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短い毒薬

深き霧の果てに

作者: 着地した鶏

挿絵(By みてみん)

 白い朝靄が黒い木々を包み、夜と朝の入り混じる静かな風が流れる。


 柔らかな緑白色の世界は静寂、幻想的。それでいて茫漠。


 永遠と刹那の同居する空間は生あるもの全てを呑み込み、そこでは生と死は意味を成さない。

 事物は循環するでもなく、孤立するでもなく、ただ一つに混ざるだけ。

 そんな印象を与える。



 その時、その漠然で幻想たる空間を掻き消す一陣の風。

 風は、白く霞んだ世界を貫き、現実の造物がその姿を取り戻す。

 そして、風の先を飛ぶのは柔らかくなびく白銀の髪と古めかしい箒。

 颯爽と空を進む彼女の姿はすぐに小さくなり、そのまま視界から消えた。


 姿を現した森の造物はすぐに白い靄に包まれ、茫漠たる静寂を取り戻す。



 *



 今日も旧街道の交わりに立つ市は賑わいを見せる。

 東西から多くの人が集まり、様々な肌の色と言葉が入り混じる。

 道を行き交うのは旅人、商人、傭兵、ならず者。当然、牛馬も道を通り、羊鶏は檻箱に入れ運ばれる。


 露店商の見世棚には国内外各地から集められたであろう品が並ぶ。見たことのない形、色の食物が山積みされ、別の通りに入り込めばそこでは宝石類や武具が高値で売り買いされている。

