第30話 新学期
新学期になった。
学校への道すがらヤヤはトロイと共に今回の事件を振り返った。
荒巻武史を助けるために今回ヤヤは水面下で動き回ることとなった。
その中で各国の軍部と繋がりが持てたのは大きい。
来たるべき虚無との最終決戦は世界中の戦力を総集結させなければいけない。
また、虚無が一体何なのか、その正体の一端も掴むことができた。
正体不明の怪物のホンの輪郭に触れただけだが、大きな収穫だ。
今回のオクタヴィア退治は六道録助や佐脇爽子の救出よりずっと難易度が高かったが、得るものが大きかったと言えるだろう。
「ヤヤよ。そのオクタヴィアの件なんだが」
「えっ? 何?」
学校まで着き昇降口で上履きに履き替えていると、トロイは珍しくヤヤに言いにくそうに何かを切りだろうとしたのだが、ちょうどその時、後ろから武史が走ってきた。
「おーい、静森!」
「おっ、武史くーん! おはよー」
ヤヤは元気に走ってくる武史を見つめる。
武史は事件後はしばらく落ち込んでいたが、吹っ切れたように立ち直っていた。
遺伝子治療に成功して今ではすっかり人間の姿を取り戻していた。
「その後の経過はどう?」
「ああ。すっかり元通りさ。まだ、遺伝子的には完全に元には戻っていないから、気を抜くと半漁人状態に戻りそうになるけど。まぁ、いざって時のことを考えるとそっちのほうが都合がいいかもな」
武史たちはまだ治療中。そのため、人間状態と半漁人状態を任意でオンオフできるのだ。
割と便利な身体を手に入れてトロイには感謝だ。
武史は歩きながらしみじみと語る。
「それにしても、結局あの夏には女の子との出会いは何もなかったなぁ」
「まぁまぁ、得難い経験をしたわけだし、ヒーローになったわけだし」
「ヒーローはモテてナンボだろ。結局俺TUEEEもできなかった」
「ヤヤよ、俺TUEEEとは何だ?」
話に割り込んだのはトロイだ。知らないワードが出るとどうせくだらないことなんだろうなと思いつつも聞かずにはいられないたちなのである。
「うーん、まぁネットスラングなんだけどね。何ていえばいいかな。多分周りに比べて滅茶強くて無双状態になることだよ」
「なるほど、じゃあ最近のヤヤは俺TUEEEになるな」
「えー、そんなことないよ」
頷くトロイにヤヤは軽く否定する。
「いや、実際そうだろ」
武史は熱く語る。
「シーマ相手にかなり余裕だったし、その上あの来栖ミラに好かれてるんだろ!?」
「……好かれてるのかな?」
ミラの気持ちはヤヤにはわからにない。
ミラの言動はヤヤを無実の罪で殺そうとしたことによる罪悪感と贖罪的な面が大きいのではないかと考えている。
だから、それに付け込んで恋愛的な深い中になるのはなしだと感じているのだ。
まぁ、ミラがヤヤを殺そうとしたことを誰にでも喧伝するのは良くないので言葉を濁した。
「それに、住む世界が違うよ。僕はただの元ひきこもりだし、ミラは世界一のセレブだし。釣り合いが取れないよ」
「釣り合いってよ。恋愛に身分の差はねえよ」
「まぁ、身分差とかは別にいいんだけど」
「じゃあ、なんだよ」
なんだか言いにくそうにしているヤヤに武史は痺れを切らして催促をする。
「いや、その……身長差、とか」
「ああ、それか」
武史は納得したように呟いた。ヤヤとミラでは身長差は30センチ以上はある。並ぶと親子みたいにしか見えない。
「いいんじゃねーの。カッコいい系の美人だし、巨乳だし、美脚だし、あれを嫌って言ったらモッタイナイお化けが出るぞ。素直に食っちまえよ」
「食っちまえって……」
「俺なんかなんも出会いねーよ。佐脇さんもちょいちょいアタックかけたけど見事に躱されたし」
