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北独第二軍・8月1日から5日(前)

 ドイツ第二軍は7月29日の大本営命令でアルセンツ(バートクロイツナハ南)~ゲルハイム(アルツァイ南)~グリューンシュタット(同じく)の線まで進出する事となっていました。

 この線はフランス軍がマインツ方面へ突破しようとする場合必ず通過しなくてはならないハルト山地(バートデュルクハイムからノイシュタットを経てランダウまでの西側にある山地)の東方への出口に当たる各街道を管制し、また現在輸送中の各部隊の後方宿営地を警護するにも最適でした。

 第二軍司令官フリードリヒ・カール親王は騎兵第5、第6師団に独仏国境を偵察し敵の状況を探りつつ敵の侵攻に備える任務を与え、騎兵たちは勇躍西へ進んで行ったのです。


 この状況で第二軍各部隊の70年8月1日の位置は以下の通りです。


 第二軍(フリードリヒ・カール親王騎兵大将) 本営・アルツァイ

 右翼(北)○第3軍団(コンスタンチン・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将)本営・ヴォルフシュタイン

  ・第5師団(フォン・シュテュルプナーゲル中将)マイゼンハイム 

  ・第6師団(男爵フォン・ブーデンブロック中将)ヴォルフシュタイン

 左翼(南)○第4軍団(ギュスタフ・フォン・アルヴェンスレーヴェン歩兵大将)本営・グリューンシュタット

  ・第7師団(フォン・グロス・ウント・フォン・シュワルツホフ中将)グリューンシュタット~バート=デュルクハイム西方

  ・第8師団(フォン・セーレル中将)カイザースラウテルン

 左翼第2陣○第9軍団(フォン・マンシュタイン歩兵大将)オッペンハイム~ヴォルムス

  ・第18師団(男爵フォン・ウランゲル中将)

  ・第25師団(ヘッセン大公国ルートヴィヒ親王中将)

 右翼第2陣○第10軍団(フォン・フォークツ=レッツ歩兵大将)本営・ビンゲン(=アム=ライン)

  ・第19師団(フォン・シュワルツコッペン中将)バート=クロイツナハ

  ・第20師団(フォン・クラーツ=コッシュラウ少将)ビンゲンで下車、整頓中

 左翼第3陣○近衛軍団(アウグスト・ヴュルテンブルク親王騎兵大将)マンハイム西方で後続待ち・集合中

  ・近衛第1師団(フォン・パーペ少将)

  ・近衛第2師団(フォン・ブドリツキー中将)

  ※近衛騎兵師団(伯爵フォン・デア・ゴルツ中将)のみ列車で移動中

 右翼第3陣○第12軍団(ザクセン王太子アルベルト親王歩兵大将)ニーダー・オルム~インゲルハイム(=アム=ライン)

  ・第23師団(ザクセン公子ゲオルク親王中将)

  ・第24師団(子爵ネーホフ・フォン・ホルダーベルク少将)

  ・騎兵第12(ザクセン)師団(伯爵ツール・リッペ少将)

 前衛右翼○騎兵第5師団(男爵フォン・ラインバーベン中将)の2個旅団 ライヒェンバッハ=シュテーゲン~バウムホルダー(ビルケンフェルトの東)

  ・レーデルン少将旅団 ・バルビー少将旅団

 前衛中央○騎兵第6師団(メクレンブルク=シュヴェリーン公ヴィルヘルム親王中将) アルテングラン(クーゼルの東)

 前衛左翼○騎兵第5師団の1個旅団 カイザースラウテルン

  ・ブレドウ少将旅団

 第三軍との「連絡」(連絡とは軍の境界に穴を開けないための翼端配置の意)○竜騎兵第13連隊(ブレドウ旅団所属/フォン・ブラウヒッチュ大佐) アンヴァイラー(=アム=トリーフェルス/ランダウの西)


 余談ですが、後の第一次~第二次大戦のドイツ軍に詳しい方ならおなじみの名前、例えばマンシュタイン、シュテュルプナーゲル、ブラウヒッチュなどの名前が登場しますが、ご想像通り後の高名な将軍たちの父や祖父、親戚筋の将官です。


 7月29日の大本営命令は、既にドイツ側がフランスを上回る動員集中に成功し、攻勢に出るための準備行軍を命じたもので、特に第二軍はまだ後方から部隊が続々と進出するため、野営地を空けるために既に集合している部隊を西へ移動させる行動でもありました。


