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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普仏戦争・動員と展開
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プロシア・ドイツの軍備(中・海軍)

 フランス帝国内閣は7月14日深夜に予備兵の動員を命じ、プロシア国王(つまりは参謀本部)は15日夜に動員令を達しました。

 つまり一日フランスが先行しますが、これは実際の開戦時(8月2日)に微妙なタイムラグの妙を見せることになります。


 前述しましたが、当時の動員は非常に大がかりな作業となるので、一度命じられるとそれを止めるのはよほどのことが起きない限り無理でした。

 特にフランスやプロシアのように数十万単位の兵力が国境に移動するのは、町村が百数十国中から移動するのとほとんど変わらない規模となりますので、動員だけでも相当の戦費を費やしてしまいます。

 動員は戦争が避けられないとなったら、相手に先を越されぬように直ちに行われるのが普通です。ですから宣戦布告もしくは国交断絶の前に行われるのも至って普通であり、第1次世界大戦までの戦争は、動員令が発せられ国土全域が命令に従って動き始めた時点で実質開始されたと見るべきでしょう。

 このため両国ともに動員が布告され全国に行き渡った7月16日を以て、普仏戦争が開始されたと考えていいかと思います。


 ここからは、両軍の普仏戦争動員時における軍備を俯瞰します。まずはプロシア軍(正式には北ドイツ連邦軍ですが実体からこの先プロシア軍とします)の戦力を見てみましょう。


 最初に、普仏戦争ではあまり言及されることのないプロシア(北ドイツ連邦)海軍から。


 本格的、そして近代的なプロシア海軍の発足は1815年と言われ、ウィーン会議の決定でスウェーデンからオーデル川以東のバルト海沿岸地域を得た時、同時に6隻の小型帆船(60トン級の沿岸哨戒艇でした)が現地に残されていて、それを貰い受けたことから始まったとされています。

 しかし、バルト海という閉塞した内海に面した海岸をわずかばかりに持つプロシア王国は海軍を重要とは考えず、陸軍を育てることにばかり重点が置かれ、海軍は省みられることがないまま30年が過ぎてしまいます。

 このようにプロシア海軍は長く不毛の時代を過ごしましたが、そんな中でも近代海軍の重要性に着目する指揮官が現れました。それがプロシア国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の甥に当たるハインリヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルト親王(つまりはヴィルヘルム1世の従兄弟)で、親王は本格的な海軍の運用と海軍力の向上に貢献し、ドイツ海軍の祖と目されています。


 アーダルベルト親王は王族とは言え王弟の次男です。陸軍のカール王子と同じ「その他大勢の王子」であり、その立場としては伝統的な務めとしてプロシア陸軍に入隊し、親王は砲兵隊で軍人の基礎を学びました。

 しかし好奇心旺盛で行動派の親王は、海外で見聞を広めるべく盛んに旅行をし、その過程で国の発展には海運の隆盛が絶対に必要であり、それを護り発展させるためにも海軍の強化は必須だ、と気付くのです。


 親王は早速海軍に移籍するや海軍拡張の計画を伯父の国王に訴え、理解は得られなかったものの少しでも海軍を盛り立て、強化しようと動きました。

 そのさなか、1848年の動乱(3月革命など)が発生、民主的なフランクフルト国民議会が誕生し形ばかりのドイツ連邦を名乗った時、「ドイツ海軍」も誕生しました。指揮官はその実体であるプロシア海軍から選出することとされ、アーダルベルト親王が指名されました。

 ほぼ同時進行でデンマーク王国との戦い(第1次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争)も発生、優勢なデンマーク海軍から見ればプロシア海軍やらドイツ帝国(会議は立憲君主的な「帝国」を目指しました)海軍など武装したボートの集団に過ぎず、完全に制海権を奪われたプロシア・ドイツ連邦側はバルト・北海沿岸を封鎖されてしまい、商船は拿捕され海運はズタズタにされてしまいました。


 元よりプロシアはロシア、スウェーデン、デンマークと19世紀前半までの主力艦である戦列艦を主力とする強力な海軍に囲まれていましたが、「海軍国」イギリス、オランダ、そしてデンマークと同盟することで海軍力を「委託」、つまり弱点を他人に補って貰うという外交力で凌ごうとしました。

 しかしこの戦争ではイギリス、オランダが中立を宣言、残ったデンマークは敵そのものという外交の失敗により大変な目に遭ったわけです。


 ところがプロシアは、これに懲りて海軍建て直しに全力を注ぐのかと思えばそのようなこともなく、フランクフルト国民議会がプロシアとオーストリアなどの絶対王制組に妨害されてしりつぼみに消滅してしまったのを期にアーダルベルト親王が希望した海軍増強も立ち消えになってしまいました。


 但しデンマークにカテガット海峡を抑えられ、簡単に港湾や沿岸を封鎖されたことはプロシア王国政府の重い腰を上げさせることにもなり、アーダルベルト親王の進言によってオルデンブルク大公国から北海に面した艦船の停泊にはもってこいのヤーデ湾西側の土地を港湾用地として買収し、王の名を冠したヴィルヘルムスファーフェン軍港を新設することとなります(1853年)。

