第49話:『神速の魔女、陥落。ブレーキを握る者』
バヂィィィッ……ン。
空間を焼き焦がすような紫電の音が、唐突に途切れた。
現実世界における経過時間は、わずか1秒。
レナが瞬きをし、エミリアが息を呑み、ソフィアが目を見開く。その一瞬の間に、全てが終わっていた。
「……あ、はぁ……っ、はぁ……っ!」
ドサッ。
シキの腕の中で、リズ・スカーレットが糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
彼女はシキの胸板にしがみつき、荒い呼吸を繰り返している。
その顔は、湯気が出そうなほど真っ赤に染まり、瞳は熱っぽく潤んでいた。
「あんな……あんな濃い時間、初めて……っ。頭の中が、シキでいっぱいで……痺れる……」
彼女の脳内では、数時間にも及ぶ濃厚な「思考連結」が行われていたのだ。
孤独だった神経回路は、シキの魔力によって満たされ、今は極上の余韻に浸っている。
「な、何が起きたの!? 一瞬おでこ合わせただけじゃない!」
「ちょ、ちょっと! リズの顔、完全に『事後』なんだけど!?」
周囲のヒロインたちが騒然とする中、シキは優しくリズの身体を支えた。
「落ち着け。彼女の脳内クロックを正常値に戻しただけだ。……今はまだ、リハビリ直後でフラついている」
シキはリズの首筋――脳幹に近い部分に手を当てた。
「――術式固定。リミッター設置完了」
カチリ、と見えないスイッチが入る音がした。
それは、彼女の暴走する神経伝達速度を制御し、常人と同等のレベルまで減速させる「ブレーキ」だ。
「……目を開けてみろ、リズ」
シキに促され、リズは恐る恐る瞼を持ち上げた。
「あ……」
彼女の視界に飛び込んできたのは、今まで見たことのない世界だった。
風に揺れる木の葉が、パラパラと舞い落ちる。
噴水の水しぶきが、きらきらと輝きながら落ちていく。
レナたちが、普通に口を動かして喋っている。
止まっていない。
かといって、イライラするほど遅くもない。
すべてが、優しく、滑らかに流れている。
「すごい……。世界って、こんなにゆっくりで……綺麗だったの……?」
ポロリ、とリズの目から涙がこぼれた。
今まで彼女が見ていたのは、ノイズ混じりの静止画だった。
けれど今、彼女は初めて「生きている世界」の中にいる。
「音が……聞こえる。みんなの声が、ちゃんと聞こえるよ、シキ……」
リズは子供のように泣きじゃくりながら、シキの手を握り締めた。
この温かい手が、自分を加速地獄から引きずり出してくれたのだ。
「……私の負けよ。完敗」
彼女は涙を拭い、潤んだ瞳でシキを見つめた。
そこにはもう、退屈を嘆く魔女の傲慢さはない。
「アンタは、私の『ブレーキ』。……このどうしようもない暴走車を止められる、世界でたった一人の運転手だわ」
リズは背伸びをすると、シキの頬にチュッと音を立ててキスをした。
「責任取ってよね? 私の手綱、一生離さないでよ?」
「……やれやれ。メンテナンスの手間が増えそうだ」
シキが苦笑いをする背後で、「キィィィッ!」というレナたちの嫉妬の悲鳴が上がる。
しかし、その光景すらも、今のリズには愛おしい「日常」の一部だった。
こうして、学園序列2位『神速の魔女』もまた、シキの手によって陥落した。
最強のスピードスターは、これからは「シキの隣」という特等席で、ゆっくりとした時間を歩んでいくことになる。




