第47話:『ゼロ距離の接吻(ハッキング)。思考速度の共有』
バチッ……!
額と額が触れ合った瞬間、俺の視界から「色」が消えた。
瓦礫の山も、燃え盛る炎も、心配そうに叫ぶレナたちの声も、すべてが彼方へと遠ざかる。
「――接続。対象:リズ・スカーレット。深層意識領域へ潜行」
俺は『虚数回路』の出力を限界まで引き上げ、彼女の脳内を走る猛烈な電気信号の奔流に、自らの意識を同期させた。
ガガガガガッ……!
凄まじいG(負荷)が脳にかかる。
速い。あまりにも速すぎる。
彼女の思考速度は、常人の数千倍。秒速でギガバイト単位の情報を処理するスーパーコンピュータの内部に、生身で飛び込むようなものだ。
(燃え尽きるなよ、俺の脳みそ……! クロックアップ、倍率2000……3000……同期しろッ!)
俺は歯を食いしばり、光のトンネルを突き抜けた。
†
気付くと、俺は「青い世界」に立っていた。
音はない。風もない。
空には砕け散った瓦礫が静止画のように浮かび、巻き上げられた砂埃の一つ一つが、ダイヤモンドの粒のように空中で停止している。
限りなく静止に近い、超高速の世界。
その世界の真ん中で、体育座りをしている少女がいた。
「……嘘。どうして、動けるの?」
リズ・スカーレットが、信じられないものを見る目で俺を見上げていた。
彼女の声は震えている。この世界で、自分以外の「動くもの」を見るのは初めてなのだ。
「……キツいな、ここは。息をするのも忘れるくらい時間が濃い」
俺は乱れる呼吸を整えながら、彼女の隣に腰を下ろした。
意識だけの存在になっても、脳への負荷は現実として跳ね返ってくる。俺のアバター(精神体)の輪郭は、ノイズ混じりに明滅していた。
「バカじゃないの? 生身の人間がこの領域に入ったら、脳が焼き切れて死ぬわよ。早く出て行って」
「断る。……言ったろ、お前を捕まえるって」
俺はリズの方を向いた。
現実世界では強気なパンクファッションに身を包んでいた彼女だが、この精神世界での姿は、真っ白なワンピースを着た、どこにでもいるあどけない少女の姿だった。
それが、彼女の本来の精神年齢なのだろう。
「ずっと、ここにいたのか」
「……そうよ。現実の世界は退屈すぎるから。でも、ここはもっと最悪。誰もいない。誰も追いつけない。……私はずっと一人で、止まった世界を眺めてるだけ」
彼女は膝に顔を埋めた。
神速という才能の代償。それは、永遠に続く孤独な幽閉生活だ。
誰かと話したくても、言葉が届くまでに何分もかかる。
誰かに触れたくても、相手はマネキンのように動かない。
「寂しかったわよ……! 誰かにわかってほしかった! でも、誰もこのスピードについてこれないじゃない!」
リズの感情が爆発し、青い世界に雷鳴が轟く。
彼女の涙がこぼれ落ちる。その雫さえも、地面に落ちることなく、空中で宝石のように静止する。
俺は手を伸ばした。
ゆっくりと、しかし確実に。
彼女の涙を指先で掬い取る。
「……あ」
リズが息を呑んだ。
俺の手は、彼女の認識できる速度で動いていた。
止まっていない。遅くもない。
彼女と同じ時間を、俺は生きている。
「やっと追いついた」
俺は彼女の濡れた頬に手を添え、その瞳を覗き込んだ。
「……ここが、君の寂しい世界か」
その言葉が届いた瞬間。
リズの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「う、うわぁぁぁぁんっ……! シキぃ……ッ!」
彼女は俺の胸に飛び込んできた。
俺は彼女を強く抱きしめる。
思考が直結している今、彼女の悲しみ、孤独、焦燥、そして安堵……すべての感情が、俺の中に濁流のように流れ込んでくる。
「もう一人じゃない。俺がここにいる」
「うん、うん……っ! あったかい……シキの思考が、聞こえる……っ!」
額と額を合わせたまま、俺たちは精神の口づけを交わす。
それは唇を重ねるよりも深く、互いの存在を溶け合わせる『共振』。
加速した世界の中で、二人の時間だけが重なり合う。
俺は彼女の暴走する回路を優しく撫で、その過剰な回転数を制御し始めた。
「さあ、帰ろうか。……みんなが待ってる『遅い世界』へ」
俺の呼びかけに、リズは涙でぐしゃぐしゃになった笑顔で頷いた。