 驢馬(ロバ)を引く行商人の姿も見える。その驢馬が担ぐ重々しい積み荷は北の平原の小麦か、はたまた西の海の塩か。


 話し声、足音、軋む荷車。人と物で溢れるその市は喧騒で満ちていた。



 並ぶ物品にばかり目が行く中で、ふと旅人が空を見上げる。

 そのとき上空を素早く横切る何かを見た。

 鳥か、いや鳥ではない。一瞬でよく見えなかったが、それは人の形をしていたように思える。


 棚越しで商人に聞くと、商人は笑いながら、訛りの残る舌で「魔女さ」答える。


 ――そう珍しいことではない。他の所ではあまりないことだろうが、今日みたいによく晴れた日には箒に乗った魔女が空を飛んでいるのを目にすることがある。


 ――しかし、魔女は夜に飛び人前に姿を見せないものと聞く。尤も、噂話で耳にしただけであるし、旅人は今日まで魔女というものを見たことがなかった。

 それに今では、魔女なんて昔物語の域を出ない架空の産物、と信じる者も少なくないくらいだ。



 ――あの魔女がこんな真昼間に飛び回るのは「あるもの」を捜しているからさ、と空に指を差しながら商人はおどける。


 そもそも此処らに魔女が現れ始めたのは――――商人は事の起りについてゆっくりと語り出す。



 *



 遥か昔、大きな戦があり、多くの血が流れた。

 大地は赤黒く固まり、河川は深紅に染まる。世は死で満ちていた。


 戦は激しさを増して行き、ついに片田舎の村にまでその余波が届く。

 若者は軍隊に強制的に徴用され、そして死地に向かわされる。

 村の若者達は「必ず戻る」と愛しい人に告げ、彼女らをきつく抱き締める。そして鎧を軋ませながら戦場に向かった。

 だが、彼らの腕が再びその温もりを愛しい人に伝えることは決してなかった。

 帰らぬ思い人を待ち続ける村娘も戦火に巻き込まれ命を落としていった。


 その中で辛うじて生き延びた若き村娘が一人。

 彼女は行く宛ても無く各地を彷徨った。いや、もしかすれば彼女を愛した思い人を探していたのかもしれない。



 放浪、と言っても、生気を無くした土地を進むことは困難の一言に尽きる。

 道の途中で村に立ち寄ってもそこにはすでに人影は無く、ただ空腹に喘ぐ自分の荒い息のみがあった。


 廃墟となった村の穀物倉はすでに軍隊に焼かれたのだろう、真黒い灰炭となり煤灰だけが虚しく風に舞っていた。

 井戸は土砂で埋められ、渇き切った口腔を湿らすことも出来ぬ。


 路傍の草を食らい餓えを凌ぐ。屍体の浮かぶ川の水を口にせねばならぬときもあった。


 口の中は砂でざらつき、目は鈍く淀む。長い髪と衣服は土で汚れきり、もはや浮浪者の体であった。

 もうそこにはあの清廉で美しい村娘の姿は無い。


 それでも愛した人の名を忘れることはなかった。

 そう、たとえ気が狂っていても。




 放浪の先に辿り着いたのは自分と同じ放浪者たちが集う闇市。

 戦時下の闇の時代にどこから集めてきたのかというほど多くの物品が溢れ、法に触れるような怪しげな物も平然と取引されていた。

 聞き慣れぬ言葉が飛び交い、見慣れぬ肌の人たちが騒めき合う。


 そこにあるのは闇と闇が入り混じる混沌。


 そこは世の表と裏の入り混じる奇怪な空間で、まるで現実では無いような雰囲気に包まれている。


 もしかすれば、ここなら、愛しのあの人もいるかもしれない。そう彼女が思うのも無理は無い。

 それ程までにここは混沌と入り乱れていた。


 彼女は虚ろな瞳を這わせ狂った笑みを浮かべながら、愛しき思い人を探す。

 あたりにいる人に聞いてみるも良い返事は帰ってこない。

 次第に彼女は裏道、闇のさらに深い闇の中に足を踏み入れて行く。


 その深い闇の底には怪しげな老婆。

「望みを叶えてやろう」と老婆はしゃがれ声で彼女に告げた。

 彼女は淀み切った瞳を輝かせながら、老婆に手を引かれ何処とも知れぬ所へ消えて行ったと聞く。



 人の話に依れば、そのとき彼女は魔道に堕ちたと言う。

 時は流れ、戦火は消えた。闇市も世界に名を馳せるの交易地とへ姿を変え、世界は昔の面影を完全に消し去ってしまったかのようだ。

 しかし、全てが変わってしまった頃に彼女は再び姿を現した。

 そのときのことを覚えている人間はもう皆、土の下で眠ってしまっているからどれほど昔のことか正確な年月はわからないが、箒で空を飛ぶ彼女の姿を見た者が数多くいるそうだ。

 勿論、そのときの彼女はもう一介の村娘などではなく、夜闇に巣食う妖艶な魔女となっていた。



 *



 そこで商人の話は終わるが、旅人は怪訝そうな表情を浮かべたままだった。

 すると商人は指を西の方に向けて「向こうの方に――」と告げる。



 その指の遥か先には真白い霧に覆われた深い森が静寂の中に佇んでいる。

 そして、その静かな森の奥には古びた石造りの屋敷が一つ。


 彼女はその霧深い森の屋敷に棲まい、日の出ている間は箒で何かを捜すように空を飛び回っている。

 何を捜すのか。

 彼女のその目が捜しているのは自分を愛してくれた愛しき恋人。

 二度とは戻らぬ愛しき人。



 *



 夜の帳が世界を包み込む頃、霧深き森に再び一陣の風。

 夜霧を切り裂くのは、黒き衣に身を包む白銀の魔女。

 白き肌は月光の下で妖しく輝き、その口元には静かな笑みが湛えられている。




この作品は、英国民謡「Scarborough Fair」を元に作者のインスピレーションの赴くまま勝手気ままに書き殴った物語です。


ウィキペディアや固定観念などは出来るだけ机の隅に追いやって、まるで有ること無いことをでっち上げるかのようにして書き綴ったものです。


ですから、

「アンタの曲の解釈は間違ってるのよ」や「Scarborough Fairに対する冒涜だ」という意見が出るかもしれません。

その場合は「ソレはソレ、コレはコレ」といった寛大なお心で受け流して頂きたいです。


なので、この場を借りてお詫びを申し上げるとともに、読んで頂いた読者様方々には篤く御礼申し上げたいと思います。




また、今回の企画発案者である中ノ 晁さんの小説にも目をお通し下されば幸いです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 拝見しました。 文章的には、若干ながら体言止めの多さが気になりました。たまに使う分にはいいですが、あまり多用すると投げ槍な印象を受けます。 ストーリー的には素晴らしい物がありました。愛する人…
2011/03/07 00:08 退会済み
管理
[一言] 救いようの無い悲しい話です…。 彷徨っているものの、魔女となった彼女には一本の道を行くしかなかったんでしょうね。 しかし、曲の雰囲気は『朝靄』がピッタリでしたね。 ただ読み進めていくごとに…
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