第7話 諦めた男と諦めない女
ヤヤは気付くと自分の部屋にいた。
起動しているパソコンのディスプレイには五月三日の文字。
ループ現象で時間を戻したことを把握した。
先程のことを思い出すと身体が震えだして、ベッドの中に潜り込んだ。
「トロイ、さっきのは一体どういうことなの。僕には何がなんだかわからないよ」
「大分混乱しているようだな。少し落ち着くといい」
「うん、ごめん」
ヤヤは深呼吸をした。頭の中はぐちゃぐちゃだが少しでも論点を整理する。
「まず分かんないことなんだけど。来栖ミラは僕が彼女の家族を殺した殺人犯だと言った。あれは何なの」
「そのままの解釈でいい。彼女は君が殺人犯だと思っている。事実、現場にあった指紋付のナイフと毛髪は君のだった。証拠は揃っている」
「そんなバカな。僕に人殺しなんてできるわけない」
「まあ、君ならそうだろうな」
「そうだ。君なら僕の頭の中がわかるよね。君は僕じゃないと信じてくれるよね」
「……確かに君の記憶には来栖一家殺害に関するものはない」
「じゃあ」
「だが、私には君が犯人ではないという確信は持てない」
「なんで」
トロイだけでも信じてくれるものだと思っていたヤヤは落胆の声をあげる。
「例えば私なら君を操ったり、記憶を消去したりできる」
「そんなまさか」
「もちろん私がそんなことをするはずもない。だが実際に現実に起こった事件で君は犯人としての証拠を全て揃えている」
「これは冤罪だよ」
「そうかもな。でも君にはどうしようもない。どうやって真犯人を見つける。警察が10年間も捜査して見つからず、来栖ミラもその財力にモノを言わせて捜査している事件に君が何かできるようには思えないな」
トロイはどうもヤヤが犯人である前提で話しているように感じた。立ち位置はミラの方に寄っている。これ以上の議論は平行線を辿るだろう。
ヤヤは首を振って、もう一つの方を切り出した。
「あの最後に地球に現れた黒い奴はなんなの」
トロイは溜息をついた。
「あれが何なのかは私にもよくわからん。私は便宜上『虚無』と呼んでいる。全てを破壊し、無に帰するもの。宇宙の始まり、ビックバンと同等のエネルギーを持つ対極の存在。宇宙を終焉そのもの」
「ビックバンと同等!?確かに宇宙にヒビが入ったような気がしたけど」
「あのエネルギー波は空間ごと破壊する絶大なものだ。光の速度を凌駕し、あらゆる物理法則を超越している。虚無が破壊するのはこの次元だけでなく、もしかしたらその枠すら超えて全て破壊しつくす存在かもしれない」
「この世界だけでなく異世界まで破壊するって事?」
「私が言及したのは他の宇宙なんだが。宇宙は一つだけでなく多数存在している。それにしても異世界か。そういう捉え方もあるのかもな」
トロイは遠い目をした。
「君は人類が滅ぶのは隕石でなく虚無のせいだと知っていたんだね」
「そうだ。あれには誰も勝てん。人類の誰も。人類の全てが結託しても無理だ」
トロイの言い方はもう試したかのような言い方だった。だからヤヤにはわかった。
「君は僕に憑りつく前は来栖ミラに憑りついていたんだね。そして二人で虚無と戦っていたんだね」
トロイは少し驚いたような表情をした。なおもヤヤは続けた。
「だって最初に言ってたでしょう。目の前で僕が死んだときに時間遡行が起こったって。引きこもってた僕が外で死ぬことはない。ってことは誰かが僕を殺した。僕を殺す理由があるのは来栖ミラしかいない。僕を使って取引をしたんだ」
「……その通りだ。私の前の宿主は来栖ミラだ。当時、私は虚無と戦って勝つ可能性は来栖ミラにしかないと思っていた。だからなんとしても彼女の協力を仰ぎたかった。彼女は犯人捜しを日本中を虱潰しに探すつもりだったが隕石墜落まで到底間に合いそうもなかった。私はそれを利用するしかないと思った。私は記憶の継承を利用して先んじて君に辿り着き、犯人を教えることを条件に彼女の協力を取り付けた」
