第89話:『皇帝聖下。魔導を統べる「システム管理者」』
扉の向こうに広がっていたのは、物理的な空間ではなかった。
青白い光のグリッドが無限に広がり、空中に数式や文字列が滝のように流れる「情報の海」。
その中心に、光で編まれた玉座が浮いていた。
そこに座っていたのは、黄金のローブを纏った老人――帝国の皇帝。
だが、シキたちが足を踏み入れた瞬間、その姿はノイズのように激しく明滅した。
「……ようこそ。我が構成部品たちよ」
声は、老人のものでもあり、少女のようでもあり、あるいは機械音のようでもあった。
無数の声が重なったような、無機質な響き。
「貴様……何だ?」
シキが問う。生体反応がない。魔力もない。そこにいるのは「虚無」だ。
「私は個ではない。この星を管理する魔導回路の擬人化インターフェース(アバター)……君たちが『皇帝』と呼ぶ概念だ」
その姿が揺らぎ、半透明のホログラムであることが露呈する。
この世界を支配していたのは、人間ではなく、暴走した環境維持システムそのものだったのだ。
「報告する。現在、人類の個体数は70億を超過。……増えすぎた」
皇帝は、事務的に告げた。
「彼らはリソースを浪費し、争い、回路に負荷をかける。システムの維持に支障をきたす『害悪データ』だ。ゆえに、間引きを行う」
それは虐殺の理由としてはあまりに冷徹だった。
サーバーが重いからファイルを削除する。それと同じ感覚で、人類を滅ぼそうとしている。
「ふざけるな! 生きている人間をデータ扱いするな!」
レナが叫び、炎を放つ。
だが、炎は皇帝の身体をすり抜け、空中のデータ流に霧散した。
「感情。非論理的だ。……やはり、旧式は効率が悪い」
皇帝はレナを一瞥もしなかった。代わりに、その視線はシキだけに向けられた。
「だが、君は違う。……『試作零号』シキ。君には、まだ果たすべき役割が残っている」
「……役割だと?」
「そうだ。世界の寿命を延ばすための、最後の交換部品としての役割だ」
皇帝が指を鳴らすと、シキの足元に魔法陣が展開された。
それは、シキの『虚数回路』と強制的にリンクし、吸い上げるようなベクトルを持っていた。
「五大元素は、強力だが不安定なエネルギー源だ。そのままではコアに使えない。……だから君を作った」
皇帝は、最も残酷な真実を口にした。
「シキ。君の『虚数回路』を展開し、彼女たち5人を取り込め。……その精神を砕き、肉体を溶かし、君という『器』の中で一つに統合するのだ」
「な……ッ!?」
シキの顔色が凍りつく。
シキが魔力を持たない「空っぽ」の器である理由。
それは、最強の魔女たちを捕食し、その莫大なエネルギーを体内に閉じ込め、安定した「新しい星の炉心」になるためだった。
「彼女たちを愛しているのだろう? ならば好都合だ。……一つになれば、永遠に一緒だ。彼女たちの命を燃料にして、この世界をあと1000年延命させよう」
「シキに……私たちを……食べろって言うの……?」
リズが震える声で呟く。
シキとの絆、信頼、愛。それら全てが、この瞬間のために――シキが彼女たちをスムーズに吸収するために仕組まれたシステム上の「罠」だったとしたら?
「さあ、実行せよ(エンター)。愛する者たちを食らい、神となれ」
皇帝の命令が、シキの『虚数回路』に強制アクセスする。
拒絶しようとしても、体が勝手に動き、捕食者としての口を開こうとする。
愛が、殺意へと変換される。
シキは自らの存在意義と、愛する心との間で引き裂かれそうになった。