「アタックかけてたんだ。よくそんな余裕あったね」
「モチよ。学校とは違うシチュエーションでの出会いは二人の距離が一気に近づくチャンスだったりするんだぜ。まぁ、上手くいかなかったけど」
「まぁ、その積極性があればなんだかんだいってもすぐ彼女とかできそうな感じするね」
「そうかなぁ」
お世辞ではなく割とヤヤは武史にすぐに恋人ができてしまう気がしている。
この夏なんだかんだ言っても彼も命がけの修羅場から生還したのだ。
なんというか自信がついたというか少し人間的に成長したように見える。
これくらいの器量なら余程相手を選ばなければ言い寄られて悪い対応をされないと思う。
案外、今日にでも誰かと恋に落ちるかもしれない。
そんなことを考えているとあっという間に教室まで付いてしまったのだが、なんだか教室が騒がしい。
入り口にも何人か中を覗いている人がいるし、一体どうしたんだろうとヤヤ達が教室の中を見ると、教室の真ん中で一人の女子高生が腕組みをして突っ立ていた。
高校の教室に女子高生がいる。一文にすると何の変哲もないのだが、実際にその光景を目撃すると違和感が凄まじいの一言である。
何故ならその女子高生というのが来栖ミラだったからだ。
身長180センチを超える長身はクラスの男子の誰よりも高い。
足の長さに至ってはさらに段違いである。それと長いだけでなく太ももは適度に肉付きがいい。
そんな美脚を丈の短いスカートで惜しげもなく晒しているのだから男子高校生には目に毒である。
キュッとくびれた腰のなだらかなラインもいつまで見ても飽きないほどの美しさなのだがどうしても目線を奪われてしまうものがその上にあった。
そこには二つのメロンがあった。
恐ろしいことにその二つのメロンは制服のシャツをパッツンパッツンにして形がつぶれたようになっている。ボタンがはち切れそうだ。
そんな胸を隠すように腕を組んで教室の真ん中で仁王立ちをしているのはミラ。否が応でもクラス中どころか学年中からの注目を浴びている。
「ククク、エロいな」
「ああ、とてつもなくエロいな。かつてないほどエロい。あれホントに俺らと同い年なの?」
ちょっと興奮気味にヤヤに同意を求めるように聞いてきた武史。
「ミラの成熟しきったボディで高校の制服とか着てるとコスプレAVにしか見えないね」
助平親父みたいな感想をいうヤヤ。と同時に疑問に思う。
「ってかあんなに胸大きかったかなぁ。五月の時点ではスタイルはモデルも裸足で逃げ出す感じだったけど胸はそこまで目立つほどじゃなかったような」
「まさか、偽乳なのか? 特選隊なのか?」
武史が恐ろしげに呟く。
「いや、おそらく本物だろう。ミラは来る日のために過度のトレーニングを積んでいたが、怪我の影響でしばらく安静にしてるうちに太ったんだろう。胸部の脂肪細胞だけが」
「えらく便利な脂肪細胞だな。部分痩せならぬ部分太りか」
「さすがチート体質は違うなぁ」
教室の外からアホな感想を言い合うヤヤ達だったが、ミラと目が合ってしまう。
「ヤヤさん!」
険しかった顔を急に花の咲くような笑顔に変えて走ってくるミラ。
クラス中からの視線がヤヤに集中する。
なんだかとても嫌な予感がする。
咄嗟に武史を盾にする。
急に前に出せれた武史は「おいィ!」と抗議の悲鳴を上げるがミラは野獣のような反射神経で武史を躱す。
その瞬間にヤヤは反対方向に横っ飛びするも、ダンと鋭い踏み込み音がしてミラはヤヤの方にダイブした。
三角飛びである。身体能力が違いすぎた。
「どこの若〇津くんだよ!?」
ヤヤの腰あたりをタックルするかのように両腕でがっちりキャッチのファインセーブ。ミラはそのまま空中で一回転して見事に足から着地成功。