「僕も短い間しか彼女と接していないけど彼女の持っている能力は規格外なのはよくわかってるよ。たぶん人類60億の中でも頂点に立つ才能の持ち主だ。その上人脈も財力も全て持ち合わせている。覇王のような人」
「だがミラはそれだけではない。彼女は神域の人間だ。彼女の豪運は奇跡と呼んでも差し支えない。奇跡を使いこなす全能の人なのだ。彼女の望むことはそれ自体が引き寄せられて、彼女を害するものは勝手に自滅をする」
「彼女の持つ豪運なら、奇跡ならもしかしたら虚無に届くかもしれないと思ったんだね」
「だが彼女でも虚無には勝てなかった。最初は単独で挑んだ。次は軍隊を引き連れた。次は日本全てを巻き込んだ。そして最後は世界中の全ての戦力をひとつにまとめて戦った。それでも何もできずに消し飛ばされた」
トロイは淡々と喋り続けた。
「何度も戦っても勝てなかった。殺されるたびに対策を練り何十回何百回と挑んだがそれでもあれを倒す光明すら見えなかった。それでもミラは諦めなかったが、……私の心は折れてしまった」
ヤヤは何も言えずに黙って聞いていた。
「私はミラに感情移入してしまっていた。これ以上彼女が殺されるのを見たくなかった。だから約束を果たして、彼女の復讐の最後に手伝って、そのまま消えてしまおうと思った。宿主でなければ記憶の継承は起こらない」
ようやくトロイが傍観者で積極的にヤヤの生存に関わらないのかがわかった。
全てを破壊するもの『虚無』を前にしてヤヤはどこに逃げようとも助からないからだった。
トロイはもう諦めてしまっていたのだ。
そしてヤヤがミラの家族殺しの犯人であることを未だに疑っている。
身の潔白を証明するには真犯人を見つけ出さなければならないが外に出ればそれだけミラに見つかる可能性が増える。
……もう殺されるのは嫌だ。
隕石で、そして『虚無』によってヤヤは何度も死んでいるが、それは一瞬の出来事による即死だった。
嫌な気分であるが痛みも恐怖は感じない。
しかしミラは違う。復讐のためにヤヤを殺すのだ。
ナイフで何でも突き刺して殺しに来る。あれほどの憎悪を二度とぶつけられたくなかった。
そして通常の周回でミラがヤヤを見つけられなかったのはヤヤが引きこもっていたから。
ずっと引きこもっていればもう見つかることはない。
どうせあの『虚無』がいたのでは何をやっても無駄だ。助かる道はない。それなら……。
「トロイ、僕はもう疲れた」
「そうか」
「もう何もしたくない。もうずっと引きこもっているよ。そしてずっとこの時の中で……」
「……そうだな。私は君が犯人でないと確信はしていないが、君に憑りついて犯人であるとも確信を持てなくなった。この状態でミラに突き出したりはしないから安心するといい。私も疲れた」
「うん、わかった。ありがとう」
そうしてヤヤは微睡ながらベッドの中で眠りについた。もう二度とその眠りから覚めたくないと思いながら。
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暗い部屋で来栖ミラは飛び起きた。
冷や汗をかいて息を荒げている。
……今見た夢は忘れてはいけない。
私が作らせた宇宙船で私が殺した男。
名前はなんだった。どんどんと記憶が曖昧になっていく。
そうはいくか。脳内に全神経を集中すると鍵のようなビジョンが浮かんだ。私にはわかる。これは私がかつて大切にしていた存在が私のために封印してくれた扉の鍵だ。どうしてそう思うのかわからない。
鍵は全て開け放ってはいけない。それを開け放つと私は間違いなく壊れてしまう。そんな気がした。
大事なのは今見た夢の内容。その一部だけ。それは本来ありえない記憶。本来なら手にすることのできない情報。でも私には望んだことが全部叶う。叶えてきた。だから奇跡を起こす。
霞のような消えゆくものを私は必死に手を伸ばして捕まえた。
思い出したのは、いや今知ったことはたった一つだけ。
「……静森ヤヤか。ふふふ、もう逃げられんぞ」
それだけで十分だった。私はもうこいつの名前を忘れない。