第二話 狼煙がドーンと上がる
広がるのは、四角形の形をした空間だった。
壁や床は全体的にくすんでいて、先ほどまでの部屋とは趣向を異としていた。
頭に言いようのない違和感を感じながらも、立ち上がる。埃や塵が舞い上がることはない。少なくとも、掃除は行き届いているらしい。
「貴方も――ですか?」
くらくらとする頭。標準が定まらない瞳が、ぼやけた輪郭を捉えた。
俺は、
「貴方も――何なんだ?」
と言い、迷走する思考回路にスイッチを入れた。
俺の目に映ったのは、高校生くらいの女性だった。事実、服装はどこかの私立高校の制服だった。長い黒髪は肩まで浸かっていて、柔和そうな瞳が俺を見つめていた。その表情は、かすかに不安の影が混じっていた。
「貴方も連れてこられたんですか? この『鍵世界』に」
「まぁな」
俺は小さく笑みを浮かべた。意識して作成したものではない。ただ、日常と乖離した不可解な現象と空間。それに惑わされて、顔の筋肉が無意識に動いたのだろう。
「そうですか。ということは貴方もこれを持っているんですよね?」
「『鍵』のことか?」
俺は彼女が懐から何かを取りだす前に言った。すると、彼女は恥ずかしさで顔を僅かに紅潮させ、そそくさと服を正した。
「はい。『鍵』です。私も良く分かりませんが、天使さんが言うには何か重要なアイテムだとか」
「――アイテム。何をするためのアイテムなのか。それをあんたは知ってるのか?」
「良く分からないです。詳しい説明は受けていません。知っていることと言えば、ここは『鍵世界』とかいう世界で、この鍵を巡ってあるゲームをすることくらいしか――」
「【天国ゲーム】」
「そうそう、そんな感じのゲーム名でした。そして、天使さんが言うにはそれに勝利しないと、ここから出られないって」
どうやら、この女性と俺の持っている情報はほとんど丸被りらしい。ゲームの公平性という『シエル』の言葉が思い出される。なるほど。俺と彼女を含むプレイヤー全員には、ある一定の説明しか与えてられていないらしい。だとしたら、彼女も俺同様、例の真っ白な部屋に閉じ込められて、意味も分からず『シエル』とは別の天使からゲームやこの世界の概要を教えてもらった――
ということになる。
そして、思い出す。神が主催する【天国ゲーム】。これには、計八人の参加者がいることに。
俺は慌てて周りを見渡した。
すると、そこには六人の人間。俺と彼女を足せば、八人。やはり、この世界の主導権は天使によって握られている。
全てが天使の言う通りになる。俺は妙な予感を抱いた。
俺のいきなりの動作に驚く彼女。だが、俺の意図の気付いたのか、流し目で辺りを見る。丸い瞳は細められ、妖艶な雰囲気。
今、この空間には八人の人間がいる。天使によって集められた俺と同じ境遇にある者。奇妙な親近感。しかし、皆の周りには明らかに剣呑とした気配が漂っている。砂漠みたいに殺伐として、背中に冷や汗が垂れる。一言も喋らない。
知らぬ間に俺も無口になる。
その静寂を破ったのは、無機質な声だった。
◆◆◆
「皆様、よくぞお越しになりました」
シンセサイザーみたいな、サイケデリックな音調。それがこの空間内に不気味に響き渡る。そして、謎の空間の中心部。そこに蛍火みたいな淡い光が灯る。蛍光灯を彷彿とさせる青白い閃光。そこから、原住民が被るような仮面をした男が出現した。ダークブルーのスーツを着こなし、身なりはしっかりしている。幻覚を具現化したみたいな仮面と正装。それが、一ピース欠けたパズルみたいな違和感を醸し出している。
空気が振動したのが分かった。ここに集められた皆は、声こそ上げないが表情は引き攣って見えた。
「ようこそ、知性と理性の巣窟である『鍵世界』へ。私は第一回戦のメインディーラーを務めさせていただきます『アザリオ』と申します」
『アザリオ』と名乗る男は、大仰に腰を折って見せた。
「皆様、すでにご存じだとは思いますが――今回、貴方方にプレイしていただくゲームは【天国ゲーム】で御座います」
淡々とした口調。『アザリオ』が口を閉ざすと、一気に氷点下に急降下。ある意味冷やかな雰囲気が流れる。
が、そこに殺気立ったものを感じるのは気のせいだろうか?