「おはようごさいます、ヤヤさん」
「え、ちょ? ミラ?」
「あの荒巻さん?」
パニックになっているヤヤを尻目にミラは武史に声を掛ける。
「あ、はい。何でしょうか」
思わず武史も敬語になってしまった。
「ヤヤさんの席はどこなんでしょうか?」
「えーと……そこの列の後ろから三番目になります」
「ありがとうございます」
武史にお礼を言うとミラはヤヤを後ろから抱きしめたまま歩き出す。
ヤヤは足が地面につかずに「離して、離して」と言いながらジタバタしている。
それを見ながら武史は「いいなぁ~」と羨ましがった。
そして、ミラはそのままヤヤを縫いぐるみみたいに抱きしめたままヤヤの席に座った。
つまり、ヤヤの席に座ったミラの太ももの上にちょこんとヤヤは座っている形になる。
「あのっミラ。ちょっと本気で放してほしいんだけど」
割と最近もこういうセリフを言ったような気もするのだがヤヤはミラに懇願する。しかし、ミラは即座に拒絶する。
「ダメです」
「なんで?」
「このままでいたいから」
「ちょ」
クラス中から物凄い見られている。ヤヤは途端に顔が赤くなった。
これは公開処刑ものだ。クラス中のざわめきも大きくなる。
「っていうか、なんでミラがこんなところにいるの!?」
「なんでって、私もこのクラスの一員ですよ。居ておかしいのですか」
「……そういえばそうだった」
ミラは入学式以降一回も学校に来ていないから忘れていた。
ヤヤのクラス名簿には二年になってから一度も登校すらしていない来栖ミラの名が燦然と輝いている。
「じゃあその制服も」
「入学式の時に用意した制服なんですけど、今日着てみたらサイズが合わなくて。背もそんなに伸びてないし、あの時は結構大きめのサイズ買ったから大丈夫だと思ったんですけど。まぁ、明日にはちゃんとしたのが用意できますよ」
それでそんなエロい恰好なのね、とヤヤは納得する。
「今回の件で国連との交渉もスムーズにいって大分時間的な余裕が出てきましたので、折角だからしばらく高校生活を満喫しようかと」
「ああ、それはとてもいいと思うよ。でも、真面目に満喫しよう! 人前でイチャイチャはダメだから」
「人前でなければイチャイチャしてもいいのですか?」
「え!? あ、うう、はい」
衆目の中、了承させられようやく抱擁から解放されたヤヤ。これってみんなの前でミラとそういう仲であると宣言するようなもので。
「あの来栖さん」
おずおずと話しかけてきたのは佐脇爽子。
学校へ来たらなんだか知らないエロい女子が教室で堂々とイチャイチャしていると聞いて来たら両方とも知り合いだったので眉間を抑えている。
「あら、お久しぶりね。小学生以来かしら。来栖さんなんて他人行儀じゃなくて昔みたいにミラでいいわよ」
「……じゃあ、ミラちゃんで」
「うふふ、なーに? 爽子ちゃん」
来栖家も佐脇家も昔からの名家である。
そして、同い年の娘同士ということで小さいころ何度か会っていた。そのころは二人で遊んだり結構仲良くしていたのだ。
ミラの家の惨劇があって、ミラはそういう上流階級の付き合いをほとんど止めたのだが、それでも爽子のことはよく覚えていた。
「あの、お二人は付き合っているのですか」
爽子はクラスを代表して聞く。みんな知りたがっているようだし、実際爽子も気になっていた。
そりゃそういう疑問が出て当然だろう。ヤヤはどう答えるべきか悩みながらミラを見る。
ここまでイチャついて付き合ってないといったらヤヤはとんだ鬼畜といった感じだし、でも実際には付き合ってるわけではない。
ミラはその目線を受けてにっこり笑って頷いた。彼女は先程の質問に答える。
