第6話:『噂の特異点。設備保全科に美女が訪れる』
学園の序列戦における「ジャイアントキリング」の噂は、光の速さで広まる。
特に、その勝因が「公開イチャつき」によるものだとすれば、尚更だ。
「ねえシキ! 見て見て! ランキング更新されたわよ!」
いつもの薄暗い地下工房。
配管の油汚れを拭っていた俺の背中に、レナが勢いよく飛びついてきた。
「序列863位! 一気に40ランクもアップよ! すごくない!?」
「……すごいのは結構だが、俺の作業着で手を拭くな。あと、くっつくな。暑い」
「いいじゃない、ケチ! アンタ、私がいないと『寒くて眠れない体』にしてやるって言ったくせに」
「文脈が違う。俺は『冷却管理が必要だ』と言ったんだ」
レナは完全に調子に乗っていた。
先日の勝利以来、彼女は俺の工房に入り浸り、事あるごとにスキンシップを求めてくる。
どうやら『共振結合』の副作用で、俺の魔力波長に対する依存性が高まっているらしい。
まあ、定期的に俺が「排熱処理(という名の愛撫)」をしてやらないと、彼女は本当に熱暴走しかねないので、あながち間違いではないのだが。
そんな騒がしい日常を破るように、工房の鉄扉が控えめに、しかし明確な意志を持って叩かれた。
コン、コン。
地下には似つかわしくない、上品なノック音。
レナが動きを止め、俺もウエスを置く。
「……設備保全科だ。何の用だ? 水漏れなら依頼書を書いて出直せ」
「いえ。今日は『修理』ではなく、『確認』に参りました」
扉が開く。
そこに立っていたのは、この埃っぽい地下室にはあまりに不釣り合いな美少女だった。
真っ白な制服に、青いスカーフ。胸元には、鏡を模した銀のエンブレム。
「げっ……」
レナが露骨に嫌な顔をした。「あれ、序列5位の派閥の制服……」
間違いない。
学園の頂点に君臨する五人の怪物――『五大元素の乙女』の一角。
第5位、『模倣の魔女』エミリア・ヴァイスの側近だ。
「初めまして。エミリア様が主宰する『白鏡会』副会長、セシリアと申します」
セシリアと名乗った少女は、完璧な礼儀作法で一礼した。
だが、その目は笑っていない。俺たち、というより俺を、値踏みするようにじっと観察している。
「先日の序列戦、拝見しました。レナ・バーンハートさんの素晴らしい火力……そして、それを制御した貴方の手腕も」
「……たまたまだ。俺はただ、暴れ馬の手綱を握っていただけだ」
俺は視線を逸らし、手元の工具を弄るふりをした。
この展開はまずい。
エミリアの側近が来たということは、俺の存在が「上」に勘づかれ始めている。
「謙遜を。魔力を持たない技師が、他者の魔力回路に干渉し、リアルタイムで制御する……あんな芸当、学園の歴史上でも『彼』以外に聞いたことがありませんわ」
セシリアが一歩、踏み込んでくる。
コツン、とヒールの音が冷たく響く。
「最近、妙な技師がいると噂になっています。……貴方、まさか『あの方』の古傷を抉るような真似はしていないでしょうね?」
『あの方』。エミリアのことだ。
『古傷』。
その言葉に、俺の胸の奥で苦い記憶が蘇る。
――『嘘つき! ずっと私の調整をしてくれるって言ったじゃない!』
――『シキがいなきゃ、私の中の他の誰か(データ)が、私を塗りつぶしちゃうのに……!』
かつて、泣き叫ぶエミリアを置いて、俺はこの学園の表舞台から姿を消した。
彼女たち「五大元素の乙女」が強くなりすぎ、俺のような急造の安全装置では彼女たちの成長を阻害すると判断されたからだ。
いや、それは建前だ。
本当は、彼女たちが俺に依存しすぎることを、学園上層部が危惧したのだ。
「……何の話かわかりませんね。俺はただの配管工です」
俺は無表情を貫き、あくまでしらばっくれた。
ここで正体を明かせば、エミリア本人が飛んでくる。それは避けたい。今の彼女と会えば、ただでは済まないだろう。
セシリアはしばらく俺を睨みつけていたが、やがてふぅと息を吐いた。
「……そうですか。まあ、ただの『似ている誰か』なら構いません。ですが、警告しておきます」
彼女は帰り際、冷ややかな視線をレナに向け、そして俺に戻した。
「エミリア様は今、非常に神経質になっておられます。不純な動機でランキングを荒らすような真似は慎みなさい。……特に、その『下品な戦闘スタイル』は、エミリア様の癇に障りますので」
バタン、と扉が閉まる。
嵐のような訪問者が去り、工房には重い沈黙が残った。
「な、なによあいつ! 言いたい放題言って!」
レナが憤慨して叫ぶが、俺はすぐに答えられなかった。
エミリア・ヴァイス。
『模倣』の能力を持つ彼女は、他人の魔法を見ただけでコピーできる天才だ。
だが、その代償として、他人の魔力構造を体内に取り込むたびに、強烈な「拒絶反応」に苦しむことになる。
常に吐き気と悪寒に震える彼女の背中を擦り、他人のデータを「洗浄」してやれるのは、世界で俺だけだったはずだ。
(……まだ、新しい担当技師は見つかっていないのか?)
俺が去ってから一年。
彼女がまだ「古傷」を抱えているのなら。
俺の平穏な地下生活が終わるのも、そう遠くないかもしれない。
「おい、レナ」
「な、なによ」
「次の試合、もっと派手にやるぞ。中途半端に勝つと、逆に目をつけられる」
「えっ、やる気なの!? さっき警告されたばっかりなのに!」
俺は工具箱を閉じた。
逃げ隠れするのは性分じゃない。
それに、もしエミリアがまだ「壊れかけ」のままでいるなら――技師として、放っておくわけにはいかないだろう。
「行くぞ。メンテナンスの時間だ」
俺の言葉に、レナはパァっと顔を輝かせ、頬を赤らめた。
「う、うん! ……お手柔らかにお願いね、マスター?」
歯車が回り始めた音がした。
過去という錆びついた歯車が、新たな潤滑油を得て、軋みを上げながら。