もし、『シエル』の話が本当――いや、これが決して大掛かりな舞台セットじゃないと薄々分かった今、本当にこのゲームに勝たなければ、現実世界には戻れない。
そう思うと俺は慄然とした。
「『天国』。それは、死者が住まう永遠の楽園。このゲームでは、その『天国』とここ『鍵世界』。この二つの世界を行き来するゲームなのです。そして、『天国』に行くことができれば、元いた世界に戻ることができ、なんと、一億円もの大金を得ることができるのです。つまり、『天国』とは『現実世界』ということです」
ごくりと唾を飲み込む音。ちょうど、『戻れる』と『一億円』という単語が発せられた時だ。
「では、これからゲーム内容を説明したいと思います。とその前に皆様、『鍵』をお持ちですか?」
俺は『シエル』から貰った『鍵』をポケットから取りだした。同様に、皆も『鍵』を取りだす。それを見たディーラーは目を細め(仮面でよく分からないがなんとなく)、言った。
「全員お持ちのようですね。説明に移行させていただきます。それでは、皆様方の前に扉がありますね。『2』と『4』と書かれた扉です。そして、天井の方をご覧ください。『2』と書かれていますね。あそこから条件に従って扉を潜ることできればゲームクリア。ここから離脱できます。また、『2』と書かれたところを抜ければ、鍵一個に付き二億円、『4』と書かれたところを抜ければ、鍵一個につき一億円といった具合に、賞金が配布されます。正しい手順でゲームクリアされたプレイヤーには、鍵の個数に相当する賞金を得ることができます。また、ゲームクリアの有無にかかわらず、『鍵』一個を我々に返戻すれば『鍵世界』から離脱する権利が与えられます。また、プレイヤー一人に付き最大二個しか持つことができません。この禁を破ったプレイヤーは即失格となりますのであしからず」
俺は部屋の端にある二つの扉を見た。『2』と『4』の扉。その二つの扉はなぜか、鎖でがんじがらめに縛られ、中央に南京錠らしきものがあった。
「……条件って何ですか?」
先ほど、俺に話しかけてきた女性がそう呟いた。
「なるほど。確かに音原様の言う通りです。その条件は、扉にナンパリングされたプレイヤー要素を満たすことで御座います」
冷え冷えとしたものが流れた。俺は『アザリオ』の言葉に妙な違和感を感じながらも、頭の中でゲームのルールを整理する。その時、タイミング良く内容をディーラーが纏め上げてくれた。
「これまでの要綱を確認させていただきます。【天国ゲーム】のクリア条件は、部屋に取りつけてある扉を、プレイヤー要素を満たした上で通り抜けること。また、『2』と書かれた扉を潜りぬけたプレイヤーは鍵一個につき二億円、『4』と書かれた扉を潜りぬけたプレイヤーは鍵一個につき一億円の報酬を受け取ることができます。次いで、プレイヤー一人につき鍵を保有できる数は二つ、それ以上所持したプレイヤーは失格とさせていただきます。また、ゲームクリア者には無条件でもう一個の『鍵』を譲渡させていただきます。敗退されたプレイヤーはマイナス一個分の鍵を没収させていただきます。そして、ゲームクリア者は支給された『鍵』一個分を我々に返却することで、現実世界に帰還する権利を得ることができます」
無言。『アザリオ』は話を進める。
「しかし、これでは駆け引きが一切ない。それでは貴方方も我々も面白くありません。故に――ちょっとした趣向を凝らしてみることにしました。それは――」
『アザリオ』はスーツから何かを取りだした。プレイヤー全員が息を止めて、それを見守った。
「――言っておきますが、これはただのモデルガンなどではありません。人に向けて発砲すれば間違いなく死にます」
『銃』だった。
『アザリオ』が取りだしたのは、黒光りする二丁の拳銃だった。
「【天国ゲーム】は危険も何もない単調なゲーム。という認識は捨ててください。そして、理解してください。このゲームを支配しているのは貴方方の『鍵』とこの二つの『銃』であることを」
不意にガラスをぶち破るような炸裂音が木霊した。
『アザリオ』が床に向けて『銃』を発砲したのだ。
「これでこの『銃』が本物であると分かりましたか? そして、この二丁の『銃』を――貴方方に売却したいと思っています。鍵一個と引き換えに。ちなみに『銃』の弾薬は一発分装填されています」
『アザリオ』は舐めるように俺達を見て、
「しかし、この『銃』にも制約が存在します。『2』と『4』の扉をご覧ください。二つの扉に南京錠が存在しますね。あれを解除しない限り扉は開きません。かといって、『銃』を所持したプレイヤーは解除することができません。つまり、『銃』を所持していないプレイヤーにしか開封できないということです。それを踏まえたうえで、オークションを始めたいと思います。先着二名の方に『銃』を売って差し上げましょう」
と言った。
みんなの視線が『アザリオ』の持つ『銃』に集まり、やがて他者に移った。
俺はあの『銃』の危険性と利用価値について、分析してみた。
今、ここには俺を含有した八人のプレイヤーがいる。そして、ゲームクリアのためには、『2』の扉と『4』の扉を通過しなければならない。おそらく、この『2』と『4』はプレイヤーの数を指示していると思う。
しかし、ここで早くも問題発生。
『2』と『4』の扉を潜りぬけられるプレイヤーは、どう頑張っても『6』人しか存在しないということだ。
逆に言えば――この中で絶対的に『2』人が犠牲になる。
二人の犠牲を払わなければ、【天国ゲーム】を全員でクリアすることはできない。
だとすれば、どうやったら自分が犠牲にならずに済むのか?
