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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普墺戦争外伝・Lissa
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リッサ海戦(三)

 イタリア海軍主力艦「レ・ディ・ポルトガロ」艦長にしてペルサーノ艦隊の「後衛」戦隊指揮官リボッティ大佐は、目前に迫った敵小型フリゲートをにらみ据えていました。

 彼の衝角の獲物はこちらに対し必死で砲撃を繰り返し、至近で発射された「空弾」(火薬を詰めない鉄の塊の砲弾。爆発する榴弾では装甲を貫通出来ないので、艦体を貫通させるために用いる。後に現れる徹甲弾の先祖)は装甲で砕けるか貫通、危険な鉄片や木の破片を飛び散らせますが、大佐は艦橋でじっと立ったままでした。すると、その視野に突然巨大な木造艦が突進して来たのです。

「旗艦!取舵一杯!」

 とっさに命じた大佐ですが、既に敵戦列艦は彼の視界を覆い尽くさんばかりに迫り、リボッティは完全に避けることは不可能、と達観します。しかし、舵を左に切って舳先を敵に向けることで当たる面積を少なくし狭角にすることで敵の突進力を殺ぐことは出来ます。

 正にベテランならではの艦捌きと言え、結果、様々な事が同時に発生しました。


挿絵(By みてみん)


 「カイザー」は相手が舵を切った直後、ほとんど擦るようにして左舷側から敵艦に衝突しました。

 鳴り止まぬ砲声に負けじと甲高く大きな衝突音が響き、互いの艦体は激しく振動します。直後に「レ・ディ・ポルトガロ」は片舷斉射、再び激しい破壊音と衝撃が艦体を揺さ振るのでした。

 その直後「カイザー」のフォアマスト(前艢。一番船首寄りのマスト)が倒れ、その直後にあった煙突も根本から横倒しとなり、マストや索具が火の粉を吹き上げる煙路の上に落ちて、それに被るや否や火の手が上がりました。

 鋼鉄の装甲に押し潰された艦首の一部が外れてイタリア艦上に落ち、艦の象徴である艦首装飾の「帝冠」も敵の甲板にはがれ落ちたのでした。

 艦橋ではペッツ艦長が負傷し、その場で応急手当を受けていました。


 こうして、リボッティ艦長とっさの判断で敵の衝突のダメージを押さえ込み危機を脱した「レ・ディ・ポルトガロ」でしたが、その損傷も決して小さくはありませんでした。

 主錨は二つとも衝撃で錨鎖が切れ海へ落下し消失、艦載ボートを数艇破壊され、上陸部隊用に積んでいた大砲が4門壊れ、「カイザー」が斜めに衝突した左舷側の砲扉が11枚外れて海中に没し、18mに渡って装甲がはげ落ち、チーク材の船殻がむき出しとなってしまいました。


 後にリボッティ大佐は「もしも艦に対して直角にカイザーの艦首を受けていたとしたら、相手が木造だろうとなかろうとポルトガロは舷側を潰され、漏水により沈没は免れなかっただろう」と語ります。

 これが後々まで両国間軍のみならず世界中の海軍を誤った認識に誘導するとは、リボッティ大佐も、衝角攻撃を仕掛けたペッツ大佐も当時は考えもしなかったことでしょう。


 「カイザー」は衝角攻撃を掛けた相手よりも自分の方が損傷が大きかったにも関わらず、その艦体が相手と絡み合っている最中に斉射を繰り返し、「レ・ディ・ポルトガロ」はたまらずに振り解くような機関後進を掛けて離れ、たちまち去って行きました。


 木造艦が装甲艦に勝った!オーストリア水兵は歓声を上げますが、喜ぶ暇はありません。続く敵装甲艦「レジーナ・マリア・ピア」が数百mにまで迫っていたのです。


 甲板上では破壊された煙突の上に落ち、炎を吹き上げているマストや索具を切り離す作業が必死で行われ、「マリア・ピア」が勝負を挑んで来た時には残骸の多くを何とか艦外へ捨て去りますが、ここで敵は狙い澄ませた斉射を行い、多数の砲弾を浴びた「カイザー」は砲列の一部が使用不能に、ボイラーの蒸気管は破壊され、特に後部甲板に被害が大きく負傷者も多く出ました。


 煙突が倒され蒸気管も損傷したため、火災を防ぐためにも全力が出せない機関。舵輪も破損、砲列にも被害が広がり砲撃力も低下。負傷してもなお艦橋に立ち続けた闘将ペッツ大佐も「マリア・ピア」とすれ違った直後に、これ以上の戦闘継続を諦めます。