 一応、世界情勢を踏まえて装甲艦の建造や艦艇の刷新も計画しましたが、その規模は未だ沿岸海軍の域を出ない小艦艇ばかりの揃った弱小海軍で、本格的な外洋海軍を持つイギリスやフランス、オランダやデンマークとは雲泥の差がありました。


 普墺戦争の原因ともなった第2次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争(1864年)でも、味方となったオーストリア海軍が派遣した小艦隊(リッサ海戦のテゲトフ提督指揮)に頼り切っていたくらいで、アーダルベルト親王再三の働きかけにもかかわらず、その発展は亀の歩みの如しでした。


 普墺戦争の結果、プロシアはシュレスヴィヒとホルシュタイン公国、そしてハノーファー王国を手に入れ、ユトランド半島の付け根、バルト海と北海両方の海岸線がプロシアの支配圏となります。

 プロシアは大急ぎで港湾の整備と軍港の開設工事を行い、そして重要なキール運河の開削を計画しました。これはそれまでバルト海の内海沿岸海軍だったプロシア海軍が、王国が北海沿岸を領有したため大西洋という外洋に面することとなり、また、近代化が促進されて海運が急速に発達したことで海軍もまた拡張の必要性が増したためによる一連の動きでした。


 ホルシュタインのバルト海沿岸には重要なキール港があり、海軍は軍港設備を拡充するため直ちに工事に入ります。

 北海沿岸については既にヴィルヘルムスファーフェン軍港がありますが、のんびりしたことに未だに工事中で、工事は督促されスピードアップされました(1869年より一部使用開始)。


 続いてキール運河の開削に向かうのですが、これは絶対に必要な国家的大事業でした。

 何故なら、海岸線が短い北海側だけで海軍を運用すると、限られた狭い地域に艦船が集中するため敵からすれば監視・閉鎖する事が容易く、しかもバルト海からの連絡には敵性国家であるデンマークが押さえるカテガット海峡を通らねばならず、いざ戦争ともなれば封鎖の危険が極めて大きくなることとなってしまいます。これは海軍の拡張をもくろむプロシアにとって大きな弊害となるため、細く平坦なユトランド半島の首元に艦船の通行可能な運河を開設することは、平時の海運にとっても良いことだったのでした。

 しかし運河は計画されたばかりであり、この戦争前には工事すら始まっていません。運河の完成は世紀末を待たねばならず、つまりは、世紀の変わり目に英国に挑戦するまでに成長する「大鷲」ドイツ海軍はこの普仏戦争時には、まだ幼鳥に過ぎなかったのでした。


 1870年初頭でのプロシア(正確には北ドイツ連邦)海軍所属艦艇は、たったの50隻(装甲艦5、木造汽帆走艦9、木造帆走艦3、木造汽帆走砲艦23・通報艦など6、その他4)で、兵員は1万名ほど。装甲艦以外どれも小さな艦で、アーダルベルト親王が夢見た「王国と通商を保護するための攻撃的な海軍力」からは程遠い、未だ沿岸防衛海軍と呼ぶしかない有様だったのです。


 主力の装甲艦は建造順に「アルミニウス」「プリンツ・アルベルト」「フリードリヒ・カール」「クロンプリンツ」「ケーニヒ・ヴィルヘルム」の5艦で、新鋭の「ハンザ」がロンドンで建造中でした(72年に就役、戦争に間に合わず)。

 また、「フリードリヒ・カール」はフランス(ツーロン)の建造、他はイギリス建造で、純国産はありません。陸上兵器は最先端のものを創り出す技術と基礎工業力があったこととは対照的に、艦艇建造ではフランスに十五年は遅れていたプロシア王国でした。


 弱体な海軍は今までもそうであったように強力な陸軍でカバーするしかありません。


 シュレスヴィヒを奪われ、プロシアを憎んでいるデンマークは今回、中立を宣言しましたが情勢によっていつフランスに味方するか分かりません。そのため、強力なフランス海軍が上陸部隊を引き連れてハノーファーやオルデンブルクの北海沿岸だけでなく、カテガット海峡を越えてバルト海に入り、メクレンブルクのリューベックからリューゲン島、ポンメルンの海岸まで、どこを襲われてもおかしくない状況でした。

 

 参謀本部は動員令を掛けると同時に、これらの海岸線防備のため、大急ぎで海岸堡塁・砲台、要塞に守備隊を送り、後備部隊から4個後備師団を編制してフランス軍の上陸、デンマークからの南下に備えました。

 防衛の中心となったのはヴィルヘルムスハーフェン軍港とヴェーゼル川河口のブレマーハーフェン港、エルベ川河口付近、キール軍港で、ここに海軍主力を配置、堡塁と砲台には強力な防衛部隊を配備しました。

