第9話:『禁断の奥義。限界突破(オーバードライブ)』
ランク500位。
それは学園における「中位」と「上位」を隔てる、絶対的な壁だ。
その門番として立ちはだかったのは、全身を魔導金属の鎧で覆った巨漢――『重装騎士』ガレオンだった。
「無駄だ。俺の『対魔鎧』は、中級以下の炎魔法を全て遮断する」
ガレオンが傲然と言い放つ。
私の放った火球は、彼の鎧に触れた瞬間にジュッと音を立てて消滅していた。
熱が通らない。物理的な打撃も、あの分厚い装甲の前では無意味だ。
「はぁ、はぁ……嘘でしょ。私の最大火力なのに……」
私は膝をつく。魔力はまだあるけれど、精神的な疲労がピークに近い。
勝てない。このままじゃ、ここで終わりだ。
「……硬いな。カタログスペック以上の防御力だ」
隣で戦況を見つめていたシキが、冷静に呟いた。
彼は私の肩に手を置き、敵を見据えたまま言う。
「通常の出力じゃ、あいつの装甲を溶かす前に、お前の魔力が尽きる。……やるぞ、レナ」
「やるって、何を?」
「『臨界突破』だ」
その単語を聞いた瞬間、背筋に寒気が走った。
それは理論上可能とされているが、術者の廃人化リスクが高すぎて禁忌とされる技術。
脳内にある安全装置を強制的に解除し、魔力回路を限界以上に膨張させる自爆技だ。
「正気!? 私の回路が焼き切れちゃうわよ!」
「焼き切れる寸前で俺が止める。……だが、負荷は凄まじいぞ」
シキが私の正面に回り込み、私の顔を両手で挟み込んだ。
その瞳は、いつになく真剣で、そして冷徹な光を帯びていた。
「脳が溶けるような快感と衝撃に襲われる。理性なんて吹き飛ぶだろう。……耐えられるか?」
試すような視線。
怖い。自分の体が自分じゃなくなる恐怖。
でも、それ以上に――この男に「できない」と思われたくない。
「……アンタが」
私は彼の無骨な手に自分の手を重ねた。
「アンタが制御してくれるなら! ……私、なんだってやるわよ!」
「いい返事だ」
シキはニヤリと笑うと、私の首筋にある頸動脈と、胸のコアに同時に指を突き立てた。
「――術式介入。全安全装置、解除」
カチリ、と頭の中で何かが外れる音がした。
「あ――?」
直後。
ドクンッ!! と心臓が破裂しそうなほど跳ねた。
体内のダムが決壊したようだった。私の許容量を遥かに超えた魔力が、内側から溢れ出し、細胞の一つ一つを強引にこじ開けていく。
「あ、がっ、ぁぁぁぁぁぁッ!?!?!」
痛い? 熱い? 違う。
気持ちいい。
脳髄を直接白濁した液体で満たされるような、暴力的な快感。
目の前が真っ白になる。膝が震え、立っていられない。
「目は開けてろ。敵を見ろ」
崩れ落ちそうになる私を、シキが背後から抱きとめる。
私の耳元で、彼が呪文のように囁く。
「第一層、解放。第二層、解放。……臨界点到達。行け」
シキの指が、私の敏感なスイッチを押し込む。
「あひぃッ!! ぁぁあ、いくっ、でちゃうぅぅぅッ!!」
私は白目を剥き、口から涎を垂らしながら、絶叫した。
もはや魔法の詠唱ですらない。ただの魔力の咆哮。
私の全身から噴き出したのは、紅蓮の炎ではない。青白く輝く、プラズマ化した『蒼炎』だった。
ズドォォォォォォォォンッ!!
私の体から放たれた極太の熱線が、空間を歪ませながら直進する。
対魔鎧? 関係ない。
そんな理屈ごと、原子レベルで分解し、消滅させる絶対的なエネルギーの奔流。
「な、なんだこれは!? 俺の鎧が、溶け――ぎゃあああああ!?」
ガレオンの悲鳴は一瞬で消えた。
彼自慢の鎧が飴細工のようにドロドロに溶け落ち、その衝撃波だけで彼は遥か後方へと吹き飛ばされた。
闘技場の壁に大穴が空く。
シーッ……。
静寂の中、焼け焦げた地面から煙が昇る音だけが響く。
「……は、ぁ……うぅ……」
魔力を吐き出しきった私は、糸が切れた人形のようにシキの腕の中に崩れ落ちた。
頭がボーッとする。
自分が何をしたのか、よく覚えていない。ただ、凄まじい快感の余韻だけが、ピリピリと神経に残っている。
「……ふん。少しやりすぎたか」
シキは私の乱れた髪を直し、だらしなく濡れた口元を親指で拭った。
「だが、悪くないデータが取れた。お前の『器』は、まだ広がるぞ」
意識が遠のく中、私は思った。
この人は悪魔だ。
でも、この悪魔の手のひらで踊る快感を、私はもう手放せない――。
ランク500位、撃破。
それは、私たちが「本物」の怪物へと足を踏み入れた瞬間だった。