 「カイザー」は針路を南東に取り、ちょうど反転し攻撃に戻る味方第1戦隊とすれ違います。

 戦闘中に対向する味方艦の隙間を抜けて交差、行き違うという行動は規律と技術の賜物で、それは見事な光景でした。


 続く木造艦にも被害が大きな艦があり、「シュワルツェンベルク」は喫水線下に一発浴びて破孔を作り、なんとか孔を塞いでポンプで排水しています。「アドリア」は多数の空弾を浴びて孔だらけとなり、同じく浸水も火災も発生して消火活動や排水作業に追われています。艦長を倒された「ノヴァラ」は他に戦死6名負傷20名を数えました。


 これら手負いとなりながらも忠実な猟犬のように「カイザー」に従った木造艦も、大概が旗艦に続き第1戦隊と交差し、一部は残って第1戦隊と共に戦い、一部は手負いの「カイザー」を守って続きました。

 ペッツ大佐は後をテゲトフに託し、一足先にリッサ島へと去ったのです。


 さて、「カイザー」と「レ・ディ・ポルトガロ」との衝突があった頃、ヴァッカ少将の戦隊はテゲトフ第1戦隊の突破に気付くと西寄りに変針しますが、転回することはなく、そのまま先へと進みました。

 こうして先鋒が遥かに先へ進み、後衛が木造艦隊と戦って停滞すると、中央、エミリオ・ファ・ディ・ブルノ大佐の「レ・ディタリア」とアルフレイド・カッペリーニ中佐の「パレストロ」は完全に孤立することになってしまいました。


 テゲトフはこの2艦を執拗に付け狙い衝角攻撃を仕掛けますが、すり抜けられてしまい、砲撃による損害に留まっていました。

 しかし「パレストロ」は、テゲトフの旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」より衝角攻撃を受けた際に右舷艦尾を擦られ、その衝撃で手摺やマストの一部が落下、同時にマスト上に翻っていたイタリア国旗がオーストリア旗艦の甲板に落ちました。艦の旗を奪われるのは相当な屈辱と言えます。飛びついて絡んだ索を切り離し確保しようとするオーストリア士官の動きに対し、イタリア艦からは小銃の射撃が繰り返され、阻止しようとしましたが適わず、艦が離れた時には、イタリア国旗は「フェルディナンド・マックス」の艦上に残されたのでした。


 テゲトフが装甲艦で「パレストロ」を狙い、装甲フリゲートが2隻(「フェルディナンド・マックス」と「ドン・フアン・デ・アウストリア」)交互に砲撃と衝角攻撃を行うのを見た「レ・ディタリア」は救援に駆け付けますが、こちらもオーストリア左翼の2装甲艦(「プリンツ・オイゲン」と「ドラッヘ」)から猛射を受けてしまったのです。


 「レ・ディタリア」が敵装甲艦に阻まれる中、「パレストロ」も必死で戦っていました。一時は4隻の装甲艦と1隻の木造フリゲート(リボッティ戦隊と戦った直後の「ノヴァラ」)に狙われ、一身に砲撃を受けてしまいます。


 「パレストロ」と姉妹艦「ヴァレーゼ」はこの年(66年)フランスで完成したばかりの新鋭艦で、種別こそ「砲艦」となっていましたがそれは砲の数による定義、装甲コルベットと遜色ない大きさの2,500tの艦体に120ミリ装甲を張り、20.3cmアームストロング砲2門に20.3cm後装旋条砲2門は強力な武装でした。

 海戦でもその強靭な装甲の力を見せ、オーストリア艦が放つ空弾は甲板や舷側で弾かれ砕かれ続けていました。

 しかし、硬く厚い装甲は速度が犠牲となって成り立っていたのです。その戦速は8ノットでしかなく、12ノットクラスのオーストリア装甲フリゲートを振り切れませんでした。

 

 敵の砲撃を受けながらも巧みに反撃していた「パレストロ」でしたが、遂に不運な一発が艦体を捉えます。「フェルディナンド・マックス」が放った一発の砲弾が後部甲板に落ち、そこは全体から見れば僅かな面積しかない非装甲部分、しかも甲板を貫いたこの砲弾は弾薬庫にほど近い場所で炸裂し火を発します。船材に燃え移った炎は内装に飛び火して立ち所に燃え広がるのでした。

