* マッチ売りの少女の転機 * 久藤改編
マッチ売りの少女、久藤アレンジです。
しばれる。
というより痛い。
少女は痛む足をゆっくりと動かしながら、人の一番多い通りまでやって来ました。
足が痛いのは、靴がなくなってしまったせい。
家を出る時には確かにはいていたのです。
唯一持っていたその靴は、お母さんのお下がりでぶかぶか。
二台の馬車が猛スピードで走ってきて、少女の靴は飛んでいきました。
少女は慌てて探しました。
しかし、片方の靴はどこにも見つかりませんでした。
もう片方は浮浪児が見つけ、走ってそれを持っていってしまいました。
くそ、あの浮浪児、次に見つけたらシメたるけぇの。
馬車も見つけたら車輪外してやるけん。
古いエプロンの中に入れたたくさんのマッチ。
手に一束持って、少女は大声を出しました。
「マッチいらんとですかー」
何度も何度も呼びかけましたが、誰1人として、見向きもしません。
寒さと痛みと空腹で震えながら、少女は歩き回り、呼びかけ続けました。
こげな大晦日の夜にマッチ買う人なんているわけないら!
あのくそオヤジ、脳みそ入ってんやろか。
ひらひらと舞い降りる雪が少女の長くて美しくカールした金髪を覆いました。
どの窓からも蝋燭の輝きが広がり、鵞鳥を焼いているおいしそうな香りがしました。
雪にも気付かず、少女はその光景に気を取られ、ぼんやりと歩きました。
二つの家が街の一角にありました。
そのうち片方が前に迫り出しています。
少女はそこに小さくなって座り込みました。
マッチはまったく売れていないし、家に帰ることは出来ません。
このまま帰ったら、きっとお父さんに打たれてしまうからです。
小さな両手は冷たさのために悴んでいました。
少女はマッチを1本取り出して、壁に擦りつけました。
するとたちまち火がつきました。
何とよく燃えることでしょう。
上に手をかざすとまるで蝋燭のようでした。
少女には、まるで大きな鉄のストーブの前に実際に座っているように感じられました。
そのストーブにはぴかぴかした真鍮の足があり、てっぺんには真鍮の飾りがついていました。
その炎は少女に祝福を与えるように燃えました。
少女は足も伸ばして、温まろうとしました。
しかし小さな炎は消え、ストーブも消え失せました。
残ったのは、手の中の燃え尽きたマッチだけでした。
少女はもう一本壁にこすりました。
マッチは明るく燃え、その明かりが壁にあたったところはヴェールのように透け、部屋の中が見えました。
テーブルの上には雪のように白いテーブルクロスが広げられ、その上には豪華な磁器が揃えてあり、焼かれた鵞鳥はおいしそうな湯気を上げ、その中には林檎と乾燥プラムが詰められていました。
さらに驚いたことには、鵞鳥は皿の上からぴょんと飛び降りて、胸にナイフとフォークを刺したまま床の上をよろよろと歩いて、少女のところまでやってきたのです。
ちょうどそのときマッチが消え、厚く、冷たく、じめじめした壁だけが残りました。
少女はもう一本マッチを灯しました。
すると、少女は最高に大きなクリスマスツリーの下に座っていました。
そのツリーは、お金持ちのお屋敷で見たことのあるものよりもずっと大きく、もっとたくさん飾りが付いていました。
と、その時、星が流れました。
「今、誰かがおっちんだんかいな……」
亡くなってしまったおばあさんが、星が一つ流れ落ちる時、魂が一つ、神様のところへと召されるのよ、と教えてくれたのです。おばあさんは少女を愛してくれた唯一のひとでした。
マッチをもう一本、壁でこすりました。すると再び明るくなり、その光の中におばあさんが立っていました。とても明るい光を放ち、慈愛に満ちた表情をしていました。
「おばあ!」
少女は泣きながら叫びました。
「お願い、わたしを連れてってや! マッチ燃え尽きたら、おばあも行ってしまうんやろ? あったかいストーブみたいに、うまそーな鵞鳥みたいに、それから、なまらでっかいクリスマスツリーみたいに、おばあも消えるんやろ!?」
少女は急いで、マッチを1本壁に擦りつけました。
おばあさんは少女を抱きしめました。
「いかんでやぁ」
おばあさんは優しく言いました。
「死に急いでは駄目や。諦めては駄目。精一杯足掻いて、足掻いて、生きぃ」
「じゃけど……」
少女はどんなに辛いか、必死で訴えました。
「死ぬこと以外に幸せになれんなんて思わんの。自ら死を選んだら駄目や。そりゃあ、あの駄目息子は手強いと思うわ。だけど負けんで、……生きぃ」
「おばあ……」
おばあさんの力強い言葉に、少女は頷き、涙を拭いました。
「がんばる。うち、がんばるわ! せいいっぱい、いきる! じゃけぇ、もし、もし本当にもうあかんってなったら、きっと迎えに来てな?」
おばあさんは微笑みました。
「えぇ、えぇ、もちろんや。さあ、いきや……」
マッチの火は消えました。
おばあさんも、消えてしまいました。
それでも少女は泣きませんでした。
少女は走りました。
とっくに麻痺してしまった足で、一所懸命走りました。
やがて家に帰り着き、考えました。
もしも、この売れ残ってしまったマッチで家を燃やしてしまったらどうなるだろう?
それは駄目だ。
駄目親父が死ぬとは限らない。
運よく死んでしまっても、住む場所がなくなってしまう。
少女はあっさりと駄目親父殺害計画を諦めました。
殴られることは覚悟の上、凍死するよりは遙かにマシです。
忍び足で家の中に入りました。
そして駄目親父の食べ残したものをこっそりと握りしめ、部屋の隅で毛布に包りました。
毛布と言ってもぼろぼろで薄っぺらい代物です。
それでもないよりは全然暖かいのでした。
明け方の寒さで、少女は目覚めました。
いつもなら父親に蹴り起こされるのに……不思議に思いましたが、蹴られなかった喜びの方が勝っていました。
少女は父親を起こさぬよう、こっそりと食べ物のクズを集め、食べました。
お酒を飲んでいるので、少しくらい食べ物が減っていても気付かないのです。
「せやけどおかしないか」
いつもは煩いくらいの鼾がまったく聞こえません。
少女は父親に近付きました。
なんと、息をしていないではありませんか!
「うっそやぁ……死んどる……?」
父親の体は冷たく、硬くなっていました。
きっと昨夜の流れ星は駄目親父を連れてってもうたんやな!
少女は嬉しいやら悲しいやら複雑な気分になりました。
しかしこれは転機です。
貧しいことに変わりなく、大人がいなくなったことでむしろもっと苦労するかもしれません。
それでも少女は、精一杯生きると決めたのです。
「よし、まずは駄目親父の処分やな。教会へ行かんと」
うちは生きる。
ここから抜け出して、幸せになるんだ!
大晦日に鵞鳥を食べるんだ!
少女は父親の靴を履いて教会に走りました。
それでは、マッチ売りの少女のお話は、ここでおしまい。
諦めなかった少女は、きっと幸せになったことでしょう。