 このため、今まで鉄道輸送で端末駅(終点)とされていたマインツからマンハイムまでのライン川岸の駅をもっと西へ、西岸に渡ったザールやプファルツの補給端末駅へと進めることでもあり、カイザースラウテルンやビルケンフェルト、ホンブルクの駅などが俄に忙しくなるのでした。

 北はビルケンフェルドから南はホンブルクに至るまでの間に第二軍が集中することになるのですが、この1日の時点では北に接する第一軍はビルケンフェルドの更に西、モーゼル川のトリールから南、ヴァーダーン~ロースハイムに集合が命じられており、また第三軍はカイザースラウテルン~ホンブルク以南のプファルツ南部に進出中で、第二軍の前進方向は「きれいに開いて」いました。


 カール親王は、今後シュタインメッツ第一軍がザールブリュッケン「より北」を担当するものと考え、第二軍はザールブリュッケン「から南」へ、仏領サルグミーヌ、ビッチュを突破しロレーヌへ侵攻することとなるだろう、と予測します。そのため、右翼第3軍団をバウムホルダーへ、左翼第4軍団をカイザースラウテルンまで前進させることとしてこの1日に「3日までに指定された位置に着き」「第10、近衛軍団の後続部隊がその地に到着するので親部隊が進出するまで到着部隊が滞在出来るよう宿営を用意せよ」と両軍団に命じました。

 この時同時に第9軍団に対しアルツァイ~デュルクハイムまで前進、との命令も下り、その他の軍団もその宿営地を後続部隊(第1、第2、第6軍団など)に空け渡すため西方へ移動せよと命じられたのでした。


 8月2日朝になると各軍団は命令に従い動き始め、第3軍団はマイゼンハイムからオッフェンバッハまで行軍し、第4軍団の本営直属部隊と第7師団は前衛の第8師団が待っているカイザースラウテルンまでの中間点に達し、第9軍団も20キロほど西方のキルヒハイムボーランデン東郊付近に宿営を移しました。第12軍団は予定されたヴェルスタットに到着しています。

 第10軍団と近衛軍団は未だ後続部隊が輸送中で、最終的にカイザースラウテルンに全軍集中を予定された近衛軍団の近衛騎兵師団はこの2日カイザースラウテルンに到着し、第8師団が用意した郊外の宿営地に向かいました。


 この2日は第5、第6の騎兵師団も更に西へ進み、トーライ~ザンクト・ヴェルデル~シェーネンベルク=キューベルバルク~ミュールバッハ(アルテングラン南郊外)の線まで達し、その前衛はアインエート(ツヴァイブリュッケン北西)とブリースカステルに到着し、トーライ付近で第一軍の第8軍団と連絡し、南部では竜騎兵第5連隊(第三軍の騎兵第4師団騎兵第10旅団所属)と連絡しています。


 カール親王はこの日夕刻大本営に対し、電信にてマインツに到達した部隊の位置を報告します。すると折り返し参謀本部から次の訓令が届きました。

「敵軍がもしザールブリュッケン及びサルグミーヌから前進しているのならば、第3軍団は本日の宿営地にて命令あるまで停止し、第4軍団もカイザースラウテルン以西に進んではならない。しかし敵が未だ前進しないのであれば、第3軍団は明日3日バウムホルダーまで進むこと、また、第4軍団主力はラントシュトゥールまで進むことをそれぞれ許可する。但しこれ以西への前進は、他の軍団がそれぞれの軍団まで半日の行軍で連絡出来るまで待つこと。また、カイザースラウテルンとビルケンフェルトには明日以降第1軍団が到着するので、それを考慮して混乱なきよう行動せよ」

 これはこの2日に「ザールブリュッケンの戦い」が発生した関係で急遽出されたものでした。この2日夕方時点ではまだグナイゼナウ支隊がどうなったのかはっきりしておらず、第二軍が無防備にフランス軍の「突進」にぶつからないようにしたモルトケの配慮でした。


 この2日、アルツァイのカール親王の下には結局「ザールブリュッケンの戦い」の詳報は入らず、未だフランス軍は進撃せず、との情報が活きていました。そのため深夜、カール親王はマインツ大本営のモルトケからの訓令に従い、第3、第4の両軍団を翌日3日も西へと進ませることとしたのでした。