 「パレストロ」艦長カッペリーニ中佐は直ちに左へ転舵、砲撃を避けながら何とか消火しようと部下を奔走させました。ここから後に伝説となるこの艦の英雄的な苦闘が始まったのです。


 一方、「レ・ディタリア」にも深刻な事態が発生していました。

「プリンツ・オイゲン」や「ドラッヘ」、「ファン・デ・アウストリア」や「フェルディナンド・マックス」に代わる代わる砲撃を受けた「レ・ディタリア」にも不運な一発が当たり、その空弾は艦尾から艦内に飛び込むと舵輪が全く反応しなくなったのです。


 この時、「パレストロ」は北へ北へと進んで傍目にも火災は激しいものとなり、「ディ・ブルノ戦隊」三番艦であるはずの「サン・マルティノ」は「ドラッヘ」や「ファン・デ・アウストリア」と戦っていたのです。

 舵が利かなくなった「レ・ディタリア」はこれら味方艦からも離れ、完全に孤立してしまいました。


 一方、テゲトフ提督はこの海戦中一度も艦橋を離れず、両足を踏ん張る仁王立ちで指示を出し続けました。

 既に部下の艦長が2名戦死、勇猛果敢な次席指揮官のペッツ大佐も負傷、この後には脇に控えていた副官のミヌッチーロ大尉も負傷しますが、提督は無傷でした。その姿は敵艦からも望見され狙撃もされましたが幸運にも当たらず、テゲトフは耳元を砲弾や銃弾が掠めても常に冷静に命令を下すのです。

 その冷静な目が敵「旗艦」の舵機故障を見逃すわけがありません。

 敵は正に一進一退、直線の前後運動をするだけで、テゲトフは直ぐに何が起きたのかを悟るのです。

 「艦長!敵は舵機故障だ」

 テゲトフは隣に立つ旗艦艦長ステルネック大佐に伝えます。ステルネックは「了解」と頷くや機関に全力を命じ、舵を切って敵艦の左側へ向け疾走、その距離が50mとなったところでなぜか突然停止を命じました。


 「レ・ディタリア」は近付こうとする敵艦に両舷から発砲し、甲板では水兵に小銃を渡して敵の衝角攻撃後の「乗っ取り」に備えていました。

 ディ・ブルノ艦長は「フェルディナンド・マックス」が右舷から突っ込んで来るのを見ると「機関全力前進」を命じますが、正にその時、もう一隻の敵装甲艦が艦の前進方向に突進するのを見つけたのです。

「いかん!機関全力後進!」

 ブルノ艦長は叫び、ほんの僅かな間に正反対の命令を受けた機関室は慌てて機関を逆転させますが、慣性で前に進もうとする艦はエンジンに逆らってなかなか言うことを聞きません。その場でほとんど止まってしまった敵「旗艦」に衝角攻撃を掛けて来た「ファン・デ・アウストリア」は敵の舳先を掠めるようにして通り過ぎます。ほっとするディ・ブルノでしたが、直後悲鳴にも似た見張りの声に凍りつくのでした。

「敵、マックス級左舷より来ます!」


挿絵(By みてみん)

レ・ディタリア(右)へ突っ込むフェルディナンド・マックス(左)


「機関全力前進!総員衝撃備え!これより敵レ・ディタリア級に衝角攻撃を掛ける!」

 「フェルディナンド・マックス」ではステルネック艦長が鍛えた声を張り上げています。艦長は「ファン・デ・アウストリア」が「レ・ディタリア」へ突進するのを発見、艦を止めました。僚艦が攻撃に成功すればそれでよし、失敗しても敵は身動きがならないのでこちらが確実に仕留められる、そう考えたステルネックの目論見通り、敵は「フェルディナンド・マックス」の目前で停滞、その横腹を晒したのです。後はその5,130tの艦体と11ノット半の速力で5,700tの艦体目がけ衝角を突き立てるだけでした。

 「フェルディナンド・マックス」は「レ・ディタリア」の左舷側に殆ど全速で直角という理想形で衝突しました。その衝角は「レ・ディタリア」の装甲された艦腹をまるで厚紙のように容易く切り裂き、致命的な破孔(およそ40平方m)を作ったのです。


 突然のことで、艦内に伝達する間はありませんでした。「フェルディナンド・マックス」の艦内では艦が停止したので衝角攻撃は中止されたのかと考え、誰もが衝撃に備えていなかったので砲撃とはまた違う轟音と共に艦体が激しく振動すると、人も物も一斉に吹き飛び倒れました。