 また、キールから東のバルト海沿岸は、アルス島のゾンデルベルク、デュッペル堡塁、リューベック市の玄関口トラフェミュンデ、ヴィスマール、リューゲン島、オーデル河口付近(シュチェチン)などに後備部隊や砲台を配置します。

 

 プロシア(北ドイツ)海軍としては未だキールやヴィルヘルムスハーフェンが完成しておらず、また艦船が少ないため浅く広く分散配置するしか手が無く、民間の貨物船や軍の輸送船を護衛するまで手が回りませんでした。このため戦争中、海においてはフランス海軍のやりたい放題となってしまい、200隻にも及ぶ拿捕船を与えてしまいますが、幸いにも陸戦での優勢により恐れていた上陸やデンマークからの侵入は発生せず、大切な物資も東方の中立国(ロシアやオーストリア=ハンガリー)からの陸上輸送で確保して凌いだのでした。


 なお、この北ドイツ沿岸防衛の総指揮官に、あの普墺戦争でマイン軍を率いたファルケンシュタイン元帥が就任していたことは特筆に値します。

 参謀本部やモルトケを嫌った頑固な老将は、本人にとっても因縁深いデンマークとの国境線や海岸線を、その長い軍歴の最後に護り切る功績を上げたのでした。

 また、アーダルベルト親王は普仏戦争の結果を見届けると海軍から退役、直後の73年に病没しました。



○普仏開戦時の主な北ドイツ連邦海軍艦艇


*「艦名」 常備基準排水量 最大速力 主要兵装 乗員


装甲砲艦(モニター)

 「アルミニウス」

 1,210t 10ノット 19口径21cm旋条砲x4 132名

装甲砲艦(ブリッグ)

 「プリンツ・アーダルベルト」

 1,440t 9.5ノット 19口径21cm旋条砲x1 25口径17cm旋条砲x2 130名

装甲フリゲート

 「フリードリヒ・カール」

 5,971t 13.5ノット 22口径21cm旋条砲x2 19口径21cm旋条砲x14 531名

 「クロンプリンツ」

 5,767t 14.7ノット 22口径21cm旋条砲x2 19口径21cm旋条砲x14 541名

 「ケーニヒ・ヴィルヘルム」

 9,757t 14ノット 20口径24cm旋条砲x18 22口径21cm旋条砲x5 712名


帆走フリゲート

 「ゲフィオン」

 1,390t 15ノット 60ポンド滑腔砲x2 24ポンド滑腔長砲x26 24ポンドカロネード(滑腔短砲)x20 402名

 「ニオベ」

 1,300t 14ノット 15cm旋条砲x6 12cm旋条砲x6 350名

 「テティス」 

 1,550t 15ノット 68ポンド滑腔砲x4 32ポンド滑腔砲x32 380名


汽帆走コルベット

 *アルコナ級

 2,454t 12.1ノット 22口径15cm旋条砲x17 23口径12.5cm旋条砲x2 380名

 「アルコナ」「ガツェレ」「ヴィネタ」「ヘルタ」「エリザベト」

 *アガスタ級

 1,827t 13.5ノット 15cm24ポンド旋条砲x8 12cm12ポンド旋条砲x6 230名

 「アガスタ」「ヴィクトリア」

 *ニンフ級

 「ニンフ」

 1,183t 12ノット 12cm旋条砲x17 190名

 「メデューサ」

 1,183t 8ノット 38ポンド滑腔砲x10 12ポンド滑腔砲x6 190名


汽帆走砲艦

 *カメレオン級

 353t 9.1から9.3ノット 15cm24ポンド旋条砲x1 12cm12ポンド旋条砲x2 71名

「カメレオン」「コメート」「シークロップ」「ドルフィン」「バジリスク」「ブリッツ」「メテオール」「ドラッヘ」

 *イェーガー級

 237t 9ノット 15cm24ポンド旋条砲x1 12cm12ポンド旋条砲x2 40名

「イェーガー」「クロコディル」「フックス」「ハビット」「ハイ」「ハイエナ」「ナッター」「プファイル」「ザラマンダー」「シュワルベ」「スコーピオン」「スペルベル」「ティーガー」「ヴェスペ」「ヴォルフ」


通報艦

 「ファルク」1,002t 15ノット 12cm12ポンド旋条砲x2 90名

 「ローレライ」430t 10.5ノット 12cm12ポンド旋条砲x2 57名

 「グリレ」350t 13.2ノット 12cm12ポンド旋条x2 78名

 「ニックス」

 「プロセッサー・アドラー」

1,171t 11.5ノット 24ポンド旋条砲x2 24ポンド滑腔砲x2 110名

 「ポメラニア」


練習艦

 「レナウン」

  5,692t 10ノット 36ポンド滑腔砲x12 24ポンド滑腔砲x7 他x12 531名

*ムスキト級 509t 12ノット 24ポンド滑腔砲x10 150名

 「ムスキト」

 「ローファー」


外輪推進船(宿泊艦)

 「バルバロッサ」 1,135t 9ノット 68ポンド艦載臼砲x9 200名

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