「私は恋人じゃなくても愛人でもいいわ」
「想定していたよりずっと鬼畜っぽい答えが返ってきた!?」
高校生の恋愛で浮気容認、自分を二号でいいとか言わせるとかどんだけ~、と周囲からのざわめきが聞こえる。
「どうしてそこまで……」
「だって私の初めて(の敗北)の人だから」
ちょっと頬を染めるミラ。
ざわざわざわざわ! このミラの発言には周囲のざわめきは一層激しくなる。喧騒と言っても良い。
「ちょっと、ちょっとぉ! そういう誤解を招く発言はマジ勘弁してよぉ! 肝心なところ省略しないで!」
思わずヤヤは叫んだが、ミラはポッと頬を赤く染めて照れてて、聞いていない。
ミラの恋愛観では自分より凄い人間であるか否かが重要で、今まで自分より優れていると感じた異性に出会ったことはなかった。
その中で自分の武力に権力から何から何まで全てを尽くして挑んだにもかかわらず、なお自分を打ち倒したヤヤを心の底から尊敬している。
無実の罪で殺しそうになった罪悪感にも最初は感じていたが、今では燃え上がるような恋の炎で身を焦がしているのである。
しかし、この発言は火に油。自分だけでなく周囲まで炎上させてしまうのは一流テンパリストの面目躍如だ。
とにかく、これ以上ミラに変な発言させるのはマズイ。その時クラスメイト達の中に六道録助が登校していることに気付いた。
彼ならヤヤとミラとの決闘の事を知っている。
「そうだ。録助君! さっきの発言は誤解だからそのことを説明してよ!」
それを受けて録助はきりっとした顔で頷く。さすが忍者だ。
「ヤヤの兄貴とミラの姉貴の決闘はそれは凄まじいものでしたっす。あんな凄いものは初めて見たっす」
「決闘をプレイと読むなぁ! せめてデュエルと読めェ!!」
ヤヤ、ここにきての初めてのマジ切れである。トロイは難しい顔だ。
「というかプレイだと和訳で試合って意味だな。どうしてもプレイって単語使いたいなら殺試合と表記すべきだ」
「そういうツッコミもいらないから!」
その時、担任の教師有栖川数也が教室の扉を開けた。
「おーい、新学期だからってはしゃぎ過ぎだぞ。ホームルーム始めるから席つけ。……って来栖が登校している!?」
「はい、今日からお世話になります。ところで私の席はどこですか」
「ああ、ずっといなかったからなぁ。一番後ろの空いてる席だ」
「はい、ありがとうございます」
救世主だ。ヤヤは助かったと思った。みんなもっと色々聞きたそうだったが席に着く。
ようやく新学期。録助と爽子と武史の三人を生きて迎えての初めての新学期だ。
ついでにミラまでいる。何か今までにないことが起きる気がする。
「えーっと、まぁ、みんな知らないと思うから紹介するが今まで一回も登校してこなかったうちのクラスメイトの来栖ミラだ。来栖もそこで自己紹介」
「はい、来栖ミラです。皆さんもよろしくお願いします」
パチパチとまばらな拍手が。それが収まると数也は仕切りなおすかのようにごほんと咳をしてから発言する。
「えーっと、実はもう一人みんなに紹介する人物がいる。今日からうちのクラスで一緒に勉強することになった留学生だ。おーい、入ってきなさい」
再びクラスにざわめきが走った。突然の留学生に期待の目をした同級生たちだが、一人だけ強張った顔に変わった人間がいた。
静森ヤヤだ。
ヤヤは俄かに緊張した。それまでの周回でこの時期に留学生など来たことがなかったからだ。
色々な人を助けたことで本来の歴史とは運命が変わっている。
その運命の歯車の微妙な食い違いが今回の留学生という新イベントを起こしたのだ。
これがヤヤにとっていいことなのか悪いことなのか判断が付かない。
ヤヤは静かに扉の外を見つめた。