 ステルネック艦長は衝突の直前、機関に「逆転待機」を命じていたので、「レ・ディタリア」の横腹を衝角が切り裂き突き立てた直後、「全力後進」を命じてもすんなりと艦は敵から離れました。


 衝角攻撃はまた自らも犠牲の多い戦法です。その危険の中で一番大きなものは敵に深く衝角を突き立てたまま離れられずにいた場合に発生します。敵に穴を穿っても離れなければコルク栓のように蓋をしていることになり、浸水は少なく、その間敵は砲撃や甲板から小銃射撃を行い、下手をすれば舷側を越えてこちらに切り込み隊が突入する可能性もあります。帆船時代には最初に攻撃を行って敵に衝突したのに逆転を許した例が多数あり、乗っ取りをするのでない限り、敵が衝撃から立ち直る前に素早く離れるのが鉄則でした。

 後にテゲトフは報告書の中で、この時のステルネック大佐の見事な指揮振りを特に絶賛しました。


 「レ・ディタリア」は「フェルディナンド・マックス」が離れると艦内に大量の海水が流入し、最初は右舷に25度の角度まで傾くと、突然左舷に振り戻り、そのまま急激に左舷を下にして沈んで行きました。

 その甲板では悲壮感漂う光景があちらこちらと散見され、それは後進後に前進に切り替えて離れ行く「フェルディナンド・マックス」から、その最後に至るまで残酷に観察出来たのです。


 「レ・ディタリア」艦上では勇敢にも傾斜し沈み行く艦上でなおも小銃を撃ち掛ける者がいて、次第に立つことが適わなくなっても射撃が続きました。この時の一発がテゲトフ提督の隣に控えていたミヌッチーロ副官を貫き、大尉は重傷を負ってしまいました。

 急角度に傾いた艦上には多くの水兵が索や手すりにしがみつくのが見え、海に飛び込む姿も多く見られます。その沈没の瞬間、艦尾甲板では軍艦旗を降ろそうと奮闘する姿が見え(この中の一人は司令部に属しながらこの艦に残ったアンドレア・デル・サント中佐)ますが、旗を降ろす前に艦は沈んでしまいました。

 時に1120。海戦が始まって37分が経過していました。


 なお、多数の史書が沈没の時、艦長のファ・ディ・ブルノ大佐が艦を失う責任を痛感し、沈み行く艦上でピストルで自殺した、としています。これには異論も多く、中でも有名なのは、軍艦旗を降ろそうとして果たせず、その後救い出されたペルサーノの副官デル・サントが書いた回想録で、彼は「ファ・ディ・ブルノ大佐は語られるような勇者ではなく指揮振りも平凡だった。艦が沈んだ時も自殺などせず、艦を捨て海へ飛び込んだ直後に艦が沈んだため、その巨大な渦に巻き込まれ艦と共に海底へと引き込まれ溺死したのだ」と語っています。現在ではこの説を押す歴史家も多い様子です。

挿絵(By みてみん)

ファ・ディ・ブルノ

 「レ・ディタリア」が沈んだ直後、辺りは一瞬静まりかえりました。聞こえるのは離れたところで戦う砲声だけで、これは正に人々が、イタリア主力艦が僅か数分で沈没したという事実、衝撃を受け入れる時間でした。

 長く感じられましたがそれも数十秒の間で、付近から一斉に大歓声が上がります。沈没を目撃したオーストリア艦から上がった声で、旗艦の殊勲を誉め称えたのでした。


 この瞬間、沈没が見える程度に付近にいたのは、「ハプスブルク」「ドラッヘ」「プリンツ・オイゲン」「ノヴァラ」「エリザベート」の各艦で、最初に衝角攻撃し果たせなかった「ファン・デ・アウストリア」は漂う様々な煙で見えず、歓声が聞こえたことで敵の沈没を知りました。

 およそ一キロ離れリッサに向け進んでいた「カイザー」からは、その乾舷が高かったことで見張りと敵艦上を小銃で狙撃しようとマストに登っていた水兵が沈没を目撃する事が出来ました。

 彼らは旗艦が、自分たちが成し遂げられなかったことを成し遂げた、即ち「レ・ディ・ポルトガロ」を撃沈したと勘違いをして、口々にテゲトフの名を叫び賞賛するのでした(「レ・ディ・ポルトガロ」は「レ・ディタリア」同型姉妹艦です)。


リッサ海戦中の旗艦艦橋上のテゲトフ

挿絵(By みてみん)

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