第76話:『シキの仮説。「完璧」とは「停滞」だ』
雲海の中を漂流する戦艦『ヘイムダル』。
薄暗い医務室には、沈痛な空気が漂っていた。
「……痛っ」
レナが小さく声を上げる。
シキは彼女の腕に包帯を巻きながら、魔力回路の微細な調整を行っていた。
「我慢しろ。回路が焼き切れる寸前だったんだ。……これでも繋がっただけマシだぞ」
シキの声は淡々としていたが、その手つきは驚くほど丁寧だった。
ベッドには、リズ、エミリア、ソフィア、クレア、そしてエレオノーラが横たわっている。全員、先ほどの戦闘でボロボロだ。
「……勝てないよ、あんなの」
リズが膝を抱えて呟いた。
「速さも、威力も、判断力も……全部、向こうが上だった。それに、あいつら死ぬことを怖がらない。……完璧な兵士だもん」
その言葉に、全員がうつむく。
「恐怖」という感情を持つ自分たちが、「感情を持たない」完成品に勝てるはずがない。その絶望感が彼女たちを支配していた。
「……完璧、か」
シキは包帯を巻き終え、ハサミをパチンと鳴らした。
「確かに、オメガ・シリーズは完璧だ。出力は常に安定し、ミスもしない。精神的な動揺によるデバフも一切ない」
シキは立ち上がり、ホワイトボードに二つのグラフを描いた。
一つは、常に一直線の水平な線。
もう一つは、激しく上下に乱高下しつつも、右肩上がりに伸びていく線。
「だが、それが弱点だ」
「弱点……?」
エレオノーラが顔を上げる。
「オメガたちは『完成品』だ。製造された時点でスペックが固定されている。……つまり、常に100点は出せるが、絶対に101点にはならない」
シキは水平な線を指差した。
「これを『定格出力』という。あいつらは設計図通りの強さしか出せない。……『火事場の馬鹿力』が存在しないんだ」
そして、シキは乱高下するもう一つの線を指した。
「対してお前らはどうだ? 感情で出力がブレる。恐怖で足が止まることもある。……だが、守りたいものがある時、怒りに燃える時、お前らの出力は設計限界を遥かに超えて跳ね上がる」
学園での日々、そしてこれまでの戦いを思い出す。
彼女たちは何度も、理論値を無視した奇跡を起こしてきた。
「オメガたちには『成長』がない。完璧であるということは、そこで終わっているということだ。……それは『停滞』と同じだ」
シキはベッドの上の少女たちを見回し、不敵に笑った。
「だが、お前らは違う。不安定で、壊れやすくて、手のかかる『欠陥品』だ。……だからこそ、壊れるたびに俺が直し、強化し、どこまでも強くなれる」
シキの手が、レナの頬に触れる。
「俺のメンテナンスは、ただの修理じゃない。お前らの限界値を拡張する作業だ。……今の敗北は、次への進化の布石に過ぎない」
その言葉が、彼女たちの心に燻っていた火種に油を注いだ。
恐怖が消え、代わりに熱い闘志が湧き上がってくる。
「……そうか。余たちは、まだ未完成だからこそ……」
「もっと強くなれる……!」
レナが拳を握りしめる。包帯の下で、魔力回路がドクンと脈打った気がした。
「シキ。……私のリミッター、もっと外していいよ」
レナが真剣な瞳でシキを見つめる。
「壊れてもいい。シキが直してくれるなら、私、限界なんてとっくに超えてるから」
「私もです! もう痛みなんて怖がりません!」
「余を最高傑作に仕上げてみせろ、マスター!」
医務室の空気が一変した。
それは敗走者の空気ではなく、挑戦者の熱気。
「……いい目になったな」
シキは工具ベルトを締め直し、ニヤリと笑った。
「よし。なら、今から朝まで『特別強化合宿』だ。……覚悟しろよ? 次に会った時、あのポンコツ人形どもが裸足で逃げ出すような怪物に仕立て上げてやる」
雲海の中、傷ついた戦艦は静かに牙を研ぐ。
「不完全」ゆえの無限の可能性が、今まさに覚醒しようとしていた。