入ってきたのは外国人の白人女性。ミラがいるせいで霞んでしまうがスタイルはかなりいい。背も高く、出るとこが出て引っ込むところは引っ込んでいる。赤みがかったブロンド。それを巻き髪にしているのが特徴的な美しい女性だった。
しかし、彼女が入ってきた瞬間に、ピクリと反応するものが何人かいた。
ヤヤも瞬時に感じ取った。
――彼女は相当強い。武器なしで真正面から戦えば手も足もでないかも。一体何者なんだ。
ヤヤにしてそう感じさせるほどの手練れだ。
ヤヤはチラッと録助を見る。
録助は顔を真っ青にして泡を吹いていた。
――彼我の力量の把握には定評のある録助君があんなに風になっちゃうなんて。彼女は相当強い。一体何者なんだ。
ヤヤは大事な事なので同じことを二度思うほどの相手は手練れだ。
「じゃあ、自己紹介をしてもらおうかな」
担任の数也に催促されて留学生はチョークに自分の名前を日本語で書き始める。
その名前を見てヤヤを含めた数人が同時にギョッとした表情に変わる。
怪訝な顔をする担任の数也をよそに留学生はにこやかな顔で自己紹介を始める。
「私の名前はオクタヴィア=スカルチノフ。荒巻武史サンの伴侶となるべく花嫁修業に来ました。みなさんよろしくお願いいたします」
そういうと、オクタヴィアはタタッと武史のもとに駆け寄ると抱き着いた。
「武史サン! 会いたかったですわぁ!」
「え? えっ!?」
武史は抱き着かれながら状況が把握できずに顔を引き攣らせて喋ることすらできないでいた。
しかし、この状況を理解できるものが果たしていようか。
「ええええええええええええっ!? 」
今度こそ教室内でいろんな意味での大絶叫が巻き起こったのだった。
********
オクタヴィア爆弾発言により質問攻めにあった武史とオクタヴィアを連れ出し、放課後の校舎裏にヤヤと武史、録助、爽子、ミラが集まってオクタヴィアと対峙してる。
武史はオクタヴィアに相変わらず抱き着かれてされるがままだ。
ちょっと武史はくたびれて煤けて見える。
ヤヤがミラに抱き着かれてるのを見て「いいなぁ~」と呑気に言っていた面影はない。
ヤヤは一歩前に出た。当然最初に聞くことは決まっている。
「君は、あの蛸のオクタヴィアなの?」
問われたオクタヴィアは妖艶に笑った。
「ええ、そうですわ」
その一言を放った瞬間にヤヤとミラ、録助は身構えるが、慌ててオクタヴィアは制止する。
「おっと、私はここに戦いをしに来たわけではないのですの。皆さんもそう殺気立たないでくださいまし」
とはいえ相手が相手だ。七つの海を支配し、大戦前の海軍を壊滅寸前に追い込んだ怪物オクタヴィアの出方次第ではこちらは一瞬で全滅しかねない。ピリピリとした警戒感の中で誰も動けないでいた。その沈黙を破る声をあげたのは武史だ。
「あの……。死んだと思ったんだけどどうして?」
「あら、トロイから何も聞いてません?」
瞬時にトロイに視線が集中する。
「どういうことなの、これは」
ヤヤの詰問するような目線にトロイはヤヤの身体の中に引っ込んでしまった。そして、言い訳をはじめる。
「……私は武史には言ったよ。オクタヴィアはいつの日か生まれ変わるって。嘘は言ってないよ」
「いや、それじゃ文脈的に来世とかと思うじゃん! 俺の涙とか何だったの!? 恥ずかしいじゃん!」
武史は思わず叫ぶようにツッコミを入れた。
なんか叱責されることを恐れて隠れてしまったトロイにヤヤはかわいいなぁと和む。
「ちょっと詳しく説明してよ」
シーマはオクタヴィア完全掌握後、様々な海洋生物の能力を使えるように遺伝子を弄っている。
超音波を放ってソナーのように使うのはイルカやクジラの遺伝子を取り込ませて発現した能力だが、他にも擬態能力だとか色々ある。