簡単な話だ。
『銃』さえあればいい。
『銃』があれば、間違いなく扉を通過することができる。そればかりか、他のプレイヤーから『鍵』を奪取することも十分可能。
これは他のプレイヤーと比べ圧倒的に有利。『死』という最大の抑止力。それは一方的な恐喝や恫喝を可能にさせる。
それに、『銃』を保有したプレイヤーは扉を解除することができないという制約。しかし、よく考えてみれば、『銃』を持っていない誰かを脅迫して強引に解除させればいいだけの話だ。
総合してみても、『銃』を買う方がどう考えても有利。ゲームのイニシアチブを握ることができる。
――だが、この考えには大きな落とし穴がある。
それに。
暴力で人をねじ伏せていいのか?
といった単純な疑問が湧きあがる。それでは人の倫理が著しく瓦解してしまう。それでは、ただの獣と同じだ。そんなこと許されずはずがない――
「止めろ! そんな馬鹿げた代物を買うな! 人としてダメだろ!」
気が付いたら俺は大声を出していた。
すると、先ほどの彼女も声を荒げて言った。
「そうですよ! 『銃』なんですよ! 人が死んじゃうんですよ!」
俺の意見に同調する彼女――音原さん。俺は音原さんの存在を心強く感じ、声のボリュームを上げた。
「自分のために人を殺すのか! 金のために人を殺すのか! そんなの間違ってる!」
「自分の利益のために人を蹴り落とす。そんなことしたらダメです。そんなの間違っています。そんなの絶対に――」
「間違ってないわ。これはしかるべき選択よ」
ナイフみたいに尖った声。音原さんの声を遮るかのように部屋に反響する。俺は声が聞こえた方に目を合わせる。
それは、女だった。ベルベットの髪の毛に深紅の服。年は二十歳くらいで、彫りが深い。どこかのモデルみたいに綺麗な人だった。
その女性は虚無的な笑みを浮かべ、ディーラーの元に歩み寄った。
「ディーラーさん。『銃』をくれるかしら?」
「勿論でございますとも、鳥井様。では、『鍵』を」
鳥井と呼ばれた女性は、ポケットから俺と全く同じデザインの『鍵』を取りだし、『アザリオ』に手渡した。表裏をなして、『アザリオ』も『銃』を鳥井に渡す。
開いた口が塞がらないとはこんな状態をいうのだろうか。
音原さんは、怒りと悲しみの入り混じった表情を浮かべた。
そして、辺りの様子を窺うような気配。皆、どうするべきが迷っているようだった。だが、せきを切るような怒号が、鼓膜を貫いた。
「お、俺も買うぞ!」
「佐伯様。でしたら、『鍵』を私に」
俊発的に大学生風の男が飛びだし、慌てて『鍵』を『アザリオ』に渡した。チェックのコートが揺れ、切りそろえてある前髪から陰湿な光が見えた。
俺はその光景は黙って見るしかなかった。
嬉々とした表情で銃口に触れる佐伯。鳥井に触発されたのだろうか。
佐伯はまるで、玩具を与えられた子供のように見えた。しかし、それが紛れもない凶器なのだから性質が悪い。
俺は憤怒に近い感情が湧き上がった。
しかし、鳥井と佐伯の選択が間違っているか。と言われれば、NOではない。むしろ、この状況での最善であるともいえる。それが余計に腹立たしい。
『アザリオ』は鳥井と佐伯から受け取った『鍵』を、床に置いた。俺は眉をひそめそれを見守る。
『アザリオ』はどこからともなくガラスのショーケースを取りだし、それを二つの『鍵』に被せた。すると、そのケースが僅かに光った。
「『銃』と『鍵』は一心同体。『鍵』はここに置かせていただきます。しかし、ご注意ください。このケースは一切の衝撃を吸収し、いかなるダメージも受け付けません故、破壊して中にある『鍵』を手に入れることはできません」
人知の超えた事象。ショーケースはどこから取り出したのだろうか。これも天使のなせる技なのだろう。
「このゲームの制限時間は九十分です。そして、再度申し上げておきますが――このゲームを支配するのはあくまで『鍵』。それをお忘れなく」
どこか引っかかるような物言い。俺は首を傾げた。
『アザリオ』は次元の裂け目のようなところから、電光掲示板みたいに巨大なデジタル時計を取りだした。そこには、
90:00
と機械的に表記されている。
「それでは、【天国ゲーム】開始を宣言させていただきます」
説明が長くてすみません。
すごく複雑になったと思います。作者の力量不足です。けど、楽しんでいってください。