第67話:『研究所「第ゼロ区画」。シキの帰郷』
鼻を突く消毒液の臭いと、低く唸る空調の駆動音。
それが、シキの意識を覚醒させた最初の感覚だった。
「……最悪の目覚めだ。この臭いは、死ぬほど嗅がされたからな」
シキはゆっくりと瞼を開けた。
視界一面に広がる無機質な白。
身体は手術台のようなベッドに固定され、無数のチューブや電極が繋がれている。
帝立魔導研究所、地下最深部――『第ゼロ区画』。
かつてシキが生まれ、育ち、そして逃げ出した忌まわしき故郷。
「おはよう。いや、おかえりと言うべきかな? 私の可愛い息子よ」
暗がりから、白衣を纏った痩身の男が歩み出てきた。
病的なまでに白い肌、窪んだ眼窩の奥でギラギラと輝く狂気の瞳。
研究所長にして、帝国最高の魔導頭脳――Dr.クロウリー。
「……10年ぶりだな、ドクター。相変わらず趣味の悪いツラをしてる」
「成長したな、ゼロ。……いや、今はシキと名乗っているのだったか」
クロウリーは愛おしそうにシキの頬に触れた。その手つきは、我が子を愛でる親のようでもあり、完成した美術品を鑑定する蒐集家のようでもあった。
「なぜ俺を連れ戻した? 『魔力ゼロの失敗作』は、もう用済みだろう」
「失敗作? ククク……誰がそんなことを言った?」
クロウリーは喉を鳴らして笑った。
彼はシキの胸元――『虚数回路』がある場所に指を這わせる。
「勘違いするなよ。お前は失敗作ではない。……お前こそが、私の理論の到達点であり、最高傑作なのだから」
「……何?」
「世界は『魔力』で満ちている。だが、強すぎる力は器を壊す。……アトラス学園のあの娘たちのように」
クロウリーはモニターに、レナやリズたちのデータを映し出した。
圧倒的な出力を持つがゆえに、精神と肉体が崩壊する欠陥兵器たち。
「彼女たちは『エンジン』だ。規格外のエネルギーを生み出す暴走炉。……だが、制御棒のない原子炉など、ただの爆弾に過ぎない」
男は両手を広げ、恍惚とした表情で告げた。
「だから私が作ったのだ。彼女たちを乗りこなし、制御し、その力を完全に引き出すための『空白の器』を。……それがお前だ、ゼロ」
シキの目が見開かれる。
自分が魔力を持たないのは、生まれつきの欠陥ではなかった。
他者の魔力を受け入れ、流し、書き換えるために、意図的に「空っぽ」に作られた人造人間。
「お前の『虚数回路』は、あらゆる魔力を無効化し、あるいは最適化する。……お前という『鍵』があって初めて、あの娘たちは『兵器』として完成するのだ」
シキの脳裏に、学園での日々が過ぎる。
レナの炎を鎮め、リズの速度を制御し、エレオノーラの脳を休ませた日々。
それら全てが、この男の設計図通りだったというのか。
「彼女たちはお前のために生まれ、お前は彼女たちのために作られた。……美しい共依存だろう?」
クロウリーはシキの耳元で囁いた。
「さあ、仕事をしてもらおうか。帝国のための『鍵』として。……外では今頃、主を失った可愛い子猫たちが、お前を求めて泣き叫んでいる頃だろう?」
「……アンタは、どこまでも腐ってやがるな」
シキはギリと歯を食いしばった。
自分がただの「部品」として作られたという事実。
そして、愛するヒロインたちとの絆さえも、兵器運用のためのシステムだったという冒涜。
だが、シキの瞳から光は消えていなかった。
彼は睨みつける。自分を産み落とした狂気の親を。
「……覚えとけよ、ドクター。俺は鍵かもしれないが……どこの扉を開けるかは、俺が決める」