その中でも最もユニークな能力はクラゲの能力である。不老不死の能力を持つベニクラゲなど、研究すればするほど奥が深いのがクラゲの生態である。シーマはこれらの特性の遺伝子を次々に突っ込んでいった。
その結果オクタヴィアは老化が進むとプランクトン大に分裂し、再び接合することで古くなった遺伝子をリセットするという文字通り生まれ変わる能力を得た。
ところが、この能力。身体を細かく分裂しすぎると知能までがプランクトン並に著しく低下し、分裂後合体できなくなるという大失敗もので、二度と使われることがなかった。そのためオクタヴィア自身はその能力自体を忘れていた。
しかし、トロイはオクタヴィアの精神の侵入中にこの能力の存在に気付いた。
海軍の総攻撃によりオクタヴィアは瀕死状態のため捨て置かれているが、生きているとなれば確実にとどめは刺されるだろう。
では、どうすればその眼を欺けるか。
死んだように見せかけるしかない。
先程の能力を使えばシーマが死んだときのように粉々に崩れ落ちたように見せかけることができる。
しかし、バラバラに散らばったオクタヴィアの分裂体は知能が低く、お互いに合体することができないという問題がある。そこでトロイは思いついた。
分裂体全部を自分が操作すれば何とかなるんじゃないかと。
どうせオクタヴィアはこのままでは助からない。それなら分が悪くても賭けてみるしかない。
超巨体のオクタヴィアは分裂を始める。その数は数億を超えていた。
まずは海流に乗って海軍の目の届かないところまで流されていき、そこから再び合体を始めるのだが、これが相当困難を極めた。
数億体のプランクトン大のミニ蛸たちは泳力がほとんどなく、たかが数メートル離れた分裂体と合体するのに何時間もかかった。
しかも時間がたてばたつほど海流に流されて分身体はますます距離が離れてしまう。
トロイは海流に流されてバラバラになったオクタヴィア分身体をそれぞれ把握するために、その知能のほとんどを使う。
当然、その間トロイがヤヤ達との会話は右から左。ほとんど頭に入っていない。
神経を削る様に集中して散らばったオクタヴィアの分裂体をかき集め合体させるのに2週間ほどかかったのである。海流に乗ってオホーツク海に流れ着いた彼女は記憶喪失の女を装って現地ロシアで戸籍を取得。こうして留学に日本に堂々と渡航してきたのである。
「そういえば、あれからずっと話してても上の空でどうしたのかなと思ってたよ」
「それにしても深刻な死ぬ死ぬ詐欺だったなぁ」
「前話の感動を返せよって感じよね」
「……すまない」
「まぁまぁ、オクタヴィアが死んでたわけじゃなくて良かったよ。トロイ、お疲れ様」
割と本気で反省していたトロイをヤヤは労う。
「あの、ちょっといいですか」
武史がおずおずと手を上げる。
「……なんで俺、今、抱きしめられているんですか」
頬を赤らめながら答えるのはオクタヴィア。
「愛しているからですわ」
「……えっと、また俺なんかのどこが」
「あの海底でのあなたの叫び、……痺れましたわ。私はあのまま死んでしまおうと思ってたんですけど、あなたの叫びを聞いてもう一度生きてみようと思いましたの」
「そ、そうなんですか」
「そうですわ」
オクタヴィアは微笑むとますますギュッと武史を抱きしめる。
それを見てヤヤ達は祝福モードだ。
「武史君、念願の恋人ができて良かったね!」
「兄貴が祝福するなら俺も祝福するッス。よかったな武史! 頑張った甲斐があったじゃねーか」
「二百年の呪いが解けて王子様と出会うってとっても素敵ね」
爽子に至っては感動で頬にハンカチを当てている。イイハナシダナーという流れだ。
