るのですから、第二軍の後方(兵站)参謀たちにとって頭を悩ます事態だったに違いありません。
こうして第二軍は渋滞や混乱を避けるためにも、今後ますます行軍の秩序や速度と正確なタイムスケジュールが重要になって行くのです。
カール親王はこの状況を考えつつ次の段階を考え行軍計画を各部隊に示しました。これによる4日の第二軍の位置は以下の通りとなりました。
〇第二軍本営 ヴィンヴァイラー(カイザースラウテルン北東)
〇第3軍団 ザンクト・ヴェルデルに本営、第5師団はヴァルドモール~ノインキルヘン付近、第6師団はクーゼル付近
〇第4軍団 第7師団はミュールバッハ、第8師団はケーニヒスブルッフホーフ~ホンブルク付近
〇近衛軍団 カイザースラウテルンへの途上でフランケンシュタイン~ラムゼン付近
〇第9軍団 ミュンヘヴァイラー~ロッケンハウゼン付近
〇第10軍団 ラウターエッケン~マイゼンハイム付近
〇第12軍団 ゲルハイム付近
〇騎兵第6師団 ロアバッハ~ハッセル(ザンクト・イングベルト東)
〇騎兵第5師団ブレドウ旅団 第三軍の竜騎兵第5連隊を併合(11日まで)しツヴァイブリュッケン付近
〇騎兵第5師団レーデルンとバルビー旅団 ホイスヴァイラー付近
この4日も騎兵は活発に活動します。
騎兵第5師団のレーデルン旅団は更に前線へ部隊を送り、この驃騎兵第11連隊と同第17(ブラウンシュヴァイク公国騎兵)連隊はフォルクリンゲンとザールブリュッケン前面で敵が見える位置で監視を続け、この方面の敵に動きがないことを報告しました。
ブレドウ少将は師団長より越境して敵情を探れと命令され、第三軍と連絡していた第13竜騎兵連隊をも動員し、旅団を5つの支隊に分けるとサルグミーヌ~ピルマゼンスの南国境までおよそ50キロの国境線を越え、深いものでは4キロ余りを越境、大胆な強行偵察をかけました。当然方々で敵と遭遇しますが、フランス軍はプロシア騎兵を見ると直ちに退却し、戦闘らしい戦闘が発生しません。これによりビッチュ付近にフランス軍の大軍が集中し、サルグミーヌとビッチュでほぼ1個軍団がいるものと想定されました。
フォルクリンゲンの驃騎兵第11連隊では更に大胆な越境潜入偵察を実行し、クノーベルスドルフ大尉率いる斥候は敵に見つからずにザール西岸へ入り国境へ進み、なんとフロッサール軍団本営のあるフォルバックの西郊外エンマースヴァイラーまで到達、フランス軍の輜重縦列や兵士の行軍がザールブリュッケン方面から延々ロズブリュックへ「後退」しているのを観察するのです。
この報告はカール親王に達しますが、第二軍の参謀部は「フランス軍は退却しているのではなく配置転換を行っているのだろう」と結論します。
とはいうものの、フランスは全く斥候を出さない様子で騎兵たちは自軍の保護下でしか行動せず、歩兵たち砲兵たちも積極性に欠いているのは確かでした。これで第二軍も大本営も、フランス側からのザール攻撃意図は全くない、との結論を得るのです。
敵が動かない今、カール親王は出来るだけ早く行動に不自由な山地を抜け、ザール河畔に到達しようと決心するのでした。
この4日には第三軍とフランス第1軍団の「ヴァイセンブルクの戦い」も発生し、カール親王は皇太子の南方進撃が北にも影響する(南側、即ち第二軍左翼からの敵の北上側面攻撃の可能性がなくなる)のを待って、正面の敵と国境付近で会戦しようと考えるのです。
カール親王は4日午後「第二軍命令」として、「騎兵より集めた情報によると敵の大軍はザール川に沿ってザールブリュッケン対岸に集中している。また我が第一軍は本日(4日)レーバッハ~オットヴァイラー付近にあり本営はトーライにあり。第三軍は本日アルザス地方に侵入した」と状況を伝え、各軍団に7日まで到達すべき地点を命令しました。それによると、
〇第3軍団 本隊ノインキルヘン。前衛ズルツバハ。
〇第10軍団 本隊ベックスバッハ。前衛ザンクト・イングベルト。
〇近衛軍団 ホンブルク付近
〇第4軍団 ツヴァイブリュッケン付近。前衛ノイ=ホルンバッハ。
〇第9軍団 ヴァルトモール~ミーザウ間。一部をラントシュトゥール方面で第12軍団と連絡。
〇第12軍団 ミュールバッハ~ラントシュトゥール間。
〇騎兵は同様にザール河畔で斥候任務
この主旨は7日までに山地の隘路を通過して大軍の移動に適する平地へ進出し、近付く会戦に備えようとするものでした。ノインキルヒェン~ツヴァイブリュッケンまでの線から国境となる西はザール川、南はブリース川の間を西へ走る4本の街道に各1個軍団(北から第3、第10、近衛、第4)を充てて進ませ、その後方から第9と第12軍団を第2陣として送りこむという作戦でした。