 明けて3日朝、カール親王に「ザールブリュッケンの戦い」の第一報「敵はザールブリュッケンとサルグミーヌから越境した」との電信が入ります。同時に第三軍がクリング川(ゲルマースハイム~ランダウの6キロほど南を流れるライン支流。国境のロタ川まで12~17キロ北)の線まで前進し、アルザス方面の敵と戦う準備がなったとの情報も入りました。カール親王は本営をアルツァイからキルヒハイムボーランデンへ進め、この地を中心として全軍をハルツの山地の出口付近に集合させる準備があることを大本営に通告します。カール親王は当然フランス軍がザールブリュッケンからそのまま東進し、ハルツ山地まで来るものと思っていたのでしょう。

 しかしそのアテは外れます。3日午後遅くになってもフランス軍はこれ以上動くことがなかったのでした。


 この2日午後から3日夕にかけては「騎兵の日」となりました。

 仏第2軍団のザールブリュッケン攻撃を援助するためサルグミーヌからザールの東岸に渡った仏第5軍団の部隊は、2日午後になってルーベンハイム(ブリースカステル南9キロ)まで侵入し、ここでプロシア竜騎兵第5連隊の哨兵と衝突しました。しかしフランス部隊は、ほんのわずかな時間銃撃を続けたかと思えばすぐに止めて退却し、あっという間にザール川を越えて退却してしまいました。

 同じようなことはザールブリュッケンでも起こり、騎兵第6師団の胸甲第6連隊の前衛中隊が3日午前、前日グナイゼナウ支隊が戦ったザールブリュッケン東部のザンクト・ヨハンに入ると、敵はザールの対岸の丘に認められるものの東岸にはおらず、未だザール川の東岸一帯はフランスが占領していないことが分かりました。また、同じ3日の午後、ザールブリュッケン西側のブルバッハから町に入った槍騎兵第3連隊の1個中隊は、対岸のフランス軍から猛烈なシャスポー銃の銃撃を受けながらも強行突破し、ザンクト・ヨハンに向かいます。この途中、1個小隊の騎兵が敵の哨兵部隊と遭遇し、恐れを知らぬ騎兵たちは銃撃を浴びながらもフランス兵7名を捕虜にして部隊に帰還するのでした。

 同じ頃、驃騎兵第3連隊や槍騎兵第15連隊の斥候中隊もザール川岸を進んでサルグミーヌ付近を偵察し、フランス兵から銃撃を浴びながらも貴重な情報を得て無事帰還しています。


 カール親王はこれらの騎兵情報を得て、敵の大軍はザールブリュッケンの西部からサルグミーヌに集中しているものの攻撃の意図はなく、ザールブリュッケンとサルグミーヌ対岸までは楽に進出出来ることを確認するのです。同じ情報はもちろんモルトケの下にも届いており、この3日午後、大本営の電信通達も同じ情報を伝えた後で第二軍に対し、以下の命令を下しています。


「フランス軍は前進を始めたものの逡巡している様子である。そのため、8月6日を以て貴軍(第二軍)はカイザースラウテルンより西の森林地帯に展開する事を命令する。第一軍は明日4日、トーライに集合する。両軍は一致協力し敵との会戦を期すことが必要である。

 しかし、もし敵が予想に反して迅速に行動して東進した場合、第二軍はロタ川の北へ移動しここで敵と会戦を行うこととしたい。従ってこの場合は第一軍はバウムホルダー(カイザースラウテルン北西28キロ)に向かうものである。第三軍は明日ヴァイセンブルクにおいて国境を越えようとしている。我がドイツ全軍は明日4日より攻勢に出るものである」


 これはニュアンスこそ違うものの、同時に第一軍のシュタインメッツ宛てに電送された命令と同じものでした。

 第二軍は輜重を含めてこの8月3日までにほぼ全ての部隊がザール=プファルツの地に到着しました。到着していないのは輜重の第二梯隊や補助糧食縦列くらいのもので、これも数日以内に鉄道を使ってプファルツへやってくる予定でした。今や多少の物資不足はあっても第二軍は全攻撃力を発揮出来るまでになっており、後は敵に対する作戦と行軍を待つばかりでした。


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