しかし、武史の顔は引きつっている。むしろ虚ろといってもいい。どうしたのだろうか。
「いや、あのなんか、ベタベタするんだけど、これどうなってるの?」
よく見ると武史の顔とか身体中は粘液状のものでベタベタになっている。
「オクタヴィアの遺伝子は元の人間から変異しすぎていて遺伝子治療では元に戻らなかった」
トロイが解説するように語りだした。
シーマの体細胞に浸食され、様々な遺伝子を取り込み、二百年以上の時を海底で過ごしたオクタヴィアの遺伝子は武史たちと比べてあまりにも人間とかけ離れてしまっていた。
彼女はもう人間には戻れない。では、どうやって彼女が人間に戻れたのか。
「答えは簡単。人間に戻れないならそのままでなんとかすればいい」
分裂から再接合したオクタヴィアは触手を全て再生させていたが、その身体は以前の四分の一以下に縮んでいた。大体五百メートルくらいである。
それでもまだでかい。レーダーにすぐ捕まってしまう。見つかればオクタヴィアの再来とすぐ海軍から攻撃されてしまうだろう。
理性を取り戻したオクタヴィアでは攻撃することはできない。
なんとか見つからない様にしなければならない。
そこで、彼女の元貴族の知識が生きた。
貴族の婦女はコルセットで身体を締め付けて無理やりスレンダーにしてしまうのだ。
なんと彼女は触手で自分の体中を縛り付けて圧縮したのである。
ぎゅーぎゅーに縛って人間大くらいの大きさまで圧縮することに成功した。未だかつてない力技である。
どうせ人間大に圧縮できたのなら人間っぽく身体の凹凸を再現できないか、ああそうだ、擬態能力があった。本来は背景と同系色に変化するための力だが、これで人間の肌の質感を再現しよう。髪とか目とか口とかも擬態能力で何とかなった。あとは服で誤魔化してしまえ。あと人口声帯もいるな。そして――。
五百メートルの巨体はコンパクトな160センチの身体に。
蛸丸出しのフォルムは美しい女性の流線形に。
さらに吸盤だらけの触手の先端は艶やかな髪に。
なんという事でしょう。
オクタヴィアは生前の姿そっくりになっていたのだ。
匠の(力)技で劇的ビフォアーアフターしてしまった。
「……っていうことはさ。その赤みを帯びたブロンドの髪は」
「はい。触手ですわ」
「その豊かに膨らんだ胸は」
「はい。これももちろん触手ですわ」
「そのすらりと伸びたカモシカのようなおみ足は」
「はい。どれもこれもみーんな触手ですわ」
声にならないような悲鳴を上げる武史だったがオクタヴィアに掴まれた身体は万力のように離れない。
よく見ると腕から吸盤が生えていて武史にぴったりくっ付いている。
「……こんな強引な擬人化は初めて見た」
「擬人というより人に擬態した蛸だな……」
「そんなことより触手が万能すぎでしょ」
「……触手っ娘とか誰得っすよ」
その様子を戦慄の表情で見るヤヤ達。
オクタヴィアはヤヤの方に振り返る。
少しだけ改まって語りかける。
「私の今があるのは、……ヤヤさん、あなたのおかげです。
トロイから色々聞きました。
私の今までやったことの償いになるとは言えませんが人類のためにあなたに協力させて下さい」
ヤヤは少しだけ呆気にとられたが、すぐに手を差し出した。
「こちらこそ。オクタヴィアさんが味方になってくれるなら心強いです!」
「うふふ、自分でいうのもなんですけど私、戦闘には自信ありますわよ」
「そりゃ頼もしいです」
そういうと二人はがっちりと握手をした。
(……うわぁ、これ、粘液でベトベトだぁ)
内心でそんなことを思いつつ、ヤヤは武史がこれからどうなってしまうのか思いを馳せるのだった。