また、命令では1日毎の行軍予定到達地を示していて、真夏の山地を行く困難や、手の掛る輜重や資材などを運ぶ後方部隊の行軍速度を考慮して、混乱や渋滞などを招かぬようよく考えられていました。
カール親王はこの命令をマインツに送り報告し、モルトケはこれを了承しました。カール親王の考えはモルトケの戦略と合致しており、この時には大本営と第二軍の間には意見の相違はありませんでした。
しかし、第一軍司令官のシュタインメッツ大将は第二軍と同じ時(3日午後)に受けた命令により、この4日自軍部隊を大本営命令より少々南に張り出して進めてしまったため第二軍の部隊と接触し、カール親王は部隊指揮官からの報告でこれを知ると即座にシュタインメッツへ「進路を空ける」よう要求するのでした。
カール親王は、命令通りの進軍実施が大いに妨害されたと主張し、シュタインメッツは、動くなと命令された以上退くわけにはいかないと主張、互いに譲らず大本営の裁定に委ねられたのでした。
結果、第一軍が第二軍の行軍ルートを譲るよう命令され、カール親王は満足し、シュタインメッツは自身が「蔑ろ」にされているとの感を強く持ってしまい、大本営と第二軍に対し悪感情を持つに至ってしまうのでした。
いずれにせよ、これで第二軍は大きく国境へと動き出すこととなります。
5日には国境に送られた騎兵第5師団斥候騎兵たちが、フランス軍の宿営地に襲撃を掛けたり捕虜を得たりしながら更に情報を持ち帰り、それによればフランス軍はザールブリュッケンの対岸からますます後退する兆候が強く出ており、嫌がらせの砲撃を行っていた砲兵も姿が消え、ザール川に面した野営地は撤去され、前線の兵士たちがサン=タヴォルへ後退する動きが窺えると報告するのでした。思えばザールブリュッケンの駅を砲撃し炎上させたのも退却の前兆と思われました。
騎兵第6師団も偵察活動を強め、サルグミーヌ東のブリース川東岸、ハブキルヒェンの部落は7月20日近辺からフランス軍に占領されていましたが、この日斥候が近付いてみれば既に敵の姿はなく、ザールブリュッケン側対岸のザンクト=アルヌアールや、その南側のザール川沿いからもフランス軍の野営設備が撤去されていたのでした。別の斥候部隊はサルグミーヌ~ビッチュ間の鉄道輸送が急激に増加に転じたことを報告しています。
この騎兵情報に対し、カイザースラウテルンに本営を前進させたカール親王は「敵の退潮に変化なし」として5日夕刻、翌6日もそのまま予定通り進軍せよと命じます。この行軍予定によれば6日には、
〇3軍団 本隊ノインキルヘン。前衛を「ザールブリュッケン方面」へ。
〇第4軍団 ツヴァイブリュッケン付近。前衛ノイ=ホルンバッハ。
〇第10軍団 ヴァルトモール付近。
〇近衛軍団 ホンブルク付近
〇第9軍団 ラントシュトゥール付近。
〇第12軍団 カイザースラウテルン付近。
〇騎兵は同様にザール河畔で斥候任務
ここで注意したいのは第3軍団で、7日までに「本隊ノインキルヘン。前衛ズルツバハ」へと言われていたものが既に5日、目標至近に到達していたので、前衛を更に南西へと進めることとしていた点です。
またこの少し前には大本営から電信が届き、前日発生した「ヴァイセンブルクの戦い」の詳報と第三軍が今後行う作戦の概要が通告されました。
第一軍から電信通告が届いたのも夕方遅くで、明日第一軍はライン=ナーエ鉄道の西側をザールブリュッケンへと進軍する、という内容でした。これと前後して再び大本営が電令を送り、それには、
「強力な騎兵支隊によりサルグミーヌ~ビッチュ間の鉄道運行を妨害し、少数の敵兵を捕虜にして情報を収集、もし敵が逃げ去れば逃げた方角を確認すべし。特にロアバッハ(=レ=ビッチュ)周辺を重点的に偵察せよ」 とありました。
この命令によりサルグミーヌの東側を偵察した騎兵第6師団の騎兵たちは、この5日深夜から6日早朝にかけて再びブリース川を越えて越境し、鉄道数ヶ所に破壊工作を行ったのでした。
こうして第二軍は8月6日、ザールブリュッケン方向に向けて第一軍の東側を行軍することとなります。フランス軍は退却を始めている様子が窺えており、カール親王も先頭の第3軍団を予定より先へと進ませることとしたのです。
この「敵は弱気になって後退している」との判断は第一軍のシュタインメッツも聞き及んでおり、何としてでも第二軍より先にザールブリュッケンを奪還し、先へ進もうとするシュタインメッツ始めとする第一軍将星たちにより6日の戦いが発生することとなったのです。




