第44話:『加速回路(アクセラレーター)の代償。脳を焼く焦燥』
圧倒的な敗北だった。
学園最強と謳われた俺のパーティは、ものの数分で壊滅状態に追い込まれていた。
「うぅ……目が、回る……」
ソフィアが眼鏡を割られ、壁に寄りかかって呻いている。
レナとエミリアも、地面に伏したまま起き上がれない。ダメージそのものより、視認できない速度で翻弄されたことによる三半規管へのショックが大きいようだ。
「……あーあ。期待外れもいいとこ」
リズ・スカーレットは、倒れ伏す彼女たちを見下ろし、つまらなそうに鼻を鳴らした。
息一つ上がっていない。
心拍数も乱れていない。
肉体的な疲労は皆無に見える。
だが。
俺の目は誤魔化せなかった。
「……おい、リズ」
俺は瓦礫の中から立ち上がり、彼女を指差した。
「暑いのか? すごい汗だぞ」
リズの額からは、滝のような汗が流れ落ちていた。
それは運動による爽やかな汗ではない。
脂汗だ。
顔色は蒼白で、こめかみの血管がドクドクと不気味に脈打っている。
「……は? 当たり前でしょ。今の動き、結構カロリー使うのよ」
彼女は強がって袖で顔を拭うが、その指先が小刻みに――いや、高速で振動(痙攣)しているのを俺は見逃さなかった。
「違うな。それは筋肉の熱じゃない。……『脳』が焼けてるんだ」
俺は『虚数回路』を通して、彼女の体内を循環する魔力の流れを視た。
異常だ。
彼女の脳内神経網は、常人の数千倍の速度で電気信号を発火させ続けている。
それはまさに、冷却装置を持たないCPUを無理やり定格の何十倍もの速度で駆動させている状態――『オーバークロック(周波数過剰)』だ。
「お前、『神速』を使ってる間だけ速くなってるわけじゃないな?」
「……何が言いたいの」
「常時発動だ。お前は、24時間365日、寝ている間でさえも、その加速した時間の中に閉じ込められている」
俺の言葉に、リズの目が大きく見開かれた。
「一秒が数分、数時間に感じる世界。……思考速度が速すぎて、脳の糖分消費と発熱が追いついていない。その汗は、脳を守るために体が必死に冷却水を流している証拠だ」
彼女の脳は、今まさに高熱で溶解しかけている。
退屈? 刺激が欲しい?
違う。彼女はただ、永遠に続く「引き伸ばされた時間」の苦痛から逃れるために、何かを壊さずにはいられないのだ。
「……うるさい」
リズの声が低くなった。
「知った風な口を利かないで。私は『神速』よ。誰よりも速く、誰よりも優れているの」
「いいや。お前は速いんじゃない」
俺は一歩、彼女に近づいた。
「お前は、ブレーキが壊れた暴走車だ」
制御不能な加速。
止まりたくても止まれない。眠りたくても、羊が一匹柵を越えるのに一時間かかるような感覚の中で、どうやって安眠しろと言うのか。
彼女の精神は、疲労と焦燥でボロボロだ。
「このままだと、遠からず脳のシナプスが焼き切れるぞ。……廃人まで、あと一ヶ月ってところか」
技師としての冷徹な診断。
それを突きつけられた瞬間、リズの表情から「余裕」という名の仮面が剥がれ落ちた。
「……っ、黙れぇぇぇッ!!」
バヂィィィッ!!
彼女の全身から、殺意の混じった紫電が爆発した。
図星を突かれた怒りと、隠していた恐怖。
それが彼女を更なる加速へと駆り立てる。
「私の何が分かるって言うのよ! この地獄みたいな『長さ』を! 誰も追いつけない孤独を!」
彼女が地を蹴る。
速い。さっきまでとは桁が違う。
脳のリミッターを完全に外した、自滅覚悟の特攻。
「壊してやる! あんたも、この退屈な世界も、全部ッ!!」
迫りくる紫の雷光。
だが、今の俺には見えていた。
その光の中心で、泣きそうな顔をしてハンドルにしがみついている、一人の少女の姿が。
「……やれやれ。手のかかる暴走車だ」
俺は工具ベルトに手をかけた。
競争する気はない。
俺の仕事は、その壊れたブレーキを修理し、彼女を強制的に「停車」させてやることだ。




